『ユタのゆっくり進む知恵』 「ケーネの水面に揺れる地図 １」

『ユタのゆっくり進《すす》む知恵《ちえ》』 「ケーネの水面《みなも》に揺《ゆ》れる地図《ちず》 １」

　ある村（むら）に、ユタという少年（しょうねん）が住（す）んでいました。お父（とう）さんとお母（かあ）さんは、今（いま）よその街（まち）に出稼（でか）ぎに行（い）っていていません。大人（おとな）に混（ま）じって、村（むら）の仕事（しごと）の手伝（てつだ）いをしながら毎日（まいにち）を過（す）ごしていました。

　ユタには、同（おな）じくお父（とう）さんとお母（かあ）さんが出稼（でかせ）ぎに出（で）ている、ワリアという男（おとこ）の子（こ）の友達（ともだち）がいました。ワリアは、後（うし）ろ髪（がみ）を一本（いっぽん）に束（たば）ねて、ピンと上（うえ）に立（た）てて、いつも綺麗（きれい）に整（ととの）えた白（しろ）い服（ふく）を着（き）ていました。

　村（むら）の神殿（しんでん）には、兄弟仲（きょうだいなか）の悪（わる）いことで有名（ゆうめい）な二人（ふたり）の神官（しんかん）が住（す）んでいて、どちらの背（せ）が高（たか）いかでずっといがみ合（あ）っていました。「俺（おれ）の方（ほう）が背（せ）が高（たか）い」「いや、俺（おれ）の方（ほう）が背（せ）が高（たか）い」と言（い）って、お互（たが）いに一歩（いっぽ）も譲（ゆず）りません。

　というのも、その村（むら）の森（もり）の奥（おく）には様々（さまざま）な宝物（たからもの）を集（あつ）めた宝物庫（ほうもつこ）があって、兄弟（きょうだい）のうち、背（せ）の高（たか）いほうがそれを受（う）け継（つ）ぐことになっていたからです。

　村（むら）では年（ねん）に一度（いちど）、収穫祭（しゅうかくさい）の日（ひ）に、神殿（しんでん）の前（まえ）でお祭（まつ）りが開（ひら）かれます。お祭（まつ）りには、近（ちか）くの町（まち）から沢山（たくさん）のお店（みせ）が来（き）て、とても賑（にぎ）やかです。

　少年（しょうねん）ユタは、久（ひさ）しぶりのお祭（まつ）りに浮（う）かれていました。友達（ともだち）のワリアと共（とも）に、色（いろ）んな出（だ）し物（もの）の中（なか）をわあわあ駆（か）け抜（ぬ）けていきます。

　ひとしきり騒（さわ）いで疲（つか）れた後（あと）、二人（ふたり）が大賑（おおにぎ）わいの人混（ひとご）みを抜（ぬ）けて森（もり）の方（ほう）に向（む）かってみると、村（むら）の宝物庫（ほうもつこ）が見（み）えてきました。

　宝物庫（ほうもつこ）の扉（とびら）は、どうしてだか開（ひら）いていて、あたりには誰（だれ）もおらず、ひっそりとしています。

　二人（ふたり）が思（おも）い切（き）って宝物庫（ほうもつこ）に入（はい）ってしまうと、中（なか）には様々（さまざま）な神様（かみさま）を祀（まつ）ったきらびやかな祭壇（さいだん）や、神聖（しんせい）な祠（ほこら）が並（なら）んでいました。

　その中（なか）に、一（ひと）つのお宮（みや）がありました。お宮（みや）には、二匹（にひき）の龍（りゅう）がもつれたレリーフが彫（ほ）られていて、その下（した）に、碧（あお）く澄（す）んだ小（こ）ぶりの水晶玉（すいしょうだま）が一（ひと）つだけ置（お）いてありました。二人（ふたり）は世界（せかい）でこんなに美（うつく）しいものを見（み）たことがありません。

「何（なん）て綺麗（きれい）な水晶玉（すいしょうだま）だろう、ワリア」

「ああ、僕（ぼく）、こんなに綺麗（きれい）なものを、今（いま）まで見（み）たことがないや」

　ユタの方（ほう）は、つい手（て）を伸（の）ばして、その水晶玉（すいしょうだま）に触（ふ）れてしまいました。すると、神殿（しんでん）の空気（くうき）がにわかにざわめき、ユタはある呪（のろ）いを受（う）けてしまったのです。

