最終話:桜花乱れて、散りぬれば

空を見上げると、桜の樹の梢が、風に揺れているのが見える。


春の日の、正午になる少し前の時間のことである。


シルバーは、市内にある総合病院の一室へ、足を運ぼうとしていた。


タランテラとの死闘から、三日が経過している。


シルバーの怪我は一日とかからず完治するが、瀧はそうはいかない。


タランテラに殴打された傷と、骨折したであろう両手、そしてドスで刺された肩の傷。


それら全てが治るには、三週間ほどの時間を要するらしい。


あの事件の翌日、行方知れずとなった瀧に代わり、魔法少女からの伝令が入った。


譽の時と同様に、事務所へ直接魔法少女がやってきたのである。


伝達事項は、主に二つ。


一つは、負傷した瀧を保護し、病院まで連れて行ったこと。


二つ目は、シルバーの危険度を引き上げ、代田組を再度魔法少女の監視下へ置く、ということだった。


シルバーはたった一日で、最底辺の怪人から上級怪人へと変貌を遂げた。


魔法少女たちが警戒を強めるのも、無理からぬ話というものだ。


そのためシルバーは、あることを告げるために、瀧のもとを訪れる予定であった。


目の前で舞い落ちる桜の花に、シルバーが思うことは特別何もない。


もともとシルバーの情緒は、そのようなことに無頓着である。


だが、この花の名が、瀧の名前にも含まれていることは知っている。


アスファルトに散ったその花を踏まぬように歩いていることに気づき、シルバーは己の無意識の行動に苦笑した。


少し前の自分なら、瀧と同じ名前の花なぞ、蹴散らして歩いていただろう。


そんな些細な変化に歩みを狂わせるうち、シルバーは奇妙なことに気がついた。


病院の入口までの舗装された道を、誰も歩いていないのである。


総合病院は広い敷地があるため、院内に入っても病院の入口まではまだ余裕がある。


往来に人はいるのに、ここだけ何かの意思が働いているかのように、異様にシンとしていた。


通常の病院の様子を知らないシルバーでも、閑散とした辺りの風景がおかしいことにはすぐに気がついた。


「出てこいよ。俺に何か用か?」


シルバーが、そこにいるはずの誰かへ向かって声をかける。


すると、病院の入口側に生えた樹の陰から、立ちふさがる者があった。


それは、コンビニ店員改め魔法少女の、梔子キイロだった。


梔子はすでに魔法少女のコスチュームを身に纏い、臨戦態勢を整えていた。


対するシルバーは、ダサいウインドブレーカーにジーパンという、気の緩みまくった服装である。


「やっぱりあんただったか。なんか、そうじゃねーかと思ってたよ」


「それはどうも。腐れ縁をこじらせて予知能力まで備わったんですか?」


交わす言葉はいつもの軽いものだったが、その裏に針のような緊張感があるのを、シルバーは察知していた。


「アンラッキーに聞いただけだよ、あんたが魔法少女だったってな。おまけに、コンビニも辞めたそうじゃねーか」


「はい。もとから監視の任務が終われば、辞める予定でしたから」


アンラッキーによると、タランテラ襲撃の翌日には、すでに梔子はバイト先からいなくなっていたという。


これは『代田組怪人へ情が湧かないように』との判断で、上の者が梔子を解任したためでもあった。


現在、代田組の監視には、事情をほとんど知らない別の魔法少女が当たっている。


梔子としては不本意ではあるが、シルバーやアンラッキーと関係を深めすぎたのは、紛れもない事実である。


「それで、こんなところで待ち伏せなんかして、俺とケンカでもしてくれるってのか?」


シルバーが冗談めかして言った途端、それを肯定するかのように、シルバーの周囲でパキパキと音を立てて結界が構築されていった。


結界はちょうど、シルバーが病院の中へ入れないよう、舗装された道を丸く切り取るように構成されている。


「怪人シルバー。今後あなたの、瀧桜閣との接触を一切禁じます。理由は分かりますね?」


「いや分かるワケねーだろ。ちゃんと説明しろや」


梔子はムッとした顔で、当事者であるシルバーを睨んだ。


シルバーがその理由について、察しているのにトボケていると思ったらしい。


だが、どうやら本当に理由を分かっていないらしいと悟り、大人しく説明してやることにしたようだった。


「簡単な話です。あなたの戦闘力は、どれだけ客観的に見ても一人の人間の手に収まるものではなくなりました」


「いくら瀧が怪人を従えるとはいえ、それは下級怪人だから許されたことです。そうなると最も厄介なのは、あなたが瀧を殺すこと」


「我々魔法少女は、あなたが瀧を殺害し、代田組の怪人が散逸する可能性を考慮し、今後あなたに代田組へ近づかないよう警告することを決定しました」


