サブウェイ プット・ダウン
遙夏しま
サブウェイ プット・ダウン
「あなたはお金、どうやって使う?」
私がそういうと夫は興味もなさそうに「んん?」とだけ返事をした。ノートパソコンに目を落としたまま何かプログラムを組んでいる。彼はパソコンの画面に向き合い出すといつもそれ以外のことへ目がいかなくなる。集中しているのだ。さっき私が淹れたコーヒーはひとくちか、ふたくち飲まれただけ。もう冷めてきている。
「シングルタスカーなんだ」夫はいう。プログラムに関することをやりだしてしまったときは仕方ないのだと。自分のどうしようもない性分を説明するとき、なぜいつもこの人はすこし誇らしげなのだろうと私は疑問に思いつつも、夫のセリフにうなずきとほほえみを返し、きっとそのとおりなのだと思うようにしている。集中しているのだ、と。
その集中の先が趣味なのか仕事なのか、文字ばかりが並ぶ黒い画面をみてもどうせ私には判別がつかない。
すこし間をあけてもう一度「ねえ」という。夫はやはりノートパソコンに目を向けたまま「なに?」と同じ調子でいう。「んん」と「なに」、差はわずかだが夫が一応、私の発言に関心を向けようとしているサインであるとわかる。よかった。もう一度、「お金のことよ」といってみる。すると彼は「おかね?」と、こちらを向いた。
アメリカで暮らしている。渡米したのは夫の仕事が主な理由だが、私が望んだ部分もある。
もともとなんとなく結婚したら住処は自分で選ぼうと思っていた。大学を卒業し、帰国子女である今の夫と付き合い、結婚する流れのなかで、彼がウェブエンジニアを仕事にしていて、アメリカへよく出張に行く話を聞いてアメリカ暮らしを思い立った。子供ができなかった私たちは、比較的、住居を好きに選ぶことができたし、彼の所属する会社に米国法人があり、むこうに気のおけない友人も何人かおり、彼自身アメリカに住んで仕事をするのも悪くないと思っていた。気持ちがそちらに傾くのは自然の流れだった。
大学で外国語を専攻していたから英語圏で生活するくらいならなんとかなりそうだし(実際、なんとかなっている)。両親も親戚も渡米に際して旧来的日本家族のありかたなんかを押し付けてくるようなタイプではない。そしてやはり自由の国アメリカというイメージ。それが私の気持ちを奮わせた。
自由。
個人主義の理想郷。
日本が嫌いなわけではなかったけれど、日本人同士のお付き合いみたいな感覚には昔からわずかに違和感があった。へりくだりとか遠慮とか、お歳暮やらお中元やらもそう。それなのにやけに人の生活状況やら人間関係やらを気にして、会話のなかで情報を得ようとしてくる感じも嫌ではないけど変だなとは思っていた。
結婚する前の夫に会話の流れでそのことを伝えたとき、彼も「たしかにそうかもしれない」と賛同した。そして「そういえばアメリカだとそんなことは個人の自由だから聞かないし、聞いたら失礼だな」と言った。アメリカでは個人のことにわけもなく介入するのはマナー違反的行為なのだそうだ。(その例えとして「僕が太ったとして、太ったかなんて聞くのはとてもナンセンスだ。どうして僕の体型のことに僕以外の人間が関わる必要がある?」と彼はいった。)
私はそれを聞いてピンときた。アメリカだ、と。アメリカこそが私の新天地だと。私がその意向を伝え、夫が米国法人でのプロジェクトを仕事のメインにまわすと流れは早かった。すぐに転居の機会が訪れ、私たちは引越しをおこなった。それから六年、今もアメリカで暮らしている。
「お金のことっていうのは?」と夫はまだ微妙に目の焦点があわないような顔でいう。私は少しまくしたてようと思い、わざと腕を組む。
「今、お金のことといったら新貨幣給付金に決まっているじゃないの。あなたにもきてるでしょ?」とひと息で言うと、夫はやっと目の焦点があってきたように「決まっているのかい」とぼそぼそ言い返す。私がそれを無視して「1000ドルももらえるのに、何にでも使えるわけじゃないなんて。自由の国が聞いてあきれるわ」というと、「いや自由だよ。原則的には。あくまで大統領は提示したって立場だからね。それに1000ドルなんて、場合によっちゃ大した額じゃないよ」と真顔で答えた。しっかり意識がこちらへ向いたみたいだ。私は議論をするほど意見がないので「そうかしら」とだけ彼に返答する。