　ユタは、人（ひと）と比（くら）べてゆっくりとしか動（うご）けなくなってしまいました。懸命（けんめい）に速（はや）く体（からだ）を動（うご）かそうとするのですが、それがどうしてもできないのです。

　ワリアに肩（かた）を支（ささ）えられて、ユタはなんとか村（むら）の表通（おおどお）りに戻（もど）ってきました。収穫祭（しゅうかくさい）はちょうど佳境（かきょう）を迎（むか）えて、たくさんの色（いろ）で飾（かざ）られた山車（だし）をひいたパレードが通（とお）り過（す）ぎていきます。ユタは陽気（ようき）な音楽（おんがく）の調（しら）べの中（なか）、とうとう気（き）を失（うしな）ってしまいました。

　それからユタは、村（むら）のやっかい者（もの）として扱（あつか）われるようになりました。それまでは、人並（ひとな）みに大人（おとな）たちを手伝（てつだ）える働（はたら）き者（もの）だったのですが、水晶玉（すいしょうだま）に触（ふ）れてから、その仕事（しごと）がてんでできなくなってしまったからです。

「なまけもの。お前（まえ）は本当（ほんとう）にやる気（き）があるのか。罰（ばち）あたりめ。あの宝物庫（ほうもつこ）にあるものはみんな、お前（まえ）たちが触（ふ）れてはならないものだったんだぞ」

　ユタは嘆（なげ）き悲（かな）しみました。「どうして、僕（ぼく）はあの水晶玉（すいしょうだま）に触（ふ）れてしまったんだろう。あんなに綺麗（きれい）な宝物（たからもの）に見（み）えたのに、こんなにひどい罰（ばつ）を僕（ぼく）に授（さず）けるなんて、なんてひどいことをしてくれたんだ。僕（ぼく）もみんなと同（おな）じように働（はたら）けるようになりたい。こんな様子（ようす）では、村（むら）の中（なか）に居場所（いばしょ）がない」

　ユタがそういって泣（な）いていると、村（むら）のおばあさんがやって来（き）て言（い）いました。

「ここから、遠（とお）く北（きた）に向（む）かった所（ところ）に、エゾナという町（まち）がある。そこに住（す）む、ケーネという名前（なまえ）の女（おんな）の子（こ）に会（あ）いにおゆき。この世界（せかい）にはね、私達（わたしたち）がまだ、その理由（りゆう）を窺（うかが）い知（し）ることのできない、たくさんの出来事（できごと）がある。お前（まえ）の呪（のろ）いも、その一（ひと）つだろう。その女（おんな）の子（こ）は、お前（まえ）が受（う）けたような呪（のろ）いを癒（い）やす、何（なに）か特別（とくべつ）な力（ちから）を持（も）っていると聞（き）く。お前（まえ）が触（さわ）った水晶玉（すいしょうだま）を、その子（こ）に届（とど）けて、話（はなし）を聞（き）いてもらうんだ。あれはもう、お前（まえ）さんにしか触（さわ）ることができないのだから」

　ユタは、おばあさんに尋（たず）ねました。「それで僕（ぼく）の呪（のろ）いは解（と）けるのですか？」

　おばあさん「なんとも言（い）えない。だが、これは水晶玉（すいしょうだま）に触（ふ）れたお前（まえ）への罰（ばつ）だ。あれは確（たし）かに、人間（にんげん）が触（ふ）れてはいけない尊（とうと）いものだったのだから」

　ユタは、「それでも、僕（ぼく）はきっとこの水晶玉（すいしょうだま）をケーネの元（もと）に持（も）っていきます。そして聞（き）きます。僕（ぼく）が何（なに）をすればいいのかを」と、おばあさんに固（かた）く約束（やくそく）しました。

　ユタは旅支度（たびじたく）を始（はじ）めました。といっても、ゆっくりとしか動（うご）けないものですから、普通（ふつう）の人（ひと）なら半日（はんにち）ほどで用意（ようい）できるところを、三日（みっか）がかりで準備（じゅんび）する必要（ひつよう）がありました。

