勇者狩りの夜明け(勇者狩りエピローグ)
黒々とした煙が曇天の元に昇ってゆく。
かつてケイト・アングレイス・シュバルツであった塵芥は、それよりも速く風に流されていった。弱まった雨足ではその小火を消すことは叶わず、明け方だというのに辺りは野次馬でごった返していた。
「困るんだよネェー文官さん」
くぐもった低い声。勢い任せの弱い発声。身なりを整えても、オーク特有の話法はまだ抜けていない。
「倉庫を一晩貸すことには承諾したがネ、焼き捨てるなんて聞いちゃいないんだよ」
「そうは言ってもご主人様ァ、助成金も出るんだから別にいいじゃないすかァ、何も今ここでお役人さんに楯突くこたァ――」
小脇に控えたゴブリンが、小さな背をさらに丸めてオークの荘園主へ取り繕っている。オークは太い腕でゴブリンを小突くと、より強い訛りで愚痴る。
「馬鹿言ェ、いっくらここの倉庫が森を抜けた真ん前にあるからってヨォ、潰していいなんて言った覚えはねェンだ! タダでさえこの村ァ、ガキとジジババだらけで、オメー見たいなヒョロい奴しか居ねェンだってのに、倉の中身移し替えるのだって――」
それについては、と言って焼け跡から女戦士が現れる。
「アタシが手を貸そう、どこにある、どこへ運べばいい」
女戦士の身長はオークの荘園主を遙かに超えている。臆したオークが、引きつった笑みでどもりながら何事か呟くも、後で頼むと最後は快挙した。
「――力仕事は任せてくれ」
女戦士はふと笑って見せた。ざんばらな赤髪の隙間から焼け跡の周囲を見渡した。野次馬を抑える警備隊の脇に、文官少女を見つけた。のろのろとした歩みで女戦士が近づくと、寝不足で不機嫌そうな少女はにらみ返す。
「――あの時」
またか、と女戦士は肩で息をする。
「余計に暴れなければ、ここも骨組ぐらい残ってくれたかもしれませんね」
「芝居打って挑発しようとしたのはお前だろう、逆効果だったがな」
「もう少し速く登場なさってくれていれば、穏便に済んだかもしれません」
「アタシがアンタの許可無しに武器を持てないのを知っててそれを言うか?」
「不必要です、事実その辺の端材でも倒せたでしょう?」
「そこまで解っているなら、なぜ最初から実力行使に出なかった」
ふん、と鼻息を鳴らして少女は肩下げからパピルス紙の束を引抜き、びっしりと詳細に書かれたプロフィールを見せつける。
「トカゲの尻尾にされたお仲間たちから得た情報に寄れば、挑発と年下の娘に耐性がないことが窺えます。 少々計算外の展開でもありましたが、概ね私の計画は完璧でした」
閉口する女剣士に対して、少女は得意気にプロファイリングは追跡調査の基本中の基本です、となだらかな胸を張った。
「剣のお稽古も結構ですが、多少は座学もお勉強されてはどうでしょう?」
女戦士は天を仰いだ。常人が一生かけても勇者語は半分もわからない。苦し紛れにこの似顔絵お前が描いたのか、と訊ねる。上手いでしょう、と勝ち誇ったような少女の態度に、女戦士は大変雑に溜息で返した。
二人が他愛ない応酬を三度ほど繰り返している間に、再び村の群衆が騒ぎ立てる。
「おらー、見世物じゃねーんだからジロジロ見んなー! 明日からテメーらのお仲間になるんだぞ、メンチ切って変なイチャモンつけんじゃねェー!」
ゴブリンが背を伸ばして叱咤した。群衆の奥からは二台の馬車が現れた。奴隷商の荷台には人間が屯し、もう一台には彼らの物と思わしき荷物がごった返している。
人々の背や腕には、簡単な刺青が施されている。
「あの商隊、例の勇者の被害者か?」
軽く怪訝そうに問い質した女勇者に、あたぼうよ、とゴブリンは鬱陶しそうに応えた。
「元々奴っこさん、ウチの大将にイチャモン付けて絡んできたんだ――仕事が雑だから配当を控えたら、やれ血が汚いだの、ジンケンシンガイだの、訳わかんネェ事並べ立てて――大方、農奴に紛れてこの村ァ乗っ取ろうって算段だったんだろうナァ――」
オイラの村もそれで苦労したんだァ、と天を仰ごうとしたゴブリンから目を離して、女戦士は中空を見つめた。
掠奪は、何も無軌道に行われるわけではない。理由や原因が存在する。
