第10話:俺の大覚醒
その場にいる誰しもが、起こったことの概要を把握しかねていた。
言葉にすれば、「どこからか飛来した潜水艦が、結界の部屋にぶつかった」という、ただそれだけのものだ。
それにしてからが、謎に満ち溢れた文言すぎた。
潜水艦は、普通こんな街中で見れるものではないのが、言うまでもない常識である。
上空からでは視認しづらいが、その潜水艦は、アスファルトの中に半ば埋まっているように見える。
そんなものがどこから現れ、どこへ行こうというのか。
答えは分からなかったが、その潜水艦のハッチが、内部から開けられようとしているところは、彼らの高さからもよく見えた。
「あっ……!?」
その時、声を上げたのはアンラッキーだった。
「梔子さん……!?」
黄色い潜水艦の中から現れたのは、コンビニ店員の梔子キイロだったのだ。
しかも、特筆すべきはそれだけでない。
梔子は、魔法少女の戦闘服であるコスチュームに身を包んでいたのである。
「あの子、魔法少女だったのか……!」
驚くアンラッキーを余所に、梔子は倒れている瀧を発見し、潜水艦の中へと回収していった。
そして潜水艦は、音もなくアスファルトの深部へと潜っていく。
それを止めようにも、結界部屋の中にいる彼らには、手も足も出せない。
「おやっさん……!!」
アンラッキーは瀧の行方を危惧したが、すぐに頭を振って思い直した。
梔子に怪人への害意があるなら、瀕死の瀧はその場で見殺しにして、連れて行くはずがない。
ましてや代田組の怪人は、みな瀧を頼りに生きている寄る辺ない生き物たちなのだ。
そんな瀧を連れて行って、後の怪人たちを路頭に迷わせるのは、魔法少女としても得策ではないだろう。
彼女の行動をポジティブに捉えるなら、恐らくこれで、瀧の命は窮状を脱するはずである。
しかし一体、この場で何が起こり、なぜこういうことになったのだろうか。
その謎を解明したのは、遠く空の上から現場を眺めていた、デスサイズだった。
「ハハハ…これは一本取られたね。まさかこの流れで、アンラッキー君が救世主になるなんて」
陰険そうな見た目に似合わぬ爽やかな笑い声に、ワークショップは不可解な顔を隠そうともしない。
「説明不足じゃぞ、デスサイズ。何がどうなっとるのか、ちゃんと聞かせんか」
「まさかあの魔法少女と、三下怪人がグルだとでも言うつもりか?」
そう告げたワークショップも、それはあり得ないだろうと思いながら思考を巡らせている。
「仮にそうだとしたら、呼び出すのが遅すぎるだろう?彼女がここへ来たのは、偶然であり必然なんだよ」
「恐らくこれは、アンラッキー君すら自覚していない、彼の『ルール』だ」
指で顎を擦りながら、デスサイズは語り始めた。
「私もシルバー君の周辺を探っていたから、彼の特性はよく知っているんだ」
「不運を呼び寄せ、それを周囲の他人にも波及させる。それが、彼の出来る精一杯だと思っていたよ」
「だが、それが逆だったとしたら?」
デスサイズは、手のひらを返すジェスチャーを交えて喋った。
「考えてみれば彼は、どんなピンチに陥っても、命が脅かされることはほとんどなかった」
「スカージオの時は瀧が現れ、ダービードールはシルバー君が退治した。これは果たして偶然だろうか?」
「もしかして、『普段の不幸を享受する代わりに、命の危機を脱することが出来る』と、そういう魔法だとは考えられないか?」
その説明に、ワークショップはううむと唸っている。
「なるほどのぅ……不幸で均衡を計り、いざという時の幸福と釣り合いを取るっちゅうルールか」
「じゃが、お主がそう思った根拠はなんじゃ?」
デスサイズは、浮かせた腰を椅子の深いところへ置いて、座り直した。
「幸運の発動するタイミングだよ」
「彼の幸運は、大人数で行動するほど自分の死ぬ確率が下がるから、発動し難くなるんじゃないかな」
「だが、彼がタランテラにピンポイントで狙われた瞬間から、一気に形勢は逆転し始めたように見えた」
「彼から直に殴られたことで、命の危機という条件を満たし、不条理とも言える大規模なラッキーは起こった。それが真相だと思うよ」
