毒刀の切れ味

脳幹 まこと

その猛毒は恐ろしいものだった


 時は江戸の初期、場所はとある離れ小島。


 荒波が岩肌にぶつかる中、二人の剣客が向かい合っていた。

 片方はかの有名な剣士、宮本武蔵。となると、もう片方は……と行きたいところなのだが、生憎、ここは巌流島ではない。よって、相手の名前はザザギという、明らかに日本人っぽくはない名を持つ無名の剣士ということになる。

 このザザギという男、実際のところ、名前だけでなくその身なりも明らかに日本人離れしている。全身は2メートルを優に超え、肌も緑みを帯びている。ついでに口元から絶えず涎が垂れている。

 武蔵はというと、流石に百戦錬磨の剣士ということで、ぱっと見落ち着いているのだが、流石にこのような相手は生涯初めてであり、実際のところは気が気でない。そしてその緊張は、ザザギが刀を抜いた時に最高潮となった。


「そ、その刀……」

「うへへへへへええっ、流石、名うての剣士、ムサシ・ミヤモトぉ。この刀を知っているとはなああっ」


 妖刀・白生汰ハクノナマタ。これもまた日本史に出ることのない、日本三大名妖刀鍛冶の一人と呼ばれた獅子王の渾身の一振りとされている。

 ザザギは狂気をはらんだ眼でその刀身をうっとりと見つめる。そして、目をかっと見開いたかと思えば、刀を振り回し、決闘場に散在するごつい大岩を手当たり次第に斬りつける。すると、灰色の岩が見る見るうちに煙を上げながら黒ずんでいき、時間も経たずにどろどろに溶けてしまった。


「ふへあああっ、すげええ、噂にたがわず、すげえ刀だなああ。ムサシ・ミヤモトぉ、今度はてめえをこの刀の餌食にしてやるぜええっっ」


 すさまじい切れ味だった。

 しかしこのザザギ、一つ肝心なことを忘れていた。このせりふ回しからして、明らかに脳内麻薬がジャバジャバでているのだが、そのせいか、うっかり、自分の足に刀身が掠っていたことに気付かなかった。 


 仕舞いである。



 その猛毒は恐ろしいものだった。

 床に倒れ、身体をくねらせながら、痛みに悶える男の姿。

 武蔵はその姿を見て「毎朝、絞っている雑巾に似ているな」と思ったらしい。


「ん……うっ、あっ、ん……んん、んっ、あっ、ああ、あっ……」


 ザザギの口の端からよだれが垂れていく。

 白生汰の刀身からは、生粋のさでぃすとであったとされる獅子王が日本各地より厳選した毒物をブレンドした特製の成分が垂れ流されている。

 掠った足は既に原型をとどめていない。黒い粘性のある液体と化した。「あんっ」とか「ひゃあっ」とか、ザザギはひたすらに痛みに耐えるしかない。

 武蔵はその姿を見て「はじめて、夜這いをかけられたときに、自分もこんな声を上げていたな」と感慨に浸っていたらしい。


「えぐっ、ぐえええ、おぷっ、あああ、んっ、んっ、んっ、んっ」


 口から吐しゃ物、血液、糞尿、体組織、その他もろもろがない交ぜになって吐き出される。体中がドロドロになっていくのに、痛みは寸分も消えることはない。

 この毒刀、ザザギの手に渡る前では、相当に暴れまわっていた。年齢、性別、身分を問わず、何百人もの人間が黒い液体と化したのだ。戦場で用いられたのはもちろん、拷問、処刑の類でも登場した。逸話として、この刀を使って無罪の男を亡き者にした役人が、その男の妻によって復讐された際、同じく毒を塗り込んだ刀(正確に言えば、これを模した量産品)によって切り捨てられたというものがある。


「ひゅー、ひゅー、あっ、ぐぽぽぽっ、びゃああぶぅ、ぐじげげららら」


 哀れな男が溶けていく。武蔵はその姿を見て「子供のころ、興味本位でてふてふの蛹の中を覗き見て、凄く後悔したな」と耽っていたらしい。

 さて、先述した通り、白生汰は悪名高い刀であったが、それが日本中に知れ渡った事件というものがある。それがあいどるゆにっと『SINVAシンヴァ』のセンター、六葉 明日香むは あすかの斬首未遂事件である。

 その内容とは、10月1日午後8時ごろ、住所不定・浪人の天場 普門てんば ふもん容疑者(29)が日出処ひいずるところ武道館に入り込み、ライブ中の六葉氏を斬りつけようとしたというもので、その様子が全世界にネット配信されたために一躍有名になったのである。動機について天場容疑者は「推しのあいどるが男と付き合っていたから」と供述、即日市中引き回しのうち、打ち首獄門となった。もちろん、その際には白生汰が用いられた。



 こうして、決闘は終わった。

 武蔵は既に原型を留めていない相手の傍に寄り、念仏を一つ唱えた。あんな身なりで、あんな終わり方をしていても、一応自分を戦慄させた強敵ともであることに変わりはない。

 立ち去ろうとしたが、まだ溶けていない道着から、一枚の紙切れがちらりと見えた。それは、SINVAのぷれみあむライブのチケットであった。しかも、それは先述した六葉氏の直筆サイン付きであった。

 それを見るや否や、武蔵の顔がたちまち赤くなった。


「こ、この野郎……」


 怒髪天を突くとはこのこと。武蔵は自分の愛刀を抜くと、近くの岩肌をむやみやたらに切り裂いた。

 そう、このチケット、実はもともと武蔵のものであった。

 どういうことかというと、番組「兵、兵、兵」にSINVAが出演した際、武蔵が大きな剣術大会で優勝したことを受けて特別ゲストで登場したのだ。六葉氏が「実は武蔵さんのファンなんですぅ」ということで、贈られたものだったのだ。その計らいに武蔵も感動した。なぜなら、六葉氏の顔は、前述した「初めて夜這いをかけてきた女」にそっくりだったのだから。

 よって、武蔵はそれ以降、SINVAのファン(極度のタカ派)になった。そんな彼だったが、突然、きっかけのチケットが消失してしまったのである。ショックのあまり、一時期は切腹も考えていたのだが、先述の六葉氏のすきゃんだるによって、その気も失せたのである。

 と同時に、あのような不埒な女にうつつを抜かしていた自分に対して、強い、強い、強い自己嫌悪を抱くようになったのだった。

 この思いを断ち切るのに、二十数年もの歳月を重ねる必要があった。もう少しで完全に忘れ、ついでに俗世も捨て、真の剣豪になることが出来るはずだったのだ。


 それを……この男は……


「よくも思いださせてくれたな、このウツケモノがっ!!!」


 烈火のごとく暴れまわる武蔵。

 それほどまでに、その猛毒は恐ろしいものだった。

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