私の彼は都市伝説
一矢射的
バレンタインとスレンダーな彼
毎年バレンタインの日が近づいてくると、
なぜって、クラスの女子たちがみんな浮足立ってやたらお喋りになるからです。この時期、女子の間で話題となるのは大抵二月十四日のこと。
チョコレートは手作りのものか、市販のものか?
添えるメッセージはどんなのがいい?
義理チョコも配った方がいいのかな? それとも本命一本でいく?
そして肝心の「渡す相手」は誰にする?
私にはよく判りません。
まだ小学生なのに、もうこの歳で婚約相手を選ばないといけないんですか?
それとも、いずれ来る本番に備えての予行練習なのでしょうか?
それ、私も参加しなきゃいけないんですか? 何だかよく判らない理由でイベントの輪に混ぜられるのは嫌なんですけれど。
誰に聞いても
親友である
「どうしてチョコなんか渡すのかって? 決まってるじゃーん! そこにね、チョコを欲しがっている男子がいるからよ」
「そ、そんなもの?」
「そう、無視したら可哀想でしょ? 見栄はっちゃってさぁ。本当は欲しいくせに『お前から貰っても嬉しくないんだぜ』とか言っちゃうんだからさ~。男の子って、誰からでもチョコをもらえば嬉しいものなのよ」
「その、断られたら恥ずかしくない? 周りから笑われるかも」
「ないない、ヘッチャラだって。イベントなんて楽しんだモン勝ちよ。逆に考えてみなよ、アタシ達が大人になってからじゃ、お互いが地元を離れて渡せない事だってあるかもしれないじゃん」
ビックリしちゃいます。
観月ちゃんは私と同じく、教室の片隅でぼぉーっとしている印象しかなかったのに。そんな彼女がここまで積極的なアプローチを予告するだなんて。
興奮して上ずった口ぶりは、何だか自分に言い聞かせているようにも感じます。
きっと勢い任せに渡したい相手が居るのでしょう。
もしかすると、近ごろ彼女の様子が違って見えたのはそのせいだったのも。
観月ちゃんはオカルト話が大好きな不思議系少女で、クラスでも浮いた存在でした。
お父さんが絵本作家、お母さんが……その、月の女神だという(観月ちゃん談)
でもそれを嘘だと決めつけて、お母さんの正体を暴こうとした人はみんな酷い目に遭ったとかナントカ。それで付いたアダ名が女神ちゃん。彼女の周囲ではとにかく不気味な事件が相次ぐそうなんです。
私はそんなアダ名を使わず観月ちゃんと呼んでいるけど。
皆からは怖がられて距離を置かれる存在だったのに。
去年の冬ぐらいから、その境遇が少しずつ変わってきたみたい。
きっと、気になる男の子が出来たからなのでしょう。その人に自分を良く見せたいから、頑張って背伸びし始めたんじゃないかなーって思います。
少しだけ、ほんのちょっぴり彼女がうらやましい。
私にはそんな相手が居ません。あの人がカッコいいとか、あの顔がタイプだとか、そんな話にはついていけません。
だって私は生まれつき目が見えないもの。
容姿で人を判断するなんて、生まれてこのかた一度もした事がないのです。みんなが私に気を使ってくれるけど、丁寧な腫れ物扱いは壁で区切られているのと余り変わりません。
誰かを好きになれる、そんな関係を築けた観月ちゃんが少しうらやましい。
私にはチョコを渡したい相手が居ないから。
バレンタインまであと五日。この時期はとても
ウチの近所には素敵な
なんでそんなにお前は癒しを求めているのかって?
