第9話:俺とバカ一匹

シルバーと瀧の戦いから、二週間の月日が経過した。


瀧を倒して晴れて代田組から出奔するというシルバーの計画は、頓挫したままである。


と言っても、二週間の間シルバーは、瀧と一度も顔を合わせていない。


瀧のいない時間を見計らい、組の周囲と事務所三階のタコ部屋を、行き来しているのみである。


瀧も以前と違い、シルバーへ小言のような口をきくことはなくなった。


その代わりなのか、シルバーには代田組の怪人が二名、持ち回りで見張りに着くことになった。


本来なら下級怪人が幾ら見張ろうと、敵うようなシルバーではない。


だがしかし、瀧という最大の敵を失った今、シルバーの闘争意識は完全に停滞し、沈黙していた。


毒気を抜かれたかのように、ここ最近のシルバーには、全くもって覇気がない。


あれほど躍起になっていた、ケンカ相手を探すことさえしようとしないのだ。


人間を殺せないルールが問題なのではなかった。


あれほど決着を待ち望んだ瀧が、まるで自分を普通の人間以下のように扱っていたのが、釈然としなかったのだ。


人の倫理の外にいるシルバーにとって、瀧のした非道の数々などどうでも良かった。


だが、その罪悪感で瀧が弱ってしまうなら、シルバーのこれまでの試行錯誤などなかったも同然である。


本気の瀧を狩らない限り、シルバーが本当の意味で瀧に勝利したとは言えないからだ。


「はぁ〜〜〜…………」


シルバーは重苦しいため息を漏らした。


何をどうすれば良いかの指針が、全く分からなくなってしまったからだ。


「ため息なんかついてないで、邪魔だから退けてくださいよぉ」


シルバーを叱るのは、いつものコンビニ店員梔子キイロである。


シルバーが黄昏れているのは、いつも事あるごとにたむろしていた、事務所近くのコンビニだった。


見張りに着いた怪人二人は、それぞれ立ち読みしたり商品棚を覗いたりと、シルバーへ殆ど関心を払っていない。


それなのに、シルバーはザルな見張りをかいくぐって逃げようともしないのだ。


例の如くイートインスペースの椅子を勝手に持ち出し、レジ前で不遜にも座り込んでいる。


そんな時、彼女はどれだけ言っても聞かないシルバーへ、いつも強い言葉を使って追い払おうとしていた。


しかし今日は、シルバーにいつもの覇気がないことに気づき、梔子の注意する声も気が抜けたものとなっている。


「理由は聞きませんけど、そんなに元気ないなら事務所で落ち込んだらどうなんですか?」


「どうせいるだけ邪魔なら、いるべき場所で燻っててください!」


存外に酷い物言いであるが、シルバーはいつものようにそれに噛みついたりしない。


「ば〜か野郎。そんなこと出来るならもうとっくにそうしてるっつーの」


それだけ告げて、またガタガタと椅子を揺らすのみである。


シルバーは、組内に自分の存在意義を見い出せていなかった。


これまでは瀧を殺すという大義名分の元、自分を組に結びつけることが可能だった。


しかしシルバーのルールに怒り、過去の己と折り合いのつかない瀧を殺したところで、満足など得られない。


かといって、瀧に勝たねばシルバーは人を殺せない、中途半端な怪人のままである。


そして腕を自らもぐというルールを使う限り、瀧はシルバーに本気で対することが出来ないままだろう。


それほど瀧の悔恨は、根深いものなのだ。


にっちもさっちも行かないとは、このことである。


「はぁ〜クソつまんね〜な〜。おい姉ちゃん、タバコか酒寄越せよ」


柄にもなくそんなことを呟いているシルバーに、梔子は知るものかと言いたげな顔をしている。


本来、闘争の他に欲求を持たないシルバーが、それ以外で欲を満たそうとすることはあり得ない。


そのことだけでも、どれだけ彼が自暴自棄になっているかが分かるというものだ。

 

