暗転、そして真実へ

 


「とまぁ、僕の話はこんなところかな。どう? 楽しめた?」


 最後に笑って、僕は話を締めた。

 自分のことを話すのは久しぶり……もしかすると初めてかもしれないが、上手く話せただろうか? 楽しめて貰えていたらいいな。


 果たして、汐霧は頷いてくれた。


「ええ……充分に」

「はは、それはよかった」


 流石、笑い話の面目躍如と言ったところか。

 最も笑っているのは僕だけで、汐霧はどこか悲しげな表情を浮かべているが。


「…………」

「そんな顔するなって。どうせもう過ぎたことなんだから」

「そんな……」

「あ、もしかして罪悪感とか感じてる? 興味本位で聞いていい話じゃなかった、なんて」

「っ……」


 図星らしい。察するに、自分の希望で話させた手前、謝るのも気が引けていたのだろう。

 全く、話すと決めたのは僕なのだからコイツが気にすることなど何もないのに。相も変わらず生き苦しそうな奴だ。


「気持ちは嬉しいよ。ありがとう。でも不要だ」

「ですが……」

「大体、今のお前は人に気を掛けられるほど贅沢な身分じゃないだろ? そういうのは自分に回してあげなよ」

「っ」


 笑いながら言うと、汐霧は小さく息を呑んだ。

 少しして、小さく溜息を吐き、口を開く。


「……知っていたんですか?」

「いや全く。僕はお前の事情について何も知らないよ。妄想だったらいくつかあるけどね」


 残念ながら、というべきか僕はコイツの祖父ジジイとは違う。

 あの男のように何もかも知っているわけじゃないし、何もかもを見通して動くことも出来ない。


 けど、そのように振る舞うだけなら。

 嘘を吐いて演技するだけなら、何とか出来てしまうのだ。


 汐霧はそんな僕をじっとりと睨んで、言った。


「カマをかけましたね……」

「はは、騙される方が悪い。というかお前、もう少し性格悪くなった方がいいよ。そのうち怪しい壺でも買っちゃいそうで心配だ」

「……余計なお世話です」


 少なからず思うところがあったのか、ぶすくれて黙り込んでしまう。

 まぁいい。次は僕が話を聞く番だ。


「……これを」


 少しして、汐霧は一枚の紙を差し出して来た。何かと思いながらも受け取り、視線を這わせる。

 その紙は何かの届け出のようなものらしく、既に殆どの項目が記載されていた。


 それは名前の欄も同様で、知らない名前とサイン――恐らく彼女の義母のものが書き込まれてある。

 唯一、その隣の汐霧の名前とサインを書く場所だけが空欄だった。


 その紙は、『養子離縁届』という名前の書類だった。


「意外と驚いてないんですね」


 淡々と彼女は言う。

 そのどこまでも平坦な声色に全く動揺しなかったかと問われれば……少し自信はない、が。


「……さっきも言った通り、妄想はいくつかしてたからね」


 あるかもしれない、程度でも心構えがあるのとないのとでは雲泥の差だ。

 もっともそれがどんな感情によるものかは、流石に分からないが。


 僕の言いたいことを見透かしたのか、汐霧はふ、と吐息を漏らす。


「……お母様は死ぬ気でした」

「そっか。はは、娘思いのお母さんで安心したよ」


 つまるところ、絶望に任せた身投げというわけだ。

 愛する者の死、犯罪者となった当主、数えきれない事後処理に誹謗中傷エトセトラ。


 自殺なんて愚かな行為を肯定するつもりは全くないが……そうしたくなる気持ちは分からなくもない。

 そして自身が死んだ結果生じる皺寄せを、娘が被る前に。


「『汐霧』から縁を切れ、と」

「……はい。そういうことだと思います」


 思います、などという言い方をする割に、その口ぶりは断定そのものだった。


「で、お前はどうするつもり?」

「……どう、とは?」

「お前の母親がその紙を渡してきたっていうのは、そういうことなんだろ?」


 本当に縁を切るかどうか、判断は任せる、と。


「少しくらい、遠慮とかしてくれないんですか?」

「相手によるよ。お前じゃ時間の無駄にしかならないからしないだけ」

「そう……ですね。ふふ、本当にその通り……」


 諦めたように笑い、彼女は窓の外に目を向ける。

 穏やかな陽光のもと、花が散り、代わりに新緑を宿らせる桜の木。すぐ近くなはずなのに、どこか遠く感じる学園街の活気。


 平和だ。汐霧が守った、どこまでも平和な日常だ。

 だがその代わり、彼女は帰るべき家を、家族を失ってしまった。


「……私は、どうすればいいんでしょう」


 迷子のように、途方に暮れた声と問い。

 心底困ってしまった、そんな仕草で汐霧は言った。


「頭では分かっているんです。E区画の汚い子供と私を嫌っていたお母様が、最期の最期に見せてくれた優しさ。それを無下にするのは間違っているってことくらい」

「そうだね。現状お前が汐霧に留まるメリットはゼロ……というかマイナスだ」

「はい。でも私は汐霧で、あの家が私のたった一つの居場所でしたから」


 義父がいて、咲良崎がいて。二人はもういなくなってしまったけど、ずっと彼女を守り続けていた、『汐霧』という名の家。


「あそこには私の欲しかったものが全部ありました。守ってくれる人と、守ってあげられる人と、守るために戦える場所と理由。私を拾ったのにどんな理由があっても、これだけは変わりません」


