新型ウイルスに勝つには、ここまでたくさん考えられなければならなかった!リーウ医師VSアポフィス団

@maetaka

第1話

 医師として、アポフィスを見つめる権利を得た者として、弱き人々を守らなければならない責務は、次々に、増えていった。

 社会のすべてが、嫌な気にさせる、キャラクターたちだった。

 20 20年ももうすぐとなった頃、とんでもない事件が、起きていた。とんでもないといえたのは、それが、全世界を巻き込むほどの騒ぎに発展してしまったから、だった。

 プカン国のウル市が、発生元となった。

 特にこれといった前触れもなく、新型と考えられるウイルスが、発生。世界中に、蔓延をはじめた。

 「患者の皆のことが、気になるな…」

 某国の、リーウ・カンナミ医師は、ため息をついた。

 過去のビジョンが、蘇ってきた。

 「…リーウ君?地方で、働いてみなさい。都会を離れた場所でも不便と感じずに生活していく人たち、高齢者などには、頭が、下がるよ。あの人たちを、助けてあげなさい。もちろん、そこで暮らす若い世代の人たちも、だがね。生活の戦いは、尊いね。君は、そのサポートをしてあげられる存在に、なりなさい。地方へ、いってみなさい」

 今いるこの地方よりも絶対的に都会と感じられた町の医大生時代、教授に、言われたことだった。

 「リーウ君?地方で、やってみなさい」

 「はい!」

 地方移住は、望むところだった。

 やる気が、出ていた。

 「都会は便利そうで、良いかも知れない。日常生活はもちろん、医療道具だって、最新のものに満たされやすいはずだ。しかし、その都会を支えるのは、どこなのか?地方でもあるよな?その地方を救えなければ、どうなってしまう?都会が、死んでしまう。皆、死んでしまう。それは、望むところではない。ようし。地方に、いってやるさ」

 友人ユウイチには、そう言ってやった。

 ユウイチに加えて、教授、先輩の力まで借り、地方に小さな診療所を構えたのは、それから3年後のことだった。

 ちなみに、ユウイチは、地方にはこなかった。医大卒業後は、そのまま研修医として残り、都会のクリニックで働くようになった。

 先輩は、医大病院に、残った。

 医師不足に悩んでいた地方では、物事が、大歓迎された。

 「おい!新しい先生が、くるそうじゃ!」

 「都会から、きてくれるんだってよ?」

 「医療費も税金も、元を取らなければ、いかん。毎日でも、診てもらおう」

 「…あんたは、そういうことを言うから、困るんじゃ」

 「そうよ?だから、去年だって、村長に推薦されなかったんじゃ、ないの?あなたのそういう性格が、見抜かれていたわけよ。元をとるとらないの損得勘定が、命を扱う医療で追求されるのって、変じゃないの」

 「でもまあ、良かったんじゃ」

 「良かったの?」

 「新しい先生が、きてくれる。やっと、きてくれる」

 はじまりは、好感触だった。

 「新しい先生、診てくれよう」

 「リリー先生、でしたかのう?」

 「やだわ。リリーじゃ、ないわよう」

 「そうじゃよ。ウリじゃ」

 「そうじゃ、そうじゃ。リーウ先生」

 「リーウ先生に、診てもらわねばいかん」

 「払いすぎた医療費の元を取らなければ、ならん」

 「そういう話は、やめんかね」

 「ウリじゃ」

 「リーウ先生、でしょう?怒られるわ!」

 リーウ医師と面談を待つ廊下ソファーでの高齢患者らは、いつも、こんな感じで、おしゃべりを楽しんでいた。

 「ははは…。怒りませんよ。そんなこと、気にされずに。では、順番にお呼びいたしますから、お待ちくださいね。…寒くは、ないですよね?」

 気遣いも、一苦労だった。

そのおしゃべりが難しくなる社会がきてしまうなどとは、そのときは、誰にも、予測できなかったことだろう。

 高齢の患者を相手にした面談は、衝撃的だった。

 特に衝撃的だったのは、高齢の患者は、全員が全員そうであるとは限らなかったが、気持ちの出し方に、ブレがあったという点だ。

 直に面談をすれば、たくさんの本音を、話してもらえた。が、それがリモートでの会話となれば、黙りがちだった。

 「そうか。高齢者は、若い世代の人と、コミュニケーションの取り方を変える必要もあると、いうことなんだな」

 高齢の患者は、このように、話をしたものだ。

 「リーウ先生?心配を、せんでくれ」

 苦労の嵐、だった。

 「どうですか?身体と心に、お変わりは、ないですか?」

 すると、高齢の患者は、黙ってしまった。

 「…」

 「心配は、ございませんか?」

 「…」

 こんなふうに、無言の訴えを、返してきたものだ。

 高齢の患者に、何とかして、心を開いて欲しかった。そこで、こんな声掛けをしてあげたものだった。

 「私は、この土地に不慣れです。知らないこと、ばかりなんですよ?皆さんの力を、借りたいものです。私に、小さなことでも良いので、聞かせてはもらえませんか?人生経験ある人の力が、頼りなのです」

 「ああ…そうじゃなあ」

 そこで、やっと、口を開いてもらえた。

 心の底から、安堵できたものだった。

 新型ウイルスの嫌なニュースにおびえさせられていた診療所全体を覆う緊張が、解かされていった…。

 そこには、いくつもの心の駆け引きが求められていた。

 「…」

 「何でも、よろしいのですよ?」

 「先生…」

 「今朝は、少し、寒かったですねえ?」

 「…ああ」

 高齢の患者による沈黙空気は、続いた。

 それでもリーウ医師は、高齢の患者を気遣いながら、声をかけ続けた。

 「どうですか?」

 「おう、リーウ先生?何も、問題はありませんじゃ」

 「本当に、問題は、ないのですか?」

高齢患者口を開いてくれたことによって生まれたリーウ医師にとっての安堵は、ゆるやかに、悲しかった。

 電話で話したときには、こんなことを、言ってきた。

 「リーウ先生?先生こそ、わしを心配しすぎで、問題じゃよ。ははははは…。わしはもう、この歳じゃ。いつ死んでも、構わんよ」

 しかしそれは、その患者の本音では、なかった。リーウ医師を直接前にして、こんなことを、言ってきた。

 「リーウ先生?死ぬのが、怖いよ…」

 もちろんリーウ医師は、これを否定した。

 「し、死ぬなんてことは、ありませんよ。心配なさらずに」

 だがその言い方は、失敗したと思われた。

 「今は、新型ウイルスの感染におびえさせられる日々じゃ。怖くて怖くて、どうしようもない。あのウイルスは、わしら高齢者の命を、狙っておる」

 高齢患者の顔が、曇っていった。

 「し、死ぬなんてことは…」

 極めてまずい言い方、だった。

 「死ぬなんてことは」

 高齢患者の顔が、引きつった。

高齢者は、こうした小さな言い方1つで、気分を良くしてくれたりしてくれなかったりと、するものだった。

 強きでも、恐れは、広まっていたのだ。

 「新型ウイルスめ…。先生?助けてくれ」

 高齢の患者との付き合いは、如何せん、ハードルが高かった。

 高齢の患者とは、このような話し合いにもなった。

 「リーウ先生?実はのう…。弱音を吐きたくは、ないんじゃが…」

 「どうしましたか?」

 「…」

 「弱音は、吐いても、良いのですよ?それを格好悪いとかみっともないとする方がいますが、私は、そうは、思いませんよ?」

 「そうかのう?」

 「私がいるでは、ないですか?ここには、私しかいません。何でも話してくださって、良いのですよ?」

 「そうじゃのう…」

 勉強になる点は、多すぎた。

 リーウ医師は、こう言ってあげたものだ。

 「弱音は、吐いても良いのですよ?それを格好悪いとかみっともないとする方がいますが、私は、そうは、思いませんよ?」

 それは、ビミョーな言い方だったのだ。

 「弱音を吐くことを格好悪いとかみっともないとする方がいますが、私は、そうは、思いませんよ?」

 これを、こう言い換えていたとしたら、どうだろう?

 「弱音を吐くことを格好悪いとかみっともないとする方がいますが、それは、間違っていると、思います」

 すると、受けとられ方は、劇的に変わったはずだ。

 「私は、そうは、思いませんよ?から、間違っていると、思います」

 その小さな違いが、人の心を、かき乱す。

 「それは、間違っていると、思います」

 そう言われてしまったら、心を開いてあげなければならない高齢患者が、否定されていたように、感じてしまうだろう。

 高齢の患者は、絶望する。

 信じていたはずの医師に、裏切られた感覚に、なってしまうのだ。信じていた学校の先生に裏切られた児童生徒のようにさせないよう、祈るばかりだった。

 学校の先生が、裏でいけないことをやっていたと、知ったとき。

 先生を信じていた子は、絶望だ。

 信じていた人に裏切られたときの衝撃は、計り知れない。

 患者も、同じだ。

 医師も、また。

 心を支えられるありかを考えられない医師は、学校の先生の中に先生と呼べない人がいるのと同じように、真っ当な医師ではない。

 話は戻って、リーウ医師の、診療所だ。

 高齢の患者との面談は、何度しても、勉強になっていた。

 「リーウ先生?面談の前日は、眠れないことが、あるんじゃよ」

 元気じゃ元気じゃとはいっても、実のところは、元気とは言えないんじゃないのだろうかと思わされることも、あった。

 高齢の患者は、がんばり屋さんだ。

 本当は元気ではない自分自身を認めたくなく、他人に見せたくもなく、強がっていたのかも、知れなかった。

 そこで、心の、駆け引きだ。

 「先生?心配は、要りません」

 そう伝えることで、かえって先生に心配をしてもらい、面倒を見てもらう口実を作りたかったのかも、知れなかった。

 わざと意地悪な行為をし、親をはじめ、好きな人に構ってもらいたいと思う子どもの心理状態にも、似ていた。

 医療行為は、教育現場に、通じていた。

 「わざと不都合な行為をし、親をはじめ、教員に構ってもらおうとする」

 精神的にレベルの高い子、たとえば、君はませているね、などと呼ばれるような児童生徒は、この心理テクニックを、上手く操るものだった。

 そうして、人を振り向かせて、自分に有利な状況を作り上げるのだ。

 児童生徒は、巧妙だ。

 が、学校の若い世代の先生は、まだまだ幼稚。こうしたテクニックが理解できず、駆使できないといわれたようだ。

 これが、生活力の差。

 教育力の差と、いうものだ。

 リーウ医師は、新卒世代の先生レベルにならないよう、懸命になった。面談予定の前日は、患者に電話し、こう伝えてあげることにしていた。

 「毎日、大変ですよね?社会皆が、大変なのですよね?明日は、気軽な気分で、面談にきてくださいね?もう、そんなにがんばらなくて、良いのです」

 だんだんとわかってきたことだが、高齢の患者は、1日前までは元気だった状態が、翌日にも同じであるとは、限らなかった。元気を持続させるという行為は、ハードルの高い作業だったのだ。だから、あまりに、がんばらせたくはなかった。

 若い世代の人々とは、違っていた。

 「今日の俺は、元気だ。だから明日も、元気でいよう!」

 若い世代の人々は、簡単に、そう言えた。

 しかしながら、高齢の患者には、その簡単が、難問となっていたようだ。

 「リーウ先生、面談日の前は、眠れんのじゃよう…」

ぼんやりとした何かが、心を邪魔して、眠れなくしていたことがあったという。

 「高齢の患者は、生きることに、不安なのだろうな…」

 面談では、他にもわかったことがあった。

 頼まれていたことを忠実に守ったり、細かくしていないと気が済まないといった思いを抱え、真面目に診察室の前で考え込んでいた人のほうが、崩れやすいということだった

いざ面談をすると、急に、涙を流し出したりとした。かわいそうだった。頼れる人を前に安心を得られたことで、泣き出してしまったのだろう。

 「先生…」

 高齢者が顔を下に向けた姿は、消されはじめた灯のようだった。

 泣かせたのはこちらであったというのに、見てはならないものを生ませ、見なければ良かったと思う身勝手さに、震えがきていた。

 「なぜ私は、このような姿を出させてしまったのだろう?」

 自身の心根を、呪っていた。

 「医師は、悪魔でもある。新型ウイルスのように…」

 新たな気付きが、増えていた。

 「先生…。聞いてくれ」

 「ええ、ええ」

 高齢の患者が、すがりついてきた。

 高齢患者は、がんばりすぎだったろう。

 真面目にがんばりすぎ、踏みとどまれず、さらに突き進み、疲れてしまうのだ。疲れても、立ち上がる。とにかく、走っていく。

 そして、倒れる。

 「悪循環だ…」

 リーウ医師にとっては、ストレスでしかなかった。

 医療の行方は、未知の領域だった。

高齢の患者の中には、がんばりすぎて不調を訴えていたであろう仲間に、こんな声をかけていた人がいた。

 「ほれ、ほれ。あんたは、がんばりすぎなんじゃよ。リーウ先生を困らせて、どうするんじゃ?」

 助け合いの光景が、麗らかだった。

 「良い言葉、だな」

 多少の気晴らしにも、つなげられた。が、喜んで安心してばかりも、いられなかった。

「安心は、禁物だ。そういう人は、自分がわかっていないからこそ、他人に何か言うことができた可能性もあるのだからな」

高齢の患者は、また、心のベクトルが気まぐれでもあった。

 「いつ死んでも、それを受け入れる」

 「問題なんか、ありませんわ」

 そうは言っても、面談室で泣きつかれた。

 「リーウ先生?どうしたら良いのか、わからんのじゃよ…」

 「私…。眠るのが、怖いんです…」

 何だか、哀れにもなっていた。

 上手くなだめられずに帰っていった高齢の患者の後ろ姿が、なんと、絡まった裁縫の糸であったことか。

 泣きつかれた後で、どう返そうか、迷わされていた。

 「本当に問題を抱えさせられ大変なのは、医師では、ありません。患者の、あなた方のほうなのではないですか?」

 リーウ医師は、そう言いたくなって、口を閉ざした。仮にそこで口を開けば、自分はもう、面談をする資格すらない医師であるように、思えたからだ。

 「勉強、ばかりだ…」

 患者は、いつの日も、現れた。現れるどころか、どんどんと、増えていった。

 「新型ウイルスによる感染が、拡大しました!非常事態宣言が出されると、考えてください!社会的制限の一層の強化に、危機感をもってください!」

 TV番組のレポーターが、必死そうだった。

 国会中継では、偉い議員の先生方が、見たくもなかった寝顔を披露していた。

 診療所で苦しむ患者は、後を、絶たなかった。

 「リーウ先生?聞いておくれよ!」

 「先生、先生!」

 「朝から、咳が出る。ゴホッ…」

 「あんたは、そればかりじゃな」

 「だからこうして、ここにきた」

 「そうじゃなあ…。毎日でもきて、こうして、無料で診てもらえるだけ診てもらわなければ、ならん。薬は、出してもらわんで構わんからのう」

 「…なぜじゃ?」

 「診てもらったなら、薬くらい、出してもらえば、良いじゃろう?」

 「薬か?金が、かかるじゃろうが!」

 「そりゃあ、かかるじゃろうが」

 「なあ?」

 「そうよねえ?」

 「あんたらは、わかっていないのう?何のために、リーウ先生の無料診断に毎日きておると、思っておったんじゃ?」

 「体調管理じゃろう?」

 「…そうよねえ?」

 「毎日、無料診断で、元を取るんじゃよ」

 「あんたは、また、その話じゃ」

 「私、明日、エステにいこう」

 「何でじゃ?」

 「きれいにしてから、ここにくるのよ。そうじゃなければ、患者らしくないじゃない。これだって、体調管理みたいなものよ?」

 「…あんた、自分の年齢を、考えなさい」

 「あら、言ったわね?それ、セクハラ」

 「あんたも、そんなことを、言うとる」

 「わしの家の牛が、子どもを産んだ」

 「それ、今は、関係ないんじゃない?」

 「眠いのう…」

「眠れないって、言っていたじゃない!」

 「あんたも、うるさいのう…」

 「私は、リーウ先生と、早く、しゃべりたいわねえ」

 「あんたは、何があったんじゃ?」

 「私の夫が、朝から咳をして、熱を出して、倒れてしまったのよ」

 「そりゃ、本当かい?わしの家では、朝から、水道の水が、止まらんかった」

 「ほれ。言わんこっちゃ、ない。あれだけ口うるさく、メンチカツしておけと、言ったじゃろうに」

 「メンチカツじゃなくって、メンテナンス、でしょう?。ああ、困ったわあ。困ったわあ…。どうしよう」

 困った困ったと言いながら、ご婦人が、リーウ医師の前にきた。

 「今日は、どうされましたか?」

 「リーウ先生?私の夫が、咳をして、熱を出して、倒れてしまったんですよ。私も、そうなってしまうんじゃないでしょうか?今のウイルス騒ぎは、先生なら絶対に、ご存じのはずです。もう、不安で、不安で…」

 このときには、心配要りませんとは、言えなかった。

 私に任せてくださいとも言えないケースがあることも、知った。こんなことを言ってきた高齢の患者が、いたためだ。

 「リーウ先生?腹が、減ったんじゃよ。昨日から、何も、食べとりゃせん」

 が、こう言われたときは、別だ。

 「息子の嫁が、飯を食わせては、くれないんじゃよ」

 すぐに、慌てて、ソーシャルワーカーの知り合いに、電話を入れた。

 「リーウ先生?こちらでは、問題はないと判断しました」

 ソーシャルワーカーがそう言うのも、きっと、もっともなことだった。

 何も食べてはいない、食事を与えてくれないと訴えていた患者は、本人が忘れていただけで、しっかりと、出された食事を平らげていたと、わかったのだ。

 面談は、苦労の連続、だった。

 「リーウ先生?私も、夫のようになってしまうんじゃ、ないのかしら?」

 このときは、心配要りませんと言えないどころか、どうしてそんなことになってしまったのですかとも、言いにくかった。

 あまりに聞きすぎ、プライバシーに踏み込めば、患者の心を閉ざすことになってしまうかも、知れなかった。

 医大時代の友人、ユウイチの言ったこんな言葉が思い出された。

 「リーウ?患者からの聞き取りには、注意しろよ?傾聴姿勢をとるのは良いが、寄り添おうとしすぎてしまえば、プライバシーを傷付けられたと、思われる。医師と患者との間に信頼関係がなくなれば、どうなる?何のケアにも、つながらなくなる。今の若い世代の教員を、見ろ。もはや、児童生徒との間に、信頼関係はない。教員同士でも、傷付けあう状況だ。地方公務員としてのプライドは、ないのか?とはいえ、非常勤勤務で苦しめられる教員もいるわけだから、それ以上は、言えたことではないがな。…とにかく、患者との信頼関係を損ねては、絶対的に、ダメだ!高齢患者は、特に、傷付く。なぜだか、わかるか?高齢者は、そもそもが弱い立場で、何も言えないからだ。学校の児童生徒らと、同じようにな」

 またしても、ご婦人の言葉が降ってきたような気が、した。

 「もう、不安で、不安で…」

 どこまで踏み込んで良いか、迷わされた。

 「私がご婦人の立場に立ってみたら、どうだろうか?」

 心配の言葉のかけすぎは、どこまでもあなたのことを思うという意味もあったが、どこまでも思わなければならないくらい良くない状態ですねと、要注意としてのレッテルを貼ることにもなっていく。

 患者には、不安がられる一方だ。

 「医師は、患者からの聞き取りで、不安を与えるようなことをしては、ならない」

 日々、勉強だった。

 「医師は、常なる勉強の職業」

 立ち向かわなければ、ならなかった。

 「この、新型ウイルス騒ぎは、異常だ。どうした良いのか、難しい」

 闘わなければ、ならなかった。

 医師として。

 感情の吐露の挑戦を受けた、1人の人間として。

 ある患者には、こう言ってあげることにした。

 「誰だって、不安ですよね?私だって、不安なものです。私の甥の例を、思い出しますよ…。甥からも、大変だと聞きました」

 その患者は、リーウ医師の言葉に、食いついてきた。

 「何じゃと?甥に、そして、先生も?先生も、先生も、不安だったのですか?医師なのに、不安でしたか?」

 リーウ医師は、微笑んであげた。

 「ええ。医師なのに、ね」

 リーウ医師は、いくつかの注意点を、払っていた。医大生時代、教授に教わった、会話のテクニックだった。

 ただ、本音は、こうだった。

 「医師なのに不安なのではなく、医師だからこそ、不安なのだ」

 が、これを患者に言えば、傷付く。瞬時に判断し、言葉遣いを、患者のものに、合わせてあげていた。

 「これで、患者は、自身が否定されたと感じることなく、肯定されたと信じて、満足してくれるだろう」

 リーウ医師のその思いは、当たった。

 患者は、目を、キラキラと、輝かせてくれたのだった。

 「そうじゃな!わしは、間違っていなかった。先生に話してみて、楽になったわい」

 リーウ医師は、こうも言ってあげていた。

 「私の甥の例を、思い出しますよ…」

 実をいえば、これは、ウソだった。

 リーウ医師に、甥はいなかった。

 いけないことだとはわかってもついた、工夫のウソ、だった。

 が、こう言ってあげてもまた、患者は、安心してくれるものだ。

 「ええ、本当かい?先生の身内にも、苦労があったのかい?わしだけじゃあ、なかったということか」

 第三者話法により相手の心を開かせるテクニックも、医大生時代に、ユウイチに教わったことだった。

 「先生?我が研究室に、予算を追加配分してください。医療機器を満足に、そろえられません」

 そう言うよりも、こう言うのだ。

 「先生?我が研究室を訪れる患者が、困っています。助けてあげて、ください!進んだ医療機器をそろえてもらわないと命が救われないのではないかと、言うのです。予算の追加配分を、お願いいたします」

 過去のことが、こうも役立ってくるとは、想定外という他、なかった。

 「リーウ先生?」

 「先生は、どこじゃ?」

 「先生?ウイルスことについて、教えてくださいませんか?」

 「新型ウイルスは、また、大きくなっとったんじゃろう?」

 新型ウイルスによる騒ぎが全世界的になればなるほど、患者からの訴えは、増した。

 ウイルスとは、顕微鏡でなければ見えないほどに、小さなものだ。人間の力では、侵入を防ぎようが、なさそうだった。

 ウイルスは、増殖するための酵素をもっていないものだった。自らは、増殖できず。まずは、他の生物の身体を乗っ取っる。

 ウイルスは、単細胞生物であった細菌とは異なったものだ。

 ウイルスは、大きさにも、特徴があった。

 小さすぎるほどに、小さかったのだ。

 マスクの包囲網さえも、突き破って、侵入してくるのだ。

 細菌は、種類にもよるだろうが、1ミリメートルの約10 00分の1の大きさ。

 ウイルスは、1ミリメートルの約1 00 00分の1の大きさ。

 ウイルスは他の生物の細胞に寄生して、身体を、コピーしてしまう。遺伝情報を、勝手に受け継がせるのだ。

 「まったく、何てやつだ」

 送り込まれた遺伝子は、コピーを重ねて、増えていく。新しいウイルスが作られ、それがまたコピーされ、新しいウイルスとなっていくのだ。今回は、さらに、厄介。新型ウイルスは、寄生先の人間の身体に合わせた変化を繰り返して、成長をしていったのだ。

 「何だって?このウイルスは、人間に合わせて、人間を破壊していこうとしていたということなのか?」

 専門家らは、焦りに、焦った。

 そのころ…。

 「あれ?」

 リーウ医師は、診療所であるものを発見し、変な声をあげていた。

 「何だ、これは?」













 診療所内の階段で、1匹のコウモリの死骸が転がり込んでいたのに気が付いた。

 春先のこと、だった。

「なぜ、コウモリが、こんなところにきていたんだ?」

不安を感じ、心苦しめられていた。

 「嫌な予感が、してきた。守るべきたくさんのものを、この不安から、守らなければならない!」

 コウモリは、リーウ医師に、何を気付かせたかったのだろうか?

「死んでいるのか?それとも、休眠活動中なのか?」

 不安ばかりが、漂っていた。

 「これは、あくまで、俺の推測にすぎないが…。これは、今の社会状況の暗示なんじゃないだろうか?まさか、コウモリが…。コウモリが、この社会に新型ウイルスを持ち込んだ張本人なんじゃ、ないのか?」

 時期が時期だけに、不気味すぎていた。

 以前、動物学専門のある友人に教えてもらったことを思い出した。

 「コウモリ、か…」

 コウモリには限らなかったようだが、動物は、活発的な行動をやめ、体温を下げ、不活発な状態になることがあった。

 いわゆる、トーパー。

トーパーとは、休眠を意味する言葉だ。

 このトーパーを継続的におこなう状態が、冬眠と呼ばれる行動だ。冬眠という言葉ならわかりやすく、ああ、あの冬眠のことかと、合点がいくだろう。

トーパーが動物にとって利点になるのは、友人によれば、それが、省エネ行動になるからだったとのことだ。

 たしかに、動物も動かなければ、消費エネルギーを抑えることができただろう。

 トーパーは、コウモリが得意とした行動だったと、聞いていた。

 コウモリが休眠を得意としていたのには、理由があった。

 コウモリは、いつでも眠りの状態に入ることができて、その休眠から冷めるタイミングも、自分自身で、コントロールできたらしかったのだ。

 「良いか、リーウ?コウモリって、さ。トーパーの、猛者なんだよな」

 友人は、言っていた。

 夜行性動物として活動をしている夜間であっても、休憩をしている間は、トーパー状態になっているそうだった。

 何だか、便利な家電製品のようだった。

 もっとも、コウモリのすべての種がトーパーや冬眠をするわけでもないという。

 トーパーの継続、つまり冬眠をするのは、身体が小さく、季節によって食べるものが変わる種だということも、聞いた。ということは、四季の移り変わりが感じられないような熱帯地方に住みつつ植物を主食とするコウモリは、冬眠をしないということだ。

 熱帯コウモリは、基本的に、トーパーもしないという。

 「あのコウモリは、何だったんだ?」

 頭を、かいていた。

 トーパー状態になったコウモリは、ぬいぐるみのように、動かなくなった。体温も下がっているわけで、誰が見ても、死んだものと感じられやすかった。

これには、さらに、続きがあった。

 友人は、こうも言っていた。

 「リーウ?死んでいると思えたコウモリを見つけてしまった場合の困った対処法を、教えよう」

 友人は、ニヤニヤと、悪魔的笑いを浮かべていたものだ。

 倒れているコウモリを、誰かが、見つけるとする。すると、こんなことを、思ってしまうものだ。

 「こいつは、大変だ!助けよう!運べ!」

 善意で、助けようと思ってしまう。動物病院などに、持っていってしまうのだ。

 「リーウ?気を、付けるんだぞ?この緊急措置が、危険なんだ」

 「何だって?」

 「いいかい?コウモリを、どこかに持ち込みしちゃあ、いけないんだ」

 「そうなのか?」

 忘れてはならない忠告、だった。

 「リーウ?コウモリを持ち込まれたら、迷惑どころの話じゃあ、ない。なぜそれをやってはいけないのかと、いうと…」

 「何だ?」

 「ウイルスを運んでしまう危険性があるため、なんだよ」

 ウイルスの言葉が、きつく、襲ってきた。

 「リーウは、医師として、忘れちゃいけない。俺は、動物学的に、遺伝情報のようにして、伝えなければならない」

 「ああ。しかし、妙だな…」

 友人とのやりとりを思い出すたびに、不安が増した。

 診療所のスタッフに無事駆除してもらった後も、モヤモヤは、消えなかった。どうしても、気にかかる点があった。倒れていたコウモリには、見覚えがあったのだ。

 「あの、コウモリは…たしか…」

 リーウ医師は、診療所で倒れていたのは、チスイコウモリという種だったのではないのかと、考えていた。

 何度か考えてみたが、チスイコウモリにしか、見えなかった。

 リーウ医師は、先ほどに思い出した動物学専門の友人から、他にも、いろいろと、聞いていた。

 スマホを、とった。

 「あいつに、聞いてみるとするか」

 不安は、晴れなかった。

 「ああ…。私だ。ちょっと、教えてくれ」

 「何だ?歯の磨き方か、何かか?」

 「違うよ」

 「悪い、悪い」

 「コウモリのこと、だ」

 その一言で、友人の声は、晴れやかに響き渡ってきた。

 「何、コウモリだって?おお。リーウも、ついに、動物学に目覚めたのか!」

 「…そう言うことじゃあ、ないんだが」

 「まあ、良いか」

 「コウモリについて、聞きたい」

 「しかし、なぜだ?コウモリの話なら、数年前にもしてやったような気が、する…」

 「もう少し聞きたいことが、あるんだよ」

 「そうか、わかった」

 「聞いておかないと、不安だからな」

 「不安?誰が、不安なんだ?」

 「きっと、世界が、不安だ」

 「…何だって?リーウは、おかしなことを、言うんだな」

 「おかしなことじゃあ、ないさ。コウモリといえば、ウイルスだ」

 「…まあ、そうかもな」

 「今、世界中で、新型ウイルスの感染騒ぎが起きていることは、知っているはずだ」

 「もちろん」

 「そのウイルスに関連させて、コウモリについても、もう少し、知りたいんだ」

 「そうか!そういうこと、だったのか」

 不謹慎にも、リーウの不安とは裏腹に、威勢が良くなっていた。友人の声は、不安をはね除ける晴れやかさだった。

 友人は、強かった。得意気になり、話してやるぞと言いながらも、スマホでの通話を終了するよう、指示してきた。

 「リーウ?通話は、終了だ」

 「何?」

 「しばらく、待っていてくれ。コウモリ図鑑の良い部分を、画像で、送ってやるよ。話は、それからだ」

 通話を、終了。

 しばらくして、本当に、大量の画像が送られてきた。

 「参ったな…。動物学を、本気にさせてしまったみたいだな。医師のメスに劣らない、鋭い行動だ」

 それから友人は、頼もうともしていなかったことまでも、得意気に、ペラペラと教えてくれたものだった。

 通話が、再開した。

 「このコウモリは、世界の、このあたりに生息しているんだ」

 「このコウモリの名前は、面白いだろう?なぜ、こういう名前になったと思う?どんな物を食べて生息していると、思う?人間に、何をもたらしてくれると、思う?」

 たくさんのことを、興奮気味に、話してくれたものだった。さすがに、聞かされるリーウ医師のほうは、疲れてきてしまった。

 話は、チスイコウモリのことに、及んできた。

 「良し、良いタイミングだ」

 診療所でのできごとを解く絶好の機会に、感じられていた。

ただ、直球勝負は、しなかった。

 ほんのちょっと、友人をからかう風にして話を続け、チスイコウモリのことにつなげようとしてみたのだった。

 動物学に復しゅうでもしたかったのかも、知れなかった。

 「なあ?」

 「何だい、リーウ?」

 「チスイコウモリ…。血を吸うといえば、吸血コウモリっていう言葉を、思い出す。映画なんかで、たまに、聞くじゃないか。ああいうコウモリが現実にいたら、嫌だよな?…ははは。吸血コウモリだなんて、いくら君の動物学知識を使っても、解析しきれないだろうけれどね。吸血コウモリ、か」

 「何?吸血コウモリ、だって?」

 「ファンタジーに、過ぎないかなあ」

 友人を、おちょくってみたつもりだった。

が、返り討ちにされた。

 「リーウ?何を、言っているんだよ?お前は、医師のクセに、理解力もないのか?吸血コウモリは、いるじゃないか」

 「何だって?」

 「さっきから、話をしていたじゃないか」

 「吸血コウモリ、なんだぞ?」

 友人は、それにたいして怒るわけでも呆れるわけでもなく、ぶっきらぼうに、返してきただけだった。

 「吸血コウモリ、いるよ?」

 出前の注文のようで、イラッときた。

 大学院生時代は、どこかの食堂でアルバイトをしていたと聞いていた。その当時のクセが出ていたのかも、知れなかった。

 「何かと、不気味だな」

 世界的な新型ウイルスの感染路を考えた場合、コウモリの存在は、何が何でも無視できないような気がしてきた。

 「リーウ?」

 「何だよ」

 「医師は、その程度のレベルなのか?」

 「失礼な!」

 「吸血コウモリは、本当に存在するんだ」

 医学VS動物学の戦いが、はじまった。

 「今話し出したチスイコウモリが、その、吸血コウモリなんじゃないか」

 「そうか、そうだったな」

 吸血コウモリという種は、物語世界の中だけではなく、本当に、この地球上に存在するのだった。

 「医師も、まだまだ、だな」

 「医師は、完全じゃない。動物学には、必ずしも、詳しくはないよ」

 「リーウ?それは、医師の言い訳なんじゃないのか?…まったく。そのレベルで、命を救えるのかねえ。悲しいね。頼りなさが、医学の取り柄なのか?」

 「言い過ぎだ!」

 「怒るな、怒るな」

 「わからないから、君に、頼っているんじゃないか!」

 「そうだったな。動物学は、教えを請う気持ちを冬眠させちゃったら、いけないよな」

 冬眠の言葉にも、イラッときた。

 が、イライラしても仕方なく、友人にその態度を突っ込まれるのも癪であり、こう、言ってあげることにした。

 「…いつかの君の言葉、良く、覚えているさ。トーパーと冬眠の話は、勉強になったからね。だから今回も、改めて、教えて欲しいんだ。吸血コウモリ、つまりはチスイコウモリの生態について、だ。教えて、欲しい」

 これで、友人は、機嫌を良くしてくれた。

 「わかった、わかった。チスイコウモリについて、だったね。教えよう」

 これにて、一旦、休戦。

 医学対動物学の言い争いは、穏やかな不安のベールを、まとい直していた。

 「リーウ君?しつこいかも知れないが、もう一度、言う。チスイコウモリというグループが、吸血コウモリに分類される」

 「ああ」

 「13 00分の1、だ」

 「何だい、その数字は?」

 友人によれば、世界には、およそだが、13 00種類のコウモリがいるのだそうだ。吸血コウモリであるチスイコウモリは、そのうち3種類のコウモリなのだという。その3種類のコウモリは、リーウ医師らの住む国には、生息していないとも、教えてもらえた。

 「チスイコウモリは、中南米に…。それから、カリブ海などに生息しているんだ。我が国には、いないよ」

 友人は、残念そうに言った。

 リーウ医師とは、逆の思いだったろう。

 「吸血、チスイという怖い言葉から、そんなコウモリは、国には生息していなくて良かったんじゃないのか?」

 そう、思えていたものだ。

 が、友人は、残念でならなかったようだ。

 動物学の執念をも知ったように、なった。

 「我が国にはいない、か…」

 何とも例えようもない事実、だった。

 「我が国にはいないというのなら、私の診療所に入ってきた生き物は、なんだったというのだ?図鑑の画像からも、あれがチスイコウモリだったことは、間違いなさそうだったじゃあ、ないか」

 どういうことなのか、脳が、かゆくなってきた。

 「何かの呪い、なのか?」

 ついには、精神性を案じさせられていた。

 「私は、呪いという幻を、この診療所に招いてしまったとでも、言うのか?」

 まるで、わからなかった。

 チスイコウモリが何かを伝えようとしていたというのなら、変わった奇蹟だとしか、言いようがなかった。

 「リーウ?」

 「チスイコウモリ…。ウイルス…」

 「なあ、リーウ?」

 「やはり、何かの、メタファー…」

 「リーウ、聞いているのか?」

 「…ああ。すまない」

 新型ウイルスに侵入された今の社会状況を見れば、チスイコウモリの侵入事実をどう捉えて表現すべきだったか判別させる手段はまるでなく、何も、言えそうになかった。

 「私は、何も、言えなかった。何かに、ストップを、かけられていたんだ。コウモリにか?ウイルスにか?それとも、医師の無力感にか?この社会、世界全体に、縛られていたのだろうか?」

 友人は、さも得意気に、チスイコウモリの話を、続けてきた。

 「それでな、リーウ?」

 「ああ」

 「世界には、3種類の吸血コウモリが、いる。それは、わかったよな?医師にも、それくらいは、理解できたんだろう?」

 「ああ」

 怒る気はなく、医師にたいする嫌みな言い方に逆襲することなく、素直に聞いていた。

 「リーウは、素直なんだな」

 「…」

 「今どきの新卒教師も、そのくらいの素直さで、ありたいもんだな」

 「…あんなレベルと、一緒にするな。教育界どころか、ヒューマニズムが壊れる」

 「おお、言うねえ。医学は、強いよ」

 「動物学も、な。誇り高き動物学を、他人の血を吸って生きる今どき教育者の変質レベルにしないように聞けって、そう、言いたいんだろう?」

 「言うねえ。リーウちゃん」

 話は、続いた。

 「それで、3種類の吸血コウモリのうち、最も悪いと思われるのが、ナミチスイコウモリだ。ナミチスイコウモリは、知っているだろう?」

 「知らねえよ」

 「…ひどい、言い方だ」

 「今どき教育実習生よりは、ましだろ」

 「…違いない」

 「だろ?」

 「リーウも、言うときには、言うんだな。この、新型ウイルスに襲われる社会で、教育実習生は、すごいものな。トイレに入って出てきて、手を洗いもしない。俺、アルバイトで小学校の理科準備にいって、見ちゃったんだよな。今の若い子って、すごいよな。世界に1つだけのとか、最強オンリーワンだとか知らないが、やりたい放題だ。この、新型ウイルスの社会に、だぜ?信じられるか?トイレから出てきて手も洗わない今どき教育実習生は、職員室に戻って、その手で、児童生徒の学習用具をべたべた触って、他の先生や女子高生とも、触れ合っちゃうわけだろう?変態どころの話じゃあ、ないぜ。まるで、病原体だ。しかし、今は、学校の先生不足社会だから、そういう学生でも、サクッと教員免許をもらって、サクッと、教職に就く。あの学生を採用する側も、おかしいが…。最大の被害は、児童生徒であって…」

 「その話は、今は、やめよう…」

 今度は、リーウ医師のほうが、話の主導権を、握っていた。

 話が、無事に、チスイコウモリに戻った。

 「リーウ?なんの、話だったっけ?」

 「ナミチスイコウモリ、だろう?」

 「そうだった、そうだった」

 「しっかりしろよ、動物学」

 「良いか、リーウ?」

 動物学は、コウモリについての話を、楽しそうに始めてきた。

 ナミチスイコウモリという種は、牛や馬、それから、ヤギや豚といった家畜から血を吸うということ、らしかった。困るのは、その血だけでは飽き足らなかったらしいと、いうことだ。