頬杖をつくデスサイズは、自分の解説に得心のいった顔をしている。
ワークショップも、一応は原理を言語化されて納得しているようだ。
ここで読者諸氏には、何が起こったかの説明を、もう一段階噛み砕いてしてみよう。
それにはまず、梔子キイロのことから語る必要がある。
梔子キイロ。魔法少女名、ロマンティックダイバー。
比較的ベテランの位置に籍する、中堅魔法少女である。
彼女の魔法は、小型の潜水艇を操る「イエローサブマリン」。
普段は手のひら大に収納された潜水艇が、魔法の発動とともに巨大化する。
そして海底のみならず、地中へも潜航することが出来るようになるのだ。
その用途から彼女は、主に内偵や斥候を任されることが多かった。
そんな彼女が今回任されていたのが、代田組の怪人たちの監視であった。
梔子のバイト先のコンビニが、代田組の事務所からほど近い場所にあるのも偶然ではなかった。
バイトとして意図的に潜入し、動向を探るために事務所の周囲を嗅ぎ回っていたのである。
もとより立地条件のせいもあり、客付きの極端に悪い半放置店舗であることも、監視には幸いしていた。
その過程で、シルバーとアンラッキーが店に入り浸るようになり、彼女の仕事はさらにやりやすくなった。
しかしこの日、彼女にはコンビニでシルバーたちと別れてから、別の事件に赴くよう指令が入っていた。
本来なら、代田組で異変が起これば、一番に現場へ到着しなければいけないのが彼女である。
だが今回に限り、代田組と関係のない怪人が、梔子の担当地域の住民に迷惑をかけていると連絡があった。
実はこれは、タランテラに入れ知恵をしたデスサイズが、魔法少女に邪魔させないよう、デコイチを差し向けてやらせたことであった。
そのせいで彼女の到着は遅れに遅れ、結局は後手に回らざるを得なかったのである。
彼女が代田組へ向かったのが、シルバーが倒れ他の怪人たちがタランテラへ立ち向かった時である。
その時点ではまだ、アンラッキーの幸運魔法は、発動していなかった。
そしてここで関係してくるのが、梔子の魔法を使う際のルールである。
それは、「水中及び地中を潜航するときは、呼吸を止める」というものである。
呼吸を長く止めていればいるほど、潜航深度も航行スピードも上がってゆく。
代わりに、もしも息をしてしまうと潜水艇は操作不能となり、その場で急浮上してしまうのだ。
さて、ここで場面を前後させ、梔子が登場する前まで時間を戻してみよう。
梔子は代田組の異変の報告を受け、全速力で現場まで向かっていた。
ちょうどその時、アンラッキーはタランテラと対峙し、なす術なくボコボコに殴られている。
そして彼の命を脅かすほどの不運は、見返りとして逆説的に、アンラッキーの命を救うこととなった。
タランテラが彼の顔面に拳を叩きつけようとした瞬間、彼の魔法は発動する。
十分な呼吸訓練を行っていたはずの梔子は、突如として原因不明の喉のつかえを感じた。
それは彼女の呼吸を阻害し、咳込ませ、潜水艇は一時的に制御不能な状態で急浮上してしまう。
現場まで急行しようとしていた梔子は、速度を弱めることなく凄まじいスピードを出していた。
そのスピードのまま、潜水艇は代田組付近の道路で浮上を開始。
スピードも一切落とすことが出来ず、ついには地中からビルの三階の高さまで届くほどに「射出」された。
それがスクウェアガーデンの作った部屋へとぶつかり、結果的に地震と見紛うほどの大きな揺れを生じさせたのである。
これが、その場にいた誰もが知ることのなかった、その時に起こっていた真実であった。
一方で、梔子の顔もアンラッキーの特性も知らぬタランテラは、一人で激しくイラ立っていた。
誰とも分からない魔法少女に邪魔され、瀧は恐らく保護されてしまい、有象無象の雑魚怪人を殺すことも叶っていない。
計画通りに事が進まないのは、中途半端な完璧主義者である彼の精神を、大いにささくれさせた。
「クソがぁっ!!!俺様のことをナメやがって〜〜〜〜!!!」
地団駄を踏んで悔しがると、タランテラは再度アンラッキーに向かい、殴りつけようとした。
