盆踊り

   


 夏休みの終わり頃、京都では地蔵盆が行われる。おやつや数珠まわし、福引きなどがあり、最後は盆踊りで締めくくられる。

 町内の道に櫓を建て、提灯を飾り、子供も大人も踊りの輪にはいる。

 私は、行水をすませテンカフで首を真っ白にして、朝顔模様のゆかたを着せてもらっていた。

 外から盆踊りのレコードの歌が聞こえる。

「まだか?」

 音頭にそわそわしながら、私は帯を結んでくれているお母さんに聞いた。

「もう、じっとしてへんかったら、じょうずに帯が結べへんやろ」

「早よ、してぇなぁ」

 私は、何度も後のお母さんをふりかえった。

「はい、結べた。行っといで」

 お母さんが、私のおしりをぽんとたたいた。

 私は、小走りに外へ出ていった。

 友だちの和ちゃんが、櫓の近くで「はよう、はよう」と手まねきをしている。

 夕方といってもまだまだ空は明るい。暗くなる前の空の下は、子供の時間だった。子供たちが、お世話係の人の踊りを見よう見まねで手を伸ばし足を運んで、踊っていた。

 私たちも、みんなのまねをして踊りの輪に入った。腕を曲げ、のばす。三歩進む。手を打って広げる。毎年同じ踊りだから、少しは覚えている。

 和ちゃんと目を見交わし、うふっと笑う。 

 にぎやかな音頭にまじって、人の声が聞こえてきた。

「千代ちゃん、えらい女らしいなったな。何年生や」

 向かいの家のおじさんの声だ。

「四年生ですわ」

 おばあちゃんの声が答えている。

「へぇ、もうそんなになったんや。あんなんやったら、すぐにでもお嫁にいけるんとちがうか」

「あほらし」

「いやいや、このごろの子は育つのが早いさかいなぁ。まだまだやって思てても、すぐやで。ほんま、きれいになったなぁ」

 みんなが私を見ているような気がする。きれいになったという言葉がうれしい。私は、もっときれいに見えるように、もっと大人に見えるように、背中を伸ばし胸を張った。

 一曲終わるごとに、みんな笑っていた。首筋に汗が流れる。背中の帯にさしたうちわを取り、ぱたぱたと胸元に風を送る。もう何曲踊っただろう。

 空の色がすっかり暗くなっていた。

 闇がおりてくると同時に、仕事を終えた近所の大人が踊りの輪に入り出した。踊りの輪は通りをうめつくすほど大きくなっていた。

「ほら、そろそろ子供の時間は終わりやで」

 お母さんが、私の手を引っ張った。

「ああ、もうちょっと」

「あかん。もう帰る時間や」

「もうちょっとだけ」

 私は、未練がましく櫓の方をふりかえった。

 その時「ほう」というどよめきを聞いた。

「さすが、玄人の女狐は、ちがうなぁ」

「あんなきれいやと、だまされても、しゃぁないなぁ」

 だれかのささやくような声がした。

 みんなの視線をたどると、ぱりっとしたゆかたを着た藤原くんのお母さんがいた。白地に紺の藤の花の蔓がのびている。まるで、藤原君のお母さんの体にからみついているような模様だった。白いゆかたの周りが、なぜかぼうっと光って見えた。

 私は、藤原君のお母さんに初めてあった時のことを思い出した。


 その日、班新聞を作る宿題が出ていた。私の班は、和ちゃんと藤原君と中島君の四人である。集まる家は、藤原君の家ということになっていた。

 藤原君の家は、西陣の大きな呉服屋さんで、おばあさんがいいと言わなければ友だちも遊びに行くことはできないという家だった。

 私は家にカバンを置くとすぐに、ノートや鉛筆をもって、藤原君の家へ走った。

 藤原君の家にはもう和ちゃんと中島君がきていた。中島君が「よっ」というように私に手をあげた。

 その時、

「いらっしゃい」

 通り庭ののれんをかきわけて、女の人が出てきた。

 その人は、長い髪の毛を後ろで一つにくくっていた。黒くてまっすぐの髪の毛が白い顔をより白く見せているようだった。切れ長の目が涼やかで、細い三日月のような眉が、おばあちゃんの大切にしている日本人形によくにていた。