私たちが暮らす六年のあいだにアメリカの大統領が交代した。大統領は任期制なので、当然、任期ごとに大統領選挙があり、選挙で別の人が選ばれれば新大統領が誕生する。それは別に特別なことではない。
今回、新たに選ばれた大統領は初選任でそれを記念して新貨幣が刷られた。これはさすがに普通ではないことだが、まあそこまではよかった。くわえて大統領は政策の一環と自分の選任記念とを混同したのか全国民へ新貨幣の給付をおこなった。全アメリカ国民へ、ひとりあたり1000ドルの新貨幣での給付金。そして声明を出した。
***
――この給付金は各個人の国内での経済活動を期待してのものだ。貨幣の量は人を活かし、救うと私は信じている。私の望みはシンプルだ。経済の活況。それゆえに給付金の使い道は基本的に自由とする。しかし、もしあなたが私の、大統領としてのこの取り組みの意図を汲んでくれるのであれば、人道的な使い道を選択してほしい。消費はメッセージであると私は考えている。個人のための単なる浪費ではない、社会本来のための、アメリカをよりよくするための何かへ使って欲しいのだ。幸い新貨幣はまだ市場には一枚たりとも出回っていない。新貨幣が今どき紙で用意された理由もここにある。貨幣がどこに落ちたのか。世間がはっきりと認識できるようになっている。もう一度、お願いする。人道的な使い道を選択して欲しい。すべてのアメリカ国民が自由の名のもと真に価値ある選択をされるよう、私は祈っている。
***
私は声明をインターネットニュースで知った。そのときは「へえ給付金」とだけ思った。SNSを開くと、いつも通りひとびとは雑多に意見をばらまいていた。「とくに気にしない」という意見と「大統領の意を汲みたい」という意見と「権利が侵害されている」という意見と「陰謀論だ」という意見と。あちこちで議論がかわされていた。それをもとに、いくつかのフェイクニュースが組まれ、それが人々の不安心理を仰ぎ、見慣れた混乱がウェブ上をひしめいていた。私は携帯をとじてネットを見るのをしばらくやめた。
自分ひとりでこの件のことを考えてみて、これは厄介だなと思った。それは自分の消費を見られてしまうことに気付いたからだ。市場に出回っていない紙の貨幣が給付されるってことは、つまり私が新貨幣をだして支払った瞬間、その場に居合わせた人々へ私の消費メッセージが伝わってしまうということだ。
もしそれが色のついたガムやら、甘いばかりのチョコレートだとすれば、あぁこの人は大統領の声を聞いても、もらった金で単なる個人的な消費をする人間なのだと思われてしまう可能性がある。この黄色人種はアメリカのことなどどうでもいいと思っているのだと。だからといって例えば銀行に貨幣を預けても「使う気がない」だとか「貨幣を見えなくして都合よいことに使おうとしている」と捉えられてしまう。実貨幣を使うしかないうえ、安易なものには使えないのだ。この給付金は。
じゃあ大統領のいうとおり人道的な使い道をしようと思ったとしても、私はとくにアイデアが出てこなかった。寄付したらいいだろうか。悪い選択ではないだろうけれど、良いアイデアとも言えない気がする。経済活況が目的といっていたし、やはり経済的消費は前提にあるべきだろう。人道性の解釈によっては消費それ自体が社会を助けるものだから、何に使っても言い分は立つといえば立つのだけれど、いったいどういった買い物が正解なのか。私にはパッと思いつくものがひとつもなかった。
「とにかく」といって彼へもう一度、質問をする。
「私が聞きたいのは使い道のこと。どうするの?」
「そのまえに君はなにに使いたいんだい?」
「私? それはたてまえとして? 本音のところ?」
「たてまえなんて必要なのかい?」
「……なんだか、あなたのこと見てると、私ってつくづく日本人なんだと思うわ。とにかく、私のはいいから参考にあなたのを教えて欲しいのよ」
夫は私の様子をみて「ふふ」と笑った。なにがおかしいのかと言おうとしたが、彼がパソコン画面へ目をうつしたのでやめた。夫はネットを開き、検索をかけて何かを調べていた。たぶん自分の欲しいものを私に見せるつもりなんだろうなと思って、夫の冷めかけたコーヒーをひとくちもらって飲んだ。まだわずかに温かみは残っていた。
しばらくして夫がノートパソコンの画面をこちらへ向けた。アルファベットで「PUT DOWN」と書かれた文字の背景に地下鉄の改札写真が見えた。改札の向こうには札束の山。
