終わりへ



 本当に、終わった。


 舞っていた塵すら全て消え、クリアになった《楽園》エリア。

 それを確信すると同時に張り詰めていた力が抜け、僕はぐったりと息を吐いた。


 久しぶりの解放に加え、まさかマガツや【セツナ】まで使うことになるとは。

 想定以上に無茶をしたツケが、今も全身をじわじわと蝕んでいる。


 ……のだが、それは何も僕だけの話じゃない。

 僕以上に心身を酷使し、磨耗し、消耗して限界寸前の人間が、ここには一人だけいる。


「……ぁ……」


 糸の切れた操り人形のように、汐霧の体が崩れ落ちた。

 汐霧の体はボロボロだった。彼女自身が施したはずの応急処置も自身が動けるギリギリ程度で終わらせたらしい。


 気力だけで保っていたのが、愛すべき父親を殺し、倒すべき敵を殺したことで気が抜けたというところか。

 僕は加減を間違えて潰してしまわないよう気を付けながら左腕に力を込め、支える。


「立ってるの、辛い?」

「だい、じょうぶ……と言いたいところです、けど……」

「ああ、いいから。無理するな」

「……すみません……」


 言葉とともに、更なる体重がかけられる。恐らくこれが汐霧の全体重だろう。

 性格上、無意識に正確な数値を求めとする頭をぶっ叩いて、思考を切り替える。


 ここから出るにしろ救護を呼ぶにしろ、この状態で足で解決するのは現実的じゃない。

 そのためには端末が欲しいところだが……


「汐霧、端末はある?」

「ありますけど……壊れてます」

「僕はなくした。ってなると一度クロハのところまで戻らなきゃか……」


 となると、取り敢えずはクロハがいるはずの第十二展望台を目指すことになるか。

 まぁ、それなりに近いっちゃ近い。例え最上階からであろうと、決して歩けない距離ではないだろう。


「問題は、お前がそんなに歩けそうにないってところか」

「…………」

「仕方ないね。抱えるよ」


 返答を待たず、負担にならないように彼女を抱え上げる。

 力の抜け切った人間というのはなかなかに重いが、パンドラアーツの馬鹿力にはあんまり関係がなかった。


「……あ」

「今はここから動かなきゃね。セクハラで訴えるならまた後日にしてくれると嬉しいな」

「……でも、私は」

「どんな決意をしたにしろ、一度時間を置いて、後でゆっくり考えることをお勧めしておくよ。それが大事なことなら尚更ね」


 そうするには、この場はあまりにも適していない。


「……すみません、お願いします……」


 僕の言葉に何か思うところがあったか、はたまた単に疲労に負けたか。

 汐霧は少し黙って、そして頷いた。


「うん、確かに任された。怪我人は大人しく寝てなさい。心配しないでも取って食ったりしないから」

「……聞きたいこと、あります。言いたいことも……」

「後で聞くよ。ここまで見られたんだから、ちゃんと全部答えるさ」

「……約束……ですから……」


 そして目蓋まぶたが閉じられ、薄い胸が規則的に上下する。口からは穏やかで、健やかな寝息。

 汐霧は、やっと眠ったらしかった。


「……全く。最後の最後で約束、ね」


 的確に僕の逃げ道を塞いで来やがった。勘がいいというか、何というか。

 近い未来、もしかするとコイツは僕の天敵になり得るかもしれない。


 溜息を吐いて、僕は666階と階下を結ぶ転移装置へと歩き出す。

 その時、目の端に小さな光の粒が映り込んだ。


「ん」


 体を半分だけ開き、振り返る。

 視線の先には、数多の戦闘痕でズタボロになった花畑の成れの果て。


 それは今、光に包まれ、再生を始めていた。


「……ああ、お姫様が起きたか」


 東京スカイツリーの666階、《楽園》エリア。その名の元となっているこの花畑は、実はただの花畑ではない。

 数え切れないほどの花々、その一輪一輪が魔力で構成されていたりする。


 生み出しているのは一人の少女。

 彼女は一年のほぼ全てをこの《楽園》で過ごし、休むことなく665階で作られた魔力をコロニーを包む大結界へと変換している。


 東京コロニーで最高位の地位に君臨する少女。

 俗に『結界装置』と呼ばれるその少女から溢れ出した、心象風景の一欠片。


 それがこの花畑――ひいては《楽園》の正体だった。


「……さ、バレる前にとっとと逃げよう」


 アイツの性質上、今ここで会話でもしたら確実に面倒事になる。

 少なからず疲れている今、それは勘弁願いたい。


 謁見はまたの機会にさせていただくとしよう。

 僕は転移装置を軽く蹴り、起動させる。


 ――その時、背後で再生の光が一際眩しく光った。

 魔力の粒子が舞うように辺りを埋め尽くし、酷く幻想的な光景を作り出している。


 この世に楽園があったのならば、それはこんな場所なのかもしれない。


「けど、まだ僕たちにはちょっと眩し過ぎるかな」


 だから人々は戦うのだろう。

 いつか、本物の楽園へと辿り着くために。


 刹那、転移の発動する微かな音が響いて。

 僕たちは、僕たちが生きるべき現実世界へと帰還した。



◇◆◇◆◇



 少しだけ、未来の話。


 正規軍大佐、汐霧泰河首謀の一連のクーデターは、彼が配下の部隊にパンドラの血を服用させ『混ざり者ミックス』として操ったことから、ミックスブラッド事件、通称MB事件と称されることとなった。


