真白の森に住む魔女

空草 うつを

真白の森に住む魔女

 柳の木を編み込んだバスケットには、溢れんばかりの古本が積まれていた。そのバスケットに手をかざすと、まるで綿菓子のようにふんわりと宙に浮き、そよ風に流れる雲のように穏やかに宙を進んだかと思うと、少女の近くのテーブルに落ちた。

 その瞬間、バスケットはもとの重さを取り戻し、重々しい音と共に幾つか本が床に落下した。


「母さん、ちょっと重すぎない?」


 床にばらまかれた本を拾い集め、少女は嫌悪感にまみれた顔で部屋の奥を睨んだ。視線の先にいた母親は、悪気はなかったのだろう、


「半年に1回でしょう? そのくらい持っていかなければすぐに読んでしまうわ」


と少女に向かって微笑んだ。全ての本を拾い集めると、少女は呆れ顔のままバスケットに手をかざし、宙に浮かせたまま歩きだした。


「気を付けてね、アドリ」


 歌うような母の声音を背に受け、少女―アドリ―は玄関を出ていった。


 暖かな陽気と麗らかに咲き誇る草花の群れに、母への苛立ちはいつの間にやら消えていた。玄関近くに立て掛けられた箒を手にし、バスケットの取っ手を箒の柄にくぐらせる。

 アドリは箒にまたがると、軽く足で地面を蹴った。体は宙に浮き、空を滑るように箒はアドリを乗せてぐんぐん上昇していった。


 目下の景色は、空を進む度に変わっていく。青緑色の草原、煉瓦造りの家々、牧草を頬張る牛達、楽しそうに走りまわる子供達―――。

 やがて、アドリの目の前に、白々とした岩肌の山が見えてきた。山は年中霧に覆われ、常に冬のような寒さが籠っている。ひとつ身震いをし、アドリは岩山の切れ目に向かって慎重に進んでいく。


 狭い切れ目も霧が立ち込め、音をたてて流れ込む北風が容赦なくアドリに吹き付けている。岩肌にぶつからぬよう、北風に負けじと箒にしがみついた。


 切れ目をぬけると一気に霧が晴れ、一面、雪のような白い世界が広がっていた。草も花も、木々も土も、全てが白く吸い込まれそうになる。

 その世界の入り口には、頑丈な白い岩の砦が築かれ、甲冑を纏った門番が行く手を阻んでいた。

 箒から降り、バスケットを浮かばせて門番のもとへ近寄った。門番はアドリに敬礼すると、威勢の良い野太い声でアドリに話しかけた。


「ここから先はホワイト・ウッドです。失礼ですが、お手荷物を確認させてください」


 門番は、宙をさまようバスケットに手をかけ、中の本にその手をかざした。ホワイト・ウッドでは魔力を持った物の持ち込みを禁止しており、門番は検閲のために砦で待機しているのだ。


「魔力を持った物はありません。ご協力ありがとうございます。ご訪問先とお名前をお願いします」


「私はアドリ・ベネジェラです。行き先はトワト・エバルの所です」


 門番はどこからともなく分厚い本を取り出すと、アドリとトワトの名前を呟いた。すると、まるで風に煽られたように勢いよくページかめくられ、とあるページで止まった。


「ご訪問期間は半年なので、大丈夫ですね」


 門番は軽く指をならすと、岩の砦が重々しく軋む音をたてて開いた。アドリは門番に一礼すると、箒を預けて中に踏みいった。


 ホワイト・ウッドでは魔法を使うことは禁止されている。この地は、魔力を持たない魔法使いや魔女達が身を寄せあって暮らしている。

 そのため、この重いバスケットを手で運ばなければならない。息を切らしながら、アドリは奥へと続く白い階段を1歩ずつ上がっていった。


 その名の通り、この地は白色の太い木が、階段沿いにそびえていた。ひとつひとつが住居となっている。アドリが訪問するトワトの住む木は、ホワイト・ウッドでも奥地にあった。トワトは母の旧友で、半年に1度母と共にこの地に赴き、他愛もない会話をかわしていた。


