結論と意見 差別解消に向けた三つのアプローチ

 まずは、これまでの【まとめ】部分を列挙しよう。


・差別は区別の一種である。

・差別は、生活全般にかかわる不利益を強制する行為を伴い、正当な理由がない。

・正当な理由とは、個人的に正しい理由というだけでは説明できない。

・正当な理由とは、社会的に正しい理由と考えるべきである。


・合理的な個人は社会を作らない。

・社会は非合理的な基盤、平易に言えば信頼によって支えられている。

・個人は限定的合理性に基づいて行動している。

・感情は社会にとって決定的に重要な要素である。

・社会的な正しさは、社会集団ごとに異なる。


・他集団との闘争は、自集団の連帯を強める。

・集団内での闘争は、集団を極限まで分裂させる。

・社会的な正しさは、社会集団に闘争相手を用意することでその連帯を可能にし、社会そのものを維持する。

・闘争と連帯は、とても身近な社会集団でもよく見られる。

・「闘争と連帯とは同じコインの両面である」


・社会は個人よりも遥かに強い力を持っている。

・人は他人からの扱いによって自分自身についての感覚を身につける。

・人は社会で共有された観念(言語)によって思考するため、社会から逃れることはできない。

・人は群衆の中では強くなった気になるし、道徳的になった気にもなる。

・社会的儀礼こそが、社会集団を連帯させる。

・社会集団のより強い連帯は、他の社会集団とのより強い闘争に繋がる。


・人間の思考にはシステム1とシステム2がある。

・システム1は自動的で素早く効率的な思考であり、システム2は能動的で遅く慎重な思考である。

・偏見は多くの場合実際に有用である。

・人は小さな確率を過大評価し、大きな確率を過小評価する。

・それでも偏見は時に大きな誤りをもたらす。

・システム2のみが偏見に対抗できる。

・人は損失を利得より重視する。

・人は自分の意見を変えたがらない。

・現実は複雑である。


 これらを全て正しいと仮定するならば、差別の解消は絶望的である。当初から無くせないものとして定義したのは、批判があって然るべきだろう。しかし、その論拠は辞書に求めた。

 たとえ何れか一つの社会集団における社会的正しさに帰依したところで(人である以上は社会から逃れられないので)、他の社会集団による抵抗が予想され、誤解や偏見を避けることも難しい。


 とはいえ、完全に解消することはできずとも、幾つかのアプローチが考えられるだろう。どれも不完全であるが、そもそも不可能なことに近づこうとする以上は、対策が完全であるはずが無い。


 私が実施可能だと考えるのは以下の三つである。


・上位概念を何らかの方法で減少させる。

 差別の上位概念の一つに区別がある。区別が減少すれば、当然、差別も減少する。例えば、男女の結婚年齢の共通化などはこれにあたるだろう。

 メリットは、実際に行うことができたなら確実に差別を減らせるということだ。

 デメリットは、区別の他の下位概念(番付とか分類とか)もまとめて減少させることである。また、そもそも区別せざるを得ないものについては効果が薄い。

 


・下位概念を何らかの方法で減少させる。

 差別の下位概念は、人種差別だとか、職業差別だとかである。何れかを減少させれば、差別は減少する。例えば、黒人差別に対抗するデモ行進などがこれにあたるだろう。

 メリットは、何をすれば良いのか非常に分かりやすいことだ。分かりやすいことは当然影響が大きい。

 デメリットは、差別者を被差別者にする可能性が極めて高いことである。差別を闘争と捉えた時、逆転が起こるのは避けれない。


・不都合な結果を改善する。

 差別の問題点は、それそのものというよりは、被差別者の悲惨な状況にある、という考え方がある。そうであれば、その状況の方を変えるべきである。例えば、受験の際に黒人に点数を加算する逆差別などがこれにあたる。

 メリットは、差別解消に伴う多大な困難を避けられるということである。

 デメリットは、差別自体がなくなるわけではなく、場合によっては苛烈にすることである。また、個々人によって何を悲惨と捉えるのかは異なる。人も社会も感情が決定的に重要だからだ。そのため最適な支援の判断が難しい(ほぼ不可能)ため、何もしない場合より、あらゆる効率が落ちる。先の例に従えば、点数の高い人を追い抜いて点数の低い人が入学する可能性があることなどだ。



