第40話 恋人役を頼んだ理由(アルオニア王子目線)
「君、どんな仕事でもやるって言ったよね。それじゃあ……、僕の彼女になってよ」
どんな仕事でもいいから雇ってもらえませんか? そう、執事のヴェサリスに頼み込んでいたリルエに、僕は恋人役の仕事を提案した。
別に、断ってもらっても良かった。この子である必要はない。後腐れのない、口うるさい女じゃなければ、誰だっていいのだ。
リルエは戸惑う表情を見せた。
僕は(別に返事なんてなくていい。話が流れて、無かったことになってもいいし)と、投げやりに考えた。
リルエは、考えさせてほしいと返答を保留した。僕はどうしてか、ムッとした。
——金に困っているんだから、さっさと引き受ければいいのに。
そう、思った。
その日の夜。寝つきの悪い僕のために、ヴェサリスがハーブティーを運んできた。
「カモミールは、安眠やリラックスするのに効果があるのですよ」
「ふーん。……面接に来たあの子のことだけど、帰り、なにか言っていた?」
「そうですねぇ……」
ヴェサリスはカップにハーブティーを注ぎながら、思案する顔をした。
甘く爽やかな香りが漂う。カモミールはリンゴの香りに似ている。
「アルオニア様は、リルエさんにお相手役になってほしいのですか?」
「別に。誰だっていい。めんどくさい相手じゃなければ」
「それならば、実は、女性除けにぴったりのお相手がおります」
ヴェサリスはカップを僕の前に置きながら、にこやかな微笑を浮かべた。
話の流れに戸惑う。
僕は彼女を家まで送るよう、ヴェサリスに頼んだ。その道すがら、彼女がなにを話していたか、知りたいだけなのだが?
「わたくしの知り合いの娘さんなのですが、非常に素直な気質でして。右を向けと言ったら右を向きますし、秘密にするよう命じたら誰にも口外しません。さらには美しい外見をしており、教養もあります。そのお嬢さんなら、女王陛下も納得するでしょう。女性除けにぴったりです。いかがですか?」
「…………」
「大学を卒業するまでの四ヶ月。落ち着いて過ごすために、女性除けとなるお相手を求めていらっしゃるのでしょう? わたくしも協力いたします。知り合いの娘に声をかけてみましょう」
にこにこ顔のヴェサリスから、僕はプイッと顔を背けた。
「必要ない。余計なことをしなくていい」
「かしこまりました。彼女役を務めるのは、リルエさんがいいというわけですね」
「そんなことは言っていない」
ムッとして言い返すも、すぐに、ヴェサリスの罠に嵌ったことに気づく。
誰だっていいと言いながらも、ヴェサリスの勧める女性を断る。
辻褄の合わない僕の言動の背後になにがあるかなんて、思慮深いヴェサリスにはお見通しなのだろう。
見透かされていることに腹が立ち、反撃を試みる。
「知り合いだかいう娘の話。実在する人物なのか? でっちあげた話なんじゃないのか?」
「さあ、どうでしょうか。そうそう、リルエさんを家に送ったときの話を聞きたいのでしたね。仮初の恋人役を求められたことに不安がっていらしたので、説明いたしました。そのうえで、アルオニア様はリルエさんのひたむきさに心惹かれたようだと、お話しました」
「心惹かれた⁉︎ なに勝手なことを!!」
ヴェサリスは意に介さず、にっこりと笑った。
「リルエさんが引き受けてくださるといいですね」
そう言葉を残して、ヴェサリスは部屋を出ていった。
「まったく、余計なことを」
爽やかな風味のカモミールティーを口元に運びながら、文句をこぼす。
思慮深いヴェサリスにしては、軽はずみだ。
僕に好かれているだなんて、あの子が勘違いしたらどうするんだ。
◇◇◇
その後。リルエは、恋人役を引き受けた。
シェリアたちのいじめが心配で、僕としては、清掃員の仕事を辞めてほしかった。だがリルエは、拒否した。
(そうだよな。恋人役は期間限定なのだから。僕が国に帰った後、また職探しをするのは大変だろう)
納得しつつも、腑に落ちない。なにかが心に引っかかっている。
あるとき。リルエが空き教室に入っていくのを見かけた。ずいぶんと顔色が悪い。
用事を終えてから、その空き教室を覗いてみた。
静かだ。人の気配がしない。リルエは掃除を終えて出ていったのかと、踵を返そうとしたとき。視界の隅になにかが映った。
教室前方の端。机に突っ伏している者がいる。
「リルエ……?」
