03

「……落ち着いたか?」

「ええ。ごめんなさい、みっともないところを見せちゃったわね」


 リリがアルドたちに向き直る。その両目はまだ赤く腫れていた。


「それにしても、まだ信じられないわ。あなたたちがあのセシルとキロスだなんて」

「ああ……でも、ごめん。オレたちはその頃のこと覚えてなくて」

「いいのよ。猫と赤ん坊だったんだもの、仕方ないわ」

「いや、謝りたいのはそれだけじゃないんだ。君のお父さんがいなくなったのは、元はと言えば……」

 アルドが言いかけ、フィーネが伏し目がちに後を継ぐ。

「うん。私たちが過去に行ったのを追ったからなんだよね。そのせいでリリさんは……」

「それは違うわ」と、リリが二人を遮って言う。

「あなたたちが気に病む必要なんてひとつもない。それに、辛い思いをしたのはあなたたちだって同じでしょう?」

「それは……」

「……あの頃の私たちはまだ無力な子供だったし、クロノス博士も私の父も自分の信じる正義のためにやるべきことをやっただけ。父も言っていたけれど、あなたたちは父の代わりにこの世界を救ってくれたし、こうして私と父を会わせてくれた。感謝こそすれ、恨んだりするわけないじゃない」

「……ありがとう。そう言ってくれると救われる気がするよ」


 心の奥底で澱のように淀んでいたやり切れなさが浄化され、消えていく。


 世界の未来と、今を生きる人たち。

 クロノス博士はそれらを天秤にかけた結果、前者を選んだ。

 リリが言ったように、それが間違いだったとは思わない。けれども、どちらか一方を見捨てることなんてできないとアルドは思う。

 どちらも救う。そのための方法を探し続ける――リリの言葉が、アルドの決意を新たにした。


「あなたたちはこれからも旅を続けるのよね?」

 と、リリが三人に訊いてくる。

「もちろんそのつもりだよ。まだやることが残ってるからな」

「そう……じゃ、私も頑張らないとね。今の私はもう無力な子供じゃない。父の研究を継いで、きっと実現してみせるわ」

「ああ。リリならきっとできるよ」


 リリは頷き、それから三人に背を向けた。


「……よかったらまた会いましょう。冒険の話も聞かせてほしいし……また遊びたいわ。昔のように」

「ああ、約束だ!」

「うん! 絶対また会おうね、リリさん!」

「次に会う時マデニ新しい子供のアヤシ方を習得しておきマスノデ!」

「リィカ、もうリリは大人だって……」

「ふふっ!」

 リリは一度だけ振り向き、満面の笑みで手を振った。

「それじゃあまたね。アルド、フィーネ、リィカ」


 リリを見送った後、アルドはフィーネとリィカに向き直る。

 そして言った。


「それじゃオレたちも戻ろうか。マスターに報告しないとな」


* * *


「戻ったよ、マスター」


 次元の狭間のバーへ戻ると、いつもの場所にいつものように立っているマスターが、サングラスで隠れた目をアルドたちに向けてきた。


「ふむ。その様子だと、すべて決着がついたようだな」

「ああ……なあマスター。あんたは全部知っていたんだよな? あの少女の正体も、オレたちとの関係も」

「ふっ」

 はぐらかすように笑う。

「知っているといえば知っていた。だが、どういう結果になるかはお前たち次第だった。私はただの案内人だからな。それで、お前たちはどう思ったんだ?」

「……納得はしてるよ。これでよかったんだって」

「そうか。それならこれ以上何も言うことはないな」


 慣れた手つきでグラスを吹きながら、淡々とした口調で言う。

 相変わらずその表情からは何を考えているか読めない。


「ただ、気になることがあって……ソルバが最後に言っていたんだ。別の世界からオレたちを見ている人たちが大勢いるって。どういう意味かずっと考えてみたけど、わからなくて……。マスターは何か知らないか?」

「さあな」と、すげなく返してくる。

「だが、あり得ない話ではない。お前たちはこれまでにも似たような経験をしてきただろう? 様々な時代、異なる世界……普通なら出逢うことのなかった者たちと、幾度となく運命を交錯してきたはずだ」


 アルドの脳裏に無数の光景が蘇る。

 過去や未来、並行世界。

 志を共にした多くの仲間たち。互いの正義と剣をぶつけ合った強敵たち。


「我々の知っている世界が世界のすべてではない。大いなる時の流れ、次元の外側にはさらなる未知の世界が広がっているかもしれない。長く時空の狭間を揺蕩っていた者なら、その片鱗を垣間見たとしてもおかしくはないだろうさ」

「…………」


 マスターの話は抽象的で、アルドにはその半分も理解できない。

 それでも、『世界の外側から自分たちを見守っている誰か』……そんな者たちの存在を、信じてもいいと思えるようになっていた。


「どうした。それがそんなに気になるのか?」

 アルドは「いや」と首を振る。

「わからないことを考えても仕方ないよな。今までもこれからも、オレたちのやるべきことをやるだけだよ」

「そうか」

「だけど……ソルバは、その人たちはオレたちの旅を見守っていると言ってたんだ。その話を聞いたとき、オレ、少し嬉しかったんだ。なんていうか、たくさんの人たちに応援されてるみたいな気がしてさ。どこの誰かもわからないのにおかしな話だけど」

「私も同じだよ」とフィーネ。

「天国にいるお父さんやソルバさんも、それにそのたくさんの人たちも、世界のどこかで私たちのことを見守ってくれてるんだって……そう思うと勇気が湧いてくるんだ」

「スピリチュアルな話は苦手デスガ……アルドさんとフィーネさんが言うナラ、ワタシも信じマスノデ!」

「フィーネ、リィカ……そうだな。きっとその通りだ」


 これまでの旅で得たものもあれば、失ってきたものも多くある。

 取り返しのつかない喪失。それがこの先も待ち構えているかもしれない。それを想像すると恐ろしくなることもある。

 だがそれでも、見守ってくれる誰かがいるなら。

 きっとそれは自分たちの力になるはずだ。


「よし! じゃあそろそろ戻ろうか、オレたちの旅に!」

 アルドが言うと、フィーネとリィカが「うん!」「賛成デスノデ!」と応える。

「それで、次はどこに行くの、お兄ちゃん?」

「ん? そうだな……」

 しばし考えを巡らせるアルド。

 行くべき場所ならいくらでもある。しかしまずは……

「とりあえず家に戻ろうか。色々あって疲れたし、しばらくゆっくり休みたいかな」

「ええっ!? もうお兄ちゃん、さっきと言ってることが違うじゃない!」

「サボりはよくアリマセン! このことはエイミさんに報告させてイタダキマスノデ!」

「ええっ!? それは勘弁してくれ!」

「……ふっ」


 二人のやり取りを聞いていたマスターが小さく噴き出す。

 つられてフィーネが、そしてアルドが笑う。


 無数の瞳に見守られし冒険者たちの、とある一日の出来事。

 時空の迷子をめぐる物語は、こうしてその幕を下ろしたのであった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

望郷の観測者 一夜 @ichiya_hando

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る