人体学校 一年一組

雪うさこ

第1話 ぼく脾臓(ひぞう)です。

 今日からぼくは、人体学校の一年生。真新しい茶色のランドセルはぴかぴか光っていて、かっこいいんだけど……。なんだか学校に行きたくない気持ちでいっぱいだった。


 ぼくは「脾臓ひぞう」。たぶん、他の臓器ぞうきと比べると、聞いたことがないって人のほうが多いのかも知れない。心臓しんぞうはい腎臓じんぞう肝臓かんぞう……。そういうものはみんながよく知っているものでしょう? だけど、ぼくのことをちゃんと知ってくれている人は少ないんだと思う。

 幼稚園ようちえんころに言われたことがずっと頭に引っかかっていて、なんだか自分に自信が持てないんだ。


 ——脾臓ひぞうはいらない臓器ぞうきなんだよ。病気になるとすぐに取られちゃうんだから——。


 ——どうやら、ぼくは他の臓器ぞうきたちよりも大事にされていないみたい。

 

 だけど……本当のことを言うと、ぼくは自分のことが一番わかっていない。だからこそ、学校で勉強しなくちゃいけないんだろうけど……正直に言うと学校にいっても大丈夫だいじょうぶなのかどうか心配だった。

 

 暗い気持ちのまま、学校に到着とうちゃくすると、肝臓かんぞうくんとはち合わせになった。


「おはよう。肝臓かんぞうくん」


「お前だれだっけ?」


「ぼく脾臓ひぞうでしょ! ひどいよ肝臓かんぞうくん」


「あ、そうだった。そうだった~」


 肝臓かんぞうくんは意地悪だ。幼稚園ようちえんからずっとこうしてバカにしてからかうんだ。小学校で同じクラスになるなんて……本当にツイていない。


「おはよう。脾臓ひぞうくん」


 ぼくの名前をんで笑顔であいさつをしてくれるのは、膵臓すいぞうちゃん。昨日の入学式でとなりの席だったんだ。おたがいに自己紹介しょうかいをして「ああ、同じ仲間だね」ってやさしく笑ってくれた膵臓すいぞうちゃんを見ているとなんだかむねがキュンキュンと高鳴るんだ。ぼく、病気かな……。


「お、おはよう。膵臓すいぞうちゃん」


肝臓かんぞうくん! ダメじゃない。脾臓ひぞうくんのことからかっちゃ。わたしたちは仲間なんだから。仲良くしないと」


「ちぇ、うるせえなあ。仲間にすんなよ。こんな暗いヤツと。おれまでカビ生えそうだ!」


 肝臓かんぞうくんはめんどくさそうに顔をそむけると、さっさと廊下ろうかを歩いて行く。そして歩いているたんのうくんの頭をぽかっと一発、たたいた。


肝臓かんぞうくんって乱暴よねえ。仲間だなんて思われたくないのは、こっちのセリフよね」


 彼女かのじょは大きくため息をいていた。——そう。何度も『仲間』と彼女かのじょは言っているが、それはぼくたちが、同じ仲間にされているからなのだ。


 肝臓かんぞうたんのう、膵臓すいぞう脾臓ひぞう。この四臓器ぞうきは人間の教科書ではならんで紹介しょうかいされているそうだ。


 膵臓すいぞうちゃんと廊下を歩き、そしてたんのうくんにも声をかける。気弱そうな小柄こがらたんのうくんは、ぼくと同じような雰囲気ふんいきだから、話しやすい。たんのうくんは、ぼくたちを見てニコって笑った。


***


 教室に入ると、他の臓器ぞうきたちが登校してきていた。肝臓かんぞうくんは窓際まどぎわの席にどっかりとこしを下ろすと、むすっとした顔をして外をながめていた。

 かれと仲良くできるのか心配だ。学校では似たような臓器ぞうき同士でグループ活動をすると聞いている。ということは、ぼくは肝臓かんぞうくんとも一緒いっしょになる確率が高いわけで……。


「おはよう。脾臓ひぞうくん」


 自分の席に座ってから、そんなことを考えていると、ぼくの目の前の席に甲状腺こうじょうせんちゃんが座った。彼女かのじょちょうのようにかわいい。なんだかほっぺが熱くなる気がした。


「お、おはよう……」


「うふふ。緊張きんちょうしているの? 大丈夫だいじょうぶだよ」


 ピンクのランドセルを下ろして笑う甲状腺こうじょうせんちゃんを見つめながら、余計にどきどきとしている体をどうしたものかと考え始めた時。教室のとびらが開いて先生が入ってきた。


