何故ならヒュメルは天織士であるから

風野 凩

 開けた窓の外から雨の匂いがしたから、私は半ば反射的にそれまでやっていたことを中断して玄関に向かった。道具を掴んで外へ飛び出せば、薄い雲が覆った空から白雨が降っている。

 昼前の空気は穏やかに湿り始めていて、周囲を覆う背の高い木々の緑も輝いていた。作業には絶好の環境だ。

「よい、っしょ!」

 両手に抱えた大きな絨毯を投げ広げ、土の地面に被さったその中央に跳び乗った。バスケットを足元に置いて曇り空を仰ぎ、試しに手のひらで空気を撫でる。

「わ」

 指先に触れた質感は予想以上だった。絡めたそれを逃すまいと指を曲げ、もう片方の手でポケットを探る。チュニックの上から着けた、丈夫な生地のエプロンの道具入れを漁って。

「与えたもう精霊に、感謝の祈りを捧げます」

 霊木の枝を削り磨いた、めいっぱい広げた手のひらと同じほどの大きさの糸巻きを額に当てて唱える。一連の動作を終えて、ようやく作業が始まるのだ。

「白雨、シャウアのお恵み。受け取らせていただきますね」

 泳がせた指先が掬い取った雨の糸を、近づけた糸巻きに巻き取らせる。くるくると片手で糸巻きの軸を回しながら、絡まってしまわないように縒り合わせて。

 なんていい天の恵みだろう。するすると皮膚の上を滑っていく感触は繊細で柔らかく、途中で切れることもなく糸巻きに収まっていく。これなら空中から採ったものは勿論、絨毯から汲んだ分も良い糸になるだろう。

 あっという間にひとつめの糸巻きが巻き終わり、すかさずふたつめを手に取る。順調に進む作業に気分も良く、糸巻きを収めるポケットに重さを取られたみたいに体が軽い。

 そのことに知らず鼻歌なんて歌いながら。短い通り雨を、思う存分糸へと縒り上げた。



 上質の糸が三巻きと、少しだけ質は落ちるけれど充分と呼べるだけのものが同じく三巻き。それをそっとバスケットに並べ、汚れないように蓋をする。久々に良い糸が紡げて、晴れやかな気持ちで満ちていた。

 くるくると絨毯を丸め、バスケットを腕にかけてから両手で抱え上げる。そうして開け放していた扉を振り返って、

「…………あ」

 やっと思い出して血の気が引いた。

「いやぁ見事だったよ、ヒュメルちゃん」

 私の家の戸口に寄りかかって、にこにこと笑う背の高い男のひと。大きな宝石が付いた髪留めで束ねた乳白色の髪を肩口に流し、纏う服装は夕闇のダークブルーを切って縫ったようなロングコートとスラックスだ。装飾の多いそれに見劣りすることのない様は絵本の貴族様のようで、同時にこんな森の奥までひとりで来たというのがつくづく信じがたい。

 年は私よりいくつか上、二十を少し過ぎた程度と言っていたけれど。柔和な灰色の瞳が宿す光は落ち着いた温かいもので、かつて見守ってくれていたひとのそれとひどく似ていた。

「ごめんなさい私、お客様が来てるのに」

 しかもわざわざ足を運んでくださった方を、だ。作業に没頭していた時間はそれほど長くはなかったはず、ではあるけれど。

「気にしなくていいよ。こっちこそ勝手に見せてもらったし」

 男性の口調はあっけらかんとしたもので、道を譲りながら私に手袋を填めた指先を差し伸べる。

「さ、片付けるんだろう、それ」

「ありがとう、ございます」

 エスコートしてくださるような動作は嬉しい、よりも恥ずかしさが勝ってしまった。何しろ男性が絵本の貴族様なら、私はみすぼらしい村娘そのものだ。服装は丈夫さと動きやすさしか考えていないし、バンダナで覆った赤銅色の髪も癖がひどくて一本に結んでもぼさぼさしている。瞳だけは空の青色で気に入っているけど、水鏡ではよく見えない。