「ヒッ……!!」
しかしそれは、高みから見下ろすスクウェアガーデンに阻止されてしまう。
「止めておきなサイ、お馬鹿サン」
「うるせぇ!!全部終わったら次はお前をぶっ殺してやるからな!!」
善意から静止したスクウェアガーデンにすらも、タランテラは子供っぽいイラ立ちをぶつける。
しかしそんなものは、上級怪人であるスクウェアにとって、どこ吹く風であった。
「前を向きなサイ、と言ってるんでスヨ。あなたの相手は、そこの子じゃあナイ」
「何ィ……?」
タランテラはその言葉に、ゆっくりと振り返る。
そこには、気絶していたはずのシルバーが、刀を杖にして立ち上がっていた。
「チッ……さっきの揺れで目が覚めたか。だが、死にぞこないに何が出来るってんだよ!!」
タランテラは怒声を上げて、シルバーへと走っていった。
所詮は手負いであるが、しぶとさで言えばアンラッキーよりも優先して倒すべき相手なのは明白である。
そのため彼は、身に余るイライラの全てを、シルバーで発散することに決めたのだった。
しかしシルバーの目に、そんなタランテラの怒れる姿は写っていない。
この時シルバーは、胡乱な目をして自身の手元を見つめてばかりいた。
この時シルバーは立ち上がっていながら、未だ意識を喪失したままだったのだ。
シルバーの意識は、立ちながらも覚めず夢を見ていた。
体が起き上がったのは、強い揺れに対する防御反射に過ぎない。
タランテラへの負けん気からでは、決してなかった。
起きなければと思う反面、もう殺されてもいいという意識が、彼の心を蝕んでいる。
勝ち負け、生死、優劣、そういったものを決める争いが、馬鹿馬鹿しく思えてしまったのだ。
思えば瀧の傘下に入ってから今日まで、シルバーは負け通しの人生を歩んできた。
瀧には言わずもがな一度も勝てておらず、スカージオには殺されかけ、輪島佐銀にも勝ったという自覚はない。
譽にもいいように遊ばれ、デスサイズに至っては指一本触れることさえ叶わなかった。
彼らがその気になれば、自分など地に皿を落として割るがごとく、何度も殺されているだろう。
そういった場所でつまらない意地を張り、矮小な勝敗を競うことに、意味はないのではないか。
シルバーの脳裡には、そのような思いが渦巻いている。
戦いの場から下りることを決断するなら、今なのではないか。
代田組の組員としての生も、悪くないと言えるのではないか。
自分の怪人としての凡庸さと、向き合う時がついに来てしまったのではないか。
しかし、そう思う自分を引き止めたのは、この場にいるはずもない人物たちだった。
『何を辛気臭ぇツラしてやがんでぇ、おぉ?』
そのよく聞き慣れた声に、シルバーは思わず意識の中で顔を上げる。
そこには、刺されて気絶しているはずの、瀧の姿があった。
何故そこにいるのかと問う間もなく、今度はその後ろから、ひょこりと顔を出す者がいる。
『ヤッホー、お兄さん。元気してた?』
義手の方の腕をぱたぱたと振って、瀧譽がその体を瀧の横に並べた。
そしてさらに、シルバーの背後からまたしても意外な声がかかる。
『ずいぶんと、ちゃちな相手に負けてやがるじゃねぇの。シルバーさんよ』
その声に振り向くと、そこには自決したはずの、輪島佐銀が立っていた。
「なんで……いや、どうやって……?」
混乱するシルバーを余所に、瀧はいつものように傲然と、大雑把に間合いを詰めた。
『オメェがあんまり情けねぇケンカしてやがるから、見てらんなくなっちまったのよ』
そして彼の足首の辺りを払うと、シルバーの意識はその場で容易く尻もちをついてしまう。
『腰が入ってねぇんだ、腰がよ。だからそんな簡単に、地べたに転がっちまうンだ』
シルバーの前に腰を下ろして、瀧はいつもの小言のように言う。
『どうしちゃったのー、お兄さん。今のお兄さん、私と戦った時の半分も力が出せてないよ?』
シルバーはまじまじと、譽の顔を見つめてしまう。
さっき誰かが、譽のことを話していた気がするが、頭が霞がかったように思い出せない。
『こんな面白くもねぇ喧嘩するやつに負けたなんて、地獄の閻魔様にも言えやしねぇや』