簡単です。帰宅した私に母が訊いたから。
「一緒にチョコを買いに行かないか」と。
逆に訊きたくなりました。「買ってどうすりゃいいの?」と。
渡したい相手も居ないのに、喜んで欲しい相手も居ないのに。
きっと娘にも冬のイベントを楽しんで欲しくて、母は気を使ったのでしょう。
私はそんな母のお節介から逃げるように散歩へ出たというわけなのです。
ご近所の散歩道なら勝手知ったる庭のようなもの、独りでも問題ありません。
時刻は午後三時半。肌に感じる空気はヒンヤリと心地よいくらいです。
散策路の道半ばにはちょっとした広場があり、イギリス風のお洒落な街灯とベンチが歩行者に休憩を勧めてきます。まるでホームズが腰掛けていそうだ……とは初めてここを訪れた際に母が述べた見解。街灯の外観がベーカー街のガス灯にそっくりなんだとか。
そんな母とも今は絶賛ケンカ中。溜息しかでません。
私はベンチに腰を下ろしてポケットラジオのスイッチを入れました。
旧式だと笑われてしまうかもしれませんが、私にとっては単純な構造の方がとっつきやすいのです。
『はぁーい、リクエストを送ってくれたのは東京都のペンネーム、アシカアザラシくん。いつも葉書ありがとうねぇ。じゃあいってみよう、サザンクロスで「冬のメトロノーム」だ』
アシカかアザラシか、どっちなんです。ハッキリして下さい。
しかし良かった、これでバレンタインの曲だったら泣きっ面に蜂ですから。
安堵して私は耳を傾けます。
ベンチに置かれたラジオからポップなミュージックが流れる中、辺りの空気が少しずつ変わっていくのに私はなかなか気づけませんでした。
最初の異変はラジオの調子がおかしくなった事です。
ピーピーガーガー、音が途切れがちになり、ついに流れるのはノイズだけ。耳がおかしくなってしまいます。諦めてラジオを切ると、今度は周囲の静けさが私の不安をかきたてます。
気味が悪い。さっきまで鳴いていた鳥たちはどこへ消えたのでしょう?
私が辺りの様子を探っていたら、今度はペタペタペタと粘着質な足音がこちらに向かってくるではありませんか。
独りベンチで震えながら、通行人が私に気付かず通り過ぎてくれることを祈っていると……近づいてきた足音はまさに私の前でピタリと止まったのです。
そして、かけられたのは意外にも明るく
「お嬢さん、宜しいですか? お尋ねしたいことがあるのですが」
「え、ええ。なんでしょう?」
声の方に顔を向けると、相手は私が盲目であることに気付いたようです。
「おや、もしかして貴方は目がお見えにならない。ふぅん、道理で……」
「すいませんね、生まれつきこうなんです」
「いや、失敬。単にラッキーだと思っただけですよ」
「な、なんですって!?」
この失礼な裸足野郎。人の不幸を何が幸運だ。
「いやいやいや、そういう意味ではありません。私の不細工な顔で、貴方を驚かせずに済んだのが幸運だという話ですよ。初対面の相手はまず悲鳴をあげるくらい
「ええ!?」
「だって貴方、考えてもごらんなさい。初めて来たこの街で私は道を訊く相手を欲しているだけなんですよ。それが、いちいち悲鳴をあげられたら、こっちの方がたまったものではないでしょう?」
「えーと、そうかもしれませんね」
「この顔は貴方の目と同じ生まれつき、どうにもならない事で騒がれるのはまったく不愉快な話ですな」
何だか面白い喋り方をする人ではありませんか。どんなに怖い顔をしていようと、私にはどうせ見えないので気になりません。
謎の男は咳払いをしてから続けます。
「ええっと、何の話でしたっけ? そう! 貴方に尋ねたい用件はこうです。観月さんという家をご存じありませんかね? この近所だと聞いているのですが」
「あら、観月って同じクラスの