 そう思うと並ぶことすら気が引けて、足早に家へ入ってしまった。絨毯を扉の脇に立て掛けバスケットを作業台に置いてから、それはそれで失礼ではと気づいて慌てて振り返る。

「うん?」

 小首を傾げた相手に、気を悪くしたような様子は見られない。少し胸を撫で下ろして、先程と同じように椅子を勧めた。

「あの、これから用意しますから。ミルさんは座っていてもらって」

 名乗られた愛称で呼びかけると、いそいそと座り直す。そんな様を横目に、新しい薬草茶を淹れ直そうと台所へ向かおうと足を向けた。

「ヒュメルちゃん」

「なんですか?」

 その最中に呼び止められて、振り向けばミルさんが真っ直ぐこっちを見ていた。

「さっきは良い糸が紡げたのかな」

 随分ご機嫌だったけど、と付け加えられた台詞に、また顔が熱くなる。何とか頷いて応えると、ミルさんもひとつ大きく頷いた。

「じゃあさ、それで織って見せてほしいな」

「え?」

 瞬きひとつ。思わず見返したミルさんの目は、そういえばさっき見た薄曇りの空と同じ色だった。訊き返した私へ、

「君の、とっておきの仕事。最高の天織布を僕に売ってよ」

 ここに来た理由だと。最初に言われたその言葉をもう一度繰り返された。



 天織士、それが私の生業の名前だ。

 その仕事は糸を紡いで機を織る。ただその糸は、天から与えられた恵みを紡いだものに限られている。

 日の光が差す土地で得られるハイタの恵み、立ち込めた雲のように厚みがあり温もりを持つべヴェルの恵み。肌にひやりと触れる無垢で真白なシューネの恵み。それらを齎す精霊に感謝を捧げて、恵みを受け取り形とする。それが天織士の仕事なのだ。

「君がどうしてたったひとり、ここで天織士をしているのか聞かせてくれるかい?」

 それほど広い家ではないから、食事の用意をする私の背中にミルさんが問うのは簡単に聞こえた。

「……全部お祖父さまから受け継いだんです」

 僅かに育てた野菜や森で採った野草、それから通いの商人さんから買い求めた乾燥肉を穀物と一緒に煮ただけのスープが今日の昼食だった。他のひとの分までテーブルに並べることは何年振りになるだろう。

「君のお祖父さんも君と同じく天織士だった。知っているよ」

 言ったミルさんが座る椅子は、ずっと荷物置きの台と化していたものだ。

「それでしたら、ご存じかもしれないですが。お祖父さまは街中が嫌いで、ひとに会うのも年々億劫になったそうで」

 スープをひと匙掬って、口に運ぶ。私としてはちゃんとしたご飯なのだけど、町のひとの口には合わないかもしれない。けれどミルさんは一言美味しいね、とだけ言って、私に話の続きを促した。

「それで、ここに。白雨がよく降る、ひとの来ない森の奥に工房を建てたんだそうです」

 そう決めたのはもしかしたら、お祖母さまを早く亡くしたからかもしれない。直接聞くことはなかったけれど。

「白雨、俄雨だね。レイゲンの恵みではなく、シャウアのものだ」

「お詳しいんですね」

 ミルさんの言う通り、普通の雨は精霊レイゲンからのお恵みだ。けれど私は、お祖父さまが選んだシャウアの恵みに魅せられた。

 ほんの一時しか降らない、気まぐれのような白雨。

「僕だって天織布の為に自分で出向くような奴なんだよ」

 戯けた仕草で肩を竦めたミルさんが、手袋を外さぬままの両手でスープの器を持ち上げた。一息に飲み干す動作に目を丸くしていると、照れたように笑う。

「ご馳走様」

「お、お粗末様でした」

 つい話に集中してしまって、自分の手が止まっていた。匙を握る手を動かす私の対面でカップを傾けていたミルさんが、何かを捉えて瞬いた。

「それは、お祖父さんが作ったのかい?」

 指した先を首を捻って確認する。そこにあったのは壁に吊るしたタペストリーだった。小さな窓と同じほどの大きさに、物語の一場面のような絵が刺繍されている。

 淡い青から濃い水色の濃淡だけで表された絵柄は、簡略化されて一見では分かりづらいけれど。伝え聞くところによれば、長い衣の精霊が空にかかる虹を橋とし進み行く図なのだという。

