それでも僕らは、今日もまた。
◇
更に、あっという間に二週間が経過した。
六月三日、早朝。陽気の代わりを湿気が務め始める季節。
街の復興があらかた終わり、それ由来の休校が解かれた学院の演習場にて。
僕は仰向けに倒れたまま、空を眺めていた。
「……ああ、今年の梅雨入りは少し早めなんだっけ」
どこまでも続く鼠色に今朝の天気予報を思い出す。
あのお姉さんは胸がでかい――ではなく、この先数週間は雨が続くらしい。どうにも気の滅入る話である。
そんなことを考えながらぼんやりとしていると、いつの間にか差し出されていた手のひらに気づく。
その主に目を向けようとするも、倒れたままという姿勢のせいでギリギリ視界に入らない。
辛うじて見えたのは、半ば曇天に溶け込んでいる銀髪とひらひらと揺れるスカートのみ。
……ふむ。
「お前のスカートの防御力と僕の首の耐久力。どちらが上かいざ尋常に、勝負!」
「なにを馬鹿なことを言ってるんですか……早く立ってください」
「はは、そう言うならもっと危機感持ってくれって。お前が無防備過ぎて別のところが勃っちゃいそうだよ」
「…………」
「……うん、ごめん。今のは僕が悪かった」
流石に
居たたまれなさに負け、地に手をついて立ち上がる。
体に付いた土や草を払い落としていると、突如視界が白色に埋め尽くされた。感触的に、どうやらタオルを顔に押し付けられたらしい。
やがてタオルを押し付けていた力が消え、視界が色を取り戻す。
朝露に濡れる草原、しっとりとした空気、あちこちで訓練に勤しむ学院生たち。
そして銀髪に紅の瞳を持つ少女――汐霧憂姫。
――結局、汐霧は魔導師として学院に復帰した。
汐霧が退院した日に彼女の母親が自殺したというニュースが流れたが、あの二週間前の会話のあとに離縁届を提出していたらしい。
取材や事情聴取の話は度々来ているが、縁を切ったことが幸いしたのだろう。その数は予想よりずっと少なく、また彼女もほとんど全てを断っている。
とはいえ唯一の縁を失った汐霧に行く当てなどなく、再び僕の家に住むこととなった。
いつの間に懐いていたのか、クロハは素直に喜んでいたし、僕としても様々な理由から反対する理由はどこにもない。
かくして汐霧は学院に復帰し、日々真面目に魔導師として精進している。
僕はへらへらとした笑顔を浮かべ、口を開いた。
「タオルありがと、汐霧。おかげで今日もイケメンだ」
「寝言はその胡散臭い笑顔をやめてからほざいてください」
「……あの、そんなにこの笑顔だめ? 皆に駄目出し喰らってるんだけど」
「よかったですね、それが答えです」
にべもない、いっそ惚れ惚れとするほどの断定。コイツ、最近なんだか口が悪くなった気がする。
アレか。朱に交わればというアレなのか。
などとくだらないことを考えていると、汐霧は僕の手元に残っているタオルに向けて手を突き出してくる。
「分かったらさっさとタオル返してください。私も使いたいんですから」
「あ、ゴメン……って待って待って。僕の渡すからさ」
「洗濯物が増えます。そうやって増えたの、一体誰が洗濯すると思ってるんですか?」
「誰ってそりゃ……」
クロハ、と答えそうになり、ギリギリで僕は思い留まった。
彼女が退院し、家に戻って来た日。今と似たような口論になり、迷わずそう答えて――結果、数時間に渡る説教を受ける羽目になったのだ。
曰く、
『こんな小さい女の子に家事させるなんて正気ですか』
『怪我でもしたらどうするんですか』
『あなたは適材適所という言葉を知らないんですか』
『……は? お前も小さいだろ? 腹を蹴りますよ』
『そうですか、つまりあなたはそういう人間なんですね』
――などなど。
結果として怒涛のマシンガントークに押し切られ、家事の一切は汐霧が担当することに決まったのである。
「……汐霧様です」
「分かってるならいいんです。ほら、別に私は気にしませんから」
「……はい」
渋々とタオルを渡すと、汐霧は言葉通り全く気にせず顔の汗を拭った。
……普通逆だろうに、何故僕の方が嫌がってるんだろう。心が乙女というのも考えものである。
――MB事件の結果、大勢の生徒が学院を去った。
理由はいろいろで、単純に死んだり、怖くなって逃げたり、心や体が壊れたり。
モチベーションの低かった連中が、揃って消えてしまったのだ。
しかし、ここはコロニー中から正規軍士官のポストを求めて魔力資質のある者が集まるクサナギ学院。
そもそもの生徒数が多いため大した問題にはならず、また消えたのは総じて無能や雑魚。どうせ消える連中が、少しだけ早く消えたに過ぎない。
