第84話 雨降って地固まる

 七限目が終わってスマホを確認すると、豊橋先生からメッセージが届いていた。


『学食まで来てくれ』


 帰り支度をしていた赤居に、できるだけ自然に何でもないふうを装って話しかける。


「赤居」

「あっ……。日崎さん……」


 赤居の声は消え入りそうだった。たぶん、今日一日私と美咲がなんとなくぎくしゃくしていたことに気づいていて、それが自分のせいだって責任を感じてくれているんだろう。もしかすると、私たちを巻き込んでしまったことを後悔しているのかもしれない。そこまでは思っていなくても、泳ぐ視線を見るかぎりは、胸を痛めてくれているのは間違いなさそうだ。

 大丈夫。挽回してみせるから。

 赤居のことも、美咲とのことも、何もかもうまくやってみせるから。


「昨日は、ごめんね。今日今すぐにってわけにはいかないけど、ちゃんと考えてるから、もう少しだけ時間ちょうだい」

「うん。ありがとう。でもホント、僕のことは全然後回しでいいからね。無理は、しないで」

「ふふっ。わかった。ありがとね」

「じゃあ、また」

「うん。またね」


 赤居が教室を出ていく。

 気合い入れろよ、私。

 まずは美咲との関係修復だ。自分の悩みをほったらかしたままで友達のお悩み相談なんてできやしないんだから。

 軽い深呼吸を一つ。まだ帰り支度の途中だった美咲のそばまで歩く。


「美咲。ちょっと付き合って」






 教室を出て階段を下りて、渡り廊下から食堂へと向かう間ずっと並んで歩いていたけど、私からも美咲からも、一言もしゃべることはなかった。


 お昼休みからは、月坂のおかげもあって、正直なところあれをおかげという言い方はあまりしたくないのだけど……、美咲とは普段どおりにしゃべれていたし、何の問題もなかった。ただ、そもそも美咲と気まずくなってしまったのは赤居の告白を後押ししてあげるかどうか、その意見の相違が原因であって、それは一ミリも進展していないのだから、やっぱり溝は埋められないままだった。






 扉を押し開いて食堂に入る。

 時刻は午後四時半。

 ちらほらと生徒の姿はあるものの、広々とした空間に十五人ほどで、中はとてもがらんとしていた。

 先にこっちに気づいた豊橋先生から手招きされて軽く会釈を返す。


 先生は四人掛けのテーブル席についていて、まだ食事の途中らしかった。

 メニューは、ごはん、お味噌汁、とんかつとキャベツの千切り、ポテトサラダ、それらが乗ったトレイの横には紙パック入りの野菜ジュースが立っていた。

 減り具合を見るに、まだ食べ始めたとこって感じだ。

 先生に促されて美咲と並んで椅子に座る。


「お昼、あんまり食べられなかったんですか?」


 何となく気になって質問してみた。


「私はこれが昼メシだ」

「ええっ。だってもう四時半ですよ?」

「水曜日はだいたい五限にメシを食うんだが、今日は仕事を前倒ししてやってたんだよ。六限七限は授業だし、まともに食えてないんだ」


 あ……。たぶん私が時間くださいってわがまま言ったからだ……。申し訳ない……。


「教師の仕事って、ホント大変なんですね……」

「ふっ……。毎週毎週お前の家まで行ってたときは、こんなもんじゃなかったけどな」

「あ、う……。その節は、ご迷惑をおかけいたしまして……」

「はっはっはっ。やめろ。あてつけのつもりで言ったんじゃない。ちょっと思い出しただけだ」


 恥ずかしい……。まともに先生のことを見れない……。


「どうした、土谷」

「えっ? あ……。何ですか?」

「お前、さっきから顔が怖いぞ」

「そう、ですか?」


 美咲は不思議そうに自分の顔を触る。

 きっと美咲の頭の中はすでに赤居のことでいっぱいなんだろう。

 クラスメイトのことを疑って、告白にも反対している私のことをどうやったら説得できるかとか、先生も告白反対派だったらどうしようとか、いろいろ考えていたのかもしれない。会話にまざろうとしないのは、単純におしゃべりができるほどの余裕がないだけって気がする。つまんないとかじゃなく。


「立て」


 美咲に向かって先生が言う。キレているときの声だ。


「え?」


 と美咲は驚いていた。


「いいから立て」


 催促を受けて美咲が椅子から腰を上げる。


「日崎。お前もだ」

「はい……」


 いったい何がそんなに気に障ったんだろう……。

 困惑しつつも、しかたなく背筋を伸ばす。


「お前ら、握手してみろ」


 握手?

 まったく意味がわからない。

 美咲と同時に顔を見合わせてまばたきを繰り返す。


「何だ、お前ら気軽に握手もできないのか?」

「別にそんなこと、ないよね?」


 美咲の言葉に頷いて右手を差し出す。三秒くらい握手したあと、手を離す。

 ふんっ、と先生が鼻で笑う。完全に嘲笑だ。


「何だ、それ。お前ら政治家か。バカみたいな握手しやがって」


 意味不明すぎる。マジな顔して何言ってんの、この人は。さすがに黙ってなんかいられない。


「先生がやらせたんじゃないですか」

「全然心がこもってないって言ってんだ。生徒会室で握手したときもそんな感じだったか?」


 あ……。そういうことか……。


「でもそれは、何もないのにいきなり握手したからで……。それにあのときのは、仲直りの握手でしたし……」

「だとしても、だ。私には今のがまともな握手には見えなかったけどな」


 それは……、確かに。自分でも何となくそう思う。

 今のは握手っていうよりも、ただ手がぶつかったみたいなものだ。

 横で、美咲はただ黙ってうつむいていた。

 先生は野菜ジュースのストローを使って、トントン、とテーブルを叩いた。顔を上げた美咲に言う。


「土谷。こっち見ろ」

「はい……」

「お前、本当は日崎のこと嫌いだろ」

「えっ……」

「内心、うっとうしいし、めんどくせーやつって思ってんだろ」

「なっ、何言ってるんですか! そんなことないです!」

「じゃあさっきの握手は何だ。お前、嫌そうにしてただろうが」

「別に嫌そうになんてしてません! さっきのは、その、ちょっと戸惑っちゃっただけで……」

「嘘つけ。こんなやつと握手なんてしてられるかって思ってたんだろ? 今も本当は、さっさと家に帰りたいって思ってるんじゃないのか?」

「思ってません! いい加減なことばっかり言わないでください! 綾は友達です! 何でそんなことっ……」

「土谷っ!」


 怒鳴り声に美咲が声を詰まらせる。

 先生は明らかに美咲のことをにらみつけていた。見開かれた鋭い目が美咲に向けられる。

 だけど美咲は、みじんも怖気づくことなくじっと先生の目を見返す。


 いつだって温厚なあの美咲が、今にも先生に掴みかかりそうだ。

 張り詰めた空気にのまれて身じろぎもできない。

 すると、先生がふっと笑って表情を崩した。


「私にそれだけ言い返せる気概があるなら、もっとこいつのことを信用してやれ。嫌われたらどうしようなんていちいち考えるな。そんなふうに頭使ってしゃべらなきゃいけないようなやつ、友達なんて呼ぶな」


 はっ、と美咲が弱く息を吸う。

 先生の声に、もうとげとげしさはない。


「土谷。高校始まってまだ半年ちょっとだぞ。何だ、この体たらく。卒業式で大泣きしたいんだろ? せっかく仲良くなった日崎相手に気まずくなっててどうする。これから先も、また何かトラブルがあるたびにそうやって自分から壁作っていくのか? そんなやつ、誰も好きになっちゃくれないぞ」


 美咲は泣き出しそうな顔でぎゅっと下唇を噛んでいた。

 猛獣が標的を変えるみたいに、先生はギロッとこっちをにらんでくる。


「お前もお前だ、日崎。自分は悪くないなんて勘違いしてるなよ。これだけ付き合えばもう十分土谷の性格わかってんだろ。だったらうまくフォローしてやれ。私に言わせりゃ話し合いが足りないんだ、お前らは。冗談言い合って楽しくやってんのもいいけど、何かあったときにはすぐに深い話し合いができるように地固めしとけ。一緒にいるだけで仲良しになった気でいるな。繋がっていたいなら関係が途切れないように努力しろ。もっと踏み込め。そもそもお前らそうやって仲良くなったんだろうが」


 うっ……。一つも言い返せやしない。


「すいません……」


 絞り出せたのはその一言だけだった。赤居とのこと、先生にはまだ詳しく説明してないのに、何だか全部見透かされているみたいだ……。


 隣で、ばちんっ、とものすごい音がする。

 見ると、美咲が自分で自分の両頬を叩いていた。

 突然のことで声も出ない。な、何で?

 だけど、そっと手を離したあとの美咲の表情に暗さは感じられなかった。むしろ、晴れやかなような。


「たぶんね、私、綾に甘えてたんだと思う……。本当に仲良しになれた初めての友達だから、それで、ちょっと舞い上がってたのかも……」

「美咲……」

「どんなときだって綾は私の味方で、同じものを見たら同じふうに思って、泣くのも笑うのも怒るのも全部一緒なんだって、そんなふうにいつも全部一緒なのが親友ってことなのかなって思ってたから……。だけどさ、たぶん、そんなの違うよね。意見が違ったって、対立したって、そういう考えもあるよねって、最後にはちゃんとわかり合って、そういうんじゃなきゃだめだよね……。私、綾とどんなにケンカしたって、やっぱり綾と一緒にいたいよ……。だって綾と一緒にいるの楽しいもん……。綾と、なんか嫌な感じになるの、やだもん……。だから、ごめんなさい……」


 美咲が頭を下げてくれる。

 あぁ、そっか……。昨日からずっと、それ考えてくれてたんだ……。

 私のことで、眠れないくらい悩んでくれてたんだ……。

 小さく震えるその肩にそっと手を触れる。


「ううん……。私のほうこそ、ごめん……。美咲がつらそうにしてるの、わかってたのに……。でも、どうしたらいいのかわかんなくって、何も、言ってあげらんなくって……。いっぱいいっぱい気、遣わせちゃって、ごめん……。けど、私も美咲と一緒にいたいよ。それだけは、何があったって絶対変わんないから。もっと何でも言って。美咲がつらそうにしてるの見てるほうが、私、ずっと泣いちゃいそうになっちゃうからさ……、ね?」

「あーやー。ごめんだよー。ほんとごめんー」


 ほとんど体当たりするみたいにして美咲が抱きついてきてくれる。ちょっと痛い。


「大丈夫、大丈夫。わかってるから。大丈夫だから」


 美咲の背中をぽんぽんっと叩く。

 しばらくそんな感じでくっついていると、んんっ、と先生が咳払いした。


「私は何もイチャつけなんて言ってないぞ」


 そう指摘されてようやく気づく。

 大声でやりとりしていたせいで、食堂にいた生徒たちと、厨房のおばさんたちにまでいったい何事かと心配そうに見られてしまっていた。

 慌てて美咲から手を離すけど、美咲はぎゅっと抱きついたままで全然離れようとしてくれない。


「美咲? あの、そろそろ……」

「んー。わかった」


 美咲は周りのことなんて気にしていない様子で、こっちを見てえへへ、と笑う。

 くぅ、かわいい。


「おい、日崎」


 振り向くと同時に、先生が何かを放り投げた。

 焦りながらも、なんとか空中で掴み取って手を開く。五百円玉だ。


「お前ら。それでジュースでも買ってこい」

「え? いいんですか?」


 先生はうっとうしそうに手を払う。


「早く行け。ゆっくりメシも食えん」






 食堂を出てすぐ、通路のわきに並んだ自販機で私はいちごオレを、美咲はレモンティーを買って戻ることにした。


「ね。綾。もう一回握手しよ」


 美咲が手を差し出してくる。


「えー。恥ずかしいって。もう仲直りしたじゃんか」

「お願い」


 真剣な眼差しに負けて、小銭をポケットにしまってから美咲の手を握る。と、美咲はぎゅーっと力を込めてくる。


 ん? 何かおかしい。痛い痛い、いやマジで。

 顔を見ると、美咲はにいっと笑っていた。

 なるほど。そういうことね。

 お返しに私も力を込める。本気、の少し手前。


「あいたたたっ。ギブアップ、ギブアップ!」


 美咲が手を引っ込める。


「大丈夫? ごめん、調子乗った」

「ううん。平気。んー。勝てる自信あったんだけどなー。強いね」

「握手じゃないじゃん。握力勝負じゃんか、これ。何?」

「ごめん。ちょっといたずらしたくなって……。綾、どんな顔するかなーって」


 天然っ子め。かわいいからいいけど。


「満足した?」

「うん。でも次は負けないからね」

「次? 次があんの? 最近筋トレにハマってるとか?」

「ううん。何で?」

「何でもない」

「先生のとこ戻ろ」


 笑って歩き出した美咲についていく。

 時々謎で自由で天真爛漫、これぞ美咲って感じだ。完全にいつものノリに戻ってくれてる。

 もう何にも気になることなんてない。今なら空も飛べそうな気がする。無理だけど。

 解決すべき問題は、あと一個だけだ。

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日崎さんはお休みです 御所内崇弘 @gosyouchi_takahiro

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