046 キルダ3日目ー芸術案件ー
調理特訓を終えて部屋に戻ると、エステラが水鏡の前で難しい顔をしていた。
「どうしたの? 仕事中?」
「んーー……この依頼なんだけど……」
差し出された手紙を広げると、物柔らかそうな女性らしい字が並んでいた。魔女への依頼を読むのは久しぶりだ。
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魔女さま
はじめまして。『古の魔女に手紙をかくと願いが叶う』という噂を耳にし、藁にも縋る思いでこの手紙を書くことにしました。私は国立音大のピアノ科に通う20歳です。私の悩みを聞いて下さい。
私はピアノ留学を夢見て、去年から必死にピアノコンクールにエントリーしています。いつも予選は通り、本選までは進むものの入賞できません。大学の制度ではコンクールでの入賞歴がない場合、海外にピアノ留学を推薦してもらうことが難しい状況です。
特にここ数カ月は自分の思うような演奏が出来ず、スランプに陥っていると感じています。次のコンクールは10週間後に迫っています。焦りだけが日々募り、自分の演奏を見失いかけています。ピアノ留学し、プロのピアニストになることは私の幼い頃からの夢で、私の人生を懸けてきました。実力がないと言われればそれまでですが、この夢が叶わなければ、今まで生きてきた20年の人生が無駄に感じてしまいそうでなりません。誰かに願うことではないのはわかっているのです。しかし、例え他力本願であれ、夢を掴み取るためにできることがあれば何でもしたいと思い、魔女さまにもお願いしてみることにしました。
魔女さま、どうか力をお貸しください。私にピアノ留学のチャンスをください。
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「普通の依頼に見えるけど、何か問題なの?」
「んーー……まず、ピアノって何?」
……え? そこ?
私は考えた。ピアノっていつ作られた物なんだろう? エステラが生まれたのが1681年。その頃ってピアノはなかったのか?
「ピアノって楽器だよ。白と黒の鍵盤があって、その鍵盤を指で押したら音が出る……」
いや、そもそも昔から音楽ってあったでしょ? 私だって音楽のことはよく知らないけどバッハとかモーツァルトって、エステラと同じぐらいの時代の人なんじゃ……。それともピアノは上流階級の人間しかお目にかかることのできない高価な物だった?
「んーー、わかんない。私は見たことない気がする。だって『ピアノ』って名前すら聞いたことないんだもん」
私はエステラにピアノという楽器からレクチャーを始めた。幸いスマホがあれば写真も見せれるし、動画で演奏の様子や音まで見せることができる。テクノロジ―万歳。
それから「コンクール」がどんなものかをレクチャーする。留学っていうことも。
今まで私の見えないところで仕事をしているらしいエステラだけど、本当に毎回ちゃんと依頼主の手紙を理解できているのかどうか、少し不安になる。
「じゃあ、この依頼はどの神様に頼もうかなあ……」
説明が終わるとエステラは腕組みをして悩み始めた。
「コンクールで入賞を考えるんだったら、勝負の神様? けどピアノの演奏だから芸術の神様の方がいいような……。いや努力不足なんだったら努力の神様……」
「へえ、勝負の神様とか芸術の神様とかまでいるんだあ……」
毎度のことながら、神様の多さに感心してしまう。
「芸術の神様なら1回だけ会ったことがあるから、やっぱり芸術の神様から攻めるのが無難かなあ」
エステラの眉間に皺が寄り、口がへの字に曲がっている。
「なんか嫌なの? その芸術の神様って……」
「すっっっっごく変なヤツなの」
……いや、今まで会った神様って全員変なヤツじゃなかったっけ?
私が会ったことがある神様は晴天の神ユリアと雨の神テクトの2人だけ。けど2人とも普通に変な人だった。そのせいか、神様はみんなクセがあって変な人なんだと思っていた。
「まあ、芸術関係の人って、やっぱりちょっと変わってるんじゃない? ほら、凡人とは違う感性を持ち合わせているっていうかさ……」
エステラは諦めたように溜息をついて項垂れた。
「他にコネもないし、やっぱり芸術の神様に交渉するしかないかあ……」
「ちなみに、その芸術の神様って男? 女?」
聞いた私の顔を見て、エステラは「何言ってるの?」というような顔をした。
「オフィーリア、神様に男も女もないよ。人間とは違うんだから」
「え! けどユリアはスカートはいてたから女でしょう? テクトは女たらしっぽかったから男なんじゃないの?」
「ないない。神様は性別なんてない」
……いや、ユリアの見た目は絶対女だったし、テクトの女たらしぶりを見たら絶対に男だって!
反論したい気持ちに駆られたけど、はっきり言って神様に性別があるかどうかなんて何の価値もない議論に思えたのでやめた。
「芸術の神様の名前はネウラ。300年前の印象だと陰気な感じ」
300年前の印象って役に立つのか? 300年も経ってるんだから性格とか人当たりとか変わってるんじゃない? と突っ込みたくなったけど、ぐっと堪えた。神様案件は、常識をはるかに超えていることを私はこの4カ月で学んでいた。
「んじゃ、私は今からとりあえずネウラのところに行って交渉してくるね」
「オッケー。私は今の間に溜まってる洗濯物でもしとくよ」
こうしてエステラは水鏡の光に包まれて、神様のところへと消えてしまった。
バイト帰りに魔女見習い拾いました Mitchy @haramitchy
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