夢から覚めたら

室見マリ

第1話

「あーあ、つまんないなぁ」

エミルはいつもの日課を終え、仕事場の椅子に座って一人ため息をついた。


この街は「大洞窟」と呼ばれる場所の麓。かつてドラゴン退治で賑わった街。

聞いたこともない国々から、数え切れないほどの勇者たちがこの街にやってきて、ドラゴン退治へ繰り出していった。

エミルは出身地であるこの街で一番の案内人。

いままで多くの勇者たちに依頼を届け、道を教えてきた。

それに応じてエミルの仕事場もとても大きなものになったが、今となってはただただ広いだけの空間になってしまった。

そんな空間が、退屈さと寂しさにますます拍車をかけるのだった。


「こう言ってはなんだけど、平和を乱すドラゴンがいた頃の方が、俺の心は平和だったなぁ。仕事もたくさんあって、忙しい毎日だったけど、その分情報収集に街中駆け回って面白い話を見たり聞いたり。

今となっては刺激もなーんにも無くなって、ただ日が昇って落ちるだけだもんなぁ。」


堅牢な鱗鎧、強靭な肉体、しなやかな動き…ドラゴンはこの世界で最も恐ろしく、そして美しい存在である。

鱗のほんの一欠片は袋一杯の黄金にも勝る価値で取引され、退治しようものならば永遠の富と名声が得られるとされる。

そんなドラゴンが大洞窟へ飛来した日から、片田舎だったこの街は大きく発展し、エミルもその恩恵を大いに受けた。


しかし、その授け手であるドラゴンがある日突然姿を消してしまったのだ。


最初は誰かが退治に成功しドラゴンの体を残らず持って行ってしまった、とかドラゴンが住処を変え、どこかへ行ってしまった、とか色んな噂が立った。

しかし、巨大なドラゴンを担いであっという間に移動出来る冒険者などいるはずもなく、ましてやドラゴンの住処の近くで野営をしていた冒険者たちが気づかないはずが無い。


本当に、忽然と消えてしまったのだった。


「ドラゴンが来る前、どうやって毎日過ごしていたんだったかな。」

そう呟くと、

「今みたいにのんびりしてたんじゃないの?」

と、答えが返ってきた。


「なんだ、マリエラか。」

「せっかく平和がやってきたのに。…って言っても貴方の気持ちはよく分かるわ。」


幼馴染のマリエラ。

武器屋の娘である彼女は、大洞窟に向かう多くの冒険者たちの装備を仕立てていた。

そんな彼女ももちろん、ドラゴンの去った後の街の寂しさを感じていた。


「うちは今日はもう店じまい。だって誰も来ないんだもの。…品物も、もうすっかり古くなってしまったわ。」

「…本当にドラゴンはどこに行ってしまったんだろうな。」

「『ドラゴンの鱗の一欠片は袋一杯の金にも勝る価値がある』、その謂れは本当だったみたいね。」

「なんだ、皮肉を言いに来たのか?」

「まさか!いくら暇でもそんな訳ないじゃない!」

マリエラは少しムッとした顔で話を続けた。


「エミルに見せたいものがあって来たのよ。」

「見せたいもの?」

「この葉っぱよ。昨日大洞窟の方から大風が吹いてうちの前に飛んできたの。見たことがない葉っぱなんだけど、エミルなら知ってるかと思って。」


エミルがマリエラから受け取ったその葉は楓の葉に似ているが、先から甘い匂いがしていて、光にかざすとキラキラと虹色に光っていた。

