第5話 祝福と祈りを込めて

月影の森の泉の前でアルドはベルと向き合っていた。

虫の音や風にそよぐ葉擦れの音だけが二人の間に流れている。


不思議な光を放つ花はその花弁に露を湛え、ぼんやりと発光していた。

花咲く泉の前で、その柔らかな光がアルドの物憂げな表情を浮かび上がらせていた。

月影の森にも魔物が出るが、ここなら魔物も寄り付かない。


「お兄ちゃん、話ってなあに……?」


沈黙に耐えかねてついにベルが口を開いた。


あの後、月影の森に移動する前にソリクを探さないとと言うベルに、その必要はない。とアルドがはっきりと言い切り、

その言葉の意味も分からないまま、ただただ兄と慕う彼を信頼しここまでついてきた。

本当ならば今すぐにでもソリクを探しに行きたかった。


「……俺の、胸元のリボンを見てくれないか。」


緑や赤、紫にぼんやりと光る明りにその表情を浮かび上がらせながら

アルドはそう言った。


「このリボンと鈴に見覚えがないか?」

「……これって……。アルドお兄ちゃん?」


自分の胸元のリボンを見つめながら、意を決したように言う。


「見ててくれ」


「――俺は……」


アルドは再びラチェットからもらった薬の力で、ソリクへと姿を変える。


一瞬の閃光ののち、アルドがいたはずの場所には、ベルの愛した黒猫が座っていた。


「え……?」


琥珀色の瞳がいっぱいに開かれる。


「アルドお兄ちゃんがソリクになった…?」

「え?なにかの手品……?」

その瞬間、ベルはハッとすると口を押えた。


「じゃ、じゃあ、今日会ったソリクは全部、アルドお兄ちゃんだったの……?」

「全部、嘘だったの……?ソリクは今もどこかで……!?」

ベルは後ずさって、今にも泣き出しそうな顔で 首を振り ひどく狼狽した。


アルドはすぐに変身を解く。


「違う!そうじゃないんだ!」


「そうじゃ、ないんだ……」


アルドは下唇を噛んでうつむいた。

肩をつかみ、今なお震えているベルを落ち着かせる。


「――落ち着いて、聞いてくれ。俺の長い旅の話を」



―――


「……じゃ、じゃあバルオキーに伝わる、時を超える超時空猫のキロスの伝説って、ソリクのことだったの?」


すべてを話した後の第一声はそれだった。

心臓を握りつぶされるような想いでアルドは話せることをすべて話したが、

その反応は意外とあっけないものだった。


アルドが嘘をついているようには思っていないものの、実感がわかず信じ切れていないといった風だ。


無理もないだろう。むしろ下手な冗談だと思われなかっただけマシだろう。

「言われてみればあの時のお兄ちゃん様子がおかしかった……」

と冒した数々の失態を指折り指摘され、それで納得してもらえるのなら、自分の迂闊さも報われるのかもしれなかった。


「黙ってて本当にごめんな」


「この姿になった時に、ソリクの頃の記憶はなくなってしまって、思い出せないままなんだ。言っても傷つけるだけだと思ったんだけど、でも黙っているままの方が傷つけたよな……」