 その気持ちは至極真っ当なものだった。

 今まで貰った恩義や愛情を殺意の一つや二つで忘れられるほど、人は簡単に出来ていない。


「……怖いんですよ。一人で生きていくことが、心から。例えそれが残滓でも、私はあの二人を感じられる場所にいたいんです。でなければお父様との約束を……きっと破ってしまいます」


 逃げない。今まで殺した人と、これから殺す人と向き合い、生きていく。

 その茨で舗装された道を歩いて行けるほど、誰しも強いわけじゃない。


「今までは、後ろを向けば咲がいてくれました。前を向けばお父様が待っていました。でも……今はどこを向いても誰もいない。どこを向いて走ればいいかも分からない……」


 それがたった一人で生きていくということ。

 何をするか、何をしたいか。何のために、誰のために正義を執行するか。何もかも自分で決めなくてはならない重荷。


 厳しく、寂しく、不安で、怖い。

 心が折れ、欠け、砕け、壊れそうになる。

 どこまでもどこまでも続く、果てのない道。


 汐霧は今、そのスタートラインに立っているのだろう。


「……だから、お前は家を捨てたくない。誰もいなくなっても、災厄しか呼び込まなくても、ただ一つの居場所だったそこを失いたくないから。そこを失ったら、もう本当に駄目になるから」

「…………」


 汐霧は、折った膝に顔をうずめながら無言で頷いた。

 そしてそのまま、押し殺した声で言う。


「……これが私です。一人じゃ歩くことすら出来ない、弱い人間。誰かに依存したくて、依存されたくて仕方のない臆病者。……それが私です」

「…………」

「幻滅、しましたよね……」


 返答に困り、無言を貫く。

 幻滅したかどうか。したといえばしたと言えるし、していないといえばしていないとも言える。


 どちらか一方に断じてしまえるほど、汐霧憂姫という人間は簡単に出来ていない。

 ……だから僕が彼女に言えるとすれば、それは。


「――今回の事件は、別の黒幕がいる」


 最初から最後まで明確な、一つの事実だけだ。


「え……?」

「汐霧父は研究所の連中から多量の『パンドラの血』買い取り、部下に服用させスカイツリーを襲撃した。……なら、アウターのパンドラの襲撃は?」

「え、と……それはお父様が操っていたんじゃ……」

「僕も最初はそう思ってた。『服従』のマガツなら外のパンドラも操れる。実際、拠点を潰せたのは汐霧父が持っていた情報のおかげだろうし」


 この際、偶然なんて可能性は削除する。


「けど、よく考えるとそれは不可能なんだ。汐霧父は言葉が届く範囲じゃなきゃマガツを使えなかった。そんな力で、軍の拠点全部に襲撃出来るほどの数を揃えられると思う?」

「……パンドラ化した部下の方々を使った、なら」

「それこそもっとあり得ないさ。彼の部隊の総人数から、スカイツリーで僕らが倒した混ざり者の数を引くだけで、もう数が足りなくなる」


 まして、アウターに展開していたどの部隊からも混ざり者の目撃例はなかった。

  全員が全員パンドラ化出来るわけじゃないから、他に回せる人員などほとんど残らないだろう。


「更に言えば、汐霧父はかなり昔に完全なパンドラと化していた。にも関わらず計器の類に引っかかったことは一度としてない。そんなこと、アイツの禍力の扱いじゃ出来るはずがないんだよ」


 戦ったから分かる。アイツの禍力の使い方は、殆ど初めてのように辿々しく、雑で、なっちゃいなかった。

 これまでコロニー内で立場ある者として生きている以上、仕方なかったのかもしれないが……それならなおさら不自然だろう。


 そしてそう考えれば、答えは自ずと限られてくる。


「誰かがいる。アウターのパンドラを統率し、汐霧父の禍力を隠蔽していた誰かが。そして恐らく――その誰かは、お前の父親をパンドラに変えた犯人だ」

「な……!?」


 目を見開く汐霧だが、この話は決して適当な戯れ言ではない。

 この計画は間違いなくパンドラが立てたものだ。


 パンドラの嗜好は人間と真逆だ。

 それは戦術についてもそうであり、人間の鉄板である人海戦術より個による決着を好む。


 今回の事件では、大量の通常個体による大規模襲撃で陽動している間に、一体の特別な個体が目標を達成するという戦略が取られた。

 ……同じだ。その昔、とあるパンドラが実行したものと、それは全く同じなのだ。


「――っ! ま、待ってください……それじゃ、まさか……!?」

「ああ、そのまさかだ。その犯人は今もコロニーにいる。僕のように、何らかの手段で人間に扮しているんだ。……事件は終わってなんかいない。このまま放っておけば、きっとまた新しい事件が起きる」