　ユタが荷造（にづく）りしていると、友人（ゆうじん）のワリアが家（いえ）に来（き）て、こんな風（ふう）に言（い）いました。

「ユタ。悪（わる）いことをした。君（きみ）が水晶玉（すいしょうだま）に触（ふ）れるのを、僕（ぼく）が止（と）めてやれば良（よ）かったのに」

　ユタは首（くび）を振（ふ）って言（い）いました。

「いいや、たとえ君（きみ）が言（い）っても、僕（ぼく）はこの水晶玉（すいしょうだま）に触（ふ）れることを止（や）めることはできなかった。だって、こんなにも美（うつく）しい宝物（たからもの）なんだもの」

　小（ちい）さな水晶玉（すいしょうだま）は、確（たしか）かに、ユタの手（て）の中（なか）で澄（す）んだ輝（かがや）きを放（はな）っていました。

　ユタは北（きた）に向（む）かって旅立（たびだ）ちました。ゆっくり、ゆっくりとしか歩（ある）くことができないものですから、人（ひと）の何倍（なんばい）も時間（じかん）がかかります。普通（ふつう）の人（ひと）が一日（いちにち）かけて進（すす）むところを、三日（みっか）ほどもかけて、ようやく進（すす）めるのです。

　最初（さいしょ）の三日目（みっかめ）。ユタはひどい吹雪（ふぶき）に遭（あ）いました。体（からだ）が芯（しん）まで凍（こご）え、思（おも）うように先（さき）へ進（すす）めません。旅支度（たびじたく）で準備（じゅんび）していたムシロにくるまり、洞窟（どうくつ）の中（なか）で火（ひ）をおこし、暖（だん）をとりながら、焚（た）き火（び）の側（そば）で休（やす）むしかありませんでした。

　二番目（にばんめ）の三日目（みっかめ）。ユタはひどい嵐（あらし）に遭（あ）いました。強（つよ）い風（かぜ）で色々（いろいろ）なものがこちらに向（む）かって飛（と）んできます。ユタは木（こ）の葉（は）のようにくるくると、あっちに吹（ふ）き飛（と）ばされ、こっちに吹（ふ）き寄（よ）せられ、くたくたになってしまいました。

　風鳴（かざな）りの音（おと）も低（ひく）く低（ひく）く轟（とどろ）いています。ユタは耳（みみ）をふさいで、風（かぜ）の音（おと）をなるべく聞（き）かないようにしました。

　三番目（さんばんめ）の三日目（みっかめ）。ユタは強（つよ）い眠気（ねむけ）に襲（おそわ）われました。ユタはいつにもまして、ゆっくりとしか動（うご）けなくなってしまいました。

　その日（ひ）の夜（よる）、ユタは夢（ゆめ）を見（み）ました。ユタの住（す）んでいる村（むら）の子（こ）どもたちがたくさん出（で）てきて、ユタを励（はげ）ましてくれるのです。

「ユタにいちゃん、いつも村（むら）のために働（はたら）いてくれてありがとう。大丈夫（だいじょうぶ）。お兄（にい）ちゃんはきっとエゾナの町（まち）にたどり着（つ）けるよ」

　ユタの胸（むね）は、感謝（かんしゃ）で一杯（いっぱい）に満（み）たされました。

　四番目（よんばんめ）の三日目（みっかめ）。ユタは森（もり）で、人（ひと）の言葉（ことば）を話（はな）す狼（おおかみ）に声（こえ）をかけられました。

「お前（まえ）のいた村（むら）へお帰（かえ）り。お前（まえ）ののろまさも、村人（むらびと）はじき慣（な）れてしまうだろう。それに、これ以上（いじょう）先（さき）に進（すす）むというのなら、俺（おれ）はお前（まえ）を食（く）っちまうかもしれないよ」

　ユタは答（こた）えました。「私（わたし）の持（も）ってきた食料（しょくりょう）を少（すこ）し分（わ）けてあげよう。だから、どうか先（さき）へ進（すす）ませておくれ」

