魔王のいなくなった世界は混沌としていた

たこす

プロローグ

「ハンスリー様のお通りだ、道を開けよ!!」


 町の大通りが、一気に騒然となった。道行く人々が慌ててわきに寄って頭を下げる。老若男女問わず、その表情は一様に硬い。

 その中央を、馬車に乗った男がつまらなそうな顔をして通り過ぎていった。キチッとそろえた前髪に、卑屈そうに歪んだ口。睨み付けるような目つきであたりを見つめる。この町の領主の息子ハンスリー・ボガードである。

 その性格は冷酷・残忍・非道。


 人々は、この男に目をつけられないようにひたすら息をひそめて馬車が通過するのを待った。

 ガタガタと人々の前を通過していく馬車の中で、ハンスリーは御者に言った。



「おい、止まれ」



 その一言に、頭を下げていた人々はいっせいに恐怖した。

 誰かが、目をつけられた──。

 これは、その合図。


「そこの」


 彼は、一人の少年に声をかけた。

 少年の肩がビクッとふるえるのがわかる。しかし少年は呼ばれたのが自分でないことを祈り、返事をしなかった。

 とたんに、ハンスリーの顔が険しくなる。


「おい、聞こえなかったのか?」


 低くドスの聞いた声。これ以上、何も言わなければ何をされるかわからない。

 少年はか細くふるえる声で返事をした。


「………は、はい」


 ハンスリーは見下した目を向けて言った。


「お前だけ、まわりに比べて頭が高い」


 瞬間、少年の背筋が凍りつく。


「す、すいません!!」


 慌てて地べたに這いつくばりながら頭を地面にこすりつけた。


「すいません、すいません!!」


 ひたすらに謝る。少年にできるのはそれしかない。

 ハンスリーは馬車からゆったりと降りると、少年の頭に自分の足をのせた。


「お前、平民の分際でどういう了見だ?自分がまわりよりも偉いとでも思っているのか?」

「い、いえ……。めっぞうもありまぜん……」


 少年の声は地面につぶされてだみ声となっていく。

 しかし、周囲の人々にはどうすることもできない。かばえば、自分たちも目をつけられるのだ。頭を下げたまま、ただ祈るしかなかった。


「オレ様が通るときはなぁ、こうやって地面に顔を押しつけるぐらい頭をさげろ。平民なんだから、それが礼儀ってもんだろ」

「ば、ばい………」

「こうやって!! 頭を!! 地面に!! こすりつけろ!!」


 ひとこと言うたびに足に力をこめて少年の頭を踏みつける。


「あ、が、ぐ……」


 そのたびに、少年は声にならない悲鳴をあげていた。


「ふん」


 ハンスリーはのせていた足をどけると、しゃがみこんだ。そして、怯える少年の髪の毛をつかむとグイと顔を上げさせて、低い声で言った。


「それからな、オレ様が声をかけたらすぐに返事をしろ。殺すぞ」

「す、すびばぜん…………」


 少年はすでに涙目になっている。鼻からは血が滴り落ち、口のまわりを汚していた。

 ハンスリーはつかんでいた髪の毛から手を離すと立ち上がり、思いきり少年を蹴り飛ばした。


「ぎゃっ!!」


 吹き飛ばされ壁に叩きつけられながらも、少年はヨロヨロと起き上がり、再び頭を下げた。まわりの人々は助けることも声をかけることもできない。ただひたすら頭を下げるだけだ。


 ハンスリーはくるりと振り返ると馬車に乗り込んだ。そして、何事もなかったかのように御者に命令する。


「行くぞ」

「かしこまりました」


 馬車が再び動き出すと、丘の上の館に向かって去って行った。

 人々は、馬車が見えなくなるまで頭を下げ続けていた。



 魔王が倒されて5年──。



 世界は荒れていた───……。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る