狐の嫁入り

 太陽がきらきら輝いていた。それなのに、細い雨粒が落ちてくる。不思議だなぁと顔を空に向けたまま、私はじっと雨をみつめていた。

「千代ちゃん、なにしてんの?」

 おばあちゃんの声だった。

「お日さんが照ったはんのに、雨、ふってる」

「きつねの嫁入りや」

「きつねの嫁入り?」

「そう、どっかできつねの嫁入りがあるんや」

「どこで、どこで。私、見てみたい」

「そやから、人間に見られとうないから、晴れてるのに雨をふらすんや」

「ふーん、やっぱり見られへんのか……」

「きつねの嫁入り……。きれいやけど、ほんま、はかない感じやなぁ……」

 おばあちゃんのつぶやく声をききながら、私は、きれいなきつねの花嫁さんを胸に描いていた。綿帽子の中に真っ白な顔。

(あ、顔がきつねや)

 そう思って、私は一人で笑った。きつねの花嫁さんだから、顔もきつねに決まっているのに、それを驚いた自分がおかしかった。


 私の家の向かいに、幸という名前のおねえさんが住んでいた。私は、幸さんが大好きだった。幸さんは、もうお勤めに出ているから私にとっては、りっぱな大人の人だった。

 見たこともない赤いレースのリボンをくれたり、金魚の絵がついたフワフワのお菓子をくれたり……。私の中では幸さんは、世界中で一番きれいであこがれの人だった。

 私は、一日に一回は向かいの家に遊びに行っていた。帰るのがいやで、夕食も幸さんの家で食べることが何回もあった。

「千代ちゃん、明日、映画に行こうか?」

 夕食をごちそうになっているときに、幸さんがにこっと笑いながら私にいった。

 大通りに出たところに、町の小さな映画館があった。

「幸、なにゆうてんの。映画になんか千代ちゃんをさそたら、あかん。千代ちゃんのおかあさんにおこられるえ」

 幸さんのおかあさんが、まゆをしかめていった。

「かまへんやん。映画に行くぐらい」

「どうせ、あの映画やろ? 子どもの映画やったらええけど、あんな映画、子どもを連れて行ったらあかん」

「千代ちゃんかって、もう三年生や。カッコエエ男の人見たらカッコエエと思うやんなぁ。カッコエエ男の人の見たいやんなぁ? 映画、見たいやんなぁ?」

 幸さんは、私の顔をのぞき込んだ。

「あかん、あかん。そんなことより、あのお話は、どうするんえ? 私は、ええお話やと思うけどなぁ」

 幸さんのおかさんは、話題を変えたいらしい。

「ああ、またその話か。今、私は千代ちゃんと映画の話をしてるんや。その話はしんといて。なあ、千代ちゃん、映画に行こ?」

 幸さんは小首をかしげて、無理に笑顔を作った。

 それを横目で見て、幸さんのおかあさんは、ふうとためいきをついた。

「私、映画に行ってみたい」

 私は大きな声でいった。

 私は、映画を見たいのじゃなくって、幸さんとちょっとの時間でもいっしょにいたかった。

「ほら、千代ちゃんも行きたいっていうてるやん。あとで、千代ちゃんのおかあちゃんに聞いたげるな。ええっていわはったら、いっしょにいこな?」

 幸さんは、今度は本当の笑顔でにっこり笑った。

 その夜、私を迎えに来てくれたおかあさんに、幸さんは映画の話をしてくれた。私は、おかあさんにだめだといわれるような気がした。でも、おかあさんは、幸さんといっしょだったら映画に行ってもいいと、あっさりゆるしてくれた。


 映画館の中は、まっくらだった。

 映画の中では、男の人が女の人と会ってテーブルを挟んではなしていた。二人で走って逃げていた。ピストルでうたれた。

 次々に変わるスクリーンの絵。

 私には、どういう物語なのかよくわからなかった。

 つまらないので、となりに座っている幸さんを見た。スクリーンから放たれる光で幸さんの顔がボーッと光って見えた。うれしそうに笑っている。目もきらきら光っていた。私はスクリーンを見るよりも、幸さんのそんな顔を見ている方が楽しかった。

