第4話

『結婚おめでとう。本当は直接言うことができたらよかったけど、当日はうまく伝えることができなかったから、手紙を書くことにしました。』


 書き出しに不穏な気配はない。ただ、結婚祝いの手紙にしては文章の量が多い気がする。便せんの枚数を数えてみると、六枚もあった。


『実は最初は、お兄ちゃんの結婚式に行くのは理由をつけて断ろうかと思っていました。もともと大勢の人が集まるような場所って苦手だし。』


 わざわざ書かなくても、知ってるよ。初対面の人に会うことさえ苦手だろう。俺がお前だったら、理由をつけて断っていただろうな。


『でも実際に行ってみたら楽しくて、頑張って行ってみてよかった。』


 楽しかった? 社交辞令が言えるような奴だとは思っていないが、本気で言っているのだろうか。


 式の最中も披露宴のときもずっとうつむいていたくせに。お前、あれで楽しめていたのかよ。


『料理もおいしかったし、ビールもおいしかった。ビールをおいしいと思ったことなんて今までなかったけど、お兄ちゃんの結婚式で飲んだビールはおいしくて、びっくりしました。』


 確かにホテルが用意してくれた料理はうまかった。ビールもちゃんと冷やされていた。でも、ただの瓶ビールだ。お前はずっと家にいるから知らないだけで、冷やされたグラスで飲む瓶ビールはうまいんだよ。


『でもなにより、僕の自慢のお兄ちゃんが、真奈美さんや友達に囲まれて幸せそうにしている姿を、この目で直に見られたのが一番よかった。お兄ちゃんと一緒に写真を撮りたかったけど、言い出せずに終わったのが唯一の心残り。』


 俺はこの数行を二度、三度と読み返した。信じられない言葉が並んでいる。


 俺がお前の自慢の兄貴であるわけがないだろう。過去を振り返ってみても、俺はお前をいじめた記憶しかない。正直に言う。俺はお前のことをずっと、疎ましく思っていた。お前なんか、いなけりゃよかったのにと思ったことだってある。だからお前だって、俺のことを嫌っているとばかり思っていた。


 お前、披露宴会場から出ていくとき、なにも言わずに俺の前に突っ立っていたけど――俺と写真を撮りたかったのか。最後の機会だから頑張って声をかけようとしていたところを、俺が勘違いしてさっさと行けと言ってしまったのか。


『僕が小二で、教室に行けなくなってすぐの頃、お父さんとお母さんに遊園地に連れて行ってもらったことがあったよね。お母さんが、お兄ちゃんと僕のツーショットを撮ろうとしたとき、お兄ちゃん『透なんかと撮りたくない』って言ったの覚えてる? その言葉を聞いたとき、ちょっとショックだった。』


 小二のときのことなのに、よく覚えているな。言われてみると確かに、俺は言った。別にお前のことをいじめようと思ったわけではなくて、自然に出た言葉だった。そうか、あのときお前は傷ついていたのか。そういえば今まで、お前の気持ちなんて聞いてやったことがなかったな。


 このあとの手紙には、過去の俺の言動に傷ついたというエピソードが次々と書かれていた。自分が非難されているわけだが、それを読んで俺は安心した。嫌われて当然のことをしてきたのだ。好印象を持たれているほうが、気持ち悪い。


 しかし俺への非難は便せん一枚程度で終わり、その次に俺と過ごして楽しかったエピソードが便せん二枚、びっしりと書かれていた。覚えているものもあれば、いまいちぴんとこないものまである。


 俺は自分の機嫌のいいときには、透と二人で遊んだこともあった。こうやって言われてみると、確かにあのときは俺自身も楽しんでいた気がする。今まですっかり忘れていたが。


 俺との楽しかった最後のエピソードは、俺が大学四年のときに透が東京まで遊びに来たことだった。


『あのときは、僕を東京まで誘ってくれてありがとう。僕に好きな声優がいることを覚えていてくれて、わざわざトークショーのチケットをとってくれたことも嬉しかった。』


 どんなことが楽しかったのか具体的なエピソードがいくつか書かれたあと、『東京でお兄ちゃんと過ごした二泊三日は、僕にとって一生の宝物です。』と書かれていた。


 お前の一生の宝物って、そんな些細なものでいいのか。好きな声優のトークショーなんて、働いてさえいれば毎年だって行くことができるんだぞ。お前にとっての一生の宝物は、俺にとってはただの日常でしかない。家から出さえすれば、もっと楽しいことなんて、そこら中に転がっているんだ。しかも、東京観光の最終日には俺は自分の考えを一方的に押しつけて、お前から笑顔を奪ったのに……。それでもお前は、それを宝物だというのか。


『あのときお兄ちゃん、僕に『短大は絶対やめるな』って言ってくれたけど、守れなくてごめん。行かなきゃとは思ったんだけど、体がいうことを聞いてくれなかったんだ。』


 小学二年生のときに教室に行けなくなった理由と、短大二年生のときに学校に行けなくなった理由が、透の言葉で書かれていた。要点をまとめると『苦手なクラスメートがいたから』なのだが、実際に奴らが透になにをしたのか、そのとき透はどう思ったのか、透なりにどう対応していたのか、まで詳しく聞くと、透を責める気にはなれなかった。


 あのとき俺が、もっとお前の気持ちを聞いてやっていたら、少しは状況が変わっていたのだろうか。俺は、お前の話をよく聞きもせず、自分の考えを押しつけてばかりだったな。


『でも僕が今までやってこられたのは、運がよかったからだと思う。いい人たちに恵まれて、みんなには本当に感謝している。』


 という文章を読んだときは、驚いた。


 相談室登校をしていたとき、相談員の先生が親身になってくれたから小学校も中学校もなんとか登校することができた。短大でも、結局退学することにはなったものの、担任の先生は最後まで『卒業』という形にしてあげられないかと尽力してくれた。高校のときの友達は、自分がいま働いていないにもかかわらず、定期的に遊びに誘ってくれている。だから、自分は運がいい、人に恵まれている、というのだ。


 透が、運がいい? そんなわけがあるか。運がよかったら、いま引きこもりなんてやっているわけがないだろう。


 運がいいのは、むしろ俺のほうだ。世間的に見たら、おそらく成功している。東京の国立大学に合格することができたし、倍率の高い大手の広告代理店からも内定をもらうことができた。


 でも俺は、自分のことを運がいいと思ったことなんてない。全部、俺が努力してきた結果だと考えていた。むしろ、引きこもりの弟がいるから――俺は、自分のことを、運の悪い男だと思っていたんだ。ほら、最低の兄貴だろ? だから、好いてくれなくたっていいんだよ、嫌ってくれよ。

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