輪島もここぞとばかりに、シルバーへ憎まれ口を叩いている。
訳も分からぬシルバーへ、瀧が語り聞かせた。
『もう、喧嘩にゃ飽きちまったか。ここいらでいっぺん、店じまいにしとくかよ?』
その台詞にフッと目を逸らし、シルバーは悲しげに呟いた。
「……それもいいかもしんねぇな。最後の相手が、あのバカだってのは癪だがよ」
ここで怪人の一切から手を引くのは、自身の命すら手放すのと同じことである。
そして今のシルバーは、そのことについて何一つ未練が浮かばないような有様だった。
ついにシルバーは、そういった空しい領域まで来てしまったのだ。
しかし、シルバーがそれを許しても、瀧はそれを許さなかった。
瀧はシルバーの胸ぐらを掴むと、チンピラを恫喝する時のように、腹の底から声を荒らげさせた。
『甘えてんじゃねぇ。ここでお前が死んだら、誰が何のためにオメェにおまんま食わせてきたと思ってやがんでぇ!!』
そして、懐から長ドスを取り出すと、尻もちをついたシルバーの前の地面へ突き刺した。
それはシルバーもよく見知った瀧の愛刀、
『シルバーさんは、本当にここでリタイアしちゃっていいと思ってるの?』
『こんな喧嘩が人生のシメじゃあ、俺なら絶対に死にきれねぇぜ』
譽と輪島まで、シルバーを囲んで物申す始末である。
夢なのは分かりきっているのに、どうしてこんなにも前向きな言葉を自分へ掛けようとするのか。
瀧なら、譽なら、輪島なら、こう言うだろうという予測を夢見ているに過ぎないというのに。
『甘えてんじゃねぇ』
これは瀧の台詞ではなく、自分から自分への檄だ。
『本当にここでリタイアするの?』
譽の姿を借りた疑問は、自問自答でしかない。
『こんな面白くもねぇ喧嘩』
輪島でなくても、自分がそのつまらなさを一番に認識している。
それはつまるところ、自分がそれほどまでに生きたがっているということの、証左でしかないのだろう。
けれど、それなのに。
その言葉の端々にこもる熱量は、まるで本物の瀧らが自分の中にいるようだった。
結局のところ、人と交わる経験を経てしか、自分の中にそのようなエネルギーは生まれなかったのだ。
『シルバー。オメェは何だ、言ってみろ』
『シルバーさん。あなたは一体、自分を何だと思う?』
『シルバー。あんた自分のこと、てんで分かっちゃいねぇんじゃないかい?』
三人は、そんな禅問答のような無茶な質問を、シルバーに尋ねてくる。
「お、俺は…シルバー……ただの人食いの怪人だろ……」
『そうじゃあねぇ。お前は、本当のお前ってやつぁ、コイツだろ』
瀧は、シルバーの目の前へ突き刺したドスの柄を、節くれ立った人差し指でコツコツと叩いた。
『お前は、一本のドスだ。それだけ肚に詰めときゃあ、他になんもいらねぇんだよ。そこんところ、よっく覚えておきな』
そして瀧は、譽は、輪島は、音もなくシルバーの目の前から消え去っていく。
後に残されたのは、シンとした静謐な煌めきのみを宿す、瀧のドス一本だけだった。
「ったく。人の夢にまで、しゃしゃり出てきやがって……」
シルバーは苦笑しながら、瀧のドスを握って立ち上がった。
その瞳に、シルバーはかつて宿していた闘争の光を取り戻していた。
お前は、何だ。
その問いかけが、シルバーの中で木霊する。
俺は、長ドス。
俺は、一振りの刃。
俺は、無銘。
なら、捨てろ。
己が身を賭けるその刃以外の、全てを。
名も実もなく、ただこの身のみを残して、一切合切を。
そのためにはどうすればいいか、俺の体はもう知っている。
そう考えた次の瞬間、シルバーは己の内面に存在する、己が本質を理解していた。
『捨身飼虎』。
そのたった四文字が、はっきりと目の前に広がっている。
虎に身を捧げる仏の慈悲。転じて、虎の前から逃げぬこと。
瀧の先代、素卯鷺山は、その言葉をそう解したと言う。
この身に降りかかる困難、不幸、雑事、面倒、偶然、汚濁、非業、懐疑、憤怒、悲哀、油断。
それら一切を刃一本のみで斬り伏せる覚悟こそが、捨身飼虎の精神である。
シルバーがその言葉をそう解した時、彼の意識は急速に、現実へと引き戻されていった。