「そうそう、娘がいるとも聞いていました。珍しい苗字だし、きっとその人でしょう。家がどこだか知っていますか?」
「よく学校でお喋りはするけど、家までは……知りません」
「ほうほう、それじゃあ明日にでも住所を訊いてもらうわけには? いきませんかね?」
「ほ、本人の許可もなしに教えるなんてそんなこと……」
「そこをなんとか!」
何ともしつこい男です。
断ろうとしても、話し上手でどうしても会話に引き込まれてしまうのです。
ついさっき
「だいたい私、携帯もってないし……。仮に分かったとしても、どうやってそれを貴方に伝えるんです?」
「それなら、明日またこの時間、ここで会いましょうよ。何だったらその瑠奈ちゃんに私のことを話してくれるだけでもいい。もしかすると、彼女の方から此処へ会いに来てくれるかもしれませんね、くふふ」
「本当におかしな方、いったい誰なんです、貴方は?」
「やせっぽちで貧相な体をからかって、皆は『Mr.スレンダー』なんて呼びますね。ところで、人に訊く時は自分も名乗るのが礼儀ですよ?」
「ああ、西野スミレです。瑠奈ちゃんにどんなご用ですか? スレンダーさん」
「
「はぁ? ご主人様? それって何時代の……ほーけいせいど?」
「もしかして、ほうけんでは? しかし、まったくおっしゃる通り。命令ばかりで、時代
少なくとも悪い奴ではないし、観月ちゃんが喜びそうな相手なのは間違いありません。奇妙で不気味で……それはとってもおかしな出会いでした。
そして話の間にも、私にはスレンダー氏に隠されたある事実が『見えて』いたのです。どうしても黙っていられなくなって、遂に私は聞き返してしまいました。
「さっきから、貴方はとても楽しそうに話をしますね?」
「明るいのが取り得なんです。外見が酷くて誤解されてばかりですが」
「……なのに心はとても悲しそうな色をしています」
「ほほう! 他者の心が判るとでも。嘘ではなさそうですね。偶然かと思いきや、おかしな奴同士、私達は引かれ合ったのかもしれませんなぁ」
「どうしてそんなに悲しいんです?」
「どうにもならない事が多すぎるからですよ。貴方だって目が見えないのを悲しく思う日ぐらいあるでしょう? そんなこと、大人に訊くモンじゃありませんよ」
「……ごめんなさい」
「ではまた明日。学校が終わる時刻に私はこのベンチで待っています。瑠奈ちゃんが嫌がったら別に来なくとも構いませんよ? あの人の娘なら、まず嫌がらないと思いますけれど。では、ごきげんよう、スミレさん」
何だかお説教をされた挙句に、話を打ち切られてしまったではありませんか。
ペタペタと去っていく足音を私は黙って見送ったのです。
――――
「お父様、仕事はもう終わったかしらん?」
「おう、愛しの娘よ。熱いコーヒーを持ってきてくれたのかい? 丁度、脳みそがカフェインを求めていた所だよ」
そこは大きいけれど古くて汚れたお屋敷の書斎。
作家の父が仕事を終えた所に、娘がひょっこり顔を見せた場面です。
お仕事中はぶっきらぼうで何を話しかけても返事はありませんが、それが済んでしまうと物書きは娘を愛してやまない父親へと
娘は座った父親の腕にすがりつき、パソコンの画面をのぞき込みました。
「今回のお話は、どんな化け物が出てくるの?」
「うん、よくぞ訊いてくれたね。驚くなよ、なんとあの『スレンダーマン』を題材にしようかと思っているんだ」
「スレンダーマン!? ……ってどんな奴?」
「ありゃ、知らないのかい。インターネットじゃ有名なんだけどなぁ」
父親はコーヒーをすすりながら都市伝説の怪物について話はじめました。
スレンダーマンはWeb上のたわいもない書き込みから生まれた怪人なのです。
始まりは「詩のように謎めいた」幾つかの書き込みに過ぎませんでした。それに興味を持った人々が、詩の怪人に様々な設定と物語を付け加えていきました。