 映画館を出て大通りを曲がると、道にはだれもいなかった。裸電球の外灯がひとつぼんやり道を照らしていた。

 空を見上げると、丸い月が出ていた。

「なあ、千代ちゃん、あの映画に出ていた男の人、カッコエエやろう? 女やったら、だれでもカッコエエと思うわなぁ。背高いし、足長いし、やさしい目したはるやろ。ふっと、やさしい笑わはったら、もう、私、腰抜けるわ」

 幸さんの目はとろんとして、どこを見ているのかわからなかった。

 映画の音楽を口ずさんでいた幸さんは、さっとカーデガンを脱いだ。素肌にワンピースの肩紐がかかっている。肩につくぐらいの髪の毛をふっとゆする。

 風が幸さんの髪をもてあそぶ。

 風がいたずらをして、幸さんの肩紐を腕に落とした。

 私はおどろいて「あっ」と小さく声を出したが、幸さんは、そんなことには気づいていないのか、歌を口ずさみながらくるくる回って踊っていた。

 風もきっと幸さんが好きなんだと、私は思った。

 幸さんはとてもきれいだった。月の光が肌を青く染めている。空に輝いている星が降りてきて、幸さんのまわりを飾ってくれたいいのにと、私は思った。そしたら、幸さんはもっともっときれいになる……。

「あんな男の人が、結婚しようっていうてくれはったら、私は、もう、すぐに、うんっていうんやけどなぁ……」

 幸さんは手を下ろし、お酒を飲んだあとみたいにふーっと息を吐いた。


 幸さんがお嫁入りするってきいたのは、それから何日かたってからだった。

 あのきれいな幸さんがお嫁に行く。

 私は、あの映画の男の人を思った。

「幸さんのお婿さんにならはる人、背、高い?」

「いや、そんなに高いていうたらへんかったなぁ」

 おばあちゃんがこたえてくれた。

「足、長い?」

「いいや」

「カッコイイ?」

「写真見たけど、カッコエエとは、いえへんなぁ」

(いやや、そんな人と結婚する幸さんはいやや。あのきれいな幸さんが、私の幸さんが、カッコワルイ男の人のお嫁さんになるなんて、うそや。うそに決まってる)

「ほんまに、幸さん、お嫁に行くっていわはったん?」

「ほんまや、ちゃんと日も決まってるがな」

「幸さん、泣いたはらへんかった?」

「なんで、泣かんなんねん。うれしそうにこの人っていうて、写真見せてくれはったえ」

「……」

 私は、なぜか、幸さんに裏切られたような気がした。なぜか、かなしかった。

 それから私は、幸さんの家には行かなくなった。

 おばあちゃんが「千代ちゃん、このごろお向かいの家に遊びにいかへんなぁ、どうしたんえ?」ときいても、「私かっていそがしんや。向かいの家ばっかり行ってられへん」とちょっとおこってみせたりした。


「千代ちゃん。早よ、早よ、出てきよし。幸さんがお嫁に行かはるえ。ほら見てみ。きれいなお嫁さんやで」

 おばあちゃんが、外から私を呼んでいる。私は玄関の戸のすきまからちらっと表をのぞいてみた。黒いハイヤーが幸さんの家の前に止まっていた。

 白無垢の幸さんが、裾模様の黒い着物を着た女の人に手を取られて、向かいの家の玄関に立っていた。

(こんな幸さんなんかは、見とうない)

 私は、まだ玄関の戸に半分かくれていた。

 花嫁さんが腰を曲げてハイヤーに乗り込む。

 太陽の光がハイヤーの黒い車体に跳ね返ってまぶしい。

 突然、細い雨がサーとふってきた。

 はっと、私は身を乗り出して空を見上げた。

 青空だった。

「あ、きつねの嫁入りや」

 私は、玄関を飛び出した。

 私の前を、幸さんをのせたハイヤーが通り過ぎた。

 幸さんの顔が、白い角隠しからちらっと見えた。

(あ、きつねの顔……)

 幸さんは、私の知らないきつねの顔になっていた。

(きつねの嫁いりは、きつねになってお嫁に行くことやったんや……。きれいな幸さんは、もうどこにもいやはらへん……。きつねは、人を化かすうそつきや……)

 私はくちびるをかみながら、黒いハイヤーが走っていくのを見送った。

 黒いハイヤーが見えなくなるころ「きつねの嫁入り」は消えていた。


            了

 

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