 たまに、人間が寝ているところ襲って、血を吸いとってしまうことがあるそうだ。

 ナミチスイコウモリの生息場所は、ほとんどが、家畜のいるような牧場の近くだということだ。

 それから、洞窟や廃屋、トンネルなど。

 「私の診療所には、似つかわしくないな。診療所に倒れていたのは、このコウモリではないのだろう」

 その他の2種類のチスイコウモリについても、襲えてもらった。

 「その他は、シロチスイコウモリと、ケアシチスイコウモリだ」

 それらのコウモリが血を吸う獲物は、たいていが、鳥類からだという。

 シロチスイコウモリの生活方法について、頼んでもいないのに、教えてもらえた。

 「木登りが上手く、枝を使っての移動が、得意なんだよ」

 「そうか。それは、良かったな」

 嫌な2人に、なっていた。

 ケアシチスイコウモリは、視力が良いのが特徴だと、教えてもらった。

 「このコウモリも、私の診療所には、似つかわしくない。このコウモリも、違うのか」

 リーウ医師の不安が、復活してきた。

 コウモリにまつわる研究は、完全に済んでいたわけでは、なさそうだった。それでもその友人の声は、意気揚々としていた。

 「リーウ?ここまできてこう言うのもなんだが、シロチスイコウモリと、ケアシチスイコウモリの研究は、まだ進んでいない」

 「何?」

 「ここまで、だったな?」

 「何だって?」

 「とはいえ、ウソ」

 今度は、友人による逆襲が、はじまった。

 「ナミチスイコウモリがいるから、そいつのおかげで、面白いことがわかってきた」

 生身の動物学は、役立った。

 「リーウ?だから、これからは、ナミチスイコウモリについての話をしてあげようかなと、思う。ここまでコウモリに興味をもってくれた君には、待ち望んでいた情報に、なるだろう。まあ、聞いてもらいたい」

 ナミチスイコウモリ話が、冗舌な動物学語りで、はじめられた。

 「なあ、リーウ?そもそも、チスイコウモリって、怖い名前だと、思うだろう?」

 「ま、まあね…」

 「血を吸う…。そこからチスイコウモリなんだから、怖いのも、当然か」

 「そりゃあ、まあ…」

 「しかし、その名のイメージも、偏見で一杯さ」

 「偏見?」

 友人は、笑っていた。

 「チスイコウモリは、本当は、面白かっこいいんだぜ?」

 「面白、かっこいい?」

 「そうだ。面白、かっこいいんだよ」

 「面白、かっこいい、か…。どこかで聞いたセリフ、だなあ…」

 「ずいぶん前のTV…。そんなの今は、良いじゃないか。リーウ」

 「言ったのは、そっちじゃないか…」

 チスイコウモリは、そのネーミングからいって、誤解だらけだったらしい。もっとも、その誤解も、友人にとってみれば、格好の研究材料だったようだ。

 「リーウ、良いかい?チスイコウモリといっても、吸い付いて、相手から、チュウチュウチュウパッパと血を吸うわけじゃあ、ないんだ。毛管現象という、物理学で…。お前、物理学が好きだろう?重力に逆らって、液体が管の中を動いていく、あの現象で、上手く吸い上げるんだな」

 「へえ。吸血鬼の仕草じゃあなかったか」

 知りたかった新型ウイルス関連の話ではなかったということで、飽きてきた。血の吸い方話は、どうでも良く、聞こえていた。

 が、友人は、楽しそうでしかなかった。

 動物学は、強かった。

 こうなったらリーウ医師は、専門分野を刺激された研究者の快楽物質を上手く操ってやるしかなかった。

 動物学の語りコースを、保護していた。

 「どうだ、すごいだろう。リーウ」

 「ああ。すごいな」

 「動物学は、偉大だろう?」

 「ああ、偉大だとも」

 「医学にも、負けない」

 「ああ、負けないとも」

 「続きを、話してあげようかな?」

 「ああ、話してくれ」

 チスイコウモリは、獲物が寝静まった夜になって、動きはじめるのだという。

 のんびりと飛んで、ターゲットを見つけにいくのだ。

 ウロウロと、飛んでいく。

 獲物を、見つける。

 が、すぐには、獲物を攻撃しない。

 「少し離れた場所に降り立って、獲物の様子を、伺うんだよ。トンボのように、ターゲットに迫っていくんだね」

 何も、言えそうになかった。

 「トンボのことなんて、知らないよ」

 そうは思ったものの、口に出せば、機嫌を損ねられ話が中断されるか、怒られると予想できていたので、黙っていることとした。

 「リーウ?ここから、なんだよ!」

 「わかったよ」

 獲物に近付く、チスイコウモリ。

 その後、2足歩行で…、と思いきや、そうはしない。4足歩行で、トコトコと獲物に近付き、血を吸うための都合良い患部を見つけるのだという。

 「リーウ?ここが、すごいんだ!」

 本格的な動物学の話に、なってきた。

 「…」

 話を、早くウイルスと医学の話につなげたかった。

 が、黙っていてやった。

 「リーウ?」

 「ああ。血を吸う場所を、見つけるわけだろう?耳とか、足とか…」

 すると友人の声は、小躍りをはじめた。

 「その患部を、どうやって見つけるんだと思う?」

 「さあ」

 友人の声が、上ずった。

 「なんと、驚け!ピット器官のようなスーパーセンサーで、見つけるんだよ」

 「ピット器官?」

 「蛇が、もっているじゃないか」

 その名なら、すぐに、思い出せた。

 「ああ」

 「鼻のあたりに、ついているだろう?」

 「たしかそれって、赤外線センサーに似たような、不思議感覚器官のことだったな。そうだよな?」

 「リーウ?その通り、だ」

 何となく、話の流れが、わかってきた。

 ここにきて、変な倒錯に気付かされた。

 「医学が、動物学を、上手く操ったぞ!」

 そう思っていたのだが、いつしかそれも逆転し、動物学のほうにこそ、上手く、操られてしまっていたのだった。早く、チスイコウモリとウイルスの関係性を見出したかった。が、焦れば焦るほど、おとなしく従うしかなかったようだ。

 ピット器官は、獲物の、体温がやや高く血管が集まっていると考えられる場所を見つけてくれるセンサーだ。

 「これを持っているのは、ほぼほぼ、蛇とチスイコウモリくらいなんだ。どうだ、知らなかったろう?」

 「ああ。知らなかった」

 「リーウ?日常で、ピット器官について考えたことは?」

 「…ない」

 「そうか」

 「すごいだろう?」

 「そうか、すごいな」

 リーウ医師は、心が込められていそうにない賛辞を、贈っていた。

 友人は、本当に、楽しそうだった。

 「良いか、リーウ?血を吸うために、血管の位置を見つけたら、攻める。その箇所を、舐める。ぺろぺろと、丁寧に。まるで俺が、プリンの容器のフタ部分も、舐めるように」

 「…」

 「なぜかって?プリンのあの甘い部分を見逃せば、もったいないからだ。動物学としては、失格であってだなあ…」

 「わかった、わかったよ」

 しかし、この行為には、言わずと知れた危険があった。知らなかった人は、知っておきたいものだ。

 プリンのフタは、金属加工された紙で覆われることも、しばしば。気を付けて舐めなければ、舌を切ってしまうことがあったのだ。

 プリンのフタを舐めて出血したら、残念無念だ。

 「…痛い!舌を、切ったぞ!あれ?このプリン、鉄の味がするぞ?…そうか!血の主成分は、鉄だったな。そういうこと、か…。理科の先生が言っていたことは、本当だった」

 話は、戻された。

 「リーウ、わかった?」

 「わかった、わかった」

 「そうか、わかってくれたか」

 それで、チスイコウモリは血管部分を舐めるわけだが、そのときコウモリたちの唾液には、麻酔として効き目のある酵素が、含まれているという。奴らには、局部麻酔が、できるわけだ。チスイコウモリも、医師のようなものだったのかも、知れないな。麻酔科だから、ずいぶんな、専門分野だな」

 やっと、医師らしい話に、つながってきていた。

 「それで、その酵素が、どうしたっていうんだ?ウイルスか?それともそれは、ワクチン的な効果をもつ物とでも、いうのか?」

 「そうか、そうか。リーウ。それほどまでに、聞きたくなったのかね?」

 どちらが話をコントロールしていたのか、わからなくなってきていた。

 コウモリの話は、妙に気になっていた。

 チスイコウモリの唾液は、役に立つのだという。実際に、その唾液によって血栓溶解剤が作られて、脳梗塞の治療に生かされているということが、わかった。その血栓溶解剤のネーミングが、すごかった。

 「ドラキュリン」

 本当に、そういう名前だったらしい。

 その薬剤は、人の命を救った。

 意外や、吸血コウモリという物騒なネーミングをされたチスイコウモリは、物騒で危険どころか、社会の役に立っていたのだった。

 難しい比喩に、聞こえていた。

 「それは、病人を救うものでもある…。だからあのコウモリたちは、病人を診るこの診療所に、きていたのだろうか?…いや。考え過ぎか?それにしても気になるのは、生息場所についてだ。奴らは、この国にいるべきコウモリではないはずなんだ。これは、どうしたことなんだ?いくら考えても、不可解だ。この国が、熱帯になっているということなのか?温暖化の波は、ここまできたと、いうのか?チスイコウモリ、か…。誰かが持ち込んだ、外来種なのか?だとすれば、持ち込んだのは、誰だ?神か、悪魔か?それとも…?あの侵入は、世界を脅かす、知らせなのか?」

 困惑した。

 チスイコウモリについて、改めて知らなければ、ならなかった。

友人との通話を終え、インターネット情報から新たな知識を得ようと、格闘をはじめていた。

 こんなサイトが、見つかった。

 「医療従事者にも、知ってもらいたい!チスイコウモリの、利他的な行動について」

 利他的…。

 利他的とは、こんなことを意味した言葉、だった。

 「たとえ自分自身では損だと思われたとしても、他人のために、行動をすること」

 チスイコウモリは、そのような行動をとる生き物だったのだろうか?

 「おお」

 サイトの中身を追うと、驚きの生態が、書かれていた。

 チスイコウモリは、食事にありつけずに空腹を感じている仲間がいると見つけたら、苦労して吸って飲めた血を、一旦吐き戻し、その仲間に、分け与えるのだという。

 「仲間思い、だな」

 分け与える方法が口移しであったという点だけは、感染予防を宣言したこの新型ウイルス騒ぎの社会には合わなかったが、やりたかったことには、感心できていた。

 「血を分けてあげる相手は、近い仲間であるとは、限らない。家族ら、血縁関係にある個体でない場合も、多い」

これには、驚きだった。

 悪くいえば、無差別救助だったのだ。

 吸血鬼のような震えるイメージはさて置いて、団結した仲間社会を作ろうと、まさに、利他的に振る舞っていたというのだ。

 こうした優しい行動をとるほ乳類は、極めて珍しいという。

 「そうだよな。こいつは、珍しい…」

 画面を、追った。

 それは、全社会的な危機に陥ってしまった状況で、人間同士がどう助け合えば良いのか教訓を与えてくれた行動のように思われて、ならなかった。

 ここで、気になったことがあった。

 「チスイコウモリは、仲間から、血を分けてもらえるわけだ。それならなぜ、診療所で倒れてしまう個体が、出てしまったんだ?なぜ、仲間に助けてもらえなかったんだ?」

 その点も、説明されていた。

 「何、何…?」

 診療所で倒れていたチスイコウモリの心情が理解できてきたように、感じられた。

 チスイコウモリが主食とする血液は、そもそも、消化が早いのだという。

 そのためなのか、2日も獲物の血を吸えないと、餓死をしてしまうのだという。

 「そうか…。そうして、血を切らして、診療所で倒れていたのかも知れないな。自然界とは、辛いものだ」

 人間の社会に似た凄惨さを、覚えていた。

 診療所に倒れていたのがチスイコウモリで間違いなかったとすれば、疑問にならざるを得なかった。

 「おかしいな…。たしか、チスイコウモリは、南米の暑い地方に生息をしていたと、聞いていた…。そこは、熱帯地方といって、良かったはずだ。熱帯地方に生息をしていたコウモリであるとすれば、診療所に倒れていた理由は、冬眠でもトーパーでも、ないことになる。…何が何だか、わからなくなってきたぞ。あのコウモリが、悪魔的なメタファーでないことを、願うばかりだ」

 新型ウイルスの流行によるものと見られる異常は、各地各国で、見られたようだ。

 「政府の決定に、従うこと!」

 事態が、また、嫌な方向に進んだ。

 リーウ医師のいた某国政府は、ある命令を出した。

 「都市封鎖、すなわちロックダウンを、宣言する。ロックダウンだ。この町から外に出ては、ならない」

 「政府命令だ。ロックダウンだ!」

 「この国のこの地域も汚染された場所であると、考えられる」

 封鎖されたリーウたちの住む市には、沈黙の風が、もたらされた。

 「ウイルスの拡散を防ぐためにも、ここから出ていっては、ならない」

 政府の命令が、強まった。

 「包囲網を、拡張する」

 その市が大きな河に囲まれていたことは、政府にとって、都合の良い引き金となった。

 「ゲートを、張ります」

 政府の命令によって、市民は、川を渡って隣りの市に出かけていくことが、できなくなった。

 「冗談じゃあ、ないぞ?」

 「政府は、正気か?」

 突然の事態に、市民は、慌てふためいた。

 ゲートのすぐ近くには、衛兵所も設置されて、駐在を命じられた衛兵たちが、厳しいチェックをおこなっていた。

 政府の許可がなければ、物流もままならない状態と、なった。

 遊びの機会も大幅に制限され、子どもたちの心が、すさんでいった。それに加えて、会社も休業要請をかけられたのだから、たまったものではなかった。

 「仕事が、なくなったぞ!」

 「収入が、途絶える!」

 多くの人が、困惑した。

 実際には、仕事が完全になくなることは、なかった。

 会社には直接いかなくても、リモートで働ける手段が、残されたからだ。が、普段働きに出てくれるからこそ、場が静香になり安心できた家庭模様の調子が、狂わされた。

 「こんなはずじゃあ、なかったのに」

 「普段、働きに出てくれていなくなるから良いのに、朝からずっと家でパソコンを立ち上げられて仕事をされたんじゃあ、邪魔。何か手伝うことはあるじゃあ、ないわよう。邪魔。かえって、邪魔」

 人の心が、傷付けられていった。

 「ウイルス感染の騒ぎが、まさか、家庭生活にもこれだけの問題を残すだなんて、思わなかったわ」

 落胆が、続いた。

 仕事の機会を失ってしまった人々は、家に閉じこもるしか、なくなっていった。外の世界から隔離されたみじめさを、味わうことになった。

 「外出は、控えてください」

 政府の命令が強化を続けていったことで、言うことを聞かないと、本当に、誰からも相手にされなくなるのではないかという不安すら、植え付けられていった。

 ただ、怖くなった。

 見えないウイルスよりも、人間の視線のほうが、見えるからこそ余計に、怖くなっていったのだった。

 外出できないことで、家の中にこもって何かをするための物資やサービスが、もてはやされていった。

 そこで、巣ごもり需要といって、外出できなくなった人々によるリモートでのショッピングも、求められた。

 その部分のみでは、経済も潤っていたと、言えた。

 とはいえ、普段働きに出られるはずだった会社の休業のほうが事件であると思われ、社会経済の停滞、経営不振のほうが、はるかに大ダメージに感じられていた。

 会社好きのビジネスマンは、精神的な不安にも、陥った。

 「働けない俺とは、何なのか?家族を養えない俺の立場は、何なのか?こういうときになったからこその、怖さだ…」

 人間とは怖いもので、このような社会的ピンチを味わうと、心のからくりが、合理化を見せた。

 普段は、家族を養うためだけの意志で、会社にいって働いていたというわけではなかった人も、崩れ去るしかなかった。こういうときだからこそ、自分自身の力で家族を養う充実感を感じられてしまうという、人間の都合の良さに、おののいていた。

 「俺が働かないと、家族は、死ぬ」

 普段はそんなこと思いもしなかった人も、こういうときばかりは、見えざる精神的麻痺に、圧迫されてしまうのだった。

 「きっと家族は、俺が働けない様子に、涙していることだろうな」

 そう感じられた自身が、異様だった。多くの人が不安に陥り、内面的な戦争状態と停戦状態を同時に味わい、疲れていくのだった。

 「世界って、何なのだろう?」

 窓の外を、眺めていた。

 「先生?咳が、止まらないんだ。診てくれないかね」

 近所に住む高齢者が、やってきた。

 「そこに、お座りください」

 リーウ医師は、無力感に、沈んでいた。  

「…こんな日々で、良いのか?私は、医師であって、医師にはなりきれない感覚だ。このウイルス騒ぎは、何なのだ。人を助けるとは、どういうことなのか?私には、近所の人を診てあげることしか、できないのか。社会に出るたくさんの困窮者を診てあげることまでは、できない。ここが大病院ではないからだとか、そういう問題でも、ないだろう。私は、無力だ…。医師は、何のためにある?医学は、何のためにある?無力だ…」

 毎日毎日が、新型ウイルスに苦しむ人々を診るための時間としてでしか存在し得ないような感覚に、心つぶされていた。

 とにかく、不安だった。

 「世界が、止まってしまったようだな」

 国境を越えるような人々の移動は、大幅な制限を、受け続けた。仕事を休んで静養し、復帰し、また仕事に臨もうとしても、ポストはなかった。

 「私は、こんなことをしていても、良いのだろうか?近所に住む人たちの身体の調子を診ることだけが、医師の仕事なのか?もっともっと困っている人が、散らばっているというのに…。そしてその人たちが、助けを求めていると、いうのに…」

 窓の外が、いじらしく、映っていた。

 「先生よう…?」

 悲しげな顔をした患者が、現れた。

 「どうしましたか?」

 「孫が、よう…」

 「おや、あんたのところもかい?」

 高齢者が、集まってきた。

 「プカン国が都市封鎖される前に、ギリギリになって帰国できた孫は、運が良かった。じゃが、その幸運も、長くは続かず。帰国後に、普段の学校への登校を、拒否されたというんじゃよ」

 「それは、本当か?」

 「わしの孫も、言うとった」

 これは、聞き逃せなかった。

 医療従事者の子どももいじめにあっていたという共通不安を、知り合いの医師から、聞いていたからだ。

 不安は、消えることなく、襲っていた。

 「外の世界をつないで働くとは、何なのだろう?助けることの意味も、良く、わからなくなってきたな。世界をつなぐ、か…。国際化も、この状況では、不安だな」

 国際化というものは、たとえば、専門性を高められた会社が、インターネットに見られるほどの情報網を駆使できていくことで、可能になれた。会社というのは、その情報網を作り上げていくために、競争に競争を重ねていくものでもあった。

 それが今は、そのための準備運動すら、させてくれない状況にあった。会社は、競争相手を見失っていただろう。

 リーウ医師は、こんな夢を見たことが、あった。

 心身共に、疲れ切っていた。

 「先生、さようなら」

「俺も」

 「俺もだよ」

 「私も、です」

 数人の高齢者患者が、お別れを言いに、リーウ医師を訪れた。

訪れた先は、リーウ医師の診療所だった。

「さようならって、どういう意味なんですか?それよりも、皆さんは、今、私の医院に寝ていたはずじゃあ、ありませんか?一体、どうしたっていうんですか?私には、何が何だか、さっぱり…」

 ただ、驚かされた。

 訪れてきた人は、皆、おかしな恰好をしていた。それぞれ、農作業の服装など、普段着だったのだ。

 「先生、さようなら」

 「ありがとう」

 「リーウ先生?こんなに素晴らしい医療環境の中で世話をしてもらい、栄養のある食事だって、とることができました。だから私たちは、ここまで、生きることができたんだと思います。感謝、しています」

 「先生?ありがとうよ」

 「もう、いくよ」

 「ありがとう、ございました」

 引き留めるしか、なかった。

 「さようならだなんて言わないで、ください。皆さんは、これから良くなる身では、ないですか?」

 「先生、もう、良いんだ」

 「辛かったよ…」

 「そうよね」

 「先生は、良く、やってくださいました」

 「そうよ」

 「辛かったがなあ…」

 「先生?外出の自粛が、宣言されておったじゃろう?感染を防ぐためには、もっともな宣言じゃろう。じゃがなあ、辛かったよ…」

 「そうだよなあ…。先生、俺もだ」

 「私もよ」

 「外出できないのは、辛かった。それだけで、病気にかかったような気分になるよ」

 訴えは、続いた。

 「うつ病に、なってしまうようじゃよ」

 「不安ばかり、なのよ」

 そうしてまた、皆の言葉は、リーウ医師への感謝へと、変わっていったのだった。

 「先生?ありがとうよ」

 「もう、いくよ」

 「先生、もう、良いんだ」

 ずいぶんと、嫌な言葉に聞こえていた。

 「良いって、どういう意味なのでしょう?心配は、いりませんよ。私が、皆さんを治すのですから」

 なぜか、リーウ医師の言葉は、彼らのものとは反比例に、反発心を覚えていった。

 政府の外出自粛要請に迷い、傷付きさまよう高齢者たちの声が、やんわりと、突き刺さってきた。

 特にこの訴えは、忘れられなかった。

 「外出できないのは、辛かった。それだけで、病気にかかったような気分になる」

 その言葉を、再度整理してみようかと、思えていた。

 「考えよう。医師らしく…」

 医師としての責任感が、にじみ出ていた。

 「うつ病に、なってしまうようじゃよ」

気の毒で、ならなかった。

 「不安ばかり、なのよ」

そう言っていた人も、いたはずだった。

 うつ病と不安との関係について、考えさせられた。

 外出できず、一日中家にこもっていれば、どうなってしまうのか?つまりは、日光に当たらない生活だと、どうなってしまうのか?

 それには、医学上、教えが用意できた。

 脳内物質のメラトニンというものが減っていき、眠りの状態が悪くなってしまうと、わかってきていたのだ。

 さらには、メラトニンに加えて、神経伝達物質のセロトニンも減ると、わかっていた。

 これにより、人間は、強い不安を感じるようになっていく。

 「嫌だ。嫌だ…」

 「外出も、できないなんて…」

 「閉じ込められてしまった、感じだわ…」

 ついには、病気を発症してしまう。

 「外出できないのなら、しない。もう、外出をしたいとも思わないようになった。私には、何もできないよ。嫌だ…」

 うつ病の、はじまりだ。

 「こんなうつ病は、治したい」

 「でも、外出が、自粛されている」

 「何もかも、嫌だ…」

 そうなのだ。

 結局は、外出が自粛をかけられてしまった以上、出かけるのもおっくうで、八方ふさがりとなるしかないのだ。

 近所の人と顔を合わせ、安否確認をとりあい、励ましあうこともできない。会話ができないのは、言うまでもない。

 「誰とも、話せないのか…」

 「隔離とは、こんなにも、恐ろしいものだったとは…」

 「そうよねえ」

 「どうしよう?」

 「そうじゃよ。どうしようか?」

 「私、もう1週間近く、誰とも、しゃべっていないわ」

 「オンラインといったもので、会話をすれば、良いんじゃないのかい?」

 「でも…。会話で、ウイルスが伝染しちゃったら、どうするのよ」

 「そんなことは、ないよ」

 「会話じゃ、ウイルスは、伝染などせん」

 「え、違うの?」

 「勉強しなさいな、あんた」

 「だって…」

 「だって、何じゃ?」

 「だって私、大量入社の金の卵で、新卒一括採用世代だから」

 「何を、言っておるんじゃ」

 「あら?勉強なんて、必要なかったわ」

 「それとこれとは、話が、違うじゃろう」

 「そうじゃよう」

 「ちょっと、どういうことなの?」

 「あんたの孫も、新卒一括採用の子か?」

 「…そうだけれど」

 「困ったのう」

 「まったくじゃわい」

 このくらいは話したいものだが、そうも理想的には、いかないだろう。

 近所付き合いの会話も、自粛になっていくのか。

 不安は、さらに、増していった。

 すると、うつ病は、悪化していくだけだ。

特に子どもは気の毒で、外に遊びにも行けなくなっていたと、聞いた。この点から考えるのであれば、外出の自粛は、必ずしも安心して賛同できるものではなかったようだ。

 精神医学上では、特に、賛同しづらかったはずだ。

 「外の光を浴びられずに、他人とも話せないような生活を強要した状況で、本当に、人を守れるのだろうか?」

 医師であれば、もっともな疑問だったか。

 医師といっても、精神医学上ではあるが。

 「じゃあ、先生?他の科、たとえば、感染の専門科では、意見が違うの?」

 「ええ。違うことも、あるのです」

 そしてその違いが、医学上、大きな足かせを作ってしまっている。

 「今の医学は、力不足なんじゃないの?」

 それは、もっともな批判だ。

 こればかりは、医学上の欠点だ。特に、リーウ医師の国では、大欠点となっていた。それについては、もう少し後で、触れなければならない。

 外出が自粛されたということでは、他にもまた、問題が出た。

 「基本的には、運動量が減っていく」

 新たな不安として、浮かび上がった。

 「運動量が減れば、どうなるものか?」

 その答えは、単純明快だ。

 「腹が、減らない」

 そういうこと、だ。

 そこで、こう言う人が出てくる。

 「腹は、減っていない。食事は、抜くよ」

 「面倒だから、食べない」

 「食事を作るのも、面倒だ」

 「これも、省エネ自粛生活だわ」

 必ず、出てくる。

 そうすれば、今度は、どうなってしまうのか?

 身体全体に栄養が充分に回らなくなり、病気を、起こしやすくなってしまうのだ。

 うつ病で気分がさえなければ、酒でも飲みたいと考える人だって、出てくる。が、社会は自粛期間中であって、店も、早い時間に閉店してしまう。

 「もっと、飲みたいのになあ…。もう、閉店なのか」

 今度は、こう思う人が、出てくる。

 「そうだ!家で、飲もう!」

 帰宅後の1人飲みが、はじまる。

 1人飲みも、困りごとだ。

 1人で飲めば、適量でストップをかけてくれる人も、いなくなるからだ。これでアルコール依存症の人が増えていくということは、誰にも、想像できるだろう。

 「大勢で集まっては、ならない。密を、避けろ」

 その意見は、尊重できた。

 感染を拡大させないためには、それも、もっともなことだ。

 とはいえ、宴会のように大勢で飲むことにも、メリットがあった。適当なところで、ストップがかけられやすくなった点だ。

 「もう、飲み過ぎだぞ!」

 「そうだ、そうだ」

 「これ以上は、飲むな!」

このコミュニケーションがとれるのは、大勢飲みの良きところ、だった。店が開いていたのなら、ストップも、強きになれた。

 1人飲みストップをかけるのは、困難。

 飲み過ぎでブレーキがかからない人が出るわ、誰かに起こしてもらえるだろうと無責任に考えて、記憶が無くなるまで飲んでしまう人も出るわ、てんやわんや。特に、リーウ医師の国では、注意が必要だった。

 「もっと、飲みたいなあ…」

 そう思えば、コンビニ普及国であったがために、どこかで必ず酒を手に入れられるという状況に、なるのだ。

 困った人は、他にもいたようだ。

 「夜、酒を飲む…」

 ということは、日光に当たっていないと、いうことだ。

 ここで、先ほど触れた脳内物質メラトニンが、再登場。

 日光に当たらないまま1人飲みをすれば、メラトニンが減少。眠りの状態が、悪化。

 すると、こう思うかも知れない。

 「眠れない…。酒でも、飲むか。酒を飲めば、眠れるだろう。ちょっとだけ、飲もう」

 ついつい、飲む量も、増えていく。

 自粛生活が、アルコール依存症を誘ってしまう。結果的に、自殺を起こさせるというデータも、あったようだ。

「社会では、皆がやるべきこと」

それが、精神科医による見解では、変化。「社会では、やるべきではないこと」

 そう、変わっていくのだった。

 医学では、専門科により、見解が分かれてしまうことがあった。

 すでに、こんなことが言われていた。

 「今の医学は、力不足なんじゃないの?」

 それは、もっともな批判だ。

 こればかりは、医学上の欠点だ。特に、リーウ医師の国では、大欠点となっていた。それについては、もう少し後で、触れなければならないのか?

 医学上は、医療従事者の間でも、専門分野の区分が上手くできていないのが、現状だ。縦割り医学構造に問題があると、考えられそうだ。

 こんな声を、聞くだろう。

 「大病院って、良いよね?」

 「たくさん診てもらえて、助かる」

 あながち、間違った意見などではない。

 たしかに、大病院では、たくさん抱える身体の問題を、1人の医師から複数診てもらえて、便利でもあったろう。

 が、便利も、言い換えれば、怖い。

 「何でも、ひとまとめに診られてしまう」

そう、感じられるからだ。

 医学上、理想的には、専門分野を分けて診てもらうべきだ。

 医学は、まだまだ、完全ではなかった。

 人間の仕事だからこそ、完全ではなく、見逃しが怖かった。

 その見逃しを防ぐためにも、専門医に診てもらいたいものだ。

 とはいえそれは、あくまで、理想。

 現実には、地方に、医師がいなかった。リーウ医師の学生時代が、思い起こされたものだ。地方の人は、どうすれば、良いのか?どうすれば、患者らを救ってあげられるのだろうか?

 「町の大病院で、こんなことを、言われました。リーウ先生は、どう思いますか?」

 そうして、セカンドオピニオンに頼れる患者は、幸運だった。地方のリーウ医師は、その意味で、存在感が出ていたことになる。患者の多様性も考えられなければ、医学は、窮地に陥る。

 この、社会的世界的な感染騒ぎで、自戒しなければならない。

 現実には、国に医師が足りないなどの問題があり、対処は、容易ではない。大学の医学部定員を上げ、医師を大量採用し、乱発しても、解決しない。

 「ペーパーテスト上の学力だけを追求させた医師を増やしては、ダメだ。そんなんじゃあ、患者とは、向き合えない」

 リーウ医師は、ここで、気付いた。

 「おっと、しまった…。医学批判に、なってしまった」

 反省して、頭を、切り替えた。

 患者らは、前に、立っていたままだ。

 その患者らは、微笑んだ。

 「新型ウイルスは、想像以上だったよ」

 「先生は、わしらに、良くやってくれた」

 「感謝しておるでのう」

 「先生、ありがとう」

 とにかく、引き留めるしか、なかった。

 必死に、なっていた。

 何よりも、皆の気持ちを、引き留めようとしていた。

 「ちょっと、皆さん?何を、言いますか!私が、何か、悪いことでもしたのですか?もしそうであったなら、謝ります。ですから、さようならだなんて悲しいことは、言わないでください!私は、医師ですよ?皆さんを救うと約束した、医師なのですよ?どうか、落ち着いてください。医学の力を、信じてください。私が、治しますから」

 言うと、患者らは、先ほどと同じように微笑んだ。

 「良いんだよ、先生」

 「ありがとう」

 「先生?新型ウイルスが、想像以上に強かったんじゃ。そういうことじゃあ、ないのかね?」

 「先生は、良くやってくれましたわ」

 頭を、下げられた。

 リーウ医師は、汗びっしょりとなって、目覚めた。

 「あの人たち…」

 夢で語りかけてきた数人の顔が、忘れられなかった。

 部屋の扉が、叩かれた。

 「先生…。あのう。ちょっと、よろしいでしょうか?」

 「ああ。何かね?」

 「先生…」

 看護師が、リーウ医師の部屋に、入ってきた。

 「先生?実は…」

 夢で見た数人の高齢者患者が、夜中に亡くなったことを、知った。

「あの高齢者たちは、私に、何を、言いたかったんだろうか?」

何となく、気にかかっていた。

 「高齢者は、新型ウイルスによるこの感染騒ぎの大要因にも、患者として、大きく関わっていた…。それが理由で、私に、あのような夢を、見させたのだろうか?」

 何度となく、彼らの言葉が、耳に付きまとってきた。

 「先生…」

 「先生…」

 高齢者について、考えてみた。

 高齢者は、新型ウイルスによるこの感染騒ぎの、大きなキーワードになっていた。

 現実的に、リーウ医師の国では、新型ウイルスによるものと見られる死者の多くが、高齢者で、占められていた。

 「高齢者になればなるほど、重症化しやすくなります」

 TV番組で、そう発表されていた。

 それはすなわち、新型ウイルスによる感染死亡者は、高齢者人口が多ければ多いほどに増えてしまうということを、意味していた。

 「私の国は、より、危険なのか…?」

 世界機関が発表したデータによれば、高齢者比率では、リーウ医師の国が、世界中でトップだったということだ。

 「我が国には、それほどまでに、高齢者がいたものか…」

 その事実を踏まえていうのであれば、リーウ医師の国が、世界で最も感染リスクの高い国だったということも、できたはずだ。

 が、その予想を翻して、被害は、最小限に抑えられていた。

 「この事実…、喜ぶべきか?」

 もちろん、喜びたい気持ちはあった。

 喜ぶべきでも、あった。

 だがそれでも、奇妙で、手放しには喜べなかったことがあった。

 何度も言うようだが、高齢者を世界トップレベルで抱えていたリーウ医師の国が、最も感染リスクの高い国だったということが、できたはずだからだ。

 何度も、考えさせられていた。

 「私の国には、高齢者が、多い…。高齢者は、新型ウイルスの感染被害を受けやすいということだ。だが実際は、どうか?被害は、想定内の範囲に抑えられているようだ。これは、どういうわけなのだろうか?」

 夢の中の高齢者たちは、こう言っていた。

 「リーウ先生?素晴らしい医療環境の中で世話をしてもらい、栄養のある食事も、とることができました。だから私たちは、ここまで、生きることができたんだと思います」

 その言葉に、新型ウイルスの感染に打ち勝つための大きなヒントがあったように、思えていた。

 「今後も、高齢者には、最善の環境を整えてあげなければならないのだ!患者が誰であっても、そうすべきなのだろう。そうした努力を重ねられれば、もしかしたら、この騒ぎも、抑えられるかも知れない。希望は、捨ててはならない」

 心を、高く、保っていた。

 「あの高齢者たちは、良いことを、教えてくれたのだ。これを生かせなければ、ならない。高齢者だけじゃあ、ない。子どもたちだって、苦しんでいるんだ。社会の皆を助けてあげられなければ、ならない。私は、そのための医師じゃあ、ないか!」

 夢の中の高齢者たちに、祈りを捧げた。

 「あの人たちは、老賢人であり、グランドマザーだったのだろうな…」

 民俗学的な感謝すら、忘れなかった。

 リーウ医師の国に住む高齢者らは、その多くが、健康体であったように見えた。

 医師に診てもらい医療機関に入る前から、健康さが、保たれていたものだ。

 「80歳、90歳を超えるような高齢者であっても、元気な姿でポツンとした地方の家に住み、農作業に励む…」

 そうした高齢者の姿は、いくつものTV番組で、流されていただろう。

そしてそこでの高齢者たちは、大胆な力仕事はできなくても、頭をフルに使って、生活をしていた。

 「何としてでも、生きていこう」

 高齢者の気概が、感じられたものだ。

 「高齢者、老人の智は、私たちに、何を伝えていたのだろうか?」

リーウ医師は、また、考えてみた。

 「高齢者、か…。我が国では、他の諸外国に比べて、高齢者の健康状態が、良好だ」

 それは、良き事実だった。

 が、世界を広く見渡せば、健康状態の良好さの広がりも、見えてきた。

 他の諸外国の高齢者もまた、実をいえば、リーウ医師の国と肩を並べられるくらいの健康状態を、保ってきたのだった。

 「近年は、紛争も、少なくなった。栄養状態も、改善したことだろう。それが、功を奏したのだろうな」

 リーウ医師のつぶやき通りに、他の諸外国の改善には、目覚ましいものがあったろう。今や、他の諸外国の成人男女を調査したことでわかった平均余命は、リーウ医師の国とはそう変わらないレベルに、近付いていた。

 平均余命の比較は、新型ウイルスによる感染と高齢者の健康状態にあるだろうと思えた関係性を探るための良き指標になるかも、知れなかった。

 が、そうは簡単には、いかず。

 「世界中の高齢者たちは、元気になりつつある。それでも、この新型ウイルス感染は、被害分布のばらつきを、示してくれる。これは、どういうことなんだ?」

 困惑が、増えた。

 「意外に、難しい比較、だな…」

 リーウ医師は、うならされた。

 世界各国の健康改善の様子を見ただけで、どこまで、わかるものか?