名前を与え、人さらいやストーカーという犯罪歴を付与し、姿を見ただけで病気になるという能力をギフトしました。彼のスキルはどんどん人間離れをしていき、犯行エリアも世界規模にまで広がった為、ファンのご都合主義で瞬間移動の力まで授かったのでした。
話を聞くと娘は手を叩いて喜びました。
「おっもしろーい! 前に聞いた妖怪の話と似てるわね!」
「気が付いたかい? 『妖怪は神の
「
「……そーゆー親父ギャグってさぁ、どこで覚えてくるわけ? ママから? もしかしてパパが無意識に言ってるかな? だとしたらショックだなぁ」
「気にしない、気にしない」
父親はずり落ちた眼鏡を人差し指で押し上げると、口元を引き締めて言いました。
「まぁ、冗談はこれぐらいにして……だ。本題に入ろう。作品のネタになるかと思って調べていたら、気になる掲示板を見つけたんだ。正にスレンダーマンファンの為にあるお喋りサイトみたいでね」
父親がマウスをクリックすると、悪趣味な装飾をほどこした真っ黒なスレッドがパソコンの画面に出現しました。娘がまつ毛の長い目蓋をパチクリしていると、眉をしかめた父親が苦言を零しました。
「スレンダーマンにこんな事をして欲しい……だとか、スレンダーマンがこんな事をしているのを目撃した……なんて形式で面白おかしく語っているけどさ。中には実際に起きた犯罪に関する記述もあってね。そこまでいくとちょっと笑えないかな」
「ふーん」
「逆に考えると、書き込まれた『ファンの願い』を忠実なスレンダーマンが実行に移しているとも考えられるかな」
「こわーい。でも読んでみるとウチの近所でよく起きているような事件ばかりね」
「ママが同情した相手に、ホイホイ女神の加護を授けているからだよ、まったくもう。それでウチの市は『日本一怪奇現象の多い街』なんて呼ばれているんだぜ」
「あはは、ママの博愛主義は行き過ぎだからね」
「笑っている場合じゃないよ。この最新のコメントを見てごらん。宵坂市には都市伝説の元締めが住んでいるので、是非スレンダーマンさんが出向き、世界のレベルを思い知らせて欲しい……だってさ。ふざけんじゃないよ」
「書き込んでいるのは、ハンドルネーム、キレイさんかぁ」
「地元の人間だろうけど、迷惑がすぎるよ。本当にスレンダーマンが我が街にやってきたら、どうしてくれるんだい」
「ママなら、世界レベルの怪人にでも勝てるかしら?」
「ママには知られたくないから、瑠奈に話しているんだよ。姿を見ただけで吐血してブッ倒れる『スレンダー病』にかかるそうだからね。対処法を教えるから、よぉーくお聞き」
「はーい!」
何とも常識外れな会話ですが、この家ではこれが当たり前なのでした。
――――
翌日、時刻は午後五時過ぎくらいでしょうか。
私にはどうしても済ませておきたい買い物があって、スレンダー氏と交わした約束の時間より大分遅くなってしまいました。
「アタシも行こうか」などと心配する友達を残し、独りレンガの舗道をいくこと五分。広場に近付くとすぐ彼の気配が感じ取れました。
ガス灯の下、ベンチでくつろぎながら彼は待ち続けていました。
そんなスレンダー氏の「心の有りよう」が私には見えていたのです。
運命は私から視力を奪い取っただけではありませんでした。
奪い去ったものの代価として授けられた第六感があったのです。
私の視界はいつも闇に包まれているけれど、他者と相対した時、その暗闇に人の心が様々な色の光となり浮かんで『見える』チカラ。
明るくはしゃいでいる人はピンク色、暗く沈んでいる人は深海のようなネイビーブルー。照れている人は赤。そんな風に感情の揺らぎを見て察することが出来たのです。
ベンチで待つスレンダー氏の色はピュアブルー。澄んではいるけれど、口調ほど楽しんでいるわけでもなければ、お調子者でもありません。どちらかと言えば、それは悲しみの色なのです。
