春の終わり、病室にて

 学園街、表通り。

 辺りに生える街路樹は、いつの間にか桜色から緑色へと様変わりしていた。


 大きめのキャスターバッグをゴロゴロと引く僕は、学院から病院へと続く道をゆっくりと歩いていく。


「へぇ、この辺りはもうこんなに復興したんだ」


 一大商業地区でもある辺りはもうとても賑やかで、つい二週間前にあんな事件が起こったなどとはとても思えない。


 ――そう、二週間。

 あの事件が起きてから、もうそんなにも経ったのだ。


 コロニーの内外問わず、人がたくさん死んだあの事件。

 学院と軍の部隊はそれなりの数が全滅したし、そうでなくとも無傷で済んだ人間はほとんどない。


 更に結界内に侵入したパンドラにより市街地はグチャグチャ。避難の遅れた者や、家屋の倒壊に巻き込まれた者など大量の死傷者が出た。

 今でこそ元通りだが、ここの通りもつい一週間までは瓦礫と戦闘痕でいっぱいだったのだ。


 幸い、異変を察して戻って来た軍の主力部隊により事なきを得たが……甚大な被害と死者が出た事実は、当分誰も忘れられないだろう。


 ――ある者は部下を失い、ある者は友人を失い、ある者は父親を失った。


 それでも世界は変わらず廻るし、時間は無情に過ぎていく。

 ……それが救いかどうか、なんて問答をするつもりはないけれど。


「……あ、差し入れ買うの忘れてた」


 そんなことで悩める日常を続けていくためには、きっと大切なことなのだと。

 僕は、そう思う。



◇◆◇◆◇



「軍の方にはあなたの言っていた通り、お父様を倒したのは私一人――と、報告しておきました」


 先端技術医療センター、1080号室。

 汐霧が入院している病室は、先日と同じような高級な個室だった。


 梶浦によるとこの個室は軍のお偉方がわざわざ手配したらしい。

 その梶浦曰く「個室一つで面子を保てるのだから彼らにとっても得な買い物だろう」とのこと。皮肉屋のアイツらしい。


 僕は笑って、汐霧に礼を言う。


「そう。ありがとね。事情聴取続きで疲れたでしょう?」

「ええ、まあ。……まさか、まるまる一週間も続くなんて」

「はは。お疲れ様」


 げんなりと言う汐霧は、その言葉通り、つい昨日までずっと軍や警察の事情徴収に付き合わされていた。

 ――あの後、汐霧はスカイツリーから出てすぐに病院に搬送され、そのまま三日間ほどぶっ通しで眠っていた。


 三日後、目が覚めた彼女を待っていたのは全身骨折の痛みとそのリハビリ。

 涙目になりながらも奮闘する汐霧の姿は大変興奮を覚え……もといとても大変そうでした。


 そうしてある程度快復した彼女に、今度は事件の事情聴取が襲い掛かった。

 重症患者だろうがお構いなしに質問責めにしていくそのスタイルは、いっそ感心するほどの面の皮の厚さであり、僕は生きながらにして草葉の陰から応援するほかなかったのである。