「うーん、見たことないなぁ。しかし綺麗な葉だな。」

「でしょ?ずっと見ていたくなるくらい不思議な葉っぱなの。ドラゴンの落し物なのかしらね。」



その夜、突然大きな音が街中に響き渡った。

大洞窟の方からだ。

街中の人々はその音に飛び起き、何が起こったか不安な声をあげていた。


翌朝、音の原因を求めてエミルたち、街の人々は大洞窟へ向かった。

大洞窟は崩壊の危険が無いわけではなかったし、ドラゴンと冒険者たちの戦いで地盤が脆くなっていたのかもしれない。

道中の人々の話題の中で、音の原因の予想は一つになっていた。

『きっと大洞窟で大規模な落盤があったのだろう。』


街の人が大洞窟と認識している場所に着いたはずの時、彼らは目を疑った。


大洞窟が無くなっている。


ただ、無くなっただけではない。

大洞窟「そのもの」が、岩肌からすっかり消え去っていた。

まるで、元からそんなものは無かったかのように。


「確かにこの場所だった…よな?」

「ええ。街のみんなと一緒に来たんだし、第一、街の人が道を間違うなんてことあるはずがないわ。」

「こんなことって……」


大洞窟のあった場所から戻った街の人々は自然と広場に集まった。

大洞窟があったからこの街が出来たと言っても過言ではない程、街の人々は大洞窟に親しみを持っていた。

だから、ドラゴンがいなくなったとはいえ、大洞窟があれば、いつかはかつてのような活気を取り戻せると思っていた。


「この街唯一の誇りだった大洞窟が。」

「我々の心の支えだったのに。」

「大洞窟もドラゴンのように消えてしまったのだろうか。」

「私たちは一体どうなってしまうんだ。」


人々の不安な声。

もちろんエミルもマリエラも同じく不安だった。


「この葉っぱが何が関係あるのかしら…?」

マリエラは葉を取り出し眺めた。


人々の不安など他所に、葉は相変わらずキラキラと輝いていた。




その夜、再び街に大きな音が響き渡った。

今度は大洞窟よりも街に近い辺りからだ。


次の日も。また次の日も。

まるで街に近づいてくるように聞こえた。


大洞窟が無くなったことで、街の周りの山々の地盤が変化しているのか。

そうだとしたら、この街も危険なのかもしれない。

街の人々はそう思い始めた。


「自然現象には勝てないわよねぇ。皆が不安に思うのは仕方ないわ。……エミル、どうするの?」

街の人の中には、他の地に引っ越す者たちも出てきていた。

とはいっても、その者たちの大半はドラゴンが来てから住み始めた比較的新しい住人たちであったが。

「どうするって、オレは引っ越す気はないよ。第一、他の土地に行ったところで生きていける保証もないし。」

「そういうと思った。」


街の中心部は、昔からこの地にいる者たちの居住区であり、その最も端にあるのがマリエラの武器屋である。

そしてその中心部を囲むように新しい住人たちの居住区があるので、マリエラは街の人の中で一番住人たちの移動を知っていた。


「…私は……正直迷っているの。住人たちが不安な顔して、申し訳なさそうにこの街を去っていく姿をずっと見ていると、本当にもう、この街はダメになっちゃうのかしらって。」

