雨を好きになった理由

宇目埜めう

雨を好きになった理由

「あなたは死にました。あなたに能力を授けます。その能力を使って、ある人を幸せにしてください。さもなくば地獄行きです」


 女はそれだけ言うとフワリと消えた。

 雨宮聡あめみやさとるは、それだけで自分が理解不能な状況に陥ってることを悟った。


 記憶を辿ると真っ先に思い出すのは、どんよりと暗く曇った空。大量の雨粒。


 聡は雨が大嫌いだ。


 大好きなサッカーを諦めるほどのケガをしたのが雨の日だった。結婚を約束した彼女に逃げられたのも雨の日だ。



 雨が降るとろくなことがない。



 その日、聡は大嫌いな雨の中をバイクで走っていた。

 雨粒の弾丸に紛れた天笠花あまがさはなの姿に気がつかず、スピードを緩めることなくそのまま横断歩道に侵入する。


 青いスカートが雨粒を跳ねて翻った。眩しい笑顔が一瞬だけ映る。二人の目があった。——が、もう遅い。

 瞬間。聡は自分が転倒することを選んだ。


 身体にすさまじい衝撃が走った後、数秒して悲鳴が上がる。


 花がどうなったのか、聡には分からなかった。無事でいてほしい。消え行く意識の中でそう願った。



 やっぱり、雨が降るとろくなことがない。



 記憶の再生はそこで止まる。

 なるほど。どうやら自分は死んだらしい。


 雨は止んでいる。乾いた景色が長い時間の経過を告げる。


 女は能力を授けると言った。その能力で誰かを幸せにしろと。

「どんな能力なのだろう?」と思うと同時に聡は理解した。


 ——雨を自由に降らせる能力。


 理屈は分からないが、能力の内容と使い方が頭の中に降って沸く。まるで、生まれたときから知っていたかのように。


「こんなものでどうやって人を幸せにしろってんだ」


 聡は悪態をついた。


『さもなくば地獄行きです』


 ハッタリではないだろう。


 聡は手当たり次第に雨を降らせた。

 たまたま聡が雨を降らせたところに、カップルが通りかかる。どうやら喧嘩中のようだ。聡はさほどの関心もなく、それを眺めていた。


 男が女に傘を差し出す。女はふくれっ面のまま傘に入った。雨にうたれるよりはマシなのだろう。


「さっきはごめん」


 女が傘に入るのを待って、男は謝った。それを聞いた女はさっきまでと打って変わって幸せそうな顔で頷き、男の腕にしがみついた。二人は幸せそうに見えた。


「なんだ簡単じゃねーか」聡は思ったが、なんの変化も起こらない。自分が正解したわけじゃないとすぐに分かった。


 けれど、聡は希望を見た。大嫌いな雨だけど、案外使える場面もある。


 旱魃に憔悴した村。運動会を嫌う少年。雨を必要としてるだろうものを見かけると片っ端から雨を降らせる。その度に幸せそうな顔を見ることができた。雨も案外悪くない。しかし、正解は訪れない。


 干からびそうなカエルのために雨を降らせて、その幸せな顔を見たあと、聡は雨を降らせるのをやめた。「正解など分かりっこない。もうこのままフラフラしていよう」そんなことを思い始めていた。



 それから数ヶ月。フラフラしていた聡は、小さな家の小さな窓に花を見つけた。聡は花が生きていたことに安堵した。


 花はあの日と同じ青いスカートを履いている。唯一、違うのはその表情。あの日の花は、雨の中でそれはそれは嬉しそうに笑っていた。聡に自らの死を覚悟させるほどに。


 聡は命と引き換えに生かした花が笑っていないことに苛立った。花には笑っていてほしい。


 それから数日間、聡は花を観察していた。花は黒い窓の薄暗い部屋の中で涙ばかり流している。


 あの日、花は大好きな雨を喜び、外に出て舞い踊っていた。日中外に出ようと思えば、雨の日しか出られない。

 花は太陽の元には出られない。花は病だった。聡は花と母親の口論でそれを知った。太陽の光が花にとっては毒になる。


 ここ数ヶ月は聡が雨を降らさないから、日照りが続いている。花は外に出られなくて泣いていた。夜の外出ではダメなのだ。


 それに花は雨が好きだった。雨の匂い。雨の音。雨が作る世界。全てが好きだった。


 それに気がつくと聡はすぐに雨を降らせた。花が満足するまでたっぷりと。


 最初は「どうせすぐやんでしまう」と疑心暗鬼だった花も、三日降り続いた雨に表情を和らげた。そして、恐る恐る外に出ると、全身で聡の雨を受け止めた。


「ありがとう!! 雨、だぁい好き!!」


 花は大声で叫びながら、踊った。


 その姿を見ると聡の中に巣食っていた黒い雲が晴れた。「雨も案外悪くないな」が、次第に「雨が好きだ」に変わる。


「これが幸せってやつか」と聡が思うと同時に女がフワリと現れた。


「あなたは死にました。あなたはあなたの能力であなたを幸せにすることができました。あなたは天使になることができます。いかがいたしますか?」


 聡は女の問いかけに迷うことなく答える。


「天使になろう。あの子の天使になる。雨の天使に」


 雨が降るとろくなことがない。でも、あの子が笑う。



 聡は雨が大好きになっていた。

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