「知りませんよ。居酒屋じゃないんですから、自分でレジまで持って来なさい!」


「それに、あなたがお金持ってるとこ、一度も見たことありませんけど?」


まくし立てる梔子に、シルバーは頬杖をついて舌打ちをする。


「チッ……ケチ臭ぇな〜。それが客に対する態度か〜?」


「あなたのことをお客様だと思ったことは、一度もありません」


ガタガタ椅子を鳴らすシルバーには、梔子の皮肉も効いていない。


こうなってしまっては、恐るべき怪人も単なる駄々っ子と同じようなものである。


「こんなところで時間潰してるヒマがあるなら、もっと有意義なことに時間を使ったらどうなんですか?」


「うるっせぇな、指図するんじゃねぇよターコ」


ウダウダと埒もない会話をしている間、シルバーはぬるま湯に浸かっているような、どうしようもない気分に苛まれている。


梔子の言うことがいちいち尤もなのは、彼が一番理解している。


しかし、それをどうにかしたいと思っても、現状をどうにかする術を彼は持たない。


そのことが、シルバーをどうしようもなく苛立たせるのである。


腕を落とすのとは別の、己を律する新しいルールの案も浮かばない。


さりとて弱った瀧をぶちのめすことに納得出来るほど、シルバーの自意識は幼くなかった。


このような時、シルバーの脳裏には瀧譽(たきほまれ)の顔が浮かぶ。


シルバーの鬱憤に本気で当たり、助けになろうとしてくれたのは、彼女だけだったからだ。


実はシルバーは、瀧に内密のうちに譽と連絡を取ろうとしたことがあった。


瀧にバレれば、譽に迷惑をかけるなと止められるのが分かりきっている。


そのため、アンラッキーに無理やり手伝わせ、譽の連絡先を調べ出したのである。


結果として、事務所の固定電話の記録に、譽の名と共に保存してある連絡先を発見することが出来た。


しかし、その連絡先に電話をしてみても、残念ながら譽が出ることはなかった。


魔法少女として多忙を極めるのなら、無理からぬ話ではあるかもしれない。


しかし、その後幾度か電話を入れてみても、彼女がそれに応答することは、一度もなかったのである。


『裏切られた』などと大袈裟なことは思わなかったが、シルバーの憂さに拍車がかかってしまったのは言うまでもないことだった。


どうしようもないものを抱えながら、シルバーはひたすらに椅子をガコンガコンと揺らしている。


その揺れがようやく収まったのは、コンビニにアンラッキーがやって来たからであった。


「チーッス、梔子さん」


「あ、どうも」


アンラッキーはあえてシルバーに一瞥もくれず、まずは梔子へ挨拶した。


そして、立ち読みしていた見張りの下級怪人二人を睨み、呆れたように注意する。


「お前らさ〜、シルバー見張ってろって言われたんならちゃんと見張ってろよな〜?」


「今シルバーがその気なら、何も抵抗出来ずに逃げられてたぞ?」


その言葉に、下級怪人二人はバツの悪そうな苦笑いを覗かせる。


そこまでしてようやくアンラッキーは、シルバーに向き直った。


「よぉ、元気かシルバー?」


「はっ。元気過ぎて屁が漏れらぁな」


憎まれ口もそこそこに、シルバーはレジへ頭をガツンとぶつけて見せる。


それを見た梔子は、唇をへの字に曲げて不満そうだ。


「シルバー。お前最近、おやっさんのこと避けてるだろ?」


アンラッキーは、言わずもがなのことをシルバーへ向けて告げた。


それは誰が見ても明らかだったが、シルバーにそう言って諭そうとした怪人は一人としていなかった。


誰しも、自分より勝る相手に苦言を呈そうとは、思わないものである。


そういう意味でも、アンラッキーはシルバーにとって、稀有な相手であると言えた。


「だぁ〜れが避けてるもんかよ。組に寄りつかねぇのは、元からのこったろ?」


減らず口を叩くシルバーだったが、それしきのことにアンラッキーは慣れっこである。


「別にいいんだけどよ、今日はおやっさんが集会で出かける日だ。見送りにくらい来てもいいんじゃね?」


怒るでもなく、ゆったりとした口調で、アンラッキーはシルバーに含ませるように言って聞かせる。


集会とは月に一度、代田組の上部団体である白奪会が行う、幹部集会のことである。


上納金の集金もそこで行われるため、一度出かけると瀧は二日ほど組を空けることになる。


「なんで俺がジジィの見送りなんざしなきゃなんねーんだよ。くたばってあの世に逝ったなら別だがよぉ」


シルバーは面倒臭そうに言うと、アンラッキーを追い返そうとする。


しかし、アンラッキーもそれしきのことで挫けたりしなかった。


「ほんの十分かそこら、顔出すだけじゃないか。それも出来ないくらいボロクソに負けちまったのか?」


アンラッキーは唇を尖らせ、露骨に煽って見せる。


「アァン?勝ち負けは関係ねぇだろが……」


「おやっさんに顔見せするのも嫌なんだろ?明らかに負けてるじゃないか」


シルバーにとって、負けを吹聴されることが最も我慢ならないと知っている顔である。


「テメェ……それ以上口開いたらぶっ殺すぞボケが」


シルバーは威圧的な口調で、体の一部を刃物へと変化させる。


アンラッキーは、それでも動じなかった。


「別にいいんだぜ?俺は、お前が、誰に負けようが勝とうが興味ないからな」


「けど、ただ見送りするだけの意地も張れない怪人が、おやっさんに勝てると思ってるのか?」


目前まで迫るシルバーの刃にも、アンラッキーは物怖じしなかった。


シルバーは憎々しげにアンラッキーを睨んだが、やがて刃を元に戻して思いっきり舌打ちをした。


「分かったよ!!行きゃあいいんだろ行きゃあ!!次同じ事やったら今度こそ殺すからな!!」


「やったっ!!」