「オレたちと同じくこの街で生まれ育った人たちの中でさえ、出て行く人がいない訳じゃない。マリエラがしたいようにすればいい。

ただ、オレはマリエラが出て行くと少し寂しいけどな。」

「あら。嬉しいこと言ってくれるのね、エミル。でもまぁ、全然荷造りしていないし、出て行くにしてもまだしばらくはいるから、安心して。」

「なんだ、厄介払いが出来ると思ったのに。」

「ちょっと!」


こんなにゆっくりマリエラと話せたのは久々だった。

ドラゴンがいなくなったお陰で、というと皮肉になるが。

エミルの心は穏やかだった。


ただそれがこんな内容であることに少し悲しさも感じつつ、エミルはその日眠りについた。




日がまだ昇る前の薄暗い中、今まで聞いたことのないような大きな音が、街で起こった。

それまで聞こえてきた何かが崩れるような音とは違う、キリキリキリ、という澄んだ音だった。


日が昇り音が収まった頃、街の人々はその光景に言葉を失った。

中心部を除く全ての居住区が消えていた。

大洞窟と同様、元からそんなもの無かったかのように。


「そんな…」

「まだ住んでいた人もいただろう!?その人たちはどうなったんだ!?」

「残ったのはここだけなのか!?どこからどこまで残った!?」


「………マリエラ……!?」

昔から住んでいた者の場所だけ残ったとしたら、マリエラは消えた居住区の一番近くでその音を聞いているはずだ。

街の人々はマリエラの武器屋へ向かった。


マリエラは家の前で、消えてしまった居住区の方を向いて座り込んでいた。

「マリエラ!!」


マリエラは震えていた。

目を見開いたまま振り返り、

「…消えて…しまった…全部……

…見た…小さく…千切れて…」

と言葉を発したかと思うと気を失った。


マリエラの手には、あの葉が握られていた。




「もうこの街はダメだ。」

その日の話し合いでこう決まったのは当然の結果であった。

どうして突然消えるようなことが起こるのか分からないが、皆の考えは一つだった。


「でも、私はこの街以外に頼るところなんてないわ。」

「新天地で一から始めるにはお金が無い。」

「私だって」

「俺だって」

それはエミルだって例外ではなかった。


「とにかく、万が一に備えて準備だけはしておこう。必要なものはすぐに持ち出せるように…」


話し合いの後、エミルを含む数人の若者が

隣街へ、住人の受け入れを頼みに行くことになった。


隣街といえど、山を1つ2つ越えなくてはならないほど離れている。

だがこれほど離れていれば、街の住人たちは安心出来るだろう。

早く受け入れを許してもらわなければ。

そう思う若者たちは自然と足早になっていた。

しばらく行くと、一つ目の山の麓に着いた。


そして気付いてしまった。

山に続く道が消えていることに。

道自体が千切れ、深い谷になり、瓦礫は壁のように虚空に浮かんでいた。

その谷の先端は霞みがかって見えなくなるほどに遠くまで続き、彼らの前に横たわっていた。


「進め、ない。」

「道が消えている。」


街に戻ったエミルたちは、皆にこの話を伝えた。

皆信じられないという顔で話を聞いていた。


「僕らは、閉じ込められた。」


誰かがそうポツリと呟いた。




マリエラが目を覚ましたのはその日の夕方だった。

「マリエラ、大丈夫か?」

「エミル…やっぱりこの街はもうダメなのね。」

「……ごめん、どう言っていいのか…」


ただエミルはマリエラに脱出への道が消えていたこと、街のみんな閉じ込められたことを伝えた。

感情はいれず、元の案内人として、情報屋として、事実のみをただ淡々と。

それはエミル自身がそうしたいからではなく、

「どう思うべきなのか分からないんだ。

自分たちも消えてしまうかもしれないという恐怖に震えるべきなのか、それとも昔から住んでた自分たちだけは助かったんだと喜ぶべきなのか。」


「……私ね、消えてしまった居住区の皆の最期を見たわ。

不思議だった。あんなに大きな音がしていたのに、隣の家から先の居住区では、誰一人として驚いたりせず、普通に生活していたの。

普通に生活したまま…彼らはそのまま、パズルがバラバラになるように千切れて消えていったの。そしてその後、この葉が一瞬眩しく光って……」


マリエラが葉を手にして眺めたそのとき。


キリ……キリ……


エミルとマリエラはゾッとして顔を見合わせた。

あの音だ。

確かに聞こえた。


お互い声には出さなかったが、思うことは同じだった。


どこから聞こえた?

今度は何が消える?


……キリ……キリ……



その音は数回で鳴り止んだ。


「何だったんだ、今のは…」




エミルは確認のため外に出た。

小さな音だったけど、確かにあの音だ。

街の人々はまだ広場に集まって何か話をしていた。

「みんな!今の音は…今度は何が消えた!?」


「え?」

「音って何のこと?」

「それよりもエミル、今度森の道案内を頼みたいんだが…」


「…?皆、何言ってるんだ?今…?」


「なぁエミル、お前からもこいつに言ってやってくれ。山真珠のネックレスなんて珍しいものは無理だって!」

「なによアンタ!一緒になった頃は何でも買ってやるって言ってたじゃない!」

「やぁエミル、面白い情報とか入っていないのかい?退屈で仕方ないんだ。」


エミルは夢でも見ているのかと思った。

さっきまで皆不安な顔をして、一人でいては心が潰れてしまいそうなくらい怖がって、ただ広場に集まって、皆と一緒なら何とかなるかもしれないと自分を落ち着かせるのに精一杯だった街の人々が、あの音を境に晴れ晴れとした顔で話しかけてきている。


