バレンタインにチョコの雨

レミューリア

曰く、チョコ作りは惚れ薬の調合に似ている

「魔女様ーっ魔女様ーっ魔女様開けてくださいなーっ」


 からんからんと呼び鈴を容赦なく鳴らしながらもその音に負けないくらいの大声が家中に響いた。

 この声は村娘のユーリだ。

 狭い家なのだから、そんな大声をあげなくても充分に聞こえるだろうに。

 今日はとくに大きく聞こえる。何かいいことでもあったのだろうか。


「またか…まだ朝の5時だぞ…」


 億劫そうに寝床から身を起こすのは私、この家の主、魔女のエルヴィラ。


「魔女様ーっ魔女様ってばーっいるんでしょーっ」


「あーはいはい。いますよいますよ、もうやめてくれユーリ。私は朝に弱いんだ」


「もう5時半ですよーっ」


 色々な文句がよぎったが私は口をつぐんで、最低限の身なりを整えてから彼女を出迎えた。


「おはようございますっ魔女様!今日も長い黒髪がよくお似合いです!」


「おはようユーリ。今日はなんだね?魔法の出番かな?」


 言うと元気よくふるふるとユーリは首を振った。併せて自慢のポニーテールも降られてまるで犬が尻尾を振っているみたいだ。


「今日は魔女様にチョコの作り方を学びたくて!」


 目を輝かせて両手をぐっと握りしめて彼女は言った。


「ほう。ほうほう。ほうほうほう?チョコときたか。チョコ。なるほどなるほどそれは私に聞くべきだ、いやぁよく聞いてくれたというべきか!」


 胸が熱くなるとはこのことだ。

 ユーリも知ることだし、この村に住む者皆が知っている。

 私はお菓子が趣味なのだ。

 


『村の離れに住んでいるエルヴィラには近づかない方がいい。目が奪われるような美人だが、彼女は魔女だ。しかもお菓子好きどころかお菓子狂いの魔女さ。

 何でも魔女になった理由が魔法でおいしくて且つどれだけ食べても太らない菓子を作る為だかららしい。

 魔女とは神の摂理に反目する禁忌の力を操りし者。いつ暴走し神の怒りをくらうとも限らない』


 村の皆はエルヴィラを悪人ではないが変人と見なしている。

 魔女とは禁忌を犯した力を使うもの。そんな力を望んで利用するものにはいつか神の怒りが降りかかるだろうと言うのだ。

 だから村人はエルヴィラと関わろうとはしない。

 村長の孫娘ユーリを除いて。


「魔女様はお菓子作り好きだもんね!」


「もちろんだとも!食べるのも大好きさ!」


 ユーリはそれとなく村長や父親、その周囲に魔女には会うなと釘を刺されているらしい。

 私としてもユーリと別段会いたいと思うわけではなかったし、究極の魔法スイーツ作りで忙しい身なのだから放っておいて欲しいものだった。

 だが彼女は何度も何度も村の皆の目をかいくぐっては私に会いに来た。

 何故こんなになつかれてしまったのか、理由はわからない。1年くらい前までは、村の皆と同じで私を遠巻きに見ては避ける一人だったはずなのに。

 そのうちに言っても無駄だと村人も私も諦めてしまい、今では彼女は押しかけ私の弟子みたいになっている。

 いや生活全般の世話もしてもらっているし…押しかけ助手…?押しかけ姑…?押しかけ女房…?