地味な色合いの服は、清掃員の制服。三角巾から覗く栗色の髪は、リルエの髪色と同じ。
僕は足音を立てずに、机に突っ伏している人物に近づいた。
やはり、リルエだった。
リルエは組んだ両腕に顔を乗せ、横を向いて寝ている。
「そういえば、ジュニーとトビンが風邪を引いたんだったな」
リルエの妹弟が風邪を引き、その看病のため、リルエはしばらく屋敷に来られないと、ヴェサリスから聞いていた。
リルエの顔色が悪いのは、看病疲れのせいだろう。十分な睡眠が取れていないのかもしれない。
リルエを起こさないよう気をつけながら、隣に座った。
僕も机の上で両腕を組み、顔を乗せる。
右に顔を向けているリルエと、左に顔を向けている僕。僕たちの顔が向かい合う。
寝ているリルエをじっと見つめる。
間近で見ることで、いろいろと気づく。
リルエのまつげは意外と長い。そのまつげが伏せられているのが、妙に色っぽい。
寝息を立てている唇。口紅は塗られていないようだが、自然な赤さが美しい。
三角巾からはらりと流れる、栗色の髪。僕はその髪をすくって、感触を楽しむ。
「う、うぅん……」
リルエが目を覚ました。ぼんやりとしていた目に光が宿り、焦点が僕に合う。リルエは目をパチクリさせた。
「え? なんで……」
「仕事中に寝るなんて、誰かに見つかったら大変だよ」
「あ……きゃあーーーーっ!!」
リルエは悲鳴をあげて飛び上がると、あわあわと頬を叩き、髪を整えた。
「ごめんなさい!! ここ一週間、あんまり寝ていなくて。気絶しそうなほどに眠くて、十分だけ……って思って、寝てしまいました。ごめんなさい。どうしよう。何分寝ていたんだろう?」
「五時間ぐらい?」
「嘘でしょう! そんなにっ⁉︎」
リルエは黒板の右上に掛かっている時計に目をやると、怒った顔で僕を見た。
「十五分しかたっていないですっ!!」
「へぇー、そうなんだ?」
からかわれていることに気づいたらしいリルエは、頬を膨らませ、僕を睨みつけた。
「五時間も寝たと思って、本気で焦ったんですからね。からかうなんてひどいです!」
「リルエって、なんでそんなにからかい甲斐があるの? おもしろいんだけど」
「わたしはおもしろくないですー!」
プンプンしているリルエが可愛い。
怒っている人なんて可愛いわけないのに、リルエだと可愛く思えるのはどうしてなのだろう。
「悪かった。お詫びに、レストランデートに誘いたい。食べたいものある?」
「べ、べつに本気で怒っているわけではないので、気にしないでください」
遠慮するリルエ。僕は強引に約束を取りつけた。
空き教室内には、僕とリルエの二人しかいない。廊下からは生徒たちの話し声が聞こえる。
次の時間、ここの教室は授業が行われるのだろうか?
もし生徒が入ってきたら、僕と清掃員が二人でいることに驚くだろう。噂になることは間違いない。
——歴史あるエルニシア王室の王子が、貧しい平民の娘と恋仲になっている。
そのような噂が流れたら、煩わしいことになるのは目に見えている。リルエと引き離されることは確実だ。
だから誰が入って来てもいいように、言い訳ができるように、リルエと距離を置く。
空き教室に二人でいるというシチュエーションなのに、近づけないのがもどかしい。
リルエは机の拭き掃除を始めた。僕は教室の最後尾に座って、それを眺めながら、彼女に触れたい。抱きしめられたらいいのに……と思った。
ヴェサリスは言った。
—— アルオニア様はリルエさんのひたむきさに心惹かれたようだと、お話しました。
「ひたむきさだけじゃ、ないけどね」
リルエの空気感が好きだなんて抽象的すぎるし、見ているのが好きだなんて、重症すぎる。
だがこうして頬杖をつきながら、掃除をしているリルエを見ていると、心が満たされていくのを感じる。
後継者問題が煩わしいのは事実。女性を当てがおうとする者たちにうんざりしているのも本当。卒業パーティーのダンスパートナーを巡って女子たちが騒ぐのに嫌悪感が沸く。
だが、女除けが必要なほどに切羽詰まっていたわけじゃない。
僕はただ——……彼女にまた会いたいと思って、恋人役の仕事を頼んだのだ。
【コミカライズ】王子様の恋人になるお仕事はじめました 遊井そわ香 @mika25
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます