第3話&エピローグ
六月十七日 水曜日
七緒は、一睡もできなかった。
一歩も動かずに昨夜のことを考えていた。
様々な問題が思考に絡みついて、睡眠どころでもなく、学校どころでもない。
時刻はすでに正午を過ぎている。
フラウは帰ってきていない。
(考えてても、仕方ないか)
重い腰を上げて、七緒は立ち上がる。
居間を出たところで、そこに天華がいた。
「どちらへ?」
「フラウさんのところ」
直接、聞かなければならない。そうしなければ、気が済まない。
天華に背を向け、家を出る。
それ以上何も言わずに、二人は家を出た。
七緒が思った通り、店にフラウはいた。
いつも通り、カウンターに突っ伏して。
七緒たちがきたことに気づいたのか、静かにフラウは顔を上げた。
「やぁ、いらっしゃい。天華ちゃんは初めてだね」
冗談めかして言うフラウの表情はどこか寂しげだった。
「フラウさん」
七緒が本題に入ろうとして、それより先にフラウが口を開いた。
「大体分かってる。聞きたいことも、言いたいことも」
昨夜の様子が嘘のように、フラウははっきりと口にした。
「私が、やる。私が、やらなきゃ」
その瞳に、七緒は何も言えなかった。
それでも、何か言葉を探して。
そっと、天華が七緒を制した。
「そうですか。なら、言うことはありません」
「うん、ありがとう。正直悩んだけど、誰かがやらなきゃいけないなら、やっぱりあれは私が倒すべきだ」
その言葉にも、七緒はやはり何かを言おうとして。
「それなら急ぎましょう。すでに足取りはつかんでいます」
結局、七緒は何も言えなかった。
久条山中腹。街からも見える、小高い丘になっているそこに三人は来ていた。
天華の話によると、ヴァロルはより強い地脈である久条山に潜伏しているとのこと。
「それにしたって、まさかこんな状況でここに来ることになるとはな」
七緒の目前には立派な屋敷があった。
七緒にとっては思い出深い、久条の屋敷である。
「やはり、屋敷を中心にして陣が張ってあるようですね」
屋敷の周りをぐるりと見たフラウと天華が口を揃えて言う。
「つまり、ここはあいつの本拠地ってことか」
そして。
「やはり来たか」
瘴気の渦を伴って、ヴァロル、もといニールが現れた。
「兄さん…」
静かにフラウが口にした。
「言葉を交わす必要はない。どちらかが倒れるだけだ」
淡々と、ニールは口にした。その顔は嗤っていた。
瞬間、フラウが消え、光の帯が尾を引き、一閃。
ニールの障壁に槍を突き立てるフラウ。
その表情は、ひどく切実だった。
「それが、兄に向ける顔か。いや、それでいい。それでこそ憎悪のぶつけがいがある!」
本を振りかざすニール。
「悪いが、遊んでいる暇はない。早々に決着をつけよう」
腕を突き出し、昨夜のあれが展開される。昨夜以上に濃密な魔力が収束される。
それに対し、フラウは槍を突き出す。そのままでは、あの魔術に敵う道理はない。
しかし。
「限定解除」
静かに、フラウが呟いた。
瞬間、フラウを中心に突風が吹き荒れる。
槍の先端に巻かれた、はためく帯を掴み、勢いよく剥がす。
太陽が如き熱光が周囲に溢れ、立ち込めていた瘴気を散らす。
それは収束し、巨大な光の槍と化す。
構え、飛び出す。
閃光は赤黒い閃光を容易く突き抜け。
そして。
「え……?」
光線を突き抜け、目前に迫るニール。その姿を見て、思わず声が出た。
闇が、剥がれている。ただのニールがそこに立っていた。
槍は、止まっていた。
フラウは現状を理解できず。
次の瞬間。
ヴァロルの魔導書がフラウの背後に現れ。
黒い槍が、今度はフラウを貫いていた。
倒れた二人を、再度闇が包み込み。