アンラッキーは、小さく跳躍して喜びを表現した。


ここまで臆面もないことをされては、さすがのシルバーも閉口して着いていく他にない。


彼にとって勝ち負けとは、ある意味で生死より重要なことなのだ。


シルバーは立ち上がると、椅子も戻さずアンラッキーの横顔を見た。


「お前……なんか前よりふてぶてしくなってねぇか?」


「そうか?気のせいだろ」


アンラッキーはしれっと言って、シルバーを伴いコンビニの外へと出ていった。


コンビニから代田組の事務所までは、五分とかからない距離である。


そのため、ある程度遠目から見ても、事務所の外に組所属の怪人たちがたむろしているのが見えた。


その先には、恐らく白奪会から迎えに来たのであろう、黒塗りの高級車が停められている。


皆そろって、瀧を見送ろうとしているようだ。


シルバーはそれを、鼻白んだような顔で眺めている。


「なんだぁ、お前ら。仲良くお見送りかよ」


シルバーの声に、怪人たちは一斉に彼の方を振り向く。


「来ると思ったぜ」


という声もあれば、


「バックレると思ってたのに」


という声も上がる。


シルバーはその歓迎されているのかいないのか分からない雰囲気に、苦々しい気持ちになった。


もとより馴れ合いを望まない彼の気質に、今の代田組の環境はそぐわない。


これなら野垂れ死にした方が、まだマシだとさえ思える。


だがそれさえも、譽との約束のある瀧が、許しはしないだろう。


責任を持って怪人を見張るとは、その生殺与奪を完全に掌握するということなのだ。


そんなシルバーの思惑など見透かしているかのように、事務所の二階から瀧が堂々と下りてきた。


カンカンと下駄を鳴らして階段を下りると、途中でシルバーの存在に気づいたようである。


「なんだぁ、帰って来てやがったのか」


皮肉るでもない風に言った瀧だったが、シルバーはその声に聞かないフリで返す。


その間にアンラッキーが入り、取りなすように口を開いた。


「すんません、おやっさん。見送りくらいはしろって言って、俺が連れてきたんスよ」


「そうか。手間ぁかけさせちまったな」


瀧はそう言うと、シルバーの横を通り過ぎる際に、ぽつりと呟いた。


「どうだ。何ぞ生きる道でも見つけたかよ」


瀧は尋ねると、シルバーは舌打ちをしながら、目も合わせずに返した。


「んなもん、もうどうでもいいわ。ジジィが俺を組に縛りつけてぇなら、そうすりゃいいだけだろ」


散々考えた末にシルバーが出した結論は、思考放棄そのものであった。


瀧はおろか、人そのものを殺せないルールの前では、手の施しようがないと言えた。


「この老いぼれの命一つで、チャラにしてやれりゃ良かったんだがな。そうも行かねぇのが、この浮世の辛ぇところだ」


瀧はそう告げ、シルバーの横を通り過ぎて行った。


瀧は瀧で、シルバーに命を預けて死ねないことへ、思うところがあるのだろう。


瀧が車の横へ立つと、運転手が降りてきて、瀧の前で腰を折る。


「瀧の親父さん、ご苦労様です。お迎えに上がりました」


上下黒のスーツにサングラス、髪は肩までの長髪の男である。


運転手は慇懃に挨拶すると、瀧を乗せる後部座席のドアを開けた。


しかし瀧は、運転手の顔をまじまじと見つめたまま、車に乗ろうとしなかった。


見送りに出てきた怪人たちも、瀧の様子がおかしいことに、ぽつりぽつりと気が付き始める。


「おめぇ、何モンだ?いつも本家から迎えのある時ぁ、ダイゴが運転してくるはずだが」


そのダイゴという名前に、ピンと来る怪人はいなかった。


瀧は白奪会の人間と自分の部下を、直接引き会わせることは一度もしていないのだ。


「申し訳ありません、名乗りが遅れました。手前、運転手代理の蘭寺(らんてら)ってモンです」


「ダイゴのやつ、事故で足の骨を折っちまいやがりまして。急遽代理として、自分が車出させて参りました」


あくまでも慇懃な姿勢を崩さず、男は腰を低くして名乗りを上げる。


瀧はそれを黙って聞いていたが、やがて着物の裾を翻すと車の方へ向き直り、その暗い車中へ身を沈めようとした。


その時である。


瀧は突然振り返り、運転手である蘭寺の顔へ、容赦のない鉄拳を叩きつけたのである。


蘭寺は防御も叶わず、不様に後方へ倒れる。


恐ろしいことに、それは一切手加減のない、瀧の本気の殴打であった。


それを見た怪人たちは、何事が起こったのか理解出来ず、大いにどよめいていた。


「二つだけ、覚えて帰んな、兄さんよ」


瀧は拳へふっと息を吹きかけ、傲然と蘭寺を見下ろしている。


「こちとらこれでも、狙われる身なもんでな。運転手が変わる時ゃ、連絡が来るようになってんだよ」


「それと『お疲れ様』や『ご苦労様』は、この世界じゃ刑務所ムショ上がりにだけ掛けるご法度だ」


瀧は転がる男の頭へ足を振り下ろし、踏みつけにする。


「さて、ヤクザもんでもねぇ見知った顔でもねぇお前さん、いってぇ何者だ?」


鮮やかな手管に言葉もない怪人たちを他所に、蘭寺から小さく囀るような声が聞こえてきた。


「クク……クククッ……クーッククク!!」


それは、喉の奥から絶え間なく溢れる、笑い声であった。


「ったくよぉ……いい趣味してるぜ、ヤクザってのはよ〜。スマートな俺様の作戦が、台無しじゃねぇか〜」


メリメリと全身から音を立たせて、蘭寺は奇妙な行動に出た。


瀧の強い踏みつけを物ともせず、ブリッジの体勢で体を起こして、立ち上がったのだ。


瀧は途中から足を離し、その異常なまでの体幹の強さを観察していた。


いつの間にか男の姿は、上下揃いの黒スーツではなくなっていた。


張り詰めた筋肉を誇示するかのように、細いビキニパンツ以外のものは体に身につけていない。