 休息をはさみつつたどり着いたのは、階段の途切れた所だった。周りは白く細い木で覆われた森だった。細い木の枝には白い葉がつき、木漏れ日さえも冷たく差し込んでいる。

 その奥に、一際太い幹の白い木が鎮座していた。白いドアの前にたどり着くと、アドリは一旦息を整えて2回程ノックした。


 ドアが開くと、ひとりの女性が顔を覗かせた。濁りのある乳白色の長髪を編み込んで背中に垂らしている。陶器のような肌に映える群青色の瞳はアドリをまっすぐ捉え、仄かに桃色がかっている薄い唇は笑みを称えていた。


「アドリ、いらっしゃい」


 その声は、霧の奥から聞こえてくるようにぼやけている。汗をぬぐったアドリは、足元に置かれたバスケットを指差した。


「母さんから、トワトさんにって」


「あら、こんなにたくさん。重かったでしょうに」


 心配する言葉をかけたが、トワトの声音にその感情は一切のっていない。ただ、青い瞳だけはアドリを気遣うように見つめている。瞳の揺らぎと口の微笑みだけが、トワトの感情表現だった。


「平気、平気。それより、喉渇いた」


 トワトは、アドリを中へ案内した。白い木の家の中はやはり白色で、家具も家財道具さえも白かった。ただ、テーブルの上にのっている籠に入ったリンゴだけは、赤々と瑞々しい色を放っていた。


「今日は、ひとりで来たの?」


 アドリに淹れたてのコーヒーを差し出し、トワトは訊ねた。芳ばしい匂いがアドリの鼻を通り、心が和んだ。


「うん。だって私、もう10歳よ。ひとりで箒で空を飛んで来れる。それに、コーヒーカップをネズミに変えることだってできるのよ」


 自慢気に話しながら茶色のコーヒーにこれでもかと角砂糖をつめし込む姿に、そうは言ってもまだ子供なのだとトワトは可笑しくなった。


「でもホワイト・ウッドでは魔法は使えない。トワトさんに見せられなくて残念」


「いつか見てみたいわ」


「ねえ、トワトさんはいつここを出られるの?」


 コーヒーを飲む手を止め、トワトの瞳は困惑で揺れ動いた。暫し考える素振りを見せると、


「どうかしらね」


と歯切れ悪く言った。


「ホワイト・ウッドに住んでいる人達は、魔法を使えなくて不便じゃないの?」


「そうねぇ……でも、何とかなるものよ。魔法がなくても料理はできるし、編み物だって時間をかけてじっくり作り上げるの」


 トワトは、タンスからオレンジ色のマフラーを取り出し、アドリの首にまいた。日溜まりのような暖かさに、アドリは顔を埋めた。


「これ、トワトさんが作ったの? 手で?」


 トワトは編み棒を手に、編み方を口で伝えながら手を動かした。透き通るような細く頼りない指を動かしながらオレンジ色の毛糸を手繰り、編み込んでいく。その様子を、アドリはきらきらとした目で見つめていた。


「すごい、すごい! トワトさん魔法を使っていないのに、まるで魔法みたいに綺麗に編めるのね!」


 トワトは目を細めてアドリを見つめた。アドリもやり方を教わって編んでみたものの、トワトのように均一に編めずに、諦めてしまった。


「慣れればすぐできるわ」


 慰めの言葉をかけ、トワトはキッチンへ向かった。甘い匂いが立ち込めたかと思うと、シフォンケーキが姿を現した。


「これもトワトさんが作ったの?」


「ええ、そうよ」


 一口入れると、空気を含んだ柔らかい生地が、口の中を甘く優しい香りで包み込んだ。それはコーヒーに良く合い、アドリは一瞬にしてシフォンケーキを平らげていた。


「ご馳走さま。手作りって美味しいのね」


「この味にたどり着くまでかなり時間がかかったわ。魔法だったら失敗せずに作れるけれど、手作業で作ると、焦げたり、味が一定じゃなかったりしてね。でも、思った通りの味に仕上がったらとても嬉しいの。特に、誰かに食べてもらって喜んでもらえたら作って良かったって思える」