「まさか槍ごと取り込めるとは。僥倖僥倖」
そこに立っていたのは、黒騎士だった。
闇を捏ね固めたような黒い甲冑。そして、闇の鎧の上を動きまわる不気味な眼球。
そして顔面についた巨大な眼球。
その手には、フラウが持っていたいたものが黒く染まったような槍が握られている。
魔眼という二つ名をありありと示す化物が、そこに立っていた。
目前の状況を理解するのに、かなり時間がかかった。
フラウがとっておきを使い、ニールの一撃を破ったと思いきや、今度はフラウもろとも取り込まれ、黒騎士が現れて。
「理解できないといった様子だな、久条七緒」
不意に話しかけられ、七緒は驚いた。
「クク、ニールは可哀想な奴だった。無能なせいで周囲からは除け者にされ、妹に嫉妬し。力を欲しがっていたからな、俺が力を貸してやった。取り入るのは簡単だった」
淡々と話すヴァロル。
「取り入る、だと……」
「あぁ。そうだ。人間など所詮食い物だからな」
当然、と言ったようにヴァロルはそう言い放った。
「そうかい。変だと思ったぜ。ニールだなんだと言っておきながら、結局動いていたのはお前自身ってわけか」
思わず、安堵のため息が出た。
敵が、正真正銘の化物でよかった。
「逃げろ、天華! あいつは俺が食い止める!」
構えをとりながら、背後の天華に言う。
「でも!」
「いいから! 街は、お前が守れ!」
その言葉に、天華は頷いて去っていった。
「全く、吐き気がする自己犠牲だ。魔術師崩れが俺に敵うと思っているのか?」
「思わねぇけど、フラウさんを助けなきゃいけないんでな!」
一息に間合いを詰め、光を纏った拳を放つ。
「おっと、お前にはそれがあるんだったな。迂闊に近づくべきではないな」
容易く避けられる。
次々と拳を放つが、まるで当たらない。掠りもしない。
「感じるぞ、お前の憎しみを! 俺を倒したいという憎しみ! そうだ! 敵である以上、そこに憎しみは必ず生まれる! だからこそ!」
魔眼の視線に射抜かれ、七緒の動きが止まる。
そして。
七緒の胸を黒い槍が貫いた。
「お前に俺は倒せない」
ずるりと、七緒の意識が闇に落ちた。
(ここは……どこだ?)
暗闇の中を漂っている。
思考が、落ちていく。
(取り込まれたのか? 俺は)
黒い海の中でもがこうとするが、思うように体が動かない。
(くそ、こんな……)
呪いが四肢にまとわりつく。
頭の中に、否定が溢れる。
(こんなところで、死ねるかよ!)
闇の渦の中、それでも七緒はもがく。
そして、見つける。
「フラウさん!」
闇の中に浮かぶ、フラウの姿。
ひどく虚ろに俯いている。
「巻き込んでごめんね」
突き放すように、絞り出すように、フラウは言う。
だが。
「謝るんじゃねぇ!」
七緒の叫びが響く。
「俺はあんたに救われた! あんたが俺に居場所をくれた! だから、今度は俺があんたを救う! あんたの意見なんて聞いてない! 俺が、あんたにいて欲しいんだから!」
剥き出しの願いが、剥き出しの感情が、フラウへと突き刺さる。
「あんたの居場所は、こんな暗闇なんかじゃないだろ!」
七緒は手を伸ばす。大切な人を助けるために。
「俺は、俺たちは! 一人じゃねぇぞ!」
二人の手が繋がって。
光が、満ちた。
「があああああッ!」
叫びを上げたのは、ヴァロルだった。
「何だ!? 力がッ!?」
暴れ回り、そして。
解き放たれた闇から、七緒とフラウが現れた。
「兄さん! フラウさん!」
去ったはずの天華が駆けつける。
「そうか、貴様が! 小賢しい真似を!」
そう、天華は逃げていなかった。逃げたふりをして、山に仕掛けられたヴァロルの陣を破壊して回ったのだ。そして、それが実った。