 それも今回のような小手調べじゃない。

 もっと絶望的で、致命的なものになって繰り返されるだろう。


「だから汐霧、一つだけ聞かせてくれ」

「……?」


 何ですか? という意の、無言の問い。


「お前はこれからを、どう生きていきたい?」

「どう、って……」

「今のお前の前には本当にたくさん選択肢があるんだ。『汐霧』を立て直したいなら家を継げばいいし、もう戦いたくなくないなら一般人として暮らせばいい。花屋とかケーキ屋になりたいなら、そうなればいい」


 コイツの荷物は、全て背負わされたもの。もしくは自分勝手に背負ったものだ。

 辛くなったら捨てればいい。全て背負ったままじゃ進めないなら、今ここで置いて行けばいい。


 全て、全て自由だ。

 一人で生きていくというのは、そういうことでもあるのだから。


 ――でも、もし、万が一に。


「お前がその犯人を捕まえたいと思うなら。父親と咲良崎を使い捨てたソイツのことを許せないと、そう思うのなら」


 積み荷のない旅が、味気ないと言うのなら。


「僕は、お前に力を貸そうと思う」

「……どうして」

「ん?」

「どうして、あなたはそんなにしてくれるんですか……? 私があなたに返せるものなんて、もう何もないのに……」


 すっかり気落ちしている汐霧の言葉は、その実正鵠を射抜いていた。

 確かに、僕はもう彼女から金を搾ることは出来ない。当初近づいた名家へのパイプ作りという目的の達成は、もはや不可能だ。


 しかしあの頃から汐霧が変わったと言うなら、それは僕も同じだ。

 今の僕にとって汐霧憂姫という存在は、金やパイプなんてものよりずっと価値がある。


 僕は薄く笑って、その問いの答えを口にする。


「お前を助けたら、今度はお前が助けてくれるからね」

「……だから、私を助けようとするんですか?」

「ああ、そうだ。お前が優しくて、強いから僕は助けるんだ。僕のために、自分勝手にね」


 助けるメリットのない人間なんて、僕は助けない。そんなのはどこかのヒーローや正義の味方に任せる。

 僕は僕のために生きている。それだけは、絶対に履き違えない。


「お前のさっきの言葉を借りよう。これが僕だ。自分のことしか考えず、人間関係を損得でしか勘定しない。お前が幻滅されるべき人間なら、僕は軽蔑されるべきバケモノだよ」

「そんなこと……」

「いいんだ、事実だから。お前を助けるのはお前の優しさを期待してだし、お前の能力が欲しいからこうして優しくしている。……はは、愛とか情とかじゃなくてごめんね」

「……いえ。それでも、私には充分です」


 言って、汐霧は小さく笑った。

 そのついでに、いつの間にか目の端に浮かんでいた雫を、指先でそっと拭う。


「ちょ、ちょっと、大丈夫?」

「ごめんなさい。少し、嬉しくて……」

「は……嬉しい?」


 今までのやり取りの、どこにそんな要素があったのか。


「どうして私を欲してくれるのか……あなたはちゃんと言葉にしてくれました。愛や情なんて曖昧なものより、ずっと嬉しい」

「……話聞いてただろ。僕はお前を利用するつもりで」

「だからこそです。何も価値のなくなった私を、利用しようとしてくれる。その事実だけで……私は、充分です」


 噛み締めるような面持ちで、言う。

 それはいつも浮かべている魔導師の、どこか大人びたものではなく――年相応の、普通の少女のような表情だった。


「……ごめんなさい、儚廻」


 言って、汐霧はふいにベッドから身を乗り出して、僕に抱きつき、体に顔を埋めてしまう。


「おい、汐霧……?」

「ごめんなさっ……なぜか、涙が止まらなくて……すぐ、すぐにいつもの私に戻ります。だから……」


 ――少しだけ、このまま泣いてもいいですか?


「…………勝手にしろ」

「ありがとう、ございます」


 僕の勝手を彼女が許したなら、僕もこれくらいの勝手は受け入れるべきだろう。

 嘆息して、目を瞑る。


 そうしてしばらくの間、押し殺した嗚咽と、じんわりとした温もりだけが、午後の病室を過ぎて行った。



◇◆◇◆◇



 ――と、ここで終わることが出来たらハッピーエンドだったのだろうけど。

 腐りに腐ったこの世界は、そんな温い結末を許すことなく続いていく。


 ここからは、僕とアイツだけの真実。


「ああ、いらっしゃいハルカ。よく来たね、ゆっくりして行くといい――」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る