　狼（おおかみは）は食料（しょくりょう）を口（くち）にくわえて、黙（だま）ってどこかへ去（さ）って行（い）きました。

　五番目（ごばんめ）の三日目（みっかめ）。ユタは不思議（ふしぎ）な形（かたち）の風車（ふうしゃ）に出会（であ）いました。北風（きたかぜ）に吹（ふ）かれて、キュルキュルと音（おと）を立（た）て、紺色（こんいろ）の羽根（はね）が回（まわ）っています。

　ユタがその風車（ふうしゃ）に入（はい）ると、一人（ひとり）のおじいさんがいて、ユタにこんなことを語（かた）りかけてきました。

「少（すこ）し、私（わたし）の話（はな）し相手（あいて）になってくれないか。お前（まえ）さんは、見（み）たところ旅（たび）の途中（とちゅう）で、手持（ても）ちの食料（しょくりょう）も、もう、無（な）くなってしまいそうじゃないか。ホラ、ここに獣（けもの）の干（ほ）し肉（にく）がある。少（すこ）し食（た）べて行（い）きなさい」

　けれど、ユタは言（い）いました。

「ありがとう、おじいさん。おじいさんの親切（しんせつ）な気持（きも）ちに応（こた）えるには、言葉（ことば）に言（い）い表（あらわ）そうとしても言（い）い尽（つ）くせないくらいです。けれど、僕（ぼく）は狼（おおかみ）に命（いのち）を助（たす）けて貰（もら）ったことがあるのです。その干（ほ）し肉（にく）に口（くち）をつけることはできません」

　おじいさんは言（い）いました。

「では、少（すこ）しの間（あいだ）でいい。何（なに）か話（はなし）をさせておくれ。私（わたし）は寂（さび）しい風車守（ふうしゃもり）で、ここには長（なが）く人（ひと）が訪（おとず）れることもない。私（わたし）は話（はなし）に飢（う）えているんだよ」

　ユタはいいました。「おじいさん、そんなことを言（い）うと、風（かぜ）が悲（かな）しみます。この風（かぜ）の音（ね）は、あなたのお友達（ともだち）の一人（ひとり）ではないのですか」

　おじいさんは「風（かぜ）に私（わたし）の心（こころ）がわかるだろうか」と悲（かなし）しそうに呟（つぶや）きました。

　ユタは突然（とつぜん）気（き）づいて、「この変（か）わった風車（ふうしゃ）は、一体（いったい）、何（なに）をしているのですか」と聞（き）き返（かえ）しました。

　おじいさんは「風車（ふうしゃ）の力（ちから）で小麦（こむぎ）をひいているんだよ」と言（い）い、「では、この風車（ふうしゃ）でひいた小麦（こむぎ）からできたパンを食（た）べて行（い）きなさい。これなら、君（きみ）にも食（た）べられる」と言（い）いました。

　ユタは、おじいさんから小麦（こむぎ）のパンを少（すこ）し頂（いただ）き、それを食（た）べながら楽（たの）しくおしゃべりしました。

　六番目（ろくばんめ）の三日目（みっかめ）。つまり、風車（ふうしゃ）を後（あと）にしてから三日後（みっかご）に、ついにユタの食糧（しょくりょう）は全（すべ）て尽（つ）きてしまいました。お腹（なか）がすいて、お腹（なか）がすいて、ユタはもう一歩（いっぽ）も前（さき）に進（すす）むことができません。

　その時（とき）、四番目（よんばんめ）の三日目（みっかめ）に会（あ）った、人（ひと）の言葉（ことば）を話（はな）す狼（おおかみ）が現（あらわ）れました。

「ユタだな。今度（こんど）こそ帰（かえ）る気（き）になったか。お前（まえ）を食（く）い殺（ころ）すのは簡単（かんたん）だ。だが、お前（まえ）は以前（いぜん）、俺（おれ）に食（く）いものを分（わ）けてくれた。けれど、ここでもう帰（かえ）りなさい。エゾナに住（す）む、そのケーネという娘（むすめ）ですら、お前（まえ）の願（ねが）いを叶（かな）えることはできないだろう」

　ユタは答（こた）えました。

「けれど、僕（ぼく）はこの水晶玉（すいしょうだま）を、北（きた）の町（まち）のケーネに届（とど）けると、村（むら）のおばあさんに約束（やくそく）したのです。約束（やくそく）は果（は）たさなければなりません」

