スイーツ・トリッパー
岡本紗矢子
食べちゃだめなんだ
行き先表示、「修学旅行」。全席まるごと、一校の生徒だけが埋めつくす貸切新幹線がすべり出すと、誰かが待ち構えていたように荷物を開けた。
旅のお供と言えば、お菓子である。バスでも電車でも、それはおんなじである。で、買ってきたお菓子を仲のいい子で回し合うのも、文化というか風物詩というか――まあ、毎回起こること、だ。
「まゆー、これ一個取って回して」
後ろの席の友達が、背もたれを越えるように袋を差し出してくる。うすいピンク色の個包装が可愛い……わあ、スティック型のバウムクーヘンだし!
甘いものは大好きだ。あたしの目の中には星が宿り、語尾には音符がつきまくる。
「うわーい、ありがとー♪♪ あっ、あたしのも持ってって。これも一個ずつね」
「おおー、ラスクだ。おいしそう。回しとくね」
かくしてあたしの手の中は、フェアトレードでもらったチョコレートにキャンディにクッキー、その他もろもろの可愛いお菓子であふれかえる。いつでも手に入る市販のスナックより、専門店やベーカリーで買ってきたっぽいスイーツが多いのは、あれかな、修学旅行ゆえのみんなの気合い? なんにしても、幸せだ。
あたしはにけにけと笑いながら、栄光の最初の一個に選んだラング・ド・シャのパッケージを開けようとして、ふと違和感を覚えた。
隣の席には、加奈子がいた。なんともいえない思いつめたような顔をして、ただじっと、窓の外を見やっている。でも、それは不思議なことだった。あたし以上にお菓子好きな彼女は、こういうとき、はりきってお菓子交換にいそしむのが常だったから。
ちらりと見てみると、今日の加奈子の手の中は、まったくの空っぽだ。回ってきたお菓子は全部スルーしていたよう。そして加奈子自身、誰にもお菓子はあげていないらしい。
珍しいなあ。なんなんだろう?
どうにもこうにも気になってきて、あたしはとうとう、声をかけた。
「ねえ加奈子、どうかしたの? お菓子、今日は食べないの?」
加奈子がゆっくりとこっちを向いた。だが何も言わずに、すぐあたしから目をそらした。ますます、なんなんだろう。あたしは首を傾げた。
「なんかいつもと違うけど、具合とか悪かったりする? あ、もしかしてダイエット? それとか歯が痛いとか?」
「……。違うの」
加奈子が口を開いた。ささやくような、でも重たい声だった。
「ダイエットしてないし、歯も痛くない。ていうか本当は、食べたいし」
「え? なら食べたらいいのに」
「だめなんだ。甘いもの、すっごく好きなんだけど……だけど」
歯切れ悪く、加奈子は続ける。
「……この間から、食べると変なことが起こるから……」
「変なこと? 何それ?」
加奈子は指を一本立てて、「シー」という身振りをする。声が大きい、ということらしい。
ごめん。あたしはあんまり空気の読めないタイプで、よく無神経って言われる。シートの中で身を縮め、うつむきかげんで距離を縮めてきた加奈子は、きっと、秘密の話を打ち明けるようなノリなのだろう。
「これ、初めて話すんだけど」
「うんうん」
「あのね、この間から――私、甘いものを食べるとトリップしちゃうみたいなの……異世界に」
「トリップ?」
トリップ。トリップというと、旅行? んん? あたしたちも今、旅行に来ているんだけど、それが何か……?
て、ああ、別の意味もあったっけ。
「えっと、それって、何? 要するに、スイーツを食べると酔っ払っちゃうってこと?」
「あっ違うの、そういう意味じゃない。たぶんだけど本当に……本物の異世界に行っちゃうみたいで」
「え、ええーっ?」
また声が大きくなりかかったところで、後ろの席から頭のてっぺんをつつかれた。振り向くと、大好きなココアクッキーの香りが鼻に飛び込んでくる。やったあ、学校のそばのおしゃれなパン屋さんで作っている、おいしいやつじゃん。私はひとつとって加奈子の顔を見たが、彼女が首を振るので袋を次の席に回した。
「――ごめん。で、それ、どういうこと?」
席に落ち着き、そのままココアクッキーをほうばりつつ、続きを促す。
加奈子はしばらく考えるように口をもごもごとさせていたが、やがて、居ずまいを正して話し出した。
「実は、初めてそれが起こったのは、そんな前じゃないんだ。本当に、ついこの間なんだけど。日曜日にちょっと遠くに遊びに行って、帰ってきたら、駅前にメロンパンのキッチンカーがきてたわけ。それがもう、すっごくいい匂いをさせていて……バターの香りと、あと、わかる? ビスケット生地のとこの、ふわ~っと焼けたいい匂い」
「あー、わかるわかる。ああいう匂いはやばいよねー。あれにつかまったら、もう買う流れしかないよね」
「そう。実際、買っちゃって、うちまで我慢できずに食べちゃったんだ……だけどね、」
加奈子は、膝の上でこぶしを握る。