肩までの長髪は、剃り上がったモヒカンへと姿を変えていた。


まつ毛の長い、爛々とした大きなタレ目は、おおかた気色悪さしか感じさせない。


顎の先端は二つに割れており、耳たぶには、巨大な穴にピアスがつけられていた。


男はひとしきりポージングをして体を見せつけると、無表情の瀧へ向けて高らかに叫んだ。


「この俺様の名前は!!怪・人!!ルゥアァァァァァァァァァイクッ!!タランテラァァァァァァァァッ!!!」


「今日は特別にぃ〜っ、お前らが『タラ様』と呼ぶことを、許可してやってもいいぜぇ〜?」


その圧倒的な不快感に、瀧以外の全員が呆気に取られている。


「そのタラなんとかが、俺に何の用でぇ?」


そんな中、瀧だけが冷静に事を運ぼうとしているのが、言動からも分かる。


「なぁに、そんな難しいことじゃない。ちょいと代田組の皆さんに、全・滅ッしてもらおうと思ってねぇ!」


「まずは瀧桜閣、あんたのクビからこの俺様直々に頂戴しに来たってワケさぁ。カンタンだろぉ?」


唇を割る間にも、肉体を誇示するポージングを、タランテラは欠かさない。


瀧は頭をボリボリかくと、相手にしていられんとばかりに背を向けた。


「うちみてぇな弱小ヤクザ潰して何がしてぇのか知らねぇが、こっちも組員の身代預かってる身なもんでな」


「いつでも来いたぁ言いたかねぇが、本家のガキにまで手ぇ掛けたのは間違いだったな」


瀧は振り返ると、着物の袂から白鞘に収まったドスを取り出した。


「ダイゴは俺が目ぇかけてた若造よぉ。おめぇそのガキ、いってぇどうしてくれたんだコラ?」


すらりと鞘を払うと、瀧の全身から冷たい怒気が流れ出る。


「さぁてねぇ〜。覚えてないってことは、殺したのかもしれないし食ったのかもしれないなぁ?」


「興味のないことはすぐ忘れちまうもんでね、この俺様はさぁ〜」


タランテラがそう言い放つや、瀧は神速の抜刀で斬りかかった。


通常であれば、一瞬で間合いを詰めた瀧の斬撃は、怪人の首を容易く刎ねているところである。


だがその時、誰の目にも予想だにしなかったことが起こった。


瀧の脳裡に、あるおぞましいイメージがフッと浮かんだのだ。


それは、彼の恩人である素卯鷺山が、怪人に切られているのを発見した時のものだった。


このまま進んでは、殺られる。


それが直感的に、何よりもリアルに感じられた。


そのため瀧は、タランテラへ当たるすんでのところで、ドスの動きを止めた。


そして、反対の手を握りしめ、再度その鉄拳で殴りかかったのだ。


メリッという、骨にめり込む音が響き、瀧の拳がタランテラの顔面を真っ直ぐに捉える。


怪人たちは、瀧がなぜ刃を止めて、拳での攻撃へ切り替えたのか、次の瞬間まで理解しえなかった。


しかし、ほどなくしてその理由ははっきりと知れた。


「くっ……!?」


痛みにうめき声を上げたのは、タランテラではなく瀧の方だったからだ。


「ハッハッハッ…そぉだよなぁ、最初にパンチが効いたから、次も効くと思っちゃうよなぁ〜?」


「それが罠だったってこと、人間ごときには分かりゃしないよな〜!!」


見れば、タランテラの顔面へ叩きつけられた瀧の拳は、おかしな方向へぐにゃりとひん曲がっている。


「おやっさん!?」


「ジジィ!!何やってんだ!!」


怪人たちが、軽く倒してのけるものと思っていた瀧を、意外な目で見ていた。


「てめぇ……!!」


瀧は、ドスを地面へ落とすと、反対の拳もタランテラへ叩きつける。


しかしその打撃も、瀧の拳にしかダメージを残さなかった。


「避けるまでもないんだよ、そんな攻撃はさぁ……この俺様の『硬い』体の前ではな!!」


タランテラは胸を大きく張り、瀧の渾身の打撃を受ける。


ゴォンという、鐘を突いたかのような音が、周囲に鳴り響いた。


それはかつて、魔法少女の作る結界すらも砕いた、鬼宿る拳だった。


「……ッ!!」


しかし今、その拳は無惨にも砕け散り、赤い鮮血を滴らせていた。


瀧はそれでも、手が壊れるのさえ構わずタランテラへ拳を打ちつけようとする。


怪人たちがそれを見て、瀧を止めようと二人の間へ割って入ろうとした。


「来るんじゃねぇ!!」


しかし瀧はそれを強引に止め、指を立ててタランテラの目を潰そうとした。


「遅いんだよ、ニンゲン」


振りかぶった瀧の攻撃に合わせ、今度はタランテラの振りの鋭い拳が、カウンターで瀧の顎を捉えた。


「ぐぅっ……!!」


芯を捉えたタランテラの打撃は、瀧の意識を刈り取り、たったの二発で気絶させるに至った。


「どぉだ?お前らの信奉してる爺さんは、こんなもんなんだよ。本物の怪人の力ってヤツ、思い知ったか?」


それは彼ら代田組の怪人にとって、信じがたい光景であった。


長らく自分たちの上に存在し、負けることのないと思われていた瀧桜閣が、地面へ倒れ伏しているのだ。


代田組の怪人たちは、その光景に呑まれて身動きすら取れずにいる。


たった一人、シルバーを除いて。


「オォォォオオオォォォォオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!」


シルバーは怪人体へと姿を変え、タランテラへ踊りかかった。


「テメェ、人の獲物奪ってんじゃねぇぞコルァァァァァァ!!!!!」


その鋭利な刃は、タランテラの頭上から迫り、その脳天をかち割るかと思われた。


しかし。


「学習能力ってもんがないなぁ〜、坊っちゃん。爺さんが見せてくれたもん、ちゃんと見てたのか?」


その刃は、タランテラの額の皮すら裂くことなく、鈍い音を立てて弾かれていた。


(かてぇ……なんだこいつの体……!?)


