第3話 結末

 今日も特段良い事は起こらなかった。部室に入るとシーリングファンが撤去されていた。土台部分はあったから、修理にでも出したんだろうな。そう言えば、最近何故これにイラついていたのかが判明した。それは多分僕の日常と同じだからだ。ゆっくりとそれでもずっと回っている。結局は同じ事の繰り返しに過ぎない。それが僕の毎日であり、それをこのシーリングファンによって思い出させられるのが堪らなく不愉快だったからだ。


「たのもー!」


 そう言って今日も浅見さんは部室のドアを開けてきた。昨日何か話があると言っていたのは覚えていた。僕の絵は今日も浅見さんだったけど。


「あ、あのさ! ちょっと話しあってさ」

「ああ、なんか昨日言ってたよね!」


 テンションを上げて話を合わせた。筆を置いて彼女の方に向いて話を聞く準備をした。彼女は暫く経って口を開いた。


「……私、龍太郎くんが好き。龍太郎くんの描く油絵がとっても素敵だなって前から思っててそれでね……それで、良かったら私と付き合ってくれないかな?」


 その言葉に僕は驚いた。好意を持たれていた事もそうだが、一番は僕の絵が素敵だと評価された事だ。なんの皮肉だと言いたくなった。僕の理想を塗り付ける鬱憤ばらしのキャンバスがあろう事か素敵だと言われた。


「少しさ、油絵を描いてみて欲しいんだ」


 僕はそんな事を口走っていた。何故そんな事を言ったのかは自分でも分からない。油絵について言及されたのがそんなに癪に触ったんだろうか。

 だが彼女は大人しく要求に応えてくれた。絵の具を準備する手つきがこなれているのは見れば分かった。そして僕は彼女の描く絵を見てその表現されたものに圧倒された。彼女の絵には圧倒的な現実味があった。僕の薄い理想だけを重ねたゴミのような絵とは違う、現実的な美しい絵を描いた。そこにはそれだけの深みと重みがあった。それだけで彼女は現実に向き合っているんだと感じた。僕の虚言や愚痴なんかとは違うキャンバスに、並べていることすらも恥ずかしく思った。


「すっご……」


 思わず声が漏れた。だがその後も僕は彼女の絵に目が釘付けになった。完全に彼女の絵の虜になってしまった。僕は暫くしてようやく彼女に話しかける事ができた。


「ごめん、僕は何か勘違いしてたみたい。こんな人だとは思ってなかったよ。油絵上手いんだね」


 本物の彼女はチェンジした先ではなく僕の目の前にいたようだった。それなのに僕にはそれが見えていなかったみたいだ。

 油絵が上手いのを隠していたのは僕を上から傍観するためだろうか。さっき言われた「油絵素敵だね」が「理想を掲げるの得意なんだね。でも私には現実は何も変わってないって全部わかってるけどね」に自動的に脳内変換されていった。


「もうキャンバスは良いじゃん! 忘れよう」


 そう浅見さんは沈黙を破った。僕は彼女に絵を描かせたことを酷く後悔した。だが続く言葉は僕を大いに驚かせた。


「だから、返事くれないかな?」


 彼女の口から出たのは告白の続きだった。僕はそれに額面通りの意味はないと思っていたから、浅見さんが本気で言っているのを聞いて戸惑った。目の前で揺れる瞳は僕の回答を待っていた。

 僕は思った。この人は本当の油絵の描き方を知っている人だと。自分を変えられる気がした。

 そして僕の作り出した僕は答えた。


「実は僕も靖子が好きなんだ! だから、これからもよろしく」


 そう言うと彼女はとても嬉しそうに、とびきりの笑顔を見せたのだ。







 ✳︎✳︎✳︎


 二人はただの油絵に何を見たのだろうか。 

 結局二人は今の自分を変えたかったのかも知れない。嘘や理想で固めた関係ではなく個人と個人の真正面からの良い付き合いを望んでいたのかも知れない。

 

 だが、ことの真相はには分からなかった。


 二人が一度でも腹の内を明かした保証はない。


 だとすると本物はどこにあるのだろうか。

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油絵 和泉 @awtp-jdwjkg

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