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  • ちょっと世間体として危険だけど、まとめを私的解釈してみます。

    >・差別の完全なる解消は不可能である。

    私が韓国人への差別を完全に解消することは不可能である。

    >・差別の上位概念である区別を減らすことは、差別を減らす可能性がある。

    韓国人でも日本人でも、良いヤツはいるし嫌な奴もいる。

    >・差別の下位概念を個別に減らすことは、差別の全体数を減らす可能性がある。

    私は韓国人の医者を主治医としている。少なくとも彼を差別することはありえない。

    >・被差別者への支援を強化することは、差別による問題を低減する可能性がある。

    私が差別している韓国人だからこそ、その意見には耳を傾ける必要があると思う。

    >・差別を減らしたいのであれば、差別を減らす三つのアプローチはバランス良く全て行うべきである。

    上記の私の個人的考えは、ネットの意見にそのバランスを左右されてはならない。

    >・アプローチのバランスが偏ることは、差別を減らすどころか助長しかねない。

    韓国人を贔屓しすぎても軽んじしすぎてもいけない。

    >・市場は人を差別しない。

    キムチ鍋は美味い。

    作者からの返信

    なるほどこういう理解もありますね(_φ( ̄ー ̄ )_φ(・_・)

    基本的に本作の解釈は自由です。

  • 明言してないようですが、システム2によって偏見を無くすことが困難なのは、要するにシステム1が抵抗として働くからですよね。
    なるほど、ヒトが矛盾を内包する生き物であるところの、その根源はその思考システムにあるのかも知れません。
    いつだって、おのれの敵はおのれなり。

    作者からの返信

    仰る通りです。加えて、システム2とて限界がありますから。
    システム2だけだと、人間は自分が何をするべきかという判断もつきませんから、システム1は非常に優秀な思考です。たまに、問題が発生するというだけで。

  • >よっては連帯は闘争をもたらす。闘争と連帯は同じコインの両面であり、互いを補完しているのだ。差別を闘争の一形態と理解するならば、社会がより連帯を強めるほどに、差別もまた強固なものとなる。

    今回のキモは、この一文にあるような気がします。

    私個人はもちろん、差別をなくしたい、という思いがありますが、それは「差別をなくしたい社会集団」の一員になることです。その意識イコール連帯が強まれば、「より強く差別をなくしたい社会集団」へと変貌をとげ、そのパワーは、「できる範囲で差別をなくしたい社会集団」などのパワー的に下位の集団への闘争イコール差別へと繋がるでしょう。

    それがどのような形をとるか、私の目の前にあるデバイスには映し出されています。

    作者からの返信

     書いた人より分かりやすくまとめらると、もはやどうしようもないですね(諦念)
     ままならないものです。

  • 今回もまた読み応えがある話でした。
    日本には「同じ釜のメシを食う」という言葉がありますが、これは「違う釜のメシを食わさない」とも解釈できますよね。また、いわゆる「空気」が、今回のテーマを表しているのではないか、とも思います。
    これは提案ですが、「まとめ」には今回使用した分の引用元も記載するのはいかがでしょうか。

    作者からの返信

    そう言って頂けると嬉しいです。

    ですね。空気を読まない人間をそのままにしておくと、空気そのものが霧散してしまう、だからイライラするのだと考える、という感じで理解することもできそうですね。

    提案は採用させていただきます。とはいえ、前回と同じですが()。

    編集済
  • 社会とは何かへの応援コメント

    今回もよく纏まっていて、読み応えがありました。
    実例や実体験(見たアニメの引用とかでもいいけど)にて例を挙げてくれると、より個性的なテキストになると思います。たとえば私なら、私の職場は喫煙者がいるので、喫煙に否定的態度をとらないけれど、呼吸器系に難のある奥様といるときは、そりゃあもうボロクソに喫煙者をけなすことを例に挙げます。

    前回コメントのレス、

    >作品を教えていただければ,是非参考にさせていただきたいと思います!

    に、甘えまして、社交辞令かも知れないけど、私の作品で明確に「差別」のテーマを持つ作品を挙げます。

    「日めくり尻鳥」では、「平成29年8月10日(木)」「平成29年12月10日(日)」「平成30年3月21日(水)」「平成30年7月15日(日)」「平成30年7月17日(火)」ほか

    「あの世って何なのよ」では、エッセイ回「楽園じゃなくても、地獄じゃなくても」に「地上の楽園」の話題、小説回「命なきものの生涯」では、自分のことを「ただ生まれてきただけで、何も悪いことをしなかったとしても、地獄に落ちるべき罪深き魂というものが、あるのかも知れません」と考えさせられてしまう少女の話を書いております。

    作者からの返信

     確かに無個性ですね……考慮します。次回からは(おい)

     当方社交辞令は苦手ですから。

  • 差別とは何かへの応援コメント

    落ち着いた語り口に、今後の分析を期待します。
    無くせるか無くせないか、で言ったら差別は無くせない、と個人時に思いますが、社会的にというより(どこの国の社会かという問題があるので)、人類文明的に致命的ではないレベルに抑えることは、価値観がブレイクスルーせざるを得ない未来には可能だと思っています。糖尿病やオタクは治らないけれど、健康的に生きられなくはない、という考え方ですが。
    なお、拙作もまた、差別をテーマにした「部分」を含む「作品」を書いていますので、おヒマならぜひ。

    作者からの返信

    少し先取りされてしまいましたね……そうです、社会集団は一つではなく,個人は複数の社会集団に同時に所属しており、社会集団ごとに別々の儀礼がある……さてどうするか、という話になる予定です。

    作品を教えていただければ,是非参考にさせていただきたいと思います!

  • 差別とは何かへの応援コメント

    病み深だからねー、覚悟を持った上で充分に気を付けて書き進めて、適切な対処を躊躇なくしましょう。

    具体的にはカクヨム運営への通報とブロック。


    カクヨムは、まだアレな方は少ない様ですが、アチラは岡Cな方々が多数いらっしゃいますので、さらなる御注意を⚠



    作者からの返信

    ……べき、というよりは、……である、ということを書くつもりですが、それでも確かに注意しないといけないですね。
     そうした場合は事務的に対応して参ります。