 三つのアプローチの中から、何れか一つをやるべき、というわけではない。差別を解消するためには、全て行うべきである。

 マンデルの定理によれば、ある政策目標を達成するためには、副作用の懸念を傍に置いて、最も安上がりな方法を用いるべきである。副作用については、それを解決するための最も安上がりな別の政策を打てということだ。結果的には、最大の効果が期待できる。

 どの方法にもメリットとデメリットがあるが、互いに相殺し合い、結果的には僅かながらメリットが勝ることだろう(デメリットが勝るようなら、まったく何もしない方が良い)。

 差別問題の解消に可能な限り近づこうとするのならば、全体的に判断すべきであって、個々の事象について個別の目標を持って問題視するべきではない。それは全体的な目標、最も大きなものだと差別の解消に何ら寄与しないか、逆効果になる恐れがあるからだ。先にあげたどの方法にもメリットとデメリットがある。兼ね合いを考えず何れかのアプローチに頼りきれば、デメリットが解消されずに残り続けるだろう。緊張しないようにするほど、筋肉が固まって緊張が強くなるように、問題を自己生産してしまう。

 だからこそ、三つのアプローチに適当な資源配分を行い(戦略)、個々で最大限の効果を上げる(戦術)ことが、差別解消という不可能な課題に挑む上で大切である。

 そうはいっても、特別な具体例が浮かぶわけではない。ただ読者がイメージしやすいように、上位概念を減少させるアプローチの一つを紹介しよう。


 経済学の最も標準的な教科書であるマンキュー経済学には、市場が上位概念を減少させるアプローチを持って差別に対抗し得ることが書かれている。

 まず市場システムは、それそのものが人を肌の色で差別する性質のものではない。市場システムを支配するのは需要と供給である。そしてどちらかといえば、あくまである程度は、供給は需要によって決まる(これはケインズ経済学の認識、状況次第では逆がある)。

 もし需要側が白人か黒人かによって一切の差別をしないのなら、供給側も差別はしない方が有利である。何故なら、白人だけを採用するお店より、白人にせよ黒人にせよ費用対効果の高い人を採用するお店の方が当然儲かるからだ。我々一人一人が差別的な選好を持たなければ、市場は白人と黒人を差別しない。

 しかし需要側が、白人だけを雇うお店を懇意にしたり、白人の生産物を優先して買うとしたらこの限りではない。供給側は黒人を雇わなくなるだろう。

 つまり、我々の毎日の買い物一つで、僅かでも差別を避ける動機を企業に与えることができるのだ。逆にいえば、企業の差別的志向の責任は消費者にあるのであって、企業を批判しても何も変わらない。

 ただし昔のアメリカのように、消費者ではなく政府の介入が大きな力を持った場合もある。これについては、我々が民主主義を最大限利用することで対処できるだろう。民主主義は使わなければ官僚独裁と何ら変わるところはない(ただ、どちらがより良い政治体制かは問わない。私もわからない)。


 さて、本作はこれで終わりとなる。最後にまとめを列挙していこう。



【まとめ】

・差別の完全なる解消は不可能である。

・差別の上位概念である区別を減らすことは、差別を減らす可能性がある。

・差別の下位概念を個別に減らすことは、差別の全体数を減らす可能性がある。

・被差別者への支援を強化することは、差別による問題を低減する可能性がある。

・差別を減らしたいのであれば、差別を減らす三つのアプローチはバランス良く全て行うべきである。

・アプローチのバランスが偏ることは、差別を減らすどころか助長しかねない。

・市場は人を差別しない。



 本作が読者の差別問題を考える一助となってくれれば幸いである。一応最後に参考文献を列挙する。


【参考文献】

・哲学の道具箱

・知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社+α文庫)

・脱常識の社会学 第二版――社会の読み方入門 (岩波現代文庫)

・社会学の考え方〔第2版〕 (ちくま学芸文庫)

・ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?

・行動経済学~経済は「感情」で動いている~ (光文社新書)

・新編 社会心理学 改訂版

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差別問題の根本を目指して ——社会学・認知心理学的アプローチ 爆撃project @haisen

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