「いえ、その。これは」

 そしてこのタペストリーは、天織士の証でもある。師として仰いだひとに認められるだけの天織布を織り上げられたときに、図案を教わり刺繍を施して作るのだ。

「私の、なんです」

「……へえ、ヒュメルちゃんの」

 かたん、と椅子を鳴らして立ち上がったミルさんが、私の横をすっと通り過ぎた。間近で眺められているのだと思うとひどく息苦しく、居心地が悪くなる。

「成程、お祖父さんが認めたのも分かる出来栄えだね。だけど」

 そこで切られた言葉の先は、言われなくても分かっている。

「精霊様の祝福は、得られなかったんですけれどね」

 天織士は、ひと柱の精霊の恵みを紡ぎ織る道を究めるものだ。師だけでなく、自らが選んだ精霊にも認められたならば、出来上がったタペストリーに印が現れるのだという。

 お祖父さまのタペストリーには、青の中に鮮やかな六色の雨が一筋ずつ降っていた。それがシャウアの祝福の印なんだと聞いていた。だけれど私のそれは、ずっと一色のままだ。

「今じゃないだけなんだ、って言ってくれました」

 お祖父さまのその言葉を信じた。信じるしかなかった。

「いいんじゃない。それでも君は楽しそうに糸を紡いでいたじゃないか」

 ね、と振り返った、薄曇りの瞳を片方瞑ったミルさんに、そうだ見られていたのだとまた顔が熱くなる。

「さ、早いとこそのお皿を空にしてしまっておくれよ。織るところも見たいからさ」

 そう期待されても困るのだけれど、先に昼食をと言ったのは私だったので。

「ま、待ってください」

 再び止まっていた匙で、温くなったスープを掬った。



 ひとしずくの青を垂らした白、それがシャウアの糸の持つ色だ。紡ぎたての糸を収めたバスケットを傍らの作業台に置いて、私は布に覆われた大きな物の前に立つ。そのまま少し振り向いて、

「……あの、本当に見るんですね」

「うん。どうしても嫌、ってわけじゃないんでしょ?」

 言った言葉は椅子に座ったままのミルさんの前に挫けた。それは先程つい、勢いに押されて言ってしまっただけで。なんて言い分はきっと、ミルさんには通じないんだろうと私にも分かる。

 それに少しだけ、他人の視線を感じながらの作業が懐かしい気持ちもあった。

 だから私はそれ以上何も言わず、カバー代わりの布を外した。その下から現れる、年期の入った木の艶光。

 お祖父さまが手ずから造ったという織機へ、ひとつ大きく深呼吸してから腰掛けた。

 軽く両手を広げたほどの幅を持つ織機に、まずは経糸を張っていく。必要な長さを織り上げるに十分な糸を、いくつもあるへドルひとつひとつの穴に通して、弛みのないように。それから足元のペダルを何度か踏んで、繋がったシャフトが問題なく上下することを確かめる。