 一年一組の担任たんにんの先生はのう先生だ。のう先生は風を切るように颯爽さっそうと教室に入って来た。


「静かに。みんなそろっているかしら?」


 よく通る声に、教室の中は静かになった。


「昨日は入学式おつかれ様。式も終わってほっとしているかも知れないけど、本番は今日からよ! みんな一緒いっしょに勉強をしていく仲間として、仲良くすること。おたがいに分かり合うためにケンカするのは大いに結構だけど、臓器ぞうききずつけるようなことは許しませんからね。そこのところはよく覚えておきなさい」


「はーい」


 先生の言葉に教室の中は「はーい」の大合唱だ。

 先生の話はむずかしくてわからないな。なんだかぼくだけ置いて行かれているみたいで不安になってきた。


「それでは、まずは自己紹介じこしょうかいをしてもらいます。そうだな。順番っていうのもなんだから、よし。——脾臓ひぞう。お前から」


「え! ぼくですか」


「そうだよ。お前。一番不安そうな顔しているからな」


 一番だなんて。どうしよう……。みんなの笑い声がこわかった。体がぶるぶるとしてくるけど、みんながぼくを見ているんだ。やらないわけにはいかない。


 ぼくは仕方なく、足をゆかにつけてこし(ないけどね)を上げた。


「えっと。あの。ぼくの名前は脾臓ひぞうです。左のおなかに住んでいます。ぼくの得意なことは古くなった赤血球や血小板をこわします。ほかには白血球の中のリンパ球っていうものを作ったり、血を貯えたりすることもできます」


 ふるえる声で必死に自己紹介じこしょうかいをしたのに、肝臓かんぞうくんが口をはさんだ。


「け! 役立たず。お前、生まれる前は赤血球作るくせに、生まれちゃうと作れないんだろ~。意味ねえじゃん。このサボりやろう!」


 教室中がざわめくのがわかった。


 ——そうなんだ。ぼくはそんなに役に立たない。


 からだじゅうに酸素さんそを運ぶ役割やくわりを持つ赤血球も、出血を止める役割やくわりを持つ血小板も、ずっと元気で働いてはくれない。寿命じゅみょうがくるんだ。


 ぼくはその古くなった赤血球や血小板をこわ役割やくわりを持っているんだけど、それって肝臓かんぞうくんもできるわけで……。


 病気によっては、ぼくは簡単かんたんにからだの外に取り出されてしまうこともある。

 どうしたらいいのか、わからない。余計にぶるぶるとふるえて立っていられなくなった。


 しかし——。


「こら。肝臓かんぞう! お前ねえ。脾臓ひぞうはな。大量出血や骨髄こつずいの力が低下した時などの緊急きんきゅう事態には、大人になったって血球を作る力があるんだぞ。それに脾臓ひぞうの造るリンパ球はウイルスや細菌さいきんと戦ってくれるんだ。脾臓ひぞうがなくていいなんて、そんな話はないんだぞ」


「だって、こいつがいなくても他の場所でも十分足りるじゃねえか」


 ——そうなんだ。他の臓器ぞうきたちがぼくの肩代かたがわりができるから、ぼくはいらないって言われるんだ……。


 知ってはいても、こうしてみんなの前で言われてしまうとショックで、からだじゅうが青ざめた。しかし、のう先生はにこっと笑顔を見せてからぼくを見た。


脾臓ひぞう。人間たちは、簡単かんたんにお前を取るわけじゃない。ちゃんと、取った後のことも考えて、やむを得ずそうするしかないとなった時に取り出すんだよ。血液の病気の時、お前を摘出てきしゅつするのは、なんだ。わかるね?」


 ——そうだったんだ。簡単かんたんにとられちゃうわけじゃないんだね。


「はい、先生」


「だから、そんなに自信なさそうにするんじゃないよ。お前には立派な役割がある。お前がいなくなった場合の肝臓かんぞうの負担は計り知れないんだからな。——肝臓かんぞう脾臓ひぞうを大事にしないと、自分の首をしめめることになるんだ」


 肝臓かんぞうくんは先生の言葉に舌打したうちをしたけど、それ以上はなにも言わなかった。目の前の甲状腺こうじょうせんちゃんがり向いてぼくを見た。


脾臓ひぞうくんってすごいんだね! かっこいい」


「——え!」


 ぼくはなんだか気恥きはずかしくなって、うつむいていしまったけど、心の中はちょっぴりうれしい気持ちになった。


 ——そっか。ぼく、いらない臓器ぞうきじゃないんだ!

 

 少しだけど自分のことを知れたことがうれしくて、ぼくは下を見ていた。まだ始まったばかりだけれど、なんだか少しだけがんばれそうな気持になった。






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