チーツモックの巡り花

フィンディル

チーツモックの巡り花

 左手は頬杖、右手は鼻に。閉めきった店に広がるカナデラの匂いで、スピカは鼻がどうにかなりそうだった。雨の店番がこれほど過酷だなんて聞いていない。

 旧友の薬草屋がマジカインフェクション。医者の不養生。動けないから店番お願いってー。アンタ魔術師だし薬草にもアホみたいに詳しいしいけるっしょ。昔のよしみってことで。一日だけだから。

「はぁ」

 引き受けるんじゃなかった。しかめ面で呟く。青い髪を揺らして首を動かすと、視線の先には棚に置かれた瓶の山。清涼な香りで室内を天国の草原に変えるといわれる魔香液まこうえきカナデラも、百瓶積もれば草いきれの地獄と化す。雨の湿度も合わさり、ただでさえ少ない客はみな五分すら耐えられずに退店していた。

「引き受けるんじゃなかった」

 しっかり口に出すと愚痴が止まらなくなる。確かにカナデラは少し前から貴族連中に人気の魔香液で、貴族はいつも得意げに香らせてる。品薄が続いていて、それを百瓶も仕入れたのはあいつなりに頑張った。でも草原の香りなんて草原に行けばいくらでも嗅げる。豪邸から出ない貴族連中ならまだしも、庶民がカナデラを欲しがるわけがない。で、この店は庶民向け。こんなもの百瓶も店頭に置いてどうすんの。

「雨で換気もできないし」

 そんなだから隣の魔法店に客をごっそり取られるんだ。「こんなに仕入れて、借金とかしてねーだろうな」心配も止まらない。

 せめて店の入口くらいは開けよう。スピカはカウンターに手をついて立ちあがり、再び座った。

「あの」「いらっしゃい」

 食い気味にもてなし、手招きする。傘も持たずに小さな女の子が立っていた。「濡れてない? あー開けてて、ありがとう」この街を拠点にして長いスピカだが、その顔に見覚えはない。「臭いでしょ、ごめんね」「そんなことないですよ」女の子は粗末な服を着ていた。

 そしてどうやら客ではないようだ。大きな袋を携えている。

「薬草売り?」

「あ、えと、はい」

「何? ヒーリシ? ヴェノマ? そうね、ヒーリシだったら一房で」

 そこでスピカの口が止まる。女の子が申し訳なさそうな笑顔でカウンターに置いた、一本の薬草。細い茎に螺旋状に咲かせた小さな青花あおばな。可憐な地上部に比して力強い根。そして、花弁の裏には特有の黄色い魔脈まみゃく。間違いない。

「チーツモックの巡り花めぐりばな……」

「すごい。ご存知なんですね」

 多年草。季節晩春。花言葉は“無自覚の死”。栽培不可。眠り病に有効説あり。スピカは図鑑でしか見たことがなかった。正確にいえば、図鑑にしか生えないといわれる幻の薬草だ。

「もう何軒も回ったんですけど、お姉さんが初めてです」

「何でチーツモックがここに。何であなたが」

「探して、それで、育てて増やして。でももう必要なくなったから」

 驚いたスピカが袋を覗きこむと、螺旋の青花が大量に入っていた。チーツモックの栽培、繁殖。スピカは言葉を失い、所在なげに立つ女の子を少しのあいだそのままにし、そして思考を回す。雨音が続いている。女の子は濡れていない。

 と、スピカは気づく。

「ってことは、あなた、まさか」

 チーツモックの栽培。国ですら成功していないそれを趣味や商売目的に行う者はいない。敢えて行うなら、その目的は。

「父が眠り病だったんです」「よね、やっぱり」

 原因不明の奇病、眠り病。何の前触れもなく発症するこの病は、数年ほど眠りつづけたのちに死に至る。国が指定する難病で、治療法は確立していない。唯一、チーツモックの巡り花が有効とされるが、発見例自体が希少なため噂話の域を出ない。

「眠り病も知ってらっしゃるんですね」

「知ってるだけ。でも、あなたがとんでもなくすごいってことだけは理解してあげられる」

「ありがとうございます。それで、これ、買ってくれますか? その、お金が、なくて」

 そう、スピカが思考を回していたのはそれだ。チーツモックを高く買って終わり。立場上、それでいいのか。

 そもそも“でももう必要なくなったから”とはどちらの意味なのか。その答えによって、難病の治療薬なのかただの御伽噺なのか、この薬草の価値は大きく変わる。しかしそれを聞くことはスピカには憚られた。悲しい事実を知ることになりはしないか。

「買いたいとは思う。でもその前にいくつか聞かせて。もしあなたが」

 傘が閉じられる音がした。

「隣の店は駄目だったよ。チーツモックなんて知らないってさ。困っちゃうよな」

 そこには大柄な男性が立っていた。服はびっしょり濡れている。「この店は山っぽくて良い匂いだな」

「あ、あのね」「でも売れなくても大丈夫だ。これからは俺が街で稼いできて何とかするから」「それが」

「だからユナは、山で待っててくれ。な?」女の子が男性に、少しだけ悲しそうな笑顔を向けた。

 そのとき、スピカは全てのことを理解した。“でももう必要なくなったから”の、どちらの意味だけでない女の子の願いも。

「お父さんですか?」

「はい、そうです。あ、その薬草なんですけど、見たことないかもしれませんが実は」

 ならば、この場のみんなが幸せになる方法は。

「買います。でも今この店には手持ちの金がないんですよ。馬鹿な主人が高級品を大量に仕入れちゃって。知ってます? 魔香液カナデラ。最近貴族のあいだで流行ってるんですけど」

「はぁ、そうなんですか? 事情があって流行には疎くて」

「貴族に売れば一瓶で、そうですね、最低でも一か月は生活に困らない金額になります」

 スピカは二人の後ろにある棚を指さした。そして紙に何かを書きこむ。

「百瓶あります。全て差しあげます。貴族にこのサインを見せて『特級魔術師スピカの紹介です』と言えば、賓客として対応してくれるはずです」

 女の子が声を上げた。意味を把握した男性が驚いた顔をし、紙を受けとる。

「ありがとうございます! 助かります!」

「いいえ、お礼ならお嬢さんにしてください。チーツモックの巡り花の栽培。宮廷ボタニストが飛びあがるほどの偉業です。お嬢さんがあなたを救ったのです。だからあなたは、失った二人の時間を取り戻してあげてください。お嬢さんのそばで」

「あぁ、はい、そうだ、そうですね。ユナ、ありがとう。これからは一緒だ」「……うん!」その笑顔こそが彼女の本来なのだろう。

「お姉さん、本当にありがとうございました」「いーえ、ただの物々交換よ」

 男性は袋に入ったカナデラ百瓶を片手に提げ、傘を差す。「持てますか?」「さすがにこれくらいは」男性は娘に傘を大きく傾け、女の子は父親の脚に寄り添う。そして二人で深く礼をして、雨に去っていった。

 残ったのは幻の薬草、眠り病の治療薬となるチーツモックの巡り花の束。「その不吉な花言葉も変えてもらいなさい」これを国に高く売却しながら、栽培方法を知りたがる宮廷ボタニストをあしらうのは骨が折れそうだ。

「引き受けるんじゃなかった」

 スピカは苦笑いして呟く。そして悪臭の消え去った店内の空気を胸いっぱいに吸いこんだ。

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チーツモックの巡り花 フィンディル @phindill

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