とはいえ生徒数が一気に減ったのも事実で、運用不可となったクラスの生徒は被害の少ないクラスに統合されることとなった。
その流れで汐霧は僕のクラスに異動となったのだが、例の事件の影響で彼女に寄り付く人間などほとんどおらず。
結果として、同じく人の寄り付かない僕と一緒に訓練を受けているというのが現状だった。
ちなみに、現在やっている内容は徒手格闘。
無能たる僕がAランク魔導師様に叶うはずもなく、あっさりぶん殴られて伸びていた、というのが本日の訓練風景である。
汐霧はタオルを仕舞うと、おもむろに構えを取った。
「では、もう一本行きます。構えてください」
「えー……今僕ボコられたばっかなんだけど」
「はい。次は少しでも本気を引き出せるように頑張ります」
おかしいな。汐霧の使っていのって同じ日本語じゃなかったっけ。
「あ、あー。そういえば質問があるんだった。それ聞かないと、気になって集中出来ないなぁ」
「……なんですか? 手短にお願いします」
「あー、はは、ちょっと待って。えーと……」
……不味い。適当に喋っていたせいで何も考えていない。
何か質問。それも出来るだけ長引きそうなヤツ。
何かないか。何でもいい、何か、何か……あ。
「そうだ、そういえば汐霧って『汐霧』と離縁したんだよね?」
「……そうですが。それが?」
「や、これからどう呼べばいいのかなって。名字とか変わるんじゃない?」
僕は縁切りなど考えたことすらないが、親が離婚した連中の名字が変わるのは割と覚えがある。
「……普通、そういう話題を気軽に聞きますか?」
「でもほら、結構大切なことだろ? 今まではなぁなぁで済ませてたけど、一緒に暮らす以上その辺りもちゃんとしなきゃ駄目だろうし」
「だとしても今更過ぎます。これでも退院してから、いつ聞かれるかと身構えてたんですよ……?」
「はは、面目無い」
だからか。最近名前を呼ぶと一瞬ビクッとしてたのは。
対して汐霧は、呆れと諦めの入り混じった溜息を吐き出した。
「はぁ……いいですもう。遥にそういうデリカシーを求めるだけ無駄って、もう諦めてますから。それで、名前ですか?」
「うん。どう呼べばいい?」
「……場合にもよりますが、七年以上養子関係が続いた場合はその親の名字を名乗ることが出来ます。ですから、私は汐霧憂姫のままです」
「なるほど。つまり今まで通りでいいってこと?」
「好きにしてください」
……ん?
今、何でも、好きにしていい、と……?
「……変な呼び方したら……」
「ひっ」
ぐっ、と作られた握り拳に、底知れない恐怖を感じた。
「わ、分かった。それじゃ今まで通り汐霧で」
「…………はぁ」
再度溜息を吐き、握り拳を解く汐霧。
圧倒的な恐怖が過ぎ去り、僕も安堵の息を吐く。
……あれ。
コイツ、そういえばさっき僕のことを名前で呼んだような。
「汐霧、お前――」
――キーンコーンカーンコーン。
その時、朝練の終わりを知らせる鐘の音が鳴った。
この次は朝のHR。もし遅刻したら強制で鬼教官考案の特別メニューを受けることになる。
辺りの学生が慌ただしく引き上げる中、汐霧がじっとりとこちらを睨んでくる。
「……なるほど、これが狙いでしたか。油断も隙もないですね」
「はは、騙される方が悪い。ほら、早く教室に行こう。お前だって特別メニューは嫌だろ?」
へらへら笑って聞くと、汐霧は――予想に反して、ニヤリと口の端を上げた、悪どい笑顔を浮かべた。
「あなたと一緒なら、いいかもしれないですね」
「何カッコイイ台詞で馬鹿なことを…………え、マジ?」
「ふふ、冗談です。ほら遥、早く行きましょう」
そう言って、彼女はスタスタと僕の先を歩いて行ってしまう。
……というかやっぱりコイツ、下の名前で呼んだよな。
別にアイツ以外にもそう呼んでいる人はいるし、他の人なら特に気になりもしないけど。
だが、相手は汐霧。誰に対しても敬語で、壁を張っていて、意図的に仲良くなるのを避けていたようなぼっちだ。
それがどういう心境の変化か、気にならないと言えば少し嘘になる。
……けれど僕は、そう呼ばれて普通に嬉しかったので。
「まぁ、いいか」
へらへらと笑って、僕は彼女を追いかける。
――悪意に塗れ。
――欲望に乱れ。
――絶望に壊れ。
憎しみと悲しみばかりが廻る、どうしようもない世界だけど。
それでも、だからこそ。僕らは、こうして。
今日もまた、一日を生きていく。
東京パンドラアーツ 亜武北つづり @abukita
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