「シャウアちゃんはさ」

 呼んだわりに、ミルさんの目は織機しか見ていなかった。から、私も作業を続けることにする。

「ひとりで、飽きたりしないのかい」

「ここにいることに、ですか?」

 バスケットから取り上げた新たな糸巻きから、シャトルへと糸を移していく。単純な動作は慣れてしまえば早いもので、すぐに糸巻きひとつが空になった。

 はじめに経糸の間を潜らせる分を解いて、捩れないよう均して。

「いつかは、思うのかもしれません」

 かしゃん、とペダルを踏めば、シャフトが動いてヘドルが互い違いに上と下へずれる。それにつれて出来た経糸同士の隙間に、右から左へ緯糸を巻いたシャトルを通した。

「たまに来る商人さんにも言われたことがあるんです、同じように。でもまだ私は、そう思ったことがないから」

 経糸全てを一度に整えられる長さの櫛、リードと呼ぶ道具で通した緯糸を手前に引き寄せ、整える。再びかしゃん、とペダルを踏めば、上がった糸と下がった糸が入れ替わった。

「寂しい、とも?」

「それは」

 多分、少しだけ。

 シャトルを、今度は左から右へと潜らせる。ペダルを踏んで、リードで糸同士の隙間を詰めて。

 慣れた動きを繰り返しながら、まるで自問自答のように淡々としたミルさんの問いを耳に通す。

「でも私は、他所に行くよりここに居たいんです」

 手元から生まれてくる、淡い淡い空色をした艶やかな生地。繊細で滑らかな表面が、窓から差す光を複雑に反射している。

「時々降る白雨に喜んで、糸を紡いで天織布を仕立てる。それが好きだから」

 たとえ認められなくても、私の気持ちは確かだった。

「その気質は、お祖父さん譲りなのかな」

「どうなんでしょうね」

 似ているなら、勿論嬉しい。けどそうでなくてはとも思わなかった。不思議と心が凪いでいた。

 今この手で生み出している天の恵みの結晶。日の光のように温かいわけではなく、雲のように厚みもなく、雪のように無垢な色でもない。けれど私が知る中で一番優しく流れ落ちていく白雨の天織布に、ずっと魅せられているのだと分かったからかもしれなかった。



 糸の始末をして、出来上がったばかりの天織布を手に取る。ここ最近では一番と言っていいほど上質な出来だった。

 それでもやはり、緊張する。

「いかが、ですか?」

 差し出した天織布を受け取ったミルさんは、初めて手袋を外した。びっくりするくらい綺麗な指先が生地の表面を撫でて、真剣な顔で唸っている。

 おそらく、長い時間ではなかったのだろう。私には短く感じられなかった間の後、薄曇り色の目が柔らかく笑った。

「期待以上」

 聞こえた音の意味が分かるまで少しかかって、大きく息を吐いてしまった。今度はからからと明るい声で続けられる。

「腕は譲り受けたけど、偏屈さは継がなかったようで何よりだ」

「随分お詳しいんですね」

 台詞の意図はそういうことだろう、と尋ねれば。

「知ってるって言ったじゃない。随分昔のことだけど」

 そう返ってきて首を傾げた。ミルさんも、それほど昔を昔とする年齢には見えないのだけれど。

 私が覚えている限り、森に訪れるのは商人さんくらいのもの。けれどそれ以前にお祖父さまと、というには計算が合わない。きっとその気持ちは顔に表れていたのだと思うけれど、ミルさんはただ苦笑しただけだった。