「ママは、出てこんでもええ」

 藤原君んがいった。

「そやかて、せっかくお友だちが来たはんのに、あいさつぐらいしなあかんやろ」

 私に向かって、にっこりと藤原君のお母さんは笑った。

「こ、こんにちは」

 私は見つめられてドキドキした。

「ええねん。こんなやつらに挨拶なんかせんでもええ」

「何いうてんの、そんないい方したらあかんていつもいうてるやろ」

 同時に

「何いうてんねん」

 奥の座敷から声がした。

 灰色の着物をきりっと着た、白髪のおばあさんが出てきた。

「あ、おかあさん」

 藤原君のお母さんはそういって、二、三歩後へさがった。

「きみ子さん、あんたが光司にえらそうなこということは、いらんえ」

「へぇ、すんまへん。ですぎたことを……」

 藤原君のお母さんは、うつむいて目を伏せた。

「向こうへ行ってよし」

「へえ。ほな、ゆっくりしていってな」

 藤原君のお母さんは、ちょっと私たちに目を向けて、のれんの後ろにかくれてしまった。

 どうしておばあさんが出てきたら、お母さんがひっこんでしまうんだろう? 

 私は、もう少し藤原君のお母さんを見ていたかった。すぐに奥へひっこんでしまったことになんだか、がっかりしてしまった。


 今夜の藤原君のお母さんは、髪をまとめて結い上げている。首が長くて細くてとてもきれいだった。藤原君のお母さんを見て、私はドキドキしていた。どうしてこんなにドキドキするのかわからない。

 あんな女の人になりたいと思った。人をドキドキさせるような女の人になりたい。今の私はあまりにも子どもで、隣のおじさんがいくらきれいになったといってくれても、あの人には勝てない。早く大人になりたいと思った。けれど、本当にあんな人になることができるのだろうか。どうしたらなれるのか、わからない。否、きっと大人になってもあんな女の人にはなれないと、ふと、思った。なぜなれないんだろう。私は、くちびるをかんだ。きっとなれないと思うと、おなかの底から訳の分からないものがむくむくわいてくるようだった。

(あんな女の人、おかしいわ。藤原君のお母さんは、どこかおかしいわ)

 私は、きれいすぎる藤原君のお母さんをじっとにらんでいた。

 藤原君のお母さんが、音楽にあわせて、すっと腕を伸ばした。

 あ、と私は小さく声を出した。

 藤原君のお母さんだけが、ふっと浮き上がって見えたのだ。櫓の周りの人が見えない。音頭の音も遠くでかすかに聞こえるだけだった。暗闇に提灯の明かりと藤原君のお母さんだけがぼうっとうかんでいる。手の先、指の先まで光っているように見えた。

「さすが、女狐やなぁ」

 小さな声が聞こえた。

(め・ぎ・つ・ね……)

 ゆかたかの袖から見えた手は、真っ白な陶器みたいに裸電球の明かりを跳ね返していた。

(ああ、そうか。やっぱり、人間とちがうんや……)

 そう思うと、私は少しほっとした。

(人間やないからあんなにきれいなんや)

 私は、いつか行った伏見のおいなりさんのきつねを思いだした。白いきつねだった。白いきつねの大きな耳の中は、真っ赤だった。紫の房のついた巻物を、赤い口でくわえていた。

「ああ、きつねや……」

 私は、つぶやいた。

 腕から、肩、うなじ。

 私はもう一度、藤原君のお母さんの動きを目で追った。

 うなじから続いて、顔がある。

 顔を見た。

 はっと、私は息をのんだ。

 藤原くんのお母さんの顔は、あの白いきつねの顔だった。

 目を伏せて、だれの言葉も聞こえていないように踊り続ける白いきつね。

 ずっと見続けていると、きつねが私の方に顔を向けた。私の目を見据えると、

 きつねは目を細め、ニヤリと意味ありげに笑った。

「きつねや……」

 私がつぶやいた。

「何、いうてんの。あほ」

 私の手をにぎっていたお母さんが、ぎゅっと力を入れた。

 盆踊りの音頭の音が急ににぎやかに聞こえた。藤原君のお母さんは、櫓の向こう側に回ったのか、もう見えなくなっていた。

「もう、子どもの時間は終わりや」

 引きずられるようにして、私は家に帰っていった。

  

        了

  

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天神さんの細道は梅の花びらで敷き詰められ 麻々子 @ryusi12

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