第5話

 最後の便せん一枚には、こう書かれていた。


『僕が東京に行ったとき、お兄ちゃん言ってたよね。親の死後、お兄ちゃんが僕の生活の世話をするのは厳しいって。あのときはうまく答えられなかったけれど、とりあえず安心してほしい。お兄ちゃんに迷惑をかけてまで、生き続けていたいとは思ってないから。先月に起きた、通り魔事件のニュースを見て驚いたけど、僕は世間の人にも迷惑をかけるつもりなんてまったくないからね。』


 俺の結婚式の前日には、引きこもりの息子を実の父親が殺害する事件もあった。結婚式前日はテレビを見る余裕がなかったから、式が終わった翌日に俺はそのニュースを知る。ニュースを見た俺は、通り魔事件を知ったとき以上に衝撃を受けた。家族が殺人をする前に、それを止める。家族として当然の行為のように思えた。


 もしお前に殺人を起こしそうな気配があったら、俺はお前を止めなくてはならない。たとえ刺し違えたとしても。それが家族の役目だと、あのニュースを見て勝手に決意した。


 俺は自分のことしか考えられていなかったが、父親が息子を殺したというニュースを見て、お前はどう思ったんだ。


 ――手紙には、まだ続きがある。


『最後になったけど、ささやかな結婚祝いを同封しました。僕にはこんなものしか用意できなくてごめん。気に入らなかったら、気にせず捨ててください。』


 封筒のなかには、手作りのしおりが入っていた。どこかで摘んできた四つ葉のクローバーを白い画用紙のうえに置き、ラミネートファイルで加工しただけのシンプルなものだ。クローバーの緑が、妙に鮮やかに俺の目に映った。


 家の近所を探し回って、見つけたのだという。四つ葉のクローバーが発生する頻度は一万分の一なのだとか、クローバーの小葉にはそれぞれ希望、誠実、愛情、幸運という意味があるのだとか、クローバーに関するうんちくが並んでいた。丁寧に、参考にしたホームページのアドレスまで書かれている。


『お兄ちゃんが幸せな結婚生活を送れることを、祈っています。いろいろ文句も書いちゃったけど、僕はお兄ちゃんのことが好きだから、たまには実家に帰ってきてね。透より』


 という文章で、手紙は締めくくられていた。


 手紙を読む前は遺書なのではないかとひやひやしたが、ただの結婚を祝う手紙だった。あいつ、見かけによらず話し好きだもんな。だから手紙もこんなに長くなってしまったのだろうか。


 手紙を読み終わって思った、こいつは社会の荒波を越えるには優しすぎる。自分が引きこもっているのは世間のせいだと、少しでも人のせいにすることができれば気が楽になるだろうに、それができない。


 四つ葉のクローバーを贈られるのなんて、いつぶりだろうか。小学校低学年か、もしかしたら保育園のときかもしれない。四つ葉のクローバー自体、久しぶりに見た。


 まさか、透から結婚祝いのプレゼントが送られてくるなんて、思ってもいなかった。お前はなにも持っていないんだから、わざわざ俺にくれようなんて思わなくてもよかったのに。


 幸運を見つけられたのなら、こっそり独り占めしろよ。誰かに譲らなくたっていいんだよ、馬鹿野郎。みんなそうやって生きている。誰かになにかを与えるのなんて、自分に余裕があるときだけでいいんだよ。兄貴が馬鹿なら、弟もどうしようもない馬鹿だな。


 俺はお前のことを、『引きこもりの弟』としか見られていなかった。それはお前の一面にしかすぎないのにな。引きこもりだという事実に引きずられて、透本人をちっとも見られていなかった。愚かな兄貴で申し訳ない。


 そのとき、玄関から鍵の開く音がして、真奈美が帰ってきた。


「ただいまー。って、え? ……どうしたの? 目、真っ赤じゃん」


 真奈美は俺の顔を見て、ぎょっとしている。


「二週間前、小学生たちを狙った通り魔事件あったよな? そのニュースを見たとき……透も将来こういう事件を起こしはしないかと、不安にならなかったか?」


 今までどうしても言葉にできなかったことを、俺は唐突に真奈美に聞いていた。ぽかんと口を開けていた真奈美が、急にふふふっと笑い出す。


「最近なにか悩んでるみたいだったけど、そんなこと考えてたの? 嫌ねえ。同じ引きこもりだからって、あの犯人と一緒にされちゃ、透くんかわいそうだよ。透くんとはちょっとしか話せたことないけど、そんなことするような子じゃないでしょ」


 透のことをなにも知らないくせに、なんでそんなふうに言い切れるんだよ。かっこいい女だな、ほんとに。


「真奈美、便せん持ってたよな? 何枚かくれないか」


 透の名前が書かれた封筒と、四つ葉のクローバーのしおりを見た真奈美は、なにを思ったのか、俺の目を見て柔らかく微笑んだ。そして特になにも聞くことなく、部屋の本棚から便せんの束を持ってきてくれた。


『透へ』


 俺は早速、透への返事を書き始める。


 結婚式に来てくれたこと、それからプレゼントへのお礼を書くと、俺はこう続けた。


『よかったら、俺と文通でもしてみないか。手紙を読んで、透のことをもっと知りたいと思った』


 そして脈絡もなく、最近あった楽しかった出来事を綴った。


 もう俺はお前に、変わることを強要したりなんかしない。俺が変われば、お前も変わるんじゃないか、という下心も持たない。


 文通することでお前の未来が好転するとは思えないが、少なくとも俺たち兄弟の仲は、前より少しはよくなるんじゃないだろうか。


(おわり)

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幸運を呼ぶ四つ葉のクローバー 緋原 悠 @hiyamayuika

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