第6話 食堂の中で

 エルフという種族は中性的で性別が分かりにくい。


その上、長命種族であるため本当の年齢も判断が難しい。


そのエルフの少年と少女の姿はまるでそこだけが違う空間、一幅の絵画のようだった。


「さて、耳の保養をさせていただき、ありがとうございました。


そろそろ本来の仕事に戻らせていただきます」


そう言ってお茶のカップをテーブルに戻した少年が立ち上がる。


 エルフ族の平均的な背丈は人族よりも頭一つ高い。


成人前である彼の背丈はエルフ族としては低いのだが、人族の大人の男性とほぼ変わらなかった。


しかもいつもの見習い用の制服ではなく、きちんとした高級そうな服を着ている。


今朝会った時とあまりにも違う雰囲気の少年に、楽師の女性は何故か胸が騒いで落ち着かなかった。


「え、まだいいじゃない。 仕事なら私がお父様にお願いしてー」


すがろうとする王女に対し、エルフの少年は優雅に優しい笑みを浮かべて拒絶する。


「ありがたいお申し出ですが、私は自分の仕事に誇りをもっておりますので」


王女の手を取り、その甲に軽く口づけを落としたエルフの少年は、にこやかな笑みを崩さないまま部屋を出て行く。


部屋にいた女性たちは老若関係なく、そのエルフの少年が出て行く姿をボーッと見送っていた。




 ピアノの指導が終わり、若い楽師の女性は王女の部屋を辞して廊下に出る。


ふう、と大きく息を吐きながら廊下の窓から青い空を見上げた。


今日はせっかく新しい楽器に触れられたのに、あまり集中出来なかった。


「お師匠様がいない日で良かった」


本当はそんな問題ではないのだけれど。


「さて、お腹も空いたし」


気を取り直して城内の食堂に向かうことにする。


いつもなら師匠の家に戻って食べるのだが、今日は家には誰もいないので食堂にした。




 楽師の女性は宮廷楽師団の中では最年少であり、貴族でも裕福な商家の娘でもない。


引退した楽師の弟子になって十年になるが友人と呼べる者もいなかった。


そのため食堂ではポツンと一人で座っている。


「ここ、よろしいですか?」


楽師の女性が顔をあげると宴の時に声をかけてきた男性だった。


昼食の時間としては少し遅めであるため人影はまばらで、人間違いでもなさそうである。


「あ、はい。 どうぞ」


向かい側ではなく隣に座った満面の笑みの男性に対し女性のほうは少し引き気味である。 


どっしりとした体格に、どう見ても悪趣味な煌びやかな服を着ている。


宴の時は気にならなかったが普段からこんな格好をしているとは正気を疑ってしまう。


「いやあ、ここで君に会えるとは。


宴の時はゆっくりお話も出来ませんでしたからな」


確か、この男性は音楽について語り合いたいと言っていた。


「高尚な音楽について、なかなか話が合う者がおりませんでねえ。


王宮に出仕しているというのに嘆かわしい者ばかりだ」


やれやれ、と大袈裟な仕草で話し出す。


「は、はあ」


楽師の女性はどう返事を返していいか分からなかった。




 一方的に話をする男性に曖昧な笑顔で相手をしつつ、あまり食べた気がしない食事を終える。


「では失礼します」


そう言って立ち上がった女性の腕を男性が掴む。


「君はなかなか見どころがある。 私の専属楽師にしてやろう」


「は?」


何のことか分からず、女性が唖然とするうちに立ち上がった男性が彼女の腰を抱いた。


「きゃっ」


ガシャン!


驚いた女性が食器を取り落とし、食堂に居た者たちの視線を集める。


チッと舌打ちをした男性が「誰か早く片付けろ」と叫ぶ。


その腕に楽師の女性をガッチリと抱えたまま。


「はい、すぐに」


見習いの少年の声がした。




「離してください」


楽師の女性は身をよじって何とか男性の腕から逃れようとした。


「ふふふ、ありがたく思え。


平民の、しかも貧民上がりの君を召し抱えてやろうと言うのだからな」


男性は周りに聞こえない程度の声で女性に囁いた。


「なっ」


宮廷楽師の雇い主は王族だ。


そんなことも知らない貴族がいるだろうか。


「卑しい身分のくせにこんなに美しいとは、よく見つけたものだ。


君もあの老ぼれ楽師では満足出来ないであろう?」


ああ、下衆な笑みを浮かべるこの男性は音楽などどうでもいいのだ。


ただ彼女を自分のものにしたいだけ。


楽師の女性は師匠に対する侮辱への怒りで身体が震え、脚に力を込めた。




 その女性が男性の足を踏みつけるのと、見習いの少年が男性の腕を捻じ上げたのは、ほとんど同時だった。


「ぎゃああ」


「すみませんが掃除の邪魔です。 出てってください」


冷たい少年の声が食堂内に響く。


痛いと喚き散らす男性に目もくれず、モップを片手に散らばった食器を片付け始める。


「ごめんなさい、手伝うわ」


女性がしゃがみ込もうとすると、また男性が腕を掴む。


「そんなものは下働きに任せればいい。 お前はこちらに来い」


しかし、楽師の女性との間に掃除用モップが割り込んだ。


「ああ、あなたも手伝ってくださるんですか」


少年が男性にモップを押し付ける。


「バ、バカにするな。


貴族に対してそんな態度を取ったらどうなるか、分かってるのか!」


少年は男性が放り投げたモップを掴むと同時にその柄を男性の脚に絡ませた。


「うおっ」


ガシャガシャン


大柄な男性が体勢を崩して派手に倒れた。


「どうした?、何かあったのか」


人の少なかった食堂に厨房や廊下から人が集まって来る。


慌てた男性が「覚えてろよ」と捨て台詞を吐いて逃げて行った。




 下働き見習いのエルフの少年は大きなため息を吐いた。


「なんなんだ、あのバカは」


ブツブツ言いながら手を動かして手早く片付けていく。


「ごめんなさい、巻き込んでしまって」


楽師の女性は俯いて謝罪する。


少年は何も言わず掃除用具を片手に食堂を出て行った。


「あ、あの」


食堂裏の倉庫に入って行く少年を女性は急いで追いかける。




 女性が倉庫に入った途端にパタンと扉が閉まった。


「くくっ、あっはははは」


エルフの少年が突然、堪えきれないというように笑い出す。


「ねえ、見た?、あの格好。 すげえかっこ悪」


子供らしい口調で喋り出した少年に女性はポカンとする。


そして腹を抱えて笑い続ける姿を見ているうちに釣られて笑ってしまう。


「うふ、うふふ、本当にあの服が似合っていなくて笑えました」


「だよねー」


着る者と場所によってはお洒落な服なのにもったいない、と二人の意見が一致する。


ひとしきり笑い、気が済むと女性はもう一度謝ろうとしたがそれは止められた。


「でもまたあの貴族が何か言ってきたら」


これで終わればいいが、相手が執念深い貴族だと厄介である。


「あー、そこは気にしなくていいよ」


女性の心配をよそに少年は自信ありげにそう言った。


(ああ、そういえば、彼は『王女様のお気に入り』だった)


あの王女様が何とかしてくれる、のだろう。


先ほどの王女の部屋での少年の姿を思い出して、楽師の女性の胸がズキリと痛んだ。


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