「そっか、忘れちゃってるんだね……。私と過ごした時の事。」


「ああ……。でも少しだけど、思い出したことがあるんだ。」


「お腹がすいて倒れそうだったところを君に助けてもらったこと。


俺といるために、お父さんとお母さんに必死にお願いしてくれたこと。


無茶して木に上って降りられなくなったところを助けてもらったこと。


この鈴とリボンは君がくれたこと。


……僕は、君の出してくれる、ぬるめのホットミルクが好きだったこと。


そして、沢山愛してもらっていたこと。」


ベルの目が今までで一番大きく見開かれる。


その一部は、ベルとソリクしか知り得ないことだった。

それが何よりの証拠だった。


その琥珀色の瞳が、月影の森の淡い光を映し、七色に輝く。


「ほんとにソリクなの……?」


七色の瞳が、潤む。


「ああ」


頷くと、また チリン、と胸の鈴の音が小さく鳴いた。


今ならわかる。今朝見た夢のことも。

鈴の音が鳴る度に思い出す昔の事も。

あれは大切なことを忘れた俺への、心の奥底で眠っているソリクからのメッセージだったんだ。

ベルを思い出したいと、どうか助けてやってくれと、他でもない俺自身からの願いだったんだ。


ベルが伺うように、確かめるように、一歩ずつゆっくりとアルドへ近づく。


それに併せて、アルドも片膝をつけてベルに目線をあわせる。

ちょっと高い位置にあるベルの瞳を見つめる。

淡い光に浮かぶ顔は美しかった。


ベルがアルドにおそるおそる手を伸ばす。

アルドの癖のあるやわらかな黒髪に触れる。


ソリクにそうしてやったようにゆっくりと毛の流れに沿って撫でると、

アルドは最初こそ少し照れくさそうに はにかんだが、じきに瞳を閉じてその掌を気持ちよさそうに受け入れた。


指を差し込んだり、毛先を触ったりして毛の感触を確かめる。


そのなめらかで柔らかな感触は、ソリクの毛並みによく似ていた。


「ソリク……」


呼ぶというより、呟きと言った方が正確な音が口からこぼれおちていた。


吐息も混じり合うような距離で、じっとアルドの瞳をみつめる。

名前を呼ばれ、ゆっくりと開かれた優しい瞳は、ベルの視線をそらすことなく見つめ返す。

視線が交差した。


この子にこうしてちゃんと向き合うのはいつぶりだっただろうか。


ベルはその琥珀色の瞳に、アルドの瞳の奥にいる黒猫を映す。



「……おなか、すかせてなかった?」

「ああ、大丈夫だよ」


ベルの柔らかな手のひらが、アルドの頬をやさしく包みこむ。

小さく震える指が、その存在を確かめるように頬を撫でた。


「……どこも痛いところ、ない?」

「ああ、大丈夫だよ」


数センチの距離にある青年の顔を見つめる。

ちゃんと見て確かめたいが、視界が揺れて、歪んでよく見えない。

声が、うまく音にならない。


「……また一人で無茶なこと、してない?」

「……それはちょっとしたかな。でも一人じゃなかったよ」


琥珀色の大きな瞳からはボロボロと涙が落ちて止まらない。

頬を包むベルの手にアルドの無骨な手が重なる。

同じ熱を持った大きな掌は強く強く、小さな手を握りしめて応える。


「……また、助けてくれたね」

「ああ、あたりまえだろ」


ベルはとめどなく涙を流しながら、くしゃりと笑う。

アルドも笑顔で頷くと 首元の鈴の音が、チリンと、鳴った。


「……ちゃんと、帰ってきてくれた……」

「ああ……遅くなってごめんな」


「思い出すのが遅くなって、ごめん」


アルドはベルの頭を抱きしめた。

涙をこらえることができない。


あたたかい

あたたかい

なんとあたたかいのか



「うああああああんソリク~~元気でよかったあ~~うあああああん」

「ベル……!」


本当はずっとこうして泣きたかったんだろう。


アルドの肩口で堰を切ったように泣き続けるベルを、アルドはただただずっと抱きしめ続けていた。



月影の森に浮かぶ光が、二人の再会を祝福するように柔らかく包み込んでいた。



―――



バルオキー村の、ベルの家の玄関前に、2人は立っていた。


夕刻前。村にどこからともなく夕食の香りが漂う。庭に干された洗濯物はとうに取り込まれていた。


ベルが泣き止むまでアルドはずっとベルを抱きしめ、その背中を撫でていた。

落ち着いてからは、どちらからともなく手を繋いで帰った。


