ギリギリ☆バレンタインの放課後リング
いいの すけこ
義理チョコは ドロップキック 義理の愛
私はこのままでは、人殺しになってしまう。
放課後の教室で、窓際の壁にもたれてぐったりとした幼馴染。
ぽっかりと開いた口から、ヒロの魂が抜けだしていってしまいそうで恐ろしかった。
どうしようどうしようどうしよう。
私はばくばく鳴る心臓と、こみ上げてくる吐き気と涙をこらえるので精一杯だった。
このまま中学二年生にして、逮捕されてしまったりするんだろうか。
「
私の名前を呼ぶ声に、顔を上げる。ぽかんとしたヒロの口は、やっぱり動いていない。今度こそ涙がこぼれそうで、しゃがみこんで抱えた膝に頭を落とす。
「違う違う、もっと上」
頭上から響いた声に、私はもう一度頭を上げる。嗚咽を飲み込んだ私の唇が、ヒロと同じようにぽかんと開いた。
「ヒロ……?」
目の前のものが信じられなくて、瞬きを繰り返す。
うっすらとした、頼りない輪郭。煙のようなシルエット。
ぼんやりとした姿のヒロが、空中に浮かんでいた。
壁際を確認する。ヒロはやっぱりその場所で力を失っていて、その事実に再び打ちのめされた。
「ああ駄目、ショックのあまり幻覚見えてる」
ぷかぷかと宙に浮かぶヒロは、まるで幽霊のようだ。もしそうなら私は人を殺してしまったことになるし、幻覚ならそれはそれで、自分自身がおかしくなってしまったということになる。どっちに転んでも絶望的だ。
「幻覚じゃないって」
いつもと変わらない口調で、ヒロっぽいものが語り掛けてきた。
「じゃあなに、幽霊?」
「なんだろ、魂みたいなもの?気づいたら俺の体がぐったりしてて、意識はこっちにあるのね」
こっち、と言いながらもやもやのヒロは胸を叩くような仕草をした。
「なんで、そんなことになってんの」
それの正体が一体何なのかもわからずに、私は問う。私の心だか頭だかは、本格的に壊れてしまったのかもしれないと思いながら。
「そりゃあおまえ、千香が俺にドロップキックなんかするから」
「悪かったな!」
私は泣きながら叫んだ。
そう、私が悪かった。
私が、ヒロにドロップキックをかましたから!
遡ること三十分前、私はヒロにドロップキック、すなわち飛び蹴りをお見舞いした。私の蹴りをまともに食らったヒロは倒れこみ、そのまま背後にあった壁に頭を強打して――意識を失ってしまったのだ。
「まさか、こんなことになるなんて」
「さすがの切れ味だったな。見事なドロップキックだった」
私たちは幼馴染で、中学生になった今でも特に親しいのは、そもそも親同士の仲が良いからだ。私とヒロのお父さんはプロレスという共通の趣味で繋がっていて、子どもがそこそこ成長した今でも縁が続いている。
そして私とヒロはそんな父親たちの影響で、小さいころからよくプロレスごっこをして遊んでいた。
さすがに小学校高学年になる頃から、くんずほぐれつの技の掛け合いはご無沙汰だったが、今回はつい、プロレス技を繰り出してしまったのだ。
私は自分の体が大きく成長していることを、まったくもって失念していた。
「モロに食らったわ。不意打ちしてくるんだもん」
いや、失念もクソもない。考える前に体が動いてしまったのだ。
「不意打ちしてきたのはヒロのほうでしょ!」
私はヒロに人差し指を突き付ける。
「不意打ちなんかしてねえよ!」
「したじゃん!いきなり私の背後からチョークスリーパー仕掛けてきたくせに!」
そうだ。
私はヒロの不意打ちに反撃をしただけだ。
相手の背後から腕を回して絞め落とす技、それがチョークスリーパー。
ヒロのほうから先に、私の背後から腕を回してきたんだから!