 正規軍主力部隊の不在を突いて決行されたこの事件は、当日、正規軍との合同任務に就いていたクサナギ学院の生徒により、首謀者を処理する形で解決された。

 件の学院生徒、汐霧憂姫は【草薙ノ劔】による密命を受け行動していた、というのが学院と正規軍の主張であるが、その主張には矛盾点や不明瞭な点が余りにも多く、様々な世論が飛び交っている。


 この件に関して汐霧憂姫は、前述の公式発表以外のことに関して口を噤んでおり、正規軍や学院から圧力がかかったのでは、などと更なる疑惑を呼ぶ結果となった。


 一方、今回の事件で汐霧家は英雄と犯罪者を同時に出すこととなった。

 優れた魔導師の名門として名を馳せていた汐霧だが、身内から犯罪者が出たこと、当主が死亡したことにより規模の収縮は避けられないものとされている。


 また余談であるが、数々の爪痕を残したこのMB事件は、その謎の多さ故か様々な都市伝説が産み出されている。

 他国の政治的意図により起こされた、パンドラを崇拝する宗教団体の仕業、人の姿をしたパンドラの影――など荒唐無稽なものばかりではあるが、それ故住民の不安を煽る一因ともなっており、事件の真相の究明が急がれている――。



「……というのが一連の事件です」

「私が聞きたいのはそんな世間一般で認知されていることではない」


 知らねぇよ。

 そんな喉まで出かかった言葉を飲み下し、僕は目の前の男に半眼を向けた。


 場所はクサナギ学院の学院長室。臨時休校により閑散とした校舎の、一番偉い人の部屋。今僕が相対している人物専用の空間。

 男――学院長は真一文字に引き結んだ口を吊り上げ、老獪な笑みを浮かべる。


「この事件は彼女一人では解決出来なかった。であればその横に誰かいたと考えるのが道理。そして彼女と親交があり、なおかつ手柄を放り捨てるような人間など……」


 君しかいない。


 後に続く言葉に、僕は遠慮なく溜息をブチ撒ける。ついでにゲロでも吐いてやろうかと思い、やめる。こんな狸とスカトロプレイなんて絶対に嫌だ。

 こみ上げた溜息を吐き出し、口を開く。


「……ダウト。そんな推理なんて関係なく、アンタもう知ってるんでしょう? どっかから情報貰って」

「ふむ、バレていたか。流石に鋭いな?」

「そのクソくだらない推理を聞かされたら嫌でもね……」


 断言出来る。この『狡猾』という言葉が人型になったような奴が、そんな穴だらけの推理を信じるような可愛げがあるはずない。


「それで、どうなんだ? 泰河を殺したのは君かね?」

「僕じゃないですよ。僕みたいな無能が殺せるわけないでしょう」

「かつて【天ノ叢雲ノ剣】最強の部隊に最年少で所属していた君が、か?」

「ええ。あなたも部下の実力くらい知っていたでしょう? 東京コロニー正規軍、名誉元帥殿?」


 お互い、醜悪な笑みを浮かべてにこにこと暗く笑い合う。

 この男は嫌いだが、こういう部分で気兼ねしないでいいのは本当に助かる。


 僕がこの男の招集に応じたのは、あることを聞くため。浮上したどうでもいい質問をぶつけるためだった。


「軍のほぼ全てを知るあなたが、今回の事件を予期出来なかった? そんなわけがない。アンタのことだ。泳がせていたんじゃないか?」

「如何な私でも東京の結界を見捨てることは出来ないさ」

「僕たちが間に合うことくらい、アンタなら簡単に見越せたはずだ」

「憶測でモノを言うのは良くないな。それに、君とて探られて痛い腹があるのだろう?」


 カマかけだ。この男が僕の、本当に秘密にしていることを知っているはずがない。

 そうは分かっていても、相手は僕よりずっと知略に富んだやり手だ。万が一を考えさせられ、一瞬だけ言葉に詰まる。


「……答える気はないみたいですね」

「何のことやら分かりかねるな」


 学院長は、しかし意外にも穏やかに続ける。


「ともあれ、こんなところで不毛な腹の探り合いはやめるとしよう。私とて今は教職者だ。子供を虐めるのは、些か気が咎める」

「……思ってもないことを」

「そんなことはないとも。だが、お互い痛い腹があるのも事実だ。願わくばこれからも仲良くしていきたいと思うが……どうだね?」

「…………」


 脅しめいた問いに、僕は無言のまま踵を返す。

 ここで僕がどう答えようと、どうせ結果は変わらない。この男にとって、ここまで会話を運んだ時点で目的は達成されている。


 即ち、逃避。戦略的撤退ですらないただの逃走。

 意地っ張りなガキじみた行為だが、ただ屈するよりはずっとマシだ。


「ふむ、もう行くのか?」

「僕はあなたと違って人気者なので。この後も予定があるんですよ」

「予定か。差し支えないければ、聞いても?」

「……ええ、まあ」


 その言葉に、首だけで振り返る。

 嫌味にもならないことを知りながら、それでも一矢報いるために。

 僕は、言った。


「あなたのお孫さんに会いに行くんですよ、学院長様」

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