「ベル。俺、ソリクに戻れるかわからないんだ」


「うん、いいよ。ソリクが生きてて、元気だってわかっただけで、私は十分。」


「ベル……」


その言葉は嘘ではなかった。アルドにもそれは伝わっていた。


「私、アルドお兄ちゃん好きだもん。お兄ちゃんがいなくなったら寂しいよ。」


「私にとってアルドお兄ちゃんは、ソリクと会うよりもずーっと前、私が小さな頃から近所に住む仲のいいお兄ちゃんで……って、そう考えるとほんと不思議よね。」


頭がこんがらがっちゃうわ、と腕をくんで、考え込む。


「とにかくね、アルドお兄ちゃんはこのままでいて。」


「……ありがとうベル。また遊ぼうな。」


「うん、またね!アルドおにいちゃんもミグランスの英雄だかなんだか知らないけど、あんまり無茶なことしちゃダメなんだからね!」


腰に両手を当てたベルは、自分よりもずっと大きな青年にじっとりとした眼差しをむけ、釘を刺した。


「わかったよ。まったくベルには逆らえないな」


まいったな、とアルドは頭をかいてベルを見つめると、堪えきれなくなったように二人で笑いあう。


穏やかで晴れやかな時間が二人の間に流れていた。


それは今日のバルオキーの空気のようで、

居心地が良く、離れがたく、名残惜しい。


「いつでもうちに遊びに来て! ぬるめのホットミルク用意して待ってるよ!」


ベルはいたずらっぽく笑って、自宅の木製ドアを軽やかに開ける。

ふわっと風が舞い玄関に飾られた植木鉢の花々がそよいだ。

羽が生えたように軽い足取りでベルは玄関に足を踏み入れる。

藍色のリボンで結われたおさげの髪が楽し気に揺れた。


扉の中に完全に吸い込まれる前に、ベルはもう一度ひょっこりと顔を出した。


「あ、もちろんお母さんにも誰にも言わないから心配しないで。いい飼い主は愛猫が困ることはしないのよ!」


にこっと笑って、少女は完全に扉の中へ消えていった。


「…………」


アルドは春の息吹のような温かさが胸に満たされるのを感じながら、何も言えずにその場で少女が消えていった扉を見守った。


まもなく開かれた窓から少女の明るい跳ねるような声が聞こえてきた。


「お母さんただいまー!」

「あら、ずいぶんご機嫌なのね今日は」

「ソリクに会えたの!」

「まぁ!ほんとに会えたのね」

「今ね、楽しくて優しい人たちと旅をしてるみたい。お腹もすかせてなかったし、怪我もしてないって。だからね、もう大丈夫。」

「そう……よかったわね。本当に、よかった」

「うん。お母さん!私ホットミルクのみたい!ぬるめでね!」


開けられた窓のゆるくはためくカーテンの隙間から、彼女の花のような笑顔が見える。

その顔はつきものが落ちたように晴れやかだった。


こんなにも胸が温かくなるのはいつぶりのことだろうか。

俺は、こんなにも優しくて暖かい飼い主のことを忘れていたのか。


「ベル……本当にありがとうな。」


そう、ひとりごちて胸元のリボンの先についた鈴をきつく握りしめた。


(ベルに何かあったら、何があっても俺が必ず助けるよ。)



あの頃の大切な思い出は消されたわけじゃない。

きっと、俺はソリクのことをすべて思い出せる日が来ると思う。

他の誰でもないソリク自身が、夢に来てまで俺を急かし立てる程なのだから。

それはそう遠くない未来にきっと実現するだろう。


その時は、また思い出話をしよう。ぬるいホットミルクを飲みながら。

そのために俺はまたここに無事に戻ってくる。



そして、もう一人の主人を思い浮かべる。

俺のこの姿の元になった人。

時空を越えた先で出会ったもう一人の主人。

今なお、独りで明けない闇に閉じ込められている人。


エデン。


……かならず救けてみせる。



さぁ、行こう。皆のところへ。


力強く歩き出す足、前を見据える瞳をもって、通った道へと踵を返す。


向かうは東。腰にオーガベインを携えて。

今日この日を進む力に変えよう。



再び結んだ決意に呼応するように、

胸元で光る鈴が、チリン――と大気を揺らした。



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リング・ア・ベル MIGUEL @miguel1

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