「そうしたら、そのとたん道に迷った」
「そのとたん? て、え? 駅から帰る途中だったって今言ったよね?」
「そう。知っている道を歩いてたはずなの、確かに。だけど、メロンパンを食べて、顔を上げたら、わけわかんない景色しかなかったの。道の両側には見たこともない古いビルが並んでいて、見覚えはまったくなくて。道の舗装はところどころ剥げてて、草ボーボー」
「何それ、なんかおかしくない?」
「そう、おかしいよね。いきなり景色が変わるなんて。もう、わけわかんなくて……そのうち怖くなってきた。だんだん暗くなってくるし、なんだか不気味だったの。街中なのに誰もいないし、街灯もないし、雰囲気でいうともう深夜みたい」
「へえー……」
なーんか、ネットに出ていそうな話だなあ。
あたしはそう思いながらチョコスナックの小袋を開けて、ふたつぶ、口に放り込んだ。加奈子はあたしの手元から目をそらし、ペットボトルのお茶をあおる。
「で? 加奈子、そのあとどうしたの?」
「あ……うん。怖かったけど、とにかく歩き続けたんだよね。同じ道をずっと。そうしたら、開いているお店が見つかって……そこで休んで、気がついたら、うちの前にいた」
「えー。なんだあ、それで終わりなの?」
あたしは思わず大声で言った。もっと膨らむのかと思ったら、わりとあっさりしたオチだ。加奈子はちょっと傷ついたような顔をした。
「そりゃ、聞いているだけならそうかもしれないけど。でも、実際に経験したら怖いよ」
「や、それはそうだけどさ。でも、なんていうか……まあ、本当の話なら不思議体験だとは思うけど……」
「言っとくけど、本当だよ。そもそもその店、おかしかった」
「お菓子買ったの?」
「……そっちじゃなくて、変だったって意味の“おかしかった”。スタバとかタリーズみたいな感じのカフェだったけど、メニューの文字は何なんだか全然わかんないし、店員さんと言葉が通じなかったし」
「ええー? 日本なのに?」
「ほら。だから、日本じゃなかったんだと思うの。私、何もわからないから焦って、注文も何もしないでつったってたけど、店員さんが親切で、なんか気をきかせてコーヒーっぽい飲み物とお菓子を出して、テーブルに座らせてくれたんだ。せっかくだから甘えさせてもらって、それを食べていたら、急にふっと意識が飛んだんだよね……それで、いつの間にかうちの前、みたいな……」
「ふーん。なんかすごいねぇ」
「まゆー」と私の名を呼ぶ声がして、肩をつつかれる。振り向くと、今度は虹色に並んだカラフルなマカロンが回ってきた。みんな、今日は本当にすごい。あたしは黄色いのをひとつ取ってまた加奈子の顔を見たが、加奈子が苦しそうに目を逸らすので、箱を次に回した。
「ねぇ、だけどさ。加奈子、疲れてたとかじゃないの? 白昼夢ってあるじゃん。歩きながら夢でも見ていたとか」
加奈子はうつむき、小さく首を振った。
「私もそのときは、夢か幻でも見たんじゃないかなと思ったよ。だけど、その次の日。うちでアイスを食べてたら、また世界がぶっとんだ」
「? おいしすぎて目を回したとか?」
「違うってば。前と同じで、いきなり風景が変わったんだよ。私、アイスがついたスプーンを持ったまま、今度は背の高いトウモロコシみたいな野菜が植わった畑の中に突っ立ってたの。靴下で。家の中にいたのに、いきなりそこが外になっちゃった」
あたしが目をぱちくりさせたのを見て、また否定されると思ったのか、加奈子は急いで言葉を継いだ。
「あったの、本当にあったんだよ、トウモロコシっぽいものが植わった、どう見ても町じゃないところに放り出されたの。本当に困ったんだ、トウモロコシっぽいのが邪魔して何も見えないから。とにかく誰か見つけなきゃと思って、ひたすらトウモロコシっぽいものの間をぬって……」
「ごめん、もう面倒くさいからトウモロコシにして」
「……トウモロコシの間をぬって進んで、あぜ道に抜けたら、遠くに人がいたから、とりあえずそっちまでいったの。でも近づいてみて、前のときより困った。だってその人たち、ヨーロッパによくいるような感じの人たちで。服装……なんていうのかな、ミレーの『落穂ひろい』ってわかる? ロングスカートにエプロンして、頭には布みたいなのをかぶった感じ。で、話しかけてみたけど、やっぱり言葉が通じない」
「へぇ……」
またお菓子が回ってきた。今度は表面にアイシングをかけてカラースプレーを散らした、可愛いカップケーキ。どうやら、誰かの手作りみたい。私はもちろん一つもらったけど、加奈子はやはり手を出さず、話を続ける。
「あっちも私を見てびっくりしていたけど、私が困っているのは分かってくれたみたい。すぐに家に連れて行って、飲み物をすすめてくれた。ちょっと青臭い香りがするけど、インドのチャイに似た、甘いやつ……それを飲んでいるうちに、ふわっと意識が遠のいて」