まるで皆今までの出来事を忘れたように。


「消えたのは……記憶…?」




「大洞窟?この近くにそんなのあったかなぁ?山と谷と川ばっかりで、そんな冒険者が集まりそうな場所、あったら良かったけどねぇ。」

「へぇ、そこにドラゴンが来たのかい?それはそれは幸福を運んでくれたことだろうね!で、誰が一番幸福を享受したんだい?」

「マリエラの家の先は原っぱだろう?マリエラももう少し店を中心部に移せばいいのに。武器なんて誰も買わないから、売れるのは農具くらいなんだからさ。」

「エミルの話はいつも面白いなぁ。」


エミルはこれ以上街の人々と話したくなくなってしまった。

話せば話すほど、今まで自分が経験したこと全てが、長く見ていた夢の中の出来事で、何もないただの片田舎のこの街が本当だったような気がしてしまうから。

自分はついに頭がおかしくなってしまったような気がしてしまうから。


マリエラの部屋に戻ったエミルは、マリエラの持っている葉が薄く光っているのに気づいた。

聞こえて、消えて、光る。

さっきマリエラが話した通りだ。

「エミル…?」

「消えてしまった…もう誰もこのことを覚えていない…。」


音を聞いた時、この葉の近くにいたのは二人だけ。

それ以外の人は「消える」被害にあってしまった。

被害にあっていないエミルとマリエラは唯一この事態に恐怖を覚えることが出来た。


次またあの音が鳴った時、きっと残るのは自分たちだけ。

そうなってしまったら、閉じ込められた自分たちは、どうやって生きていけばいいのだろう。


「何も知らずに消えてしまえた方が幸せだったかもしれないな。」

エミルとマリエラはそういって笑うしかなかった。




その夜はとても静かな夜だった。

皆が寝静まって、物音一つせず、ただ月だけが世界を照らしていた。


エミルとマリエラは眠る気にはなれなかった。

二人でただぼうっと窓の外を眺めていた。


「私たち、ずっと夢を見ていたかもしれないわね。それにしても、幸せな夢だったなぁ。毎日色んな人が来て、色んな話を聞いて、街にも活気があって、みんなキラキラしていて……。」

「マリエラ…。」

「ねえエミル、残った私たちは、そうやって思うしかないのかな?この葉のお陰で消えないっていっても、それがいつまで続くのか分からない。そんな恐怖に怯えながら、毎日過ごしていくなんて、私はイヤだ…。ならいっそ、全て夢だったってことにして、最初から始めた方がいいのかもしれない…。」

「そうかもしれないな…。」


「消えていった人たちは、苦しみながら消えたわけじゃない。」

「記憶が消えたみんなも、むしろ晴れ晴れとしていた。」


エミルとマリエラは一つの結論に至った。


『ああ、きっともう、夢から覚める時間なのだ。』


二人は互いに手を握り、その後は黙ったまま、鈍く光る月を見ていた。




……パキッ


いつの間にか眠っていた二人は、新たな音に目を覚ました。

とっくに日が昇っているはずなのに、その音に続く音はなかった。


だが、エミルとマリエラはもう怖がっていなかった。

昨夜、二人で決めたから。


外に出ると、もう何も無くなっていた。

二人のいる家の周りだけが丸く切り取られていて、その他は全て白い世界になっていた。

木々も、空も、風さえも。


「ああ、みんな夢から覚めたのね。」

「さあ、オレたちも目覚めよう。」


二人は薄く光る葉から手を離した。

その瞬間、葉がボロボロと崩れ始め、それに呼応するように残ったものも消え始めた。

エミルとマリエラは手を繋いだまま、ただその光景を見つめていた。



夢から覚めたら、また幸せになろう。

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