第39話 初めてのキス

 卒業パーティーが終わり、わたしと王子は屋敷に帰ってきた。

 遅い時間になっていたので、王子の親切に甘えて屋敷に泊まることにした。


 

「わたし、アルオニア様の本当の恋人になったんだ……信じられない……」


 気持ちがふわふわと浮いている。夢の世界から帰ってこられない。頬をつねると痛いのだけれど、その痛みですら、両想いになった幸福の前には意味をなさない。

 今夜は寝られそうにない。

 そう思いながらも就寝の準備をしていると、王子がわたしの部屋を訪ねてきた。

 王子はベッドに腰をかけると、わたしの体を軽々と持ち上げた。膝の上に乗せられてしまう。


「きゃっ! なにをっ!」

「本物の恋人になれたんだ。ふれてもいいよね? 遠慮なく」

「遠慮なく!? そ、それはどういう……」

「こういうこと」


 王子はわたしの顎をクイッと持ち上げた。

 そのまま、親指で、わたしの唇にふれた。


「あ……っ」

「心配しないで。リルエは大切な女性だから、がっついたり焦ったりせずに、ゆっくりと愛を育んでいきたい」


 耳にふれる王子の声がくすぐったい。

 自分が自分でなくなってしまったかのように、心臓がドキドキしている。

 

「僕の愛を受け取ってくれる?」

「はい……」


 深く考えもせずにうなずく。

 王子の綺麗な顔が近づき、唇がふれそうになる。


(えっ! キスされる!?)


 反射的に王子の胸を押して、顔を背ける。


「ちょ、ちょっと待ってください!! 愛を受け取るって、あの……」

「うん。キスしようと……。初めて?」


 キスという単語に、体温が上がる。顔が熱くなる。

 コクコクとうなずくと、王子はしばらく沈黙し、わたしを膝から下ろした。


(どうして? 嫌われた?)


 キスを拒んだから──。こんな女、嫌だって思われた?


「リルエ……」

「違います! びっくりしちゃって、思わず……。ごめんなさい。わたしのこと、嫌いにならないでください……」


 うつむき、涙混じりの声で訴える。

 王子が、ふーっと、長い息を吐いた。 


「がっつかないって言ったのにごめん。抱きしめたい」

「えっ……」


 強引に、でも優しく、抱きしめられる。

 王子の愛用する香水が、鼻腔をくすぐる。


「リルエを膝から下ろしたのは、感情に流されてキスしようとしたことに気づいたから。こちらこそごめん。強引だった。嫌いになるはずがない。初めてのキスは、思い出に残るものにしたいって思ったんだ」

「そうだったんですね。嫌われたのかと勘違いしてしまいました。わたし、アルオニア様のこと好きすぎるみたいです。ちょっとした言葉や行動で、気持ちが揺さぶられてしまってダメですね。あの、わたしも…… アルオニア様と、キス、したいです。でも、キスしたことがないので、すごく下手だと思います。それでも、アルオニア様の愛を受け取ってもいいですか?」

「ずるくない? なんでそんな可愛いことを言うの? 僕の理性を試している?」

「試していないです!」


 慌てるわたしと、拗ねた顔をする王子。

 王子はボソリと「ロマンティックなデートをした帰りに、海辺でキスとか。いろいろと考えていたけど、無理だ」ため息混じりにこぼした。

 王子はわたしに顔を向けた。

 

「卒業式の夜っていうのも、思い出に残っていいよね?」

「ふふっ。はい」

 

 熱を孕んだ瞳で見つめられる。


「我慢できない。キスしたい」

「はい……」


 張り詰める空気。

 けれど衣服が擦れる音とともに、張り詰めた空気に甘いものが混じる。


 ――唇にふれた、柔らかくてあたたかな皮膚。


 王子の愛は、くすぐったいほどに甘くて優しい。

 胸にじわっと広がる幸福感。時計の音だけがチクタクなる静かな部屋に、幸せが満ちる。

 あたたかな感触が離れ、アメシスト色の瞳が真っ直ぐにわたしを捉える。

 王子が言葉を発するより先に、心配事をぶつける。


「あのっ! キス、大丈夫でしたか? どうしたらいいかわからなくて、その、変じゃなかったですか?」


 なにがおかしいのか、王子は笑いをこぼした。


「変ではないけれど、練習したほうがいいね」

「やっぱり。そうですよね」

「リルエ、素直すぎて心配。他の男にちょっとでもなにか言われたら、すぐに僕に報告して」

「?」


 王子は顔を傾げ、キョトンとしているわたしの唇の端に軽くふれた。

 

「キスの練習をしよう。何度でも、たくさん」


 囁かれた言葉とともに、再び落とされたキス。

 次第に熱を帯びていくキスの中で、思う。


 ──本当の恋人ってなんて甘くて素敵で、とろけてしまいそうなほどに刺激的なのだろう。

 

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