絶対にチョコレートが欲しい後輩君と絶対に渡したくない先輩のお話。

さい

【短編】



【2月14日が日曜日で良かった】




そう思っているのは世の中できっと私だけじゃないだろう。






理由は色々、あるだろうけど。





「夜凪やなぎさん。お疲れ様です。今お時間ありますか?」


ちなみに私がそんな事を考えてしまったのはこの見目麗しい後輩の松山まつやま君が理由だったりする。


松山君はちょっと珍しいくらい整った容姿の青年で、もちろん今日も相変わらずかっこいい。何か特別な事をしていなくても雑誌の表紙を眺めているような気分なるのでこうして仕事の会話をするだけでもすごく得をした気分になるという実にお得な後輩君だ。


しかもそんな有り難いルックスに加えて性格も良くトドメに仕事も出来るというとんでもない逸材。不用意に近付くと何らかの不幸に見舞われそうで畏れ多い。


しかし今は仕事中。個人的なイメージが業務に支障を来さないように気を引き締める。


「大丈夫だよ。」


「すみません。これなんですけど。確認お願いしても良いですか?」


そう言うと椅子に座っている私よりも態勢を低くして見上げてきた。


松山君は私に確認や許可を求める時に必ず身を屈めて下から覗き込むように話し掛けてくる。これまでに何度も【普通に立ったままで大丈夫だよ】と言ってもなぜかこの態勢を崩さない。業務ではどんな指示にも即座に対応してくれるのにこれだけは頑なに変えてくれないのだ。


そのためスラリとした長身の松山君に見上げられる事にも次第に慣れてしまった。


「あとで使えそうな動作も記録して一覧をデータ化しておきました。」


言葉に添えられた人懐こい笑顔は至近距離で受けるには眩しすぎる完成度だ。背景に光とか花とか、そういうエフェクトを合成したくなる。


恭しく差し出されたタブレットの画面には見やすくまとめられた処理済みのデータが表示されている。


さすが松山君。相変わらず気遣いも細やかで有り難い。


締め切りまではまだ随分と余裕がある案件だ。これから確認作業をする身としては早めに提出してもらえると正直かなり助かる。


「どうですか?」


おそらく完璧に仕上げられた成果品を携えて人懐こいキラキラした目で見上げられるとなぜか【ほめて】と催促されているような心持ちになるので不思議だ。


一度も染めたことが無いらしいフワフワでツヤツヤの髪は光に当たると淡い茶色に見える。それに加えて明るくて穏やかで素直で従順な性格。



個人的に松山君はもうどこからどう見ても大型犬にしか見えない。



松山君がもし犬だったらこの場で「なんって良い子なのっ!」と全力で労い人目を憚らずに抱っこして全身を思い切り撫で回して褒め倒すだろうけど。もちろんそんな非常識な事はしない。  



理由は明確。松山君は大型犬ではないからだ。   



「ありがとうございます。確認が全て終わったらメールで連絡しますね。」


あまり素っ気なくならないように。それでもこちらの感情を気取られない様に。そんなバランスを崩さないようにビジネスライクに応対する。


メールで連絡しますね。


松山君は敏い。私が言外に【この場から一刻もお引き取り下さい】とアクセントで伝えた事にちゃんと気付いたようだ。


「よろしく、お願いします」


しゅん、とあるはずの無い大きな尻尾と耳が垂れ下がったように見えたのは、きっと私の気の所為に違いない。







同じ会社に所属しているとはいえ仕事上の接点が無ければ顔を合わせる機会は稀だ。



そのはずなのに今日に限ってはやけに話し掛けてくるような気がするのはきっと偶然だと思う。



荷物を運んでいればいつの間にか隣りにいた松山君に「持ちますよ」と優しく声を掛けられ、所用で内線をかければタイミング良く松山君が出る。


ちなみに「もし良ければお昼食べに行きませんか」と声を掛けてくれた時はすぐさま「お昼は電話当番なので無理です」と断った。少し言い方が冷たかったかもしれない。そう思い返して後で少し反省した事は内緒だ。


