hatehull story b

「ふふ、ボクは楽しめたよ? なかなかにスパイスの効いた展開だった。あ、鋼糸解いて」

「ああ」


 辺りに張っていた鋼糸を収束し、懐に戻す。

 その間に氷室はソファに深々と座り直し、新しく淹れたらしいコーヒーに口をつけていた。


「ふぅ……ああ、それでボクがどこまで事件に絡んでいたか、だったかな?」

「ああ。お前のお遊戯には付き合ってやったんだ、いい加減教えろ」

「OK、了解した。……といってもあまり大したことはしてないさ。まず汐霧泰河に依頼された彼専用の拳銃と『パンドラの血』の製作及び売買。あとは彼の部下への言い訳、『新しい栄養剤』の口裏合わせ。それくらいだよ」

「……なるほどね」


  密かな疑問であったこと――即ち、汐霧父はどうやってあれほど多くの『パンドラの血』を手に入れたのか。それが氷解していく。

 氷室なら研究者という立場上幾らでも手に入れられるだろうし、自ら製作するだけの腕もある。薬の調達役にはもってこいだろう。


 そして、ここまで分かれば、この男の目的すら見えてくる。


「ガッポリ儲けたんだ、いろいろと?」

「Exactly(その通り)。金もデータも素材も随分と融通して貰ったよ。いやなに、やはり実験は質のいい素材と試行回数に限るね」


 晴れ晴れとした笑顔で、そんなことを語る氷室。

 下衆下衆しい自称親友に、僕は全力の湿度を込めた視線を送る。


「『実験』やるなら、せめて事前に伝えてくれよ。今回は割と本気で焦った」

「それはご苦労。しかしエンターテイナーたる者、常に刺激を求めていかないとね。ふふ、いいサプライズだっただろう?」

「……お気遣いどーも」


 会話は出来ているものの、言葉が通じている気がしない。そんな感覚に襲われ、僕は溜息を吐く。

 本当にコイツの相手は疲れる……。


「何かな、その溜息は。殺すよ?」

「やってみろよ青モヤシ。……だとするとここ最近の混ざり者関連の事件は、全部お前の主導か?」

「ボク半分、汐霧泰河が半分、ってところかな。ボクは薬のデータが取りたかったし、彼は彼で出来上がった混ざり者のデータが欲しがってたから」

「……やたらE区画から湧いてきたけどね」

「あそこは広いし軍の管理が緩いからね。それにあそこは“材料”が簡単に手に入る。最高の実験場だったよ」


 どうやら、最近E区画に縁があったのは偶然なんて生温いものではなかったらしい。


「クズ野郎め」

「それはキミもだろう? 一体誰のためにボクがこんなことをやったと思っている」

「お前が僕のために何かするようなタマかよ。お互い利害が一致しているから僕達はここにいる。違う?」

「ふふ、違いないね」


 僕は僕自身のために。氷室は氷室自身のために。

 そういう生き方こそ正しいのだと、先生は言っていた。


 僕はそれを、絶対に忘れない。


「それで、『実験』の首尾は?」

「なかなかだよ。ほら、存分に見るといい」


 白衣のポケットから小さなケース――空色の結晶板の入ったものを取り出し、手渡される。

 恐らく何かしらの錠剤。それも、この話の流れからして、恐らく。


「コレは『パンドラの血』。100パーセントの確率でパンドラ化を引き起こせる、その最終形を結晶化したものだ」

「それが……今回の実験の?」

「ああ。成果を形にしたものだ。クク、存外いいモノが出来たと思っているよ」


 そう言って嗤う、氷室の表情。

 とても、とても醜悪なソレは……悲しいことに、僕の顔にも張り付いていることだろう。


「へぇ、変わるパンドラのランクは? Sか?」

「いいや。個人差はあれ、大まかには服用者の魔力資質に左右されるね。そこらの一般人が使ってもEランクの雑魚が出来てお終いだ。例えば最近キミがご執心のお姫様ならAランクは固いんじゃないかな?」