右手に握られた瀧のドスは、シルバーの左腕の腕刀へと姿を変えていた。
その寸前、彼の目の前には、タランテラの拳が残り数センチのところまで迫っていた。
回避は不可能、防御も然り。それはそういうタイミングで打ち込まれた打撃である。
「死イィィィィィィィイねエェェェェェェェェエ!!!!!!!」
その拳は、間違いなくシルバーの鼻骨へ、強かに打ちつけられたはずであった。
その場にいる誰もが、そのことに疑いすら抱いていなかった。
「……あ?」
まずその異変に気づいたのは、タランテラである。
拳が、軽い。いや、軽くなった。
軽く、された。
そして、何かが液体を振り撒きながら、彼の頭上の宙を舞っている。
自分の体がバランスを崩し、たたらを踏んでいるのが分かった。
そして、その体がぶつかる位置にいたはずのシルバーが、突如として消えていた。
倒れるより早く体勢を整えたタランテラは、宙を舞うそれが何か、いち早く理解した。
ゴン、と鈍い音をさせて落下して来たのは、シルバーへ打ち込まれたはずの、タランテラの拳だった。
「あっ……ぎゃあぁぁぁああぁあぁあぁぁぁあぁぁあああぁあい!!!!????」
タランテラは絶叫を上げ、地に転がる己の拳を見ていた。
彼の数メートル背後から、カキンという金属音が聞こえる。
音に反応して振り返ると、いつの間に移動したのか、シルバーがまるで瞬間移動のように、忽然とそこへ現れたのである。
「なんっ……なんだっ……それはっ……なんなんだ、お前はぁっ……!?」
タランテラはそれまでの余裕をかなぐり捨て、切断された手首を反対の手で押さえている。
拳の固さは、それまで同様十分に保持していたはずであった。
現に数分前までのシルバーは、それに全く太刀打ち出来なかったはずである。
「し……シルバー……?」
一部始終を見ていたアンラッキーも、そして他の代田組怪人たちも、シルバーが何をしたのか、一人も理解し得なかった。
その中にあって、上級怪人であるスクウェアガーデンだけが、あることに気づいていた。
「フーム……あれは……?」
彼が見ていたのは、シルバーの左腕の腕刀である。
彼が腕刀を杖のように床へ突くと、難攻不落のはずの結界の床へ、わずかに刺さっていたのだ。
それはつまり、一部とはいえ彼のルールに匹敵する強さを、シルバーが有しているということになる。
何かが明らかに、先ほどまでのシルバーと違う。
しかしそれを上手く言語化出来ず、皆が固唾を飲んで見守っている。
それは決して、望んで膠着状態になっているわけではなかった。
蛇に睨まれた蛙がごとく、鬼気迫るシルバーの様子に、一言すら発することが出来なかったのだ。
それを見かねたスクウェアガーデンが、空中から下りてきて主導権を握った。
「新しいルール、でスカ。よくもまぁこんなところで、ぶっつけ本番で試す気になりましたネェ〜」
パチパチと手を鳴らしているが、他の怪人たちは、シルバーの身に起こっている圧倒的な変化に、まだ誰も気づいていない。
新しいルールという言葉にも、ピンと来ている者は誰一人として存在していなかった。
スクウェアはその事態に気づき、四角い人差し指を立ててシルバーへ提案した。
「ならば、ここでそのルールを皆さんへ宣言してみるとよいでショウ」
「口にすることでルールはより強固なものとなり、あなた自身の本物の力となるのデス」
それを聞いたシルバーは、タランテラへ、そして他の怪人たちへ向かって、ぼそりと口を開いた。
それは、その場にいる誰もが想像もしなかったルールであった。
「……俺は、人間体になって戦う。怪人体で戦うことは、もうしねぇ」
「はっ……はぁぁぁぁぁああぁぁああああぁああああ!!!!????」
そこまで呟いて皆やっと、シルバーの肉体が、怪人体へ戻っていないことに気がついた。
シルバーの怪人体は、全身が鈍色の刃の色へと変化する。それに気づかない者など、いようはずがない。
シルバーはあまりにも自然に、人間体へと体を変化させてタランテラを斬ったのだ。