「チョークスリーパーだあ?!」
ヒロは目をこれでもかと見開いた。反論せんとばかり、唇をわななかせる。
「お前、お前馬鹿かよ!あれをチョークスリーパーって!」
「じゃあなに!」
「抱きしめたんだわ馬鹿!」
何を言われたのか一瞬理解できず、そのまま固まる。
「いわゆるバックハグというやつだ。それをお前、チョークスリーパーって、ほんと……」
頭を抱えるヒロを前に、顔に熱が上ってくる。
「変態、セクハラ!」
恥ずかしさのあまり、暴言を吐いた。
いやだって、いきなり抱き着くとかセクハラ以外の何物でもないじゃない!
「お前がバレンタインチョコくれたから!」
倒れたヒロ本体の手元には、透明のセロファン袋に包まれたチョコレートが転がっている。
確かに、私は放課後の教室でヒロにバレンタインチョコを渡したのだが。
「あんなの義理チョコだってば。毎年渡してるじゃん」
「そりゃ毎年もらってるけど、今年は手作りだったから」
「今年はお姉ちゃんが手作りするっていうから、一緒に作っただけ。お姉ちゃんに誘われなきゃ、手作りなんてしませんー」
なんだこいつ、たったそれだけで勘違いしたのか。単純すぎないか。
手作りなんて友チョコでもやるわ。何ならお姉ちゃんも、バラ撒き用に大量生産する目論見だったわ。
「非モテはこれだから辛いねー。なに、浮かれちゃってヤダヤダ」
浮かれたからって、年中一緒にいる幼馴染に発情すんな。
「お前相手じゃなきゃ、こんなに浮かれねえわ!」
真っ赤な顔――魂だか幽霊でも、血は上るらしい――でヒロが叫ぶ。
いや待って。それって。
私は茹ってきた頭を抱える。恥ずかしさのあまり俯けば、そこにはヒロの体があった。
まるで抜け殻のような、今にも本当に魂を手放してしまいそうなヒロ。
「……ごめんね、ヒロ。なんにせよ、私とんでもないことしちゃった」
誤解や一方的な思い込みがあったにせよ。私はひどいことをしたのだ。現実を前に我に返って、今度は涙が止まらなくなった。
「ヒロ、幽霊じゃないって言ったよね。でも、体と魂みたいのが、離れちゃって。このまま死んじゃったりしたら、どうしよう」
恐ろしさのあまり、しゃくりあげて泣いてしまう。
自分の過ちで、ヒロを失ってしまったら。
「だっ、大丈夫だって。生きてるから」
さっきまで喚き散らしていたのに、急に泣き出した私にヒロも面を食らったのだろう。慌てて私をなだめる。
「心音、確認してみ」
言われて、恐る恐るヒロの胸に耳を寄せた。
固い布地の学ラン越しではよくわからなくて、耳を頭ごとぎゅっと心臓あたりに押し付けた。
確かに鼓動が聞こえる。まだ体温も感じられた。
少しだけ安堵して、私はそのままヒロの体にもたれかかった。
「……あー、抱きしめてー」
絞り出すようなヒロの声。
「体に戻りてえなあ。そんで千香のこと、ぎゅっとしたい」
「……どさくさ紛れに恥ずかしいこと言ってんな!」
思わずヒロの胸にくっつけていた頭を離した。とっとと立ち上がって、ヒロから離れてしまおうと思ったけれど。
「これは義理だからね!」
そうだ、義理だ。
ヒロの事なんか、どうとも思ってないし。
ヒロの目が覚めてくれなくちゃ、私が困るし。
私はヒロにぎゅっと抱き着いた。
「おお」
一瞬、頭上でヒロの上擦った声が聞こえた。
だらりと力の抜けた体が、ぴくりと動いて。
もしもヒロの腕が、私を抱き返してきたら。
その時は、チョークスリーパーでもバックハグでも、甘んじて受け止めてやろうと思う。
ギリギリ☆バレンタインの放課後リング いいの すけこ @sukeko
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