 試してみるかい? と氷室。

 その馬鹿げた提案に、僕は首を振る。


「やめとく。アイツの魔法を、そんな余興で失うのは惜しい」

「同感だ。【カラフル】だっけ? あの魔法も十分可能性はあるんじゃないかい?」

「お前から見てもそう思う?」

「ああ。アレはとても興味深い。是非とも弄くり回してみたいものだね」


 それは魔法か、はたまた汐霧自身のことか。

 後者だったら嫌だな、それは。汐霧的にも、氷室的にも。


「ともあれ今回の実験の主旨である『禍力によるパンドラ化の検証』は達成した。人がどんな状態で、どのようなプロセスを経た結果、パンドラに変化するのか――ボクは充分に理解することが出来た」

「そんなことはどうでもいいよ。僕が聞きたいのはその先だ」

「つれないねぇ」


 コイツがどれだけ天才になろうと、そんなことはどうだっていい。

 僕が聞きたいこと、知りたいこと。それは、即ち。


「――?」


 僕のその言葉に、氷室は目を細めた。

 コイツは天才だ。僕の言ったことの意味を、正確に理解している。


「まだ駄目だ。足りない。理論も、基盤も、何もかもが足りていない」

「何が必要だ?」

「それは研究中だ。分かったら伝える。きっとキミの力が必要となるだろうしね。だからまぁ、差し当たってはお金かな」

「分かった。必要額は後で言ってくれ。振り込んでおく」


 氷室の行う研究は、とにかく金が必要だ。

 装置が、材料が、薬が、人が、時間が。

 とにかく何もかもが大量に必要な研究――魔法を開発する研究を氷室はしている。


 その先に僕の求めるものがあるのだ。

 だから僕は金が欲しい。僕の目的を叶えるために、僕の大切なものを取り戻すために――大量の金と力がいる。


 そんな僕を、氷室は呆れたように見ていた。


「ふぅ、相変わらずキミは熱心だね。どうしてそこまで必死になれるんだか。ボクには分からないよ」

「分かって欲しくもないね。これは僕の目的で、お前の目的じゃない。お前はお前の目的を勝手に果たせばいいさ」

「やれやれ、取り付く島もないな。そんなに大切なものなのかい――?」

「……当たり前だ」


 妹。昔々、僕に助けを求めて、僕が助けられなかった、最愛の家族。

 彼女を救う。誰のためでもなく、僕のために。それこそが僕の生きる意味。


「……パンドラを喰らい人間アーツを喰らわれた半端者。世界にたった二人だけの、正真正銘のバケモノ――ね」


 氷室がそらんじた言葉は、先日僕が汐霧に言ったものだ。

 パンドラアーツを表す、言葉。


 二人。

 そう、二人。

 僕以外に、あと一人いる。


 ――それが僕の妹だ。


 聡明で、優しくて、可憐で、強くて、愛嬌があって、品が良くて、愛おしい。

 名前は刹那セツナ。僕と二つ違いの、愛されるべき少女。


 しかし彼女は、あの日あの時あの場所でバケモノとなってしまった。

 僕が救えなかった、そのせいで。


「――僕は魔法が欲しい。アイツを人間に戻すための力が、救いと幸せを与えられるだけの魔法が欲しい」

「――ボクはその魔法を完成させたい。その難易度ゆえに誰からも不可能と断じられたその魔法を完成させてみたい」


 それが、僕と氷室の関係性。

 決して友達ではない。僕たちの間に友情なんて存在しない。

 そんな曖昧で、手放しには信じられないようなもので、僕たちは繋がっていられない。


 金と、利害と、共通の目的。

 それらが噛み合い、絡み合い、協力し合っている関係。


 敢えて名前で呼ぶならば、それはきっと『仲間』と呼ぶべきものだった。

 だから僕は、コイツの行う非人道的な研究を、容認こそすれ責めることなどあり得ない。


「……何だってしてやるさ」


 友達だって殺そう。

 命だって見殺そう。

 世界だって滅ぼそう。


「いつか、妹を救うために」


 そう言って、僕は――へらへらと笑った。

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