　狼（おおかみ）は言（い）いました。「約束（やくそく）は確（たし）かに大切（たいせつ）なものだ。だが、お前（まえ）はこのままでは先（さき）に進（すす）むことができないぞ。俺（おれ）もお前（まえ）も、もう食（た）べるものを何（なに）も持（も）っていない」

　ユタは毅然（きぜん）として、こう答（こた）えました。「僕（ぼく）と君（きみ）で、このあたりで何（なに）か食（た）べられるものを探（さが）そう」

　狼（おおかみ）はせせら笑（わら）いました。「お前（まえ）ののろまさで、捕（つか）まえられる獲物（えもの）などあるものか」

　ユタは、ムキになって答（こた）えました。「僕（ぼく）は、確（たし）かにのろまだ。だが僕（ぼく）には、ゆっくりとものを考（かんが）えることのできる知恵（ちえ）がある。僕（ぼく）の一番（いちばん）のろまな知恵（ちえ）と、誰（だれ）よりも早（はや）く正確（せいかく）に、物（もの）の匂（にお）いを嗅（か）ぎ分（わ）けられる君（きみ）の鼻（はな）で、きっと食（た）べ物（もの）を見付（みつ）けられる」

　狼（おおかみ）はガッハッハと笑（わら）うと、「面白（おもしろ）い。いいだろう。そのゆっくり進（すす）む知恵（ちえ）とやらと、俺（おれ）の持（も）っている、どの獣（けもの）よりもよく効（き）く鼻（はな）で、何（なに）か食（た）べ物（もの）が見（み）つけることが出来（でき）るか、やってみようじゃないか」

　七番目（ななばんめ）の三日目（みっかめ）になりました。ユタには良（よ）い考（かんが）えが何（なに）も浮（う）かびません。ユタも狼（おおかみ）も、お腹（なか）がキュウキュウ鳴（な）っています。

　天（てん）の雲（くも）からは、沢山（たくさん）の雪（ゆき）が降（ふ）ってきて積（つ）もり、ユタと狼（おおかみ）は洞窟（どうくつ）の中（なか）で、その溶（と）けた水（みず）を飲（の）み、命（いのち）を長（なが）らえていました。

　洞窟（どうくつ）の外（そと）に、しんしんと積（つ）もる雪（ゆき）を見（み）ながら、ユタは考（かんが）えました。

　「もうすぐ、春（はる）になるだろう。樹木（じゅもく）の根元（ねもと）には、春（はる）の息吹（いぶ）の木（き）の芽（め）があるんじゃないだろうか」

　狼（おおかみ）は鼻（はな）をきかせ、雪（ゆき）に埋（う）もれた木々（きぎ）の根元（ねもと）を、長（なが）いことかき分（わ）け続（つづ）けました。

　狼（おおかみ）が、洞窟（どうくつ）の近（ちか）くに生（は）えている木（き）を全（すべ）て調（しら）べ終（お）えると、最後（さいご）の一本（いっぽん）の根元（ねもと）に、木（き）の芽（め）が一（ひと）つ、生（は）えているのが見（み）つかりました。

　ユタ「ああ、ようやくあった。木（き）の芽（め）だ。これで僕（ぼく）たちは生（い）き延（の）びることができる」

　狼（おおかみ）は、少（すこ）し悲（かな）しそうに首（くび）を振（ふ）って言（い）いました。「いや、俺（おれ）は肉以外（にくいがい）のものを食（た）べることができないんだ。どの道（みち）ここで終（お）わりの命（いのち）だ」

　ユタは、狼（おおかみ）を抱（だ）きしめて言（い）いました。「そんなことは無（な）い。この木（き）の芽（め）をお食（た）べ。君（きみ）はこれを食（た）べて命（いのち）を長（なが）らえることができる」

　そうして、木（き）の芽（め）を二（ふた）つに分（わ）け、自分（じぶん）と狼（おおかみ）の二人（ふたり）で分（わ）けて食（た）べたのです。

　すると、狼（おおかみ）は一人（ひとり）の若者（わかもの）に姿（すがた）を変（か）えました。狼（おおかみ）は、ある魔女（まじょ）に魔法（まほう）で姿（すがた）を変（か）えられていた、オキという若者（わかもの）だったのです。