さらに「試作品をもらったのでどうぞ」と大好きなスイーツを差し出された時は「有り難く頂きます。後で食べますね」と早々にデスクに仕舞い込んだ。


そうやって何度追い返しても。松山君はそれでもめげずに近付いてきては根気良く話しかけてきた。


そんな時に急な修正作業を引き受けた時も、松山君がすぐに気付いて手伝ってくれた。徹夜まで覚悟していたのに驚く程あっという間に終わった。



「ありがとう。すごく助かった。」


「いえ。他にもお手伝い出来ることがあったら教えて下さいね。」




優しい言葉、可愛らしい差し入れ、スムーズに進む業務。



少しだけ心が揺れた事には気付かない振りをするしかない。





今年のバレンタインデーは日曜日だ。



当日が日曜日ならば前日は土曜日。会社の人間が松山君にチョコレートを渡すチャンスは今日しかない。


そのため今日は会社中の女子社員が松山君を呼び止めてチョコレートを渡している場面を何度も見掛けた。社内どころか普段中々来社しない取引先の関係者の姿も見える。モデルのような容姿。人当たりがよく明るくて仕事も出来る。これでモテないはずがない。



交わしている会話の内容までは聞こえないものの、相手に丁寧にお礼を言って受け取る様子は好感が持てる。



私の使い慣れたロッカーの中にある鞄の一番奥に入っているのは特別な意味なんて無いただのお菓子に過ぎない。






どんな事になるか。

わかりきっている。






だから絶対に。渡したりしない。







松山君には渡さないけど私も普通の社会人だ。バレンタインという習慣はお世話になっている人へ日頃の感謝の気持ちを表す絶好の行事なので、ちゃんとそのための用意はしていた。


「社長。お疲れ様です。いつもお世話なってるお礼です。」


「おう。どーもな。」


午後の比較的落ち着いた時間帯を見計らって社長を呼び止めて手の平に乗る程の小さめの白い箱を差し出した。


他のスタッフにはすでにあらかた配り終えたのでこれが最後だ。


シンプルな装飾。中にはオシャレなチョコレートが3つ程入っている。社長にこうして手渡すのは毎年恒例の事なのでお互いに慣れたものだ。


「松山にはあげないのか?」


実は社長とはなんだかんだで付き合いが長い。


このように【一番聞かれたくないこと】をズケズケと聞いてくるのでタチが悪い。


「あげませんよ。」


その上他のスタッフとは違いどんな隠し事も通用しないのが厄介だ。


それでも可能な限り動揺をさとられない様に対応する。


「良いのか?なんかめちゃくちゃこっち見てるぞ。」


「気の所為だと思います。」


これだけ露骨にアピールされて気付かないわけが無い。


松山君がこちらの様子を覗っている事は解っている。背中がヒリヒリするような視線を今朝から必死に受け流している。


しかし私は何もやましい事などしていない。お世話になっている人に感謝の気持ちを渡しているだけだ。だからコソコソせずに堂々としている権利がある。はずだ。


そんな私と松山君を交互に見比べては何か面白いのか社長は人の悪い笑みを浮かべる。



これはおそらく碌な事を考えていない。



社長は基本的には面倒見が良いのに他人をからかうのが何よりも好きというダメな部分があるのだ。


「お前がそれで良いなら良いけどさ。しかしすごいな。今にも人でも殺しそうな目でこっち睨んでるぞ?普段は綿飴よりチョロそうな雰囲気なのになぁ。社長さんは実に愉快な気分だ。」


「綿飴のどんな要素がチョロいのか解らないです。」


わざと話題を反らしても社長は空気を読んでくれない。やはり社長ともなるとこれくらい自我が強くないとやってられないのだろうか。違うか。立場ではなく個人的な問題か。あと自分で社長さんと言うのがめちゃくちゃイラつく。


「若いって良いなー。ついからかいたくなる。夜凪、ちょっとコレ手ずから食べさせてくれない?もしくは逆に食べさせてやろうか?甘い物好きだろ。」


思春期前の小学生みたいなテンションの社長がわざわざ【あーん】してチョコレートを食べさせてくれと強請ってくるのが、もうびっくりする程ウザい。ここが会社ではなかったらボコボコにしている。良かった。いや悪かった。


「死んでも嫌です。あと甘党なの会社では隠してるんで言わないで頂けますか。」


私が本当は甘い物が大好物という事も社長にだけはとっくの昔にバレている。


若い頃は【甘い物全般に目がない】という可愛らしい好みがなんだか気恥ずかしくて、会社ではあまり食べないようにしていた。そんな些細なことは事など誰も気にしていないと頭では解っているのに、言い出す機を逃したまま今日に至っている。