私が一人やってきたのを見て、スレンダー氏は腰を上げました。
光の位置が変わるので、そこから相手の動作も察せられるのです。
「おや? スミレさんがお一人ですか? 友達と一緒か、あるいは瑠奈ちゃんだけが此処へ来るのかと思っていました」
「どうして、そんな事を? おかしいですよ。また会おうって、約束したじゃないですか」
「いやそれは……友達から聞かなかったのですか? エヘン! 私が化け物だって?」
黄昏を運ぶ冷たい風が、私達の間を吹き抜けていきました。
震える唇をギュッと噛みしめてから、私は思い切って声を振り絞ります。
「それでも、私の仲間だと思ったんです、スレンダーさんは」
「ナカマ? いったい何の?」
「どうにもならない悩み事でもがき苦しむ仲間です。貴方がどういう人かは観月ちゃんが教えてくれました。彼女が代わりに行こうかとも言いました。でも、私は貴方と会いに此処へ行くと決めました。もっと信じたかったんです、心を見た貴方を」
「怪物相手に大した度胸だ。しかし、正体を知りながら、わざわざ何をしに来たのです?」
「これを、渡したくて」
後ろ手に隠し持っていた物を勇気と一緒に差し出します。
ついさっき買ったばかりのチョコレート。買うのも初めてなら、渡すのも初めて。初めて尽くしの贈り物。
その瞬間、スレンダー氏の心が揺らいだのを私は確かに見たのです。
「なんとまぁ……なぜ私に? およしなさい。化け物ですよ」
「男の人はみんなチョコを貰えば嬉しいって観月ちゃんが……他に喜んでもらえること、何も思いつかなかったんです。せっかく仲間と会えたのに。私にはクラスの男子より、貴方のほうがずっと近くに思えたんです」
見れば病気になってしまう彼と、盲目の私。
私以外に、いったい誰が彼の話し相手になれるというのでしょう?
この世界で、誰が彼にチョコを渡せると?
決して冗談ではないと、すぐに判ってくれたようでした。
「……いいでしょう」
私達の間には五メートルくらい距離がありました。それなのに、返事とほぼ同時に私の掌からチョコが消えてなくなったではありませんか。
まるで相手の手がニュっと伸びて、プレゼントをもぎ取ったみたいでした。
そして、ボリボリ何かを
ペタンと腰を抜かした私には、スレンダー氏の声が随分と遠く聞こえました。
「でも、私達は仲間でしょうか? 成程、貴方はこれからも過酷な運命に立ち向かうのでしょうね。けれど、私にそこまで高尚な真似は出来やしない。ただ、連中の気まぐれな命令に振り回されるだけ。私を買い被り過ぎですよ。そこの茂みに隠れている……お友達にもっと感謝しなさい」
ガサガサと後方で音がしたかと思えば、何者かの手が私の肩にかけられたのです。
その色はいつもと同じ、
私を庇うように立ちはだかったのは観月ちゃんその人です。
やって来た救いの女神。彼女のアダ名がどういう
彼女は自信に満ちあふれた声で私の行いを
「大丈夫だよ、スレンダーさんはきっと贈り物に感謝しているから。少女の優しさに心を打たれた彼は『もうこの街で乱暴などすまい』とすぐに決心するの。絶対にそうなるんだから! スミレちゃんの初バレンタインを最悪な思い出になんてさせるものですかーっての!」
「ふっ、よく言う。一体全体どの口が言っているのやら。しかし、ここはお友達の顔を立てておきましょうかね、ハハン!」
スレンダー氏は苦々しく笑い声を発し、私たちと距離を置きました。
「無私の美しい行為に、さしものMr.スレンダーも心を打たれた。そういう事にしておきましょう。ではホワイトデーをお楽しみに」
ペタペタペタペタ……。
私に聞き取れたのは、その
チョコレートは……貰ってそんなに嬉しいものなんでしょうか?