それが視認出来る早さに収まらなかったため、他の怪人たちにはシルバーが、人間体でただ移動しただけのように見えていた。
まさか弱い人間体をルールの要として活用するなど、誰の脳内にも存在しない発想であった。
「そっ……そんなルール、あっていいはずがない!!俺様たちは、怪人だぞ!!人間より強ぇんだぞ!!それをっ……それがっ……!!」
タランテラは喚くが、シルバーはペッと血混じりの唾液を吐いて反論した。
「そいつぁ良かった。だが、ザンネンなことに俺より強ぇ人間なんざ、この世にゃザラにいたもんでな」
「俺に取っちゃ、どーもこっちの体の方が、戦うのにしっくり来ちまうらしい」
シルバーは隻腕の体を揺らして、調子を整え始めた。
本来、怪人が人間へ擬態した姿は、元の力の半分も出せないものと相場が決まっている。
だが、それをルールとして組み込み、リスクとして背負った場合、その見返り効果は誰の予想も越えた絶大なものとなる。
スクウェアガーデンは、心底愉快そうに笑って、再び空中へ浮遊した。
「ホホホホホ!これはこれは、タランテラさん。どうもあなた、本気で彼を殺しにかかった方が良さそウダ」
「でないとアナタ、逆にこの方から食われてしまうかもしれませンヨ〜?」
空中でくるくると回るスクウェアは、まるでまだ見ぬ玩具を見つけた子供のようである。
そしてもう一人、変わり果てたシルバーの様子を、楽しげに見ている者が存在した。
「アハハハハッ、そう来たかぁ!!まさか人間体の弱みを、ルールとして取り込んでしまうなんてね!!」
それは、別空間から戦いを覗いていたデスサイズであった。
今にも転げ回りそうな彼とは対象的に、ワークショップは至極真面目な顔で、穴の向こうを覗き見ている。
「フゥム……こんなルール、前代未聞じゃ。お主の言う革命児という言葉も、あながち嘘ではなかったということか」
ワークショップが唸るのも、当たり前である。
人間へ擬態する能力は、ほぼ全ての怪人たちが有している能力なのだ。
条件さえ合ってしまえば、どんな弱小怪人だろうと簡単に強くなれると、シルバーは証明したも同然なのである。
珍しく前のめりになっているワークショップを横目に、デスサイズは無情にも、彼の力で開いていた覗き窓を閉じてしまった。
「お、おいコラ!!ここからがええとこじゃろうが、最後まで見せんかい!!」
憤慨するワークショップは、珍しくデスサイズへ食って掛かる。
「フフフ…勝負はもう決したよ。タランテラの勝利は、これで100%無くなった。勝敗の決まったゲームを眺めるほど、互いに暇じゃないだろう?」
ワークショップの文句も意に介すことなく、デスサイズは帰り支度を始める。
「せめて我々は、祝ってみせようじゃあないか」
「瀧桜閣という『怪人のような人間』が、シルバーという『人間のような怪人』を作り上げた、今日という晴れの日のことをね」
芝居がかった口調と共にデスサイズは掻き消え、後に残されたのはワークショップの、不満げな顔だけとなった。
他方、自分の知らぬ場所でそんなやり取りをされているとも知らず、タランテラは大量の冷や汗をかいていた。
握る拳はおろか、足の裏にまで汗をかいている。
目の前の弱小怪人が、先ほどまでと明らかに違う空気を放っているのだから、それも当然と言えた。
それはまさしく、上級怪人と対した時の、背筋も凍るような圧力と全く同じものだった。
斬られた腕の痛みは、屈辱と恐怖とを均等に彼の中へもたらしている。
ルール一つでこんなにも怪人が様変わりすることを、彼はこれまで知らなかった。
そして、それに困惑しているのは、タランテラだけではなかった。
シルバー自身も、自分の内部で起こっている変化に、身を震わせていた。
『ルールを定めリスクを負った怪人は、肉体からしてそうでないものとは全く違うものとなる』
ワークショップの言っていたそれは、本当のことであった。
今シルバーは、自分の内部が明らかに変化していくのを感じていた。
細胞ひとつひとつがめまぐるしく置換され、塗りつぶされ、淘汰され精製され、全く別の自分へと生まれ変わってゆく実感がある。
「捨身飼虎、か……」
