第2話 下町の壁際で

 とある少女が宮廷楽師に成ったのは、本当に突然というしかなかった。


「本当に美しい音色だな」


突然聞こえた声に警戒し、少女は壁を背にして立ち上がる。


 毎朝、家の裏手にある外壁の側で暗いうちからリュートを弾くのが日課だった。


慣れない仕事ですっかり荒れた指。


お腹を空かせる弟や、瘦せこけた自分の身体を宥めるしかない日々。


それでも彼女は音楽を捨てることは出来なかった。


そのリュートは遠い土地から王都への移動途中ではぐれてしまった両親からの贈り物だからだ。




 王都の周囲を囲む外壁の東側には貧民が多く住んでいる。


少女が住んでいた町が突然他国からの襲撃を受け、多くの者が街を後にした。


当時七歳だった彼女は五歳年下の弟と二人で王都に辿り着いた。


一緒に移動して来た同郷の者たちが多く住む区域でひっそりと暮らし始め、ふた月が経った頃。


「どなたですか」


少女は周りを見回す。


明けきらぬ朝もやの中に黒い影が浮かんでいた。


「こんなところでかずに祭りの広場ででも演奏すれば多少の金にはなるだろうに」


影は黒い服を着た男性の姿となって少女を見下ろした。


平坦な声色でありながら、言葉には少女に対する気遣いが感じられる。


「結構です、お気になさらず」


元とはいえ貴族令嬢の矜持か、彼女は物乞いのようなことは出来ないと首を振った。


今は近所の子供たち数名で下町の小さな商店を回って掃除の手伝いをしている。


まとめ役の年長者がお金を集金分配する方式で、幼子の子守りなどは働けない近所のお年寄りたちが請け負う。


その日銭で命を繋いでいた。




「誇り高き令嬢というわけか。 だが、それだけでは生きていけないぞ。 お前さんも弟さんも」


少女はぎゅっとリュートを抱き締める。


「分かっております」


そんなことは重々分かっているのだ。


それでも、自分の心が求めるものはこれしかない。


「あなたには関係のないことです」


けわしい顔をする少女を見下ろす黒い服の男性はふっとため息を零した。


「関係……なくはないんだよな」


(自分が三年の間、仕事から離れたせいで他国の侵略に気付くのが遅れた。


そのために大量の難民が発生したのだから)


少女が首を傾げると、男性は「こちらの話だ、気にするな」と手を振った。




 そして男性は思いがけないことを少女に告げた。


「お前さんの音を生かせる場所がある」


毎朝外壁の側で聴こえる音は王都の警備兵の興味を惹いたらしい。


「俺は調査をして上司に報告した」


そこで男性は今回の依頼主から少女に会ってみたいと言われたそうだ。


フードを深く被っているため男性の表情は分からない。


「うまくいけば職を得て、弟と共に何不自由なく暮らせるだろう」


ポカンとする少女に男性は手を差し出す。


「どうだ、一緒に来るか?」


壊れかけていた少女の心はその男性にかれた。


(闇から生まれた……悪魔かしら)


それならそれでも構わない、そう思った。




 故郷での暖かい豊かな生活はもう望めない。


自分だけではこれから育っていく弟を養うことも難しくなるだろう。


危ないことに手を染める下町の少年たちに弟の姿を何度も重ねた。


少女は自分の小さな手を見て枯れたはずの涙が零れ落ちる。


大人びていても七歳の少女には重い。


もう疲れた、限界だった。


「連れて行って」


男性の口元が歪んで弧を描く。


「喜んで」


握られた手は革の手袋越しでも冷たかった。




 とりあえずは試験のようなものがあるらしい。


「目を閉じていろ」と言われぎゅっと目をつむり、手を引かれるままに歩き出す。


肌に感じる空気が少し変わった。


足元がふわふわする。


しばらくして足元が固くなったと思ったら、「いいぞ」と声をかけられた。


しかし、目を開けても暗闇のままだった。


パチンと音がして明るくなり、そこが小さな部屋の中だと分かった。


「少し待っていろ」


そう言うと男性は部屋を出て行った。




 窓一つ無い殺風景な部屋は狭く、粗末な寝台と机、書棚。


くるくると丸められた大小様々な紙が突っ込まれた箱が見えた。


掃除は行き届いているようだが、片付いているのかどうかは微妙。


 そんなことを考えているとバタバタと足音がして、バーンと扉が開く。


「おお、かわいいお嬢ちゃんだー」


入って来たのは浅黒い肌に白い髪、赤い瞳の戦闘民族ダークエルフの女性だった。


「ひっ」


少女が一歩引くと、後から入って来た黒い服の男性がダークエルフの女性の後ろ頭をパシッと叩いた。


「脅してどうするんです」


「えー、そんなつもりは。 とりあえず、こんなむさ苦しい所じゃなんだから移動しよ」


「自分の部屋なんですがね」


小さく呟いた男性が「分かりました」と少女を促して部屋を出る。




 そして広くて綺麗な部屋に案内され、ゆったりとしたソファに座るように勧められた。


この部屋の大きな窓からは陽が入り明るい。


少女が恐る恐るソファに座ると、目の前に妖艶な仕草で先ほどのダークエルフの女性が座った。


「じゃあ、説明させてもらうわね」


黒い服の男性はダークエルフの女性の後ろに立つ。


人数分のお茶を運んで来た豊かな胸の女性エルフが、ダークエルフの女性の隣に座った。


「要するにね。


引退する高齢の楽師がいるんだけど、このまま職を離れるとここから出ていかなきゃいけないの。


だけど長年住んでいたから今更生活を変えたくないってことでね」


事情説明するダークエルフの女性の横に座るエルフの女性も、


「我が儘なお爺さんなの~」


と相槌を打つ。 

 

「はあ」


「それでね。


才能ある弟子を取って教えるっていう建前で残ることにしたのよ」


「ああ」


少女はようやく飲み込めた。


「弟子ですか」


「そう、でね。


長くここに居るためには若い子のほうが良いわけ。


しかも住み込みなら、弟子の世話のために夫婦で今まで通り住めるの」


「なるほど」


頷いた少女にダークエルフの女性が畳みかける。


「もちろん、家賃なし、指導料もなし」


「どう?」とエルフの女性と二人で身を乗り出して詰め寄った。




 スパーンッと音がして、二人の女性が頭を抱えた。


椅子の後ろに立っていた黒い服の男性が二人の後頭部を叩いたようだ。


「いったーいっ!、何すんのよ!、上司に向かって」


ダークエルフの女性が叫ぶ。


「アンタねえ、結婚して子供まで出来たからっていい気になってんじゃないわよ!」


とエルフの女性が怒りに任せて黒い服の男性のフードを取った。


そこに現れたのは黒い髪のエルフの男性だった。


 少女がポカンとしているとエルフの男性がため息を吐いた。


「こっちの都合ばかり話してもダメでしょ。


彼女の収入と家族を呼んでも良いってところも話してあげてください」


練習以外の時間は老楽師の家で使用人として働くことになるそうだ。


「それと先輩。 自分の妻と息子のことは今ここでは関係ありませんよ」


無表情で二人の女性をいなした男性が少女に微笑む。


「では、師匠にあなたの腕前を披露しに行きましょうか」


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