hatefull story a

「飲み物でも出そう。何がいいかな?」


 数多の培養槽。それらに埋もれるようにして置かれているドリンクサーバー。

 その前に立つ、白衣を纏ったパステルブルーの髪の男は、くつくつと笑いながら聞いてくる。


 壁一面に広がる、何かの欠片や塊が浮かぶ培養槽。

 本や書類が散乱している机、何に使うかも分からない機械類など、雑多なもので溢れている室内。


 唯一来客用のソファだけは何も置かれていない……というか使われていないらしい。

 軽く指でなぞり、手に付いた埃の量に顔を顰める。


 ここは以前汐霧と訪れた研究所、その所長室。

 目の前の男、氷室フブキの根城だった。


「……外歩いて喉乾いた。水くれ」

「ああゴメン、言い忘れていたけどコーヒー以外は切らしてるんだ。というわけで、どうぞ召し上がってくれ」


 コト、と目の前に置かれるコーヒーカップ。内側には泥色の液体が並々と注がれている。

 自分にも同様のモノを淹れ、僕の対面に座るクズ野郎に、僕は半眼を向ける。


「……おい」

「どうした、飲まないのかい? ああ、そういえばキミはコーヒー駄目だったね? すまない、まさかこの歳になってそんなガキがいるなんて、ふふ、夢にも思わなかった」

「ガキはお前だろうが変態。そんなのが基準だなんていつまでお子ちゃま気分でいるつもりだ? 昔からちっとも成長してないね、お前」

「成長する必要がないのさ。完成された芸術品に手を加える馬鹿はいないだろう? そういうことだよ」

「ああ、確かに失敗作はさっさとポイした方が建設的かもね。はは、自己評価が出来るようになって偉いじゃないか」


 言った瞬間、注射器が眼球目指して突き出された。ので、冷静に掴んで握り潰す。

 いくら僕と言えど、先日と同じ手を喰らうほど馬鹿じゃない。


 注射器の破片がボチャボチャとカップの中に落下していく中、至近距離にある氷室の顔が笑みを作った。


「あらら、壊されちゃった。コレ結構値の張るモノなんだけどねぇ。弁償の用意は?」

「別にいいよ。お前の身体バラして作った金で払うから」

「ふふ……やっぱりキミとの会話は楽しいね」

「気持ち悪い。死ね」


 にっこりと健やかに笑い合い、互いに元の席へと座り直す。

 一息入れて、僕は机の上のカップを手に取った。


「へぇ、結局ソレ飲むの?」

「食べ物を無駄にしたら駄目って躾けられてるからね」


 それも一人と言わずいろいろな人から。

 今じゃ大半がもう死人だけど、それは守らない理由としては不適当だ。


 コーヒーに口をつける。熱、苦味。それらが痛みに、そして快楽に変換される。

 口の中が熱で満たされ、感覚が狂う。脳がブチブチと痛み、嘔吐感が飛来する。


「……っ、は」


 胃が笑い、こみ上げてくるゲロを更なるコーヒーで踏み潰して飲み込む。

 酸味と苦味のコラボに胃腸がスタンディングオベーション。アンコールのゲロをブチ殺すために、カップの傾斜を加速。


 そうやって喉を掻きむしりながら奮闘していると――ガリッ、という硬質の異物感がやって来た。恐らく、先ほどの注射器の残骸だろう。

 こっちは特に問題はないので口の中でバリバリと咀嚼し、嚥下する。


 ふと、対面の氷室が辟易とした表情で呟く。


「うっわぁ……キモチワル。よく飲めるねぇそんなの。ボクじゃ絶対無理だよ」

「慣れれば美味しいかもしれないのに。ほら、もう飲み干せた」

「ないね、絶後ない。あの薬品が混入している液体を、ボクは絶対に飲み物と認めない」

「薬品……?」


 注射器の残骸ではなく薬品が、だと?