 「私たちは、何を見ていけば良いんだ?」

平均余命や平均寿命だけを見て、それを新型ウイルスによる被害状況と結びつけて感がることは、容易ではなかった。

夢のできごとを、思い出していた。

「先生…。簡単では、ないんじゃ」

 「わからないんじゃ?」

 「プロの医者の見解は、どうなんです?」

 高齢者の訴えが、濃度を増していた。

 「夢に出てきたあの人たちは、私に、どんな老人の智を伝えて、感染予防策を伝えてくれようとしていたのだろうか?」

 リーウ医師は、高齢者に畏れ入っていた自分自身を発見し、部屋の天井にも、畏れ入っていた。

 「高齢者は、あの天井のような高い意識をもって、見えない敵と、戦おうとしていたのだろうか?」

 リーウ医師の国の高齢者には、日々、健康に気を遣っている人が、多かった。

 新型ウイルスにたいしても、日々、しかも早い時期から、活動の自粛に協力してくれていたものだ。

 夢の中では、リーウ医師は、感謝の言葉をもらえた。

 「しかしなあ…。本当に感謝しなければならなかったのは、どちらなのか、わからないな」

 複雑な感覚に、なっていた。

 高齢者が自粛活動を守ってくれ、移動や接触が制限できたからこそ、新型ウイルスは、高齢者施設にも、侵入しづらくなったのだ。

 「今は、そう考えてみよう」

 老人ホームも、その努力の甲斐あって、稼働できたのだ。

 老人ホームは、理想的な隔離場所として、機能できていた。そこで働く人たちも、助かったことだろう。

 老人ホームなどの施設で働く人たちの努力にも、医療従事者らへの思い以上に、畏れ入っていなければならなかった気がした。

 高齢者に関わる人たちは、皆で団結して、社会にウイルスを侵入させることのないようにと、苦心していた。

 「高齢者を通じて感染を広げてしまうことは、高齢者を見るプロの仕事人のやるべきことでは、ない」

 強い気持ちが、社会全体に、感じられていた。

 リーウ医師は、また、天井を見上げた。たくさんの努力の染みが、にじみ出ていた。

 「私たちは、たくさんの感謝をしていかなければ、ならないのだ。この新型ウイルスによる騒ぎで私たち医療従事者が感謝された礼は、しなければならない。こうして社会が団結を続けてくれれば、良い」

 新型ウイルスによる騒ぎは、社会の皆に、気付きの機会を、与えていた。リーウ医師もまた、深き気付きを、与えられていた。

「医師として、もっとやらなければならないことが、あるはずだ」

 リーウ医師は、部屋の窓を、全開にした。

 「換気を、徹底しよう」

 窓の全開には、他にも、意味があったような気がした。

 「これで、社会皆の努力の風が、入ってきてくれるだろう」

 その意味を込めての、全開だった。

 この度の新型ウイルス騒ぎによる社会的不安は、一向に、解けなかった。感染にかかることを、何か1つでも知ろうという動きが、広がっていた。

 「社会の困難に立ち向かうには、少なくとも、相手を知る努力をすべきだ。人と向き合うときだって、同じはずだ。とにかく、知ること。知ることが、大切なんだ」

 人々は、知ることの大切さに、気付いた。

 「人間は、知らなければならないんだ!」

 医療従事者であっても、同じ思いだった。

 ウイルスを知ることは、ウイルスに勝つまではいかなくても、感染を防止する方法としては、やらなければならないことだった。

 「リーウ先生?」

 「はい」

 「なあ、リーウ先生?」

 「私も」

 「俺もだ」

 「感染症とウイルスについて、改めて、教えてくれませんか?」

 患者の声が、聞こえた気がした。

 リーウ医師の部屋が、ノックされた。

 「先生…」

 患者らが、入ってきた。

 「先生?感染症とウイルスについて、教えてください」

 「そもそも、今回のウイルスとは、どういうものなのですか?」

 「正しい知識を得ることは、我々の心を落ち着かせる、良い方法なんじゃよ」

 「そうですよ、先生?私、安心して眠れません。このままベッドで静養していただけでは、何の解決にもならないと、思うのです」

 「わかりました」

 ウイルス騒ぎで知っていたことを、教えてあげることとした。

 今回、世界的に流行してしまった新型ウイルスは、コロナウイルスの発展型と、呼ばれていた。

 コロナウイルスとは、風邪などの呼吸器感染症を引き起こすウイルスのことだ。

コロナウイルスとの名称は、そのウイルスの形から、名付けられたものだった。

 今回の新型ウイルスの表面には、イボイボの突起が、付けられていた。そのイボイボ突起が、理科の科目で勉強したであろう太陽のコロナに見えたことから、コロナウイルスと呼ばれていた。

 人間に感染するコロナウイルスは、これまで、7種類が、見つかっていたようだ。20 02年に発生したSARSや、20 12年に発生したMARSと呼ばれる感染症が、有名だろうか。今回発生し、世界的に騒ぎを起こし、リーウ医師をも悩ませるウイルスは、その仲間だった。

 新型新型と呼ばれた、今回のウイルス。

 これまでにはまったく見られなかったから新型というわけではなく、実は、SARSやMARSと同類のウイルスだったのだ。

 「え?先生?SARSやMARSの仲間、だったのかい?」

 「知らなかった。その、発展型だったか」

 「こいつは、勉強だ」

 リーウ医師は、患者らに、良く教えてあげた。

 「今回流行して騒ぎを起こしているウイルスは、その仲間の中でも、新型ということなのです」

簡単にいえば、そういうことだった。

 ただし、その構造については、簡単に、同類扱いができなかったという。

今回発生した新型ウイルスは、より複雑な構造を、もっていたからだ。複雑も複雑どころか、わからないことばかりだったようだ。

 発熱や熱などの症状から肺炎にいたって重症化する点は、他のウイルスと、同じ。だがそれ以上のことは、詳しくは、わからず。

 不明点が、多かった。

 まさに、新しい知識と対処法を人間に試すような、新悪だった。

 とにかく咳が続き、息切れも、早めた。

 重症化も、早めた。肺炎に加えて、急性呼吸窮迫症候群、多臓器不全なども、起こさせていた。

 ということでは、入院も、早期に必要とさせた。

 症状で特徴的だったのは、味覚や嗅覚に、異常が出てしまう点だった。

 「申し訳ありません。現在、新型ウイルスでわかっているのは、そのくらいです。もう少し、情報を、伝いたいのですが…。これくらいで、精一杯なのです」

 「先生が謝っちゃあ、ダメだよ」

 「そうだとも」

 「そうよう」

 「先生、がんばっておくれよ」

 国による自粛要請は、海外渡航の分野にまで、拡大した。若い患者もいて、高齢者に比べては活発的とみられた彼らは、苦しんだ。特に、一連の自粛には、嫌がっていた。

 「先生?」

 「困ったよ」

 「海外に、いけないなんて…」

 なぜ、世界各国に向けての旅行が、できなくなってしまったのか?

 なぜ、新型ウイルスによる感染症は、世界各国各地で、猛威を振るってしまったのか?

 「先生?」

 「教えて、欲しいんだ」

 「どうして、外出規制が、自宅近圏だけじゃなくって、海外規模にまでかけられちゃったのかしら?先生、わからないのよ。どうしてですか?」

 海外への外出規制が、ことさら強くかけられたのには、理由があった。

 研究者が、医療従事者同様、こう、結論づけたからだ。

「新型ウイルスが流行を重ねた理由の多くが、国をまたぐほどの広範な活動にあったということが、わかったからです」

 世界とのコミュニケーションは、多難だ。

 人間は、自然を破壊し、その破壊地を拠点として、開発を繰り返してきた。

 ただでさえ、地球温暖化、異常気象、海水面上昇などで傷付けられた地が、さらに人工的にも、傷付けられてきた。

 これまでにはあまり接点のなかったような野生の動物と人間が、接触を重ねてきた。

 このことで、何が、起こされたのか?

 動物学風に言えば、こういうことになるだろうか?

 「生物分布の、大量破壊。強制移住という迫害が、起こされた」

 問題は、尽きず。

 次いで言われるであろうことが、充分に、予測できていた。

 「グローバル規模の生物移動で、未知のものが、いったり、きたり。モノの自由化による暴挙で、世界が、困惑」

 世界各国に向けた旅が続けば、人とモノの移動が、止まらなくなっていく。

 海外にしか生息していないであろうという動物や花を、故意に持ち帰ってくる人もいただろうし、偶然にも、海外にしか生息していないような虫が、旅行カバンに侵入したままの状態で、気付かずに帰国してしまうケースも、あっただろう。

 「グローバルな移動は、意外と、危険なんだろうな…。遠隔で人が触れ合うっていうことには、副作用もあると覚悟できなければ、ならないんだ。医学も、然りだ。医学上用いる道具、たとえば、メス1本とってみても、それが、生命維持に直結する道具であると考え、完全なる殺菌が、試みられている。感染阻止というキーワードで考えれば、それはもっともな行為であり、善だ。が、完全なる殺菌が試みられているものの、完全ではない。それを完全だと言い張れるなら、その人は、自己分析をできるレベルの医師ではない。そんなのは、今どきの学校の若い教員だけで、充分だ。医師だって、完全ではない。本当の感染予防法と、この新型ウイルスに打ち勝つ知恵、医師の徳は、どこにある?」

 多くの人が、自粛生活を、迫られた。

 そして、従った。

 近隣移動だけでなく、飛行機を利用しての移動にも注意を払わなければならなくなったのは、なぜなのか?

 注目されたのが、感染経路の多様化だ。

 ウイルスや細菌のような微生物が人間の身体の中に侵入する経路には、動物や虫を介したものも、あった。

 この点が注目されていたことが、大きな理由だった。

 たとえば、病原体を運んでくる虫には、蚊がいた。

 この蚊が、問題だった。

 黄熱病やマラリアにはじまり、最近では、デング熱が、蚊によって運ばれてきたものだった。蚊を甘く見ては、ならなかった。

 熱帯地方では、蚊に刺されたことで感染し多人のうち、毎年、数百万人もの人が亡くなるのだという。

 「外国のものとは、蚊の種類が異なるんだから、平気なんじゃないの?」

 そう言う人も、いただろう。

 間違った言い方ではなかったのかも、知れない。

 たしかに、蚊にも種類があったわけで、血を吸うターゲットとなる人間や動物も異なっただろうし、運んでくる病気も、異なった。

 そこで今度は、こう言う人が出る。

 「どうして?これまでは私たちの国にはなかった病気が、どうして今、私たちの国で、広まってきちゃったの?」

 社会不安が、増大だ。

 S NSで、今までは見られなかった病気の蔓延を知らせる人も出て、まわりが、大混乱。

 新たな感染が広がったのには、もちろん、飛行機の貨物室や、旅行者の旅行カバンの中に蚊が紛れ込み、外国に運ばれてしまったからだ。これが、航空業界では、恐れられた。

 海外とこの自粛も、納得か。

 空港を閉鎖したり利用制限をかけたことには、意味があったのだ。

 外来種と呼ばれる、これまで自国にはいなかったはずの虫が飛行機で運ばれても、感染騒ぎとなる。混入騒ぎくらいで終われば良かったが、人間の命を脅かすことにもなった。

 飛行機という、人を幸せにする生活手段の発明と進歩が、かえって、人間の生活を傷付けてしまう悲劇だ。

 飛行機の利用によって、人間の生活は、楽になれた。数時間もあれば、国を超えた付き合いを楽しめるように、なった。

 「それなのに…」

 航空業界は、忸怩たる思いだった。

 こうして、交通の分野で見れば、輸出入物への検査が徹底できなければ、日常生活と共に、大ダメージを受けるのだ。

 国には、検疫所という部署が作られた。自国にはなかったはずの病原体が侵入し、新型の病気を誘発する危険が、予測されたのだ。

 「このくらい、危機意識を、もってもらいたいものだ」

 安易な安堵、だったろうか?

 空港では、虫捕網をもって走り回る職員を見かけることが、あったかも知れない。検疫所の職員であることが、多かったようだ。

 「あの人は、何を、やっているんだ?」

 疑問にも、なったものだ。

 あの人たちは、海外から侵入してきた蚊などの虫を、調査していたのだ。

 「先生?我慢、我慢じゃ…」

 「長いですねえ」

 「でも、やらないと、いけないわよねえ。社会を維持していくためにも」

 「自粛は続くよ、どこまでも、じゃ…」

 「あんた…。バカ言っちゃあ、いかんよ」

 「そうかい?」

 「こんな自粛を続けて、どうなるんじゃ?人の動きが途絶え、金も回らなくなり、首を締められた状態じゃ」

 「そうですよね?自粛も、ほどほどにしていただきたいものですよね?」

 「ほれ、あんた。先生も、言っておるぞ」

 「先生は、経済学者かね?」

 「先生は、本当に、医者なの?」

 「いや、その、ははは…」

 大変に、痛い言葉だった。

 「首を絞められるんは、堪忍してもらいたいもんじゃて」

 「リーウ先生、呆れて、リハビリ室のほうに、いっちゃったんじゃないの?」

 「そうみたいじゃのう」

 「首を絞められるんは、痛い」

 「何じゃ、何じゃ?」

 「なあに?何か、やったの?」

 「わしゃあ、ぬか漬けを作っていたんじゃがなあ…。昨日、ぬか漬けの底に隠してあったアレを見つけて、ばあさんに、首を絞められた」

 「あんた…。ぬかを漬けておったのか?」

 「あらあ」

 「良いじゃないかね」

 「ダメじゃな。そこで何かを見つけても、知らない顔をしなければ、ならん。テクニックが、なっておらん」

 「そうよう?それができないから、おばあさんに、怒られたんでしょう?」

 「仕方が、ないがな!」

 「何を、見つけたんじゃ?金か?」

 「やだわ。あなたの奥様は、ぬかの底に、へそくりを隠していたわけ?」

 「違うわい」

 「じゃあ、何かね?」

 「怒られたのよねえ?何かを見つけて、それで、首を絞められちゃったわけでしょ?」

 「仕方が、なかったんじゃよ!」

 「あんた、何が、仕方なかったんじゃ?」

 「そうよ?」

 「ぬかの底にアレを見つけて振り返ってみたときには、ばあさんが、立っておったんじゃ。逃げられんからのう、首を絞められるのにも、抵抗できんかった」

 「それで、何を、見つけたんじゃね」

 「そうじゃ、そうじゃ」

 「やっぱり、へそくりだったのかしら?」

 「…アレじゃよう!」

 「だから、何じゃい!」

 「そうよう!」

 「アレだったんじゃが…。それが、思い出せんのじゃよ」

 「あんた。また、そないなこと言うとる」

 「それで、首を絞められたのよねえ?」

 「わしが、か?」

 「あんたしか、おらんじゃろうが!」

 「そうよ、もう!」

 「わしが、首を絞められたのか?」

 「あんた。また、そないなこと言うとる」

 「いやねえ。今、そういう話を、していたんでしょう?」

 「…わしは、一体、誰なんじゃ?」

 「先生!」

 「リーウ先生?ちょっと、きてえ!」

 「…心配は、要らんよ。わしの脳は、しっかりしとるから」

 「あんた、本当かいな」

 「びっくりした」

 「ああ…。足が、痛いのう。締められすぎじゃ」

 「ほれ、あんた。また、言うとる。締められたのは、首じゃったろうが」

 「そうよ。足じゃ、なかったでしょう?」

 「そうかのう?参ったのう…。それで、わしは、一体何を見つけたんじゃったか…?」

 「あんた。また、そないなこと言うとる」

 「わしは、誰なのかのう?」

 「先生、こっちに、きてー!」

 自粛生活は、社会の暗黙の了解と、なっていた。

 自粛生活を守らなければ、町でうわさになりはじめていたアポフィス団に目を付けられるて、まわりからも、白い目で見られた。

 「あの人たち…、外出をしているぞ?」

 「何てこと、だ!」

 「外を、歩いているぞ!」

 外を歩くという、人間誰もがしていた行動が、この新型ウイルス社会には、なぜか、批判をされた。

 「歩いている!」

 「歩いているぞ!」

 歩いて、何が、悪いのか?

 「生きているのだから、当たり前だろう?家の外を歩いても、おかしくも何もないじゃないか…?」

 そう思えば思うほど、外出で歩くことが、息苦しくなっていった。

 悪魔的な倒錯、だった。

 新型ウイルスは、こうして、社会生活を、傷付けていった。

 傷付けた…。

 では、なかった。

 人々は、傷付けたともわからない麻痺に、落とされていったのだった。海外渡航の自粛などは、外出以上に、きつく要請された。

 「海外の医師を頼り、スーパードクターと呼ばれる人にオペをしてもらわなければ助からないと覚悟していた人もいただろうに…」

 医師にとって、この自粛には、忸怩たる思いがあった。

 「仕方が、ない…。今は、我慢だ…。人間が海外に出てしまえば、それだけ、新しい感染を広げてしまうことに、荷担しかねない」

 ここで、意地悪なことも、思っていた。

 医師としては、自身でも嫌になった考え、だった。

 「仮に、感染を受けた人がグローバルに移動したら、どうなるのだ?」

 答えは、簡単だった。

 「感染が、拡大してしまう」

 海外渡航までが制限された理由が、はっきりと、わかってきた。

 国は、人やモノの移動に伴う生物の移動が感染を誘ってしまうということを、皆に、知ってもらいたかったのだった。

 恐れが、増えていった。

 この自粛で、海外産業が相当なダメージを受けることはもちろん、海外産業に後押しされてこそやっていける国内産業もダメージを受けるであろうことは、もはや、改めて予想するまでもなかった。

 気が、重かった。

 「物流行動も、なるべく、控えて欲しい。何とか、ならないものでしょうか?」

 S NSで、経済担当の国の役人に、感染問題を専門とした民間人がそう伝達していた様子が、拡散された。

 「先生?S NSというのも、良いものじゃなあ。ニュースの裏側が、わかってくるようじゃ。孫に、見方を教えてもらったよ」

 患者は、自粛生活を守り、元気だった。

 「そのお孫さんですが、公園には、遊びにいくんですか?」

 そんな失礼なことだけは聞かないよう、気を付けた。

 人間とは、まことに面白いもので、こういうときには、普段は敵視していたようだったS NSへのアクセスと利用に、満足してしまうのだった。

 「先生、これ見て!」

 若い世代の患者が、スマホ画面を見せてきた。政府が、こんな発言をしていた。

「物流行動には、強制的制限は、かけません。ただし、好きなだけ利用するということだけは、控えてください」

 これにより、大手の物流会社の営業が、ピンチになってきたそうだ。

 スマホ画面を見せてきた子は、父親が、大手の物流会社のドライバーだったらしい。その父親が、こう言ってきたのだそうだ。

 「ごめんよ…。仕事が、減るみたいだ」

 働き方が、変わった。

 フルタイムで勤務できることは、少なくなった。勤務時間外は、副業として、小さな宅配会社のドライバーをこなしたことも、あったそうだ。

 新社会では、皆が、工夫を重ねていた。

 「ついには、物流行動も、制限か…」

 患者の家族のことを思えば、うろたえた。

 とはいえ、物流規制にも、ある程度は納得がいったものだ。

 「私は、残酷な医師なのだろうな。物流規制によって困る患者が出てしまったというこの状況を、批判できないのだから」

 もちろん、物流規制により経済活動が麻痺しないようにするのが、批判のできない前提となる。

 感染と物流の関係は、想像以上に、大きかったらしい。

 世界の工場と呼ばれるまでに経済的発展を遂げられた国や地域は、物流のみの専門会社をフルに稼働させられたが、その分、深い打撃を受けた。世界の工場では、どんな取引をされっれることとなったのか?

 物流の発展は、意外な落とし穴を、もたらしていった。

 取引されたのは、モノでもあったが、動植物でもあった。このことが、物流に、感染問題を投げかけたのだった。

 取引をされた動植物は、まず、移動させられなければならなかった。

 移動先は、遠い国の市場だったとする。

 車、列車などで、運ばれていく。

 その逆もあり、大量の生き物が、市場に並べられる準備をされて、運ばれてくることになる。

 ペットショップ業界に入っていく予定だった場合は、生きたままそのままで、運ばれることになる。

 鳥や犬、コウモリが、生きたまま取引されることも、あった。

 このとき、コウモリたちは、大自然とはずいぶん異なった狭い物流環境の中で、生かされることになる。

 この環境の変化が、ウイルス進化の機会を与えるのだと、いわれる。

 外来種の、覚醒だ。

 見知らぬ土地から運ばれてきた、物流進化に影響された、生き物たち。

 それらは、新しい土地に、新しく受けとられる人々とも新しい接触を重ねながら、売買されていくことに、なるだろう。

 コウモリの取引は、危険だ。

 コウモリの利他的行動は、ここでは、生きまいと、考えられた。

 コウモリにウイルスが付着したまま運ばれたと仮定した場合だが、感染が、容易に想像できる。

 生きたコウモリが、取引の場で、糞を出したとする。もうその時点で、取引をする場全体が、ウイルスで汚染されていっただろう。

 世界には、コウモリを常食した地域も、あった。もしも、そのコウモリを、もしくは、コウモリの糞を付けたような野菜か何かを、人間が口にしたとしたら、どうなってしまうのか…?

 このように考えたなら、物流会社だけではなく、輸送トラックだけではなく、取引場からも、動物からも、野菜からも…。あらゆる遺伝子の混ざり合いによる接触が、予測されたものだ。

 物流分野のあり方をどう考えるべきなのかも、感染予防には、重要だ。ドライバーの働き方改革以上に、重要なことだったのでは?

 もちろん、物流分野にまで過度に自粛させるのも、あんまりな仕打ちだ。

 モノの流れを止めてしまえば、経済活動という血の流れを止めるが如くに、追加災害になっていくだろう。

 食料やエネルギーの入手が、難しくなる。

 そこからの影響も、計り知れない。

 追加災害は、必ず起こされる。

 過去の例からもわかっていたように、たとえば、天然痘に苦しめられた10 00年を超える前の社会にも、天然痘流行時には、食糧危機がつきものだった。

 「…しかしなあ。子どもたちの公園いきについては、どうなるんだ?私には、そこがまだ、解決できない」

 リーウ医師は、腕を組んだ。

 患者の元に、向かった。

 「おお、リーウ先生」

 「先生にきてもらって、安心じゃ」

 「あら。先生、どうしたんです?」

 頼られるのは、良いことだった。

 「ああ、すまない」

 「先生、しっかり、してくれよ」

 「そうよ。私たちの頼みの綱は、先生の存在じゃないですかあ」

 頼られるのは、本当に、良いことだった。

 「皆さん、ごめんなさい」

 言うと、笑われた。

 「先生が、謝るなって」

 それもそうだなと、思えていた。

 「社会皆が困る状況だけれど、先生が困っちゃあ、ダメだ。俺たちは、先生を頼りにしなければ、生きられそうにないんだからさ」

 「しかし、私は…。無力な医師ですよ」

 不安ばかり、だった。

 「先生、弱気なことを言わんでください」

 「そうよう」

 結局は、患者らに、励まされてしまうのだった。

 「先生?あまり、考え込むなよ。考えることは良いことだろうけれど、考えすぎて先生が疲れちゃったら、俺たち、どうするんだ?患者とどう向き合えば良いのかわかっているからこそ、こうして、俺たちと、向き合えているんだろう?まったく…。児童生徒の前で何もできない新卒の先生ちゃんに、なっちゃうよ?」

 「そうよ!マニュアルがなければ、何もできないわけじゃあ、ないでしょう?」

 「先生?医者の徳は、どうしたんだよ」

 それはまた、厳しい言葉だった。

 「医師の徳、か…」

 患者らと、また、向き直った。

 高齢患者も、やってきた。

 「じゃあ、先生」

 「私、寝るわ」

 目の前の患者らが、入れ替わった。

 何だか、命のバトンタッチのように思えてきて、気持ちが、落ちていくようだった。踏ん張るしか、なかった。

 「何でしょうか?」

 「どうしたら、ウイルスに、感染してしまうんだい?」

 「そうよね?」

 「ああ、そうじゃよ」

 「先生?教えてください」

 リーウ医師は、喜んで、教えてあげた。

 「それでは、一般的なウイルスについて、話しましょう」

 一般的に、ウイルスの感染経路には、空気感染、飛沫感染、接触感染、性接触感染などがあった。

 「それじゃあ、先生?今回の新型ウイルスによる感染は、どうなんだい?」

 「どうやって、感染していくのですか?」

 「それがわかれば、感染の拡大を、防げますよ」

 「そうですね。その通りだと、思います。では、感染の拡大を防ぐために気を付けたいことを、伝えましょう」

 現時点で考えられていた感染経路は、飛沫感染と、接触感染だったようだ。

 「無症状の人から感染する可能性も、否定できません。ですが、飛沫感染と接触感染が中心になるのは、間違いないと思われます」

 「本当に、良くわからないウイルスだな」

 「説明するほうも、困るわよね」

 その指摘通り、だった。

 が、複雑で説明できませんなどと言うわけにもいかず、可能な限り丁寧に、説明してあげたのだった。

 感染経路のうち、飛沫感染というのは、咳やつば、くしゃみなどと共にウイルスが飛び出していくことで、起こる感染だった。

 「くしゅん!」

 そこから出た飛沫は、まわりを襲う。

 2メートルほど内にいた人が吸い込んでしまうと、ウイルスに感染しやすかった。それが、飛沫感染だった。

 こう言われたことがある人も、多かっただろう。

 「2メートル以上の距離を開けて、他人と話してください」

 飛沫感染を防ぐために、距離を保たせたわけだ。

 「2メートル以上の距離を、開けよう」

 なぜ、2メートルなのか?

それには、データ上の根拠があったのだ。

 接触感染というのは、ウイルスが付いたかも知れない手を、他人に触れることで起こす感染のこと、だった。

 感染者が、咳やくしゃみをして手で押さえたことから、危険が、はじまる。

 「咳やくしゃみをしそうになったら、袖口で、口や鼻を覆いましょう」

 ただそう言うと、こう反論する人がいるかも知れない。

 「今さら、何を、言っているの?そうするのは、当たり前じゃないの?学校に上がった頃から、そのエチケットマナーを守るよう、言われているじゃないの?」

 その通りに、当たり前の行動ではないと思っていた人も、多かったようだ。

 それならここで、社会適応だ。

 「ウイルスと共存して、生きる。ウイルスに合わせて生きるということも、必要ということなのか?」

 教訓が、芽生えてきた。

 今どきの子どもたちだって、社会に合わせて生きようと、努力していたではないか!

学校で、先生が、くしゃみをしたとする。

「それ、逃げろ」

「汚い」

「いやだ。先生、やめて」

児童生徒は、逃げた。

先生は、これにたいして、こう言った。

「先生は、平気だよ。平気、平気」

これに、児童生徒は、キレた。

「俺たちは、あんたを心配して言ったんじ

ゃないよ。皆が、心配なんじゃないか!」

 まだわからなかった、新卒先生。

 「はあ?先生のことが、心配なんじゃないの?先生は、世界に1つだけなんだぜ?」 

 再三考えて欲しいものだが、これが、新卒先生の現実的怖さだ。

 「今どきの先生って、マジで、このレベルか。自分中心でしか、社会を考えられない。父ちゃんが言っていた通り、だ。俺たちは、最低でも、社会に適応して生きよう。将来、ああなっちゃうな。気を付けよう」

 「あの若い先生は、危機感もないし、他人のことも考えられないから、平気で伝染させるわよ?汚い」

 「父ちゃんが、言ってた。がんばり屋さんの氷河期さんという人たちを裏切ってまで、横入りの社会デビューをしたらしいじゃん。汚いよなあ」

 「なあに、それ?」

 「最悪じゃん」

 「あの若い先生から、離れろ」

 「マスクだ!」

 「手洗いよ!」

 教育現場の児童生徒たちは、社会に適応しようと、がんばっていたのだった。

 「咳やくしゃみをしそうになったら、袖口で、口や鼻を覆いましょう」

 若い世代なら、学校教育で学んでいたことだ。が、少し上の年齢世代になれば、そういう行動をとるほうが良いとは、教えてもらっていないことが、多かった。

 当たり前感覚を引きずると、病気に立ち向かうのは、厳しくなる。それこそ、新型ウイルス問題に対処する難しさだったか。

 「新型ウイルスと、共存か…。今どき世代の若い教員と共存させられる児童生徒に、同情させられるな。変態ウイルス…」

 「先生?私も、勉強になったわ」

 患者が、寄ってきた。

 「新卒のヒヨコちゃんっていう人間的危機を越えて、今どきの子は、しっかりしてた」

 「どうしてですか?」

 「私、袖口で口元を覆ってくしゃみをしていた子を、見たからですよ。何をやっているんだろうと、思っていました。そんなことをしたら、袖が汚れちゃうのに…。汚いなあって、思っていましたよ。でもそれは、感染予防のマナーだったのですね」

 リーウ医師は、ゆっくりと、微笑んだ。

 「ええ、そうなのです。国際機関からも、推奨されている方法なのです」

 「先生?私、知らなかったわ」

リーウ医師は、今度は、苦い茶を飲んだような顔をした。

 「そうですねえ…。これが、世代間の違いと、いうものでしょうねえ。私たちには、今の子世代に学ぶこともあったわけですよ」

 「なるほどねえ」

 勉強は、尽きなかった。

 今度は、こう言う人が、出た。

「先生?そのやり方でなければ、マナー違反なのかい?だってよう…。自分のくしゃみを、自分が、手で押さえたんじゃよ?それだけの話じゃあ、ないかね?」

 ある意味は、もっともな意見だったかも知れず、丁寧に受けていた。

 「そうじゃよ、先生!」

 「まあまあ、怒らずに」

 「どういうことなんじゃ、先生!」

 「これ!アンガーマネジメントじゃ」

 「先生?わしらが、間違っていたのか?」

 「どうか、怒らずに!」

 自分自身の手でくしゃみを押さえただけでは、不十分なのだそうだ。くしゃみを押さえた手でまわりのものに触れただけでも、ウイルスは、付着してしまうのだった。

 くしゃみを押さえた手で触れられた何かに他人が手で触れたら、どうなってしまうことか?当然、感染してしまう。

 また、くしゃみを押さえた手を、他人が握ったりすれば、どうなるのか。

 これも、感染の原因になった。

 感染は、拡大を続けていくことになった。

 ウイルスの付いた手を触った他人は、重症化するかも知れない。今度は、触った手でその人自身の目や鼻、口などを、無意識に触ってしまうからだ。

 医学は、日々、勉強だ。

 母子は、時に、辛い境遇を味わう。

 小さな子をちょこんと横に座らせ、スナック菓子を直接手でつかみ、子どもに食べさせる母親が、いた。

 その母親は、手移しで食べさせていた。

 子どもは、母親の手を舐めながら食べた。

 不安な行動、だった。

 母親は、本当にきれいな手で菓子を食べさせていたのかは、疑問だ。小さな子のデリケートさをしっかり踏まえられていないと、いかに親子であっても、感染に危険が残る。心配してしまう。

 ただしこの場合、声をかけると、トラブルになりがちだ。

 「この時代、手移しで、それも、指を舐められながら菓子を与えるのは、危険なのではないですか?私、心配です。子どものためを思っての母親の行動なのか、不安です。母親の自己満足に、なってしまいませんか?」

 そこまで言うと、たいてい、キレられたものだ。

 もしくは、無視をされて、店から出ていってしまっただろう。

 これもまた、世代間ギャップ。

 若い母親は、状況の判断能力がなかったのか?子どもを、ペットと捉えていたのか?

 まわりは、疲れただけだ。

 そしてその子も、将来、その母親のようになっていく。就職難にも出会わず、オンリーワン意識で、生きていくことだろう。

 このウイルス騒ぎのように、社会全体がピリピリと、不穏な緊張の糸を張り巡らせていたしていた場合は、まわりの人は、絶対に、注意したいものだ。

 「何で?私の子、なのよ?抱きかかえながら、ペチャクチャおしゃべりしちゃあ、いけないの?何で?あなたが、すぐ横に、いるから?距離を、開けろ?はあ?超、意味わかんないし。死ね」

 若い世代は、恐ろしいものだった。

 社会が、こんなにも、ソーシャル・ディスタンスで距離を保とうとして努力していたというのにもかかわらず、それがまだ理解できない人がいたのだ。

 「ソーシャル・ディスタンスを保ってください」

 その言葉は、聞いたことがあったはずだ。

 が、理解と実践が、難しかった。オンリーワンで生きてきた人には、絶対的に、難しかった。

 「ちょっと、あなた?ソーシャル・ディスタンスを保ってください」

 そう、他人に注意されれば、平気で、死ねと言える。

 知らない人に何かを言われ、言葉を返せずにいじけてしまうのは、もう、どうしようもなかった。

 「知らない人に、注意された。帰って、S NSで、このことを書き込もう。死ね」

 他人の迷惑まで、想像できなくさせてしまうのも、新型ウイルスの魔力だったのか?

 「今日、あの店で、こんなことがあったんだよね。オコ、オコ、超、ムカ。あんな店には、いくな」

 そうして書き込まれてしまい、風評被害にあった店は、どれほど、困ることか。

 オンリーワン世代には、それが、想像できなかったろう…。

 家庭教育の、差。

 学校教育の、終焉。

 地域教育の、限界。

 「知らない人なんか怖くて、関わりたくないよう!」

 子どもがそう言って、親が同調するケースもあった。

 「うちの子が、かわいそうだ。死ね!」

 新型ウイルス社会では、こうした親の存在も、浮き彫りになった。

 他人にたいして、死ねという言い方を子どもが真似してしまったらどうなるのかも、考えていなかったらしい。

 その親には、考える能力が生まれなかったのか?

 考えるのは、疲れる行為だったのか?

 話を転換し 空気感染という感染路があるわけだが、これは、飛沫感染とは、区別されるという。

 空気感染では、ウイルスが外に飛んでいくわけでは、なかった。

 飛沫感染でいわれる飛沫とは、口から飛び出す、小さな水滴だ。

 その飛沫は、空気中を漂っているときに、水分を、蒸発させる。これによって、飛沫核という小さな小さな微粒子が、作られる。

 では、同じように空気中を漂うこの微粒子に病原体が付着すれば、どうなるか?

 今度は、病原体も、微粒子となった飛沫核と共に、空気中を漂っていくことになる。

 これが、空気感染だ。

 「空気感染?この新型ウイルス騒ぎでは、そのような言葉は、あまり聞かないがな」

 そう思われるのも、仕方がなかった。

 新型ウイルスの騒ぎに使われない言葉なのも、うなずけた。

 なぜなら、空気感染をする感染症は、麻しん、結核、水痘の3種類しかないと、されていたからだ。

 疲れる日々が、過ぎていった。

 「先生?助けて、くれよう…」

 「先生?診てくれよう」

 リーウ医師の診療所には、多くの高齢者が訪れた。

 「高齢者を、救うのだ!」

 そう思っていたリーウ医師にとっては、望むところの来院、だった。

 「新型ウイルスに感染した人の致死率は、高齢者であればあるほど、高まった」

 それは、すでに、知っていたことだった。

死に至る重症患者の割合も、高齢者が高かった。

 「新型ウイルスの感染者のうち、5人に1人は、80歳以上です」

 世界的機関が、そう、発表をした。

 「特に、心臓に疾患のある人や、高血圧と診断された高齢者の死亡リスクが、著しく高いと思われます」

 医療系民間企業も、そう発表していた。

 心臓に疾患があるというのは、大きなハンディキャップだった。心血管に問題を抱えた患者がウイルスに感染した場合、高確率で死亡すると、いわれていた。

 高齢者を救いたかったリーウ医師には、嫌な響きだった。

 心臓は、肺と、密につながっていた。

 「ここに、死に至るほどの理由が、ある」

 リーウ医師の見立ての、通りだ。

 人間は、呼吸をすればするほど、脈拍を早めたものだ。新型ウイルスへの感染を防ぐため、外出せず、真面目に自粛生活を続けたことは、良かっただろう。家の中での運動も、やりすぎはならなかったが、適度なものなら良かった。

 だが、人間は、他にやることが見つからなければ、やりすぎてしまうものだった。これが、ピンチにつながった。

 運動をすればするほど、呼吸の早まりと共に、急激に、脈拍が早められた。

 このとき、本当に、ピンチが訪れた。

 心臓に疾患があり、動脈が詰まっていたなら、身体が、大きすぎるほど悲鳴を上げた。

 普段健康でないと、健康になろうと、がんばりすぎてしまうものだ。そのため、余計に心臓を動かした。

 悪循環。

 身体に、さらなる負担がかかっていった。

 心臓がヘトヘトに疲れ、やがて、休止。こうして運動をし過ぎても、重症患者なら、死に至りやすかったものだ。

 重症患者を甘く考えては、ならなかっただろう。

 新型ウイルスによる感染で重症化しやすい人は、他にも、見られた。

 それは、糖尿病患者に、高血圧といわれた人、ぜんそくのある人、だった。

 高齢者以外にも、子どもも、注意すべきだった。

 子どもにも、死亡するケースが、出ていたからだ。小児患者の中で、小児ぜんそくを患っていた人については、注意が求められた。

 以上、いろいろとあったが、使われる言葉には注意だ。

 新型ウイルスによる騒ぎでは、このような言葉を聞いただろう。

 「再感染を、しました」

 この言葉は、ややこしかった。

 治療に迷わないよう、気を付けたかった。

 「再感染を、しました」

 そのように聞けば、1度は治ったのにもかかわらず、また症状が出てしまったんじゃないのかと、思いがちだ。

 が、実際は、そうではなかった。

 「再感染の言葉の使い方には、注意をしてください」

 「先生?どういうこと、なんだい?」

 「そうですよ」

 「良く、聞くわよねえ?」

 そこで、リーウ医師は、優しく説明をしてあげた。

 その場合に言われる再感染とは、再び症状を出したという意味ではなくて、一旦沈静化し減少したウイルスが再活性をはじめたということ、だったようだ。

 「先生?」

 「先生?どういうことなんじゃ?」

 「活動が、はじまった?」

 「ええ…。症状を出す出さないということでは、ないのです。それまで検査をしても、検査の網をすり抜けて、見つけられなかったということでも、あるのですよ」

 「あれ?」

 「そうなんですか?」

 「検査って、1 00パーセント信頼できるものじゃあ、なかったんですか?」

 「実は、検査も、完全に有効であるとは、限らないのですよ」

 「おお…」

 その場にいた患者の皆が、うなっていた。

 「でも、先生?」

 「どうして、再活性が、起こるんじゃ?」

 「そうですよ」

 リーウ医師は、それも、教えてあげた。

 が、歯切れが、悪かった。なぜウイルスの再活性が起きてしまうのかということについては、説明が、難しかったのだ。

 「人によって、身体の作り方が異なっています。ですから、再活性が起こる人とそうでない人の差が、できてしまうのです」

 そうとしか、説明のしようがなかった。

 あいまいなことは、言えなかった。

 「おそらくは、人によっては抗体が作られず、ウイルスを完全排除することが、できなかったためです。検査後、ウイルスが身体のどこかに残っていて、それが、増殖をはじめたのでしょう」

 そう言いかけて、やめた。

「うーん…。それにしても、なぜ、一旦は減ったはずのウイルスが、増えるんだ?」

 リーウ医師には、そこが、わからなかったのだ。

新型ウイルスは、いつまででも、厄介であり続けていた。

 こんな質問も、飛んだ。

 「先生?ウイルスというと、寒い冬の流行を、イメージしますわね。ですから、まわりの環境をその冬とは反対にしてあげれば、良いんじゃないのですか?乾燥予防も、1つの良い予防法になるんじゃないのですか?」

 これは、良き気付きだったろう。

 患者も、新型ウイルスに適応しようと、努力していたのだ。

 「加湿器を使う方法が、あるわよねえ?」

 「ああ、そうですな」

 「うん、うん。良いですなあ」

湿度を上げるのは、良い方法かも、知れなかった。

 「皆さん?安心は、禁物です」

 「先生、どうしてじゃ?」

 「ええ、なぜ?」

 「そうですよ、先生?」

 リーウ医師は、こう、教えてあげた。

 「湿度を上げるのは、予防法の1つでは、あるでしょう。それにしても、この新型ウイルス騒ぎには、良くわからないことばかりです。安易な行動も、考えものなのかも、知れませんよ?」

 まわりの湿度を上げるためには、洗濯物を室内に干すことや、浴室のドアを開けておくという方法があるとも、考えられた。

 ただしその場合は、部屋に湿度が籠もるのでカビが発生しないよう、注意が、必要だ。

 「カビの発生でぜんそくにでもかかり、医者に世話になってしまっては、行動の意味がなくなってしまう」

 リーウ医師は、そうも、思っていた。

 「そうでした、そうでした。先ほど、再感染の言葉を説明したことに関してですが、検査については、他にも、知っていただきたいことがありましたね」

 「何です、先生?」

 「検査は、絶対に、信頼できますよね?」

 「そうですわよねえ」

 「いえ…。実はですね」

 リーウ医師の国では、新型ウイルス感染の診断に必要とされたP CR検査を受ける人が少ないと、問題視されたことがあった。

 そこで、これを考えて欲しかったものだ。

 「実は、検査を信じすぎてしまうこともまた、問題」

 「へえ…」

 「それはまた、なぜじゃ?」

 「意外」

 P CR検査の精度は、1 00パーセント信頼できるものとは、限らなかったそうだ。

「P CR検査の精度は、おおよそですが、70パーセントなのです」

 「ええ?公的な検査、なのに?」

 「1 00パーセントでない検査、なのか?」

「先生、本当なんですか?」

リーウ医師は、なだめるような説明を、開始した。

「驚かれましたか?検査の信じ過ぎも、困ったものなのです。たとえば、新型ウイルスの他の検査で、陽性という結果が出てしまったとしても、P CR検査では、約30パーセントが、陰性と判定されてしまうのです」

 判定の覆りは、辛かった。

何を信じて良いのか、わからなくなっただろう。

 P CR検査では、1度は陽性と判定された人が、何日か後に陰性となり、再度検査をしたら、また陽性と判定されてしまうというケースが、見られたそうだ。

「その場合、再感染とは、いいません。ウイルスの再活性たと、考えてください」

 「何だ。そうじゃったか」

 「あんたも、困っておったじゃろ?」

 「そうよ。何を信じれば良いのか、わからなくなっちゃったわ」

P CR検査とは、何だったのか?