　オキの話（はなし）によると、東（ひがし）には美（うつく）しい魔女（まじょ）が住（す）んでいて、彼（かれ）は彼女（かのじょ）の魔法（まほう）で狼（おおかみ）に姿（すがた）を変（か）えられていたということでした。

　ユタとオキは友達（ともだち）になりました。オキは「一緒（いっしょ）に、そのエゾナという町（まち）へ行（い）こう。もう、俺（おれ）の足（あし）で一日（いちにち）ばかり、君（きみ）の足（あし）で三日（みっか）ばかりだ」

　八番目（はちばんめ）の三日目（みっかめ）。ユタとオキは、とうとうエゾナの町（まち）にたどり着（つ）きました。その町（まち）には、呪（まじな）いごとのできる人（ひと）がたくさん住（す）んでいて、それはみんな女（おんな）の人（ひと）でした。

　この町（まち）には、毎日（まいにち）、神秘的（しんぴてき）な問題（もんだい）が持（も）ち寄（よ）られ、巫女（みこ）となった女（おんな）の人（ひと）たちが、その神意（しんい）を読（よ）み解（と）いていました。

　ユタとオキは、ケーネという名前（なまえ）の女（おんな）の子（こ）に会（あ）うため、エゾナの町中（まちじゅう）を探（さが）しました。

　ケーネは、町外（まちはず）れの一軒家（いっけんや）に、父親（ちちおや）と二人（ふたり）で暮（く）らしていました。

　二人（ふたり）が、その家（うち）にたどり着（つ）いたのは夜（よる）だったので、ケーネはもう眠（ねむ）っていました。そのため、ユタとオキは、翌朝（よくあさ）までその家（いえ）に泊（と）めてもらうことになりました。

　次（つぎ）の日（ひ）の朝（あさ）、ユタはケーネに、宝物庫（ほうもつこ）で手（て）を触（ふ）れてしまった、あの水晶玉（すいしょうだま）を荷物（にもつ）から取（と）り出（だ）し、これまでのいきさつを話（はな）しました。

　ケーネは、ふんふん、とユタの話（はなし）に耳（みみ）を傾（かたむ）けています。少（すこ）し口元（くちもと）がほころんでいるようにも見（み）えました。

　するとケーネは、頭（あたま）に巻（ま）いていた若草色（わかくさいろ）のスカーフを解（ほど）いて、その水晶玉（すいしょうだま）を綺麗（きれい）に全部（ぜんぶ）くるみ込（こ）みました。

　そして、優（やさ）しくふっと息（いき）を吹（ふ）きかけました。

　ケーネがスカーフの包（つつ）みを解（と）いて広（ひろ）げると、そこには一枚（いちまい）の地図（ちず）のようなものが現（あらわ）れ、あの青（あお）い水晶玉（すいしょうだま）はどこかに消（き）えてしまっていました。

　ケーネは言（い）いました。「これが、あなたの本当（ほんとう）の神託（しんたく）。あなたが触（ふ）れたものは確（たし）かに尊（とうと）いものだったけれど、呪（のろ）いじゃ無（な）いわ。あなたの時間（じかん）が遅（おそ）くなってしまったのは、ここに来（く）るためよ。この町（まち）では、あなたと同（おな）じで、時間（じかん）がゆっくり進（すす）んでいるの。しばらくここで休（やす）んで、旅（たび）の疲（つか）れを癒（いや）しなさい。そしてそれから、これからのことをじっくり考（かんが）えればいいのよ」

　その晩（ばん）も、ユタはケーネの家（うち）に泊（と）めてもらいました。

　翌朝（よくあさ）、目（め）を覚（さ）まして、ユタはケーネの父親（ちちおや）と一緒（いっしょ）に朝（あさ）ご飯（はん）を食（た）べました。ユタは、出稼（でかせ）ぎに行（い）っている本当（ほんとう）の両親（りょうしん）に会（あ）いたいと思（おも）いました。