 そして、今日。

 ようやく忙しさの怒涛から抜け出した汐霧に、お祝いを兼ねてお見舞いのためにやって来た、というのが今までの経緯だ。


「でも、本当にいいんですか? 功績も報酬も、全部私が貰うことになって……」

「アイアムシャイボーイ。目立つのは苦手なんだ……それにほら、これもあるし」


 軽く、制服の上から右腕を叩く。

 その下にあるのはただの右腕だ。バケモノの右腕とは似ても似つかない、誰にでも付いているような、普通の肌色の腕。

 操作のマガツで偽装している、化け物の右腕。


「……パンドラアーツ、ですか」

「あ、よく覚えてたね。偉い偉い。どれ、なでなでしてあげよう」

「殴りますよ喉を。……忘れるわけないじゃないですか。あんな衝撃的なこと」

「そっか」


 少しだけ期待していたのだが……まぁ、普通に覚えているよな。


「話してくれますか」

「いいけど、そんな大した話じゃないよ? なんせ僕のことだ」

「あなたのことなら、どんな話でも聞きます」

「……かぁっくいい〜」


 コイツ本当に女子か? と疑いたくなるくらいの直球。

 それを照れもせずに言うんだから、男として完敗した気分である。


「はぁ。いいよ、そこまで言わせてお捻りの一つも出さないほどケチじゃないさ。何から聞きたい?」

「では……あなたの過去について」

「過去ねぇ……」


 また難しい質問だことで。

 過去と言われても何を話せばいいのか分からないし、全てを話せるわけもない。そもそもどこから話せばいいのか。


 ……ああ、でも、そうだ。

 確かに今の僕の始まりとなった出来事がある。

 それは――


「10年前、僕は全てを失ったんだ」


 日常が、幸せが、妹が奪われた、忘れもしないあの日のこと。

 それが、昔の僕の原点だ。


「10年前……」

「その日、僕の住んでいた村がパンドラの群れに襲われたんだよ」

「村……ですか?」

「今じゃもうないけどね。昔はそういうものもあったんだ」


 10年前、東京コロニーの人口は飽和していた。

 人はまだそれほど死滅していなかった上にコロニーの大結界も大きくなかった。

 コロニー内で生きられない者が出てくるのは、ある種必然のことだったのだ。


 居場所のない彼らの取れる道は、大きく分けて二つのみ。

 即ち、E区画のようなスラムでゴミのように生きるか、コロニーを出るか。


 コロニーから出た人達は身を寄せ合い、アウターに小さな村を作った。僕の親もそんな人々のうちの一人だったと聞く。

 彼らは独自に研究と研鑽を重ねた。その果てに、ついに大結界の劣化版を生み出す装置を創り上げ、安寧を得たのである。


「ほら、アウターにある軍の基地にも結界生成装置が積んであるだろ? アレは僕らの村で使われていたものの応用系だよ」

「……初めて知りました」

「だろうね」


 軍や研究所は、アレを自分達が一から作り出したと豪語している。

 タチの悪いことに村人は全員死んでいるため、事実を知る者もいない。


「でも、そんな苦労して創った結界装置もパンドラの前には無力だった。結界は破られ、人は喰われ、村は焼けた。僕と妹は逃げたけど、すぐ追いつかれて囲まれた」

「……でも、あなたは生き残った」

「妹のおかげだよ。アイツ、僕の目の前で貫かれたから」


 アレがなければ、きっと僕はあの時あそこで死んでいた。

 そこで僕の意識は終わっているため、何があったかは覚えていない。


 だが再び目が覚めた時、辺りにパンドラ共の死体が散らばっていたのは鮮明に覚えている。


「それで、その時ブチ切れたせいで魔力が暴走してね。体の魔力を制御する蛇口みたいなものが吹っ飛んじゃったんだ。だから僕は一歩も動けなかったし、そのまま魔力を垂れ流し続けて野垂れ死ぬはずだった」

「はずだった……ですか」

「どうも悪運だけはいいらしくてさ。ボロ雑巾みたいになってた僕を、物好きにも拾ってくれた人がいたんだ」


 ああいう出会いを、きっと人生を変える出会いだと言うのだろう。

 いや、正しくは……人生を終える出会い、か。


「その人は、当時の東京コロニーで最強の部隊の隊長さんだった。所属してた組織のせいであまり表には知られてないけど、一定以上の魔導師なら皆知っているような……お前の父親は知っていたみたいだね」

「……非正規軍【天ノ叢雲ノ剣】の……【死線】」


 汐霧の口から出た単語に、僕は頷いた。


「……その通り。よく分かったね」

「お父様の憧れの方、と……そう伺ってましたから」

「ふうん」


 だからアイツは、あんなにも僕を【死線】と呼んでいたのだろうか。

 全く、少し考えればそれがあり得ないってことくらい分かるだろうに。


「……ま、その通りだよ。【死線】。溢れ出す僕の魔力を抑えてくれた上、鋼糸や痛み、生き方や殺し方を教えてくれた先生。パンドラを殺したくて仕方なかった僕を、部隊のサンドバッグとして拾ってくれた恩人」