見ればシルバーの腕刀は欠け、刃こぼれが生じている。


シルバーの肉体の刀は、刃こぼれや欠け、折れが生じると、腕へ戻した時にダメージとしてフィードバックされる。


刀がぼろぼろになるほど、腕へ戻した際のダメージ量も増加するのだ。


それほどまでに、タランテラのボディは並々ならぬ固さを有していた。


もしもこのまま切り続け、刀が取り返しのつかないダメージを負えば、腕へ戻してからも深刻な後遺症が残るだろう。


瀧はドスで刺す寸前、第六感とも呼べる直感でそれを感じ取り、素手での攻撃へ切り替えたのだ。


結果両手は壊れたが、唯一無二の武器であるドス二丁は守り通すことが出来た。


彼は不器用なまでに、損得を考慮しない任侠であった。


シルバーは距離を取ると、憎まれ口を叩き続ける。


「ヘッ……その硬い体がテメーの魔法か?ずいぶんしょうもないモン自慢してやがるんだな」


応じるタランテラの言葉からは、すでに勝者の余裕すら感じられる。


「そぉだ。この俺様の硬い体、イカしてるだろぉ?特にお前らみたいな単細胞には、よく効くんだ」


シルバーはその僅かな隙をつき、タランテラの眼球を狙って刀を突き出した。


先ほど瀧が狙っていた動きを、そっくりそのままトレースしたのだ。


しかしそれも、数多ある徒労のうちのひとつに過ぎなかった。


「無駄だよ。眼だろうと内臓だろうと、どんなトコでもありったけ硬く出来るのが俺様の魔法なんだ」


タランテラの見開かれたタレ目は、シルバーの刀の切先すら通してはいなかった。


「クッ……!!」


シルバーは退きもせず、刀を叩きつけようと試みる。


しかしタランテラは、背中を向けてわざと刀を受け、その場から立ち去ろうとする。


「逃げんのかコラァ!!!」


シルバーが引き留めようとすると、数歩歩いたところでタランテラは立ち止まり、再びシルバーと相対した。


「勘違いするなよ。お前らは俺様の敵ですらない、ただの玩具だ」


「玩具は玩具らしく、俺様のゲームに付き合っておけばいいんだよ」


そしてタランテラは、わざとらしい大袈裟なモーションで、パチンと指を鳴らしてみせた。


「……」


しかし、派手に指を鳴らした割には、何も起きない。


「んっ、んんっ〜」


タランテラはゴホンと咳払いをして、もう一度力を込めて指を鳴らした。


しかし、やはり何も起きなかった。


「んっ、んんっ、んんー!!」


タランテラは三度構えると、大きく腕を上げ、パチパチパチパチ何度も指を鳴らす。


しかし、その行動は何度繰り返そうと、何ら意味を持たなかった。


「何だお前、気持ち悪ぃ動きしやがって」


シルバーもついには呆れ、攻撃の手を止めてツッコミに回ったほどである。


痺れを切らしたタランテラは、両手で口を覆い、周囲に向かって叫び声を上げた。


「あのー、スンマセン!!打ち合わせ通り出てきてくれませんかねぇ先生!!」


その声に反応したかのように、黒塗りの車の後方から、まるで振って湧いたかのように一つの影が盛り上がっていく。


「まったく、人を呼ぶなら最初からそうしなサイ。横着するものじゃあありませンヨ」


「だって昨日の打ち合わせでは、指パッチン切っ掛けで出てきて下さいって約束したじゃないッスかぁ〜」


「そんなことしたら、私があなたより下みたいに見えるじゃないでスカ。舐めてるんデス?」


「そ、そんなことはないッス!!先生の助力があればこその俺様ですから、ハイ!!」


車の陰から現れたのは、シルバーたちも見たことのない怪人だった。


燕尾服のようなものを着ているが、その容姿はかろうじて人の形をしているだけで、人間離れした造作なのがすぐに分かる。


体毛は見える箇所には一切存在せず、陶器の箱を積み重ねて人の形にしていったかのように、全体が白く滑らかで四角いのだ。


指の節くれまでもが、四角い長方形を繋ぎ合わせたような気味の悪い形をしている。


そして頭部に当たる部分には、その陶器の箱を引っ掻いて傷を着けたような跡が、パクパクと開閉していた。


恐らくその傷が、人で言う目と口の役割を果たしているのだろう。


その怪人が現れてから、タランテラは急にヘコヘコと頭を下げ始めた。


先ほどまでのシルバーたちへの態度とは、まるで別人である。


「あんた、そのバカの仲間か?」


シルバーはじわりと警戒を増しながら探りを入れる。


しかしその四角い怪人は、言下にそれを否定して、軽妙な声で笑って見せた。


「オッホッホッホ。私がこのアホ怪人の仲間とは、面白いことを言いますネェ?」


「申し遅れまシタ。私、上級支援型怪人をさせてもらっています、『スクウェアガーデン』と申しマス」


怪人はその真四角の頭をうやうやしく下げて、自己紹介した。


「私の魔法は、依頼者の方の望むような『部屋』を提供することデス」


「遊び部屋、密会部屋、そして決闘場、用途は様々なれど効果はヒトツ」


「それは、『誰も逃さず誰も侵入させない、難攻不落の城』であるコト」


「私の結界で出来た部屋からは、何人たりとも逃げられはしませンヨ〜?」


そこまで語ったところで、タランテラからの横槍が入った。