　ケーネは言（い）いました。「昨日（きのう）、水晶玉（すいしょうだま）から姿（すがた）を変（か）えた、この地図（ちず）の中（なか）には、とっても深（ふか）い湖（みずうみ）ができていてね。その湖（みずうみ）は、お宮（みや）にいた二匹（にひき）の龍（りゅう）が守（まも）ってくれているから、逆（さか）さにしてもこぼれないし、火（ひ）を付（つ）けても燃（も）えないし、とっても丈夫（じょうぶ）だから破（やぶ）れたりしないの」

　そう言って、ユタにその地図を渡しました。

　「そして、その湖（みずうみ）の水面（みなも）は、いつもゆらゆら揺（ゆ）れてるの。そこに、これからあなたが進（すす）みたい未来（みらい）の姿（すがた）が、いつでも、どんな風（ふう）にでも、少（すこ）しずつ映（うつ）し出（だ）されてくるのよ」

　ユタは驚（おどろ）いて言（い）いました。「いつでも、どんな風（ふう）にでも？」

　ケーネ「そう、いつでも、どんな風（ふう）にでも。でも、もう、あなたはゆっくりとしか先（さき）へ進（すす）めないの。だから、この湖（みずうみ）に映（うつ）し出（だ）される地図（ちず）には、そこにたどり着（つ）くための、道標（みちしるべ）も、通（とお）り道（みち）も、そして本当（ほんとう）の本当（ほんとう）の目的地（もくてきち）も、ゆっくりとしか見（み）えてこないの。それでも待（ま）てる？」

　ユタは、ずっとずっと考（かんが）え込（こ）んでしまいました。自分（じぶん）が、地図（ちず）の中身（なかみ）が見（み）えてくるまでの時間（じかん）を、待（ま）つことができるのか、できないのか、自信（じしん）が持（も）てなかったからです。

　でも、すこし考（かんが）えてから、こんな風（ふう）に言（い）いました。

「僕（ぼく）は、もう、ゆっくりとしか動（うご）けない。けれど、この、ケーネがくれた水面（みなも）に揺（ゆ）れる地図（ちず）のおかげで、これから色々（いろいろ）なことを学（まな）んでいけると思（おも）う。たとえ、ゆっくりとしか動（うご）けないとしても、僕（ぼく）は僕（ぼく）なりのペースで、目的（もくてき）の方向（ほうこう）へ向（む）かって、少（すこ）しずつ進（すす）んでいこうと思（おも）うんだ。それでいいんだろうか？」

　ケーネは、とても可愛（かわい）い笑顔（えが）で答（こた）えました。「いいわね。そんな答（こた）えを待（ま）っていたわ」

　そして、ケーネがくれた水面（みなも）に映（うつ）る地図（ちず）なのですが、不思議（ふしぎ）なことがあります。その地図（ちず）では、今（いま）いる場所（ばしょ）と目的地（もくてきち）とが、近（ちか）くなったり、遠（とお）くなったり、変幻自在（へんげんじざい）に変（か）わるのです。

　ユタのいる村（むら）も、ケーネのいる町（まち）も、その距離（きょり）は何度（なんど）も変（か）わります。遠（とお）くなったり、近（ちか）くなったり。地図（ちず）に付（つ）いている日時計（ひどけい）の時間（じかん）の進（すす）みも変（か）わっていきます。速（はや）くなったり、遅（おそ）くなったり。

　そして、ケーネにもらったこの地図（ちず）は、お宮（みや）にいた二匹（にひき）の龍神様（りゅうじんさま）のおかげで、火（ひ）を付（つ）けても燃（も）えないし、丈夫（じょうぶ）だから破（やぶ）れないし、その湖（みずうみ）は逆（さか）さにしてもこぼれません。

　ユタは、今日（きょう）もケーネに貰（もら）ったこの地図（ちず）を頼（たよ）りに、故郷（こきょう）の村（むら）とエゾナの町（まち）を行（い）き来（き）しながら、目的地（もくてきち）に向（む）けた旅（たび）を、ユタ自身（じしん）の速（はや）さで続（つづ）けている、と聞（き）きます。

　これは、狼（おおかみ）に姿（すがた）を変（か）えられていた青年（せいねん）、オキに聞（き）いたお話（はなし）です。《おしまい》

《2021-02-13 0017版》