梔子は警戒を解くこともなく、一息にそれだけを語った。


この魔法少女らの警戒は、妥当であるとも言えれば甚だ疑問であるとも言えた。


これまでのシルバーの瀧への拘りを見れば、確かに「瀧を殺そうとする」という見解は、順当であるようにも思える。


その結果、瀧の庇護下にある怪人が世に出てしまえば、問題となるのは間違いない。


しかしシルバーも、瀧がいなければ今ここに存在しない怪人の一人ではあるのだ。


逆に瀧の監視を解かれたシルバーが、好き勝手に暴れ出す可能性とて考えられる。


そのシルバーを放逐することと、下級怪人が檻から放たれること、どちらがマシかなど本来測れはしない。


魔法少女たちがその決断に至ったのは、「シルバーは瀧と出会って以降、人を傷つけはしても殺していない」という証言を得たからである。


これは、瀧譽が代田組への処分に手心を加えさせるため、過剰に報告した情報であった。


その時の譽は、聞かれれば確かにそうと言える範囲で、シルバーは人を殺さないと証言したに過ぎなかった。


しかしそれはその実、シルバーが瀧と交わさざるを得なかったルールを、的確に表していたのである。


理由は不明ながら、事実は確かにシルバーが人を殺していないことを告げている。


輪島は割腹自殺と判断されたため、厳密にはその数に入っていない。


ならば、唯一の例外になりそうな瀧との接触だけを禁じ、放置しても構わない。


やや場当たり的なやり方ではあるが、魔法少女たちはそう判断を下したのである。


しかしながら、肝心のシルバーはその警告を、さほど気にかけてもいないようだった。


「わーったわーった。今後ジジィに会わなきゃいい、それだけなんだな?」


「ハイ……抵抗しないんですか?」


「誰がするかよ。つーよりもともと、俺ァ代田組辞めるつもりでここに来たんだよ」


シルバーは、両手をポケットに入れたまま、雑に返答した。


「いい加減、ジジィのケツなんざ追うのも飽き飽きしてきたんでな」


「今日はそれを言いにジジィの見舞いに来たんだが、ついでだからあんたが伝言しといてくれ」


そしてシルバーは、それまでの緩い空気とは反面、痺れるようなギラリとした殺気を辺りへ撒き散らした。


「俺はこれから、全ての怪人を殺す。魔法少女も殺す」


「まずは手始めに、市内の怪人と魔法少女を殺して、次は日本中、その次は世界中の怪人と魔法少女だ」


「そして最後の最後、他に殺す相手が一人もいなくなったら、その時はジジィを殺しに、会いに来てやるよ」


「これは俺と世界の戦争だ。全員まとめて相手してやっから、お前らいつでも俺を殺しに来い。そんだけだ」


そこまで言うとシルバーは、殺気を収めて踵を返し、梔子へ背を向けた。


本当に伝言だけ頼んで、帰ってしまうつもりのようである。


そのセリフは決して、言葉だけの不遜なものではなかった。


今のシルバーなら、行動に移しさえすれば、それが簡単に出来てしまうのだ。


その態度こそ昔から一貫していたが、それがここまでの実力を伴っているのは、梔子も初めて見た。


「やはりあなたは、危険な怪人のようですね……今ここで、私が排除しましょう!」


「ロマンティックダイバー、梔子キイロ。お相手します!」


梔子が構えると、結界の端を見つめていたシルバーが、改めてこちらへ向き直った。


「近づくなっつったり戦えっつったり、忙しいやつだな。ま、ケンカなら望むところだ」


シルバーは両手をポケットに突っ込んだままで、応戦しようとしている。


梔子は攻撃のタイミングを窺っていたが、シルバーがあまりにも平常と変わらないため、自分から仕掛けることに決めたようだ。


走ってシルバーの目の前まで近づくと、彼の頭上へ、何かをふわりと指で弾く。


シルバーがそれを目で追うと、カプセル大だったその物体は見る間に巨大化し、彼を押し潰さんばかりのサイズとなった。


それは梔子の魔法、伸縮自在な持ち運び型の潜水艇であった。


その時点で梔子は、シルバーと共に押し潰されないよう、ステップアウトして潜水艇の影の外へ逃げていた。


それと同時に、結界が音を立てて割れ、解除される。


その向こうから、シルバーへ向かって二発の弾丸が飛来した。


ひとつは、シルバーから見て右側の、高い木の梢から。


もうひとつの弾丸は、シルバーの斜め左にある、入院患者の病棟からである。


それが着弾した直後、潜水艇はシルバーの上へとのしかかり、その生死は一見して判然としなくなる。


梔子はその一部始終を見終わるより早く、潜水艇の上へ跳躍していた。


(……いない)