 それにしても本を読むより体を動かしたい、なユーリがチョコレート作りとは殊勝なことだ。案外女の子らしいところがある。

 何せ明日はバレンタイン。

 意中の人物にチョコを送るのだろう。

 普段から私にべったりで朝晩以外ほとんど一緒に暮らしているような彼女にも、どうやら春が来たらしい。


「では教えてください!」


「よかろう!しかしふーむ…今のウチの材料では心もとないな…まず材料をいくつか見繕うか、買い物に行こうか」


「はーい!」





 果物。豆。薬草。調味料。次々と買いものを済ませて魔女の工房に戻れば、お昼。

 それから試作をいくつか作ってみればもうすっかり夕方になってしまった。

 


「さて、こんなものかな。魔女特製のチョコをご堪能あれっ」


 テーブルの上に並ぶチョコの数々。隠し味を加えたり、希少な調味料を使ってみたり、いちごにかけてみたり。形にも凝ってみたり。

 ところで炎魔法というのは実に便利な魔法で時間通りに必要な火力で加熱したりすることができる。便利。覚えてよかった。

 発酵や乾燥させたカカオ豆を風魔法で撹拌させながら適切な温度で焙煎したりまさに魔女ならではの工程である。本当、厳しい修業を経て習得できてよかった。


 だがしかし。

 チョコを食べる肝心のユーリの表情は晴れない。


「うーん…」


「ユーリ?私のチョコは微妙かな」


「いえ、そのようなことはえっと…その…」


「遠慮なく言うといい。甘味に関しては私は妥協しない。どこまでも要求に応えてみせよう」


 おずおずもじもじとユーリは落ち着かない。


「え、ええっと、そ、それは…です…ね、ほ、ほ、ほれ…」


「ほ?」


「惚れ薬は入れないんですか!?」


 惚れー!?


 私は仰け反り、思わず身を引いた。



「魔女は惚れ薬を作れると聞いたことがあります!」


「なんだそのデタラメはー!?第一、なんでチョコに…??」


「明日はバレンタインですよ!女子には、好きな人を夢中にさせるチョコを作らなくてはならないんです!」


「駄目だよきょ、許可できない。魔女の薬は手加減のきかない物ばかり。下手するとチョコに夢中な中毒者を生みかねない!」


「それは大丈夫です!食べる人はちょっと鈍感で魔法

 や薬には耐性があって既にお菓子に夢中な中毒者みたいな人ですから!」


 なんだか仲良くなれそうなプロフィール。

 一体誰のことなのかそのお菓子好き。


「だからください!」


「だからそんなものはない!」


「嘘ですっ。私、惚れ薬を食べさられたことあります!」


「えっ」


「初めて話した日のこと、覚えてますか」


 勿論、覚えている。家族と喧嘩して家出してわんわん泣く彼女に優しくチョコの差し入れをしたのは私だ。


「私、あれからずっと魔女様のことばっかり考えているんですからっ」


「えっ」


「魔女様優しい。魔女様もう起きてるかな。魔女様お菓子ばっか食べてる癖にスタイルいいな。魔女様本当に恋人はいないのかな、綺麗なお顔を見てはキスしたいって思ったり、魔女様の好きな物って何だろうって…気づけば魔女様のことばかり。友達や親とは同じじゃない、魔女様に話したい、嫌われたくないってなります…


