02

 ピリピリと、腹の底から痺れるような感覚……アルドには覚えがあった。クロノス・メナスが放っていたαジオの波動。あの時に感じたものと同じだ。


 やがて光が拡散していき――

 少女がいたはずの場所に立っていたのは、白衣に身を包んだ大人の男性だった。

 目の前で起こった異常な現象に気を取られたのか、リリは男性の顔を凝視したまま硬直していたが……ややあってから、震える声でぽつりと言った。


「……お父さん?」

「ああ。久しぶりだな、リリ」


 アルドとフィーネは、初めて見る彼の本来の姿に、言葉を失いながら見入っていた。

 いかにも生真面目そうで、それでいて芯の強そうな目鼻立ちがリリとそっくりで、ひと目で親子だとわかる。


「ほ、本当にお父さんなの!?」

 まだ信じられないといった様子でリリが問う。

「ああ。大きくなったなリリ。といっても私はあの時の姿のままだが、これには理由があって……」

「それはもう聞いたわ! そんなことより、今までどうして帰ってこなかったの!? ずっと待ってたのに!」

「……すまなかった。本当に私はひどい父親だ。さっきも、リリの姿を見て思わず逃げだしてしまった」

「え? じゃあ、あの子供は……」

「あれは私だ。色々あって、元の体のままではいられなくなってしまってな」

 リリが絶句する。しかしリリの父は構わず続けた。

「もうお前と会うことはないだろうと思っていた。だが……いま戻ったよ、リリ。これをお前に渡すために」

 そう言って、手に持っていた猫のぬいぐるみをリリに差し出す。

「これ、あの時のぬいぐるみ……」

「今日は21歳の誕生日だろう? ずいぶん遅くなってしまったが、改めて言わせてくれ。誕生日おめでとう、リリ」


 リリの瞳に涙が滲む。

 受け取ったぬいぐるみをぎゅっと力強く抱きしめた。


「……遅いよ。もうぬいぐるみなんて似合う歳じゃないんだから」

「うっ……そうだよな。すまない」

「ううん、いいの」

 リリが涙を拭い、それから「ふふっ」と微笑む。

「このぬいるぐみ、キロスにそっくりね。今でも猫は好きだし、大切にするわ。……ありがと、お父さん」


 時空を超えた親子の再会。アルドとフィーネはその微笑ましい光景に、胸のつかえが取れた気がした。

 この後に何が待っているのかは知ってしまっている。

 だが、確かに今この瞬間、父と娘、二人の願いが叶ったのだ。


「よかったな、リリ。それにあんたも」

「ああ。君たちには色々と世話をかけてしまったな」

 アルドにそう答えた次の瞬間――すうっと、彼の全身が色褪せた。

「お父さん!?」リリが叫ぶ。

「そろそろ時間切れのようだな。……落ち着いて聞いてくれ、リリ。私はもうすぐ消えてしまう」

「消える……? ど、どういうこと!?」

 狼狽するリリに、父は穏やかな表情を向ける。

「私は一度、時空の狭間で死んでいるんだよ。しかし、お前への想いとプリズマの力が私の命を繋ぎとめてくれた。お前との約束を果たすために、わずかな時間をもらったんだ」

「そんな……何か方法はないの!?」

「リリ、お前も科学者になったのならわかるだろう? いまこうして存在していること自体が奇跡なんだ。だから……会えて本当によかった。今さらこんなことを言う資格はないかもしれないが……リリ。父さんはずっと、お前を愛していたよ」

「お父さん……」

 リリの顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。

 二度目の別れの時間が近づいていた。それも今回は今生の別れになる。

「うっ……うう」

 フィーネが嗚咽を洩らす。

 必死に堪えようとしていたようだが、溢れ出る涙を止められないようだった。愛する者との別れを何度も経験したフィーネには、リリの気持ちが我が事のように思えてしまうのだろう。


「さて……消えてしまう前に、君たちにも伝えておくことがある」


 と、今度はアルドたちに向き直る。

 すでに彼の体は半透明になり、傍目にもわかるほど存在感が希薄になっていた。


「私はずっと君たちを見ていたと言っただろう?」

「……ああ。次元の向こう側からずっと見守ってくれていたんだよな?」

「そのことだが、実は私だけではなかったんだ。私の他にも、君たちの冒険を見守る何者かの存在を感じていた……それも無数のね」

 アルドとリィカが思わず顔を見合わせる。

 彼が何を言っているのか、二人とも理解ができなかった。

「ワタシたちを見守る存在、デスカ? ソレはいったい誰のことデショウ?」

「それは私にもわからない。ただ、知っておいてほしかったんだ。君たちはきっとこれからも、誰かを救うための旅を続けるんだろう。今まで以上の困難に直面することもあるかもしれない。だが、挫けそうになった時には思い出してほしい。君たちの味方はこの世界だけじゃない、別の世界にもきっと大勢いるのだと」

「別の、世界……?」

「ふっ。まあ、半端な科学者の世迷言だよ。信じるも信じないも君たちの自由だ」

「いや、信じるよ」

 アルドが力強く断言する。建前でも嘘でもなかった。

 もちろん彼の言葉を理解できたわけではないが、科学者である彼が口にした非科学的なその言葉は、不思議と真実であるように感じられた。


「……ありがとう」


 虚空から響くような声で言う。

 彼の身体はもはやほとんど見えなくなっていた。石像が長い年月を風にさらされてすり減るように、サラサラと粒子が宙に舞って空へと飛んでいく。


「君たちの冒険を最後まで見届けることができないのは残念だが、その役目はその何者かたちに託すことにしよう。私はひと足先にいって、クロノス博士に君たちの冒険譚を聞かせてやるさ」

「……ああ。よろしく伝えてくれ。何があってもこの世界はオレたちが守ってみせるって」

「うぅ……さようなら……ひぐ」

「……イザサラバ、デス」


 アルドに続いてフィーネとリィカが別れの言葉を告げる。すでに顔は見えないが、アルドには彼が微笑んだのがわかった。


「そうだ、最後に教えてくれないか。あんたの名前を」

「……ソルバ。それが私の本当の名前だ」


 その言葉が最後だった。

 姿だけではなく、気配が完全に消失していた。確かにそこにいたはずの人間が、その存在が、影も形もなくなっていた。


「お父さん! うっ……ああああ!」


 リリがうずくまり、形見となった猫のぬいるぐみを抱きしめながら叫ぶ。

 まるで5歳の少女に戻ったような、感情をむき出しにした純真な泣き声が、いつの間にか雲の晴れたエルジオンの青空に響いていた。

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