潜水艇の上からその向こう側を覗いてみたが、シルバーの姿はそこになかった。


しかし、上から潜水艇に潰されたにしては、出血の痕跡も見えない。


では、シルバーはどこへ消えて失せたのか。


その時、梔子の背筋がゾワリと粟立った。


誰もいないはずの彼女の背後から、冷たい気配を感じたのだ。


それは、シルバーの刃であった。


冷酷なその刃は、彼女の背後から今、その喉元へ突きつけられていた。


「動くな。少しでも動くとかっ捌く」


それが脅しでないことは、梔子にはよく理解できた。


たとえ指一本でも動かせば、シルバーは本当に、そのか細い喉を貫くだろう。


「右のやつと左のやつ、お前らも動いたらコイツを殺す。分かったらさっさと消えろ!」


シルバーが叫ぶと、遠くから彼を狙っていた気配が消失した。


「……狙われてること、気づいてたんですか?」


「んなワケねーだろ。撃たれてから避けたんだよ」


「そんなっ……狙撃の弾丸が避けれるはずが……!!」


「まぁ、薄々変だなと思ってたのはちげぇねぇがよ」


シルバーは、喉元から刃を引かず、静かに語り始めた。


「あんた、明らかに攻撃用の魔法じゃねぇのに、俺に正面切って挑んでくるのがまずおかしい」


「ってことはあんたは囮で、攻撃する奴は別に控えてんじゃねーかと思ったんだよ」


「結界で俺を囲んだのも、外から攻撃が来ると思わせないためだ。じゃねぇとこの潜水艦、どう見ても邪魔だろ」


「だから外からの攻撃を警戒して、避けるのに専念したってワケだ」


梔子は、その説明に内心で恐れを抱いていた。


シルバーの予想が、概ね当たっていたからである。


今回の彼女の役目は、シルバーへの伝達と、もしもの時の戦闘、そして彼の抹殺である。


会話をした結果、シルバーの凶暴性は鳴りを潜めるどころか、ますます増していることが判明した。


そのため彼女は、事前に待機していた狙撃魔法の使い手二名と、彼を消す方向で動くことに決めた。


唯一の誤算は、それをこうも簡単に看破され、上回られたことだった。


かくいうシルバー自身も、物理法則を超えた自身の動きに、未だ慣れていなかった。


その慣れぬ身でありながら、シルバーは警戒していたはずの梔子の後ろを、取ってみせたのだ。


シルバーの新しいルールは、簡単に言えばスカージオのそれと酷似している。


敢えて捨て身になることで防御を度外視し、それ以外の性能を極端に上げているのである。


敵の攻撃を察知した瞬間、シルバーは一瞬だけ怪人体へと変化する。


そうしないと、体を刃へ変化させることが出来ないためだ。


そうして刃に変えた左腕をもぎ取り、再び人間体へと戻る。


そうすることでルールを完遂し、爆発的な能力向上の恩恵を得るのである。


この時、肉体の回復力も高まっているため、もいだ腕の傷は以前と違い、すぐに修復される。


そのため失血死するリスクはなくなったが、代わりに人間体での防御は著しく低下している。


その分、速度と攻撃力の上昇は凄まじく、弾丸が放たれた後にそれを避け、潜水艇の下を潜ることが出来るほどであった。


「怪人居合・『瀧之流たきのながれ』……とでも名付けるか。我ながらクソだせぇ名前だがよ」


そう呟いたシルバーは、梔子の喉から刃を引いて、潜水艇の上から飛び降りた。


「あんたはジジィの恩人だ。今回だきゃあ特別に、命までは獲らねぇでおいてやるよ」


「ま、そーゆーこったから俺は代田組から抜けるんでな。ジジィに伝言だけ頼むわ」


そして、ちぎれた左腕を元通りにねじ込むと、病院を去ろうとしてしまう。


梔子は一方的な敗北の屈辱に、思わずその背中へ声を荒らげた。


「あなたはいつか、私が退治します!あなただけは、絶対に!」


「おう、そーしろ。俺は逃げも隠れもしねーからよ」


右手をピッと上げて、シルバーはもと来た道を引き返そうとした。


しかし、どういうつもりか、途中の桜の樹を横目で見て、シルバーは数秒、足を止めた。


「……あばよ」


シルバーは桜に声をかけるように、別れの言葉を口にした。


その樹の陰には、病室から抜け出した瀧が、太い幹に背を預けて立っていた。


両手にはまだ包帯が巻かれ、肩も高く上げることは出来ないだろう。