 こんなの…こんなのあの日、惚れ薬入りのチョコを食べさせたに違いありませんっ」


 怒濤の告白に私はユーリを直視できない。

 なんだこれは。非常に照れ臭い。顔が熱い。胸の裏がくすぐったい、まるで心臓が跳ねる魔法にでもかかったみたいだ。

 惚れ薬。

 魔女の憧れの創作物だが、私は色恋には興味がなくて作ったことがない。

 知り合いの魔女からレシピはもらったが使うことなんてまずなかった。仮に使ったとして効き目があるかめ怪しいものだ。

 とするとそれはつまり。


「魔女…様…?」


 そんな私の様子に訝しんだユーリが顔を覗き込もうとする。

 やめて。意識する。ダメ。ダメだって。その魔法はダメ。



「あっ…魔女様、耳まで真っ赤…」


「や、やめろ恥ずかしい。猛烈に恥ずかしい…」


 お互いの吐息が唇に触れるほど顔が近いだなんて恥ずかしすぎる。耐えられない。

 すると急に私がもたれかかっていた壁が、崩れた。

 否、壁はクッキーだった。

 クッキーが人の体重に耐えるはずもない。


「え!?壁がクッキーに…!?魔法?」


 そんな魔法をかけた覚えもなければ、(魔法で)家を建てた際にそんな手抜き工事をした覚えもない。

 しかし壁が崩れたおかげでユーリと身体が離れたことはチャンスだ。

 私は箒に乗って飛び去った。我が家から逃げたのだ。行き先なんてなかった。



 魔女が素人に隠れ家を追い出されたなんて笑い種だ。

 逃げ出してから1時間。魔法で村のはずれの洞窟に作った隠れ家で私は顔を覆った。


 流石に一時間もたてば頭も冷える。なんてことはなく。頭の中は先ほどのユーリのことばかり。

 まさかあの娘が私にそんな感情を抱いていたなんて。

 今日の話を切り込む時、どんな気持ちだったのだろう。

 頭の中ではユーリが浮かんでは消え浮かんでは消え。


 頭の中をユーリを追い払うようにチョコのレシピを頭の中で思い描いていく。

 チョコ…チョコ…チョコ…。

 チョコレート…。

 遠くでは、雨が降り始めたようだ。

 ぽつぽつと雨音が聞こえてくる。

 この雨で、ユーリの頭と私の頭も冷えてくれるといいのだが。

 ユーリ。チョコレート。ユーリ。カカオ。ユーリ。隠し味。ユーリ。

 脳内の記憶と単語を一つ一つ呪文を唱えるように精査していく。

 やがて私の意識はかすれていき、眠りへと落ちていった…。

 


 翌朝、甘い匂いで目が覚めた。

 とにかく甘い。覚えがある匂いだ。よく知ってる。カカオの独特な匂い。


「あ、甘い…なにこれ…」


 隠れ家から出た私は理由を即座に理解した。

 雨だ。

 今日の天気は雨。

 ただし雨粒は茶色い。もちろん、泥の雨ではない。

 これはチョコの雨。

 地には大量の溶けたチョコが流れており動物たちはこぞって舐めることに夢中だ。


「そんなにおいしいのか…ごくり!?じゃない、これはもしかして昨日のクッキーのように…私の魔法が暴走しているのか!?」


 壁をクッキーに。雨をチョコの雨に。

 この村でできるとしたら私だし、お菓子の魔法なんて無意識にでもできる魔女とすれば私くらいだろう。

 でもどうして。どうしてだろう。


「探しましたよ魔女様」


「ユーリ」


 どきん。

 不意に現れたよく知る村娘に何故か必要以上に胸がこわばる。

 すると近くの太いケーキが大きなロールケーキになった。


「村中チョコまみれでパニックでしたよ、魔女様がついに暴走したーって」


「待って近づかないでまだ心の整理が」


「魔女様」


 思わずユーリから目を逸らすと足元で小石が次々と飴に変わって行った。

 もしかしてこれって…私がユーリにドキドキすれば魔法が暴走してしまうんじゃ……?


「魔女様っ」


「は、はいっ」


 思わず返事をしてしまった。

 頬を手で優しく捕まえられて見つめ合う形になる。

 どきどきどきどき。

 視界の端で川がオレンジジュースの川になっていく。

 や、やめなさい。

 ドキドキするようなことを言う気でしょ?

 これ以上ドキドキしたら魔法がすごい暴走する。

 ドキドキするようなことを言わないでっ。

 と言いたいはずだったのに言葉が出てこない。


 何故だろう。年上のプライドがそうさせるのか、それとも私の本心が待ち望んでるからか。

 何にせよ心の準備はしないといけない。好き!とか愛してる!とか小っ恥ずかしい文句を私は予想し身構えた!



「魔女様、結婚しましょう」



 はー!!!!????

 け、結婚!?私たち女同士なんだけどできるの!?