 「先生?」

 「はい」

 「P CR検査って、何だったのですかな?」

「それは、ウイルス量の検査のこと、なんですよ」

 「あ…。何のウイルスかを教えてくれる検査じゃあ、なかったのかい?」

 「ええ」

 P CR検査とは、ウイルス量の検査。感染が疑われるウイルスが一定量を超えると、陽性と、判定されるものだった。

 「皆さん、よろしいですか?ウイルスの量は、増えることも、減ることもあるのです」

 「先生?どういう意味、なんじゃ?」

 「検査で、陽性反応が、出たとします。しかし、後に、陰性と判定されることもあったたわけです。ウイルスは、その間にも、増えたり減ったりを、繰り返していますからね。たまたま、減ったときのタイミングで検査をしたので、その人は、陰性と判定された。そういうことも、あったのです」

 社会的不安の波は、まるで、終わりそうになかった。

 「コウモリ…ウイルス…か」






 自粛生活は、きつかった。

 「外出し過ぎないように、心がけてください。外出したとしても、マスクの着用を忘れないようにしてください。手洗いうがいを、心がけてください」

 自粛活動が広められたのは、良かった。

 感染予防が、進められた。

 医師としても、一定評価が、できていた。

 「だがなあ…。いつまで、どこまで、やれば良いんだ?」

 自粛活動も、続けられすぎの感があった。

 自粛活動の継続には、賛否両論飛び交うまでに、なっていた。

 「自粛を、続けるべきだ」

 「自粛は、解除すべきだ」

 前者の意見の根拠は、ここで感染予防をやめたら、これまでの努力が無駄になりかねないと、いうものだ。

 「自粛活動の解除は、皆の努力をないがしろにすることと、同じように感じる。皆を裏切るのかの選択を、迫られていたようじゃ」  患者の誰かが、言った。

 後者の意見は、経済活動の復活で、皆の心の潤いにつなげたいという思いに添った根拠を、もっていた。

 「これから、私たちは、どうなってしまうんだ…?」

 社会が、不安に陥った。

 すると、政治家が、立ち上がった。

 「今後も、自粛活動を、続けてください」

 国が支持したのは、前者の意見だった。

 その根拠も、同じだった。

 「結局政府は、延長命令を、出すのか…」

 「喜んで良いのかどうか、わからないよ」

 「まったくだ」

 諦めムードが、漂っていた。

 そんな中、諦めどころではなく、怒りの形相で立ち上がった人も出た。こう激怒する人が、出たのだった。

 「政府の言っていることは、不都合の強要に、他ならない!根拠に、乏しい。人の接触は8割削減しなさいというのは、不条理だ。自粛活動なんて、すぐにでも、やめるべきなんじゃないのか!」

 「そうだ!」

 「専門科の、言う通りだ!」

 「自粛活動の解除を、願う!」

 日常を奪われた一般の人、失業を宣告された人、生活すべてのリズムを狂わされた人々のいた現実は、専門家の意見を、大きく、後押しした。

 「今度は、経済面か…。これも、医療につなげて、考えられるのか?」

 経済面への考察を、開始した。

人々の生活を守りたいと願い、自粛生活を続けるべきという気持ちがあったことは、理解できていた。

 尊重さえ、できていた。

 が、巷は、不安の中だったようだ。

 「まだ、自粛なのか?」

 「いつまで、自粛をすれば、良いんだ!」

 「やり過ぎだろう!」

「もう、疲れたよ」

 「私たち高齢者は、ウイルス騒ぎのない日常であっても、いつまで生きられるか、わからないんだ!好きに、させておくれよ!自粛なんか、したくないよ!」

 人間の精神の歯車がさびていったような気がして、恐ろしかった。 

その高齢者の意見は、否定できなかった。

 「どうしてくれる!わしらは、いつまで生きられるか、わからないんじゃ!」

 残酷な言い方だが、その意見には、文句の挟みようも無かった。

 が、好きにさせてくれというのは、あまりに、身勝手な気がしたものだった。

 「あなたを好きにさせて、もしも、まわりが嫌な思いをしたのなら、どうするというのか?他人のことも、考えて!」

 そうも、言いたくなった。

 一般の人の意見は、多様性に溢れすぎていて、それもまた、不安だった。

 「おそらく、それを言った高齢者は、それがいかに身勝手なことか、想像もしていなかったことだろう。だから、まわりを見られないオンリーワン思考は、危ういのだ」

 医学的見地から離れてしまったような言葉が、出ていた。

声は、高まり続けた。

 「これ以上自粛したら、死んじゃうわ!」

 「そうだ!」

 「自粛の継続で、命を救えるんか?」

 「そうよ!データで、示してよう!」

 平和を願う決定にたいして、平和的見地から反論され、弁解に走り汗を流す政治家らの姿が、何度か、報道されていった。

 怒り、行動に移す人が、出てきた。

 「俺は、自粛なんか、しないぞ!」

 「そうだ」

 「俺は、俺のやり方をつらぬく」

 「政府の言うことなんか、守らない。というよりも、守ってはならない。これが、俺たち一般人の、生きる道なんだ」

 「その通りよ!」

 政府が自粛要請をかければかけるほどに、町に、人が出ていった。

 社会というものは、権力ある人の決定で守られようとすればするほど、かえって守られずに、矛盾をきたしていくものだったのだろうか?政府の決定に怒りをぶつけていた人たちが、集まった。

 「政府は、無責任」

 「他人が、困る」

 「新卒レベルよ」

 「他人の困窮が、わからない」

 だんだん、何が正論なのかが、わからなくなってきてしまっていた。町に溢れる人たちを注意することは、できそうになかった。

 たくさんの意見への制止は、難しかった。

 注意すれば、意見狩りが増えた。

 「見張ってやるぞ!」

 「ああ」

 「きちんと、守っているんだろうな?」

 「自粛、万歳だ」

 「ようし。自粛に協力的じゃない奴らは、刈れ」

 「やってしまえ」

 外出する人を取り締まる新自粛警察、新自警団が、増えていった。

 偽善の、進展。自粛生活はエスカレートし続けて、公園で遊ぶ子たちは、次々に摘発されはじめた。

子どもたちは、外出ができなくなった。

 外出し、公園で遊んでいようものなら、自粛警察、自警団に、簡単に注意を受けた。

 「おい!」

 「…え?」

 「ここは、公園だぞ?」

 「…そ、そうだけれど。なあに?」

 「なあにじゃ、ないだろう!」

 「そこで、何をしている!」

 「お前、この公園で、遊ぼうというのか?お前は、この近くに住む子どもなのか?」

 「追い、お前たち!今がどんな状況か、わかっているのか?」

 「あの子どもたちを、動画で撮れ!ネットで、流せ!」

 「…そんなあ」

 「悪く、思うなよ?」

 「これは、正義の仕事なんだからな」

 「国の決定に刃向かった、罰だ」

 「…えーん、えーん」

 「なんて、呼吸だ」

 「破滅の刃、だな」

 「今は、皆が我慢している自粛期間だと、いうのに…」

 「子どもだからって、見過ごせないね。お前だけ楽しい思いをしようなどというのは、許せないことだ」

 「そうだ、そうだ!」

 「社会の皆が、我慢しているんだぞ?」

 自粛警察、自警団を名乗るミニグループはどんどん増え、息苦しかった社会が、さらなる息苦しさを覚えていった。

 夜まで交代で見回りをしているという強烈な自警団も結成されたらしく、その噂を聞くだけで、疲れが出たものだった。

 「リーウ先生?」

 「はい」

 いつもの患者が、やってきた。

 「困りましたのう…」

 「自粛の延長のこと、でしょうか?」

 「それも、あるんじゃが…」

 「はい。他に、何でしょうか?」

 患者が、重い口を、開きだした。

 「困ったもんじゃ。先生は、自粛警察や自警団っていう言葉を、聞いたことがありますかな?」

 「じ…。ああ、あの、見回りグループのこと、ですか」

 患者は、肩を落とした。

 「身体の具合が、悪いのでしょうか?」

 聞けば、そうではないと、いう。

 強烈な自習警察、自警団が結成されたということが、近所の悪評判になっていた。

 患者も近隣も、そのことに、怯えはじめていたようだった。

 「じゃがなあ、先生?」

 「何でしょうか?」

 本当に、困ったことを、言い出した。

 年齢は良くわからなかった謎の男、アポフィスについての話が、出された。

 「あのなあ、先生?」

 「はい」

 「アポフィスっていう名の男が、グループを、結成しておったみたいでなあ…」

 きつい思いに、つぶされそうになった。

 「自粛警察グループ、か…。自警団」

 嫌な言葉を、思い出していた。

 自粛警察は、新型ウイルスの広まったこの社会で使われた言葉だった。

 緊急事態宣言のもとで、外出や営業などにたいする自粛要請に応じない個人や店舗を、私的に取り締まった団体のことだった。

 「町のチンピラどもを集めて、公園を見回りしては、そこで遊ぶ子どもたちを摘発しておどしていると、いうのじゃよ」

 困ったのは、子どもたちだった。

 緊急事態宣言のもとで、少しでも楽しい生活を送ろうと、公園に遊びに出かければ、自粛警察、自警団に狙われた。

 「こら、お前たち!公園で、遊んでいるんじゃないよ!今がどんなときか、わかっていないのか?外出を、するな!」

 正義感をもった誰かが治安を守ろうとすればするほどに、治安の悪化が、危険視されていった。

 「困った存在だな…」

 普段、誰かのために自己犠牲をするのに嫌だとは思わないような真面目な人が、理不尽な行為に接したときには、真面目であったが故に、心が、暴走を開始したという。

 「何とかしてあげなければ、ならない。救うべき人が、増えたな…」

リーウ医師は、無意識に、天を見上げた。「社会を、守れ!俺は、どうなっても良い

が、決まりは守る。どんな手を使ってでも、外出するなっていうこの状況に外出するような子は、懲らしめてやる!」

 そうして、正義感を出して、燃えてしまう人たちが増えていた。

 「なんて、社会だ。診療所の患者に何かあれば、どうなる?」

 リーウ医師は、自粛警察、自警団の来院がないよう、祈るしかなかった。

 「アポフィス、ですか…」

 「そうじゃよ、先生?」

 「アポフィス…。毒々しい名前、ですね。たしか、ギリシャ語で、邪神、邪龍の名前だったはずです」

 「そうか…。それについては、わからんがなあ。先生が困るくらいなんだから、まずい名前なんじゃろうなあ」

 「毒々しい名前、ですよ。今の新型ウイルス社会への、悪い比喩だ」

 リーウ医師は、腕を組んだ。

 「仮に、この診療所がアポフィス団に襲われれば、どうなるものか。患者の皆が、嫌な思いをするに、違いありません。何とかしなくては、ならないでしょうね…」

 高齢患者たちは、アポフィス団について、もう少し、情報を集めた。

 リーダーのアポフィスという人物が集めたのは、4人。スピロに、ヘータ、ユガミ博士に、ピッピだという。

 「ユガミ博士、でしたか…?」

 「そうじゃ」

 「博士が、いるのですか…?」

「博士…。ああ、博士とは、あだ名のようですじゃよ?」

 「ああ、あだ名でしたか」

 「本当に博士であったのかは、わかりませんじゃ。博士であって、博士ではなかったのじゃろうか?」

 「はあ…?」

 高齢の患者の説によれば、こうだった。

 「ユガミという男は、今社会で話題のウイルス、細菌や感染関連を研究していた学校を出た男のようですじゃ。大学院博士課程を出たんで、博士」

 「それは、厄介だ。今どき世代の学校教員レベルの、はるかに上のウイルスだ」

 「就職氷河期の闇っていうもの、ですな。就職氷河期で就職できなかった、優秀な医学研究者が、その医学知識を生かして、社会の取り締まりをおこなうようになったんじゃ」

 または、こうだった。

 「ユガミという人物は、本当の博士の格好をしていたようじゃ。白衣を着て、手には、フラスコやビーカーを持っていたと…」

 気味の悪そうな集団には、違いなかった。

 こう、聞いてみた。

 「嫌な男たち、のようですね?」

 すると、患者に、注意された。

 「先生?それは、偏見じゃよ。嫌な人間なら、他にも、おったろう。新卒の学校の…それはええ。男たちだけでは、なかったんじゃわい。じぇんだーばいあす、じゃよ」

 「どういうことですか?」

 アポフィス団には、女性もいたそうだ。

 「先生?わしが直接見たわけじゃあ、ないがなあ…」

 「はい」

 「アポフィス団には、リーダーのアポフィスを含めて、男性が4人。女性が1人といううわさじゃ」

 「何です?」

 「ピッピという人間が、女性らしい」

 「そうですか。ピッピ…」

 そう言いかけて、リーウ医師は、口を閉ざした。名前だけで判断するのも、偏見だ。

 ジェンダー・バイアスは、脅威だった。

 「良くわからな集団であるのは、間違いなさそうですね?」

 「そうじゃのう…。先生」

 「うーん」

 「そもそもが、皆、本名であるのか、わからんがのう」

 「それはまた、怖いですね。…高齢者は、情報通だ。地域の集まりや老齢カフェの設置が功を奏し、情報を集めさせたのか?」

 心の中が、騒いだ。

 「アポフィス団、か…」

 「困りましたのう、先生?」

 「皆さんは、近隣の情報を、良く、知っていましたねえ?」

 「もちろんじゃよ。先生?」

 すると、高齢の患者は、意外なことを教えてくれた。

 「わしの孫が、ネット掲示板にあった何とかっていう情報を、教えてくれたんじゃ」

 「そうでしたか…」

 これが、高齢者と孫の、リモートコミュニケーションというものだった。

 「孫にやってもらって、助かったよ。わしには、良く、わからん。わかったのは、アポフィスという男が、その団体を結成したと、いうことじゃ。S NSという社会の中では、ちょっとした話題なんじゃと、さ…」

 「ええ」

 「おお…。その話は、今し方、していたところでしたな。ははは…。少しのことでも忘れっぽくなってしまって、いかんな」

 「ははは…」

 「いかん、いかん」

 「良いのですよ?誰かに向かって、何度も注意すべきことがあり知ってほしかったと思えばこその、繰り返しではないですか?」

 「認知が深くなったかと、思えたわい」

 ここでも、言葉を選んだ。

 「認知症ですか?違いますよ」

 そう言ってしまえば、どうか?

 患者は、傷付けられた感じにもなる。

 否定されてしまったときの悲しみは、深かった。それも、否定してきた相手が、医師。医師に否定されれば納得せざるを得なかったし、従うわけだが、それは、高齢者には、圧倒的な悲観を産みかねなかった。

 そこで、こう言ってみた。

 「そうですか?認知とは、認知症のこと、でしょうか?なるほどねえ。まあ、忘れっぽいのは、私も、同じですよ。人間は、忘れることで生きていけるようになる生き物なんです。嫌なことがあれば、寝て、忘れようとするでしょう?」

 「そうじゃのう」

 「ほら。人間は、忘れられるから、生きていけるものなんですよ」

 「そうかのう…」

 「あなたは、素晴らしいことを、言いましたねえ。この診療室全体を覆いそうになった悪い雰囲気を忘れられる、素敵なことを、です」

 「そうかのう…」

 「悪い雰囲気を、忘れる…。やっぱり、人間は、こうして忘れることで、生きていけるものなんでしょうねえ」

 「なあるほど。そうじゃったか…」

 その高齢の患者には、そこで、納得してくれた。

 傾聴の勉強でも、あった。

 患者も、いろいろだ。

 「…そうですね。なるほど。あなたの言う通りですよね?私も、医師として、勉強になりますよ」

 そう言えば、かえって、不審感を高めたり怒り出す患者も、いたからだ。

 たとえば、こんな感じに、だ。

 「何?私も、勉強になりました、だって?医師、なんじゃろう?わしのようなじじいの言うことが、今さらになってわかったのか?あんたは、それでも、医師か?本当に、医師なのか?付き合ってられんわい」

 そうして遠ざかっていく人も、いたのだ。

 「医師の言葉の真実性を、高めよう」

 医療では、いきなり現場に医師が立ち会うと、ややこしくなることもあった。そのために、段階医療体制が図られやすかった。

 もちろん、緊急体制では、別の話だ。

 医療従事者は、何度も、簡単な面談を通して、その人の心の内を知りたいと願う。

 「また、面談か…。あんたのような看護師じゃのうて、早く、主治医の先生に、会わせてくれんか!」

 そう怒ること、なかれ。

 医療従事者は、段階を踏んでいくヒアリングの大切さを、知っていたのだから。

 たぶん。

 看護師らには悪いが、主治医の権威を高めて、患者により素直に聞いてもらえるようにするには、看護師の拙いヒアリングを土台にしなければならないこともあった。

 医療現場も、心理戦なのだ。

 「この看護師は、また、わしに、同じことを聞くのか…」

 「この看護師も…。またか…」

 「早く、主治医の先生に、会いたいのう」

 「また、看護師の面談か。面倒じゃのう」

 そうして段階を踏ませて、先生に、会えたとする。

 すると、どうなるのか?

 先生が、輝いて見えてくる。心理学的なハロー効果ではないが、神仏のように、後光が射すだろう。

 こうなると、こう思えてもくる。

 「やっと、あの、何度かの飽きる看護師面談から解放されて、先生に、会えたぞ。先生じゃ。先生じゃ。先生の言うことを、聞きたかったんじゃ。聞くぞ、聞くぞ」

 こうして患者は、先生をより信頼でき、頼れるようになる。

 医療体制に、協力的になってくれる。

 医療には、うってつけの流れとなる。

 これも、技術。看護師らには、犠牲にしたようで、悪いが…。

 「自信を、もて。人を助ける医療なんだ」

 リーウ医師に、後光は、射していたか?

 高齢の患者が、言った。

 「先生?わしの孫は、役に立った。礼に、イチゴ豆腐という珍しいものを、感染予防の宅配をしてもらって、孫にあげたよ。どんな味、じゃったの」

 「ははは…」

 「新型ウイルスの社会は、いろいろと、大変じゃ」

 「そうですねえ…」

 「先生?どうか、したか?考え事かい」

 「アポフィス団のことが、どうしても、気になってしまうのですよ…」

 「おお、そうじゃった。先生?」

 「何でしょうか?」

 「先生?その自警団には、合い言葉が、あったんじゃと」

 「それも、お孫さんに、教えていただいたのですか?」

 「そうじゃ」

 考えさせられた。

 「面白い合い言葉、だったんじゃよ」

 「そうなのですか?」

 念のため、合い言葉を、教えてもらった。

 「ぐんまけん」

 不思議な不思議な、合い言葉だった。

 「ぐんまけん」

 心の中で、繰り返してみた。

 「高齢者と孫のつながりは、思わぬところで、思わぬ情報を、引き出すものだったんだなあ…」

 社会は、自粛警察、自警団による取り締まりに、追われていた。

 その、アポフィス団によるものかどうかはわからなかったが、社会が、ギクシャクとしていったのは、たしかだったようだ。

 「嫌な社会に、なったなあ…」

 リーウ医師は、新聞、TV番組、ネット等経由で、できる限りのS NSを広げた。

 「今は、公園にも、いけない社会になったのか。外出をすれば、自警団によって、摘発される。これは、生きづらいな…」

 変な油にまみれて開けられなくなった缶詰の如き不安を、知った。

 自粛警察がらみの誹謗中傷事件は、絶えなかった。誰かを、軽い気持ちから、ウイルスや菌呼ばわりする子が出たという。

 「やーい、やーい!ウイルス、消えろ!」

 そうして、言うだけ言って、そこから逃げるのだ。そんな、新卒世代まがいの悪ふざけをしていた子たちが、いたのだという。

 その悪ふざけをした子たちは、幼い子だったというから、驚きだった。

 通常、そうした悪ふざけが生まれるには、成長条件があったはずだ。

「ウイルスや菌は、怖い。逃げるべきだ」

その考えがもてなければ、生まれない行為だったはずだ。が、今どきの子は、簡単に、悪ふざけをおこなえた。

 「そんなことを言ってしまえば、相手が、どんな思いになることか?あなたがそう言われたら、どうするのか?」

 こうしたところまでは、想像できなかったのだ。

 その子たちの親は、新卒世代。

 これが、教育の差。家庭教育も、できないのだ。

 残念ながら…。

 「いい?友達を、バイ菌呼ばわりなんかしちゃあ、ダメよ?そう言われた子が、どれほど、傷付くと思う?」

 こうしたことが、親レベルでも理解できていなかったわけだ。これが、新卒レベルの人だ。学校の若い先生たちが存在する恐怖が、きっと、わかるだろう。地方公務員たる教職員たちも、ある意味、狂った自粛警察だったのだ。

 社会は、不安にゆがんでいった。

 「新型ウイルスよりも怖いのは、人間、特に、新卒レベルの人なのではないか?」

そんな声が聞かれるように、想像された。

 自粛警察の行為は、エスカレート。

 新型ウイルスに感染した人が、見つけられたとする。すると、その人の家に貼り紙をしたりすると、いうのだ。

 「この家に、感染者がいるぞ?」

 「お前は、家から出るな」

 「この町から、出ていけ」

 外出せずに自粛活動を守り続けろと言いたかったのか、はたまた、外出しろということだったのか、わけのわからない表現が、連なっていた。

 感染者がいるとされるその家に停めてあった自動車の車体に、心ないいたずら書きをする人も、出てきたらしかった。

 これでは、ますます、外出しにくくなっていくだけだ。

 それなのに、こうだ。

 「出ていけ」

 矛盾だらけ、だ。

 社会全体が、パニックになってしまったのだろうか?

 リーウ医師は、叫んでいた。

 「他人への追いやりにかけるから、そういうことを、してしまうんだ!」

 感染者情報からその人の家を特定し、貼り紙、落書きをするような状況が報道されるたびに、リーウ医師は、叫んだ。

 チスイコウモリが見せた利他的行動を振り返るたびに、切なくなってしまうものでもあった。

 「想像力が欠けるから、そういうことを、してしまうんだ!」

 「そうだ。他人のことを、想像できないんだよ!」

 「どうなるのか想像して、行動に、ブレーキがかけられないのか?」

 「これは、まるで、新卒のヒヨコちゃんたちのようだ。アンガーマネジメントができない世代を、見ているようだ」

 「情けない」

 精神的に、コウモリのほうが、人間よりも高度であった気がしていた。

 「想像力がなく、思いやりに、欠ける!」

 非難は、そうした言葉で、まとめられた。

 想像力があれば、こう考えられたはずだった。

 「これを言ってしまったら、相手が、嫌がるだろう」

 「相手が嫌がるということは、自分も、言われたら嫌がるということ」 

 「必要以上に、言ったりやったりしては、ならない」

 「ここは、こらえるべきだ。社会の皆が、困ることになるだろうから」

これが考えられないから、ひどいものだった。このままでは、人間の社会は、チスイコウモリたちに、笑われてしまうだけだ。

 こんな気持ちになってしまえば、あまりにの、悲しすぎた。

 「私?心配いらないって!こちらだけがマスクを付けて守られ、無事に過ごしていけるのなら、構わないじゃないの」

 わがまま思考も、いきすぎだ。

 「誰かを注意するのは良いけれど、思いやりのない行動では、利己主義、エゴが生まれてしまうだけ。他人が、知らない子どもを叱れない今の社会を、見ているよう。人を叱れないというのは、精神医学上の、副作用」

 リーウ医師の言葉を借りれば、そうなっただろうか?

 今どき社会では、他人が、知らない子どもを叱るということが、少なくなってきた、だから、相手を思いやれず、想像できず、利己主義に陥って、心ないレッテルを貼ってしまうのだという。

 今の社会は、不純だらけだった。

 教育現場ではなかったが、他人が知らない子どもを叱るということが、今の社会では、なくなってきた。こう、注意したとする。

 「君?知らない人の家に、ゴミを放り込んだりしては、いけないよ!」

知らない人にそう声をかけられた今どき世代の子どもは、絶望する。

 先生に注意されても、絶望だ。

 「こんな先生に、注意されるのかよ。なぜ注意しているのかも理解できていない、低レベル教師のくせに」

 「私たちって、いつまで、大学院で教育学を学んでもいない人に教えられなければならないんだろう…ああ…」

 悲しくて悲しくて、泣いてしまった子。

 そんな子も、緩やかに、大成長。

 他人の家に放火行為をして怒られても、泣いてしまう学生まで出たという。もしかしたら、教育に絶望した子だったのだろうか?

「放火して怒られるとは、思わなかった」

 「私も」

 そう思う学生が、出たのだ。

 想像力がないというのは、怖いことだ。

 「小さな頃からS NS漬けで育った世代であり、電子機器が発達し、考えなくても答えが与えられた生活で育ったから、仕方がない」

 そういう見方もできたが、本当に、それだけだろうか?

 あまりにかわいがられ、ゆるく暖かく育てられた新卒のヒヨコちゃん世代は、社会に出て、挫折する。当然だ。

 何がいけないのかさっぱり理解できずに挫折もできない子もいるといわれるが、これには、精神医学での治療を必要か。

 なんにせよ、叱る行為をめぐっての社会の子ども問題は、尽きなかった。

 「知らない人に怒られるなんて、思わなかったよ…」

 こういう子も、厳しい就職試験もなく、すんなりと入社できた。

 就職氷河期が終わって、素敵な社会だ。

 「知らない人に怒られるなんて、思わなかったよ…。会社でも、そうだ。ぴえん」

 かつてなら、小学校の登校中にも、近所の知らないおじさんに、わけもわからずに怒られたものだ。

 「おい、そこのガキ!昨日、キャッチボールをしていたのか知らないが、うちの窓ガラスを、割っただろう?」

 そう言われても、かつての子どもは、その時点では、泣かなかった。

 「うるせえなあ…。おい、はげ茶瓶!昨日は、キャッチボールなんか、してないよ!」

 そう言い返したり、たとえ言い返さなくてもぐっと我慢して耐える日々を、経験していた。そういう子が、強い社会人となった。

 今では、そういう光景も、なくなってしまったが…。

 ぴえん。

 子どもを注意する力がなくなったから注意できないのでは、なかった。今の子は、注意をすれば…、ではなく、注意どころか、心配されて介抱されただけでも、殺しにくるようになってしまったのだ。

 これでは、声もかけられない。

 相手を想像することは、できない。

 道で、知らない子どもが、倒れていたとする。他人が、その子に、声をかけた。

 「君、君!どうしたんだい?救急車を、呼ぼうか?君、小学生かい?どこの、小学生だい?名前を、教えてくれないかい?」

 すると、声をかけられた子は、泣いてしまい、泣きながら、携帯していた防犯ブザーを鳴らす。知らない子を気遣って介抱しようとした人は、最悪は、警察に通報されてしまうらしいというのだ。

 社会の想像力は、藪の中。

学校教育の責任は、極めて、大きかった。

 「それは、いけないこと。やめなさい!」

 小学校の先生は、威勢良くそう言ったが、こう言われると、黙ってしまった。

 「先生?どうして、いけないんですか?」

先生は、答えられなかった。

 「なぜ、いけないのか?」

 先生には、その理由を考える力がなかったからだろう。特に、マニュアルとネット依存で生活してきたような今どき世代の若い先生では、この教育作業ができなかった。考えることをせずに教員になったツケが、回った。

 こういうレベルの先生に教わってしまった子は、気の毒だ。

 学校教育感染は、藪の中。

 「なぜ、いけないのか?」

 新型ウイルス社会は、大教訓を残した。家庭教育も、無念だった。

 かつての社会では、家庭教育で知り足りなかったことを、学校教育で補完してもらえる側面があった。

 要するに、家庭教育は基礎だった。その基礎を発展させられたのが、学校教育だった。

 家庭で育まれた想像力と思いやりは、学校教育で、プロの教育者によって認められ、社会で役立てられたものだった。

 しかし、それも、今では…?

子どもを叱れないというのは、たしかに、想像力と思いやりの無さを生んでいくという意味で、困ったことだった。

 「知らない人に怒られて、子どもは、何もできない」

 …と思いきや、感染者にたいして、心ない言葉を浴びせた。

 病的にエスカレートし、気に入らないことがあっても、ぐっとこらえる我慢ができず、S NSで、ウイルス感染に苦しむ誰かを殺すよう呼びかけてしまうこともあった。

 「もう、完全に、精神医学だ。心療内科にも、いったほうが良いだろう。医師の社会的存在価値が、わからなくなるような悲劇だ」

 リーウ医師の焦りの声が、響いていた。

 こう言う人も、いただろう。

 「子どもを叱らない大人がいるから、いけないんだ!」

 そうした声は、高齢者になればなるほど、高まるそうだ。だが、そう言えた人は、今の社会の厳しさを、理解して欲しかった。

 「参ったな…。俺の頭は、教育論になってきちゃったよ」

 リーウ医師は、ため息をついた。

 自分自身の子ならいざ知らず、他人の子どもを叱るというのは、とんでもなく、ハードルが高いことだったのだ。

 社会は、変わったのだ。

 ちょっと注意をしただけで、今の子は、平気で、S NSにその様子を投稿してくるのだった。そうされて他人がどんな思いをするのかは、想像できないのだ。

 家に帰れば、その子を擁護する、オンリーワン思考でゆるく育てられた、世界に1つだけの親ばかりが、待っている。

 何をされるか、わからなかった。

 近所の人は、さらに、注意ができなくなっていく。

 社会は、新型ウイルスにも似た敵のいる雰囲気の中で、動かされていたようだ。

人間とは、浅はかな生き物だった。

 本来は、チスイコウモリの利他的行動での例のように、助け合うことを目標に生きていかなければならなかったのかも知れない。

 まずは、助ける。

 助けてから、相手を見定めるのだ。

 チスイコウモリの、ように。

 相手のことを想像し、思いやる。

 「ああ。この人なら、また、困っていたときに、助けてあげよう。いつかその礼が、こちらにも返ってくるかも、知れないから。この人を、信頼してみよう。私は、今度、この人になら、助けてもらえるだろう」

 将来を想像できるというのは、良いことだった。計算高く、こう思う人もいただろう。

 チスイコウモリと、同じように。

 「今、この人を、助けるべきだ。いつか私が助けてもらえるような口実を、作っておくためにも…」

 そう思っても、良いのではないだろうか?

 いずれにしても、相手への信頼感が、想像力と共に、詰められているからだ。

 リーウ医師は、不思議だった。

 「人間には、なぜ、相手を思いやれるようなこうした行動が、とれなくなってしまったのだろうか?」

 すぐに、目を閉じた。

 ほんの少し、反省をした。

 「人間には、なぜ、できないのか?いやいや、それは、愚問か。人間は、思いやりをもって、助け合うことができたはずなんだからな。ネアンデルタール人だって、墓に花を捧げ、幼児を埋葬していたじゃないか。イランのシャニダールの洞窟調査で発表されたと、聞いている…。助け合い、相手を思いやれる気持ちが、あったはずなんだ!」

 それが、変わってしまった。

 近代化への歯車を懸命に動かしながら、いつしか、思いやることを忘れ、何となく、できなくなっていったのだった。

 きっと…。

 今の若い世代を見れば、社会の移り変わりは、良く、わかったはずだ。

 「こんにちは」

 そう話しかけられただけで、すぐに、母親の後ろに隠れてしまう子が出てきた。もちろん、知らない人に話しかけられ怖くなったから、そうしたわけだ。

 残念ながら、子どもを後ろに隠す親は、ほぼほぼ、若い世代だった。

 「知らない人とは、話せません」

 そんなオンリーワン世代のD NAが、悲しくも、しっかりと子どもに受け継がれていたのだった。

 「おっと、困ったなあ。他人への思いやり行動の例が、復活してきた。チスイコウモリの逆襲、なのか?」

 コウモリも厄介だったのかも知れないが、人間は、もっと厄介だったのでは、ないだろうか?厄介も、厄介だった。

 「自粛活動の要請を、延長します」

 政府は、そう決定した。

 感染症の専門家が、政治家のもとに、連れてこられた。

 「自粛を、お願いいたします。これまで我慢して、感染拡大を押しとどめてこられた皆の努力を、無駄にしたくはないのです」

 専門家を横に置いて、発表された。

 反発が出るのも、必至だった。

 「もう、我慢できないよ」

 そもそもから我慢のいらない生き方をしてきた世代の反発は、特別な雰囲気で、強まっていた。

 「わしらを、何とかしろ!わしらは、戦争にも耐え、食糧難にも耐え、社会保障費の上昇にも、耐えさせられてきた。そんなわしらに、失礼じゃないか!」

 ついには、そういうことを言う人までが、現れた。

 「そんなの、関係ないじゃないか」

 「関係は、あるわい!」

 「なぜ?」

 「新型ウイルス騒ぎだって、戦争だからじゃ。これはもう、社会、世界全体を巻き込んだ、地球規模の戦争になっておるんじゃ!」

 「そうじゃ、そうじゃ。これはもう、戦争なんじゃ!戦争状態にあれば、老いた弱い者を助けるのが、当然じゃ!わしらを、救わなくて、どうするんじゃ?誰が、この国を作ってあげたと、思っておるんじゃ?」

 話が、どんどん、あらぬ方向に、突き進んでいた。

 「そんなの、屁理屈だ」

 「このときになって、弱者ぶるのかよ!」

 「いつもは、違うことを、言っているクセに!」

 「わしらは、若者には負けん。そう、言っていたじゃ、ないか!」

「そうだ、そうだ!」

 「なんじゃと?戦争も、経験したことが、ないクセに!」

 「戦争なら、受験戦争で苦しめられた!」

 「それの何が、戦争なんじゃ?」

 「そうよ、おかしいわよ」

 「僕だって…」

 小さい子も、立ち上がった。

 「僕たちだって、戦争をしたよ?大変だったんだから…。お母さんが、必死にベビーカーを、押してくれたよ?」

 「それは、交通戦争じゃないか!」

 「…小さい子もそうじゃろうが、若い世代は、文句ばかりじゃのう?」

 「何だって?」

 「学校を出て、その歳をして、就職1つできなかったんじゃろう?集団で就職させられて耐えてきたわしらの努力を、ひがんでおるのじゃろう?」

 「そんなの、今は関係ないじゃないか!」

 「…おっと、横から、失礼。私たちバブル採用組は、何も苦労することなく、適当に遊んで就職し、大量の金をぶんどって、退職です。働かなくても、金をもらえることになっています。もっと、素敵でしょう?」

 「何じゃ、あんたは!」

 「そうだぞ!働かなくても金をもらえる身分を、誇りたいのか?」

 何の議論だったのか、わからなくなってきていた。

 S NS空間を離れることで、世代間がまとまれた。何とも、不可思議な現象だった。

 社会は、不安の渦に、飲み込まれていた。

 「何か、ムシャクシャするわ!」

 「そうよ!」

 「せっかくここまで、我慢をしたのに…」

 「まだ、自粛をしろと、いうのか」

 そこで、政治家が、なだめに入った。

 「皆さん!我々国民が、団結するときではないですか!」

 TV番組で、感染症の専門家が、またも、政治家のもとに連れてこられた。政治家が、こんなことを言った。

 「これまで以上の自粛を、お願いいたします。専門家の見解でも、自粛の延長が望ましいと、わかっています」

 そうして、政治家は、政治家にはなくてはならないものですからなどと言い訳をして、夜の会食を、楽しみ続けたのだった。

 「政治家って、恐ろしいよな」

 「危機管理に、想像力もない」

 「新卒先生レベル、だな」

 政治家の横についていた専門家が、政治家を見ながら、うなずいていた。

 「…そうか。あの専門家は…、政治家の答弁が正しいことを証明し、皆を黙らせる道具として、連れてこられたんだな」

 視聴者の合点が、いった。

 「でも、嫌だな…」

 「本当よね」

 「まだ、自粛しなければ、ならないのか」

 うっぷんが、溜まっていった。

 溜まったそのうっぷんは、危険だった。爆発しないよう政治家が指示し、専門家になだめに入るよう、促していた。

 自粛活動延長を決定したことにたいする不満が、イバラのようになって降り注ぎ、社会の人々皆の心を、突き刺していった。

 すると今度は、その不満にたいしての反発も、起きた。

 反論の、反論返しだ。

 事態が、転換した。

 「国民の皆様。協力、ありがとうございました。自粛生活は、時短営業などの条件付きで、解除といたします」

 政府の発表に、多くの人はホッとした。その傍らで、怒り狂った人が続出。またしても、冷静になれない雰囲気が、不安の波となって、押し寄せていた。

 「今度は、自粛活動を、解除するだと?何を、言う!何のために、どんな思いで、ここまで自粛を続けてきたと、思っているんだ!皆の努力が、わからないのか!」

 おそらく、そう言っていたほうも、わけがわからなくなっていた。

 この意見には、反論が、難しかった。

「皆の努力が、わからないのか!」

 そう言われてしまうと、何も返せずに、屈服されたものだ。

 不穏な弁論大会のようにも感じられ、人々は、疲れていった。

 「今、自粛を解除か!」

 「政府は、何をいうか!」

 「根拠に、乏しい!」

 「その通り!」

 そこでついに、こんな意見が出た。

 「自粛活動をやめてしまって、どうするんだ!人が助からなくなっても、良いのか?金のほうが大事だとでも、いうのか?」

 「経済が、それほど、大切なのか?」

 収拾が、つかなくなってきた。

 自粛生活と経済とを天秤に比べる言い方をすれば、必ずや、こう言う人が、出てきてしまうからでもあった。

 「あんたらは、人の命よりも、金を取るのか?」

 そこで、専門家が、止めに入った。

 経済の専門家、だった。

 「人の命よりも、金を取るのかという言い方は、たまに、聞きます。しかし、そう言えた人は、経済が何たるかをわかっていないのだと、思われます」

 まわりは、黙らされた。

 専門家は、自信をもった。

 「経済とは、何か?」

まわりは、より、聞き耳を立てていた。

「経済とは、専門家の我々の立場から言えば、社会皆の生活を支えてくれるライフラインのようなものだと、思われます。自粛生活を、これ以上続ける…?その決定には、理解できませんね。政府には、本当に、皆を救いたいという気持ちが、あるのでしょうか?自粛活動をやめるということは、ライフラインを止めると、いうようなことです。政府は、わかっていないのだと、思われます」

 社会の回転が、おぞましかった。

 「政治家の脳は、何をしても、嫌われる」

 とりあえずそれは、良く理解できていた。

 「皆さん?経済とは、金だけの問題というわけでも、なかったのです!」

 単純に考えられる問題では、なかった。

 「政府の自粛政策に賛同し、医療崩壊を防ぐために努力を続けることは、悪くないことです。が、経済という充実のチャンスを奪うことは、許されません。経済とは、精神の充実行動です。単なる金回りでは、なかったのです。時短営業でも、良いではないですか!経済を、回しましょう!経済は、人の生きる希望を支えられる柱、だったのです!これを完全に止めないように、願います!」

 専門家は、こう言いたかったのだ。

 「自粛活動は、当然すべきことだったとしても、それで、充実感を得られるきっかけ作りをなくし、生活を犠牲にするようなことにつなげては、ならない」

 専門家の経済論が、続いた。

 他の専門家らの言葉からも、経済の重要性が、感じられていた。

 「自粛生活をさせること自体は、良いでしょう。ただ、経済活動を優先させることが、条件ですがね。充実感も得られずに、単に命が助かることを目標にしたような生活を強要しては、ならない。人は、絶滅しないように保護される珍種に、なってしまいます。もしくは、何となく生かされる存在に、なってしまいます。それでは、およそ、ヒューマニズムの足下にもたどり着けない。生きるとは、何か?どれだけのレベルで、考えられていますか?」

 生への意識にまでつなげられて、難しい説明がされていた。

 人にとって大切なものとは、何なのか?