中身はただのお菓子なのに。
――――
「それで終わり? 瑠奈、それはないだろう。ちゃんとスレンダーマンがどんな姿をしていたのかパパにだけは教えてくれよ」
「知らないよぉ~。アタシだって病気になるのは嫌だもん。目を閉じていたんだから」
「そっかぁ~なら仕方ないな。それで、パパの教えた通りにやったのかい?」
「うん、アタシのスマホで例の掲示板に書き込んでやった。バレンタインに目の見えない少女からチョコを受け取ったスレンダーマンが、優しさに『心を打たれて』何もせず帰ってくれたらロマンチックでいいな~って。皆ノリで賛成してくれたから、すぐ決まったよ」
「言い出しっぺは歯ぎしりしてそうだけどね。まぁ、そういうのはノリと多数決さ。ネットから生まれた怪物はネットに従うしかない。何をもってスレンダーマンとするか、決めるのは彼等だからね。歴史が浅い怪物の辛い所だ」
「パパのお陰で何事もなく済んだわ! ありがとう、これは御礼」
御礼は娘の手作りチョコクッキーでした。
父親は感動のあまり涙を流さんばかりに喜んだのでした。
「ありがとう~、うっうっ、嬉しいよ。父親冥利に尽きるというものだ。これからもパパは頑張るからね」
「美味しかった? なら成功だね、バレンタイン当日にはこれをワタル君にあーげようっと」
「こらこらこら、聞き捨てならないよ。パパは毒見役かい? それに誰なの、ワタル君ってのは? パパ、初耳なんだけど? 二人はどういう関係なの、パパに紹介しなさい」
「ゲッ! しまった! 今のは聞かなかったことに……」
「なりません! 瑠奈、ちょっとそこに座りなさい!」
おやおや、面倒くさいことになってしまいました。
何とも変わってはいますが、これがこの家の日常茶飯事なのでございます。
――――
それからというもの。
私が何度あの散策路へ足を運んでも、スレンダーな彼は姿を見せませんでした。
観月ちゃんにスレンダー氏の居所を質問したら『今度はネス湖に行ってネッシーと対決することになった』とかナントカ。
ネス湖ってイギリスの? 本当に忙しい人なんですね。
こうして、私の初バレンタインは幕を閉じたのです。
何だかレディの階段をちょっぴり登れたようで誇らしい気分。
スレンダーさんのお陰でバレンタインの
そして私、どうやら気付いてしまったのです。
チョコを渡すと男性の心は激しく色を変えるってこと。
スレンダーさんでさえ、私のチョコで赤くなったんだから。クラスの男子なんてイチコロなんじゃないでしょうか?
今年はもう間に合わないだろうけど。
来年は私も手作りに挑戦してみようかな~なんて、桃色のオーラを振りまいている観月ちゃんを見ているとそう思えるのです。
私を意識せず、暗めの色に沈んでいる男子ども。
せいぜい来年を楽しみにしていると良いです。
どうにもならないと思い込んでいたけれど、案外試してみれば世の中はどうにかなるのかもしれません。私が思っていた以上に人生の道は複雑で分岐点も多く、先行きが不透明です。だからこそ恋愛って楽しめるのかもしれませんね。
どうして観月ちゃんが大胆なイメチェンを成し遂げたのか、私にもどうやら納得できそうです。
そうそう、ホワイトデーのお返しなのですが。
我が家にいつの間にか新しい白杖が届けられていました。
蛇が巻きついた独特なデザインで、洗っても何となくヌメリがあり、どうもベタついていますね。
う、うーん、男性のお返しというものは、必ずしも好みに合うとは限らないのですね。
これもまた経験です。目は見えずとも手探りで世の中を進んでいけば、そこから得られる物がきっと在るはず。かけがえのない宝を日々かき集めて、昨日とは違う自分を目指したい。それが、今の私が切に願うこと。
化粧も、料理も、まだ一人きりじゃ出来ないけれど、いつの日かきっと……。
あれほど嫌いだったバレンタインデーが、今は何だか待ち遠しい。
沢山のイベントと出会いを、これからは大切にしていこうと思います。
貴方もどうかお元気で、Mr.スレンダー。
愛と感謝をこめて。姿を知らぬ貴方のファンより。
(掲示板にコメントを送信しました)
私の彼は都市伝説 一矢射的 @taitan2345
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