「君みたいに新貨幣の使い道を決められない人たちは、プットダウンってやつをしているみたいだよ」と夫が言った。私は耳慣れぬ言葉に「プットダウン?」と聞き返した。夫は待ってましたといった具合に、ウェブサイトを見ながら解説をはじめた。
「プットダウンていうのはね。どうやら地下鉄のスペースに新貨幣を置いておく活動みたいだね」
「置いておく? なぜ?」
「ちょっとしたポリティカルアクションってところかな。いろいろ理由はあるみたいだけど、要は今回の件に対する暗黙的反発ってのが適切だろうね。言い出しっぺのメッセージみる?」
夫が開いたページにはプットダウンの発起人のみじかいひとことが書かれていた。
――本当に人道的である金が存在するならば、その金はきっと深い地下に埋もれているべきである。
「どういうこと?」
「解釈のしようはいろいろある。でも君が感じた通りが、もっとも真実に近いんじゃないかな。どう思った?」
「どうって……。そうねぇ、他人に使いかたをとやかく言われるお金なんて貰っても、たしかに散々悩むだけで気持ちの良いものじゃないし、いっそ地下にでも埋もれていた方がいい気もするわ」
「じゃあそうしよう」
「え? だって1000ドルよ? あなたのも合わせたらダイソンのエアコンディショナーだって買えるのに」
「じゃあそれを買うかい?」
「……まぁ……そうね。結局、買えないかも」
「そうだろうね、君はきっと」
「あなたはどうするの?」
「僕もプットダウンには思うところあってね、これをやってみようと思っていた。君の質問の答えになったかな?」
「答えにはなったけど。あなたがやりたいのはなぜ?」
「僕自身はあまり敬虔なクリスチャンではないけれど、今回の件についてはこう思った。結局、人は神の目からは逃れられない、と」
「なにそれ大業ね。一神教だからでしょう? 日本には神がたくさんいるもの。逃す神なんて山ほどいると思うわ」
「1000ドルで神社でも建てるかい?」
「うーん、それも悪くないわね。でも今回は地下鉄に置いておこうかしら」
私たちはいそいそと外着へきがえ、プットダウンがおこなわれている地下鉄へむかった。
改札を通り抜けたすぐのエントランススペースに札束の山がオブジェのようになっていた。ウェブサイトで見たそれと同じような風景。「これって他の地下鉄にもあるのかしら」と私がいうと「ここが一番、有名だけど、いくつかあるみたいだね」と夫が答えた。
周囲にはロープと人だかり。駅員と警官隊が群衆を一応、牽制している。誰も紙幣に手をつけようとはしない。時折、通り過ぎる人が1000ドルをポイとその山に投げると、人だかりが「オォ」と小さく声をあげた。何人かが「グゥッ」と言って去りゆく背中に拍手を送る。なにがグッドなんだか。正直、私にはわからなかったが、それでもこの群衆に何かしら背中を押されるような感覚を覚えたのはたしかだった。
「これがプットダウンね」
私がいうと「そうみたいだね」と夫が言った。
「お札が身長より高い」
「そうだね」
「いくらあるのかしら。誰も手をつけないなんて」
「ヘタすりゃ100万ドルだけど、さすがに誰も手はつけないだろう」
「そうかしら」
「君はお金がほしいかい? 警官に撃たれても」
「……まさか」
私たちは早足になり、なにごともないようなそぶりで人だかりへ近づいた。大きめの現金をもっているのがわかれば自分の身に危険が迫ることもある。自分たちがプットダウン参加者だと周囲の他人に勘ぐられる前に1000ドルを投げてしまうことにした。胸元にいれておいた真新しい札束は映画のように分厚いわけではなかったが、それでも大きな力をもつ存在特有のなにか不穏な重みを感じさせ、それは私の手のひらにうすい汗をかかせた。
人だかりの最前列までいくと夫と目をあわせ、せーので1000ドルを投げた。そしてすぐにその場から離れた。「オォ」という歓声がさっきよりも耳の近くで聞こえ、私のすぐそばで太った中年の女性が「グゥッ」とにこやかに言った。それが私に向けられたものであると自覚すると、不思議と気持ちが高揚した。何かに貢献したような実態のない充足感が私の口元をにやけさせた。
そのときだった。私は立ち去る一瞬、その場にいた見知らぬ誰かと目を合わせた。顔のない男だった。実際に顔がないわけではなく、その中立的で一般的な男の顔はひと目見たくらいでは私の記憶に残らない、いや、誰の記憶にも残らないようなかたちをしていた。たとえば街ですれちがったり、電車やバスで対面しても、その場から離れれば二度と会うこともなく、また思い出すこともないような、そういった顔をしていた。
