第3話 王城内の家で
そこが王城の一部であることを後で知った少女は驚きながらも無事に宮廷楽師の弟子となった。
あれから十年、今でも師匠夫婦の家に弟と一緒に住んでいる。
師匠夫婦は姉弟をたいそう気に入り、実の孫のように可愛がって大切に育ててくれた。
「お師匠様、行ってまいります」
「ああ、気をつけてな」
十七歳、すっかり大人の女性になった灰色の髪の少女はふふっと微笑む。
「王宮の中で行われる宴ですよ。 何も心配するようなことはございませんのに」
今晩催される宴に彼女も一人前の楽師として参加する。
「何を言っておる。 今夜は独り身の者ばかりが集まる出会いのための宴じゃ。
もしや誰かに目を付けられるやもしれん」
師匠であるおじいさんが眉を寄せて心配している。
「そうですよ、姉様。変な男に引っかからないよう気をつけてください」
まだ未成年で宴に参加出来ない弟が頬を膨らませた。
師匠の妻もウンウン頷いている。
「皆、心配してくれてありがとう。 でも大丈夫よ」
宮廷楽師団の美しい一輪の花と噂される彼女は、にっこりと微笑んで出かけて行った。
☆ ☆ ☆
「ねえ、父さん」
その夜、エルフの少年は久しぶりの休暇で家でのんびりしている父親に声をかけた。
「ん-?」
商人である父親はこの王宮内にあるエルフ用売店の仕入れを担当している。
かなり遠くまで出向くこともあり、月の半分も家に帰らない。
宮廷魔術師の母親は今夜、王宮の広間で開催されている独り者限定の宴の警備に駆り出されているため遅くなると聞いていた。
「あのさ、えっとね」
少し言いにくそうにしている息子に気付き、父親は手元に広げていた本を片付けた。
「なんだ。 何かあったのか?」
父親は、自分たち夫婦が原因で息子が上司に目を付けられていることは知っている。
確かに勝手に休んで、そのまま三年も消息を絶っていたのは事実であるが、その件についてはすでに処分は済んでいる。
そんな十年も前の話を王宮内で未だに引きずっているのは別の理由もあるのだ。
「また王女様が無茶ぶりでもしてきたのか」
「父さん、その言い方は不敬だよ」
この国の王様には娘が一人いる。
国王は人族だが王妃がエルフ族で、ふたりの間に生まれた王女もエルフだ。
まだ八歳の王女はたいへん愛らしく、国王夫妻はもとより王城内で働く者や国民にも絶大な人気がある。
「だけどお前が王女様のお気に入りなのは本当だろう?」
何かにつけ、ただの下働き見習いであるエルフの少年を呼びつけるのだ。
そのため少年は王宮内で働く多くの者から羨ましがられ、
何故気に入られたのか、少年にも分からない。
ただ少年の父親とまだ王太子だった頃の国王様は割と仲が良かったらしい。
「いや、ただの主従関係だったと思うが」
父親は首を傾げる。
黙って言うことを聞く、おとなしい配下だと気に入られていたのかも知れない。
無茶振りされて、よく
そうでなければ、いくら優秀であったとしても脱走兵として手配されていても不思議ではなかった。
(まあ、そうなっていたら戻るつもりはなかったんだが)
幼子を連れて戻った黒髪のエルフを王太子はすぐに受け入れた。
その後王太子は、エルフ族の王の娘と婚姻、王女が誕生して今は国王となっている。
「まあ、大人の事情っていうものがあるんだよ」
そう言って父親は頭を掻いた。
「とにかく、王女様は父さんと国王様が仲良さそうなのを見て、『私にもそんな友人が欲しい』なんて言い出したって聞いたよ」
王宮にもエルフはいる。
彼らの多くは兵士だが、弓兵が多いので王女の護衛には向かない。
「エルフであり、護衛も出来るとなると、魔術も体術も出来るお前が選ばれたということだろうな」
父親は、あの王太子の頃から策士だった国王が考えそうなことだとため息を吐いた。
少年はしばらくの間考え込んでから口を開いた。
「ねえ、父さんと母さんってどうやって知り合ったの?」
二人が同じ王城内で働いていたのは知っているが、詳しいことは祖父母に訊いても分からなかった。
「あー、そりゃあ、あの出会いの宴だよ」
今夜も催されている。
この国では身分や職務の差別なく恋愛結婚が推奨されていて、毎年行われているのだ。
「どっちが先に好きになったの?」
少年の頬が少し赤い。
もうそんな年齢になったのかと父親は感慨深く微笑む。
「どっちだろうな。 そこは相手にも聞かないと分からないな」
おそらく自分が先だろうとは思っていても口にはしない。
「どうした、好きな
ニヤリと父親の口元がほころぶ。
それを見た少年はますます顔を赤くしてそっぽを向いた。
「か、関係ないだろ」
ぷっと噴き出した父親がケラケラと笑い出す。
「まあいい、気になる女の子がいてもいい年頃だしな」
笑いが収まると父親はニヤニヤしながら少年を真っすぐに見た。
「な、なんだよ」
少年は少しだけ後ずさる。
この黒髪のエルフは時々わけの分からないゾクリとする威圧を放つ。
その笑顔が少年には不気味に感じられた。
☆ ☆ ☆
黒髪のエルフが魔術師の女性と結婚したのは、元はといえば当時の王太子の命令だった。
王宮の影、王太子の直属である諜報部隊。
その中のひとりである黒髪のエルフは情報収集が主な仕事だ。
それなのにある日突然、魔術師の女性の監視と護衛、ついには誘惑しろと言い渡されたのである。
王族の命令は絶対だ。
だからこそ、理不尽さに反発した。
(まあ、相手が彼女じゃなかったら結婚なんてしなかったと思うけど)
式を上げた後、当時はまだ噂でしかなかった異種族間でも子供が授かるという迷宮へ向かった。
そして息子という実績を見せつけるために王宮へと帰還し、誰も文句を付けられない報告書を提出。
三年もの長期休暇をそれで認めさせたのである。
夫婦は元の部隊に戻り、王太子は後継が出来にくいと反対されていたエルフの姫を妃に迎えられた。
この黒髪のエルフの功績は一部の者しか知らない。
☆ ☆ ☆
自分の部屋に戻った少年の耳には王宮の宴の音楽が聴こえてくる。
窓から王宮の方を見ると、暗い夜空に宴のある辺りだけ明るい光が溢れていた。
もうそろそろお開きになる時間だろう。
最後のダンスを誘うために音楽が一層大きくなる。
「参加者はいいけど、楽師はどうなんだろう」
楽師も独り身の者でなければ広間に入れない。
彼らにとっても出会いの場なのだ。
自分の部屋の窓から王宮を眺めていた少年は何故かムズムズする身体を抑えることが出来なかった。
(少しだけ様子を見てこよう)
こっそり部屋を抜け出す。
この家はいつもなら防御の結界が張られているが、今夜は母親が遅くなるため、まだ出入りは自由だった。
少年の頭の中には、リュートを奏でる灰色の髪の女性の姿だけが浮かんでいた。
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