 「金か、命か」

 リーウ医師は、悩まされた。

 「悩まされるな。特に、新型ウイルスに苦しむ、この社会にあってはな…」

 大切なのは、何なのか?

 感染を防ぎ、日常を取り戻すことなのか?それとも、最低限度の生活を、続けることなのか?

 「経済とは、命の営みのことなのです」

 社会は、パニック状態となっていた。

 リーウ医師は、その夜、こんな夢を見た。

 夢の中のリーウ医師は、自室で、カルテとにらめっこをしていた。

 「はい?どなたですか?」

 部屋の扉に、コツコツと、音が響いた。

 「むう…」

 「あ、あなたは?」

 今度訪れたのは、かつて見たような高齢者たちではなかった。

 想像もしていなかったものが、訪れた。

 「むう…」

 足元にすり寄ってきた老犬は、言った。

 「むう…。先生よ?」

 「はい?」

 「こんな社会の中で暮らさなければならなくなったあんた方人間は、気の毒じゃのう。あんた方人間は、何と向き合い、何のために戦っておるんじゃ?見えそうで見えない敵と向き合って、被害の拡大を防ぐために、戦っておったのかい?辛いのう…。ああ、辛い。憐れじゃのう…。あんた方医師は、社会の皆を、守れておるのか?皆の生活を守るのは、良い。当然のこと、じゃな。じゃが…、生活を守ろうと躍起になって、充実感を否定するようなことをして、良いものじゃろうか?わしらには、あんた方人間の目的が、良く、わからんのじゃ。医師は、経済活動の問題を、どう考えておったんじゃ?人間は、本当は、何にために戦っておったのかのう?」

 老犬は、言うだけ言って、部屋から出ていった。

 追うことは、しなかった。

 部屋から出てしまったなら、医師として、何かを見放したような気がしたものだ。だから、できなかった。

 「それに、部屋から出ていくことは、自粛を破ることの比喩にも、感じられる。そんなメタファーは、相応しくない。特に、この医療の現場にあってはな…。ドアを開け、犬を追い経済を潤す行動に出ることが、本当に、患者たちにとって良いことになるのか。私には、まだ、わからない」

 カルテを片手に、茫然としていた。

 夢は、続いた…。

 デスクで、パソコンを立ち上げた。S NS経由のニュース画面に、見入っていた。

「この専門家、がんばるんだな」

 経済の専門家の説明は、続いていた。

 どこかで休憩をとったのだろうが、雄弁と続けていたようだ。

 「経済は、重要です。経済の専門家としても、何度も言わなければ、なりません。経済活動の自粛は、本当に、危険なのです。物が動かないどころか、心が、動かなくなってしまうからです。世界規模で不況が深刻化し、物でも人でも、つながりが、どんどんなくなってしまうのです!」

 リーウ医師の国は、インバウンド需要を伸ばし続けていた。

 外国から人を呼び込みサービスにつなげ、物を生産して活性化を図る経済政策に、力を入れていたものだ。リーウ医師の国の、得意戦術だった。

 都心から離れたゆったり気分を味わえることを宣伝文句にして、地方を中心に、外国人観光客向けの宿泊施設や商業施設が、相次いで、建設されていたものだ。

 つまりは、世界とつながれることを前提の目標として、経済を動かそうとしてきたのだった。

 そこでは、金が手に入った。

 働く人が、増えた。つまりは雇用が、生まれた。

 外国人需要で、物が売れた。

 物が無くなれば、補充だ。

 物の生産が、続けられた。

 そこでもまた、雇用が、生まれていった。

 それは、リーウ医師のいた国にとって、社会の、大いなる経済希望の演出努力だった。

 だが、この新型ウイルス騒ぎによって、その努力は、消された…。経済的な希望は、一気に、幻想に変わっていった。

 新型ウイルスは、経済的希望と自粛活動を天秤にかけて、戦わせはじめた。

 それまで希望に満ちていたものが、実は幻想でしかなかったことに気付かされたときの悲壮感は、計り知れなかった。

 急な出来事に、処置が、遅れに遅れた。

 調整も修正も、準備も心構えもできないまま、政府の空虚な戦いが、続けられた。

 「どうなったのか?」

 その言葉は、相応しくなかった。むしろ、これだった。

 「どうなっていくのか?」

 戦いは、延長戦を、強いられたのだ。

 自粛生活は、終わらなかった。専門家の言った経済の重要性は、どこへやら…。

 自粛活動の継続に加え、観光にストップがかけられたダブルパンチを経験させられたこともあり、インバウンドで充実感を得てきた地方は、汚された。

 もう、泣くどころでは、なかった。

 大都市に本部を置くであろう会社の倒産は進み、世界をつないでの業績悪化が、進められた。

大都市に人を集めることが、かえって、不人気にもなった。

丁度、その日だった。

 午後を回って、リーウ医師の診療所に、不穏な人が、現れた。

フードをまとった、不穏な男だった。

 背格好は、社会人はじめといった感じで、頼りがいがあり頼りがいのないような雰囲気に、感じられた。

 おそらくは、成人年齢の男性だった。細くも、太くもない身の感じが、不穏だった。フードに隠された顔は良く見えず、冷たい声が響いてきただけだった。

 「あんた、医者だろう?俺を、診てくれ」

「どなたでしょう?近所の方、ですか?」

 「リーウ…」

 「何です?私の名前を…」

 リーウ医師は聞いたが、フードの男は、何も、答えてはくれなかった。

 「…合い言葉は?」

 フード男が言ったのは、それだけだった。

 「合い言葉?」

 合い言葉というキーワードで知っていたのは、この言葉くらいだった。思わず、口をついていた。

 「ぐんまけん」

 すると、フードの男は、一言置いて、フードをとった。

 「わかった…。良いだろう」

 フードの下で、コウモリのように冷たい目をしたサラリーマンが、きつい目を向けていた。これが、アポフィスという男なのだろうなと、思わされた。

男は、言った。

 「お前は、医師のクセに、新型ウイルスによる感染によって、疲れて救われたい患者ら皆の心が、わかっていなかった。お前は、はじめは、自粛生活に賛成した。感染の拡大を防ぎたい医師としての思いであったなら、当然だよな?だが、そこからあんたは、経済活動再開への大切さにも、納得しかけた」

 「なぜ、それを…?」

 リーウ医師の額に、汗が、流れた。

 アポフィスの追及が、深まった。

 「お前は、本当に、医師なのか?」

 辛い言葉を、吐いてきた。

 「そうだ。医師だ」

 「いいや、医師じゃない」

 にらみ合いが、続いた。

 「…お前は、嫌いだ」

 そう言って、小太りの男が、入ってきた。

 「アポフィスさん、やはり、ここにいましたか」

 「…ああ、お前か」

 「こんなところにいて、良いのですか?隣り町の公園で、自粛を守らずに遊んでいる子が数人いるという情報が、入りましたが」

 「…そうか。わかった」

 「早く、見回りにいったほうが良いんじゃないのですか?」

 「…チッ」

 「では、俺は、これで」

 「おい?」

 「何です?」

 「ポーキーは、アポフィス団に、入らないのか?」

 「…」

 「俺の自警団ではなくて、あの男の自警団に、入りたいからか?」

 「…」

 「あの、男…。何ていう名前だったかな?ギー…」

 「じゃあ。俺は、帰りますからね」

 ポーキーと呼ばれた小太りの男は、部屋から、すぐに出ていった。

 それから少しして、無言になっていたアポフィスも、これだけを言って、診療所から立ち去っていった。

 「…、じゃあな?リーウ。患者を、救ってやるんだぞ?医師として…。俺と、同じだよな。俺は、絶対に負けない。挑戦だ」

 リーウ医師は、恐怖を終え、へなへなと、座り込んだ。

 「な、何だったのだ?…あの男が、アポフィス、だったのか?普通じゃあ、ない」

こちらの名前を軽々しく口にできたのは、なぜなのか?そんなことは、思えなくなっていた。まるで、金縛りだった。

 公園にいく子どもたちがこれ以上傷付かないよう、祈っていた。

 その祈りの途中で、嫌な声が響いてきた。

「俺と、同じだよな」

 その言い方が、忘れられなかった。

 苦し紛れに、単に、同じ社会に住む人間だと言いたかっただけなのだと勝手に解釈をして、その日は、いつもの診療活動を続けようと思っていた。

 「VSアポフィス、か…」

 出会いが、気持ち悪かった。

 「気にするな、俺よ」

 患者を診る時間に、戻った。

 自粛生活は、相変わらず、続けられた。

 次第に、こう言う人が出てきた。

 「こうなったら、大都市を捨てて、地方産業の再活性化に、動くべきなんじゃないだろうか?」

 その意見の元で生かされたのが、こういう名の働き方、だった。

 「ワーケーション」

 社会を見渡せば、超好景気時代に栄えたものの、今は、負の遺産になってしまったモノたちがあった。

 リゾート地にいけば、今は使い道に困った箱が、いくつも、見られただろう。

 ワーケーションは、それらの遺産を再活用させる働き方のこと、だった。

 地方に残る負の遺産にいき、そこを宿泊地に、仕事をこなしてしまうと、いうのだ。

 その負の遺産は、自治体によっては、レンタルもしてくれるという。

 そうして、人を地方に呼び込む努力の方法があったのだ。

 「新しい働き方、ワーケーション」

 地方を活性化させる、偉大な、経済努力だった。

 ワーケーションで特徴的なのは、働きながら、休暇をとるようにできることだ。

 人によっては、経済活動というよりも、労働の新形態と、言っただろうか?地方が出した、新しい日常の1つの対策案だった。

 ノートパソコンをはじめインターネット、ブロードバンドが急速に普及した20 00年代にはじまったとされる働き方だ。

 ワーケーションは、都会の喧噪を離れた静かな環境での仕事を提供できて、地方の、大いなる精神的武器となっていた。

 ワーケーションは、金やモノの流れで考えた地方経済に、大きな潤いを与えられた。

 ワーケーションで、集団が地方施設に向かえば、より、活性化をした。地元産業が動きだし、人口の増加が起こるといわれた。

 消費が潤い、モノを作るための雇用が生まれると、期待もされていた。

 地方への援助が、本格化した。地方へ、また、地方からのつながりを広げていくということは、大切な経済努力だったのだ。

 地方を含め、様々な場所とつながりたいという思いで、人々は、集まっていった。経済の専門家によれば、心の経済活動ということに、なりそうだった。

 このときに大いなる役割を果たしたのが、大都市だ。

 「主役が、地方から、大都市に変わっただけじゃないか」

 そう、言うなかれ、

 地方を主役に置いたまま、大都市が補助を担うという見方も、できたのだから。

 これによって助けられた人も、多かっただろう。

 地方は、大都市というバックグラウンドを手に入れられて、潤った。

 が、次第に、人もモノも、大都市に帰っていく。

 経済活動とは、面白いものだった。

 しかしながら、その、いってみれば都市集中帰りの現象も上手くいかなくなったことが、証明されてもきた。

 「都市部は助けられたのかも知れないけれど、地方は、困ってきたんだよ?これではまた、経済が、上手くいかなくなっちゃうよ。地方への予算の配分は減って、人は流出するし、職場もなくて、少子化で、またまた、人口が流出する。悪循環」

 その実態と苦しさを理解できたのが、今回の新型ウイルスであったとは…。

 何と、皮肉。

 何と、不都合な事実であったことか。

 世界規模の危機的状況が起こってしまったことで、ようやく、地方の困窮が理解できたという、この、悲しさ。

 新型ウイルス騒ぎは、こうした社会状況の矛盾があるということを、明らかにしてしまったのだった。

 皮肉なこと、だった。

 そうすると、経済の専門家は、こうも言いたかったことになる。

 「国は、地方、都市、世界をつなごうと、懸命になり過ぎた。が、そこにきて、新型ウイルス騒ぎによる自粛で、つながりたいともがいていた場所が、満足に、つながれなかった。だが、経済を動かせば良い。満足につながれる場所を、自分たちで、探すんだ。明るい兆しを、国内から、探していけ」

 社会は、修正を、迫られていたのか。

 「これまでの社会では、この新型ウイルスに立ち向かうのは、意外と、難しいのかも知れない。考えに考えて修正ができなければ、誰も、救うことができないだろう。社会に適応し、ウイルスに適応もし、進め。医療従事者は、勉強をさせられる毎日だな。良いだろう、修正だ。修正ができた先に、命がある。あの高齢者患者らは、私にそこを気付かせ、あの犬は、修正は必要だが、まずは、扉から出ていかずに足元を研究するよう、言っていたのだ」

 社会は、どうなっていくのか?

 経済政策だけで国のピンチを救えるとまでは、思えなかった。けれども、経済を回さなければ、人の心が、死んでしまう。

 政府が国民全員に出したという一律給付金も、まだ、受け取れていない人が、いたという。

 一律給付は、公平そうであって、実は、公平ではなかった危険性があった。

 「経済が、人の助けになっていないじゃないか…。経済を知ってきた私には、納得がいかない」

 「…経済活動にかかる制約をすべて取り除いてあげるのも、良い方法なのかも知れない…。そう…。医師が、患者の悪いところを、取り除くように」

 それが、社会すべての公平性を保つ手段とメスになるんじゃないのかとも、思い始めていた。

 「我々医療従事者がなすべきこととは、何なのだろうか?患者の経済を支えること、なのか…?経済、経済…」

 経済面から医療体制につなげて考えられるとは思っていなかったこともあり、うろたえてしまったほどだった。

 「医師としての私の立場が、経済に押されて、変わっていく…」

 不可思議な感覚に、沈んでいた。

「自粛行動には、大賛成だ。感染を広げることなく、清潔さをしっかりと保てる生活をこそ、作るのだ」

 当初は、それこそが、リーウ医師の立場だったはずだ。

 それは、医師としての信念でもあった。

 「その信念が、動かされたな…。私は、医師として、いけないことを考えてしまったのだろうか?」

 常に、悩まされた。

 「まだ、世界は、止まったままなんだな」

会社の休業要請は、解けなかった。

 「我が社は、自由である」

 そううたっていた会社もあったが、自由であったが故に、苦しめられてもいた。

 会社によっては、フリーアドレス制が、導入されていた。

 社員の住所やメールアドレスが自由になったという意味では、なかった。自分の使うデスクの位置を自由に選べるようにした制度、だった。

 なぜ、そんなことをしていたのか?

 それは、コミュニケーションを滑らかにさせるためだった。

 そして、創造性を向上させるのが、狙いだった。

 従来は、課やプロジェクト、あらゆる部門ごとに、デスクが振り分けられていたものだった。同じ業務をこなしていた人が隣りにいれば、好都合だった。

 「これ、どうかな?」

 「ああ。これか」

 「良いんじゃないか?」

 「昨日、私がやったものと、同じですね。私の作成したものを、見てみますか?参考になるかも、知れません」

 「同じ作業の人が着くと、参考になる」

そうした会話が、できたからだ。

 けれどもそれには、弊害もあった。

 フリーアドレス制では、アイデアが固まりやすくなったそうだ。

20 10年以降、仕事で作るものとして重要視されたのは、物以上に、創造性だった。こう考えられるまでに、なっていた。

 「物としての製品よりも、人間の創造性、アイデアが、新しい価値を生むのではないだろうか?社員をシャッフルさせて、様々な席で、様々なアイデアをぶつけさせたほうが、効率が良い。社会を変えるだけの新しい商品は、そこから、生まれるようだ」

 そのために、職場では、自由席が喜ばれたのだった。

 それが今や、固定席制度に、戻されつつあった。

 なお、こうしたフリーアドレス制が嫌がられて、同じ課同士の固定席が喜ばれていた背景には、興味深いものがあった。

 フリーアドレス制離れ離れには、リーウ医師の国の国民性が、大きく、関わっていたのいだという。

 リーウ医師の国の人は、こう考えがちな性格だった。

 「自由席にしたのは、良い。けれども、違う課の人間が、俺の後ろを、うろうろと、歩き出す。何だか、他社の人間にプロジェクトを盗み見されているようで、嫌な気分だ。集中も、できないよ」

 これは、多国籍の人が行き交うような大らかな国民性オフイスとは、違った様相を見せていた。

 また、新型ウイルス騒ぎは、同じ国であっても、会社ごとに性格を異ならせるということをも、教えてくれた。

 会社の改革は、密やかに、広げられた。

 「うちの会社は、休憩室に、ウオーターサーバーを、置きはじめたんだよ。これも、何かの改革なのかなあ?」

 「あら、あなた?わからなかったの?」

 「何が?」

 ときには、会社情報は、妻のほうが詳しかったりしたものだ。これも、新型ウイルス騒ぎによる影響だったのだろうか?

 S NSやTV番組、週刊誌などに触れることにより、情報を入手していたのだった。妻もまた、ビジネスマンさながらだったようだ。

「あなた?なぜだと、思う?」

 「休憩室の、ウオーターサーバーか?」

 「そう」

 「そうだなあ。あんなにちょろちょろ水出されて待たされるのに、意味あったのか?」

 「待たされるから、意味があったんじゃないのかしら?」

 「何で?」

 「それを、考えなさいよ。自分で考えるクセをつけていないと、定年退職世代のおじさんか、新卒一括採用世代のヒヨコちゃんに、なっちゃうかもよ?」

 「それは、嫌だなあ」

 「じゃあ、考えなさいよ」

 会社の休業要請は痛いが、こうして夫婦の会話が増えることは、良いことだったのではないだろうか?

 …というのは、幻想か?

 「私は、会社の休憩室にウオーターサーバーが設置されたのには、情報交換の目的があるような気がするのよね」

 週刊誌情報と合わせた知識を、披露していた。

 水道で水を出すのなら、短時間。

 が、ウオーターサーバーで水を出すとなれば、時間がかかった。コップに水がたまるまでは、10秒がかかっただろう。

 「その10秒が、大切なのよ」

 「そうなのか?」

 10秒の間に、他の課の人や他のプロジェクトの人と、ちょっとした会話ができるから良いと、いうのだった。

 「情報交換にも、つなげられるんじゃ、ないの?」

 「そうかなあ?」

 この工夫は、社会で受けたらしく、S NS経由の情報によれば、同じ会社でも、ビルの階ごとに違う飲み物を提供することがあったのだという。

 「オフィスの3階には、コーヒーサーバーがあります」

 「オフィスの2階には、オレンジジュースサーバーを、設置しました」

 「1階には、ウオーターサーバーを、設置しました」

こうすると、飲みたい物目当てに社員が集まってくることも、あった。飲みたい物をきっかけに、社員の自律と活性化が図れる狙いが、功を奏した。

ちなみに、ウオーターサーバーを置いた1階フロアには、定年退職おじさんたちが、集められていた。

 3階には、コーヒーサーバーがあった。

 2階には、オレンジジュースサーバー。

 「どの階に、いきたいか」

 おじさんたちは、散らばった。

 「飲みたいものがあったら、動け」

 「働かなくても、金をもらえるんだろ?」

 「おじさんたちは、良いよなあ」

 「ほら。動けよ」

 退職おじさんたちは、会社全体から、愛されていたのだった。

 会社の改革は、進められすぎた。会社の工夫も、必ずしも上手くいくとは、限らなかったようなのだ。

 自由デスクに散って良いという、フリーアドレス制を導入した会社は、新型ウイルス騒ぎの深刻化で、工夫の変更を求められた。

 改革が、逆作用を、もたらした。

 「新型ウイルスの感染者が出た場合、どうするんだ?」

 「社員の誰から感染が広まったのかが、わからなくなってしまうじゃないか」

 「犯人捜しをするわけでは、ない。けれどな、そうでもして感染源を知ることができなければ、社内感染の拡大に、対応できない」

 「その通り、だ。場所がわかれば、対策もとれると、いうもの」

 「新型ウイルスを、無差別に、オフィス内にばらまくようなものじゃないか!」

 職場をややこしくするであろうことが、すぐさま、指摘された。

 しかし、社員皆に、フリーアドレス制の自由デスク以前の規定デスクの場所に戻ってもらうのも、難しいことだった。

 「以前どこに座っていたのか、だって?そんなの、わからないよ。覚えていないんだから、仕方がない」

 そう言う社員もいれば、こう言う社員もいたようだ。

 「俺の席は、自由な、あの席だ。以前の席に、戻れっていうのか?じゃあ、何のために席を移動させたんだ?」

 「業務矛盾だ」

 あるいは、こう言う人も出たかも、知れなかった。

 「俺の場所がなくなれば、俺は、アイデンティティを失う。失われた席を求めてなんていうのは、ごめんだね」

 哲学やヨーロッパ文学をかじった人なら、言いそうだ。

 席を戻すのが難しい場合は、デスクとデスクの間にボール紙を敷くなどをして、対応していたようだ。

 そんな中、ある矛盾が、起こされた。

 元々から無駄削減をうたっていた会社が、リモートでの働き方を進めた中で、無駄を嫌い、こう考えたのだ。

 「リモートで働く社会は、会社に、考える機会を与えた。ネットショッピングからの配達業務は、この社会では、もっと進めるべき武器になった。そこでわかったことは、商品の在庫を抱えるのは無駄だということ。物を備蓄するために、備蓄にかかる倉庫の賃料を用意するなんて、できない。今は、そうした時代じゃあ、ないんだ。エコと効率を、考えろ。在庫を抱えすぎず、注文があったときにだけ物を提供するようなやり方に、変えていくべきだ」

 その考え方が、実行に移った。

 社員の非正規化が進められ、AIロボットなどによる人の取り替えが、はじめられてしまった。

 それが、新社会の矛盾というものだった。

 「物を溢れさせそれで満足を得るような社会は、過去のものだ」

 そう、わかっていながら…。

わかっていたからこそ、人がないがしろにされていく現実が、広げられていた。

 とてつもなく、さみしすぎた。

 「これも、新型ウイルスの呪いなのか?」

 誰かが、言った。

 「呪いなどと、非現実的なことは、この今の社会には馴染まない」

 そうは言ったものの、その非現実性を入れて考えなけば、議論が進みそうになくなっていた。社会全体が、危うい雰囲気に、押し込まれていた。

 「それこそが、呪いのようなものじゃないのか?」

 他の誰かも、言った。

 会社は、こう考えていった。

「今の社会では、効率を、追求すべきだ。モノが欲しかったのなら、その都度、店に駆け込めば良いのだ。ネット通販も良いが、在庫がある場合のみ、売れば良い。余計なストックなど、いらない」

 新社会に合わせた、好努力だったろう。

だがそれも、このウイルス騒ぎのような世界緊急事態には、上手く機能しなかった。新型ウイルスは、社会的矛盾もまた、拡散しはじめたのだ。

 新型ウイルスに追われた市民は、混乱していった。

 「マスクを買いたいのは、わかる。けれども、本当に、そんなに多く必要なのか?」

 疑うほどに、買いに走らされていた。普段は、こんなことを、言っていたのに…。

「マスクなんて、家に何枚かあれば、充分だろう?ストックしすぎても、仕方がないじゃないか。買いだめなんて、しないでくれ。マスクに埋もれた生活に、なってしまう。我が家は、医者じゃあないんだ。要らない」

 それが、社会的混乱に巻き込まれると、どうか?

「ストックしないと、気持ちが悪い」

 「まわりから、仲間はずれにされちゃうかも、知れない」

「どんなときにも、安心を感じられない」

 心が、むしばまれた。

 人間とは、何と、変な生き物だったか。

 「買いだめなんて、恥ずかしいよね」

 「ああ。大人のすることじゃあ、ない」

 リーウ医師の国では、平時は、そういう言葉が行き交っていたものだ。

 そんな日常も、いとも簡単に、覆されていた。

 結局は、マスクをはじめとした新型ウイルス予防のための物資が、買いだめされていったのだった。

 こう思った人も、いたようだ。

 「これまでの日常生活では、マスクは、必要なかったのかも、知れない。でも、社会は変わったんだ。今は、買わなければならない社会なんだ。いつ訪れるともわからない危機にたいしては、役立つはずなんだ」

 危機感が芽生えていたという点では、良かったのだろうか?

 「社会人として、常に危機感をもって、動いてください」

 これまで、一般常識的にそう言われていたことが、買いだめ行動に走らせた要因、だったのだろうか?

 危機感をもった備蓄が、奨励された。

 ところが、だ。

 過去の使い捨て社会を反省し、わざわざ在庫を抱えるべきではないと考えた省エネ行動も、逆作用を、もたらした。

 「ちょっと!マスクが、ないの?」

 「マスクを、出せ!」

 「どこかに、隠しているんじゃないか?」

 これまでは、マスクがないことを気にも留めていなかったクセに、ついには、在庫がないために、暴動略奪が起きてしまった。

 暴動は、加熱した。

 「マスクが、闇サイトで販売されたぞ?」

 「どこだ?どのサイトか、教えてくれ!」

 「ただし、1枚、通常の10 00倍の値段!」

 「そんな、バカな!」

 「だが、新型ウイルスの脅威から防御するには、買うしかないだろう」

 「…足下を、見たな!」

 「買うしか、ないの?」

 「非人道的な、オークションだわ!」

 混乱は、続いた。

 国を行き交うネットワーク網は、さらに、制限を受けた。

 「物が、動かない…」

 「サービスも」

 動かそうと思えば動かせそうな物が、社会的な油の供給をストップされ、役に立たない構造となっていた。効率的な物の供給は、世界経済を麻痺させるような状況下では、意外にも、まったくといって良いほどに効率的ではなくなっていたのだった。

 社会の無力な側面が、見えてきた。

 動いてくれないのは、物やサービスばかりでは、なかった。

 人の移動も、制限されていった。

 「外出時には、マスクを着用のこと」

 その準備は、整えられた。

 悲しくも、買い占めという行動で、解決されようとしていたのだった。

マスクは、手に入れられた。

 が、外出時には、それだけで問題が終わるとは、限らなかった。次に出た問題は、これだった。

 「外出先では、必ず、手洗いを心がけること。消毒できなければ、施設には、入らないでください。買い物であっても、同様です」

 とはいえ、実際には、手洗いさえできれば良いというわけでも、なかった。課題は、手洗い後にもあったようだ。

 「手洗いが台無しになってしまうような、こんな行動が、あったぞ!」

 S NSで、ちょっとした話題になっていた。

 その行動とは、何なのか?

 これを知っているのと知らないのでは、新型ウイルスとの付き合い方に、大きな差が出てしまうそうだった。

 「手を洗った後が、重要。洗ったら、充分に、乾かすこと」

 手を洗った後で、その手を良く乾かさないことが、あった。

 「濡れた手で、ウロウロするな」

手が濡れていれば、手洗いも、意味がなくなっていく。濡れていると、悪いものが付着しやすくなるのだ。

 ホコリだって、付着してしまう。

さらに、タオルで拭くとしても、同じタオルを使い回ししても、ウイルスたちは、喜ぶ一方だという。

次も、注意だ。

「手を洗った後の手で、髪の毛をいじってはならない」

 手洗い後にやりがちなのが、この行動。手を洗った後の濡れた手で、髪の毛に触る。スタイリングと呼ばれる行為も、危険だった。

 髪の毛には、ウイルスをはじめ、最近が付いている場合があった。手洗い後の濡れた手で、髪の毛を触ってしまえば、どうか?せっかく洗ってきれいになった手に、ウイルスを付け直してしまうことに、なるのだった。

 「ジェット式のハンドドライヤーを使って手を乾かしては、ならない」

 このことには、社会的に、注意が広まっていたようだ。ほとんどの外出先で、ハンドドライヤーの利用が、禁止されていただろうからだ。

 「どうして?どうして、あのハンドドライヤーを使っちゃ、ダメなの?」

 疑問に思った人も、いただろう。

もちろん、感染を起こしやすいから、禁止されていたのだった。

ジェット式は、危険。

 空気中にウイルスを飛散させてしまうと、見られていた。ペーパータオルに比較して、何と、20倍以上も、ウイルスを空気中に飛散させたというデータが、あった。

 次は、本当に、意外なのではないか?

 「スマートフォンの画面に触っては、ならない」

意外中の、意外だろうか?

 「じゃあ、どうやって、生活するんだ!」

 そういう声が、聞こえてきそうだった。

 子どもも、怒っただろう。

 「今は、外出もできない、自粛期間なんだよ?今は、スマートフォンを触ってゲームをしたりラインを飛ばしたりすることしか、楽しみがない。それなのに、なるべく、画面を触らないようにするのか?地獄だ」

 多くの人は、困りに困っただろう。

 だがこれは、本当のことだったのだ。

 会社のオフィスでは、パソコン仕事をする以上、キーボードやマウスを触るはずだ。そこで注意しなければならないのは、個人パソコンの利用ならともかく、不特定多数の人が触る状況の時だ。

 「除菌だ。除菌だ」

 その通り、ウェットティッシュを利用し、キーボードなどを拭くことが、求められていく。

 誰もが使える共用の文明機械は、ときに、誰もに襲いかかる武器にも変わると、意識したいものだ。

 これが、業務に、煩わしさをもたらす。

 「早く、仕事をしたい」

 「新型ウイルスでされた自粛期間による遅れの挽回を、図りたい」

 そう思えば思うほど、危険は、増した。

 「新型ウイルスに負けないよう、早く、仕事をはじめよう」

 焦れば焦るほど、危険。

心落ち着かせて、除菌から、はじめたいものだ。

 手を洗うアルコールの利用にも、注意があったそうだ。

 「皆さん?買い物にいくときなどには、注意すべきでしょう。店の入口には、アルコール液が設置されていると、思います。濡れた手で、アルコール消毒をしても、意味がなくなってしまいます」

 それも、リーウ医師の、言う通り。

 「リー先生、なぜ、いけないのですか?」

 「ああ。それは、ですね…」

 アルコール液の効果が、薄まってしまうのだという。

 「アルコール消毒液を使うのは、水気を良く取り除いてからに、してください。手の水で、せっかくのアルコールが、薄まってしまうのです。それから、皆さん?先ほどの、復習です」

 「復習?」

 「何じゃ?」

 「スマホのこと、ですよ」

 「ああ。言っていたわねえ」

 「皆さんが、かわいい孫に連絡をとりたいのは、わかります。ですが、くれぐれも、スマホの画面には、触りすぎないよう、気を付けてください」

 「そうかあ」

 「気を、付けねばなあ」

 「これも、意外だわねえ」

 「スマホ画面は、意外にも汚いもの。意外というよりも、かなり、当然に、汚いものなんだと、知っておいてください」

 新型ウイルスの付着実験というものがあって、興味深い結果が、出たそうだ。

 ウイルスは、ゴツゴツとした面よりも、金属などのツルツルとした面に長らくとどまるということが、わかったのだ。

 「…よろしいですか?ツルツルした面で、私たちが日常に良く触る場所は、どこだと思いますか?」

 日常良く触る、ツルツルとした場所…。それが、スマートフォンの画面だという。

 「電車の中などで、熱心にスマホをいじっている人が、いますよね?年がら年中、画面にも、触れていることでしょう。それって、常に、汚染と向き合っている状態なのです」

 手洗いをした後ですぐにスマホ画面に触ってしまったら、除菌の努力も、消えてしまうという。

 「それから、食事中にスマホをいじるのなんて、自殺行為といって良いんじゃないのかと、思われます」

 食事中、スマホ。

 若い世代は、やりがちだ。

 ビジネスマンの中にも、仕事を横に、スマホをいじりながら、忙しく物を食べている人がいただろう。

 「それは、確実に、新型ウイルスの感染危機につながります。そもそも、スマホの画面を触りながら食事をするのは、本当に、汚いことなのです。その人は、そうは思っていないのかも、知れませんが…。そういう食事をする人は、ビジネスマンとしての資質に、疑問をもたれます。その手で、会社の書類を触っていたりするのでしょうか?そしてその書類は、そのまま、回覧されるのでしょうか?オフィスが傷付き、他の人が、嫌な思いをするでしょうね。注意したいことです」

 家庭でも、スマホをいじりながら食事をする人が、いただろう。

 そのときに家族と接しすぎたら、どうなってしまうのか?

 家族感染のリスクも、高まっていく。スマホは、便利であっても、困りものだった。

 「スマホ画面は、ウイルスの寝床。汚い」

 これを知らないまま生活をすると、きつかった。

 スマホ画面を除菌しようと思っても、画面に直接アルコールを吹きかけるなど、できなかったのだから。吹きかけたら、故障の原因に、なってしまう。

 せめて、アルコール液を湿らせた布で、丁寧に、画面を拭いてあげたいものだ。手を乾かした状態でおこなわなければならないことは、言うまでもない。

 「スマホに触ること自体は、社会生活上、批判などできない。しかし、外出を自粛していたことで、スマホ画面と遊び続けると、まずいことになりがちです」

 知らなかった人も、多かったのではないだろうか?