傭兵や、勇者に対して配当が遅れたり、対価として釣り合わないと相手が主張したとき、代替えは依頼者の私費から支払われる。その主張が通り、依頼者が領主や貴族、荘園主だった場合、直接彼の領地に存在する集落が襲われたとしても、誰も文句を言わない。この時代、ごくありふれた話なのだ。
魔王勢力との終戦締結からおよそ百年。
平和への道と開墾政策の進展、亜人の市民社会進出は、未知の領域で人外のモノと戦い続ける勇者たちの立場を奪っていった。勇者たちの暮らしは荒んでいった。地下勇者酒場に出入りするようになった彼らは、腹いせや八つ当たりなどの軽い理由とその場のノリで掠奪を繰り返した。その原因を、勇者たちはオークやゴブリン、ミノスやパーン、リザードマンやマーマンと言った亜人たちに求め、自らの行為は省みられることはなかった。どれほど伝統教会から使者が送られても、殉教者が増えるばかりであった。
やがて事態を重く見た教会と各王政府は、内政干渉の是正から始めた協会の排斥を本格化させ、勇者そのものの逮捕と懲罰を専門とする部署を建設する。それが、今日における勇者狩り部隊の走りとなった。
だがその戦績も成果も、多忙に追われて遅々たる歩みでしかないのだ。
女戦士は気重に荷物を背負って下車する人々の背を見つめる。施された刺青の形は、人間側の領土であつらえられたモノだ。今度は荘園主に視線を投げた。
「とって食いやしないよな?」
「馬鹿言え」
背を向けてオークは即答する。
「人間ってのはな、俺らにゃ肌が合わねえし、骨ばっかで食えたモンじゃない――第一この集落は人間が作って、人間に焼かれて、五十年近く手つかずだったんだ――だったら、人間に扱わせた方が戻りも早いし、生産性も上がるってモンだろ」
本当ですか、と少女も背を向けて訊ねた。真意はわからないが、釘を刺したいんだろうと女戦士は察した。微妙な間をゴブリンが取り繕うとすると、酷なこと訊くね文官さん、と荘園主は寂しそうに呟いた。
「仕事ってのは上も下も絆が要だ――中途半端が一番困るし、人間ってのは疑り深い種族だ、手荒なまねは御法度だよ」
「だから血を混ぜて、温和にしようと?」
少女は余計に毒づいた。女戦士が間に割入るが、そりゃないな、と荘園主は背中で笑って見せる。
「俺やソイツみたいな、亜人のアイノコ――どっちかつかずが増えたところで、村になじめず孤立する――そうなりゃよう、また一旗揚げようって、あの馬鹿みたいのを増やすだけじゃねえか?」
それだけ言い残すと、荘園主は樫の木で作った杖をついてその場を後にした。背を丸めたゴブリンがひょこひょこと同伴する。
多く、重く、長く、いろんなものを背負ってきたであろう背中が小さくなっていく。襟首には、うっすらと刺青の跡が覗えた。それを見て女戦士プセルは、己の全身に刻まれた紋様を確かめる。例え自分を買い戻しても、自らの手で道を開いても、苦しく辛い過去は永遠につきまとうのだ。
もう二度と、この村に顔を出さないのだろうと、プセルは予想した。
「なるほど――話は訊いてみるもんだな」
未だ背を向ける少女に、プセルはわざとらしく同意してみせる。
「――教会、建て直せるでしょうか」
プセルには見向きもせず、少女は応えた。彼女の視線の先には、警備隊に誘導され、散り散りに元の場所へと捌けていく人間たちと、新しくやってきた人間たちが混じっていく光景が広がっている。
彼らの中から新しい勇者が生まれないと、誰に保証できよう。
まだ少女は振り返らない。だがその小さな背中に背負えるものは限られている。
曇天の隙間から差し込む朝日が、辺りを少しだけ照らしている。明るくなるにつれ、足下の影はじわりと濃さを増していく。
「アンネリンダ」
プセルの問いかけに、少女、アンネリンダ・ファイエールは振り向いた。短く揃えた黒髪が風になびいた。
「旅は長い――もう少し休んでおけ」
例えどれほど晴れていても、勇者狩りの夜明けは、いつもこんな風に憂鬱になる。
勇者狩りの夜 時茄雨子(しぐなれす) @signaless
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。勇者狩りの夜の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます