出口
遠足の変わりに、いろんな小学校から選ばれた作品が展示されてる京都市美術館に行った。二年生の私の学年からは、同じクラスの祥子ちゃんの絵が選ばれていた。
美術館はふるめかしいレンガづくりの大きな建物だった。壁はレンガなのに、屋根は日本のお城みたいなかわらだった。西洋のお城にも、日本のお城にも見える。
美術館の前に立った時、どっしりとした大きさに、私は建物から見下ろされているような感じがして、少し足がすくんだ。
立ち止まってしまった私を、友だちの和ちゃんがおした。
「なにしてんの、止まったら、あかんやん。ぶつかってしまうやん」
「うん。ごめん」
押されるまま、私は美術館に入った。
広い玄関ホールの奥は、西洋風の石の階段だった。左右に分かれ、ゆっくりしたスロープでのぼっている。手すりには灯籠のような飾りがついていた。
美術館の中は、薄暗くヒヤッと冷たかった。
私は、四階だてぐらいの吹き抜けの天井を、見上げていた。丸くて白い天井がきれいだった。古い美術館は、白くて冷たい息をしているのかもしれない。
「はい。みんなちゃんと並んで」
先生がいった。
私たちは、背の低い順番にもう一度並び直した。
「今日は、下のお部屋はみません。上のお部屋のみんなの絵だけを見て帰ります。お部屋の中では、走ったり、ふざけ合ったり、大きな声でしゃべったらあかんよ。わかった?」
「はあーい」
私たちは、わかってますというように右手をあげた。
広くて大きい階段を上がっていく。
展示室に入っていくと、壁にいろんな学校の生徒が描いた絵が飾ってあった。
私は展示室に入っても、絵よりも天井の高さが気になって、上ばかりを見ていた。
(高いなぁ。何でこんなに高いんやろ。だれかが見下ろしていても、絶対気ずかへんやろうなぁ)
ふと目を落とすと、次の展示室に続く入り口があった。その入り口からまた次の入り口が見える。まるで、合わせ鏡にうつした永遠に続く入り口のようだった。
(あそこに入ったら、もう二度とここへは帰ってこれへんのとちがうやろか。なんや、こわいなぁ。みんなにおくれて一人になったら、へんなとこへ行ってしまうかもしれん。一人になったら、絶対帰れへんようになるわ)
「あ、祥子ちゃんの絵や」
誰かの声で、みんながばらばらと列をくずし、祥子ちゃんの絵の前へ集まった。
私は、四つの入り口に気をとられていたので、部屋の真ん中に一人だけ取り残されてしまった。
その時、入り口に人の影が見えたような気がした。
「あ、あっちにも、人がやはる」
私は、横の入り口に目を向けた。
しかし、誰も見えなかった。
(なんや、気のせいか。だれもやはらへんやん)
私は、安心してみんなの方に振り向いた。
「あれ?」
みんなの姿がない。
「もう、みんな行ってしまわはったんや。かなんなぁ。置いていかれてしもた」
私は、みんなが進んでいったと思う次の展示室に走った。
私が次の展示室に入ったと同時に、クラスの列はその次の展示室にうつっていた。列の最後の和ちゃんがはいていたスカートだろうか、出入り口から赤い色がちらっと見えた。
「まって」
私は、走った。
入った次の展示室にはだれもいなかった。
「どっちにまがらはったんやろう。どっちの部屋に行ったらええのん?」
私は、四つの出入り口をキョロキョロと見た。
部屋の真ん中でどちらにも進めなくて立っていると、右の部屋から、かすかな話し声が聞こえてきた。
私は(ああ、こっちや)と思って右の部屋に入った。
人はだれも、いなかった。
けれど、その部屋は、赤い着物を着た女の子の絵でいっぱいだった。
ななめ横を向いた横顔。まゆの上で切りそろえられた前髪。おかっぱ頭の女の子。細い目が何かをじっと見ていた。その部屋に飾っている人物画がみんな同じところを見ていた。 私は、一点づつ女の子の絵を見ていった。
赤い着物の上に赤い毛糸の肩かけをかけている。
肩かけの女の子が立っている。
赤い羽織の女の子。手を重ね正座している。
みんなみんな、右下をまばたきもしないでみつめていた。
「クスッ」
誰かの笑い声が聞こえた。
私は、びっくりして振り返った。
赤い服を着た少女の絵が笑っていた。その少女だけが左下を見ている。それまでの少女より少し年上のような気がした。かみが少し長い。
「今、笑ったの、あんた?」
絵は、笑ったまま何も答えなかった。
「あそぼ」
ささやき声が後ろから聞こえた。
「だれ?」
黒い着物の少女が手に人形を持って座っていた。
「しゃべったん、あんた?」
少女は、動かない。
「ほらこっち」
「どこ?」
私は、またふりかえった。
「あそぼ」
「あそぼ」
「こっち見て」
「こっち、こっち」
私は、声がする方にくるくる向きを変えた。けれど、どの少女の絵も直接には私に話しかけてくれなかった。
「こっち、こっち」
「こっちよ、こっち向いて」
「人形、かしてあげる」
「紙風船で遊ぶ?」
右から、左から、高い高い天井から声が聞こえる。
「わからへん。わからへん。だれがしゃべってんのかわからへん」
私は、耳をふさいでしゃがみこんだ。
「つまんない。どうして、こっちにむいてくれないの? あそんでくれないの?」
耳をふさいでも、声は聞こえてきた。
「わからへん」
「あなたも、こっちにいらっしゃいよ。そしたらいっしょにあそべるわ」
「そっちに行く?」
「そう、こちらにくればいいのよ」
「行けへん」
私はもう声を聞きたくないと、耳をふさいだ手に力を入れた。
「つまんない子ね」
「帰りたい」
私は、つぶやいた。
「つまんないなぁ……」
ふう、とため息が聞こえた。私は、そっと顔を上げた。
遠くに次の部屋に続く出口が見えた。出口の横には坂道が描かれた絵があった。
坂道の絵は、絵ではなく本当にこの美術館から外に出してくれる感じがした。額の中から外に続いている。からからにかわいた赤土の坂道が、盛り上がり、うねりながら、空へ続いていた。
(あの坂を走ってのぼれば、外に出られるんや。あのてっぺんまで行ったら、この美術館からでられる……)
絵から風が吹いてきた。赤土が少し風にまいあがった。
「こっちへいらっしゃいよ」
少女の声がした。
(部屋の出口を通ったら、また部屋をぐるぐるまわらなあかん。あの絵のなかに走っていったら外へ出られるような気がする。そやけど、私、絵の中に走っていってもええんやろか。ほんまにええの? わからへん、どうしたらええか、わからへん)
私は、目を閉じた。
風が吹いているのがわかる。風が私のほほにあたるのがわかる。かみの毛をゆらしているのがわかる。
(きっとこの風は、外からふいているんや。この風に向かっていったら、きっと外に出られるや)
私は目を閉じたまま、まっすぐ風が吹いてくる方向にむかって走った。
「あ、先生、千代ちゃん、あんなとこにやはる」
和ちゃんの大きな声に私は目を開けた。
和ちゃんが、階段の手すりに身を乗り出すようにして私をゆびさしている。
「なんで、そんなところにいるの。自分勝手なことしたらダメってゆうたでしょう」
先生が走って階段をおりてきた。先生は私の手をつかんで引っ張っぱった。
そのいきおいで、私の首はもう一度さっきのへやに傾いた。
その部屋から、赤い着物を着た少女の肖像画がニヤリと笑っているのが見えた。
了
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