 新型ウイルスに怯える生活には、辛さばかりが、目立っていた。

 移動には、いつまででも、大きなブレーキがかけられた。

 何と、同じ国内であろうとも、パスポートやビザ、それがなければ、保険証など…。あるいは、医療機関が発行した政府の証明書を提示できなければ、大きな移動が、できなくなってしまったのだった。

 医療機関と政府が認めた証明書には、大いなる力があった。それはもう、生活必需品といっても良いほど、だった。

 「こんなときは、医療機関にいくことが、身分保障になるわけか」

 「社会に適応するのって、わけがわからないこと、なのねえ」

 「そして、こういうときばかりは、役所よりも、医療機関を利用するほうが、はるかに大きい意味をもつ」

 「不思議ねえ」

 「じゃあ、役所の存在意義って、何なのだろうか?」

 世界的規模の陸上競技、コンサートなどになれば、国際的な証明書無しには、身動きができない状況となった。

 社会的束縛が、増した。

 新型ウイルスによる今回の騒ぎは、世界中を、まるで楽しむかのようにして、傷付けていった。

 世界を駆け巡らせるほどに成長できた物流網や情報通信網は、まだまだ、サプライズパニックに陥っていた。

 「これからも、世界の連携は、加速していくはずだ。国際機関による調停、協調作り、さらには、市場の確保と開放が、強められていくだろう」

 その予想図は、見事に、裏切られた。

 多くの人を、泣かせたのだった。

 世界機関の、思わぬ実行力の弱さにより、落胆が広がった。

 「いける場所が、なくなった。頼るべき先が、なくなってしまったようだ」

 人々は、不安に、落ち込み続けた。

 人間というものは、困難にたいして、たった1人では立ち向かいにくい生き物だった。誰かと共に歩みたいと感じる性質が、どこかに、あったものだ。だがそれも、このときばかりは、上手く機能しなかった。

 「頼って共に歩みたいと信じられる先が、実は、こんなにも、弱かったとは思わなかった…」

 ショックは、大きすぎた。

強国の指導者の力は、その大きさに、反比例していた。新型ウイルスに苦しめられる立場の人々からすれば、指導者のもつべき強さも、薄れていく一方だった。

 その強国の指導者は、新型ウイルス事件の犯人を見つけて避難のなすりつけ合いをすることばかりに、力を注いでいったように、感じられていた。

 医療機関を訪れる患者は、なにも、新型ウイルス関連に悩む人ばかりでは、なかったはずだ。それ以外の困窮、たとえば、臓器、脳障害関連で診てもらいたいと訴える患者も、多かった。

 「医療崩壊が、起きそうだ…」

 もう、余裕は、もてなかった。

 「…医師であっても、医師にはなりきれない感覚だ。このウイルス騒ぎは、何なのだ。人を助けるとは、どういうことなのか?私には、近所の人を診てあげることしか、できない。私は、無力だ…」

 その感覚は、リーウ医師を、縛り続けた。

 「…私は、どうしたらいい?医師は、何のためにあるのか?医学は、何のためにあるのか?無力だ…」

 医師以外にも、医療機関の困窮を目にした患者の誰かもまた、こう言った。

 「いつかは、医療崩壊を起こすだろうな」

 リーウ医師も、遠隔地で、心配し続けた。

「病院のこの有様を見れば、誰もが、不安になるだろう。患者も勘付いているのだろうが、医療崩壊が、現実味を帯びてきた。このままでは、町の大病院は、医療崩壊を起こしかねない。私は、この診療所で医療を続けているだけで、本当に、良いのだろうか?私は、どこまで、無力な医師なんだ…。近所に住む人たちの身体の調子を診ることだけで、満足をしているんじゃないのか?…とはいえ私は、町の病院には助けにいけない。そんなことをしたら、この診療所、この私を頼ってくる人たちを、置き去りにすることになる。それは、およそ、医師のすることではない。人間は、どこまで、無力なんだ?」

 医療崩壊を案ずる声は、強まる一方だった。

 そして、いくたびも、変化を見せた。 

「助けてくれよ。わしらは、どうなるんじゃ?」

 「医療崩壊で、済むのか?」

 「これじゃあ…。医療崩壊よりもむしろ、社会崩壊よ!」

 「終わりの、はじまりじゃ」

 人間というものは、奇妙なものだった。

 子どもは外出禁止、子どもは外出禁止と、小声であっても常に言われ続けていくと、ほんの少しのことでも、我慢がならなくなっていくものだったようだ。

 社会的アラームを聞いただけでは飽きたらず、大人は、自分自身からも、アラームを発するようになっていった。飽きることなく、社会をゆらして、鳴いていた。

 「あ!外出している子どもが、いるぞ!」

 「本当だ!」

 「注意しろ!」

 それを言ったのは、外出を禁止まではされなかった、大人たち。大人は、子ども相手には、強かった。

 中でも、定年退職世代のおじさんたちの強さは、半端なかった。おじさんたちは、家では、こんなことを言われたものだ。

 「ちょっと、邪魔!定年退職して家に戻ってこられても、邪魔。本当に、邪魔!これまでは、家に金をもってきてくれたから、仕方なく面倒見てあげたけれど…。もう、家の外に出ていって、金を持ってきてくれないわけでしょう?だったらもう、あなたの存在価値なんて、ないじゃないの!」

 おじさんには、為す術がなかった。

 「うわあ。存在価値、か。ひどい言い方」

 このようにしてでしか夫婦の会話が描けなかった現実は、冷たかった。

 「ひどく、ないでしょう?」

 「ひどいだろう」

 「ひどくは、ありません。口も、邪魔。だからあなたは、邪魔だって、いうのよ?あなた、わからないの?邪魔。家から、出ていってよ、邪魔」

 「外出しちゃあ、ダメだって…」

 「それは、子どもの話でしょう?」

 「う…」

 「退職して家に戻ってきて、脳も、子どもに戻ったか」

 「お、お前…!」

 「何よ?」

 「亭主に向かって、使う言い方か!」

 「良いじゃ、ないの。社会の、不良債権」

 「それが、大人の言い方なのか?」

 「はいはい。私も、大人でしたね」

 「うん…」

 「大人なら、独り立ち、できるでしょう?独りで、生きて生きなさいよ。家から、出ていきなさい」

 「冗談じゃ、ない。外には、俺の居場所がないんだ。社会の皆が、俺たちの世代を、嫌うんだよ」

 「…でしょうね」

 「なぜ俺たちは、嫌われるんだ?」

 「さあ…。なぜでしょうね?」

 「若い世代には、殺されそうな目で、見られる。さらに若い子にも、牛のフンの付いた石を投げつけられたよ」

 「良かったわね、あなた?」

 「…」

 「社会の皆が、あなた方の世代のことを、好きなのよ」

 「どうすりゃあ、良いんだよ」

 「あなたにできることは、ないの?」

 「俺にできること、か…あ!」

 定年退職世代のおじさんは、閃いた。

 「俺にできること、あったじゃないか!」

 こうして、おじさんたちは、外出を禁止されている子どもたちを見つけに、取り締まりの旅に出たのだった。

 「外出している子を見たら、注意してやろう。俺たちが、定年退職後に、家でごろごろして、注意されているようにな!公園で遊んでいる子が、いたな。注意してやる!」

 こうしてはじまったのが、おじさんたち流の、公園デビューだった。

 言い換えれば、子ども狩りだった。

 さらに言い換えれば、公園徘徊。自粛警察や自警団といわれた組織の、誕生だった。

 「おい、見ろよ!」

 「ああ。いた!」

 「子どもは今、外出しちゃあ、いけないんだろう?」

 「ああ」

 「それなのに、公園で、遊んでいるじゃないか!一体、どういうことなんだ?皆が我慢して家に閉じこもっているっていうのに、おかしいじゃ、ないか!許せない!社会の、ゴミだ。注意して済む問題、なのか?」

 おじさんたちの病的団体は、張り切った。

 「社会のゴミ」

 どちらがゴミだったのか理解できないままに、おじさんたちは、がんばった。

 こうして、国の将来は、次々につぶされていくのだった。

 理不尽にも思えた激昂は、手の付けられない抗議に発展しつつあった。

 人間のエゴが、新たなエゴを、生んだ。

 本来は、社会の皆が直面した困難さにたいしては、問題解決のための一体感が生まれなければならなかったはずだ。

 が、一体感をもって我慢を強要され続けてしまったことで、ストレスもまた一体感で、増幅していったのだった。

 そのストレスは、暴発した。

 目に余るような暴発に、なった。

 会社への休業要請で売り上げが落ち込み、家賃の支払いにも悩まされた人にたいして給付金が出されることが決定すれば、ネット上で、炎上が起こった。

 「何を、やっているんだよ!困っているのは、皆、同じじゃないか!バンバン給付金を出して、もしも、不正受給が起きたら、どうするんだ!」

 「そうだ!責任は、とれるのか?」

 「考えて、行動しろよ!」

ストレスの爆発は、飛び火した。

 「見たか?」

 「見た、見た」

「休業中のはずの店に、客がいたぞ?」

 「あいつら、何様なんだよ?」

 「きっと、犯罪者だ」

 「そうか。犯罪者の群れだったわけだな」

 「それなら、正義の鉄拳を振りかざして、刈ってしまえ!」

 「こんなときにも、客は、列を作っていたんだな」

 こういう状況にも並ばなければならないと考えるのが、彼らの国の国民性だった。

 まるで、新卒一括採用コースの列だ。

 並ぶのが好きというよりも、並ばないと、もらえるものも、もらえないのだ。マスクの買い占めの列に重ねて見てしまい、気味が悪かったものだ。

 「これは、何なのだ?」

 答えは、出そうになかった。

 そのころ、公園を徘徊し、遊ぶ子どもたちを刈っていたおじさんたちは、若かりし頃の列を、夢見ていた。休業しているはずの店に人が並ぶ光景は、ゆとりある波だった。

 「どうする?」

 「社会の、ゴミだな」

 「ああ。社会の、ゴミだ」

 定年退職後、家庭に戻って言われた言い回しを、反すうしていた。おじさんたちは、そうやって、こっそりと、妻に復讐しようとしていたのだった。

 とはいえ、本当に妻につかみかかったら、返り討ちにされるだけだ。

 だからおじさんは、自分の力でも勝てそうな子どもに一言言ってやるのが、快感でならなかったのだった。

 「退職したって、俺様には、まだまだ、力があるんだ」

 酔えていただろう。

 「やるか?」

 「子どもたちを、注意しろ!」

 「働けなく、してやる!働けないと生きられないみじめさが、わかるはずだ!第2の就職氷河期世代に、なりたいか!俺たちに、将来をつぶされたいか!」

 「ごめんなさい…」

 「何だって?」

 「聞こえないんだよ!」

 「もっと大きな声で、言え!」

 「家に、帰ります…」

 「良し、帰れ!」

 自粛警察、自警団の活動は広がり、ネットが炎上して終わるどころか、社会のゴミ扱いをされることで生まれるストレスのはけ口へと、愛くるしく、変わっていたのだった。

 高校や大学などの教育機関が休業要請をかけられてしまったことでも、大人を含め、多くの子どもたちが、傷付けられた。

 生徒や学生の心が、つぶされた。

「これって…」

 リーウ医師は、激しい嫌悪を、覚えた。

 ここで、ふと、チスイコウモリの話を、思い出した。

 「コウモリは嫌な存在に違いなかったが、利他的に生きてくれたなら、どうか。必ずしも嫌だとは、言えなかったはずだ。人間の命を助ける薬をも、作ってくれたのだ。完全には、嫌になれなかった…」

 そこにきて、自粛警察、自警団騒ぎだ。

 「ここは、チスイコウモリとは、逆なのかな?人を守ろうとして自粛活動がはじまり、その自粛に参加させられてさらに人を守ろうとすればするほどに、逆作用が起きた。チスイコウモリの見せたような行動はとれずに、命を守ろうとすればするほどに取り締まりを強化し、社会の心を、傷付けてしまった。これは…。利他主義のアンチテーゼだ。新型ウイルス騒ぎは、こんな社会をも、引き起こすのか!」

 リーウ医師には、無念だった。

 そして、頭にきていた。

 「私には、新型ウイルスと戦う、人間を中心に見た生命力の強さが、コウモリにも劣ると感じられてきた」

 悔しくも、なった。

 「私は、敗北に怯えた社会が続けられる中に、守ろうとすればするほどに傷付け合わなければならなくなってしまっ恐怖があることを、知った。私には、チスイコウモリの話を思い出さざるを、得なかった。外出禁止に違反しているような人を取り締まる団体、いわゆる自警団の存在力と心の弱さと、どこかで逆のベクトルを描きながら、重なってきてしまったからだ」

 チスイコウモリは、本当に利他的で、理想的な生き方をしていた。このような危機的状況下にあっては、嫉妬すら、覚えていた。

 「あなたは、コウモリに、嫉妬をするとでもいうのか?」

 そう言ってくる人もいるだろうが、何を言われても、構わなかった。

 チスイコウモリに嫉妬を覚えていたのは、事実だった。

 「あのコウモリには、見習う点があったはずなんだ。コウモリがウイルスを運んできたと考え、あいつなんか殺してやりたいとも思えるが、あのコウモリの生き方を真似たいとも、思えてくる」

 チスイコウモリは、本当に、利己的だったようだ。

 チスイコウモリにはまた、利己的で相手を忘れられないような性質があればこその逆説的思いも、備わっていたらしい。

 あの動物学に、後で、教えてもらったことだ。

 チスイコウモリは、思い返してみても、面白い生き方をしていた。

 チスイコウモリは、空腹の仲間に、血を分けてあげるという性質を、もっていた。

 過去に血を分けてくれた個体が空腹で困っているようなときには、血をもらって腹を満たすことのできた個体が恩返しをするという性質が、あったらしかった。

 なんと、美しい話だったか。

 医療も、こうありたいものだった。

問題は、次だ。

 自粛警察、自警団のあり方から考えられた新しい話題は、これだった。

 「ああ…!あいつは…。あいつは、この前に、俺に血を分けてはくれなかった。気にいらん奴だ。ようし、今度は俺も、血を分けてやらないぞ!」

 チスイコウモリは、そう思うこともあるのだという。

これは、復しゅうだった。

 人間でいえば、自粛活動によるいくつものストレスで、制限へ復しゅうをするというようなものだった。

 外出禁止を取り締まる自警団の行動は、まさにそれ似ていた凄惨さをもっていて、怖さがあった。

 人間には、信用というものが、なかったのか?だから、普段は見慣れていたはずのありふれた場が信用できずに、異世界へと、変わっていくしかなかっただった。

 「外に出て、遊びましょう!健康作りのために、歩きましょう!」

 そう言われ、子どもたちは外出をし、公園に向かったものだ。

 出ていかされた場は、不幸にも、逆襲の場となった。

「外出は、自粛しましょう!」

 それが、全社会的なスローガンとなって指示されればされるほどに、偽善者としての取り締まりの機運が、高まっていった。

 自粛警察、自警団が、本格的な胎動。

 少し外に出ただけ、あるいは、犬を公園に連れて出て散歩をしていただけなのに、心がつぶされていった。

 このような光景が、消えなかった。

 「…お前は、何を、やっているんだよ?」

 「外出を、していたな?」

 「今がどんなときなのか、わかっていなかったんじゃないのか?」

 「外出、禁止。自粛、自粛」

 「そうだ、自粛だ」

 「こいつに、良く言って聞かせてやろう」

 「正義の鉄拳を、打ち込んでやるぞ!」

 自粛警察、自警団は、その見回りや注意行動を、悪いことだなんて思わない。むしろ、誇らしくも、感じてしまうものだ。

 「社会は、行動の自粛を勧めている。その社会共通の目標に外れた人を、正気にさせ、正してあげる。それのどこが、悪いのだ!」

 自警団の正義は、鉄壁だった。

 社会という最高のバックボーンが、ついていたのだから。

 気の毒なのは、公園にいく子どもだけではなかった。

 一部の社会人も、そうだった。

 大人が、公園にいく。

 「大人だから、注意されることは、ないだろう」

 そう思うのだろうが、しかしその思いも、上手く果たされるとは、限らず。

 公園のベンチに座る大人の近くに、子どもたちが集まってくる。その子どもたちは、何も、ベンチに座る大人に遊んでもらいたいわけでは、なかった。

 では、そのときなぜ、子どもたちは、大人に近付いたのか?

 子どもたちは、こう思ったからだ。

 「大人の近くにいれば、子どもが公園で遊ぶのを注意してくることも、ないだろう。大人が見張りをしてくれると思えば、良い」

 危機的状況で、姑息さを、学習し続けた。

 だがその作戦は、上手くいくとは限らず。

 中には、ベンチから立ち上がって逃げていってしまう大人も、出たからだ。

 では、大人は、なぜ、逃げたのか?

 「あの子どもたちが見回りグループを作って、この大人の俺を摘発しにきたに、違いない。今どきの子どもじゃあ、何をされるか、わからない。S NSで書き込まれ拡散でもされたら、殺されかねない」

 そう、思ってしまうのだ。

 社会のすべての人が、疑心暗鬼に、陥る。

 これが、自粛社会の怖さ、だ。

 そしてその怖さを増幅させるのが、社会的偽善者の仮面を被った自警団の存在であることは、いうまでもないだろう。

 自粛警察、自警団は、どこにでもいた。

 大人だけでは、なかったのだ。

 「…くそ、子どもたちが、俺のまわりを、ウロウロしてきた。この子どもたちの中の誰かが、俺の公園いきを阻止しようとしているに、違いない。犬の散歩であっても、俺が公園にいこうとしていたのは、事実なのだ。その俺の行動パターンをどこで知ったのかはわからないが、あいつらが、憎い。取り締まりに酔う倒錯も憎いが、何よりも、良い子ぶっているその心根が、憎い!」

 子どもたちが、憎くなっていく。

 最悪は、その子どもたちに、何らかの形でやり返してあげなければ、気が済まなくなっていく。

 いわゆる逆恨みの構造に、近くなった。

 事件に発展しないことを祈るのみ、だ。

 もっとも、やり返すとはいえ、大人と同じ目線に立てない子どもは、悲劇だ。なぜ自分が怒られているのかも、わからない。

 子どもたちには、わけが、わからない。

 「どうして?」

 「そうだよ」

 「そうよ。どうして?」

 「どうして、私たちが狙われるの?ちょっと、公園にきただけなのに…。どうして、知らない大人の人たちににらまれなければ、ならないの?」

 外出社会は、負の感情に、覆われた。

 ストレスが、たまっていった。

 そのストレスの晴らし方が、S NS投稿につながらならないよう、本当に、祈るのみだ。

 自粛警察、自警団を前にすれば、常態が、オーバーヒートを起こした。

 チスイコウモリならできた利他的行動が、あざ笑い、皮肉られていた。

 リーウ医師は、外出社会の怖さを知って、どこまでも、やるせなくなっていた。自分自身が狩られていた夢も、見たくらいだった。

 改めて、チスイコウモリのことを、思わされていった。

 「チスイコウモリは、どうして、血を分け与えられたのだろうか?残念ながら、人間には、その利他的行動が上手くとれないのが、現状だ…」

 動物学的にはどういわれるだろうかと、考えてみた。

 「あいつなら、こう言うのだろうなあ…」

 その理由について、友人を模したリーウ医師なら、こう、解説できていた。

 「なぜなのか?」

 それは、チスイコウモリが、将来的に自分の生存に有利になると、考えていたからだ。

 「私は、今回、あなたを助けました。今度ピンチがあって私が苦しんでいたなら、力を貸してくださいね?」

 チスイコウモリは、日常から、そう考えていたのだろう。

 コウモリに、頭が上がらなかった。

 「ピンチのときには、誰に頼るべきなのか?頼るためには、今、自分は、何をすべきなのだろうか?」

 これは、人間でも、うなってしまう考え方だった。医療現場でのことを、思わされた。

 「自分勝手は、ならない。それを、コウモリに、教えられた。誰かのためになるような医療行為を心がけなければ、皆が、倒れてしまう。私も、倒れてしまうだろう。そのときに私を助けてくれる人がいなければ、どうなる?社会が、より、ピンチになるかも知れない。医師とは、何なのか?医師にできることとは、何なのか?そして、あまねく人間にできることとは、何なのか?私たちは、チスイコウモリに負けない生き方をしなければ、ならないのだ」

 医師としての信念が、強められていった。

「いよう!リーウ君、元気に、医療をおこなっているかい?」

 チスイコウモリの生態について教えてくれた、あの、動物学専門の友人が、電話をかけてきた。

 「面白い動物の話が、あるんだ。聞きたくは、ないかい?」

 要するに、聞いて欲しかったようだ。

 「面白い話、ねえ…」

 「ああ。面白いぞ?」

 「利他的行動の話を、してくれるのか?」

 「そうか、リーウ。やはり君は、チスイコウモリの生態に、興味をもってくれたというんだな。動物学、万々歳だ」

 「そんなんじゃあ、ないよ」

 「リーウ?我慢しちゃあ、いけないぞ?」

 「…」

 「学問的興味にまでも自粛をしてしまったら、今どき世代の学校の先生みたいになっちゃうぜ?」

 「…冗談じゃ、ない」

 つい、利他的行動という言葉を口に出してしまった。これは、まずいことかも、知れなかった。

 友人は、喜喜として、反応していた。

 「動物学に興味をもってくれるとは、熱心な、医師だ。それも、俺が教えたコウモリについてのことを、考えているんだな」

 「…」

 「リーウよ。感心、感心」

 「褒めたって、何も、出ないよ」

 「良いじゃないか。もっと面白い話を、聞かせてあげよう」

 まんまと、友人のペースに乗せられた。今度は、ハチについての話が、はじまった。

 「ハチ?あの、刺されたら死にかねない。あの、ハチのことか?」

 「そうだ」

 「ハチ、ねえ…」

 「良いかい、リーウ?」

 「…何だい?」

 「動物学では、最近に増えてきた学説パターンが、ある。これが、面白いんだ」

 社会性をもつ動物の新しい話題、だったそうだ。

 「聞きたいだろう?」

 「…わかったよ。聞くよ」

 「素直じゃ、ないんだねえ。リーウは」

 「聞きます、聞きますよ」

 「ほう」

 「聞かせてください」

 「良し、リーウ。そうこなくっちゃな!」

友人のペースに、耳を傾けてあげることとした。

 「リーウなら、今回の新型ウイルス騒ぎに関して、医学的に戦いを挑まされて、医学的解決を、模索しているはずだ。これから俺が言うことが、解決のためのヒントになると良いねえ」

 「良いから、早く、言え!」

 「おっと、済まない。結論が、先延ばしになっちゃったねえ。俺たちの、困ったところだ。もっともこれは、俺たちの国の言葉が、述語を後に、つまりは結論を後に置くことに起因していてだな…」

 「早く、言え!」

 「わかったよ、リーウ」

 友人が話に持ちだしたハチは、アジア圏内に生息するという種、だった。

 ハチの名前は、教えなかった。

というのか、リーウ医師が聞いていなかっただけだったか。

 新型ウイルスへの対応に疲れ、充分には、聞きとれなくなっていたのだろうか?医療崩壊という言葉を聞くが、げに、恐ろしきものなり、だ。

 「参ったなあ。まあ、良いのか…?医療に従事する物の疲れは、こうしたときにも、足かせとなってしまうのだろうか?」

 珍しく、弱音を吐いていた。

 アジアのそのハチが作る組織は、一見しては、他の種と変わらないような単純社会構造をしていたと、いう。が、よくよく見れば複雑で、興味深い、高度な協力ルールを作っていたのだと、いう。

 「リーウ?聞きたくなってきただろう?」

 「ああ、そうだな…」

 「社会的ルールの強い中で、生かされていたんだな。今の、この新型ウイルス社会の中のようじゃ、ないかい?」

 「そ…、そうかも、知れんな」

 次が、変わっていた。

 その組織の女王は、女王とは言え、必ずしも組織のトップではないと、いうのだ。女王は、攻撃的なタイプではなかったらしく、腕力でまわりを屈服させるのではなかったのだと、いう。

 けれども、その組織の労働者バチは、すべて、女王に従うという。

 「リーウ?」

 「何だ?」

 「それって、怖くも何ともない独裁組織っていうこと、だよな?」

 「まあ、そうだな…」

 「だがな、リーウ?」

 友人は、リーウ医師が無気力そうに答えたのにたいし、気合いの入った声を、上げた。

 「何と、その組織では、産卵については、女王が独占する」

 「ふうん」

 「買い占めだ」

 「…そうかねえ?」

 「マスクの、買い占めさ」

 「…さあ、どうだか?」

 「その女王が、組織全体で唯一の繁殖母体というものに、なるんだよ!」

 「へえ」

 そのハチの組織では、女王が巣から排除されると、どうなるのか?そこも勉強になるのだと、いう。

 「女王が排除されると、女王のいなくなった状況で、立ち上がるハチが、出てくる」

 「へえ」

 「一時的にだが、仲間にたいして、権力を振るうようになるんだよ」

 「…嫌だねえ。今の、社会のようだ」

 つい、話に、乗ってしまった。

 「しまった!」

 リーウ医師のつぶやきも、遅かった。友人の話に、思いがけない栄養分を与えてしまったようだ。喜んで、話の調子を上げてきた。

 「リーウ?何かに似ていたように、思わないかい?」

 それは、リーウ医師も、うすうす、感じていたことだった。

 が、ここでちょっと、鎌をかけてみた。

「さあ、どういうことなのかな?俺には、わからないがな…」

 心理戦のように、なってきた。

 …友人は、負けなかった。

 「そんなことも、わからないのか。やっぱり医学は、動物学に、劣る」

 腹が、立った。

 リーウ医師としては、こう言うしか、なかった。

 「わかったよ。今、わかったよ。この社会に、似ていたな。新型ウイルスに怯えるこの社会で、外出自粛といわれる中に外出している人を摘発するかのような人たち、つまりは自粛警察、自警団の行動に、似ていたな」

 「そうだろう、リーウ?」

 友人の気が、収まった。

 すぐに、公園の映像が、脳裏に入ってきたような気もした。

 「じゃあ、リーウ?次だ」

 「まだ、あるのか」

 「女王のいなくなってしまった後で、権力を振るうハチが、出てくるんだ」

 「…だろうな。脅かされるボスが、いなくなったのだからな」

 「すると、だな?」

 「何だ?」

 「困ったことに、そのハチに従うものは、ほぼほぼ、いなくなってしまうらしい」

 「ふうん」

 「そういう研究結果が、出ているんだよ」

 その次がまた、面白いのだという。

 新女王が決まると、産卵についていた女王は、おとなしくなるのだという。立ち上がって権力を振るうハチも、いなくなる。

 「どうだ、リーウ?何だか、この新型ウイルスの騒ぎが収まった後のことを暗示しているようで、不気味だな」

 そこまで聞いて、リーウ医師の考えが、研ぎ澄まされた。

 「動物学も、本当に、面白いことをいうじゃないか。女王とは、この新型ウイルスに怯える社会のルールを暗示した存在、だったのか?日常という名の女王が戻らず、新型ウイルスの騒ぎがこれ以上続けば、今度は、自粛警察、自警団という名のハチたちが、出てくる。それに逆らえるハチは、いなくなる…。女王という名の日常は、日常によって、脅かされる一方になってしまうのだろうか?」

 リーウ医師のこめかみあたりに、汗が、伝った。

 「新しき日常という新女王が決まれば、それまでの日常は、黙るよう、強要される。日常こそが、皆が待ち望んでいた命、だったのだ。日常を呼び起こそうとした団体により、新しい日常の命が手に入ったのなら、誰にも、何も、言えなくなる。というよりも、文句が言えなくなってしまうだろう」

 「まあ、当然だろうな。日常という命に勝るものなど、無し。自粛警察、自警団には、抵抗できないのだ…」

 リーウ医師の汗の流れは、続いた。

 すっかり動物学に乗せられて、考えさせられていた。

 「だが…」

 汗が止まり、冷えてきた。

 「だが新しい命、日常は、どうなってしまうものか…。経験してみなければ、わからないものでもある。待ち望んでいた日常が、実は、非日常でしかなかった場合も、あり得るからな。不確実性への誘導で、ミスディレクションに過ぎなかったと気付かされる場合だって、あるだろう。それでも人は、日常を、手に入れたいのか?それが、期待通りの日常であるかは、わからないというのに?」

 自分自身の考え方が、怖くなってきた。

 何よりも、危険極まりなかった人たちが良き人たちにも見えてきてしまったことに、恐怖を、覚えていた。

 それは、ある意味、挫折だった。

 「おい、リーウ?」

 友人は、リーウ医師の黙り込んだ反応に、言葉のメスを、入れてきた。

 「なあ、リーウ?」

 「…」

 「リーウ、聞いているのか?」

 まさか、医学が動物学にメスを入れられるとは思っておらず、とっさに身構える余裕しか、もてなかった。

 「な、何だ?やるのか?」

 「おい、おい。リーウは、何を、言っているんだよ」

 「そうか…。そうだったな、すまない」

 ハチの話が、再開した。

 新女王は、産卵をはじめるという。

 以降、その新女王が、集団で唯一の繁殖母体となるのだ。

 「それでな、リーウ?」

 「今度は、何だ?」

 「新女王が死ぬかしていなくなってしまえば、すぐさま、女王の役割を担える別のハチが、支配者になるんだ」

 「じゃあ…?」

 「何だ、リーウ?」

 「じゃあ、新女王を継ぐハチ、後継者バチっていうのがいなくなってしまったら、どうするんだ?新型ウイルスに怯えすぎれば、地球が、この星が、ピンチだ。ハチたちも、同じ。日常が侵されれば、ピンチ。ハチたちも女王という日常を侵されて、星を失うピンチなんだぞ?星を継ぐ者は、どこにいる?」

「星を継ぐ者、か…」

 「そうだ。星を継ぐ者、だ」

 「考え深い表現、だな。リーウ?」

 「たとえ女王がいても、跡継ぎがいないことだって、あるじゃないか。そのときは、どうするんだよ?」

 「ああ、そのときには、また別のハチが、新後継者に名乗りを上げるんだよ。誰かが、必ず、名乗りを上げてくれる」

 何とも、言えなかった。

 「人任せ…。じゃなかった、意外と、ハチ任せなんだな」

 それだけは、口に出ていた。

 友人は、顔をしかめた。

 「無責任扱いを、するなよ。ハチたちだって、種によっては、利他的な行動をして星を継ごうと、…じゃなかった、新女王を継いで組織を守ろうと努力していた。そう、温かい目で、見てあげたいものだね」

 「そうだったな」

 「医学も、勉強不足だ」

 「動物学は、嫌みだな」

 そうしてそのハチ組織は、見ず知らずの後継者によって受け継がれ、新しくまとめ上げられていくことになると、いう。

 「リーウ?ハチも、強いだろう?見ず知らずの何かに声をかけられても、怯えないんだからな。知らない人に声をかけられただけで母親の後ろにかくまわれる今どきの子どもとは、違うな。子どもを守りたいという気持ちは、わかる。だが、知らない人を拒絶していかないと生きていけないようだと、ヒューマニズムが、崩壊だな。母親も、どうかしているんだろうな。それと、似ている」

 「へえ。今どきの動物学は、ヒューマニズムにも、口を出すのか」

 「良いじゃないか。リーウ?」

 「そんな子は、誰かにかくまわれてかくまわれて、ペットのようにかわいがられて育てられ、苦労せずに、新卒一括採用を受ける。会社に入って、知らない人とは話せないわけだから、デスクの電話も、とれない。し、知らない人から、電話がかかってきたよう!…って、さ。当たり前だろ。会社にかかってくる電話の相手は、お前の知らない人がほとんどだ。家庭教育と学校教育のはかなさに、人材不足社会の矛盾を、見るよ。今どきの親と学校教師のレベルに、乾杯だ」

 「そう、言うなよ」

 「良いよなあ、新卒一括採用世代…。会社に入ってから、会社の人に、字の書き方から読み方、電車の乗り方、電車通勤をするために切符の使い方、固定電話の使い方、たくさんのことを、教えてもらえるんだものなあ。それも、手取り足取りで、褒めてもらいながら、教えてもらえるんだからなあ」

 「…話はそれているが、なんで、電車通勤のための切符の使い方を、教えてもらえるんだよ?」

 「これだから医学は、とろいんだよ。まだまだ、動物学には、及ばない」

 「ちっ」

 「リーウ?今どき世代の子は、生まれたときからICカードで育ったから、切符というものを、知らないんだ」

 「そうか…」

 「1人で電車に乗れるのは、なかなか、見上げた行動力だ。動物の行動に、進化を見たっていう感じ、だな。今どきの子は、どこへでも親に連れていってもらえる生活を送れたから、そもそも、1人で外出できない子も、多い。驚くだろうが、成人年齢を越えた子だって、その程度なんだそうだ」

 「…そう言えば、聞いたことがあるな」

 「そういう子が、就職難も無しに、楽勝で社会に、出てくるわけだ」

 「そういうことか…」

 「信じられるか?」

 何とも、言えなかった。

 「リーウは、どう思う?」

 「良いなあ」

 「そうだよなあ。良いよなあ」

 「…じゃあ、なんで、褒めて教育するんだ?そりゃあ、褒められることはあるが、基本的には、注意を受けて叱ってもらって、自分の失敗に気付く中で、新人教育だって、生まれるんじゃないのか?」

 「今どきの子はだな、同じ会社の人であっても、知らない人に注意されると、泣いちゃうんだよ。新人教育が、進まないのさ」

 「そんな人が、楽々人生レールで、生きていくのか」

 「リーウ?彼らを採用する会社の気が、知れないよな?」

 「…」

 「就職氷河期世代の子たちが、かわいそうすぎるよな?話が、変わってきたが…」

 「だから、さ。…そう、言うなよ」

 「ウイルスにつぶされたような、悲劇だ」

 「言うなよ」

 「動物学的に、あり得ない」

 「俺の医学も、気を付けよう」

 さてさて、生まれいく新女王が、変わったとする。

 その新女王がまた、面白いのだという。

 新女王は、他のハチとは、親類縁者でなくても、良いらしかったのだ。

 平和的日々を維持していくために、かたわらに置いた日常新女王は、大いに、護衛された。自粛警察、自警団によるパトロールが、強まっていくのだった。

 「日常を、侵すんじゃないぞ?俺たちは、新女王をかたわらに置いて、見張っているんだからな?侵略なんかしてくるんじゃあ、ないぞ?」

 リーウ医師の友人が話してくれたハチ組織は、滅亡することのない新社会秩序の永遠を願うと、いうのだった。

 「しかしなあ…」

 何度考えても、新型ウイルスに混乱させられた人間社会の縮図であるかのように感じられてしまって、気持ちが、悪くなっていた。

 「おい、おい。チスイコウモリの利他主義行動の話から、離れてきたぞ?いけない、いけない。医療のことに、集中しよう」

 意外や、たくさんのことを、考えさせられてしまっていた。

社会のピンチは、終わらなかった。

 終わるどころが、和らぐことも、なさそうだった。

 「外出は、自粛してください」

 どこからも、そう聞こえていた。

 外出もできないということは、アルバイトもできないということ、だった。

 家の中でのステイホーム・バイトもなくはなかったろうが、急には、探して働ける雰囲気では、なかった。

 各家計は、苦しむ一方だった。

 「今は、何とか、貯蓄を切り崩して生活をしているような状況です」

 そう言っていた家庭も、今後は、どうなるものだったか。

 「貯蓄の努力も、時間の問題だよな…」

 困る家庭も、増殖。ウイルスの広がりと、勝負になっていた。

 困るのも、当然だ。いずれは、蓄えも、尽きてしまうだろうからだ。

 リーウ医師の国は、政府レベルで、打開策に出た。

 社会の大部分が困窮にあえいでいた状況を踏まえ、政府は、現金の一律給付に、踏み切ろうとしていたのだった。

 自粛期間が、伸びた。

 心を不安定にさせるモラトリアムが長引けば長引くほど、守らなければならないものが大きすぎていたんじゃないのかと思えて、くやしくなっていた。

 不安の回転が、早まっていた。

 高齢者は当然として、子どもたちも、そして、公園いきも守らなければならない焦燥感に駆られて、何ともいえない苦しさに、追い詰められていった。

 「私は、本当のところは、何を守るべきだったのだろうか?」

 解けそうにない悩みが、まとわりついてきた。リーウ医師の気付きが、増えた。    

 大きな大きな、発見だった。

 「そうだ…。皆を守るには、経済を動かすべきなんだ。医師として、苦しむ人たちを診るのは、当然だ。その上で、経済活動という面も、救うべきなんだ。皆に、生きる喜びを支えてあげなければ、ならない!それはもはや、医師としてというよりも、社会人としての努めのように感じられる」

 人を静養させることの他に、ついに、リーウ医師は、経済活動の活性化論に、賛同させられていたのだった。

 「経済の、活性化か。現金給付、経済への刺激は、人として当然の行動だったんだな。医師として、こう考えてしまって、良かったんだろうか?」

患者らは、概ね、経済策に賛同していた。 「現金給付とは、良い考え方じゃった」

 「早く、現金をもらいたいもんじゃ」

「マスクなんか、いらん」

 国民の多くも、経済政策に賛同していた。

 社会全体が、同じ危機に困窮していた状況だ。同じ危機に貧していた人に同じ救いの手を出してあげるのは、当然のことだった。

 もっとも、これにも、批判がないわけではなかった。

 もちろん、こう言う人は、出ただろう。

「給付をしても、消費の刺激には、ならない。結局は、貯蓄に回ってしまうだけなんじゃ、ないのか?」

 だが、そんな批判を送っている場合だったのか?

 こうも、言われていた。

 「現金を配ったからといって、それで、買い物にいくか?豪華なレストランに、食事にいくか?観光旅行に、いくのか?いくわけ、ないじゃないか。外出さえ自粛をさせられているこの状況なら、当然じゃないか!」

 行動が黙らされてしまうのは、目に見えていた。

 人々は、貯蓄に走るようになるだろうと、思われた。

 「政府からもらえた金は、使えない」

 そう言うだろうと、想定された。

 「その金を使えば、罰が、あたる」

 国民性が、出ていた。

 その国の国民らしい言葉、だった。

 そこで、想定外のことが、起こった。

 「政府からもらえた金など、使えない。使えるわけが、ないじゃないか。皆が貯めた金を使って遊んで借金がかさんだら、どうするんだ?良く、考えろよ!皆の金を使えるはずが、ないじゃないか!」

 人間の矛盾が、また、出ていた。

 社会には、こういうときになって正義感を出してしまう人が、いたのだ。

 「皆の金だから、使えない」

 そんなきれいごとを言える定年退職世代の人が出てしまうことは、避けなければ、ならなかった。

 「あの世代は、本当に、気色が悪いよ。同じ人間とは、思えない」

 そう言われることも、想定されたものだった。社会の危機的状況を分析しようとすれば、どうしても、世代論につながってしまうのだった。

 政府が配った現金が貯蓄に回っていったこと自体は否定しがたく、もっともなことだとは、受け止められた。

 各家庭にとっては、新型ウイルスに疲弊する状況に本当に必要なのは、経済の活性化よりも、むしろ、日々の生活の持続だったのだから。

 現実は、当たってきた。

 結局のところ、国は、現金の一律給付をしなかったのだ。

 「今は、経済活動の活性化が、大切なはずなのに!」

 気持ちの変化が、社会と、ずれていた。

 リーウ医師は、地団駄を踏んだ。

 納得が、いかなかった。 

「結局、国は、現金給付をしないのか。これで、苦しむ人々に向けて、新しい医療体制が整えられるかも知れなかったと、いうのにだ。残念で、ならない」

 釈然とせずに、文句が増えていた。

 「国は、本当は、どう思っていたんだろうか?この新型ウイルス騒ぎは、こんなにも、人の心の矛盾を暴き出していくものなのか?ウイルスが強いのか、人の心が弱いのかが、良くわからなくなってきたな」

 現金の一律給付をしてくれなかった理由について、再考してみた。

 「なぜだ?なぜ、給付をしてくれなかったんだ?それで助かる人も、出ただろうに。金持ちにも金を渡すなんて、できない。…政府は、そう思っていたんじゃないのか?しかし今は、そんなことを言っている場合じゃあ、ないだろう。今は、皆を、一律に助けることが重要じゃないのか?」

 社会の分断が広がってしまうことを、危惧していた。

 「今は、どういうときなのか?それが、わからなかったのか?」

 大胆な対策も考えてくれなかった政府に、苛立っていた。

 「皆を助けなければ、ならなかったはずのに!政府はなぜ、立ち止まった!」

リーウ医師は、苦しかった。

医療活動に加えて、経済活動の重要性に気付いてきていたリーウ医師には、余計に、苦々しく思えていた。

 「ありがとう!」

 「いつも、ありがとう!」

 「お疲れさま!」

 「たまには、休んでくださいよ!」

 TV番組では、国民の大勢が、医療従事者らに手を振っていた姿が、映された。

 医療従事者らに、感謝の言葉を、伝えていた。

 「だが…。その言葉を伝えるだけで、充分だったのだろうか?」

 政府が憎くて、ならなかった。

 TV番組を通じて聞けた医療従事者への言葉は、リーウ医師の心の中では、かりそめの感謝にも移り変わっていた。真面目だったリーウ医師は、悩みの中だった。

 「政府は、何を、していたんだろうか?社会崩壊を防ぐためには、政府は、できることすべてをやってみるべきだった。経済を活性化させるきっかけを与えてあげることも、充分に、皆への救いになったんじゃないのか?そして、新型ウイルスに打ち勝つ気力、心の成長、すべての打開策を考えさせられる機微が芽生えたんじゃなかったのか?違うのか?そこに、人を救う根拠は、どこにあったというんだ?」

 リーウ医師の気持ちは、どうしても、晴れぬ一方だった。

 「経済を立て直したい気持ちは、わかる。その気持ちは尊重できるし、もっともなことだろう。けれどもまずは、最低でもしなければならないこととは何なのかを、考えてほしかった。それは、我々医師にも、言えることだろうがな。まずは、社会皆の土台を固められなくっちゃあ、ならないんだ。一律の現金給付は、できないのか…。それは、一律に人を助けられない我々医師への、アンチテーゼになっていたんだろうか?」

 経済のことが、頭を、離れなかった。

 「いかん、いかん…。医師として私は、何を、言っているんだ。経済学者でも評論家でも、ないクセに」

 どこまでも、考えさせられていた。

 「俺よ、リーウよ…。しっかり、しろ!」

 国、政府は、新型ウイルスの感染を防ぐため、必死だった。

 政府のとった策は、いわば、暗黙の了解時のように、権力をもっていった。

 「逆らわないほうが、良い」

 「感染を、予防するためなんだ」

 「仕方あるまい」

 自粛反対論者の声は、静かになってきた。

 静かになってはきたが…。

 声はまだ、様々だった。

 「それでも、経済活動を優先させろ!人々を、動かせ!密に集まらなくても、リモートで、何とかしてくれ。疲れ切った人々に、娯楽を、提供しろ!」

 中には、こんなことを訴える人も、出た。

 「経済活動を再開してくれなければ、役所を、燃やすぞ!」

 そう言った人は、おそらく、経済活動自粛の決定が役人レベルでなされていたことをわかっていて、その役人が集まる部署に、責任をとらせようと思ったか。

 役所の人も、迷惑だったろう。

 社会的な不都合は、広がった。

 「役所で働いていた人の中には、非常勤アルバイトもいる。身分こそ国家公務員や地方公務員だが、生活苦の人だって、多い」

応援の声だって、あったはずなのに。

 「その弱者の立場を思えば、役所ばかりを責められない」

 それなのに、こういうときには、人間のエゴ、利己心が、優先されてしまうものだ。誰かに責任をとらせれば自分自身がホッとできるという感情も、生まれていただろう。

 危機的状況になってこそ人間の本性が見えるというのは、なるほど、言い得て妙だったのだ。

 なんであれ、政府の決定は、社会の行動を縛り続けていった。

 「だが、なあ?何度考えても、腑に落ちない点が、残される。人は、どんな感覚で生きていけば良いと、いうんだ?」

 リーウ医師の気持ちのどこかに、どうにもなりそうもない栄養分が、巣食っていた。

 煮詰まりたくても、煮詰まらなかった。

 部屋の中で、立ち尽くしていた。

 そんな行き詰まりの中、国は、動いていたようだ。

 国は、感染のこれ以上の拡大防止のため、専門会議を開き続けていたのだ。

 「専門会議、か…」

 専門会議での決定といえば、もう、ずいぶんと前のこと…。

国は、こんな決定をしていたものだった。

 情けない話だが、その決定も、手洗いやアルコール消毒励行の流れの中で、忘れがちになっていたものだ。

 「それを忘れなければ、経済活動も、ままならない」

 そんな思いも、あったからなのだが…。

 国は、こう言っていた。

 「人が密にならないよう、少し距離を保って、行動を取りあうようにしてください。社会的な距離、ソーシャル・ディスタンスを保って、行動をしてください」

 ソーシャル・ディスタンスを出した話題については、たしか以前、あの動物学者としていたような記憶があった。

 それが、また、思い出された。

「私は、いつでも、自粛活動のことに縛られているわけか。またしても、ソーシャル・ディスタンスについて、考えさせられることになるとはな…。この新型ウイルス騒ぎは、どこまで、いやらしいんだ」

 政府によるソーシャル・ディスタンス励行の決定を受けたはじめのころは、皆、何も言わずに、従っていたものだ。

 「まわりが、そうしていたから」

 その同調が理由だったわけだが、あまりに毎日毎日気を付けさせられていたので、無抵抗になり、疑問にも思いにくくなっていたのかも、知れなかった。

 はじめは、困ったものだ。

 「ソーシャル・ディスタンス…。え?2メートル、だって?2メートル距離を離して、誰かと一緒にいなければならないと、いうのか?診察は、どうするんだ?医療現場は、きついんじゃないのか?」

 渋々、従っていた。

 「まわりの皆が、やっていることだし…」

 新型ウイルスに打ち勝つためには、そうするしかなかった。従わないで、社会の新しいスタイルと違ったことをしてしまえば、居心地が悪かった。

 ほとんどの人が、そのように、思っていたことだろう。

 皆と同じようにしないといけないという社会的な脅迫に、怯えていた。

 リーウ医師の国の国民性が、良く、出ていた。

 2メートルの距離は、隣り同士の人が、互いに手を伸ばしても、ギリギリ届くか届かないかくらいの距離だ。

 「なるほど…。計算されていたんだな」

 その距離を開けて、誰かと向き合うのだ。

 「そうたっだか…。密になる状態を避けるのには、当然のようにも感じられた、社会的な距離だ。だから、ソーシャル・ディスタンス、なんだよな」

 それにしても、社会的当然は、当然を作ってはくれないきらいに満ちていたものだ。その距離を保とうとしてしまえば、身体的距離を伴う行為は、すべてが、実行不可能となりそうだった。

 いくつかの人間活動がストップをかけられるのは、簡単に、予想できていた。結果、大きな弊害が出るとも、予想できた。

 まず、気持ちが、へなへな。

 ストレスの貯蓄は、止まらない。

 その他にも、意識的な行為以外に、生物としての無意識行動がバランスを崩してしまうことが、予想できた。

 「協力して、生きる」

 そんな、動物的自然行為が、たった2メートルに、崩された。

 人間社会は、人同士の協力で成り立つと、考えられていたものだ。チスイコウモリの利他的行動とまではいかなくても、協力し合うことは、たしかだろう。

 「人は、1人では、生きていけない」

 良く聞く言葉、か。

 その言葉は、協力体制がなけれ張らないことを、人間1人の弱さを痛感させる比喩として、用いられたものだ。

 「新社会での人間は、距離を離して付き合えって、いうのか。これは、ある意味、事件のはじまりだ」

 密着感が、否定されていた。

 「密着感がなくても、人間関係は、進むんじゃないの?違うの?」

 気味の悪さが、密着してきた。

 社会の維持と発展のために、どれほど、人の間の関係性、そしてその密着感が必要なのか?診療所で患者を診る中でも、常々、痛感させられたことだった。

 患者が、リーウ医師の元を、訪れた。

 「先生、診てくれんか?」

 「今日は、どうしましたか?」

 「先生、痛いんじゃよ…」

 「どこがですか?」

 「ここじゃ。ここ」

 服を脱ぐ、患者。

 「どれどれ…」

 触診をはじめる、リーウ医師。

 「先生?ここに、しこりがあるじゃろう?触っておくれよ」

 「ああ、本当ですね」

 「困ったのう」

 「ここは、触っても痛くないようですね」

 「そうなんじゃよ。右の脇腹は、痛くないんじゃよ…」

 触診をすれば、人間同士が、密着することになる。2メートルのソーシャル・ディスタンスは、とれない。その距離を保てる医療行為をおこなうのは、難しいことだった。

 近付かなければできないことも、あった。

 それが、1つに、医療行為だ。

 近付かなければ、新しい見方も、できてこない。

 「先生、どうじゃ?」

 「そうですね…。触診で、わかったことですが…」

 「ああ」

 「こうした治療を試みては、いかがでしょうか?」

 近付くことで、新しいアイデア、提案は、生まれるものだ。

 医療行為のハードルは、上がっていた。

 「密着感も、ときには、必要なんだがな。マイいたな。国は、人の命を救おうと策を講じることで、かえって、救う行為をくじかせたとでも、いうのか?」

 ソーシャル・ディスタンスに本当の納得を感じることは、できなかった。医師として、無念でならなかった。

 「感染予防をすべきだし、その策を進めたいのは、充分に、理解できる。だが、な…。2メートルのソーシャル・ディスタンスは、人の協力関係をつぶす武器にも、なりかねない。医療的にも、矛盾だ…。距離を保つよう指示する国を、私は、どこまで信頼すれば良いのだろうか?ソーシャル・ディスタンスの遵守でな、社会は、どう考えても、大きな痛手を受けてしまう気がするな」

 真面目なリーウ医師、だった。

 「たかが、2メートル…。されど、2メートル…。この距離が、新型ウイルスの味方になりそうな気がして、怖いな」

 近い距離は、大切だ。

 生き物すべてにとって、大切なのではないか?