シルバーは、無意識のうちに呟いていた。
それはまるで、自身の体の肉を全て、虎に切り与えたかのような心地だった。
シルバーは今、文字通りただ一本の刃となって、それ以外の力を捨てたのだ。
シルバーは、尻込みしているタランテラへ腕刀を向け、かつて瀧がそうしたように、傲然と言い放つ。
「来いよ、タランテラ。お前は今、虎の前だぜ」
タランテラはそれを聞いて、額に極太の青筋を浮かばせた。
未知の敵へ対する恐怖より、格下であったはずの相手への怒りの方が
「舐めるなよ三下が……お前なんぞこの俺様にとって、ゴミカス以下の汚物に過ぎねぇんだよオォォォオオオオ!!!!!」
怒りで傷口は塞がり、タランテラは全身を固く締まらせて、シルバーへ突進した。
「シルバーッ!!」
アンラッキーがそう叫んだ瞬間、シルバーの体は既に始動していていた。
「遅ぇよ、タコ」
前へと踏み出し、刃を振って、敵を切る。
それだけの単純な動作を、目視出来た怪人はそこにいなかった。
傍目に見れば手品のごとく、シルバーの体がタランテラの体を透過したかのように見えた。
彼の動かした刃は、
代田組の怪人たちからはどよめきが上がり、アンラッキーはシルバーへ一番に走り寄っていた。
「シルバー!!やったなぁ!!」
皆が喝采してシルバーを周囲を囲ったが、それに応じる力は彼に残されていなかった。
「ヘッ……俺があの程度の野郎に負けるとでも、思ってたのかよ……」
憎まれ口は減らないが、ここまで受けた傷や疲労が、それで回復するはずもない。
実際のところ、シルバーの肉体に蓄積されたダメージは、そこまで軽いものではなかった。
緊張の糸が途切れたシルバーは、今にも倒れそうにぐらりと体を傾ける。
そこへやって来たのは、天井付近から舞い降りてきた、スクウェアガーデンだった。
「素晴らしい!感服しましたよシルバーサン!私、あなたのファンになってしまいそうデス!」
「こんなエキサイティングな戦いを見せてもらったからニハ、ぜひお礼をしなければなりませンネ?」
シルバーは、アンラッキーの肩を借りてようやく立っている。
空気読めよとばかりの非難の目線も、見て見ぬ振りをして気にする素振りすらない。
「よせよ、気色悪いな……それよりさっさと、部屋を解除して俺たちを解放しろよ……」
「まぁまぁお待ちなさイナ。短気は損気と言いますよ、『クレイジー=シルバー』サン?」
「あぁ……?なんだその、クレイジーなんちゃらってのは……?」
「あなたに、新しいお名前をプレゼントしたいんデス!クレイジーなルールを課した怪人に、ピッタリな名前でショウ?」
手を叩きながら、スクウェアガーデンはキャッキャと子供のようにはしゃぐ。
「あなたの名前はこれから、クレイジーな怪人『クレイジー=シルバー』デス!光栄に思って使いなサイ!」
「バカやろぉ……誰がそんな、気色悪い名前……使うか、よ………」
そのプレゼントを拒否しようとしたシルバーは、そこで力尽きて、意識を失ってしまった。
「シルバーッ!!」
「おやオヤ。気が抜けてしまいましタカ〜?仕方ありませンネ」
代田組怪人全員で力の抜けたシルバーを支えたところで、ようやくスクウェアは結界の部屋を地上まで下ろし、そして解除する。
そこからはシルバーを介抱するため組に残るグループと、魔法少女梔子キイロに連れて行かれた瀧を探すグループとに分かれ、一時解散となった。
スクウェアによって授けられた「クレイジー」の名は、その後本人の意思と無関係に吹聴され、定着してしまうこととなる。
シルバーとしては不本意極まりなかったが、彼以外のほぼ全員、その愛称を大変に気に入ってしまったのだからやむを得なかった。
こうして後に無類の怪人と呼ばれる『クレイジー=シルバー』の快進撃は、ここから始まったのである。
そして、時は比較的穏やかに経過し、タランテラの襲撃から三日が過ぎた。
すっかり傷の完治したシルバーは、その日、市内にある最も大きな総合病院へと、足を運んでいた。
<続く>
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