代償

 愛する人を守りたかった。この先、何を犠牲ぎせいにしてでも。

『……ほう。では、この悪魔に何をささげる?』

 愛する人を守るために、俺は残りの人生の半分を悪魔にあげた。




「……誰か、誰か助けて! 誰か……!」

 彼女に付きまとっていたストーカーが家の前で待ち伏せをし、彼女に乱暴しようとしたらしい。

 俺は左足の機能を悪魔にあげた。たとえ片足が動かなくなっても、もう片方の足が残っている。つえを使って歩けばいいだけだ。ストーカーは彼女の前からいなくなった。

「……急に左足が動かなくなるなんて。変な病気ね。でも大丈夫よ。私がずっと隣にいるから。両足が動かなくなっても、私が車椅子を押してあげるからね」

 彼女が言う。

 俺は幸せだった。

 この人をずっと守りたいと、さらに強く思った。




 けれど何日かして。彼女が通勤に使っている電車が脱線だっせんしてひっくり返った。

「まだ中に何人か取り残されてるぞ!」

 救助された人たちの中に彼女の姿はない。俺は右腕の機能を悪魔にあげて、彼女を助け出した。

「奇跡的にどこも怪我してなかったって。でもどうしてかしらね。あなたの右腕が急に動かなくなるなんて……あなたが助けてくれたの?」

 俺は首を横に振る。神様が守ってくれたんだよ、と彼女に言った。

 彼女に嘘はつきたくなかったが、悪魔に体の機能をあげたから、とはとても言えなかった。こんな嘘ぐらいならば、神様もきっと許してくれるだろう。

「……腕が動かなくなっても、私がそばにいるからね……」

 彼女は動かなくなった俺の右腕を握りしめて、ぼろぼろと涙を流し始めた。

 残った腕で彼女を抱き寄せる。

 さらにこの人を泣かせまいと、強く思った。




 それから何週間が過ぎて。動かなくなった腕にも慣れてきた頃。

「女性が刺された! 誰か、救急車を‼」

 職場から帰っている途中、彼女が通り魔に刺された。腹を刺されて重体じゅうたいだと、電話口から聞かされる。

 耳に当てているスマートフォンが俺の手から滑り落ちる。

 俺は両目の視力を悪魔にあげて、彼女の意識を取り戻した。

 彼女の姿が見えなくなっても、心の中に彼女と過ごした思い出がある。頭の中に彼女の姿が刻まれている。だから、それでいい。




 しかしそれでも、彼女に災厄さいやくりかかる。俺はそのたびに残った腕を、足を、耳を、声を、内臓を、残りの人生を悪魔にあげて彼女を救った。

 ある日悪魔が言った。

『お前が守りたい人間は、災厄さいやくほしのもとに生まれている。この先、お前が持つものでは到底とうていわないほどの災厄だ。さて、どうする?』

 俺は自分の魂を悪魔に渡し、その日から俺は死人しにんとなった。




「……急にいなくなってもう十年よ。もう、どこにいるのよ……。せめて最後に、何かひとことでも言ってくれたらよかったのに。生きているなら、帰って来てよ……」

 俺は家に帰る。彼女が待っている家へと。何を捨てても守りたい人がいる、あの家へと帰る。自分の体を引きずって。

「……ひっ! あ、あなた、誰よ……!」

 家に入ると、彼女がおびえた目で俺を見た。

「ち、近寄らないで! こっちに来るな!」

 どうしてそんなに逃げる。どうしてそんなに怖がるんだ。なぁ、どうして……。

「ば、ばけもの……」

 彼女の目に俺の姿が反射する。

 くさった体。骨まで見えた腕、足。こぼれる目玉。生きた人間とは到底言えないような存在。

 そして俺は感じる。苦しいほどの、のどの渇きとえを。




 悪魔が言った。

『……ああそうだ。一つ言い忘れていたが。悪魔は時に嘘をつく。貴様は面白いほど何もかもを私にくれた。そして最後には自身の魂までも。何を捨てても守りたい存在がいるからと言って、気軽きがるに、悪魔に何かを捧げると言わないことだな、人間』




 守りたかった人の肉はうまくて、止まらない。

 おれは何をしたかったのだろう。彼女を、彼女を守りたかったはずなのに……。

 彼女の肉に涙が落ちる。俺の涙だ。それが舌を通って、肉の味と一緒に涙の味を伝えてくる。うまい。うまい。ああ、止まらない。

 何をしてでも、何を犠牲ぎせいにしてでも守りたかった人の肉をむさぼり食う俺に、悪魔の笑い声が降り注ぐ。

 幸せが詰まった俺たちの家に、彼女との思い出が詰まったこの家に、悪魔の笑い声がいつまでも響いていた。

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暇つぶしシリーズ 萩月絵理華 @hagizuki_wanwan

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