筆者が心を動かされた詩や創作物の紹介を中心に、そこで感じたことや筆者自身の思いが添えられたエッセイです。
目立たないもの、孤独で小さな存在、光の当たらないところ。そんな一隅に繊細なまなざしを向け、柔らかい明かりを灯すような文章。真摯さの中に少しのはにかみを含んだ語り口は心地がよく、すっと胸に入ってきます。と同時に、ひと言で言い表せない感情や深いテーマを読者へ問いかけ考えさせる、静かな力があります。
忙しく過ぎる日常の中で、ふと立ち止まる時間。道端の花に思いを寄せるような、埋もれてしまいそうな何かをそっと掬い上げてくれる作品です。
僕は統合失調症で四年半入院していましたがA型事業所で、企業さん、お年寄りや保育園や幼稚園、老人ホームにパンを外販に行っています。制作担当ではないのですが雑事に追われる日々です。もう9年パン屋は4年やっています。中々社会に飛び出せず、辛抱強く働いていますが、詩や小説を書いたり取り下げた小説もあります。遊井そわ香さんが書く物には学のない自分には輝く星の様です。詩もこれが本物なのだなと思う日々です。初めて詩の評価をもらった時とても嬉しかったです。今後のご活躍に期待しています。また改めて作品を拝読させていただきたいと思います。有難うございました。
西行、大伴家持、黒田三郎、レイ・ブラッドベリ、吉行理恵。
以上の詩人(作家)には或る共通項があります。
それは何かって?
「後世に残る文章を書いた」ってこと。
もちろん正解。
では、その文章が生まれた背景に共通するものは何?
私の解答は「動かせない孤独」です。
孤独が詩人の心に張り付き、その孤独に手を焼くと云うよりは、孤独に寄り添い孤独を愛した背景が、行間に浮き沈みするのです。
遊井そわ香さまもまた孤独の系譜に存在を刻む創作者。
孤独の楽しさ、孤独の強さを知っている文學者です。
作者さま曰く、数秘学では孤独を「内なる創造性」「自分の内面を見つめ、魂の声を聞く」行為。
孤独を愛する人の推薦する藝術は、やさしくて、せつない。
その紹介文に付随する思想を追っておりますと、孤独を好もしく思う作者さまの優しさと強さが、同時に伝わってきます。一見、相反していますが、優しいことは強いことなのだと気付かせてくださいます。
そもそも「孤独」という単語には「暗い」だとか、「耐え難い」だとか、ネガティヴなイメージがつきまといがちだけど、そうではないのですね。
ただひたすらに暗い局面にこそ射す光があります。
光──それは自分の心の扉からこぼれる光が他者を照らすがゆえに射す光。
恐れることなく他者と繋がり、深く愛して楽しむことのできる世界を見出す時。
それが真に孤独を愛した時です。
迷ってもいい。無理に「いい人」を演じる必要もない。
ありのままの自分を認めて、弱さごと慈しめればいい。
自分の裡に燃ゆる愛と孤独の光が大きくなった時こそ、絆で繋がる他者と、確固とした自己と、逢遇を果たすことでしょう。
人間不信ならぬ自己不信からの脱却と云ったら大袈裟だけれど、さまざまな「当たり前」が崩れゆく世で、何を信じていいか分からなくなった日、最終的に信じられるのは自分です。頑なな心を柔らかくして、強く自由に、はぐくみましょう。
『青く、蒼すぎず、高くふかく』は、自分軸補強に最適です。是非どうぞ。