 「国は、それを、どう思っているんだ?」

 今回の新型ウイルス騒ぎのときのようになれば、距離を開けることは、大切だ。とはいえ、距離を開けることばかりにがんばりすぎてしまえば、窮屈だ。

 「なんだろうか、この、矛盾?」

 近付くたびに何かが離れ、どこかに飛んでいってしまいそうな気もした。

 「近付く心は、遠心力に乗って、飛ばされる。私たちは、それにあらがうことが、できない。だったら、黙っていろ…。国は、そういっていたような気がして、ならないな。考えすぎ、だろうか…?」

 国が、ゆがんだ幻のように、見えていた。

 人間社会においては、距離を縮めて密に付き合うことは、良いね、のはじまりだった。中が良いんだね、パートナー・シップが上手く進んでいるんだねということの、確認作業のようにも、なっていた。

 極めて親しい友人と、本当に久しぶりに町で出会えば、ハグをし合うことがあった。

 知らない人とはコミュニケーションがとれず、友達とでしか心を開けなかった新卒のヒヨコちゃん世代には、死活問題だった。

 人は、誰かと、触れ合いたくなるものだ。

 「おー!久しぶり、だねえ」

 「元気、だったかい?」

 「ああ、元気さ!」

 リモート接触も良いが、人は、実際に接触する経験でも、コミュニケーションに意味を見出していくのだ。

 「人間の距離、かあ…。じゃあ、人間以外の…。あ、あいつがいたか!」

 動物学に詳しいあの友人のことが、頭を、よぎった。机上に置いておいた携帯電話を、とった。秒で、動いていた。

 「…おー!リーウ、じゃないか!」

 「聞きたいことが、あるんだ」

 「良し、良し。迷える子羊め、優しく、教えてあげよう」

 常に、動物で、例えたがるのだった。

 「…あのな?」

 「医療関係のこと、か?」

 「そうでもあるし、そうでないとも、言えそうだ」

 「何だい、それは?」

 「多様な行為について、だ」

 「…医学は、また、動物学にすがらなくてはならなくなったわけか。リーウも、相当、切羽詰まっているんだな」

 「…」

 言い返しようが、なかった。

 「それで、リーウ?何を、聞きたい?」

 「ソーシャル・ディスタンスについてだ」

 「そうか、良いぞ。ソーシャル・ディスタンス!受けて、立とう!」

 動物学は、心、弾ませていた。

 喜ぶのも、もっともか。ソーシャル・ディスタンスは、動物学にも充分関わる距離だったと、いうのだ。

 「リーウも、良いことを、言うんだな!」

 興奮気味の声が、まぶしかった。

 「リーウ?人間を、ホモ・サピエンスとして捉えれば、個体間の距離は、ギブアンドテイクの関係性を、もつんだぞ?どうだ、すごいだろう?」

 「…みたいだな」

 「リーウ?そうか!」

 「何だよ?」

 「チスイコウモリの利他的行動の話が、忘れられなくて、また、この俺に頼ってきたんだな?」

 「…そういうことに、しておくよ」

 「つれない言い方、だなあ」

 ソーシャル・ディスタンスと動物の本能的な行動の関係性について、ほんのちょっと聞こうとしただけ、だった。

 「動物学がこんなに喜ぶとは、思わなかったな。こいつは、ソーシャル・ディスタンスよりもはるかに長く、続きそうだ」

 心が、震えていた。

 「…リーウ?聞いているのか?」

 戦いは、はじまっていたようだ。

 「聞いている、聞いているさ」

 「それなら、良い」

 「手短に、願う」

 「そう言うなよ」

 「うーん…」

 「しっかりと、話してやるよ」

 「君の動物学研究を邪魔しちゃあ、悪いだろう?だから今は、手短に終えたい」

 「ほう?」

 「まあ…。そういうこと、さ」

 「リーウも、そんなに、他人への配慮ができるのか。診療で、鍛えられたのかな?傾聴の姿勢が、感じられる」

 「ふん…」

 「だが、な。心配は、無用」

 「何?」

 「動物学のことなら、地の果てまでも、話してあげよう」

 「…こんな展開に、なるとはな」

 サルについての話が、はじまった。

 サルは、一緒にいる相手のことが嫌だと感じたら、離れる。これとは逆に、仲良くなりたいと思え、実際に仲が良ければ、近付いていく。

 このとき近付いていったサルは、相手に、グルーミング、つまりは毛繕いをすることがあるのだという。

 「ここが、重要なんだよ!リーウ!」

 「はい、はい」

 サルのグルーミングは、ノミ取りをしてあげる単なる毛繕いではないという。ここで、サルもまた、チスイコウモリのような利他的行動を作るという。

 この、サル独特の利他的行動にも目を見張るものがあり、サル社会の関係を保持させる機能を、もっているのだという。

 「それで?」

 「わからないのかい、リーウ?」

 「…」

 「医学は、これだから、レベルが低い」

 「…ちぇっ」

 「自分自身で、ものを、考えろよ。医師というものは、日々、勉強の連続だ。君も、もっと、勉強をすることだな。サルだって、ものを考える努力をしているんだぞ?リーウには、困ったものだ。医学は、その程度か。ものを考えられない、新卒のヒヨコちゃんレベルなのかい?それとも、若い教員のレベルなのかい?ははは」

 「君も、新卒教員の恐怖を、知っていたわけか。それはそうと、動物学は、そんなにも医学が嫌いなのか?」

 「そういうんじゃ、ないんだよ」

 「…」

 「ものを考えられない医師に診察される患者の身に、なってみろって。そういう注意喚起を、したいんだよ」

 「わかったよ」

 「同僚や児童生徒と破廉恥なことをして、S NSで殺人行為を呼びかけても、クビにならずに教壇に立てるという、最低地方公務員になったら、終わりだ」

 「動物学は、すごいことを、言うんだな」

 「動物は、初めて見たものを、親として、また、人生の教育者として捉える。今どきの若い教師がそれを知ったら、恥ずかしくなっちゃうだろうな。ああいう教員に教わってしまう児童生徒が、気の毒だよ。だが、そういうレベルの教育を受けた子でも、人材不足社会になったから、成長して、楽々入社だ。優秀な就職氷河期世代の子の心は、他人を思いやれる、繊細で利他的な心をもつが故に、犯されていくんだろうな。彼らと彼らを裏切った人たちは、どんな気持ち、何だろうな?新卒のヒヨコちゃんたちを雇ってしまった会社は、字の読み書きから、新人教育をするらしいじゃないか。会社も、どんな気持ちなんだろうな?サル社会にも、笑われる」

 「…おい」

 「すまん、すまん」

 「勘弁、してくれよ」

 「悪かったよ、リーウ?」

 「ソーシャル・ディスタンスの話、だろ」

 「怒るなよ、リーウ」

 サルは、状況により距離をとったりとらなかったりして、最適なコミュニケーションを作ろうと、努力していた。

 それは、わかった。

 距離は、やはり、人であってもサルであっても、大切なものだったようだ。

 近い距離に、遠い距離、そのバランスをとることは、たくさんの動物社会で、不可欠になるのだという。

 「リーウ?今の社会が、心配だよなあ?」

 「何が、だい?」

 「何がって、わかっているんじゃないのか?」

 「うーん。まだ、わからないなあ」

 「うそだあ」

 「うそじゃ、ないさ」

 「そういうことを言うから、医学は、甘いんだよ」 

 「動物学は、そんなにも、医学を嫌っているのか?」

 「そういうんじゃ、ないさ」

 「…ふん。どうだか」

 距離のとり方を外部に否定されれば、動物たちは、混乱を起こす。動物たちのストレスはたまる一方で、それによって、病気になる動物もいたそうだ。

 「良いか、リーウ?距離は、大切なんだ」

 動物園などでは、動物たち個々に合わせた適切な距離を用意してあげる。

 それもまた、エサやりなどと同じように、飼育員にとっても、大切な作業になるのだという。

 「リーウ、大変だよな?」

 「何がだ?」

 「国が、ソーシャル・ディスタンスをとるように、決定しちゃったじゃないか」

 「そうだな」

 「2メートルの距離を、とるんだよな?」

 「そういう要請、だったな」

 「リーウ?…医師は、きついだろう?医療行為に、ダイレクトに、関わってくる問題だろうからな」

 「ご名答」

 改めて言われるまでもなく、きつい要請、だった。

 その要請も、短期間の要請であれば、救いがあった。

 「皆さん?少しの間、我慢しましょう。今だけは、他の人と、2メートルは離れていましょう」

 そうして、期間限定の辛抱を強いられただけであれば、社会に混乱を招くまでには、いかなかっただろう。

 距離を保つべきことを忘れていた人間が言うのも、おかしな話だったろうが…。

 おかしくなったのは、個人ではなく、むしろ、生活全般か。

 期間が限定されずに、自粛の我慢が長引けば長引くほどに、新たな不安が、社会を覆っていった。

 「リーウ?問題は、次だよ。人間も含めてだが、動物は、面白い行動に出ていくんだ」

 「面白い、行動?」

 嫌な空気と共にストレスがたまり、そのストレスを追い払おうとして、動物たちは、行動を開始したものだ。

 「リーウ?動物たちは、ストレスから身を守ろうとして、どうすると思う?」

 「寝る」

 「寝る、だって?」

 「睡眠は、休息とストレスの発散には、良い。診療所の患者も、そうする」

 「そうか」

 「…」

 「リーウ?」

 「何だ?」

 「動物たちは、社会的な困難に皆で立ち向かおうと、身を寄せ合いはじめるんだ。誰かが何かを言ったわけではないのに、近付く」

 「無意識に、距離を、縮めるわけか?」

 「そういうこと、さ」

 動物の身体は、勝手に、動いていく。

 「リーウ?」

 「何だ?」

 「しかし、人間は、難儀だよなあ?」

 「何がだ?」

 「気が付けば、今は、自粛期間中だ」

 「まあ、な…」

 人間も、近付き合う。

 そこで、こう、思い出す。

 「あ…。しまった。近付くのは良いが、離れなければならないっていう要請を、受けていたんだったな。残念だけれど、離れよう」

 「近付きたいのに、近付けない」

 「近付くのが、動物として当たり前行動だったというのに、その当たり前ができない」

 近付くたびに、傷付けられる。

 心が、痛くなっていく。

 「ヤマアラシのジレンマ、だ…」

 これはもう、大変な、ストレスだ。

 「…ショーペンハウエンを、気取ったか」

 「そんなんじゃ、ないさ」

 多大なストレスは、疑心暗鬼の波を、呼び寄せた。

 「私のところにくる患者も、同じだな。今は、ストレス社会だ。それが、良く、わかってくるよ」

 リーウ医師は、診療所でのことに、考えをつなげていた。

 最近、特にリーウ医師が気になっていたのは、眠れないと訴える患者が出てきたことについて、だった。

 「これも、距離と、関係があるのか?」

 「たぶん、関係があると思う」

 動物学が、話の距離を、詰めてきた。

 「リーウ先生…。眠れないんだよ」

 「俺もだよ、先生?」

 聞けば、生活様式の息苦しさがあったことが、感じられた。

 「高齢者は、新しい社会に適応するのが、難しい。もっと柔軟に構えないと、いけないんじゃないのか?」

 巷では、言われがちなことだ。

 しかしながらそれは、若い世代だから、言いやすかったことだ。すぐに気持ちを切り替え、急激なやり方のチェンジもいとわない人なら、言いやすかったこと。ただこれが高齢者の感覚をすれば、どうか。

 息苦しい。

 「自粛生活で、これまで作り上げてきた我々の城が、破壊されてしまったようじゃ。しかも、上の身分の人に、破壊された。文句の言いようもなく、わしら高齢者には、腕力で立ち向かう術もなく、落ち込むしか、ないんじゃよ…」

 絶望して、眠れなくなったことだろう。

 「先生?私たちは、真面目に、自粛を続けていたんですよ?こんなおばあちゃんいじめは、あんまりですよ」

 そう言っていた患者も、いた。

 何だか、かわいそうだった。

 自粛社会は、様々な経験を、させた。

 対面による診察は、気持ちのぶつかり合いの中で相互理解を深めさせる、一種の勉強会だった。

 気付きの嵐の中に、生かされていた。

 「危機的な社会状況では、真面目であればあるほどに損をしてしまうということが、起こり得るのだ…」

 自粛社会を送る中で覚えさせられたストレスは、無事に会社にいけたとしても、大きく圧迫してきたことだろう。

 会社の同僚同士の間柄であったとしても、距離のとり方で、仲良くなりやすかったり、なりにくかったりと、したものだ。

 本来は、相手を気遣うことで信頼も生まれて、業務を、滑らかにしたものだ。仲間意識の芽生えから、会社の業績にも貢献でき、充実感ある生活が、作られていく。

 それなのに、新型ウイルスに怯えなければならないこの新生活は、矛盾ばかりの、重篤ローテーション。

 誰かを気遣えば気遣うほどに、近付きたいと思うほどに、距離をとらなければならなくなった状況だ。

 こうしたことでは、気持ちの整理がつかないどころか、身体と社会の整理だってつかずに、ラビリンスにはまったよう。

 動物学によれば、人のような種に限ってみても、サルに負けないくらい強大に、距離のとり方は重要だという。

 それぞれの動物にあった距離を考えて用意してあげられないと、動物も、活発には生活できないようだ。

 動物を飼うとき、または、動物園のような場で動物を展示するときには、距離を詰めてあげる配慮も、必要だという。

 「リーウ?距離を考えられないとなあ、動物は、苦しくなってしまうんだ。距離のとり方1つで、生活が、ギクシャクしてしまうものなんだ。飼育員も、大変だったのさ。動物を飼う側、展示する側の苦労は、リーウだって、聞いたことがあったはずだ。医師と患者の関係のようでも、あったからな」

 そうなのだ。

 ただ単に、大きくて広すぎるほど広い場所にサルを放しても、どうして良いやら、悩ませてしまうことも、あったのだ。

 狭い場所でなら、寄り添えた関係も、あったのに…。

 距離を縮めさせた場を用意することは、重要だ。

 小猿なら、やや小さな空間にいることを、望んだだろう。母親ザルがすぐ近くにいること、そしてすぐに手が届くことに安心感を覚えながら、生きていけたからだ。

「リーウ?チンパンジーを、例にとろう。ある年齢までは、チンパンジーも、母親にくっついて生きていきたいと思っているんだ」

 「アタッチメント、か。親と風呂に入る新社会人、みたいだな」

 「ほう。リーウも、言うじゃないか。そうだな。いつまでも親と仲良くしていたいという、今どきの、新卒世代のヒヨコちゃんのようだもの、な…」

 「…おい」

 「おっと…。話が、それた」

 「動物学も、浮気者だな」

 「医学は、口が、達者なんだな」

 「…」

 チンパンジーなどは、いつもそばにいて助けてくれる命の存在者を、近距離の親と考えているのだろうか?

 人間もまた、親しい関係であればあるほどに、近付きたいと考える。

 「リーウ?まあ、動物学的には、近距離があるべき社会関係を作ってくれると、信じられているんだよ」

 「…そうか」

 「納得か?」

 「ああ」

 「しかし、今の社会は、気にいらんがな」

 「お、動物学も、そう思うのかい?」

 「当然だ。人間も同じだって、言っただろう?距離が、大切なんだ。それも、大切なのは、距離をとることだけじゃあ、ない。距離をとらずに近付かせてあげることだって、大切なことのはずだ」

 「それが、新型ウイルスに脅かされるこの社会にきて、おかしなことになってきた」

 「そうだな、リーウ?」

 「国の決定には、文句がない。というよりも、文句が言えないだけなんだろうがな。厳しくいえば、国は、距離のとり方に理解がないような気がする。ただ距離をとれば問題が解決するということでは、ない。もう少し、考えて、ものを決定してもらいたいよな。他人の税金でものをくっている人間の知性と行動とは、思えない。新卒教員のレベルを、見ているだよ。それだけだ」

 「そうだな、リーウ?近距離も、大切だ」

 「ああ」

 「じゃあ今度は、ゴリラだ」

 「ゴリラ、だって?」

 話は、ほんの少しの修正を、見せた。

 本当に、ゴリラの話になっていた。

 動物園で、隣り同士の檻の中に飼われていたゴリラがいたという。雄と雌のゴリラが、一頭ずつ、飼われていた。

 そのうち、残念なことに、雄ゴリラのほうが、死んでしまった。

 「リーウ?それで、どうなったと思う?」

 「さあな」

 「考えろよう…」

 「わかったよ」

 「考える能力が生まれないと、新卒世代のヒヨコちゃんに、なっちゃうぞ?」

 「わかった、わかった」

 「氷河期に生きた優秀な世代を裏切り、ウイルスを、まき散らす…。お前も、そうなってしまったら、おしまいだぞ?そして、社会に入り込んで、会社の新人研修で、読み書き計算から教わるんだ。そんなヒヨコちゃんに侵入された社会は、たまったものでは、ないよな?だから、考えろって、いうんだよ」

 「おい。そういう話は、やめてくれよ。俺だって、あの世代に感染させられそうになったんだからな」

 「難儀だな。リーウ?」

 「…絶望したよ」

 「新卒世代のヒヨコちゃん感染じゃあ、そんなところだ」

 「いい加減に、話を、戻せ」

 「じゃあ、ゴリラだ」

 ゴリラの話に、なった。

 隣りにいた雄ゴリラが死ぬと、雌ゴリラの動きが、日増しに、鈍っていったという。明らかに、元気がなくなっていた。

 ショックを受けてか、すんなりと立ち上がることすら、なかなか、できなくなってしまったそうだ。

 「リーウ?そのときに、飼育員は、どうやって、そのゴリラを、ケアしてあげたんだと思う?」

 「その、気落ちしたゴリラか?」

 「そうだ」

 「励ました」

 「人間じゃあ、ないんだぞ?」

 「…そうだったな」

 「考えろ、考えろ。新卒世代のヒヨコちゃんに、なるな。今、距離について、話していただろう?」

 「ああ」

 「リーウ?距離だ」

 「檻に人間が入って、距離を詰めて、接してあげた。そうして、雌ゴリラを励ましてあげたんじゃないのか?」

 「…まあ、良いだろう」

 飼育員は、気落ちした雌ゴリラをケアしてあげるために、距離を縮めて、付き合ってあげたのだそうだ。

 飼育員がとった手段は、豪華な食事を提供することでも、新しい仲間を連れてきてあげることでも、なかったそうだ。ただ、身体を拭いてあげたり、マッサージをしてあげたり…。声をかけてあげたりも、したそうだ。

 もちろんゴリラには、人間の言葉の意味など、わかるはずもなかった。

 「けれども、リーウ?飼育員は、それだけでも良いと、思った。とにかく、元気になってもらいたい一心で声をかけて、励ましてあげたんだな」

 飼育員は、日々、近距離での接触を、試みた。そうして飼育員らは、雌ゴリラを立ち直らせてあげたのだった。

 「リーウ?動物にとって、身体の接触は、意味のあることだったんだよ」

 「そうか」

 「動物界には、動物界なりのソーシャル・ディスタンスがあったんだと、わかった。そのソーシャル・ディスタンスは、いうまでもなく、近距離だった」

 ゴリラは、興味深いことを、明らかにしてくれていたようだ。

 存在の不安を消して元気になるためには、近距離である身体的接触は、生きる上での根幹を、秘めていたのだった。

 「人間も動物だと捉えれば、ソーシャル・ディスタンスとは近距離のことであり、その距離の中でわかり合える姿勢が必要だったということ、だな?」

 「そうだ、リーウ…。少なくとも、動物学は、そこを、明らかにしていたよ」

 国の決定が、遠くに、聞こえていた。

 たとえ話に、なるが…。

 大災害が起こったときには、知らない人が集まって食事をし、声を掛けあい、肩をさすり、手を握ってあげたりするものだった。TV番組やS NSで、良く見られた光景だ。

 「そういえば、災害時も…」

 それだけを言うと、友人は、反応良く、こう返してきた。

 「そうだな。災害時にも、人は、近距離で集まって、支え合うものだ。近距離は、理屈じゃない、優しさなんだな」

 理屈じゃあ、ない…。

 反論のできない優しさに、溢れていたのだろうか?

 そこで、新しい疑問が浮かんだ。

 「そうだ…」

 「何だ、リーウ?」

 「反論のできない優しさ…、か。こちらで言った言葉を借りるのもおかしな話だが、その言い方で考えたら、しっくりとこないことができた」

 「しっくりと、こないこと?」

 「ああ」

 リーウ医師には、疑問だった。

 国の言っていたソーシャル・ディスタンスには、居心地の悪さを感じた人も、いたはずだ。が、それに反論することは、意外にも少なかったように、感じたからだ。

 国の言ったソーシャル・ディスタンスに疑問をもてたなら、文句を言っても、良かったはずだ。

 もちろん、疑問に思って嫌悪感を抱いていた人は、すでに、いただろう。が、結局は、ほとんどの人が、渋々、その決定に従ったのではなかったか。

「なぜ、皆、おとなしく、従ったのか?」

 それについて、動物学は、こう言った。

 「きっと、学習性無力感があったからだ」

 学習性無力感とは、高校生時代にも、聞いた言葉だった。

 今どきの学校教師が知らなかったら、気持ち悪かったろう。もちろんそれは、ここでは違った話題になるが…。

 高校時代に教えてもらったことで言えば、こうだった。

 「何をどれだけ努力しても、無駄だ」

 そんな危うい感覚が、その言葉を、上手く説明していた。

 「何をどれだけ努力しても、無駄だ」

 そう何度も感じさせられると、どうなっていくのか?

 無力感を味わうことを、無意識下で、学習してしまうのだという。何も言えなくなり、戦うこともできず、人間が奴隷のようになってしまうと、いうのだった。

 動物学は、言った。

 「何をやっても無駄だとわかったから、従うしかなかったんだろうな。無駄だ無駄だとわかれば、反応も、なくなっていく。たくさんのことに、無関心になっていくんだ。絶望の、怖い言葉なのさ。動物学では、良くいわれる現象なんだがね」

 動物園の中の社会であっても、この状態に陥れば、混乱に、沈黙だ。ただの生き物展示になっていくという。

 「学習性無力感で、動物園の存在価値も、まずいことになる。反応のない生き物を扱うに過ぎなくなっていくからだ」

 人間社会の危うさと、リンクしていた。

 「リーウ?学習性無力感にはまると、とんでもないことになる。立ち向かおうにも立ち向かえず、黙らされるんだよ」

 「それって、独裁政治のような状態じゃ、ないのか?」

 「あるいはな」

 「他にも、そういう状態は、あるのか?」

 「あるじゃないか」

 「どこにだ?」

 学習性無力感の状況は、現に、見られた。

 たとえば、多数決の原理で溢れた場面で、この言葉の恐怖がわかってきたんじゃないのかと、不穏な忠告がされた。

 「リーウ?多数決の社会って、学習性無力感、だよな」

 「何だって?」

 考えるまでもなく、説明された。

 「今の社会、若い世代の人々が、どう意見を伝え政治に反映させようと努力をしてみても、伝えられないんだ」

 「そうか?」

 「若い世代の意見は、もみ消されやすい運命なのさ。無力感ばかり、だよな」

 今の社会では、高齢者の票が、ものをいうことになっていた。若い世代の人々より、高齢者数は、圧倒的に多かった。

 「だから、若者が声を上げても、数の面からして、老人の発言力には及ばない。どんなにがんばっても、無理。今、世界には、その無力感が漂っているわけだ」

 これが、学習性無力感だ。

 新型ウイルスのような、不条理さだった。

 社会皆に学習性無力感が広がることのないように、すべきだった。

 気を引き締めていかなければ、ソーシャル・ディスタンスに制約される新社会は、生き残りにくいまま。

 いつまででも、コウモリの残像が、飛び回っていた。







 「医療分野にも、教訓になりそうだな…」

 動物学は、良いことを、教えてくれたものだった。動物もそうだが、これまで、コウモリについて、たくさんのことを、考えさせられたものだ。

 「リーウ医師は、なぜここまで、乗り気でなかった動物学にまで頼り、コウモリについて、考えてみたくなったのか?」

 それには、大きな理由があった。

 「診療所に迷い込んで、倒れていたから。患者であるかのように、気になって気になって、ならなかったから」

 それも、あっただろう。

 中でもより大きな理由は、これだった。

 「コウモリは、ウイルス騒ぎの素をまき散らした張本人と考えられ、謎を解いてみたくなった。傷付く社会を、救いたかったから」

 ことの発端は、コウモリだ。コウモリは、病原体をもっていることが、あった。

 ここが、少し、ややこしかった。

 夜の悪魔だとか汚らわしいなどといわれることはあっても、コウモリ自体がウイルスにまみれていたわけでも、毒物を体内に含んで生きているわけでも、なかった。

 「よろしいか、人間ども?その点は、間違いのないように、願いたい」

 コウモリが言っていたような気が、した。

 「ああ、コウモリが、飛んでいるぞ!毒物が、動いているようなものだ」

 ひどい言いよう、だった。

 「逃げろ!」

 言われた側は、迷惑だ。

 コウモリという生命自体は、汚らわしいわけでは、なかった。

 あくまで、問題なのは、ファンタジックなイメージだったか。

 とはいえ、コウモリ自体が毒物というわけではなかったとしても、病原体を運んでいることは、たしかだそうだ。

 だから、何もしていないのに逃げろというのはあんまりな話だが、少なくも、むやみにコウモリに触れることは、控えるべきなのだという。

 特に、野生のコウモリに接触することは、危険だ。

 「コウモリに接触することを、控えて!」

 ここでも、気付けば、新たな次元の自粛が要請されていたようだ。

 野生のコウモリを見たら、そっとしておいてあげれば、良かったのだ。相手にしないで放っておくのも、優しさの形なのだ。

 もしかしたら、その愛が、利他的行動につながるかも知れなかった。

 もしかしたら、だが。

 「あ、コウモリが、飛んでいるぞ!」

 「今夜も、飛んでいるんですね」

 「お疲れさま」

 「さようなら」

 そうして放っておけば、良かったらしい。

 小さな子などは、好奇心の、塊だ。コウモリを見つければ、捕まえようとするかも、知れなかった。

 「あ、コウモリさんだ!」

 子どもが、コウモリに、手を伸ばす。

 身体の小さなコウモリにとってみれば、恐怖の接近だ。子どものあどけない手も、小さなコウモリから見たなら、巨大な網のように見えてしまうのだから。そんな物騒なものが急に襲ってきたなら、たまったものでは、ないだろう。

 このとき、相手を想像する思いやりが必要だ。いわれもなく捉えられそうになる相手の立場を、考えてみたい。利他的行動に、つながるだろうか?

 何度も言うようだが、小さなコウモリにしてみれば、子どもの手は、巨神のそれにも近いのだ。

 コウモリは、恐怖を振り払おうと、嫌がって、抵抗してくる。

 子どもを、襲ってくるだろう。

 チスイコウモリの生態から考えられた利他的な行動、思いやり行動が生きなければ、人間は、病原体を運ばれる前に、物理的反撃を受け、傷付くだけだ。

 人間とコウモリ、そのどちらが駆除されるのか、わかったものではなくなる。

 ここで、注意。ここでは、病原体という言葉を、用いてきた。

 感染症を引き起こすのが、病原体というものだと、わかっていたからだ。

 勘違いしがちだが、あくまで、病原体だ。

 コウモリが運んでくる危険性のあったものは、病原体だ。

 「毒物では、ない!」

 コウモリは、内心、怒っていた。

 病原体にも、種類があった。

 たとえば、細菌や寄生虫などが、そうだった。カビも、含まれた。

 食の問題で話題になった異常性のプリオンも、病原体になる危険種類に、含まれた。ウイルスも、病原体になる、危険種だった。

 コウモリは、このウイルス騒ぎの社会で、強く、追及された。

 「コウモリは、いくつもの病原体の中で、今、社会的世界的に流行してしまったウイルスと、密接に関わっている生物なのではないだろうか?」

 このように、ウイルスとコウモリの関係は、良き研究材料に追及され続けた。このウイルス騒ぎでも、考えなければならないことだった。新社会に生きる者の、責務のように。

 「どうしてもコウモリ…なのか?」

 リーウ医師は、細かな息を吐いた。

 虫の知らせというものに、襲われていたのだろうか?

 吐いた息の中に悪いものが含まれていないことを、願っていた。

 「コウモリ…ウイルス…感染症」

 コウモリと関わりが深いのではないかと疑われる感染症は、具体的には、このようなものだと、記憶していた。

 「狂犬病、エボラ出血熱、ME RS、SA RS、ヘンドラウイルス感染症、マールブルグ病、ニパウイルス脳炎…」

 そのつぶやきは、他からも、聞こえてきたようだ。

 リーウ医師だけでなく、どうやら他の医療従事者も、動物学同様の見解を、示していたようだった。

 それらのウイルス感染症の中で、順位をつけるわけではないが、最も恐ろしいといわれるのが、狂犬病だ。

 狂犬病を発症してしまったなら、ほぼほぼ確実に、ほぼほぼ確実というのもおかしな言い方だが、要するに、1 00パーセント死亡すると考えても良いと、いうことだ。

 狂犬病の感染源となってしまう動物で圧倒的に多いのが、犬だ。狂犬病という名前からも、すぐに、わかっただろう。

 他にも、気を付けなければならない動物がいて、ネコやキツネ、ハムスターの名も、あげられていた。

 コウモリも、その中に、含まれた。狂犬病は、基本的には、ほ乳類すべてに感染するといわれた。だから、コウモリだけが人間に感染させる源になるとも、いえなかった。

 「それならなぜ、コウモリが、診療所に、迷い込んできたのだ?」

 ウイルスは、議論の振り出しも演じた。また、戻ってしまいそうな疑問だった。

 「あのコウモリは、何かに、怒っていたんだ。そう考えるのが、正しい気がするな。だが、こうも考えることが、できた。怒り狂って、落ちた…。もしくは、怒りをもらって、落とされたのだと…。聖書では、神が、おごり高ぶる人間に、怒りの罰を落とした。落とした者と落とされた者が倒錯するが、これって、何かの、逆説的暗示だったんじゃないだろうか?南米に生息していたはずのナミチスイコウモリは、本来の生息地を荒らされてしまったことで、凶暴化したんだ。そこで、おごり高ぶった行動に出た。その行為の浅はかさを人間にわからせようともがいて、落とされた。そういうことだったんじゃ、ないのだろうか?」

 人間による自然破壊のツケが回ったということが背景にあったようにも見え、悲しい限りだった。

 「人間の身勝手が、コウモリを、凶暴化させた。そして、病原体を運ばせ、ウイルス騒ぎを起こさせたのだ」

 医師としての科学的見地が、このときばかりは、そっぽを向いていた。

 「この新型ウイルス騒ぎでいわれるウイルスの運び屋となってしまったのは、コウモリと、仮定する。だがな…。そのコウモリは、なぜ、感染源となってしまったのか?運び屋としての変態は、コウモリ自身が、望んでいたことなのか?」

 心が、痛かった。

 「私もついに、祟りを考察するように、なったようだな…」

 利他的行動は、情けは人のためならずの言葉の通りに、他の種を助ければ、いずれは自分自身も助けてもらえるという予測愛を含ませた考え方でもあった。

 それが、逆作用をもたらしたのだ。

 「困ったな…。この考察が、医師の徳を作るわけでもあるまい…と、信じるしかないのだろうな」

 人間の自然破壊行動が、チスイコウモリの利他的行動に、火をつけた。

 恨みを覚えられて、情けをかけてもらえなくなってしまったと、いうことなのか。

 「うーん…自然界は、難しいな」

 相手が嫌がることをして、嫌な行動が返ってきたという点では、利他的行動に叶っていたと、いうことなのか。

 判断が、難しかった。

 少なくとも、医療の現場では、情けは人のためならずの予測愛であふれさせたかった。

 患者からの感謝とその行動には、何物にも変えがたい充実性が、あった。

 「そうか…。利他的行動ができることは、美しい。負けては、いられない。それができることが、医師としての徳になっていくのかも、知れん」

 チスイコウモリのことが、頭から、離れなかった。

 「感染症、か…」

 医師としての知識をしぼり、コウモリと関係が深いと考えられた感染症について、思いを、めぐらせた。

 「もう1度、整理してみよう…」

 感染症問題については、患者らと、何度も何度も、向き合ってきたものだった。セカンドオピニオンということで、他の診断に立ち会ったことすら、あった。

 「インフルエンザは、基本的な感染症として、すぐに、思い浮かぶ。他の感染症を考えれば、ヘンドラウイルスが、19 94年から…、オーストラリア。ニパウイルスは、19 98年から…、マレーシア。SA RSウイルスは、20 02年から…、中国など。それから、マールブルグウイルスは、20 04年から…アンゴラなどだ。SF TSウイルスは、20 09年から…中国。ME RSウイルスは、20 12年から…、サウジアラビア、U AEなど。20 15年には、韓国で再流行。エボラ出血熱は、20 14年から…。アフリカ西部だったな」

 考えれば、きりが、なさそうだった。

 「デング熱も、感染症だな。天然痘も。他にも…。クリミア・コンゴ出血熱、南米出血熱、ラッサ熱、とか。赤痢、腸チフス、パラチフス、も。ポリオ、ジフテリアとか。他にも、E型肝炎、ウエストナイル熱、A型肝炎、エキノコックス症、黄熱、オウム病、オムスク出血熱、回帰熱、キャサヌル森林病、Q熱、コクシジオイデス症、サル痘、腎症候性出血熱、西部ウマ脳炎、ダニ媒介脳炎、炭疽菌、チクングニア熱、つつが虫病、頭部ウマ脳炎、ハンタウイルス肺症候群、ニホン脳炎、Bウイルス病、鼻疽、ブルセラ症、ベネズエラウマ脳炎、発疹チフス、野兎病、ライム病、リッサウイルス感染症、リフトバレー熱、類鼻疽、レジオネラ菌、レプトスピラ症に、ロッキー山紅斑熱…。アメーバ赤痢に、カルバペネム耐性腸内細菌科細菌感染症、とか…ジアルジア…。さすがに、やめよう。気分が悪くなってきた」

 考えれば考えるほど、疲れてきた。

 「梅毒、コレラ、ハンセン病、ペスト、スペイン風邪…」

 まだ、あげられた。

 「結核、アジア風邪、香港風邪…、マラリアも、そうだ」

 人間と感染症の付き合いは、何と、長かったことか。

 感染症の歴史は、本当に、古かった。

 エジプトのミイラの中にも、感染症にかかったと考えられるものが、見つかっていた。そのミイラには、天然痘や結核などの病気の痕が、あったのだという。遺跡のレリーフには、ポリオ患者を示すものも、あったといわれた。

 「RSウイルス感染症も、そう。風疹、ウイルス性肝炎、寄生虫感染症、劇症型溶血性レンサ球菌感染症、鳥インフルエンザ…。O1 57のような食中毒も、そうか。だとすれば、カンピロバクターやサルモネラ菌、ウエルシュ菌食中毒も、含まれたな。ヘルペスウイルスも、か…。多いな…」

 O1 57ということでは、楽しく食事をして体調を悪くするという子どもの食事光景が、浮かんできた。

 「子ども、か…。子どもの感染症なら、プール熱や手足口病、ヘルパンギーナ。…そうだ、そうだ。ノロウイルスが、あったじゃないか。子どもなら他にも、リンゴ病があったな。乳幼児なら、ロタウイルス感染症、水痘帯状疱疹ウイルスによる水ぼうそう、はしかと呼ばれる、麻疹…。もう、やめよう」

 感染症への記憶は、困りものだった。

 人間は、ずいぶんと長らく、戦っていたものだった。

 もうやめようとは思いつつ、まだ、思い当たる感染症があった。

 「ボツリヌス菌」

 この菌を知らない母親がいて、閉口したことがあったものだ。

 「赤ちゃんがハチミツをペロリ舐めるときには、ボツリヌス菌に、要注意」

 そう言われて頭をかしげる母親を見たことが、あった。

 「この母親には、子どもを思う危機感が、なかったのか?これじゃあ、定年退職世代のおじさんじゃあ、ないか。子どものことを、どう思っていたのだろう?」

 口には出さなくても、怖かった。

 その母親は、ハチミツの容器に、こんな注意書きをされたラベルが貼ってあるのを見たことが、なかったのだろうか?