「だが、点を潰したところで、核は潰れん! この程度では!」
「甘いですね、全く甘い。久条の当主は伊達ではありません。みすみす核を逃すわけがないでしょう」
そう言って、天華は腕を掲げ、指を鳴らす。
次の瞬間。
屋敷の上に、巨大な魔法陣が現れた。
「少しばかり荒っぽいですが、止むを得ませんね」
腕を、振り下ろす。
魔法陣が次第に下がり、ぎりぎりと屋敷を押しつぶす。
「させるかぁ!」
屋敷と魔法陣の間に入り、その圧縮を止めようとするヴァロルだったが。
「無駄です」
無慈悲に天華が呟いて、屋敷は崩壊した。
砂埃が立ち込める。
「やったのか……?」
しかし、砂埃がはれたそこに、瓦礫の上に、ぼろぼろのヴァロルが立っていた。
「がぁ……、おのれ……!」
かなり消耗している。
「オオオオッ!」
咆哮をあげ、怒りのまま、狂気のまま、襲いかかってくる。
「くそ、まだか……! もう体が……」
気を失いかける七緒だったが、不意にその体が支えられた。フラウが、天華が、支えてくれていた。
「まだだ! 七緒くん、腕を!」
「魔力はこちらで何とかします!」
気づけば、腕の紋章がまだかすかに光を放っていた。
(まだ諦めるなってことか……)
右腕一本くらいなら、まだ動く。
「あああああっ!」
全身全霊を振り絞り、右腕を掲げ、ヴァロルへと向ける。
二人が右腕に触れ、魔力を流す。
かすかだった光が次第に強くなり。
そして。
「オオオオオオッ!」
「うおおおおおッ!」
光と闇が、激突した。
エピローグ
目を覚ますと病院だった。久条の息がかかった病院らしく、大体の事情は把握されていら。
身体中ボロボロで、死んでないのが不思議なくらいの重症だったらしい。
医者によると、外傷よりも呪いがうんたらかんたらということらしいが、とくに何ともなかったのでスルーした。
入院は初めての経験で、初めの数日はドキドキしていたが、少し経つと暇だった。
いろんな人が見舞いに来てくれた。クラスの連中に、商店街のみんな。
そして天華。
フラウさんは来てくれなかったが、事情は大体、天華から聞いた。
ヴァロルは、核である本ごと消滅したらしい。天華は貴重品がどうの証拠品がどうのと言っていたが、やっぱり黒い槍がどうのこうのと言っていて、結局よくわからなかった。管理局の連中がどうのとも言っていたが。
そうだ、管理局といえば。フラウさんとニールは、一連の事件の証人として管理局に連行されたらしい。連行という言葉にあまりいい響きは持てないが、ニールはともかく、フラウさんはすぐに解放されるという。
腕の紋章はすっかり消え去ってしまった。理由はよくわからないらしい。
とにかく、事件は解決したようだ。
あの事件から数週間が経った。新聞に奇妙な事件は乗らなくなり、奇妙な噂もすっかり無くなったらしい。
よかったよかった。
さて、今日は退院の日だ。
さっさと、帰ろう。
七緒は日記を閉じた。
(退院だってんだからさぁ、迎えに来てくれたっていいんじゃねぇの?)
とぼとぼと街を歩きながら、七緒はため息をついた。
ぼーっと、街を眺める。
平和そのもの。
(俺、守れたのかな)
そう考えて、やっぱりらしくないと鼻で笑った。
気づけば、すでに家の前についていた。
何やら、どんちゃん騒ぎが聞こえる。フラウの声、天華の声、いつもの連中の声。
(あぁ、ここが。俺の居場所だ)
七緒は笑って、こう口にした。
ただいま、と。
光海のエーテリオン シキドクロ @MOLDY
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