「さて、若い娘さんのところにいつまでも長居するものでもないね」

 そう言って手をかけたのは、ミルさんの腰ほどまでの高さを持つ立派な鞄だった。表面は布張りで、おそらくハイタの天織布によるものだ。なんて贅沢な品なんだろうか。

 重厚な造りに見えるそれを、片手で軽々と座った膝の上に乗せて開ける。そうしてミルさんは私の織り上げた天織布を丁寧な手つきでその中へと横たえた。

「では頂いていくよ。代金は……」

 これで、と差し出されたものを反射的に受け取って、から気が付いて慌ててしまった。

「い、いえその、こんなに頂けないです……!」

 最も価値の高い金貨が詰まった、重たい重たい革袋だった。私自身の仕事の報酬として受け取ったことのない、空恐ろしい額が入っているのだろう。

 両手にかかる重量に慄く私に、ミルさんはただ微笑むだけだった。

「仕事の質は正当に評価されるべきさ。とはいえ確かに、今回の仕事の分だけというわけでもない」

 手袋をはめ直した手のひらで私を指し示し、続けて鞄をとんと叩く。

「君の将来性に対する投資も含んで、だね」

「それ、って」

 つまり、次があるということ。

 いつもの、来てくださる商人の方に織り上げた天織布を託すのとはわけが違う。個人的に、私に向けてそんなことを言ってくれるひとは初めてだった。

 そうなると、喜びよりも戸惑う気持ちの方が大きくて。けれどお祖父さまの織る天織布にはたくさん愛してくださった方々がいたのだということもまた、知っていることだった。

 そうなることに憧れる気持ちも、ないわけじゃなかった。

「私で、いいんですか」

「僕の目の前でこの天織布を織ったのは君だよ、ヒュメルちゃん」

 君以外の誰だと言うんだい。立ち上がったミルさんは、私の前に片手を差し出した。

「突然の依頼だというのに、応えてくれてありがとう。また頼みに来るよ、必ずね」

 おずおずと握手に応じた手は、力強くも労わるようだった。不思議な印象を考察する間もなく手は解かれ、そのまま扉に手をかけようとした、ので。

「あ、のっ」

 言葉の詰まる喉からなんとか絞り出した声は、背を向けようとしたミルさんの動きを止めた。

「こちら、こそ。……ありがとうございました」

 精一杯でも全く足りない。それでも何も伝えないでは収まらなくて、言えた言葉がそれだった。

 何もかも足りない言葉なのに、まるで汲み取るに足りたかのように。もう一度振り向いた表情は、頬に当たる白雨のように柔らかかった。

「君も、君のお祖父さんも。天織士を選んでくれて本当に良かった」

 最後に大きな報酬を渡して、ミルさんは扉を開けた。



 そこでようやく気が付いたのは、私も先程まで作業に没頭していたということだろう。

「今から帰るつもりなんですか!?」

 空は綺麗なオレンジに染め上がっていた。木々で見えない端の方には、もう夜の色が滲むような時間だ。

「夜中に森を抜けるなんて無茶ですよ」

 どうしよう、お祖父さまが使っていた部屋を一晩お貸しするべきだろうか。慌てる私と対照的に、ミルさんは平然としたものだった。

「大丈夫大丈夫。ここからならすぐ帰れるから」

 どう考えたっておかしなその台詞の意図を問う、前に私を制したのは肌を優しく打った雫だ。見上げればいつ現れたのだろう、薄く天を覆った雲がまた白雨を落としている。

「ほらちょうどいい」

 手のひらでその雫を受け取って、ミルさんは私を振り返りにっこりと笑う。

「君たちの技とは違うけれど、折角だからお目にかけよう」

 乳白色の髪を束ねていた、虹色に煌めく宝石を嵌め込んだ髪飾りを片手で外す。そして壊れることなんて微塵も恐れていない素振りで、ぽいと宙へ放り投げた。

 砕ける音を予感して身を竦め、けれどいつまで経ってもそんな音はしなくて。代わりに変化を捉えたのは視界だった。

 白雨の雫に濡れた宝石が、刻一刻と失われていく夕焼けを含んで別の色へと変えていく。七つの色を空気に放つ。見た目だけのはずのそれが、けれど確かな実体を持ってそこに現れていた。

 ミルさんの目の前には、空へと伸びる虹の橋が建っていた。

「…………はい?」

 絶句していた私が辛うじて出せたのが、意味のない音ふたつ。そんな様子がおかしかったのか、ミルさんはけらけらと笑っている。

「なかなかメルヘンチックだと思うんだけどね。君もこういうのは好きな質じゃないかなあと」

 好きか嫌いか、と言われれば勿論好きだし、素敵だと思う。ただ純粋に驚いてしまっただけで。

「ただ残念ながら僕ら専用だから。空の散歩をご一緒にというわけにはいかないんだけど」

 とん、と磨かれた靴で虹の橋を一歩踏み、鞄を引いて二歩三歩と進んでからミルさんが一礼した。風に流れる髪がオレンジの残り火を反射して光る。

「じゃあね、ヒュメルちゃん。僕らからの贈り物を受け取る天織士」

「僕ら、って」

 訊く間もなく、確かめる前に、私にその呼び名だけしか教えてくれなかったひとの姿は虹を渡って見えなくなってしまった。



 呆然とする私に、白雨は降り続いている。目の前の七色がなければ、いやあっても全て夢のようだ。

 だから確かめるように伸ばした指先に、虹が絡んで悲鳴を上げてしまった。

「ひゃあ!」

 引いた指先から伸びる七色の糸は、ぷつりと途切れて宙を泳ぐ。そしてひらひら意思を持つかのように泳いでいった。

 向かう先は、開け放した家の扉だ。

 戸惑い追う前に振り向けば、もう虹の橋すら跡形もなく。かといって細い七色は消えずに家に入ろうとしていた。

 なんで、と問う暇もない。

 慌てて後を追った私の目の前で、迷いひとつなく七色はひとつの場所に収まっていた。

 私の織ったタペストリーに、七つの色――いや、地の青に一色を紛れさせて六つの色を、まるで雨のように。

 シャウアの祝福の印、そのままに。

「あ……」

 いいのだろうか。私はようやく、認められたと思っていいのだろうか。

 ならば、と私は再び振り返る。まだ白雨は、私が紡ぐべき糸の源は空から降り注いでいた。



 だから私は、また天の恵みの元へ飛び出した。

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何故ならヒュメルは天織士であるから 風野 凩 @kogarashi-kazano

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