男はおそらく中年で、それ以外には男であるということ以外のすべての印象を巧妙に欠損させていた。服の色も眉の太さも、目や鼻のかたちも私の脳裏にまったくと言っていいほど形跡が残らなかった。そんな顔のない男と時間にしてものの一秒もないわずかな時間、目を合わせた。私の目はその男の目とたしかに見つめあった。そしてすれ違い、あっというまに男は人ごみにまぎれ、私の記憶からその特徴を消し去った。
しかし私は耐えがたいほどの衝撃を受けていた。男の顔は私が捨て去ったはずの、私の一部を持っていたからだ。いったいどういうことなのか自分でも整理がつかなかった。男はある意味での私だった。あの醜悪な瞳と、下衆な口元と、見ていられないほどの利己心に溢れた表情と。それは私が人生における端々の時間を費やして、私から追い出してきたであろう何かとピタリと一致していた。
私はそれをほとんど慣習的に外に追い出して生きてきた。そうやって追い出したものたちが行き場を求めさまよった結果、あの顔のない男へ出くわし、男はすべてを請け負ったのだ。男の顔は自分が見たくはない細部をまざまざと私に見せつけ自覚させた。
私は自分の動揺をなるべく夫に気づかれたくなかった。だから平静を装いつつ、わずかに歩みをはやめ、地下鉄のホームへ急いだ。夫は「なんかもっと荘厳な気分になると思っていたけど、なんてことなかったな」と半分ひとりごとのように私に話しかけた。「ほんとね、さっさと帰りましょう」と無関心に返事をし、私は前を向いたままカツカツと靴音を鳴らした。
地下鉄のホームへ到着し、電車へ乗り込んだ私はすこしだけ安堵した。なぜだかさっき手放した新貨幣のことを後悔しはじめている自分がいた。目の前で自分がおこなったプットダウンの意義について、真摯につきつめようとする夫を見ているうちに、気がついてしまったからだった。私がおこなったプットダウンは他のアメリカ国民たちがおこなったそれとは、まるっきり違う行為であると。そう認めざるを得なかった。
純粋な自己。彼らは疑いようもなくそれを持っていた。中心点があるのだ。どんなに自分を疑い、自分を後悔し、そして気持ちが揺らいだとしても、彼らのその起点には自分自身がいる。プットダウンは彼らにとって、誰にも手の届かない場所からそれを決め、孤独な判断をもってしても自らの考える人道性を表現するたしかな手段となっていた。一方で私はどうだろうか。
一連の動きのなか私はただ流されていた。プットダウンを考える夫に、プットダウンを支持する人々の流れにその場の思考をゆだね、自らいいように思惑を変えて、その札束を放り投げるにいたった。結果的に私は新貨幣に対して賢く(もしくは愚かに)立ち回ったのかもしれないが、どちらにせよ私はまちがいなく空っぽだった。だって私の中心にあったのは本当にただただ平和にポッカリと浮かんだ空白だったのだから。プットダウンで自己の人道性など表現していない。いやむしろ私は新貨幣に付随する責任をどこか
地下鉄が動き出そうとした瞬間、ガクンと大きな揺れが起こり電車が停止した。立っていた人々がよろめき、半数近くが尻餅をついた。私と夫も大きくバランスを崩し、近くにあったポールにつかまってなんとか地面に倒れるのを耐えた。私たちを含めた乗客すべてが「どうしたんだ」とざわめきを始めた。直後、電車の窓の外を走り抜ける人影と、それを追いかける駅員や警官隊の姿が見えた。「なに?」と私が言ったすぐあとに車内放送が流れた。
「ただいま電車の出発直前に人が降りたため緊急停車しました。命に別状はありません。現在、スタッフが対応中です。すぐに電車は発車します。しばらくお待ちください」
ザワザワとする車内で噂がとびかう。携帯で情報を探る人々。「金を盗もうとしたらしい」という声が聞こえる。金。プットダウンされた貨幣だろう。すぐに想像が追いつく。そして通りすぎた人影を思い返し、私はそれが顔のない男であると確信する。夫が「おいおい、まさかだな。あれを盗もうとするか」と失笑する。私は「そうだね」と返事をするが、よからぬ想像ばかりがまとわりついてしまい、夫へうまく笑い返すことができない。
サブウェイ プット・ダウン 遙夏しま @mhige
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