「せ、先生ェ……アホ怪人って俺様のことッスかぁ〜〜〜?」


「うるさいですネェ。他に誰がいるって言うんデス?自己紹介の邪魔しないでくだサイ」


タランテラには何故か当たりが強く、スクウェアガーデンは険の強い声を出す。


タランテラは数秒イラ立ったような顔を見せつつも、すぐに気を取り直す。


そして、瀧が取り落としていたドスを拾い、くるくると手の中で玩び始めた。


タランテラはそれを頭上高く放ると、キャッチして自らの斜め横方向に投げる。


そこには、シルバーからほど近い場所で気絶した、瀧が倒れていた。


投げナイフの要領で、瀧の肩口へ、深々とドスが突き刺さる。


意識のない瀧の体が、一度だけ大きくビクリと跳ね上がった。


「なっ……!!」


「くぅ〜〜〜、惜しいねぇ!!首に当たれば即死だったのになぁ〜〜〜!!」


「テメェ、ぶち殺されてぇか!!!」


その行動に、傍観していた代田組の雑魚怪人たちも、怒りを顕にして突進しそうになった。


「先生ェ!!よろしくお願いします!!」


次の瞬間、タランテラがそう叫ぶや否や、シルバーたち怪人の周りを、一瞬で透明な被膜が覆った。


「おわーーーーっ!!?」


「な、なんだぁ!!」


そしてその被膜は、瀧の体と黒塗りの高級車だけを地上へ残し、ちょうど組ビルの三階と同じ高さまで浮上した。


「さぁ〜、ゲームの始まりだぜぇ諸君!!」


「この部屋は、俺様が死ぬかお前ら全員がくたばるまで、解除しないよう依頼してある!!」


「さっさと俺を倒さねぇと、お前らの大好きな組長が、失血しておっ死んじまうぜぇ〜?」


タランテラは両手を上げてパチパチ叩き、代田組の怪人らを挑発する。


それに水を差すかのごとく、スクウェアガーデンが口を開いた。


「それともう一つ、術者である私を倒しても魔法は解除されまスヨ」


「ちょ、ちょっと先生!!なんでそんなことわざわざ言うんですか!!」


「敵の有利になることをわざと教唆するのが私のルールなんでスヨ、たわけモノ」


それだけを言い残し、スクウェアガーデンは結界の天井付近まで浮遊した。


「ま、私はここで俯瞰してますカラ。あとはあなたたちで好きに戦いなサイ」


それに返事をしたのは、他ならぬシルバーであった。


「上等だァ……てめぇら二人とも叩っ斬ってやらぁ!!」


歯を剥き出してシルバーは怒ると、自分の左腕へ刀を突き刺し、一太刀で切り離した。


ごとりと音を立てて、シルバーの左腕が落ちる。


シルバーはそれを握ると、タランテラへ思い切り突っかかっていった。


「シルバー!!」


アンラッキーがシルバーの名を呼んで呼び止めようとするが、


「お前らじゃコイツには勝てねえ!!黙って見てろ!!」


と、とりつく島もない言動である。


彼らとて、瀧を一蹴しシルバーを翻弄する怪人に、自分たちが勝てるとは思っていない。


しかしだからといって、手をこまねいて見ているだけしか出来ないのは、歯痒かった。


シルバーは刀となった左腕を振りかざし、タランテラの体を両断せんと力を込める。


だが、やはり刃は額の皮一枚すら切れず、ピタリと食い込むことを止めた。


「きったねぇなぁ。血ィ振りまいて俺様の体を汚すんじゃあねぇよお!!」


タランテラは平然と刀を押し返し、シルバーの胴体へ数発のパンチを食らわせる。


「ぐほっ……!!」


魔法で固められた拳は、シルバーの急所を的確に捉えて打ち抜かれる。


威力の程は、スカージオや瀧譽の攻撃に遠く及ばない。


しかし厄介なのは、弾幕がごときその拳の物量である。


体を固めさえすれば防御の必要性が全くないことから、タランテラは躊躇なく攻撃を連打することが出来るのだ。


攻防一体の肉体硬化魔法は、シルバーの体力を消耗させ、確実に追い詰めていった。


他の怪人たちは固唾を飲んで二人の戦いを見守り、スクウェアガーデンは退屈そうに空中から地上を見下ろしている。


彼が今回作ったキューブ状の結界部屋は、タテヨコ高さが四方50m程の立方体である。


いくら怪人とはいえ、何らかの遠距離攻撃能力がなければ、この高さまで致命の攻撃を放つことは出来ない。


(あーあ、ヒマですネェ〜……こんなザコ同士のいざこざ、早く終わればいいんでスガ)


スクウェアは、あくびを噛み殺しながらそう思案する。


支援型怪人は、文字通り他の怪人を支援することが本懐である。


そしてその報酬として、彼は強い者同士が戦う場に同席することを好んでいた。


ただの喧嘩もあれば、鎬を削る知謀もあり、口舌交える舌戦の場合もある。


怪人同士の揉め事もあれば、魔法少女を引き込んでの大立ち回りも経験してきている。


自分の作った場でそれら最高の戦いを観戦すること、それこそが彼の法悦なのだ。


そんな彼からすれば、タランテラもシルバーもそれ以外も、三流以下の雑魚怪人に過ぎない。


基本的に来るものは拒まない彼ではあるが、見応えだけなら瀧の喧嘩の方がまだあったほどだった。


(それに……今日はどうやら、他のお客様もお目見えのようですシネェ……一体何が目的なのヤラ……)


