また明日……

謎の養分騎士X

また明日……

 茜色に染る薄暮を眺めながら、一人特等席である屋上のフェンスに、体を預け佇む。

 校庭からは運動部の勇ましい掛け声が聞こえる。

 そんなことを他所に、冷える首元をマフラーでしっかりと覆う。

 悴んだ指先をポケットの中に入れ、一片のチョコレートを取り出し、少しだけ齧る。

 口の中に広がるほろ苦く、芳醇な香り。

 それを堪能しつつ、喉へと通していく。

 これを味わう度に思い出してしまう。


──一年前のことを。



────────


 

 何の代わり映えのしない通学路を一人歩いていく。

 友達と一緒に通学する生徒は、明るく談笑しながらゆっくりと歩いていた。

 自分を追い越して行く生徒の中には、胸を躍らせながら小走りで学校へ向かう人もいる。

 それもそのはず、今日はバレンタインデーだ。

 浮かれている人の気持ちは分からなくもない。

 だが、自分には全く関係のないイベントだ。

 何も変わらない、いつも通りの平日。

 そんなことを考えていると、不意に肩を叩かれる。


「おはよ、康平こうへい


 振り返るとそこには一人の女子生徒がいた。

 その正体は、瀬戸香里奈せとかりな。小学校時代からの同級生で、昔から密かに思いを寄せている。

 家が近所ということもあり、昔はよく遊んだりしていたが、年が上がっていくにつれ、少しづつ疎遠になっていた。

 と言っても、ここ最近は少し話すようになり、一緒に登校することもたまにある。

 前はお互いに思春期特有の意識で、あまり話す事が出来なかっただけだろう。


「おはよ、今日は早いんだな」


 いつもは登校時間ギリギリらしいが、今日はいつもと違って余裕を持って登校している。

 挨拶を済ませると、再び歩き出す。

 

「ねえ康平、今日何の日か知ってる?」


「何って……バレンタインの事か?」


 自身はあったが、少々不安げに聞いてみた。


「そうだよ」


 そこから会話は途切れてしまった。

 何かあるから話しかけたのではないのか。

 彼女の方を見ると、偶然視線が合う。

 その表情はいつもとは違い、少しだけ憂いを帯びていた。

 

「それでどうしたんだ」


 自然に話を聞く。

 すると彼女は「なんでもないよ!」と言って手を顔の前で振る。

 彼女から話しかける場合は、絶対に何かあるはずだ。

 そんなに言い難いことなのか。


「無理に言わなくてもいいけど、言ったら楽になることもあるよ」


「いやー、そういう訳ではないんですけど……」


 なかなか難しい。

 香里奈は何をそんなに悩んでいるのか。

 一緒に考えれることなら考えてあげたいが、彼女は一向に話す気配がない。

 そんな彼女を横目に歩いていると、校門前の交差点に差し掛かる。


「あのさぁ……」


 信号待ちをしていると、香里奈がやっと口を開く。

 彼女の方を向くと、目線を下げていた。


「今日の放課後、一緒に帰らない?」


「うん、いいよ」


 何を言い出すかと思いきや、下校の話だった。

 そんなに緊張することなのか?

 確かに一緒に帰ることなどここ最近はないが、そこまで誘いにくい関係でも無いだろう。


「わかった! じゃあ放課後校門で!」


 信号が青になると返事をする暇もなく、溌剌はつらつとした挨拶と共に学校へと走り去って行った。

 一体なんだったのか、その答えを知るのは放課後になってからだった。



────────


 

 教室の窓から外を覗くと、大粒の雪が儚く舞っていた。

 終業のチャイムが鳴り、教科書をまとめて帰りの支度をする。

 ホームルームが終わると、教室を出ていく生徒の群れについて行きながら玄関へと向かい、約束の校門前で手が冷えないよう、交互に持ち手を変えながら、香里奈が来るのを待った。

 すると、ピンクのコートを着た女子生徒が手を振りながらこちらにやってくる。


「お待たせ、待った?」


「そんな事ないよ、行こっか」


 傘を並べて、歩き出す。

 特別何かある訳でもない。

 彼女はたまに、何か思い詰めたような顔をする。


「何かあったんじゃないのか?」


「ふぇ!? ああ、うん。あるにはあるんだけどね……」


 香里奈は何かを決心したように、手袋を外すとカバンに手を入れる。


「はい、これ」


 そうして手渡されたのは、リボンの着いた小さめの箱だった。


「チョコ?」


 そう言って受け取ると、高鳴る鼓動を感じた。


「うん、誰からも貰えない康平に慈悲のプレゼント」


 別にそんな皮肉を言わなくてもいいだろ。

 一瞬でも本命を期待した俺が馬鹿だった。

 心臓はうるさくなり続けるが、頭は冷えきっている。

 

「そりゃどうも」


 自分の思い通りに行かない憤りを、声に露わにしてしまった。

 さすがに態度が悪いだろうか。

 彼女の顔色を伺う。


「ごめん」


 香里奈が顔を俯け、謝り出す。

 そこまで考えさせたのか。少し罪悪感。


「俺も少し言い方がきつかったな」

 

「いや、違うの」


 彼女と視線が合い、その場で立ち止まる。

 その目は潤んでいて、頬が赤く染まっていた。


「実はね、私──」


 香里奈の声は、車のクラクションにかき消される。

 耳障りな程に鳴り響き、体が硬直する。

 なった方向に視線を動かした瞬間、大きな物体が自分の横を通り過ぎていく。

 が当る鈍い音と同時に、ガラスが割れる音がする。

 その直後、今まで聞いたことない音が響き渡り、その周りにいた人達が断末魔を上げる。

 隣にいたはずだった彼女の気配が無くなっていた。

 後ろを振り向きたくない。振り向けばきっと現実を突きつけられる気がして。

 ただ、自分の思いとは別に体勝手に動き出す。

 煙を上げ前方が跡形もなく潰れた車、そしてその更に先、うつ伏せで倒れている香里奈の姿。

 その周りからは、大量の鮮血が雪を紅く染めていた。

 目を逸らしたくなるような光景に、膝が崩れ落ち愁嘆する。

 彼女に少しづつ近づき手を握るが、体温が奪われるほど冷たくなっていた。

 

「香里奈……返事をしてよ……」


 当然返事が返ってくることは無かった。

 香里奈は即死。運転手は事故から二時間後に死亡が確認された。

 


────────



 あれから一年が経った。

 何をするにしても気力を失ってしまい、生きる希望すら失ってしまった。

 香里奈を殺した相手に怒りをぶつける事も出来ない。

 もう一度チョコレートを齧るが、吐き気がしたのでそれを吐き出す。

 ポケットから出したのは小さなメッセージカード。そこには『大好きです』と一言書かれていた。

 それを握りしめ、フェンスを乗り越える。

 下から叫び声が聞こえてきた。しかしそんな事は関係ない。

 あと一歩踏み出せば、彼女に告白出来るかもしれない。

 そう考えると、恐怖は無くなっていた。


「香里奈、今から逝くね」


 そう呟き、さらに一歩前へ足を進めた。

 

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