第7話 あなたのとなりで

 三日後、楽師の女性の家での朝食の時間。


今日は師匠夫妻と弟に加え、エルフの少年も加わっている。


いつものように早朝の練習を聴きに来た少年を先日のお礼も含め招いたのだ。


エルフの少年とあまり年齢が違わない弟は顔見知りではあるらしい。


最初は驚いていたが別に嫌いな相手ではないと頷いてくれた。


 エルフの少年の両親は王宮勤めだが忙しく、家族が朝食に揃うことはあまりない。


「うちは父が商人だから仕入れの関係で月の半分も家にいないんだ。


そうなると家事が苦手な母はこれ幸いとさぼるわけ」


「まあ」


師匠夫妻は彼の両親を知っているようで、顔を見合わせて苦笑いしている。




 食事の後、エルフの少年が口を開いた。


「あ、そうだ。 あのバカは王宮から追い出されたみたいだよ」


『あのバカ』とは楽師の女性に言い寄った悪趣味な服の男性のことである。


「そうなの」


楽師の女性は思い出したくなかったようで嫌そうな顔をした。


師匠は笑いながら少年に教えて欲しいと頼んだ。


 少年は、弟子の女性に睨まれながらもざっと簡単に説明する。


師匠に対する暴言はしれっと誤魔化していた。


「で、そいつは最近来た他国の大使だったみたいで、今回のことで国元に送り返されたようだよ」


もうこの国にはいないという。


「そうか、良かったの」


険しい顔で聞いていた師匠夫妻は安心したように微笑んだ。


この件を処理したのは少年の父親である黒髪のエルフだろうと分かっていたが、老夫婦が口にすることはない。




 王宮の建物の前で楽師の女性と別れ、その弟とエルフの少年は仕事場へと向かう。


「ん、なに?」


並んで歩いていたが、チラチラ見られるのは慣れているエルフの少年でもさすがに気になる。


「あ、ごめんなさい。 君と姉様ってどういう関係なのかなと」


気弱そうな弟にエルフの少年は返答に悩む。


姉によく似た灰色の髪と、姉よりも濃い灰茶の瞳。


「別に、特別な関係じゃないよ。 僕はあんたのお姉さんの音が好きなだけ」


そう、それだけ。


そのはずなのに、他の男性が近づくと腹が立つ。


自分が四歳も年下であることが苛立たしい。


「あんただって嫌だろう、エルフ族との付き合いなんてさ」


エルフ族は傲慢で人族を見下していると言われている。


少年も何もしていなくても『睨まれる』ことは何度もあった。


「そんなことない」


謎の自信で弟が真っ直ぐにエルフの少年を見つめた。


「姉様の音を好きだと言ってくれてうれしいです。


姉様の音が好きだってことは、(僕と同じで)あなたも姉様のことを好きなんでしょう?」


ニコッと笑った弟は「じゃ、また」と駆け出して行ってしまった。


唖然とした顔のエルフの少年を残して。




 楽師の女性は今日も王女の部屋に向かいながら考える。


追放されたあの男性が騎士だったり相手が複数人だったら、あんなにうまくいっただろうか。


エルフの彼が怪我をしたり、王宮での仕事に差し障りが出たりしたかも知れない。


(それでも彼は私を守ってくれたかしら)


少年が自分のために戦ってくれたことがうれしかった。


だけど、例え王女様が彼をかばったとしても命を落としてからでは遅いと考えると恐ろしくなる。




「失礼いたします」


王女の部屋に入りエルフの少女を見た途端、楽師の女性はハッとする。


(ああ、この可愛らしい姫様のためになら)