スクウェアガーデンは、視線をちらりと結界の上空へと向けた。


そこには、戦う者たちがギリギリ気づかない程度の、小さな覗き窓が二つ、天に穿たれている。


その向こうにいるのが誰なのか、スクウェアは薄々勘づいていた。


「おや。どうやらスクウェア君は、もう我々に気づいたようだね」


「これだけ堂々と覗いてるんじゃ、そらすぐに気づくわい」


その窓の向こうにいたのは、怪人デスサイズと、怪人ワークショップであった。


彼らのいる場所は、ワークショップが開く店の店内である。


そこへ椅子と机をしつらえ、デスサイズの空間の穴を繋げて、覗き窓をあつらえたのだ。


それを誘ったのはデスサイズからであり、ワークショップは何の目的で彼がこうしているのかも知らない。


本人の語るところによって、どうやらシルバーを強くするための総決算ということだけは伝わっている。


「いやぁ、助かったよ。今日という日に君が店を開いていてくれて」


「なーにほざいとるか。どうせワシが店を開けそうな機を見て、あのタランテラとかいう阿呆をけしかけたんじゃろ」


デスサイズはクックと喉を鳴らす、いつもの笑い声で応じた。


「私は何もしてはいないさ。ただ、タランテラ君は昔、瀧譽にボコボコにやられたらしくてね」


「その意趣返しをしたいと言うから、瀧桜閣の居場所と集会の予定を、教えてあげただけだよ」


デスサイズの微かな笑い声のせいのせいで、目前に埃が舞い、蠟燭の炎でちりりと燃える。


その音を聞きながら、ワークショップはフンと鼻を鳴らした。


「フン……瀧譽かえ。あやつもあぁなってしもうては、もうおしまいじゃのぅ……」


「魔法少女と怪人と、どちらが惨いことをやっとるのか、ワシにはとんと分からなくなるわい」


意味深にため息をつき、デスサイズは相変わらずクックと笑うのみである。


「にしても、お主のお気に入りのシルバー、調子が上がらんようだのぅ」


「せっかく腕をもぐルールを覚えても、宝の持ち腐れというやつか?」


ワークショップは、穴の遥か向こうでボコボコにされるシルバーを見ながら、戯れに机を指で掻いた。


シルバーがルールを手に入れ、瀧桜閣と引き分けたことは、デスサイズからすでに聞かされていた。


「ルールそのものの発想は悪くないよ。ただ今の彼は、文字通り牙を抜かれた腑抜けだからさ」


「反物質力は、精神に依る力だ。どれだけルールが強固だろうと、心に迷いがあれば造作もなく負けるものだよ」


デスサイズは事も無げにそんなことを言った。


まるでシルバーが死ぬことさえ、織り込み済みであるかのようだ。


「それなら何故、あんな若造の相手なんぞしてるんじゃ?」


「それは見てのお楽しみ。私の見立てが正しければ、彼は我々怪人世界に革命をもたらすはずだよ」


「どうじゃかの……その革命児、どうやら大ピンチのようじゃが?」


口を袖で覆って笑い声を漏らすデスサイズは、その言葉に改めて窓の向こうを覗き見た。


そこでは、タランテラによって首を締められ、高々と片手で持ち上げられるシルバーの姿があった。


「がっ、はぁっ……!!」


シルバーは、タランテラの喉輪が、どんどんと固く締まっていくのを感じていた。


じたばたと足でもがき、右手はその喉輪を外すため、タランテラの手首へ刀を当てている。


攻撃の一切は効かないどころか、簡単にカウンターを取られて反撃されてしまう。


左腕の刀はすでにぼろぼろで、朽ち果てるのも時間の問題であるように思えた。


急場を凌がねばと思うのに、体は思うように動かない。


タランテラはサディスティックな笑みを浮かべると、不気味に舌なめずりをした。


「どうやら、年貢の納め時ってヤツみたいだなぁ?兄ちゃん」


喉を締める指を硬化させて、空気の通る隙間をどんどん狭くしていく。


既にシルバーの呼吸音は、カヒュカヒュという、空気漏れのような音しかしていない。


意識すら保てるか分からないのに、右手の刃だけは絶えずタランテラへ向けようとしている。


だが、それにもついに限界が訪れた。


「最後に、いいことを教えてやるよぉ……あんた、あの瀧譽と仲がいいんだってぇ?」


「だが、残念だったなぁ……あの女は、恐らくもうくたばってるぜ」


「あのアマほどの魔法少女を一週間も見なけりゃ、そいつは死んでる確率が高いんだとよ」


「お前らも全員、譽と同じとこへ送ってやるよ。ハハ、ハハハハハ!!!!」


そんな嘲笑も、果たして聞こえているのかいないのか。


シルバーは、朦朧とした意識を途切らせ、左腕の刀を取り落とした。


「シルバーッ!?シルバー!!」


思わず駆け寄ろうとしたアンラッキーだったが、タランテラのパンチ一発で、地面に尻もちをついてしまう。


タランテラは気絶したシルバーを床へ捨てると、今度は代田組のその他の怪人へと向き直った。


「さぁ、今度はお前らの番だ。全員倒さないと、俺様も部屋から出られないんでな〜」


コキコキと指を鳴らして、タランテラは有象無象の怪人たちを威嚇する。


それに呑まれず立ち向かおうとしたのは、アンラッキーのみであった。


「シルバーを、返せぇぇぇぇぇ!!!!!」


叫んで殴りかかるも、簡単にかわされ逆に顔面へパンチを見舞われる。


「ぐべっ……!!」


「返せも何もこんな薄汚ぇヤロウ、頼まれてもいらねぇよ」


実力でも、罵倒でも、一厘の勝利の兆しさえ見えはしない。


しかしそれでも、アンラッキーは挫けなかった。


諦めなかった。


一人で立ち向かおうとした。


それは、瀧やシルバーの強さにかまけ、この二人なら負けることはないと慢心していた己への戒めだった。


誰かの庇護の元にいなければならないなら、自分の何を怪人と呼ぶのだろう。


シルバーの静止を、自分は振り切れなかった。


シルバーのピンチにさえ、まだ逆転するのではないかと思って、手を出さずにいた。


シルバーも瀧も、一抹の弱さを抱えた生き物であることに、変わりはないはずなのに。


結果二人は倒れ、残された自分たちも追い詰められている。


だから差し違えてでも、この男は倒さなければならない。