「……え。さ、サン……!?」


 驚かれているが事実なのだから仕方がない。

 暴走の結果、僕は魔法が使えなくなった。正確には魔力の調整が出来ず、1か0かしかなくなったのだ。


 今こそいろいろと工夫することで簡単な魔法なら使えるようになったものの、当時は本当に何も出来なかった、

 そんなゴミを置いてくれた時点で、どんな扱いをされようと、感謝以外の感情など抱くわけもない。


「話を戻すけど、大丈夫?」

「は、はい……」


 完全に引きながらも、汐霧は頷いてくれる。


「ま、例えサンドバッグでも長いこと使ってれば愛着も湧くもんだ。何年も経つうちに部隊の皆ともちょっとだけ仲良くなれて、僕も少しずつ強くなり始めていた……そんなある日のことだった」


 10年前を『昔』の僕の原点だとするなら、その日は『今』の僕の原点だ。


「その日は大規模な作戦があって、正規軍ともども僕らムラクモも揃って動員された。部隊を二つに分けて、僕がいたのは先生と同じ部隊で。そこで僕たちは、あるパンドラと戦うことになったんだ」

「それは……もしかして、お父様と同じ……?」

「ご名答。そう、その通り。僕たちが交戦したのは『ヒトガタ』――Sランクのパンドラだった」


 ――死闘。あの戦闘以上に、この言葉が合う戦闘を僕は行ったことがない。

 何人も、何人も死んだ。普通に戦って殺された人もいたし、僕を庇って殺された人もいた。


「最強のパンドラだった。僕と一緒に戦った人達は全員殺されたよ。でも、彼らの犠牲のおかげで……僕は、そのパンドラに勝つことが出来た」


 それは殆どお情けみたいな勝利だったけど、それでも勝ちは勝ちだ。

 クズはクズらしく、未来永劫誇っていこうと思う。


「と言っても、当然僕も無傷だったわけじゃない……というか半分くらいは死んでてね。あと一分で死ぬとか、そんな状態だった。そしたらさ、そのパンドラが言ったんだ」


 『喰べて』、と。


「――さて、ここで一つ問題です」

「……は?」


 一瞬、意味が分からない、という視線を向けられた。

 気にせずに僕は言葉を続ける。


「今回の事件、MB事件で、汐霧父の部下の方々を混ざり者に変えたパンドラの血ですが……アレは高密度の禍力である本物のパンドラの血液を、薬品で真似たモノでした」


 言うなれば、禍力の贋作。多少原料に使用しているとはいえ殆どニセモノのようなものだ。

 だがそのニセモノで、あれほど人はバケモノと化した。


「では、それ以上の禍力の塊であるパンドラの心臓――禍力の源泉とも呼ぶべき『核』を人が摂取した場合、どうなるでしょう?」

「……? っ、まさか……!」

「あは、分かっちゃった? じゃ、答え合わせがてら話を続けよう」


 へらへらと笑って、口を開く。

 さぁ、話もそろそろ終盤だ。


「『喰べて』って言われても、なにぶん突然のことだ。何のことを言っているのかなんて僕には分からなかった。そうしたら、そのパンドラは地に倒れたまま、何かを迎えようとするかのように両腕を伸ばしたんだ」


 それはまるで、僕を抱擁するように。僕を深く受け入れようとするように。

 そしてその仕草を見た瞬間、僕は自分のするべきことを悟った。


「動かない体を必死に引きずって、馬乗りになった。肉と血を掻き分けて、必死にソレを探した。そしてその果てに見つけた核を……僕は喰べた」


 変化は劇的だった。

 失った右腕と右目が作られた。

 全身の傷が瞬く間に再生した。

 破壊と終末の力を身に宿した。

 全てを操る異能を手に入れた。


 ――その日、一人の人間が死んで。

 代わりに、一人のバケモノが解き放たれた。


「解放、パンドラアーツ――ってね」

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