 っていうか段階踏み越えすぎじゃない!?

 ばくばくと心臓がうるさい。鼓動が早い。

 どこかで雲が丸ごと巨大な綿菓子になって落ちていったのがわかったがもはや気にする余裕もない。

 年上の威厳とはもはやなく。

 はっとしたユーリは急に謝り始めた。


「あっす、すいません。急に結論だけ言っても分かりませんよねっ」


 結論は合ってるの!?

 こっちの動揺なんて意に介さずユーリは語り出した。


「実は昨年から親に縁談の話をされていまして…喧嘩もしょっちゅうだったんですね」


「え…」


 それは初耳だ。

 確かに出会いからして彼女の家出だった。


「私はもっと色々人や物事を見てから相手を選びたいのに。家出してからは一旦話も落ち着いていたのですが…最近また何かと話をする様になって…でももう魔女様の惚れ薬のせいで私もう以前以上にそんな気に全然なれなくて…」


 惚れ薬に関しては捏造である。


「だから魔女様と結婚すれば万事解決ですよねっ」


「そうかなぁ!?相手、もとい私の気持ちはぁ!?」


「大丈夫ですよ、この私のチョコを食べてもらえれば…」


「何か入ってるの!?」


「魔女様、惚れ薬なんて大事なレシピはベッドの下じゃない、ちゃんと隠しておきましょうね」


 この娘、あの後家探ししたな。

 

「魔女様も私に惚れ薬を持ったのですから。お返しです!はい、あーん…はっぴーばれんたいん…!!!」


「だから入れてないってばーんぐぐ」

 

 身長は若干ユーリの方が高い、力づくで食べさせられる。

 モグモグと咀嚼して飲み込む。


「…な、何か変わりましたか!?即効性があると書いてありましたが!」


「効かないわよ。こんな薬」


「え!?」


 落胆するユーリ。


「何か調合を間違えたからですか?それとも魔女の薬は魔女には効かないからですかっ?」


「違うわ」


「じゃあ」


 まだ文句を言う小うるさい唇を唇で塞いだ。

 どこかで何かがお菓子になっているんだろうがお構いなしだ。


「もう…惚れてるし…」


 照れ臭すぎて彼女の顔を見ていられない。

 ユーリも何を言ったらいいのか困ったようで気まずい沈黙が流れた。

 すると遠くから村人達の怒号が聞こえてきた。


「お菓子騒ぎに怒ってますね」


「捕まったら火あぶりかもね。逃げようか」


 にかっと笑い私たちは手を取り合い走り出した。

 走って走って走りすぎて運動不足の心臓は激しく悲鳴をあげたが、お菓子は出てこない。


 ひいひいと息をあげながら私はまずユーリに箒の乗り方を教えてやろうと思った。




 それから数年の後のある日。

 村人は旅人に語る。


「あーあー君は旅人かい。ここはしがない村だが、人は善人ばかりでのどかな場所さ。ゆっくりしていくといい。

 ただし一つだけ忠告しておくと。

 村はずれの『お菓子の家』には近寄らない方がいい。

 あの二人、村の離れに住んでいるエルヴィラとユーリは目を奪われるような美人だが彼女たちは魔女だ。しかもお菓子好きどころかお菓子狂いの魔女さ。

 元々はエルヴィラだけが魔女だったのだが、ユーリの方は何でも魔女になった理由が魔法でおいしくて且つどれだけ食べても太らない菓子をエルヴィラに毎日作ってあげたいかららしい。

 魔女ってやつはいつ暴走するかわからない禁忌の力を使う者。しょっちゅう二人はいちゃいちゃしては気が高ぶり魔力が暴走して家具や家をお菓子に変えてしまうんだ。

 どうだい恐ろしいだろう?

 しかも今日はバレンタイン。2人の結婚記念日なんだからな。



 おっと言ってるそばから。

 今日もまた、チョコの雨が降ってきた」

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