「奥が深いのね」


 アドリとトワトは時が過ぎるのを忘れて話し込んでいた。ホワイト・ウッドに夕暮れが近づくと、辺りはほんのりと暗くなってきた。


 アドリは帰るのが惜しかった。半年に1回、それも1日だけしか、トワトに会うことはできない。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。

 泊まりたいなどと駄々をこねたが、トワトがそれをきっぱりと断り、アドリを玄関へ誘った。


「……また、半年後ね」


 唇を尖らせ、不服と言わんばかりに表情を曇らすアドリの頭を、トワトは優しく撫でた。


「待っているわ」


「……次来る時までに、上手に編み物できるように頑張るね」


「楽しみにしているわ」


 アドリは後ろ髪を引かれる思いで、トワトの家を後にした。何度も振り返っては手を振って、暫しの別れを惜しんだ。

 やがてトワトの姿が見えなくなると、アドリはとぼとぼと砦の方へ歩いていった。



***


 海のように青く澄んだ瞳、光を浴びると透明に近く輝く銀色の豊かな髪色に、在りし日の自分を重ね合わせた。


 アドリの髪を撫でた手を見つめ、トワトは思った。アドリの母も青い瞳ではあったが髪は黒、父親は目も髪色も茶色であった。親子で髪や目の色が異なることは少数だったが、特段珍しいということもない。アドリが不思議に思わないことが、何よりも救いでもあった。


「あんなに大きくなって―――」


 アドリの姿が見えなくなると、トワトの青い瞳から大粒の雫が滴った。捨てたはずの感情が甦りそうになり、奥底に押し込む。感情が表になったら、自分は何をしでかすか分からない。


 この地に身をおいてから、早10年になる。過ちを犯したのも、魔力を失ったのも、我が子を手放したのも―――。


 10年前、トワトは罪を犯した。罪状は、魔法による殺人。愛していた者の命を奪ったのだ。いや、愛していたのはトワトの方だけ。その男は、トワトとの結婚を破談にし、別の女性のもとへ去っていった。


 煮えたぎる憎悪に、トワトは負けた。気がつくと、その男と女は、トワトの足元で事切れていた。


 新たな命が自らの体に宿っていたことを知ったのは、その直後だった。


 もしも、罪を犯す前に分かっていたら―――。過去を変えることは、いくら魔女でもできない。裏切った男との子とはいえ、どんどん大きく育つお腹の子に、次第に愛着を覚えていた。


 罪人として光りも届かぬ暗い牢獄に一生閉じ込められるか、魔力を全て失くしてホワイト・ウッドで一生暮らすか、選択を迫られたトワトは、後者を選んだ。お腹の子と暮らせるのなら、と望みを託した。



 ―――現実は、甘くなかった。トワトは子を育てることを認められなかった。


 絶望した。魔力をなくした上に、我が子も奪われる。


 それでも生むことを選んだのは、子供を育てることをかって出てくれたベネジェラ夫妻の存在があったからだ。

 半年に1度の面会ができるよう、取り計らってくれた。


 アドリは、生まれてすぐにトワトから引き離された。触れることも叶わず、産声だけが幼いアドリとの最上の思い出だった。

 アドリは、この事は知らない。トワトのことは、母親の友人としか知らされていない。知らない方が彼女のためだとトワトは自分に言い聞かせた。


 オレンジ色のマフラーを首に巻いた時に初めて触れた我が子の温かさや、髪を撫でた時の柔らかさに、自らの犯した罪の重さを改めて思い知らされた。


 母娘とは、毎日こんな会話をしているのだろうか。トワトは、残されたふたつのコーヒーカップを眺めて思った。アドリのコーヒーカップの底には、溶け残った砂糖の塊が山のように積み重なっている。

 今度来る時は、コーヒーに入れる角砂糖の量は減っているだろうか。好きな男の子の話や、できるようになったことの自慢話を延々としてくれるだろうか。


 白は、けがれのない色だと誰かが言った。汚れのない地に身を置き、自らの汚れを落とすためにこの世界は白で覆われている。

 白い世界に閉じ込められた魔女は、夜の色に染まっていく空を眺め、娘が無事に家に着くことを祈っていた。

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