「それともいっそここでキスでもしてやろうか?一回やってみたかったんだよね当て馬ポジション。おでこにする?頬?それとも思い切って口にするか?」


社長がとんでもない事を宣いやがる。


ただでさえ今日は朝からモヤモヤしているのに簡単に悪化させる社長に対してついフワフワと殺意が湧くのは許して欲しい。


「床にして下さい。社長が床に這いつくばる様をぜひ見てみたいので。」  


「一応社長だぞ??」


社長はニヤニヤと笑いながら私の肩に手を乗せてから首を少し倒して【キスのフリ】をして遊んでいる。


しかしそんな事をされても私は大人しくしている余裕がある。本当に嫌がる事はしない人だ。




案の定こちらが何もしなくてもすぐに離れてくれた。




「ま。色々頑張れよ。」


「社長こそ人間的に頑張って下さいね。」


中身は残念だけど基本的に忙しい人だ。



そんな下らない悪巫山戯が。声が聞こえない距離にいる松山君が立っている場所から見るとどんな風に見えたのか。



私には解らない。





今日は朝から様々な葛藤があってものすごく疲れた。



とにかく早く家に帰りたい。温かいお風呂にでもゆっくり浸かって心を清めたい。そんな一心でそそくさと帰り支度を整えたのに。



「夜凪さん。お疲れ様でした。」


「お疲れ様、さまです。」



エレベーターに飛び込む前に道を塞ぐように待ち構えていた松山君に呼び止められてしまった。



もうこうなると逃げようが無い。



今日の松山君はおかしい。私がなぜチョコレートを渡さないのか。



松山君は知っているクセに。



「……さっき。社長と、何をしてたんですか?」



一瞬でスッと、空気が冷えた。見たことのないような険しい表情。



普段はわざと聞き取りやすく耳障りの良い高めの声で明るい話し方をしているのに、今は耳から脳をおかしくさせるような低音の声。こういうギャップも松山君は持ち合わせているらしい。


「別に。チョコレートを渡しただけだよ。」


「……ズルいです。俺も、欲しいです。」



松山君が悔しそうに自白する。



言うつもりはなかった。でも伝えたい。そんな葛藤から絞り出した声なのか少し掠れた懇願に背中が粟立つ。それでも。



「絶対に、あげない。」



答えはノーだ。


チョコレートなんて。渡せるわけがない。



「っ……ダメ、ですか?……俺の事、嫌いですか?」



ズルい。



もう十分に有り余る程のチョコレートを手にしている人間とは思えないリアクションだ。


仕事中は社会人らしくスマートに自分の事を「ワタシ」と言うのにまるで甘えるように「オレ」と言うのも実にあざとい手口だと思う。





好きだよ。と思わず言葉にしそうになるくらい。松山君はズルくてたまらない。





「お願いします。」



言葉こそ丁寧だが含まれているニュアンスは【お願い】等という生易しい態度では無い。



その証拠にいつもは私よりもずっと低い所から見上げてくる視線が今は射抜くように上方から見下ろしてくる。こうしてただ目の前に立っているだけでも威圧感を纏うのが松山君の本質なのか。


松山君はそのまま軽々とパーソナルスペースを超えて、それでもなおも近付いて来た。悪巫山戯をしていた時の社長よりもずっと近く。人懐こい大型犬だと思っていたら実はまったくレベルの違う野生の狼。




このままでは噛み付かれる。



そう思ってとっさに鞄の中に手を入れて奥に隠していた箱を掴んだ。



慌てて取り出して差し出したのは、さっきまで周りのスタッフに配っていた気軽なチョコレートとは明らかに趣が異なる重厚感のある包装。落ち着いた色合いのリボン。フランス語のスタイリッシュなロゴマーク。つまり。   




どこからどう見ても。

本命のチョコレート。




「……どうぞ。」



渡すつもりは無かったのに。それはあっけなく松山君の手の中に収まってしまった。


受け取ったそれを溶けてしまうのではないかと思うくらい凝視したまま、しばらく固まっていた松山君が。






















叫んだ。






「あ、ありがとうございます!!!夜凪さんにチョコレートをもらいました!やりました!本命の!心がこもったチョコレートを頂きました!義理チョコとはカカオと愛情の含有量が桁違いの!プライベートな好意をふんだんに含むスペシャルなチョコレートを最愛の彼女にもらいましたー!嬉しいです!!」


「松山君。うるさいよ。」



【最愛の彼女】



自分自身が一番半信半疑なのだが、実は私と松山君は付き合っている。


そんな彼からここ最近何度も何度もチョコレートの催促をされていた。バレンタインデーなんてエンジョイし尽くしてノーセンキューみたいな顔のクセに【チョコレート欲しいです!】とそれはもうしつこいくらいに要求してくるのだから驚いた。


