誰も知らなくてもいい恋の話 2
さつき けい
第1話 広間の片隅で
ある国の王宮で、その夜は舞踏会が開かれることになっていた。
催される予定の舞踏会は、王城内で働く未婚の男女を引き合わせるための、いわゆる出会いのための宴である。
まだ午後早い時間。
現在は会場の設営が行われていた。
「これはどちらに?」
「ああ、ここへ置いてくれ」
城内で働いている未成年の見習いたちのうち、ニ十人ほどが大人の指示に従って広間を走り回っている。
その子供たちの中にひとりのエルフの少年がいた。
「おい、何やってんだ!。 こっちだこっち」
「はいっ」
その少年は容姿が目立つ上に、同じ王城内で働いている両親が揃って無断で職場を離れた経歴があるため上司からは目を付けられている。
そんな状態に巻き込まれたくないと、周りの同年代からは距離を置かれていた。
少年は物心ついたころから、人族の母親から魔法と体術を、エルフである父親から精霊魔法を学んだ。
両親の近くで働きたいと王宮に申し出て、十歳から下働きの見習いになった。
十三歳になった今でも心身の鍛錬は欠かしていない。
体力も魔力も同年代には負けないつもりだ。
汗一つ掻かずに淡々と力仕事もこなしていく。
準備が進む広間の隅で、飾りを壁や天井に吊るし終えた少年は一人で後片付けをしていた。
「まだやってるのか。 魔法灯の確認もしておけよ」
「はい」
見習いの指導を担当する文官がわざと足元の飾りを蹴り飛ばして離れて行く。
その後姿を睨んでいると、広間にはもうそれほど見習いたちが残っていないことに気付いた。
(そういえばもう終了の時間だな)
皆がもう引き上げて行ったのだと知ると、ふいに疲労を覚えた。
昼食後から休みなく働かされ、もう外は夕闇が迫っている。
(暗くなる前に魔法灯の点検しないと)
高所にある照明用魔道具は身の軽いエルフの少年の担当である。
風の精霊を呼び、フワリと宙に浮く。
少年は天井と壁を移動しながら、目の前の
ようやく確認が終わり、天井に吊るされた豪華な照明具にそっと腰掛ける。
「それにしても腹減ったな」
会場内を見渡せば見習いはほぼ姿を消し、料理や食器の搬入が始まっていた。
(そろそろ戻らないと)
そう思いながらもぼんやりと下を眺める。
身体は疲れているわけではないが、動く気力がどうしても湧いてこない。
(後は戻るだけだし、一人くらいいなくても大丈夫だろ)
王宮の仕事は嫌いではないが、他人の嫉妬や恨みは邪魔くさい。
ぼうっとしていると、ガヤガヤと数名の黒い服の一団が広間に入って来た。
(ああ、宮廷楽師たちか)
今夜の宴で演奏する楽師たちである。
手に手に楽器を持ち、男女共に揃いの礼装に身を包んだ彼らは見習いたちが用意した場所に向かう。
やがて弦の音や笛の声が細く、静かに、唸るように、聞こえ始めた。
音楽は嫌いではない。
少年は彼らの邪魔にならないよう身動きせずにただその様子を眺めていた。
☆ ☆ ☆
エルフの少年が両親に連れられて、生まれ育った田舎から王都にやって来たのは十年前、三歳の時だった。
中央広場に近い一等地に人族である母親の両親、祖父母の店兼住居がある。
何の連絡もなく三年以上も消息を絶っていた娘夫婦の帰還。
少年の父親は祖父母に頭を下げ、母親は幼子を差し出して許しを
「もっと早く連絡を寄越しなさい。 まったくあなたときたら。
まあまあ、なんて可愛らしいの!」
涙ぐむ祖母は娘を叱りながら、幼子を抱き寄せた。
「三年の間、何をやっておったんだ。 結婚して、さらに子供までいるとは。
今さら仕方がないだろう、さあ、入りなさい」
厳格そうな祖父は、黒髪のエルフをほんの少し睨んだが、幼子を見て相好を崩した。
そうして少年と両親の三人は、しばらくの間その祖父母の家で世話になることになったのである。
その後、無事に両親は王城内の元の職場に戻り、幼子は祖父母に預けられて育った。
祖父母の店は王都の中心広場に近く、そこは住民のための娯楽や公共の施設が集中している場所だ。
忙しい両親に代わり少年をかわいがっている祖母は演劇場がお気に入りで、子供用の演目の時は連れて行ってもらったこともある。
家と劇場が近いため、楽団員の練習音もたまに聞こえてくる環境だった。
そして少年は十歳の時に見習いとして王宮で働くようになり、現在は家族三人で城内にある借家に住んでいる。
☆ ☆ ☆
楽師たちの練習が始まった。
エルフの少年はしばらくの間、ぼんやりとそれを見ていた。
少年は人族とエルフ族との間で産まれたが、種族的にはエルフだ。
種族の特性であるエルフの尖った耳は聴覚に優れていることを表している。
(いい音だな)
宮廷楽師たちの音は劇場の楽団員たちとは少し違う。
王族専属であるためか激しい主張がなく、ただただ優しい音だった。
そして少年の耳はある人族の楽師の音を捉えた。
(なんて美しい音色なんだ)
まだ若い女性。
リュートと呼ばれる楽器の弦を爪弾く彼女の指を少年はただじっと見つめている。
(どうやったらあんな音が出るんだろう)
思ったより身を乗り出してしまい、照明具が大きく揺れた。
「うわっ、しまったー」
カランシャランと照明器具を揺らしてしまい、少年は天井から床へと飛び降りる。
「きゃああ」
ずっと見ていたせいか、あの女性のすぐ近くに着地してしまった。
極力大きな音は立てないようにしたつもりだが、
「す、すみません!、驚かせてしまって。 お怪我はありませんか?」
と、謝りながら間近で彼女の顔を見る。
見開いた灰茶の瞳、艶やかな淡い灰色の髪をキチンと結い上げ、薄く化粧した白い肌と薄紅の唇。
「あ、はい。 大丈夫ですわ」
上品そうな振る舞いにどこかの貴族令嬢なのだろうと予想する。
王宮専属の楽師は身元の確かな者しか成れない。
元々楽器自体が高級品で簡単に手に入らないので、それを弾ける者といえば金持ちか身分が高い者、または彼らに見い出された才能のある者しかいないのである。
明らかに彼女は前者だろうと思われた。
楽師たちに冷ややかな目で見られながら少年は慌ててその場を去る。
もう少し聴いていたかったが未成年である見習いたちには宴の参加資格はない。
少なくとも成人であること。
そして何らかの優秀な成果を上げた者であり、婚約者等の決まった相手がいないことが招待条件となっている。
「あと二年。そしたら僕も参加して、あの音をずっと聴いていられるのかな」
今度、両親に聞いてみよう。
少年は「辞めたい」と思っていたことなど忘れてニヤニヤしながら戻って行った。
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