 「いや…。違うな」

 見たことはあったのかも、知れない。

 「注意を、向けられなかったのかもな…」

 もっと、考えてみた。

 「母親も、いろいろだ。ひょっとしたら、その母親には…。注意書きを読む能力がなかったのかも、知れん。字を読んで理解する以前の子もいるという話、だったからな。そういう子でも、楽々入社らしいがな。努力家の氷河期世代の子たちが、不憫だ」

 母親も、いろいろだ。

 「このハチミツを、1歳未満の子に与えないよう、気を付けてください」

 この理由を知らない母親が、いたのだ。

 なぜいけないのか、考えることもできなくなった母親は、気の毒だった。

 「考える力が、ないんだ。あの教育の失敗が、見事に、出たな…。子どもも、そうなってしまうのだろうか?」

 医師らしからぬことを、思っていた。

 ハチミツの中には、まれに、ボツリヌス菌が混入していることがあった。

 赤ちゃんに与える際は、要注意だ。

 1歳以上の子は食べても問題はないというのだが、1歳未満の乳児がハチミツを食べると、赤ちゃんの未発達な消化管の中で、菌が繁殖をはじめてしまうのだという。乳児ボツリヌス症の、発症だ。

 これに発症してしまえば、乳児の身体が弱り、泣き声が小さくなる他に、便秘が催された。

 この危険があるとわかったため、リーウ医師の国では、19 87年、通知が広まった。

 「赤ちゃんにハチミツを与えては、いけません!」

 さかのぼって、エボラ出血熱の流行があった20 14年は、重要だった。

 このエボラ出血熱の騒ぎが起こった頃に、感染症の発生源に、コウモリの名が上げられてきたのだ。

 「コウモリ…、コウモリ…」

 名前は、動物学に聞いてみなければわからなかったが…。その、エボラ出血熱の騒動があったときに、3種類のコウモリから、エボラウイルスを検知したのだそうだ。

 P CR法によって、検出されたという。

 奇しくも、今回、社会的世界的に流行中の新型ウイルスを検知する方法と、同じ検査法だった。

 この、P CR法というのが、くせ者だった。

 P CR法は、敏感も、敏感。

 極めて微量の、本当に、ほんのわずかな遺伝子の断片であったとしても、何らかの痕跡が、検出されてしまうらしかった。

 そこで、エボラ出血熱騒ぎのときにいわれた、コウモリ伝播説は、どこまで正しかったのかは、明らかでなし。

 何らかの感染外の原因で付着していたコウモリのD NAが検知されてしまったとも、否定できなかったという。

 コウモリは、まだまだ、捉えきれない生命体だったようだ。

 リーウ医師は、気持ちを、切り替えた。

 「動物学の話は、休憩だ」

 頭を、医療への考察に戻した。

 「こうなったら、人間の抵抗力を高めるしか、ないのだろうか?」

 抵抗力とは、病原体が体内に入ってくることを防ぐ力のことだ。

 動物の身体には、病原体から身体を守れるようにする力が、備わっていた。人間であっても、そうだ。

 人間では、皮膚が、病原体から守る壁の例として、思い浮かべやすかっただろう。

 他にも、涙がそうだ。

唾液も、病原体を殺す力をもっていた。

人間は、身体の具合が悪くなれば、鼻水を流した。咳だって、出た。それは、身体に入ってきた病原体を追い払おうと、抵抗している姿だった。

 「身体が悪くなれば、抵抗できる。人間のこの仕組みが、上手く応用できれば、良いんだがなあ」

 いろいろと、考えさせられた。

 仮に、ウイルスが体内に入ってきてしまったとしても、抵抗力さえ高ければ、発祥をしないままに、ウイルスが消えてくれるはずだった。

 「せめて…。せめて、皆に睡眠をしっかりとってもらって、バランスの良い食事もとってもらって、摂生ある規則正しい生活を心がけてもらいたいものだ」

 願うしか、なかった。

 感染症との戦いは、終わらなかった。

 医学の力は、万能では、なかったからだ。

 「それでも医学は、万能なのだ!」

 そう言い張れる医師がいたなら、その人は、およそ正しい感覚の医師とは思えなかったものだ。

 感染症との戦いは、終わらず。

 対感染症の、人間の受けた過去の痛みを完全に忘れることなどできるわけもなく、再感染症の阻止に備えるしか、なかった。

 リーウ医師には、そのくらいの措置しかとれないと脅かされていた。

 「まだまだ、考えなければならないことはある。医師として、そして、感染症に負けたくない人間の1人として…」

 再感染症の他にも注意していかなければならなかったのが、新感染症と呼ばれるものだった。

「SA RSウイルスや、SF TSウイルス、ME RSウイルス。エボラ出血熱にデング熱…」

 自然と、感染症名が、頭に浮かんできてしまった。

 人間は、新しい危機に対峙させられていくのが、現状だ。

 病原体は、進化し姿を変え、人間に、戦いを挑み続けた。

 長い戦いの歴史の中、人間もまた、ウイルスに負けない進化を果たしていた。

 「人間が、ウイルスに負けない進化をしてきたのか?ウイルスのほうが、人間に負けない進化をしてきたんじゃないのか?」

 捉え方は、様々だ。

 1つに、交通網の発達は、人間の生活に大きな意義をもった。

 車輪の改良で、馬車から飛行機までもが開発され、多くの物資を移動させられるようになった。

 そのことによっても、人間と感染症の戦いが、続けられた。

 モノの移動で、特定地域の風土病に過ぎなかったような何か良くわからないものまで、新しい地域に、新興感染症を引き起こしたのだ。

 ここでは、交通網の発達について、文句を言いたいのではなかった。

 むしろ、交通網の発達は、偉大な発明だと考えられた。物流もはかどらせてくれたことで、人間に、明るさをもたらせるきっかけ作りになったからだ。人間の気持ちだって、明るくさせてくれた。

 それなのに、不条理だった。

 「楽しみだ、楽しみだ。自転車に乗って、公園に、遊びにいこう!」

 子どもが、どこまで交通網のことを考えていたのかは、不明だ。

 「車輪の改良で、自転車が作られるようになったぞ!これで、公園に、僕を運んでいってくれるだろう。素晴らしい」

 そうは思っていなかったろうが、交通網が子どもの遊びにも有益だったのは、間違いない。

 その、幸せを作ってくれるであろう交通網が、今は、狂いそう。新型ウイルスの社会では、精神的にも、上手く車輪を回せなくなっていたわけだが。残念ながら」

 何であれ子どもたちは、交通網の発達で、ワクワクしながら、外出することができるようになった。本来ならば、子どもたちの楽しそうな姿が、見られただろう。

 「おい!なぜ、こんなところで、遊んでいるんだ?」

 「今は、自粛期間中だ!」

 「そうよ、そうよ」

 「我慢して、家にいろ!」

 「感染が広がったら、お前たちの、責任だぞ?」

 「そうよ、そうよ?私だって、我慢しているのに!」

 「お前は、近所の子か?」

 「なぜ、まわりが守っている自粛を、守れないんだ?お前だけが遊んで良いと、誰が、許可した?今がどういう状況か、わからないのか?そうですよね、ボス?」

 「ああ、その通りだ!」」

 「嫌ねえ…。空気が、読めないのね?」

 「さあ、公園から、出ていけ!」

 「帰れ!」

 「お前を撮って、S NSで、動画配信したやるぜ?」

 子どもたちは、公園で、楽しくなれたはずだった。

 自粛警察、自警団に、目をつけられるまでは…。

 この新型ウイルス騒ぎの社会にあっては、交通網も遊びの形も、様々な規制を、受けたものだ。

 真面目なリーウ医師は、またしても、考えさせられた。

 「…子どもたちの自転車も、交通網の1つだ。そう捉えれば、飛行機と同じように、公園いき交通を制限されなければ、社会の納得が得られなかったと、いうことか?」

 それは考えすぎだろうと言われてしまうほどに、考えさせられていた。

 仮に、自転車を使わずとも、元気な子どもたちなら、徒歩で、公園に向かったことだろう。

「自転車から、徒歩へ…」

 これは、交通網の進化を皮肉っていたようにも、思われた。

 そのことがまた、新たな疑問を呼んだ。

 「徒歩交通、か…。昔の感染ルートのことが、思い出されるな」

 徒歩での公園いきにも、不穏な雰囲気が、漂っていた。

 医療行為の連続に疲れ、頭が、上手く回らなくなっていたのか。

 「徒歩での公園いきなら、ウイルスたちと別れられるのか?って、俺!そんなわけが、ないじゃないか!」

 ついには、自身で、自身を叱っていた。

 医療従事者は、疲れていたのだ。

 とにもかくにも、公園いきを制限された子どもたちが、かわいそうで、ならなくなってきた。

 公園いきの道が、昔、人間が徒歩で旅したシルクロードのようにも思えてきてしまい、プチ孤独、だった。

 昔、天然痘やペストは、シルクロードを通り、商人のキャラバンや遊牧民らと共に、ヨーロッパへ運ばれていったという。

 ウイルスを運ぶ犯人として、公園にいく子どもたちが名指しされたわけではないと信じたかった。

 公園にいって遊ぶのは、当然のことだ。

 日常であることもまた、当然のことだ。

 ここに、倒錯が起きた。

 当然だ、または、当然であって欲しいと願われ、その当然を守ろうと叫ばれれば叫ばれるほどに、当然が、当然ではなくなっていくのだ。

 「頭が、痛くなってきたな。当然のように公園にいって、当然のように叱られなければならなくなったあの子たちは、どんな思いになっただろう?」

 さらには、運の悪いことに、自粛警察、自警団に摘発されただろう。

 「こら!ここで、何をやっているんだ?」

 「帰れ!」

 「この社会では、自粛しろ!」

 「そうよ?当然でしょう?」

 そう言われて、泣き出す子どもたち。

 「…だって、だって。えーん…!公園で遊ぶのは、当然じゃないかあ!」

 「何だとう!自粛のほうが、当然の行為だろう?」

 完全な、倒錯だ。

 「そんなにも公園遊びという当然を摘発したくて、感染を避けるための当然を演出したかったのなら、子どもたちとは、触れ合わなければ良いじゃないか!」

 残酷なことを、思っていた。

 社会人皆と向き合う医師のあり方が当然だったはずの自身に影が射していたのを感じてしまい、弱さを知った。

 医師としての弱さをさらに感じたのは、こう思ってしまったときだった。

 「子どもの隔離、か…。自粛を、守ってもらいたいものだな。そうして、経済活動を送ってもらえれば、理想的だ。新型ウイルスの感染を受けるのは、子どもたちだけではないのだ。子どもたちに関わる大人もまた、感染を受けてしまうんだ。経済を動かすのは大人であると考えれば、子どもたちを公園にいかせないというのも、とるべき方法なのか?子どもの公園遊びが制限されるのも、仕方がないのか?」

 経済活動の推進に加え、自粛にまで賛成していた自分が、悲しかった。あまりにも身勝手で欲張りであり、苦しくなっていた。

 これもまた、プチ孤独だった。

 このような意味でも、新型ウイルスとの戦いは、終わらなかったようだ。

 公園で遊ぶ子どもたちは、楽しく楽しく、ペチャクチャおしゃべりを、しただろう。それによって引き起こされる飛沫感染が危険視されたのは、理解できた。

 だが、感染封じ込めのために、子どもを隔離するようなことをしても、良かったのだろうか?今の社会は、なぜ、こうなってしまったんだ?こうした感染阻止が、社会の総意に基づいたものであったとでも、言うのか?まだ、私には、わからない…」

 少し、ぼーっと、なっていた。

 「結局、私は、何を守りたかったのだろうか?医学もまた、困難余りあるウイルスだったのか?」

 自問自答が、続いた。

 「…良いか、リーウ?良いか、俺よ。俺は今、何を守りたかったのかと言った。が、それは違うだろう。何を守りたかったのではなく、何を守ったか、だ。医師として、何をなすべきだったのか?まだまだ考え続けていく過程を経なければ、新型ウイルスと闘うための本物の知恵は、生きない。あのアポフィスと向き合う勇気も、出てこない。そうじゃないのか?」

 自らに、問いかけたつもりだった。

 「…そうだな」

 誰かの、懐かしい声が聞こえてきたような気がした。

 「何だって?」

見えない空気に向かって、叫んでいた。振

り向いても、何も見えるはずはなかった。

 そんなとき、患者たちから、自粛警察、自警団についての新たな噂が飛んできた。

 「リーウ先生、知っているかい?」

 「何です?」

 「隣り町にある公園でも、アポフィスの自警団が動いたそうですじゃ」

 「そうなんですか?」

 「アポフィス団、じゃ」

 「アポフィス団…。あれか…」

 「先生?町内の回覧板で、注意が呼びかけられていますじゃ」

 「回覧板で、ですか?」

 「先生も、気を付けてくだされ」

 気を付けたが、何事も、なさそうだった。

 いつもの診療所生活が、続いた。

 もう、アポフィスらしき人物が診療所を訪れることは、なかった。

 何だか、安心して良い心もちになりつつ、不安にもなってきそうでもあり、落ち着かなかった。

アポフィス団は、どこかで、動き続けたようだ。

 が、少なくともアポフィス本人は、もう、ここにはこないだろうと思われた。

 「…というよりも、ここにはもう、こられないだろう」

 その思いは当たり、2度と、アポフィスと面会することは、なかった。

 アポフィスは、実は、こんなことを言っていた。この言葉があったことで、もうここにはこられないだろうと、確信できたのだった。

 「…、じゃあな?リーウ。患者を、救ってやるんだぞ?医師として…。俺は、絶対に負けない。挑戦だ」

 核心には至れたものの、不安なセリフだった。

 そして、不可解なセリフだった。

 「リーウ先生?診ておくれよ」

 「リーウ先生?疲れましたよ…」

 「ああ、はい」

 「先生?今日は、どうしたんじゃ?」

 「そうよね。無気力よねえ」

 「先生?ほれ、元気を、出してくだされ」

 「先生?頼りにしておるんじゃぞ?」

 「そうじゃ。わしら高齢者の、希望なんじゃぞ?」

 患者の訴えが、心に、刺さった。

 「せめて…。皆に睡眠をしっかりとってもらい、バランスの良い食事と、摂生ある規則正しい生活を送らせたい」

 まずは、そう思えていた。

 が、盲点があった。

 この新型ウイルスに怯える日々では、患者それぞれのいた職場に、規制がかけられたからだ。会社でも教育機関でも、そうだった。

 リーウ医師の考えていた経済復興案は、なかなか、叶えられそうになかった。

 会社休みは、経済活動に直結していたために、悲惨だった。

 休めば休むほど働けなく機会がなくなってしまうわけで、働けなければ働けなるほど、子どもを満足に育てたいというありふれた願いが、届きにくくなってきた。

 自粛生活は、いつだって、社会的なブレーキをかけた。

 「金が、稼げない」

 金が稼げなくなるということで、たくさんのストレスが、生まれた。そのストレスで、不眠に陥った人が出た。

 金がなければ、物も買えないわけだ。

 そこで、充分な栄養をとれなくなるような人さえ、出た。

満足な睡眠と食で栄養をとるという、抵抗力を高めるための最低条件を撮ることのハードルは、意外にも、高すぎたのだった。

抵抗力を高めればそれで済むのかという問題でも、なかった。

 病原体は、それでも、身体の中に入ってきたのだから。

 「だが、人間は、負けない」

 リーウ医師の、言った通りだった。

人間の身体には、まだ、防御壁があった。

それが、免疫と呼ばれるものだった。

「免疫力が、高められれば良いのだが…」

病原体が体内に侵入してくると、どうなるか?すると、血液の中にある白血球の一種が病原体と戦ってくれ、その病原体を、殺してくれるのだ。

 これが、人間が生まれながらに備えているという、免疫力というものだった。

 「だがな…」

 リーウ医師は、まだ少し、不安だった。

 免疫は備わっていても、数多くの病原体すべてには、対応できなかったのだ。

「自然免疫くらいでは、対応できないのかも、知れん」

 自然免疫とは、病原体などの異物が体内に侵入してきたときに、血液中の白血球が中心となって異物に立ち向かい、やっつけてくれる仕組みのことだった。

 人間が、生まれつき、自然にもっていた防御壁だ。

 「獲得免疫に期待するしか、ないのか?」

 獲得免疫とは、病原体に合った攻撃をしてくれる仕組みのことだった。

 獲得免疫の素晴らしい点は、身体に記憶されるということ、だった。

 病原体を攻撃してくれる、抗体というものを、作ってくれるのだ。仮に、同じ病原体に再度侵入されそうになったとしても、この抗体が、すぐさま攻撃を開始して、病原体をやっつけてくれるのだ。

 「この仕組みが付けば、良いんだが」

 リーウ医師の言った通りに、この仕組みが付けば、基本的には、1度かかってしまった感染症には、もう2度と、かからないのだった。

 ウイルスは、細胞に入り込んで一旦増殖をはじめると、たった1つのウイルスから10 00 00万個以上ものウイルスが生まれていく。侵入されたウイルスは、死ぬ。

 これには、新たな力で対処をしていくしかないのだろう。

インフルエンザを例にすれば、免疫というものが、わかってきたというものだ。

 インフルエンザの流行を防ぐために、予防注射を打つことが、あった。これは、免疫力を利用して、感染症を予防するものだ。

 ただその策も、新型ウイルスの予防には、使えただろうか?

「ワクチンを開発することでしか、これ以上救われる道はないのか?」

 力を弱く抑えたとしても、免疫力を作るためとはいえ、ウイルスをワクチンとして注射してしまったとしたら、どうなるだろうか?

 「身体の力の弱い高齢者などは、それだけでも、危機に陥ってしまうんじゃないだろうか?」 

 新型ウイルスは、まことに、厄介だった。

この新型ウイルスは、どんなに弱体化させても、体内には入れられなかった。

 「同じウイルスが身体に入ってきたときにも、症状の悪化を防げるんじゃないか?そう期待するしか、ない」

 が、甘かった…。

新型ウイルスは、とにかく、良くわからない悪魔だった。

「ワクチンの開発、か。あるにはあるが、まだ、確実性が保証されない。確実性をもったワクチンの開発は、絶対に、やらなければならない。だが、技術的にできたとしても、課題が多すぎるだろうな」

 それも、リーウ医師の、言う通りだったのか。

 ワクチンが開発されても、世界中の人が受けられるようになるは、時間が、かかりすぎた。

 人間は、わがままだった。こういうときには、仲間を率先して助けられるコウモリの存在力が、ぐっと、輝いていた。

 「ワクチンを、よこせ」

 「こっちが、先だ!」

 「違うわ、私よ!」

 そして、こう言う人が出てくるかも知れなかった。

 「俺に、よこせ。金なら、いくらでも、払う。一般人はとても払えないような金を、出しても良い。どうだ?取引だ」

 暴動が起こる可能性も、見えた。

本来は人を救うべきの手段が、悪徳政治利用などの道具に使われないよう、祈るばかりとなっていた。

 身体の抵抗力を高めるには、すでにあげたように、満足な睡眠や食が、必要だった。それにも増して有効なのが、適度な運動だ。

 だがそれは、外出が自粛された社会であっては、新たなハードルとなっていた。公園にもいけないという日々は、辛かっただろう。

 特に外出を制限された子どもたちは、家の中で、健康器具を動かすしか、方法がなさそうだった。

感染症の予防には、いくつかの対策が、あった。

 抵抗力を高める策は、重要だった。

 他には、感染経路を断つことが、求められた。新型ウイルスへの再考察で、余計に、悩まされたような気がした。

 「病院マネー」

 そんな危うい言葉までが、襲ってきた。

 リーウ医師の国では、感染症についての法律が機能して、各地に、指定の公立病院が作られていた。

 公立病院には、致死率や感染率が高い疾患を専門に扱う病床が、設置されていた。新型ウイルスに苦しめられた患者は、その仕組みで、助かっただろう。

 本当は、どう思ってもらえただろうか?

 患者は、当初は、自分の抱える病気が何なのかが、わからない。リーウ医師によって、はじめて、知らされる。

 そこから患者は、症状の重さにより、市立の病院を紹介される。私立病院とコミュニケーションをもっていたことが、リーウ医師の診療所の強み、だった。

ここからが、問題だった。

 マスコミの鼻は、良く、利いていた。

 社会全体が怯えた、新型の感染症患者の発生について、紹介した診療所名と共に、報道してしまうだろう。

 事実、報道されたものだ。

 そこで、病院は、患者を移したいと思うようになる。が、できない。患者を転院させるとしても、搬送する救急車の中が、危険だからだ。何かのトラブルが起これば、それだけで感染が広がらないとも、限らなかったのだから。

 患者も病院も、リスクを計算し、転院はせず、その病院にとどまって治療を続けるはずだ。

 ここでまた、アポフィス団のような、屈折した善意連中が、現れる。

 「この病院には、あの感染症を患った患者が、かくまわれている。そんな病院にきたいと、思うかい?」

 人を傷付ける言葉が、平気で、行き交うことになるだろう。

 ここで、病院にとどまっていた患者は、決意せざるを得なくなる。

 「ここは、ダメだ…。ここにいては、いけない。転院しよう」

 結果的に、私立病院も、リーウ医師の診療所も、経済的に苦しむことになるのは、明白だった。

 そうなればもう、自粛は大切だが、経済を回さなければどうにもならない恐怖に、医療界全体が、脅かされていくことになる。

 「自粛か、経済か?」

 そんなことは、言っていられなくなるわけだ。

 大きな金が、動いていく。やり方によっては、どこかの病院や診療所などが、完全経営破綻を、迎えてしまうのだった。

私立病院では、人の命を助けたいと思うが故に、病院スタッフへの給与を確保してあげるためにも、危険な患者の来院によって経営破綻が導かれないよう、知恵をめぐらせていく。

 「給与…、経済…、それもまた、命。医師として、何を救えなければならないんだ?何度でも、考えるんだ。俺よ、リーウよ!」

 患者が、優先だった。

 たとえば、見るからに新型ウイルスに感染したと考えられるような患者が来院した場合や、感染者が再来院した場合などは、他の来院患者とは、異なった処置を施せるよう、努力した。

 「ゴホン、ゴホン…。苦しい」

 「どう、なさいましたか?」

 「おお、助かった。病院の方、ですな」

 「ええ、当病院の、看護師です」

 「今流行中の、新型ウイルスに、感染したんじゃよ」

 「何ですって?」

 「ある診療所でそう診断されてなあ、念のため、セカンド何とかという…、大病院での見解を聞きたいと、参りましたのじゃ」

 「そ、そうでしたか…」

 「ゴホン、ゴホン…。新型ウイルスというのは、本当に、厄介じゃわい」

 「それでは、こちらへどうぞ」

 「ここですか?」

 「ええ」

 「正面玄関は、あちらのはずじゃが…?」

 「いえ、その…。改装工事をやっておりますので、今の時間は、使えないのですよ。こちらの玄関から、お入りください」

 「そうかい…?」

 「ええ…」

 「それじゃあ、そうするよ」

 普段用いる正面玄関ではなく、病院敷地内に準備した別入口を通させ、特別診察室に誘導することも、あったらしい。ここで、素直に従ってくれたなら、病院の思惑通りだ。

 が、そうはなかなかいかないのが、現実。

 患者の来院時間など、行動を決めるのは、患者の側だ。病院の側が細かくコントロールできることでは、なかった。

 そこで、病院は、工夫をした。

 「新型ウイルスに悩む方は、こちらの入口を、お使いください。すぐに、新型ウイルス専門の診察室につながります」

 貼り紙をして、趣致徹底を、心がけた。

 想定外だったのは、その貼り紙を見ても、何とも思わない患者が多かったと、いうことだ。

 「ど、どうして?あなた方患者のことを気遣って、誰にもわかる場所に、貼り紙を用意したのに!そこまでして、病院は、注意を呼びかけたのに?どうして?どうして、読んでくれないの?」

 こういうときに、世代間ギャップが、出てしまうものだ。

 「読まない」

 そういうことも、あっただろう。そして、こうも、考えられなければならなかった。

 「読めない」

 他人の話を聞けなかったり、説明書を読まない人が、いた。それ以上に、書かれたことに理解を寄せられない人が、いかに、多かったことか。

 「そんなことを注意されても、私には、読めんよ。ばかばかしくて、付き合えない。私を、誰だと、思っておったのじゃ?患者様じゃぞ?病院は、患者のほうにこそ、従うもんじゃないか?」

 そこまで思っていないと願いたいが、そう思っている人も多かったのは、非常に残念ながら、事実だ。

 一定世代の人には、上手く理解ができなかったのか。

 そこで、病院は、さらなる工夫を施した。

 「今日は、午後の来院で、お願いいたします。午前中は、工事をしております。入れないと思っていただきたいのです」

 電話をして、特別な入口を使うよう指示する方法も、試みられた。

「お願い致します」

 「…ほう、ほう。わかりました。こう見えてもわしの孫は、教員じゃ。教員を孫をもつ高齢者ほど、物分かりの良い者はおらんよ。安心せい」

 もちろん病院側は、教員関係者だから危ないんじゃないかなどということは、言わなかった。

 「どうか、午後の来院で、お願いいたします。それから、入口は、いつもの正面玄関の隣りに設置しております」

 医療機関は、いつだって、気遣いの場だった。

 「そうか、そうか。入口は、いつもと、違う場所なのじゃな」

 「ええ、そうなのです」

 「わかった、わかった」

 「…午後の来院を、お願い致します」

「わかった、わかった。わしの孫は、教員じゃぞ?」

 「…はあ…疲れる」

病院の作戦も、悲しいものだった。

  が、もっと悲しかったのは、そこまで病院のスタッフが伝えた後の、患者の行動について、だった。

 「わかった、わかったよ。午後、別の入口を、使うんじゃな?」

 わかったといっておきながら、わかってくれなかった。

 午前に、通常入口から、入ってきてしまうのだった。

 「わかったって、言ったのに…」

 教員感覚に慣れた一定世代の人は、恐ろしいものだった。一定世代の人は、なぜ、こういうことになってしまうのか?

 「読まない、読めない」

 「聞かない、聞けない」

 患者の脳機能の低下でもたらされる病院の苦悩は、大きかった。ここまでくると、世代間ギャップが云々とだけをいったのでは、解決できなかったものだ。

 未来も、恐ろしいだろう。

 「読まない、読めない」

 「聞かない、聞けない」

 新卒世代のヒヨコちゃんたちと、実に、似ていた。

 病院の貼り紙は、新卒世代のヒヨコちゃんたちへのモーニングコールの、比喩か。

 「もう、朝ですよ!起きなさい」

 「1限目に、遅れますよ!」

 「会社に、遅れますよ!」

 「通勤時間に、迫っていますよ!」

 大学や会社もまた、優しい学生確保法を考案して、経営破綻に追い込まれないよう、努力したものだ。

 病院と、同じように。

 やっぱり、優秀な就職氷河期世代が、かわいそうでならなかった。

 「新型ウイルス…。新卒世代の、ヒヨコちゃんたち…。本当に、困ったものだよな」

リーウ医師は、医師であるからこそに、悩みに、悩まされた。

この病院マネー戦争は、患者が公立病院を受診したときにも、同様のことが起こされるという。国の補助があるから何とかなりそうとはいえ、困窮は、必至だろう。

 これが、私立の病院を舞台にした場合は、深刻な経営状況となる。

 タクシーでは、乗車拒否というものが、あった。

 病院では、診察拒否というものができるのか否か、医師でなくても、考えてみなければならないのではないだろうか?

 感染症は、いろいろな経路で、伝染していく。

 TV番組などでは、感染経路について云々、常々言われたものだ。感染経路を断つことが、感染の伝播予防にいかに重要なのかが、わかっていたからだ。

「医師としての俺が、変わっていく…」

はかなくも、怖かった。

 自粛も良いが、経済活動を優先すべきと、考えるようになっていた。

 「この新型ウイルス騒ぎは、人の精神を曲げ、動かしていく。あらぬベクトルに、向けていくんだな」

 恐ろしいこと、だった。

 リーウ医師の立場は、はじめは、自粛賛成だった。

 それが次第に、経済に動かされた。

 その変化が、不安でならなかった。

 「…結局俺は、自粛を守るべきだと考えるように変わっていた。この変化は、何なんだろうか?」 

変わったというべきか、戻ったと、いうべきか?

 「なぜ、こんな不安定な方向性で、考えさせられたのだろうか?医師としての立場を、俺自身によって、利用されたのか?…何て、まさかな」

 こうしてリーウ医師は、本来が思い描いていた医師に戻り、患者と密に向き合える日がくることを願い、自粛要請を、受け入れた。

 「先生、ここを、診ておくれよう」

 「はい、お待ちください」

 「先生、近付き過ぎじゃ。今は、離れる時代じゃよ」

 「そうでしたね。面目ない」

 密が嫌だと言われれば、それまでだ。

 まだまだ、我慢なのか。

 「良いだろう。我慢しよう…」

 経済活動も大切だが、感染予防のための自粛は、適切な医療につなげられる意味でもっと大切であると、思えていた。「自粛…。それでも、良いだろう。情けは人の、ためならず。自粛を守れば、私の医療行為も、守られる。今は、そう信じよう」

 これを見逃さない手は、なかった。

 この患者は、密が嫌で、リーウ医師に近付いて欲しくなかったのか、はっきりとは、わからなかった。

 密に付き合うことは良しと考えても、社会がそれを嫌がる雰囲気だったので、流れに合わせてさわらせたくなかったのかも、良く、わからなかった。

 診察が、再開した。

 「どうしましたか?もっと、私のそばにきて、聞かせてください。わたしの前では、ソーシャル・ディスタンスは気にしなくても、良いのですよ?これが、医療の、あるべき社会。私たちの、新社会。どこが、痛いのですか?喉、ですか?見せてください」

 「でも、先生?やっぱり、政府が、怖い。密は、まずいんじゃなかったか?」

 「しかし、密にならなければわからないことも、あるのです。この診察の場だけは、我慢していただけませんか?この場で信用できるのは、政府ではありません」

 言うと、患者は、笑った。

 「そうじゃのう…。その通りじゃ。自粛して我慢するばかりじゃなくって、一旦その我慢をやめて、先生に向き合うのも、良いかも知れんのう」

 「…ありがとうございます。自粛の我慢を破ってしまったことへの、我慢ですか?ややこしい言い方ですね」

 「先生、社会は、いつでも、ややこしいもんですじゃ。その複雑さの中をどう生きるかを適切に患者に示せるのが、医者の徳っていうものじゃ、ないのかい?ははは。小言を、言ってしまったよ。年をとると、説教じみてくるのう」

 「そうですね」

 充実した利他的医療が、できていた。

 「先生、ありがとう。今日は、早く寝ようかのう」

 患者は、診察室から、出ていった。

 「…生きよう。ウイルスと、共に。患者の皆と、共に。俺は、これからも、医師として生きていけるだろう」

 さめざめと、うれしかった。

 いつか、自粛をかけられることなく、患者と堂々と密に付き合いながら感謝を得ていきたいものだと、願っていた。ずいぶん前に、こんなことが、言えていた。

 「過去の例からもわかると思うが、たとえば、天然痘に苦しめられた10 00年を超える前の社会にも、天然痘流行時には、食糧危機がつきものだった」

 これは、現代社会に生きる私たちに残した教訓、意外な事実となっただろう。

 現代人は、いちいち言うまでもなく、コンビニ生活に、慣れ切っていた。その慣れ切った感覚が、物流のストップで傷付けられたとしたら、どうなるのか?

 「これじゃあ、食糧危機だ!」

 誰かが、そう叫ぶことだろう。

 新型ウイルスによって、今度は、基礎的食生活が侵されることもあった。

 「いつもは、食べられていたのに…。そのいつもの行動が、とれない」

 人はまた、日常に逃げられて、嘆く。

 「こういうとき、食べずに捨ててしまった過去の自分自身を、猛反省だ」

 嫌いだから食べたくないと言えたことが、いかに、わがままだったか!

 精神的ダメージは、大きかった。

 日常が否定されたときの衝撃は、計り知れない。

 「子どもだって、そうだったんだな…。公園で遊べた日常が、他の誰かによって、否定された。それは、誰かによって食をストップさせられたのと、同じような感覚だ。子どもの気持ちが、ようやく、わかった」

 その気付きは、遅かったか?

 「何のために、公園いきを否定して、叱ってしまったのだろうか?」

 恐怖に、陥る。

 が、恐怖は、もっともっと大きく、残されていた。

 「本当のウイルスは、何だ?自粛警察、自警団の存在を、忘れるな!」

 S NSが、騒ぎ続けた。

 社会の恐怖は、ついに、社会の見回りに向けられていったようだ。

 「日常を守るために集まったあの団体を除去できなければ、人間は、新型ウイルスに勝てたことには、ならないんじゃないのだろうか?もしかしたら、本当の意味での日常は、守れないんじゃないだろうか?」

 人々は、そこに、気付きはじめた。

 「よし、やろう。社会を救うために警らをするような連中と、戦ってみよう。子どもたちに、社会の皆を、救うために!」

 秋の声があげられ、見せかけの社会正義に怯えさせられた新社会が、元のあるべき社会に戻そううと、宣戦布告を告げた。

 リーウ医師も、変わった。

 変わったというのか、戻ったと、いうべきだったのか?

 アポフィス団とのやりとりが、懐かしい思い出になっていた。

 「アポフィスよ、お前は今、どこにいる?自粛活動をしていたって、構わない。けれども、ほどほどにしろよ!子どもたちを公園に遊びにいかせられる社会を、作るべきだ。社会を、戻すんだ!それはもう、全社会人の責任なのだ。この診療所で患者を見続け、子どもたちが公園で遊べる社会がくることを、見守ってみよう。患者を、診ながら…。コウモリもお前の姿も思わずに済む日がくるのを、待ちながら…。それが、医師としての、俺としての存在意義に、つながるのだ」

 その、すぐ後で…。

 患者の声が、聞こえてきた。

 「リーウ先生?診てくださいよう」

 「早く、職場に復帰したいんじゃ。経済を回すんじゃ」

 「あんたは、まだ、定年退職しておらんかったんか?」

 「わしの会社は、定年が、95歳なんじゃ」

 「それはさすがに、ウソじゃ」

 「超絶、ブラックじゃ」

 「先生?私を、診てくださらない?」

 「これ。わしのほうが、先じゃ!」

 「はよ、現場復帰じゃ。感染を抑えるために、経済を回すんじゃよ!」

 そんな声には、こう答えるしかなかった。

 「そうかも、知れませんね」

 リーウ医師の日常が、戻ろうとしていた。自身のキャラクター性の怖さに、ハッとさせられたもんだった。

 アポフィスの言った不可解なセリフが、思い出された。

 「…、じゃあな?リーウ。患者を、救ってやるんだぞ?医師として…。俺と、同じだよな。俺は、絶対に負けない。挑戦だ」

 医学の友、ユウイチの言葉に、聞こえていたものだ。

 「ユウイチ…」

 しかし、かぶりを振った。

 「ウイルス…、コウモリ…」

 不都合な気付きが、痛すぎた。

 「助け合うはずだったコウモリの存在が、汚されたんだ。こんな不条理は、ない。…もしかしたら、アポフィスの正体は、俺だったのかも知れんな」

 つぶやかずには、いられなかった。

「こんな不条理なことは、ない…」

 悔し涙が、出てきていた。

「おーい、先生?」

新型ウイルスは、生き残りをかけた社会に試練を与え続けて、何かを問い続けていた。

 「結局私は、何を守ろうとして、何を守ったんだろうか?」

 解けない悩みが、逆トリアージをかけられて、解けないままで良いんだよと、あざ笑っていた。

 その夜は、いつもよりも疲れて寝入っていたのか、不条理なウイルス夢に浸っていた。

 「俺たちは、…それでも、生きるんだ」

 夜明けを、探っていた。





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新型ウイルスに勝つには、ここまでたくさん考えられなければならなかった!リーウ医師VSアポフィス団 @maetaka @maetaka1998

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