いや、違う。


差し違えてでも、シルバーを救い出さなければならないのだ。


「みんなっ……力を貸してくれ……タランテラのやつを、止めてくれっ……!!」


アンラッキーは腫れた顔を上げて、代田組の怪人たちへ懇願した。


「ハッ。雑魚が何匹束になっても、この俺様の強さに揺るぎはねぇんだよ!!」


へっぴり腰のアンラッキーを押しのけ、タランテラはシャドーボクシングのように拳を突き出して見せる。


しかしこの時、アンラッキーの吐いた熱は、確実に他の怪人たちへも伝播していた。


一人、また一人。


怪人たちはタランテラを取り囲むようにして、その包囲を縮めていく。


そして、誰かの挙げた鬨の声と共に、なだれ込むようにタランテラへ掴みかかっていったのだ。


「面白ぇ!!数を頼みにこの俺様が倒せるつもりなら、好きなだけやってみな!!」


タランテラは拳を握ると、最大限に硬化させて彼らを迎え撃った。


怪人たちは一人数秒と保たず、タランテラへ倒されていく。


しかし、倒れた端から彼らは起き上がり、また包囲の輪に加わるのだ。


「チッ……ウザってぇなぁ!!さっさと死んでろこのカスどもが!!」


倒すよりも起き上がり囲むスピードの方が早く、さすがのタランテラも視界が肉の壁で塞がれた。


そのため、アンラッキーが何をしていたのか、確認することが出来なかった。


アンラッキーは倒れたシルバーと左腕の腕刀を引きずり、タランテラの攻撃範囲から遠ざける。


そして、怪我の様子をざっと観察した。


(打撲やムチウチなんかは正直どうだっていい。それより問題は……)


アンラッキーは、シルバーが自身で切り取った左腕を見た。


本来そこからは、絶え間なく血が流れているはずである。


だがアンラッキーは、タランテラに首を締められていた辺りから、シルバーの出血が明らかに少なくなっていることに気がついたのだ。


それはほどなくして、シルバーが出血多量で死んでしまうことを意味していた。


ルールとしてそう定めた以上、避けられない死である。


通常、シルバーの腕刀は、切断面をくっつけるだけで細胞が蠢き、接着再生される。


しかし今それを試しても、本人の意識がないためか全く接着されなかった。


そこでアンラッキーはまず、シルバーの傷口を縛って止血しようとした。


だが、肩口から抉るように切り取られた左腕には、縛って止血出来るほどの肉が残されていない。


シルバーは意図的に、そうなるよう腕を切り離しているからだ。


では、どうするか。


止血出来ないなら、傷口を直接塞ぐしか方法はない。


医療の経験のまったくないアンラッキーだったが、彼の取れる方法はひとつだけあった。


彼はシルバーの腕刀を握ると、手の甲に擦りつけるようにして、深々と肉を切りつけた。


ぼたぼたと血がこぼれ、それがシルバーの顔を経由し、口の中へと伝って行くのが見える。


「うっ……うぅゔぅうゔうぅ……」


アンラッキーは痛みを堪え、涙まで滲ませながら、その口に自分の血液を流し込み始めた。


(生き返れ生き返れ生き返れ生き返れ生き返れ生き返れ生き返れ生き返れ生き返れッ……!!!)


頭の中で、必死になってそう呼びかけている。


アンラッキーは記憶を反芻する。


かつて公園でゴミを食べさせただけで、シルバーの肉体に刻まれた傷は回復していた。


つまり何を食べようと、シルバーは何か口にするだけでそれを血肉とし、傷を癒やすことが出来るのだ。


加えて、スクウェアガーデンの作る室内には、余計なものが何一つとして存在しない。


シルバーへ食わせるための石ころの一粒さえ、ここには無いのである。


だからこそアンラッキーは、自らの手を裂いて血を口へ含ませたのだ。


しかしそれは、すぐにタランテラへ露見することとなる。


「つまらんことしてんじゃねーよ、ゴミどもがぁ!!」


タランテラは、近くにいた代田組怪人の頭を掴むと、アンラッキーへ向けて無造作に放り投げた。


「ヒィッ!!」


投げられた怪人は頭を地面へ強かに打ちつけ、怯えたアンラッキーは這って逃げようとした。


「遊びは終わりだ……俺様がすぐに全員、あの世へ送ってやるよ……!!」


そう宣言すると、怪人たちの目の前で、何度も拳を素振りし寸止めしだした。


鮮やかな拳の弾幕は、すぐに目にも止まらぬ早さとなり、彼を取り囲む怪人たちへとぶつかってゆく。


総勢二十名ほどもいた怪人たちは、タランテラの本気の前に、わずか数秒すら立っていることが出来なかった。


「バカな真似しやがって……お前は特別念入りに殺してやるから、覚悟しろよ……?」


指をパキパキ鳴らし、気絶した代田組怪人の山を足で退かして、タランテラはアンラッキーへと歩み寄る。


しかしこの期に及んでもなお、アンラッキーはシルバーから離れようとしなかった。


「そんなに心中がしてぇなら、とっととくたばれ!!」


固い爪先で、タランテラは彼の腹へ蹴りを入れる。


それでもアンラッキーの脳裡に去来したのは、己ではなくシルバーのことだった。


(誰か……誰かシルバーを、助けてくれぇぇぇぇぇ!!!)


ボコボコに殴られ蹴られ、意識を失いそうになりながら、果たして何者が彼を救ってくれるのだろうか。


否。


彼を救ったのは、他の誰でもない、彼自身であった。


「死ねぇ!!!」


タランテラが拳を振り上げ、それをアンラッキーへ打ちつけようとした、その瞬間。


轟音と激しい揺れが、『部屋』を襲った。


「なっ……!?」


起きている者は皆、地震かと疑うほどの大きな揺れだった。


だが、宙に浮かんでいるこの部屋が、地震の揺れの影響を受けるはずがない。


上空から部屋の外を観察していたスクウェアガーデンは、その原因にいち早く気づいていた。


「ふむ……アレは……?」


彼が見たもの、それは結界の外から外壁へ向かって、物凄いスピードでぶつかってくる、一台の黄色い潜水艦であった。



<続く>

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