普通の彼氏はハッキリと【チョコレートが欲しい】なんて付き合ってる彼女に強請らない気がするけど。


どんだけ信用ないんだ私。


たしかに【別に付き合ってるならチョコレートなんて不要じゃね?】とか思ってたけど。なんで解ったんだろ。


とはいえ今年のバレンタインデーは日曜日なので【ちゃんと用意して当日に二人きりの時に渡します】と伝えておいたのに。だからどんなにアピールされても無視していたのに。


どうしてこんな事になったのか。


「日曜日まで待てなかったの?」


「はい!待てませんでした!だって夜凪さんが他のスタッフに愛想良く義理チョコ(ココ重要)を渡してるの見るのつらかったし、逆に俺が他のスタッフから義理チョコ(ココ重要)をもらってるの見てるのに全っ然まったくガチで平気そうなリアクションで泣きそうでしたよ?さっきのも社長の悪巫山戯だって頭では解ってたんですけど腸が煮えくり返るかと思いました!なので夜凪さんとちゃんと相思相愛であるという事実を積極的に世界中に知らしめたくて知らしめたくてどうしようもなくなってしまいました!皆さん見て下さい!ちゃんと本命のチョコレートをもらいましたよ!ご覧の通り一方的な片思いではなく両想いです!ありがとうございます!」



まるで貴重な宝物でも自慢するようにようやく手にしたチョコレートを掲げて周りのスタッフに洗いざらい暴露して見せびらかしている。



あの手この手で押しに押してくる後輩の圧力に根負けして付き合い始めた時も、次の日にはスタッフ及び部長と課長果ては社長にまで報告しやがったのだ。



大声で。それはそれは嬉しそうに。



最初に好きだと告白された時は酔ってるんだなと思って聞き流したし、付き合って欲しいと言われた時はセフレが欲しいのかな?と思った。


その後真剣に説得されてようやく松山君はどうやら私と【本当にお付き合い】をしたいようだと気付いて驚きながらも断る理由もなくOKして付き合うことになっても、当然会社では他人の振りをして過ごすのだろうと思っていた私はその逃げも隠れもしないどころか大々的に報告して知らしめるという行動にガチで度肝を抜かれた。


そんな私達の関係を知っている周りのスタッフがめちゃくちゃニヨニヨしながらこっち見てる。



気まずい。気まず過ぎる。



困り果てて松山君を睨み付ける。すると蕩けるような笑顔が倍返しで向けられる。違うっつーの。


本当にこの男はズルい。なんだかんだそれに巻き込まれてしまう自分が悪いのか。ちくしょう。


「夜凪さん!大好きです!今すぐ抱きたいです!キスをして構いませんか?愛しています。結婚して下さい!」


ついには膝をついて跪いた状態でとんでもない要求を山のようにして来やがった。


松山君はいつもチョコレートよりよほど甘い言葉を惜しげもなく言って、何一つ恥じる事は無いと真っ直ぐな好意を隠さない。私ならつい意地を張って隠してしまうありのままの感情を表してくれる。


そんな松山君にバレンタインデーにチョコレートを渡すなんて。火に油を注ぐようなものなのだ。




「だから渡したくなかったんだよ。会社では。」




大人しく出来ないなら日曜日は会えないよ。私は下から蕩けそうな笑顔で見上げてくる彼氏を小さく叱る。しゅん……と気の毒なくらい一瞬で大人しくなった松山君はクソ可愛らしい。



でもどんなに可愛らしい態度で甘えてきても、もう騙されないぞ。私は心に決めた。




絶対に来年は会社では渡さないと。




【HAPPY VALENTINE!】







【登場人物が全員しあわせな余談】


・過去の松山君はチョコレートは一切受け取らないタイプでしたが甘い物に目がない夜凪さんのために【彼女と一緒に食べても構いませんか?】ときちんと確認を取ってから受け取っていました。


・女性スタッフ達は松山君が夜凪さんを溺愛しているのは承知の上で【リアル健気わんこ頑張れ!夜凪さんと仲良く一緒に食べてね】という微笑ましい応援の気持ちを込めてチョコレートを渡しております。


・仕事ではクールな夜凪さんが甘い物を食べる時だけはホワホワした雰囲気になる事はすでに社内ではかなり有名な事実ですが、本人はバレていないつもりなので周りは気付いていない振りをして見守っている。


・夜凪さんは松山君を抱っこして撫で回して褒めたいと思っているけどプライベートでは意外と松山君の方が落ち着いた性格でしっかりしており夜凪さんの方がいつの間にか甘やかされているらしい。


・社長は生まれて初めての当て馬ポジションにテンションアゲアゲだったけど後でちゃんと松山君に直接【ごめんね】をして和解した。しかしその後松山君は酔うと社長に向かって【床に這いつくばれ】と呪いの言葉を吐くようになった。社長はそれが世界一おもしろいと思っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

絶対にチョコレートが欲しい後輩君と絶対に渡したくない先輩のお話。 さい @sai2

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