この国のため、王女のため、王宮内の揉め事は困る。


あのエルフの少年もそうなのだ、と。


「どうなさったの?」


高齢の楽師の女性が戸惑っている。


「え?」


ハンカチを差し出され、若い楽師の女性は自分の頬の涙に気付いた。


「も、申し訳ございません」


あたふたし始めた王女が叫ぶ。


「兄様を呼んで!、早く!」




 しばらくして仕立ての良い服に身を包んだエルフの少年がやって来た。


「殿下、今日はいったい何ですか」


迷惑そうに顔を歪めていた少年が楽師の女性を見て固まる。


泣きはらした赤い目で、ハンカチを握りしめていた。


「だ、誰が彼女を……」


未成年とは思えないほど低く怒りのこもった声で周りを睨む。


少年の剣呑な雰囲気に王女も高齢の楽師の女性も慌てて首を振る。


「違う、違うの」


楽師の女性が不敬な少年の態度に慌てていると、その足元にエルフの少年が跪く。


そして少年は心配そうに彼女の顔を見上げた。


自分ひとりしか映っていない紫水晶の瞳を覗き込んで、楽師の女性が息を呑んだ。




「ちょっと!、兄様。 なんで二人だけの世界になってますの。


ここは私の部屋ですのよ」


「仕方ないだろ。 お前は大切な妹だが、この女性はそれよりも大切な僕の『音』なんだから」


はあっと誰かが大きなため息を吐いた。


「そこの見習い、姫殿下の作法指導は本日は休みとします。


さっさとその女性を連れて出て行きなさい」


王女専属侍女が困った顔を隠すように厳しく言い放つ。


少年のぞんざいな口調は今回に限り見逃されたようだ。


「へっ、いいの?」


今日はもう楽器の練習は無理だろうと判断されて、楽師の女性はエルフの少年と共に部屋を追い出された。




 エルフの少年は楽師の女性の手を引っ張って歩いて行く。


「あの、王女様のお兄様なの?」


女性の問いかけに少年は立ち止まらずに答えた。


「そんな訳ないでしょ。 そういう設定で王女様の相手をさせられてるんだよ」


同じエルフ族というだけで兄妹設定なのだと愚痴を言い始めた。


 森のエルフは村単位で子育てをする。


村の子供たち全てが兄弟として育つので、エルフ族にすれば同じ王宮で育つ二人が兄妹というのは別におかしなことではないらしい。


「そうなの」


「まあ、僕も王女様のことは我がままな妹としか思ってないけどね」


だけど、呼び出される度に高級な服に着替えさせられるのには辟易へきえきしていると苦笑した。




 王宮の庭に出ても歩き続け、宴の時に通った噴水の辺りに出た。


そのまま二人で噴水の縁に腰かける。


繋いでいた手を離してもらえず、楽師の女性は少し困っていた。


でも自分から離してしまうことも出来ず少年の様子を窺う。


「あのさ、うちの両親も王宮で働いてるんだけど、あの独り者の宴で知り合ったんだって」


そう言って会場になっている建物を見上げると、楽師の女性も同じ方向を見る。


二人とも変わり者だから出会いがなかったみたいだと笑う。


「でも宴で出会って結婚されて、あなたがいるわ」


楽師の女性は行方知らずになっている自分の両親を思い出していた。


「うらやましいです」と寂しそうに微笑む。




「僕は」


少年は楽師の女性の横顔を真っ直ぐに見つめる。


「早く大人になりたい。 そして宴に参加して、あなたの側に行く」


「え?」


真剣な眼差しに女性の顔が赤くなる。


彼が楽師の女性の紡ぎ出す音色が好きだということは何度も聞いた。


それでも訊いてしまう。


「どうして?」


彼の言葉を信じていないわけではないけど、どうして好きなのか分からない。


「自分でも分からないけど……あなたの『音』が好きだ」


少年は頬を赤くして俯く。


「それだって、あなたの一部だから、僕はあなたが好きなんだと思う」


彼女の弟もそう言ってた。


「だから、いつもあなたの音が聴きたい。 ずっと、これからもずっと傍で」


顔を上げたエルフの少年の麗しい顔に潤んだ紫水晶の瞳はズルいと思う。


「迷惑かな?」


女性は「いいえ」と首を振る。


自分の出自しゅつじが怪しいために大切な人たちにたくさん迷惑をかけてきた。


だから、たまにくじけそうになる。


でも彼なら一緒に立ち向かうことが出来そうだと思う。


「あなたがそう言ってくれている限り、私は大丈夫な気がするわ。ありがとう」


彼女の微笑みが哀しく見えて少年は思わずその手を強く握った。




 そして顔を寄せ、自分の唇で彼女の唇に触れる。


「忘れないで、待ってて。 僕が追いつくまで」


きっとすぐに追いつくから。


小さく頷いた肩を少年はやさしく抱き締めた。




 昼食を一緒にと、少年は自分の家に女性を招待した。


「あれ、父さん。 珍しいね」


「お前が女性を連れて来ることほど珍しくはないよ。


いらっしゃい、お嬢さん」


年齢不詳の黒髪のエルフを見て楽師の女性は驚いて固まる。


少年が食事の用意で席を外した隙に、その父親はそっと『私とのことは内緒だよ』と目配せしてきた。


女性は声を出さずに微笑んで頷く。


それは決して忘れたことのない彼女の恩人であり、初恋の男性だった。





         ~~終わり~~


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誰も知らなくてもいい恋の話 2 さつき けい @satuki_kei

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