「この前みたく栄養剤、とかじゃなくて?」

「いや下剤。拷問用のエグいヤツ」

「ウッソだろお前……」


 空前絶後のビッグウェーブが来たのは、それから3分後のことだった。





「よし……じゃ早速本題に入ろう」

「大丈夫かいハルカ。顔色が気持ち悪いよ」

「……余計なお世話だ」


 今回ばかりは完全に自業自得なので、返す言葉もない。

 氷室はそんな僕を嗤い、聞いてくる。


「それで、本題って? てっきり遊びに来てくれたのだと思っていたけれど」

「思ってもないことを言うな。本当は分かってる癖に」

「ふふ……はてさて、何のことやら。突き抜けた愚者の思考はボクじゃ読めないさ」


 馬鹿と何とかは紙一重。

 コイツ以上にこの言葉が似合う奴に、僕は出会ったことがない。


 まぁいい。今大切なのはそんな戯れ言ではない。

 今日僕がここに来たのは、コイツと話したいことがあるからだった。


「――単刀直入に聞く。今回のMB事件、お前はどこまで絡んでいた?」

「……へぇ」


 目を見据えて聞くも、眼前の表情は少しも揺らがない。

 薄っぺらな笑みを浮かべて、氷室は口を開く。


「ボクは何も知らない。そう言ったらキミは信じる?」

「お前にそんな可愛げがあるかよ」

「ハハ、手厳しい。では、それはどういう根拠があっての言葉かな? そこまで言うのなら何か根拠があるのだろう?」

「コレだよ」


 僕は持って来ていたキャスターバッグ、その中に仕舞ってあったスーツケースを取り出し、開く。

 その中には、二丁の銃身が異様に長い黒色の拳銃が入っていた。


「ん、コレは……」

「事件の首謀者、汐霧泰河――ヒトガタのパンドラが使っていたものだよ。コレ作ったのお前だろ?」

「…………」


 確信を込めて問う。氷室は何も言わず、にこにことしたままだ。

 ……説明してみろ、と。上等だクソッタレ。


「この拳銃は禍力を弾丸にしていてね。知っての通り禍力は破壊の力だ。例えどんなに優れた銃でも耐えられるわけがない。最初から禍力を使うことを想定して作らなければ、絶対にね」

「ふむ……しかし汐霧泰河はかの『汐霧』の魔導師だったのだろう? 聞きしに及ぶ【カラフル】を使えば、そんな問題はどうとでもなるのではないかな?」

「アイツは力に負けていた。とても使えるような状態じゃなかったさ」

「ふふ、なるほどね……ああすまない、続けてくれ」


 及第点はくれたらしい。腹立つなぁ。

 一時期学んでいた時期があったとはいえ、氷室は僕に対して度々教師面をしてくる。不快極まりない。


 コイツのこういったところは、本当に嫌いだ。


「……そもそもが話、禍力は未知の物質だ。それを武器に利用出来るノウハウを持ってる奴なんてまずいない。《TCTA》本部でも殆どいないんじゃないか?」

「んー、まぁそうだね。彼らは魔法の勉強に忙しいから」

「でもお前は違う。お前は、禍力を扱えるだけの知識と技術を持っている」


 彼らは、というその言葉に偽りはない。

 コイツは、その愚か者の中に自分を勘定していない。


「フフ……再び問おうか。その根拠は?」

「…………」


 答えず、僕は右手を一閃する。

 瞬間廻る鋼糸。極細の糸が室内を制圧する。

 同時に眼前の氷室の全身に絡み付き、動きを完全に封じ込める。


「おや、おや……コレはなかなか」

「巧くなっただろ? お前が作った鋼糸の使い方だ。どんな気持ちだ?」

「ふ、ふふ……そうだね。我ながら、見事な仕上がりだ」

「その言葉が聞きたかった」


 それこそが、何にも勝る根拠となるのだから。


「この道具は僕の禍力を何度も通してきた。いつもの無害なヤツじゃない。敵を殺すための、本物の禍力をたくさんね」


 普通のモノなら禍力を通した時点で崩壊する。

 それを、この道具はどうだった?


「僕は何度もお前の研究に付き合った。僕自身を研究材料とした、禍力の実験にだ。僕みたいなモルモットを飼ってる研究者なんて他にいるわけがない。つまり、それだけお前はこの分野に関してアドバンテージがある」

「だからその拳銃も作れた、と?」

「そ。何か訂正があるところがあれば聞くよ」


 そう言った瞬間、ほぼノータイムで氷室が人差し指をピンと立てた。


「一つだけ訂正してくれ。ボクが他の研究者より優れているのは、ボク自身が天才だからだ。キミの存在がなくても変わらないさ」

「あっそ。要は正解ってことでいいわけ?」

「ま、なかなかスジの通った推理だったからね。合格にしてあげよう」


 鷹揚に両手を広げて、氷室は答え合わせを口にする。


「あの拳銃はボクが作ったモノだし、その他諸々の点で汐霧泰河には協力した。でも、それを聞いてキミはどうするのかな?」

「は……」


 どうする、か。


「ボクは東京コロニーを陥れた大犯罪者の協力者だった。さて、ではどうする? 正義感に従って軍に引き渡す? 魔導師らしくボクを処理する? ふふ、他ならぬキミの言うことだ。何でも聞こうじゃない」

「何でも、ね」


 現状、確かに僕は氷室の生殺与奪を握っている。何も難しいことはない。指を一本引くだけだ。

 僕はそれだけで、気道を塞ぎ、頸部をへし折り、彼自身の体重で千切り、頭と体が別々な、糞尿塗れの醜悪な死体を作ることが出来る。


 だから、僕は――


「……もういいか? こんな茶番。面白くも何ともない」

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