「……またうちに戻ってた?」
加奈子は頷いた。
「うん……」
「ふーん。ところで、持っていたアイスのスプーンはどうしたの?」
「え? 途中でなめて……そういえばどうしたかな。落としたかも。なんで?」
「ん。さっきから聞いていると、パターンが決まっているから」
あたしは、もらったばかりのカップケーキをはむっとほうばった。口の中をいっぱいにしたまま、もごもごしゃべる。
「整理すると、加奈子が何か甘いものを食べると、何かよくわからない場所……異世界? そういうところに飛んじゃう現象が起こると」
「うん、そうみたい」
「で、アイスをなめてもどうもならなかったってことは、その世界の食べ物だよね。たぶんだけど、その世界のもの、もしかしたら甘いもの限定かも。それを食べるか飲むかすると、元に戻る」
「……ああ! なるほど、そうかも!」
「そうかもって……まったまたぁー」
あたしは加奈子の肩をぽんぽん叩いた。
そう、あたしにはわかったのだ。彼女が、この旅行で、何を仕掛けようとしているのかを。
「まあまあ面白い。けどさ、加奈子。この話はもうひとひねり欲しいなあ」
「え?」
加奈子が目を大きく見開いた。
「……信じてないの?」
あたしはカップケーキの下を覆っていた紙を片づけて、次にフィナンシェを選び、包装を開けた。それをぱくりとして、舌の上で味わいながら、「うん」、はっきりと頷いてみせる。
「だぁって、そりゃ無理ってもんでしょー。だって加奈子、もともと怪談好きじゃん。この話も、仕込みでしょ? 今日の消灯時間あたりに、これ関連でもっと怖い話してくれるつもりだったんでしょ? だよね?」
そう。加奈子はもともと怪談好き。これまでも、林間学校などの泊まりが入るイベントでは、夜になるのを待ち構えたように怖い話をして、盛り上げてくれた歴史がある。いつぞやしてくれた話はそれこそ眠れなくなるくらい怖くって……次の日は寝不足で、翌日の活動プログラムをこなすのに困ったものだ。
今回は修学旅行。ある意味、加奈子にとっちゃ晴れ舞台なのだろう。行きの電車からうっすら伏線をはっておいて、夜には全員を恐怖のズンドコに落とすくらいのネタを繰り出してくるにちがいない――たとえば、真っ暗闇でオバケしか出てこない世界に行ったとかさ。
あたしがそんなふうに、確信した顔をしているのがわかったのだろうか。
「ち、違うよ、これはそういうのじゃなくて」
加奈子は慌てた様子で腰を浮かした。何かすごく焦っているように見えた。
「ホントの話だよ。本当にあったんだってば」
「うっそー、うそうそ。ないない、そんなのー」
「本当だってば!」
「はいはーい。あ、加奈子もフィナンシェ食べる?」
加奈子はうつむいた――が、突然がばっと立ち上がった。窓の外を飛び過ぎていた景色が加奈子の身体に遮られたと思った瞬間、怒号が飛んだ。
「いいかげんにしてよっ! 本当だって言ってるでしょ! そのせいで、そのせいで私は大好きなお菓子も食べられないでいるのに、あんたは何よ! 私の前でガンガンお菓子交換して、ばくばくばくばく、おいしそうに食べて! 食べられなくて悲しい思いをしている私の身にもなっ――」
まだまだ何か続きそうに、大きく開いた彼女の口に。
私は、手にした一口チョコを放り込んだ。
「てよ……!?」
「はい、あげましたーっと♪」
かっちり固まる加奈子の前で、あたしはにっこりする。
「わかってまーす。加奈子、本気でネタを仕込んできたんでしょ。でもさ、せっかくの修学旅行に、リアリティを出すためにお菓子を食べない自分を演出するなんて、そんなのかわいそうで見てらんないってー。もういいから無理しないで、加奈子も食べちゃえば……」
あたしは手を伸ばし、加奈子を落ち着かせた――つもりだったが、肩に伸ばしたはずのその指先は、何にも触れることなく空を切った。
「いいじゃ、ない……?」
加奈子は、いなくなっていた。
窓の外には、少し前までと同じように、後ろに向かって飛び去って行く景色が見えていた。
**
加奈子は、それっきり、帰ってこない。
彼女は今、どこにいるのだろう。そして、どうして帰ってこないのだろう。あたしが指摘した法則どおりなら、飛んでいった世界のスイーツを食べさえすれば、帰ってこられるはずなのだけど……。
もしかしたら、甘いものなんかめったに口に入らない異世界に行ってしまったのか。それとも、そもそも人間がいないとか、とてもとても、マズイ世界に行ってしまったのだろうか。
無事の帰還を祈る半面、あたしは、いつか現れるかもしれない彼女の影におびえて、日々を送っている。
あれ以来、あたしはスイーツを食べていない。
スイーツ・トリッパー 岡本紗矢子 @sayako-o
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