しかしその顔は、シルバーの門出を祝うかのように、微笑が湛えられていた。


「バカ野郎。そういうこたぁ、黙ってハラにしまっとくもんだぜ」


聞こえるはずもない檄は、春風に乗って溶かされていった。


シルバーの果たす用件は、もはやそこで全て終わっている。


そのため、もはや行くあてもない旅に出るより他に、選択肢はない。


だがそこには、まだシルバーに用のある者が一人、残っていた。


「シルバーッ!!」


シルバーが病院の正門を抜けて出ようとした時、横合いからよく聞いた声がしてきた。


息を切らせて走り寄って来たのは、アンラッキーであった。


「なんだ、お前も来てたのか。ヒマだなぁ」


「ヒマだなぁ、じゃねーよ!!なに黙って出ていこうとしてんだよ!?」


憤慨しているのか困惑しているのか、アンラッキーは怒鳴る。


シルバーは、代田組を出奔することを、アンラッキーにだけは告げていた。


ただ、それがいつとは明言していなかったため、アンラッキーも怒っているのだ。


「別にいーだろ、送別会なんてするガラでもねーんだし」


「バカ野郎!!それでもこう……なんかあるだろ、色々!!」


アンラッキーは、今にも泣きそうな顔をしている。


ただでさえ整っているとは言い難い顔が、今にも崩壊しそうである。


「まぁそっちも適当に、達者でやれや。こっちはこっちで好きにやるからよ」


「本当に、行くのかよ……」


「あぁ。止めんじゃねーぞ?」


「止めねーよ……止めて聞く耳なんて持ってないだろが……!」


「そうだよ。よく分かってんじゃねぇか」


シルバーが人の言うことを聞くような怪人でないことは、アンラッキーもよく知っていた。


だが、そんな性分を知っていてなお、止める言葉は脳裡に幾らでも浮かんでくる。


それをぐっと堪え、アンラッキーは歩道の真ん中で、シルバーを睨みつける。


「俺は……おやっさんに命を助けられてから、代田組のために働くって決めたんだ」


「だからもし、お前が代田組の敵になったら、その時はお前を殺しに行くからな!!」


それはどう聞いても強がりの域を出ない言葉だったが、それを聞いたシルバーはニヤリと笑ってみせた。


「開始早々、二人も俺のタマァ狙うやつが出てくるなんざ、ようやく俺の人生もツイて回ったかねぇ」


「ま、代田組に泥塗るようなマネだきゃあしねーでおいてやるよ。だから気長に待ってろや」


二人は数秒、睨み合ったが、やがてシルバーの方からアンラッキーへ背を向けた。


「どこ行くつもりだよ、シルバー!!」


「さぁな。とりあえず足の向く方だ。この街に住んでりゃ、またいつか会えんだろ」


「だったら……俺がこんなこと言えた義理じゃないけどよぉ……」


アンラッキーは、右手を天高く突き上げ、それまでで一番に大きな声を出して叫んだ。


「グッドラック、シルバーッ!!」


シルバーはそれに拳を上げて応じ、それっきり振り返ることもなかった。


怪人アンラッキー。


後に“不運”を極めた彼は、「アンラッキー=パライゾ」と名を改め、瀧の右腕となる。


しかしそれはまだ、はるか未来の話である。


数多生まれた因縁は、ここへ一応の収束を見せた。


しかしこれはまだ、長き道程の始まりの一歩に過ぎない。


これより幾人の怪人と魔法少女が立ちはだかり、彼を殺そうと挑むのかも知れてはいないのだ。


唯一ただひとつ、明らかなること。


それは、人間不殺の怪人斬侠、クレイジー=シルバーの旅路が、今ここに開幕したということのみである。


「さぁてと、どこ行くかねぇ〜」


思い切り伸びをしながら、シルバーは己の行く先に思いを馳せる。


前進し、その先で当たった敵を斬り伏せ、斬り飛ばし、そしてまた進む。


はるか血塗られた道であるはずのそこへは、何故か冷たく、しかし爽やかな風が吹いている。


それは一陣の、浴びる者の身を凛と引き締める、冬の名残を残した銀色の東風こちであった。



<了>


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

怪人斬侠伝 〜最強ヤクザに飼われた俺の末路〜 じょにおじ @johnnyoji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